fukagawa's edogawa diary 04-05 #04.
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2004.09.14.Tue. 10: 30 a.m.
BGM : STEVIE RAY VAUGHAN " SOUL TO SOUL "

 どうもこのところ、うまく眠れないことが多くて困る。とくに心配事があるわけでもなく、悩みといえば左手がなかなかギター仕様にならないことぐらいなので、これは精神的なものではなく単に技術的な問題だと思われるのだが、ゆうべも眠り損ねて朝までウトウトしたまま過ごしてしまったような感じ。実際にはけっこう寝てるんだろうとは思うものの、とにかく眠いのである。奥田英朗の『空中ブランコ』に、突如としてファーストへのスローイングができなくなってしまったプロ野球選手の話が出てくるが、それまで無意識にやっていたことが意識したとたんにできなくなるということが、人間にはあるに違いない。技術を習得するときは逆に「意識→無意識」という手順を踏むわけだが、眠り方なんて意識的に身につけるもんじゃないしなぁ。というか、「技術」なのかそれは。

 ともあれ今の私にとって大事なのは「眠る技術」より「弾く技術」なのであって、ゆうべはKay'n師匠のレッスンを受けたのだが、懸案の左手問題を克服すべく師匠が買ってきてくれたのが、右に掲げたギターヒーロー養成ギプスである。全然ギプスではないし、ギターヒーローはこんなもの使わないと思いますが。だいたい、楽器屋では売っていない。スポーツ用品である。見たまんまの道具で、バネをクイクイ押すことで指を鍛えるようになっているのだった。とはいえ私の場合、相手の奥襟をつかんで投げ飛ばしたいわけではないのであって、モンダイは単純な「パワー不足」ではなく、それぞれの指(とくに薬指と小指)が「独立して動かない」ことだ。それだけではないが、それを解決すれば他の解剖学的なモンダイ(指が開かないとかそういうこと)も解決に向かうような気がする。人間の薬指と小指は基本的に「サポート役」を担っているらしく、デフォルトでは単独で仕事をしようとしない。人差し指や中指と一緒に動こうとする。師匠の言葉を借りれば「ミトン化」しているわけだ。「こどもの手袋化」と言ってもいいだろう。日常生活ではそれで何の不自由もないわけだが、ギターを弾く場合はそれぞれの指が他から自由に動かなければいけない。つまり「脱ミトン化」を図る必要があるんである。そこで、このギターヒーロー養成ギプスを使って、お姉さん(薬指)と赤ちゃん(小指)の自立を促そうという魂胆だ。とりわけ赤ちゃん指を自立させるのが難しいのは、実生活と同じである。小指の「親離れ」だけ考えるのではなく、人差し指や中指の「子離れ」も促す必要がありそうだ。

 さて、ゆうべは師匠が「セリエ開幕記念」にこしらえてくれたカルボナーラ(ラツィオ州由来の料理)をご馳走になってから帰宅し、サンプドリア×ラツィオ(セリエ第1節)を観戦。いやはや、始まりやがったよなぁ。月曜夜の録画中継というのは寂しいが、まあ、放送してくれるだけマシというものだ。というか、チームが存続しているだけでもありがたいという話である。しかし、のっけから「コイントスをするフェルナンド・コウト」の映像を見せられるんだから、ファンにはたまらんね。たまらんたまらん。チームに残ってるだけじゃなくてキャプテンかよオイ。八塚さんは「フィオーレ、コラーディ、スタム、ファバッリ、ミハイロビッチ、クラウディオ・ロペス、アルベルティーニらの抜けた穴をどう埋めるか」とおっしゃていたけれど、それは認識がちょっと違います。人が抜けて「穴」ができたのではなく、最初から「穴」だった奴らが残っているのです。まあ、出ていった「穴」もあるけどね。インテルの開幕戦をちょっと観たら、ミハイロとファバッリが先発していて度肝を抜かれた。穴だ代わりはないですか、日ごと寒さがつのります。

