edogawa's diary on 2002-2003 season #15.
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12月24日(火)12:30 p.m.

 久しぶりにミステリを読んでいる。以前はこのサイトで読書日誌を書くほど耽溺していたのだが、ブームが下火になるのと同時に読まなくなった。その代わりに98年以降はサッカーを死ぬほど見るようになったわけで、私ってば案外ミーハーなのね。で、何を読んでいるかといえば、いまごろ宮部みゆき『模倣犯』だ。奥付を見たら2刷だったので買ったのは早かったのだが、いままで書棚の肥やしになっておった。ゆうべ第1部(上巻の半分くらい)を読み終えたばかりなので、ラツィオ×ボローニャ戦と同様、私に結末を教えてはいけない。あんなに売れて、映画化までされたのに、結末どころか内容に関わる情報にいっさい触れずに過ごしてきた自分が信じられませんが。

 ゆうべは、リバプール×エバートン(プレミア第16週)をビデオ観戦。上位同士のダービーマッチということで期待していたのだが、なんだかヘボな試合になっちまった。最初から最後まで、ボールが落ち着くということがないのである。なので、あまり試合に集中できず、

「リーセとルーニーはどちらが字が上手か」

 といった、どうでもよいことばかり考えながら見てしまった。あと、九九を言わせたらどちらが早いかということも、ちょっと気になる。シュートシーンの少ないチグハグマッチは、スコアレスドロー。どいつもこいつも、やることなすこと上手くいかない感じ。なんでこうなるのかと考えていると、「ひょっとして、こいつら、技術が足りないんじゃないのか」などという大胆なご意見が頭に浮かんだりするのであった。私に言われたくはないですね。でも、持っているはずの技術の使い方を全員が忘れてしまったようには見えた。それを思い出そうとして考え込むから、判断が遅くなる。そんな感じ。私もいま、仕事のやり方を忘れかけて苦労しているところなので、その気持ちはわからなくもない。

 そんな試合を観た後だったせいか、マラガ×レアル・マドリー(リーガ第15節)はすばらしい好ゲームのように見えた。いや、事実好ゲームだったのか。なにしろ前半2-0からの逆転劇で2-3だ。後半は『模倣犯』片手に観ていたのでよくわからないのだが、なんでマラガはああなっちゃったんだろうか。前半は実にパワフルだったのに。ラウールのお株を奪うような意外なタイミングのシュートで先制点を決めたムサンパが、とても効いていた。ダリオ・シルバとデリー・バルデスのコンビで強奪した2点目は、最高に愉快なゴールだった。でも、ジダン、ラウール、フィーゴ(PK)の3人にやられた。サッカーの2点差は、お金をかければ逆転できるということがわかった。



12月23日(月)12:35 p.m.

 きのうは義妹一家といっしょに愚妻の実家でクリスマス会。寿司をたらふくご馳走になった。減量中の身に、年末年始は鬼門である。もっとも、このペース(2ヶ月で8キロ減)だと1年以内に妻よりも軽くなってしまう計算になるので、少し緩めたほうがいいかもしれない。セガレは、またまたリクエストどおり、ドラグバイザーツバイとか何とかいうモノを祖父母からゲット。仮面ライダー関係の武器である。カードを差し込むと、「変身!」とか「ファイナルベント!」とか「戦わなければ生き残れない!」とか「メリークリスマス!」とかいろんなことを言いやがる。DXメカゴジラよりもうるさい。この手のオモチャは、せめてボリュームを調節できるように作ってほしいと思った。

 ブラックバーン×マンチェスターU(プレミア第16週)を後半33分からライブ観戦。1-0でブラックバーンがリードしていた。通常、この時間帯にこのスコアだと、ユナイテッドの獰猛かつ無遠慮なアニマルアタックが見られるものである。しかしブラックバーンは猛獣使いよろしく、実に落ち着いて相手を巧妙にいなしていた。最後の十数分を見ただけで、リードしている理由がよくわかる戦いぶり。かつて猛獣の牙として暴れていたコール&ヨークを手中に収めているからこその自信かも。そのまま1-0。アナウンサーは盛んに「ジャイアントキリング」を連発していたが、そういう試合じゃないでしょう。同じトップリーグで戦ってるんだし、ユナイテッドは昨季のチャンピオンでもないんだから、そういう言い方はブラックバーンに失礼だと思った。

 ラツィオ戦は今夜の録画中継を録画して明日の晩に見る予定なので、私に結果を教えないように。それにしても、放送してくれるだけマシとはいえ、2位チームの試合を生中継しないスカパー!の見識を疑う。ユーベ×ペルージャよりラツィオ×ボローニャでしょう、いまどきは。ラツィオの経営難&快進撃は、一般紙(朝日)の夕刊でさえ囲み記事になるぐらいホットな話題なんだからさ。



12月22日(日)14:20 p.m.

 ゆうべは、アーセナル×ミドルズブラ(プレミア第16週)をライブ観戦。どうしてボロの右サイドをボブ・サップが疾走しているのかと怪訝に思ったのだが、よく見るとそれはボブ・サップではなく、太ったジェレミだった。ボクシッチを久しぶりに見たが、とくに見せ場を作れないまま途中交替。ボクシッチに未来はあるのだろうか。キャンベルとピレスのゴールでアーセナルの2-0。すごくフツーの試合。



12月21日(土)

 私の両親を招いて、昼過ぎからクリスマス会。久しぶりに台所に立った。昼飯なのでメニューは軽めに、タコとプチトマトのバジリコソース&エビと貝のリゾット。上出来だったが、ハマグリ7個のうち3個が開かなかったのがショックだった。何十個もあるアサリが3つぐらい開かなくても痛くも痒くもないが、ハマグリの7分の3は痛い。なぜ開かないんだろう。食われたくないのか。人類に抵抗してるのか。そういえば猿の惑星も、奴隷と化した猿たちの抵抗運動から全ては始まったのだった。とうとうハマグリも団結し始めたのか。二千年後、この星はハマグリの惑星になっているのか。ハマグリめ。買ったスーパーに持っていったら、返金してくれるかなぁ。

 セガレはリクエストどおり祖父母からDXメカゴジラをプレゼントしてもらい、大変ゴキゲン。ウルトラマンコスモスが終了して特撮怪獣系テレビ番組がなくなったせいか、この頃セガレはゴジラにご執心なのである。なので今夜も、ゴジラ×デストロイアをいっしょにビデオ観戦。セガレは、貰ったばかりのメカゴジラを抱きしめ、テレビに向かってロケットランチャーを発射させるなどして参戦していた。発射ったって、音だけですが。DXメカゴジラは、モードチェンジによって7種類のサウンドを出せるのだ。うるさいオモチャだ。



12月20日(金)11:55 a.m.

 きのう私は、物書きとしての目標を一つ見つけた。音羽方面に打ち合わせに行こうと、井の頭線に乗ったときのことだ。車内をボーっと見渡していた私の目は、ある一点に釘付けになった。そこで私の心を奪ったのは、これである。

 車内エッセイ。

 啓文堂書店の広告だ。そこに、浅田次郎が「知的退行」と題したエッセイを書いていた。「読書しないとバカになる」とわずか11文字で要約できる他愛ない文章だったが、こうなると内容なんかどうだっていいのだった。なにしろ車内エッセイだ。重要なのは内容ではなく、その形式である。本や雑誌に文章を載せる物書きは多いが、文章を電車に乗せることができる物書きはそう多くない。ごく一部の選ばれた者だけが、それを許される。これを勝利と呼ばずして何を勝利と呼ぶのか。

 しかもその車内エッセイは、電車のドアの上に貼り付けられていた。ちょうど、神棚を祀るのにふさわしい高さだ。人々は電車に乗り、車内エッセイを見上げ、やがて降りてゆく。そしてまた別の人が乗り込み、浅田次郎を仰ぎ見る。二拝二拍手一拝こそしないものの、これはもはや「参拝」の風景としか言いようがない。物書きとして、これ以上の到達点があるだろうか。ノーベル文学賞なんか目じゃないね。目指すべきは車内エッセイだ。車内エッセイは格好いい。