 などと言いながらセーターを編んでいる場合ではないのである。ちょっと目を離すと仲間内で喧嘩を始めやがるんだから油断も隙もない。リベラーニがDFの背後に出した小粋なパスを追った下インザーギが倒れて(倒されて、ではない)判定はペナルティ、ここでPK権をディカーニオおじさんが下から強奪して仲間割れだ。愉快愉快。コラコラ味方の胸倉つかむなっつーの。イエロー出たらシャレになんないっつーの。しかし下にとって「自分でPKゲットして自分でゴール」はほとんど生き甲斐レベルの重大事なので、激昂するのも無理はない。無理はないけど、そもそもあんなところで倒れずにGKをかわしてボールを追ってりゃフツーにゴールできたわけで、要するに自業自得である。無駄に一発レッドを食らったGKアントニオーリがとても気の毒だった。しかし、このPKをディカーニオが落ち着いて決め、サンプが10人になったおかげでそのまま逃げ切れたわけだから、勝ち点3の立役者は結果的に下だったってことか。ナイスナイス。でも本当の立役者は相変わらずペルッツィだった。前半のファインセーブ二発がなかったら、惨敗しとったに違いない。今季も彼に穴をふさぎまくってもらうしかないようで。

 それにしたってオッドのあのポヨヨ〜ンとしたクロスは何とかならないのかという話である。見る者をズッコケさせたら天下一品だ。私の記憶が確かならば、一本もまともに上がってない。まともに上げようという意志すら感じられない。あえて勇気を振り絞って言うが、パンカロのほうがまだマシだった。もしかしたら加地以下かもしれない。穴だ代わりはないですか。しかしまあ、アウェイの開幕戦で白星というのは実に大きい。セーザルの体調が戻って左サイドが機能すれば、相対的に右サイドの穴も目立たなくなるであろう。ディカーニオと下の確執も、いずれ丸く収まるに違いない。人の世は、贈与と返礼で均衡を保つような構造になっているそうだからね。レヴィ=ストロースがそう言ったと、何かの本に書いてあった。「反対給付」ってやつだ。ディカーニオがどんな形で反対給付を行うかが、次節以降の見所である。陰でこっそり晩飯(とか女とか)ご馳走してたら見所にならんけど。




2004.09.13.Mon. 11: 05 a.m.
BGM : JEAN-LUC PONTY " COSMIC MESSENGER "

 木曜の晩はなぜか東京ドームで巨人×中日を観戦、金曜は朝8時から(!)大手町のパレスホテルで単行本の取材、土曜は「大という漢字を使って絵日記を描く」という宿題のネタをセガレに与えるために上野の国立科学博物館と、私にしては珍しくいっぱい電車に乗ったここ数日ではあった。電車に乗ると疲れる。東京ドームには、元サッカーズYさんに誘われて行った。会社をお辞めになって「元フロムワンYさん」となった彼とは、その日「一杯飲もう」と言っていたのだが、夕刻になってYさんが「チケット屋で額面割れしている巨人戦チケットを見つけたのでどうですか」と連絡してきたのだ。ふだんプロ野球観戦とは無縁な私だが、今シーズンはやけに人から誘われる。サッカーズのコラムで西武×ダイエー戦のことを書いたが、あれも父親に誘われて出かけたものだった。

 で、入手したてのケータイで東京ドームの客席から撮影したのが右上の写真。しょぼい。しかし、ちょうど野球盤でバッターを操作しているような位置で観戦することができ、これが2000円とはお買い得である。上の名前(苗字)が私の下の名前(本名)とそっくりな1番打者のホームランを見ることができたし、リナレスも打った。自分がリナレスのホームランを生で見ることがあるとは思わなかった。試合は3-8でドラゴンズの勝ち。ジャイアンツは先発の工藤を引っ張りすぎたように思えたが、出てきてはホームランを打たれて傷口を広げてしまうリリーフ陣を見ると、そりゃ堀内だって工藤を引っ張りたくもなるわいなと納得。だいたい、なんでロシア人の投手なんか雇っているのかがわからない。いや、でも、スタルヒンもロシア人だったか。……え? シコースキーってロシア人じゃないの? 一方の中日・落合監督は代打策がズバズバと的中。勝負師、なのか。

 それにしても野球はかったるい。なぜ、ゲッツーで二死走者なしとなった場面で投手コーチが出てきてマウンドで会議を開かなければならないのか、まったく理解できない。いちいち話し合うなよな。2リーグだろうが1リーグだろうがどっちだっていいが、そんなことより、まずはあのダラダラ感をどうにかしないかぎり、プロ野球に未来はないと思う。でも、「中日でサード」をやっている川相の姿を見ることができて妙に嬉しかった。めぐるめぐるよ時代はめぐる。

 試合終了後、Yさんと水道橋駅前の居酒屋で一杯。今後の身の振り方は未定らしいが、とてもサバサバした顔をしていた。なーんて言うと編集部の人たちに怒られるかもしれないが、そーゆー意味ではなく、まあ、会社を辞めた人というのは一般的にそーゆーものである。私に初めて連載のチャンスを与えてくれた恩人が編集部を去るのは寂しいけれど、以前も書いたように、私は会社を辞めて後悔している人間に会ったことがないので、きっと彼にも良い将来が待っていることだろう。願わくば、またどこかで一緒に仕事をする機会がありますように。




2004.09.09.Thu. 10: 25 a.m.
BGM : WALTER WANDERLEY " RAIN FOREST "

 今年も覚えていた。このおよそどうでもいい知識を私は死ぬまで忘れることができないのだろうかとウンザリするが、きょうは薬師丸ひろ子の誕生日である。私とは同い年だから、彼女も40歳だ。40歳の薬師丸ひろ子かー。そういえば彼女が『探偵物語』で共演した松田優作が死んだのは、たしか彼が39歳のときだったと記憶している。だから何だというわけではないが、そういうことだ。

 わが家では、買い置きのタバコをキッチンの整理棚に入れてある。ゆうべ、インド×日本(W杯アジア1次予選)をライブ観戦中にタバコが切れたので、私はそこからハイライトを一箱取り出した。視線をテレビに固定したまま封を切り、一本取り出して口にくわえ、ライターで火を付ける。口の中に清涼感が広がったので、ものすごくビックリした。棚の中が暗いため、色が識別できなかったのである。ハイライト・メンソールめ。わかりにくいじゃないか。間違うじゃないか。ビートルズの「赤」と「青」だって、写真が違うから暗くても識別できるのだ。だからちゃんと新しいデザインにしろと言うのだ。デザインは実用性を忘れてはいけないのだ。ところで試合のほうは、0-4で日本の勝ち。ハーフタイムの停電や宮本の器用なゴールには意表を突かれたが、もっと意表を突かれたのが、川口の顔面を蹴飛ばしたインド人の名前だ。クライマックス・ローレンス。なんて劇的な名前なんだろう。「メリー・クリスマス」と囁くビートたけしの顔を想起させずにはおかない。そして私は、見ている人間が「ここだ!」と思った瞬間に加地がクロスを入れるシーンを見たことがない。ああもうイライラする。スパッといかんかスパッと。あと、三都主はいちいち立ち止まらないでください。煮え切らない両サイド。できることなら、柔道の野村と内柴にあのポジションをやらせてみたい。




2004.09.08.Wed. 12: 45 p.m.
BGM : MARCOS VALIE " SAMBA '68 "

 使用不能状態を長々と放置し、待ち合わせのたびに各方面に迷惑をかけていた携帯電話の機種変更を敢行。敢行というほど大袈裟なものでは全然ないが、ようやく世間並み(ある意味「サル並み」?)のケータイを持った。もう一度言うが「携帯を持った」のだ。凄まじきは日本語の柔軟性である。不可能を可能にしたような気分だ。世間並みといっても6000円程度で手に入るモノだからずいぶん古い機種なんだろうが、私にとっては「二つ折りになる」「ディスプレイがカラー」「電話なのにカメラが付いている」というだけで産業革命レベルの進歩なのだった。