 むろん、車内エッセイへの道のりは遠く険しい。浅田次郎も、啓文堂が「浅田次郎フェア」を開催するからこそ車内エッセイを依頼されたのだ。フェアを開催してもらうには、まず著作が一冊では話にならない。少なくとも五〜六冊はないとフェアにならないだろう。しかも売れる本でなければダメだ。何か別の方法はないのだろうか。そんな弱気が頭をもたげるのも無理はない。しかし、いつ依頼されても困らないように準備だけはしておいたほうがよいと思ったので、タイトルはもう決めた。「ボールはなぜ丸いのか」だ。実に車内エッセイらしいタイトルだと思わないかねキミ。うんうん、思う思う。何を書くかは、依頼が来てから考えることになっている。

 サッカー日誌なんだからサッカーのことも書け、という声が幻聴されたので、トルシエのことでも書いてみよう。どうやら彼は最近、エコノミークラス症候群にかかって、もう治ったらしい。ああ、そうですか。としか言いようのないニュースであることに、書いてから気づいた。なので、話題を変える。ワールドカップの出場枠のことだ。減らされた南米が怒っているらしいが、ベスト8に一カ国しか残れなかった今回の成績を考えれば、あんまり大きなことは言えない。じゃあ欧州13(開催国ドイツを含めて14)が適正かというと、「またポーランド出すんかい」と嫌味の一つも言いたくなる。セネガルが活躍したとはいえ、ナイジェリア&カメルーンの両雄があの体たらくだったことを考えると、アフリカ5もいかがなものか。北中米カリブ+アジアで計8は論外でしょう。そこにオセアニアを加えて計7ぐらいがちょうどいい感じ。要するに、32が多すぎるのである。いまさら出場国を減らせるとは思えないけど、24に戻して開催期間を短縮すれば、開幕を遅らせて過密日程問題も解決できるのにねぇ。観るほうだって、まるまる一ヶ月も仕事を休むのはキツいのである。休むなよ。

 HTMLについて不勉強なので、そういうことは出来ないと思い込んでいたのだが、近頃は行間スペースを簡単に指定できることが昨日わかったので、今日から少し広げてみました。ブラウザーによっては無視されてしまうようですが。少なくとも私はたいへん読みやすいです。



12月19日(木)13:10 p.m.

 新聞報道だけでは詳細な成り行きがわからないが、建ててしまってから「上半分削れ」って言われても困るわなぁ。原稿を10行削るのだってそう簡単じゃないんだから、建物を削るのはたいへんだ。7階以上の壁に青空の絵を描いて「書き割り」にするという妥協案でカンベンしてもらえないでしょうか。私がお願いする筋合いでもないけれど。だって、新聞を読むかぎり、建てたときに違法性はなかったようじゃないですか。だったらOKにしてくんなきゃ法律なんて何のためにあるのかわからないと思うのだが、そういう話じゃないのか。ともあれ、景観は法律で保護すべき利益だということらしいので、ならば電車内で化粧してる女もタイホしてもらいたい。あと、黒い日傘もタイホだ。それから、えーと、吉祥寺駅前のユザワヤのロゴも、もっとお洒落なデザインに変えてほしいです。

 今週はサッカーを見ないで猿の惑星ばかり見ている。昨夜までに、猿の惑星('68)、続猿の惑星('70)、新猿の惑星('71)、猿の惑星・征服('72)、最後の猿の惑星('73)、という旧作5本を見終わった。「新」に登場する仇役(大統領科学顧問)は、クラウディオ・ロペスそっくりだった。回を重ねるごとにテンションが落ちていく様子は、あたかも序盤に1点ずつ取り合ってそのままドローで終わるセリエのゲームのごとし。3本目で打ち止めにしておくべきだったと思う。ま、5本とも商売になったなら、それはそれで正解ですが。

 ところで、猿の惑星シリーズの最大の特徴は、「急に終わる」だ。どの作品にも、「クライマックス」というものが存在しない。1作目の「衝撃のラストシーン」も、やけに唐突だ。あの時代は、そういうのが流行ってたんだろうか。そういえば、『俺たちに明日はない』('67)や『イージーライダー』('69)なんかも、わりとエンディングに唐突感があったような記憶がある。ゴーストで本を書いていると、「終わり方」は書き始めと同じくらい難儀な思いをすることが多いので、「急に終わる」は羨ましい。目標枚数に到達したところで、いきなり「……ま、そういうことです。」とか「……というわけで、今回はこのくらいにしといたろ。」などと終われたら、どんなに楽だろうか。



12月18日(水)13:50 p.m.