 しかも、あろうことかメールのやりとりもできるんだからドキドキする。うほー。これで私も、電車の中で「明日までに50枚でーす。もう死にそう」といったおよそどうでもいい内容のメールを打てるようになるわけだ。誰に向かって打つのかわからないし、すでにそんなことはここでやっているわけですけども。そもそも人生の大半を机にへばりついて過ごしている私に携帯メールがどう必要なのかは不明だが、それを言うならケータイ自体が不要なわけで、実際この半年ほどケータイなしの生活にさほど不便は感じていなかったとはいうものの、まあ、これは自分のためというより他人のために持つようなものなのであって、さっそくシギーにメールアドレスを伝えたところ、速攻で「それはいいね」という返事が来たのだった。彼は社内でも部下への指示をほとんど携帯メールでバシバシ飛ばしているのだ。証拠が残るので、「指示を出したかどうかわからなくなる」という不安から解放されるらしい。私は彼が取材現場から、遅れてくる部下に対して「飴買ってきて」というメールを送信しているのも見たことがある。証拠が残らないほうがいいような種類の指示だとも思うが、彼のケータイは編集部内で、鉄人28号を操る正太郎少年のリモコンのように思われているそうだ。体型的には彼のほうが鉄人っぽいが。

 ともあれ、そんなわけだから、今後は原稿のダメ出しもケータイに飛んでくることだろう。私としても、そのほうが「連絡待ちストレス」が軽減されてありがたい。みんなにアドレスを伝えて、適宜使い分けてもらうようにしよう。とはいえ、返信はそう易々と出せそうにない。ギター初心者の私は左手の薬指と小指を訓練するのが急務なのであって、右手の親指を鍛えている暇はないからだ。きのうも、試しに四苦八苦しながらシギーへの返信を打ったらたちどころに再返信が届いたのだが、面倒臭いのでそのまま放置してしまった。「オレのベースと合奏しようぜ」というおよそどうでもいい内容だったので、どうでもいいのだが。

 それにしても、論より証拠というか百聞は一見に如かずというか、実際に携帯メールなるものを体験してみると、世間でどんなことが起きているか容易に想像がつくようなところがある。私は、きのう自宅でシギーへのメールを打っている最中に「ご飯ですよ〜」という愚妻の声を聞いたのだが、「ちょ、ちょっと待って」と言いながら、腹を空かせたセガレの「早くしてよ〜」というクレームそっちのけでメールを打ち続けてしまった。ようやく送信して席に着き、食事を始めるやいなやシギーからの返信が届いたときも、つい箸を止めてケータイに手を伸ばしてしまう。家族で食卓を囲みながらケータイのメールをチェックしている姿というのは、かなり異様だ。おそらく世間では、こうして外の世界と「接続」されたまま家庭内で過ごしている人間が増えているのではないか。そしてそれは、外部世界とはつながっていながら、家庭内では「引きこもっている状態」に他ならない。電車内で一心不乱にメールを打っている人たちも、外とつながりながら引きこもっている。隣に座っている見知らぬ他人との心理的距離は、果てしなく遠い。ケータイは人と人をつなげる道具だが、それは同時に人と人を引き裂く道具でもあるのだった。危ういなぁ。

 まあ、それはそれとして、私は仕事場にいるのか自宅にいるのかわからないことも多く、自宅への電話を心苦しく思っていらした仕事関係者もあろうかと思われるので、ふつうにケータイを使えるようになってヨカッタ。次の課題は、ぶっ壊れたまま放置している仕事場のファックスである。月に一度か二度ぐらいしか受信する用事がないとはいえ、ファックスを「自宅に送っておいてください」というのはライターにあるまじき状態だ。しかし最近は電気店に行ってもファックス専用機というモノが見当たらず、どれも子機付きだったりするので、それを買うといま使っている電話機が不要になってしまうことになり、どうも納得がいかない。というか、ケータイがある時点で電話機なんか要らんっちゅう話ですが。なんだかなぁ。




2004.09.07.Tue. 10: 20 a.m.
BGM : STEVIE RAY VAUGHAN & DOUBLE TROUBLE "IN STEP"