 あー。また観てしまった。深夜3時半までBS-2で放送していた『どですかでん』である。私は昔から、この映画を見始めると、どんなに眠くても最後までつきあってしまう。LD持ってるんだから、観たけりゃいつでも観られるのに。初めて観たのは、高校生のときだっただろうか。たしか大晦日の深夜(つまり元日の未明)に日本テレビで放送してたんだと思う。なんでハッピーニューイヤーな時間帯に『どですかでん』だったのか理解に苦しむが、あのときは物凄く興奮した。で、その興奮は、何度観ても褪せることがない。毀誉褒貶のある(というか好意的な評価をあまり見聞きしたことがない)作品で、たぶん嫌いな人も多いと思うのだが、私は好きだ。「過去に観た映画の中でいちばん脳の奥深くまで突き刺さった作品は?」という質問を受けたら、迷わず「どですかでん」と答えるだろう。誰がそんな質問をするものか。もっとも賛否の分かれる点は、建物の影を表現するのに地面を黒いペンキで塗ったりするようなあの記号的ともいえる色彩だと思われ、それはたとえば村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』の情景描写を吉本隆明が「ペンキ絵みたい」と否定的に評したことを思い出させたりもするわけだが、私は「ペンキ絵で何が悪い」と思う。ペンキ絵で人の想像力を刺激してリアリティを立ち上がらせるなんて、誰にでもできることじゃない。

 印象深いシーンや登場人物やセリフを挙げればキリがなく、あえて言うなら印象的なシーンや登場人物やセリフだけで構成された映画であるわけだが、一つ挙げるとすればやはり乞食(おお、これは変換するのかATOK15!)の子供が口にする「うん、そうだね」であろう。完全に棒読みのセリフなのに、あれ一発で父子の微妙かつ倒錯的な依存関係が完璧に表現されているのが凄い。あと、義理の叔父に犯されるときにカツ子が浮かべる薄ら笑いも凄いよなぁ。モナリザを超えていると思った。平さんの死んだ目や青白い顔面は、誰もが心の深層に抱えているに違いない絶望の極北のようなものを見る者に突きつけてくる。この映画が嫌いな人は、あのあたりにケレンを感じるのかもしれないけれど。そうそう、島さんが鬼嫁をかばって同僚と喧嘩するシーンも忘れちゃいけないよなぁ。やっぱり、キリがない。

 NTT東日本より、ADSL工事の件で電話。ギリギリ年内(12/26)にやってくれるのはいいのだが、私の仕事場は中継地点だか何だかから遠いらしく、ADSLが使えない可能性もあるんだとか。そんな僻地で仕事をしていたとは知らなかった。およそ30歩で武蔵野市とはいえ、ここ、いちおう23区なんだけどなぁ。しかしまあ、文句を言っても始まらない。工事する前にわからんもんかとも思うが、やってみなきゃわからんのだろう。やってみなきゃわからんことは、世の中に沢山ある。だから、それはいい。だが、黙っていられないこともあった。うちは今ISDNなので、ADSLにするにはまず回線をデジタルからアナログに戻すわけだが、工事後にADSLが使えないことがわかった場合、その工事費用1200円は「お客様のご負担になります」というのだ。むろん、またデジタル(ISDN)に戻すことになっても、その費用は「お客様のご負担」だ。

 そんな莫迦な話があるだろうか。

 担当の女性が「そういうことでご承知願います」と話をさっさと先に進めようとするのを、「キミキミちょっと待ちなさい」と私が遮ったのは言うまでもない。私はべつに、回線をデジタルからアナログに戻したくて工事を依頼しているわけではない。そんなことはどうだってよろしい。その1200円は、あくまでもADSLのサービスを受けるために支払うのである。そのサービスが受けられない以上、返金してもらわんと困るじゃないか。

 と、いうようなことを3種類ぐらいの言い方でくどくど言うと、やがて電話は担当者の上司(課長)に回された。ものすごく待たされた。その待ち時間をなくすために1200円払ってもいいとさえ思った。さんざん待たせた挙げ句に出てきた課長は、総務省の指導がどうとかアッカがどうとかNTTだけが返さないわけじゃないとかワケのわからないことをいろいろ言いやがる。どうしてああいう人たちは話をシンプルに受け取ってくれないんだろう。私は、「提供されないサービスに金を払うのは納得できん」という当たり前のことを言ってるだけなのに。総務省の指導なんか知ったことか。

 どうも相手が私のシンプルな不満を理解していないような気がしたので、いい大人を子供扱いするのも気が引けたが、「それって、要するに、買ったリンゴが腐っててもスーパーが返金に応じないのと同じことですよね?」とアホらしいほどわかりやすい譬え話をしたら、課長は「その譬えはたいへんよくわかります」とのたまった。そうか。わかってくれたか。しかし課長は、「ダメなら返金する」とは決して言わない。買ってもいない牛肉の返金に応じるスーパーもある昨今だが、NTT東日本は「使えないサービス」を平気で売る企業だということがよくわかった。そういう企業なんじゃ、いくら文句を言っても仕方がない。仕方がないので、「じゃあ、いいよ。納得はしてないが、1200円ドブに捨てたつもりで工事していただきますよ」と言ったら、課長は「おそれいります」と言った。「おそれいります」という言葉を知っているだけでも、まだマトモなほうかもしれない。

 初めてCD-Rなるものを買った。新しいMacでCDが作れると聞いたからである。で、やってみた。何を作ったかというと、もちろん『矢野真紀 the Best』だ。市販のCDから適当にピックアップしてHDに取り込み、空CDに焼き付け。どんなバカにもできる簡単な作業だった。30分もかからずに、全13曲入り(1曲目が『アンスー』という実にユニークな)ベストアルバムの完成である。こんなことが、こんなに簡単に(しかも1枚70円程度のコストで)できてしまってよいのだろうか。なんか矢野真紀に申し訳ないことをしているような気がする。でも、嬉しい。

 初めて「リラックスパイポ」なるものを買った。Mac周辺で禁煙しているからである。どうして、この国のメーカーは、こういったものに「グレープフルーツ味」なんぞという莫迦げた味付けをするんだろう。私は原稿を書きながらグレープフルーツなんか味わいたくないのである。グレープフルーツが味わいたければ、グレープフルーツを買う。煙草の代替品なら代替品らしく、「ハイライト味のパイポ」を作りやがれってんだコンチクショウ。なにが「アロマテラピー応用商品」だ。どいつもこいつもガキに迎合するような軟弱なモンばっかり作りやがって。

 インターネットエクスプローラーもそうだ。「お気に入り」とは何だ「お気に入り」とは。キモチ悪いっつうの。私はべつに、それが気に入ったから八重洲ブックセンター週間ベストセラーをブックマークしているわけではない。気に入るどころか、むしろ見るたびに腹を立てているぐらいだ。だって、私がゴーストした本なんかそこには一冊も載ってないじゃないか。それを「お気に入り」とは何だ。勝手に決めつけるな。英語でブックマークと呼ぶのがイヤなら、日本語には「栞(しおり)」という美しい言葉があるではないか。

 きのうの朝日夕刊で報じられていた「雪国はつらつ条令」にも似たようなニュアンスを感じる。ムードだけで、実は何も言ってないんじゃないのかこの条令タイトルは。どこぞの教科書会社が「雪国はつらいよ条令」と誤記してしまったらしいが、そっちのほうがまだ具体的だとさえ思うぞ。どうでもいいが、こんなケアレスミスを大々的に報道されてしまった教科書編集者には同情を禁じ得ない。笑ったけど。

 ともあれ、「グレープフルーツ味」と「お気に入り」と「はつらつ」の背景には、きっと共通のメンタリティが隠れているに違いない。たぶん、それは、たとえば歩道橋などの公共物につい子供向きのイラストをあしらってしまうメンタリティとも共通していると思う。いったい、どうして歩道橋にクマの絵なんか描くんだ? 税金も払ってないガキに媚びる必要がどこにあるんだろう。

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