 きのうは終日サッカーズの原稿にかかりきり。夕刻には一応ケツが見えたので、担当すずき君に探しておいてもらう写真を伝え、あと2〜3時間で原稿アップする旨をメールしたところ、「これから打ち合わせで外出したまま不帰社なので原稿は翌朝でもOK」とのこと。糸井重里『オトナ語の謎。』にあった「何時ごろまでいらっしゃいますか?」(退社時刻を訊くとみせかけて、じつは「作業がずいぶん遅れています」の意味=同書より)を使わずに、所期の目的を達した私だった。えへへ。「あと2〜3時間でアップ」は決してウソではなかったのだが、できれば、もう少し文章を練り込みたかったのである。「似てる人」も思いつかなかったし。結局、帰宅して食事を済ませてから、ちょっと確認したいこともあったのでNHKの五輪総括番組『オリーブの歌』をビデオで見てから原稿を仕上げたら、すっかり深夜になっていた。

 確認したいことは確認できなかったが、そのNHKの番組を見たことで、夏休みで見逃していた五輪をようやく消費できたような気分。「チュニジアのPK蹴り直し」を初めて見た。そんなことがあったなんて知らなかった。5回もダメ出しされて6回目でOKって。原稿だったら悶絶するところだ。最後まで挫けなかったチュニジア人はえらい。あと、シンクロ飛び込みにおける中国ペアの大失敗は何度見てもおかしいですね。それにしてもNHKって、どうしても五輪を戦争と表裏一体のものにしたいように見える。それはそれでいいけれど、ウダウダした能書きに費やす時間が長すぎ。もっとスポーツそのものの面白さを十分に味わわせてほしかった。というか、私としてはマイルドでもメンソールでもないフツーのハイライトを見たかったのだ。まあ、大多数の視聴者は、すでに「名場面」を見飽きているんでしょうけれども。

 そういえばここに書くのを忘れていたのだが、いま発売されているサッカーズ10月号の「似てる人」は、友人のタボン君が提供してくれたものでした。ありがとうありがとう。したたかに酔っ払っているときの発言だったので、本人が覚えているかどうか定かではないけれど。

 このところ盛んに聴いているのが、スティーヴィー・レイ・ヴォーンである。テキサス出身のブルース・ギタリストだ。ヘリコプターの事故か何かで若くして死んでしまったらしい。残念なことである。スピード感と情熱に溢れた彼の演奏を聴いていると、ギターって本当にかっちょいい楽器だなぁ、もっともっと練習したいなぁと思う。例によってコドモみたいな感想ですが。そういえば、彼の演奏はDVDでも観た。やや似た名前のスティーヴ・ヴァイのDVDも買った。二人の共通点は「ときどきギターを背中のほうに回す」ということで、ものすごくやってみたくなるのだが、教材としてはそんなことに注目している場合ではなく、ビギナーである私の問題は相変わらず左手のフォームだ。二人ともすごく指が長いように見えるものの、しかしこれは「指が長く見えるような握り方をしている」のに違いない。私だって図体がデカイぶん指も平均よりは長いはずなのに、ああいうふうにはならないのである。「ギタリストにとっては当たり前の握り方でネックを握る」という簡単そうなことが、どうしてこんなに難しいんだろう。以前よりは運指がスムースになったような手応えはあるのだが、それが正しいフォームなのかどうか自信がない。というか、きっと正しくない。3年計画の最初の1年は、ひたすら左手の握りに費やされることになるんだろうか。しかし、その迂遠さもまた楽しい。急がば回れ、である。でもギターは回しちゃいけません。




2004.09.03.Fri. 11: 40 a.m.
BGM : JUDEE SILL "JUDEE SILL"

 恐るべき新製品である。きのう久我山駅前のタバコ屋でそれを発見したときは、心底から驚いた。マボロシを見ているのかと思った。「ウソだろ、と言いながら目をゴシゴシこすってもう一度見る」というマンガのような振る舞いを実際に人間はするのだということがわかった。私と同様ハイライトを20年近くに渡って吸い続けている友人のヤマちゃんと、「ハイライトだけはメンソールにならないよな」「ならないならない(笑)」などと話し合ったのは、いつのことだっただろうか。それだけはあり得ない、いや、あってはならないモノであるはずだったのに。しかしJTは食ってしまったのだった。ハイライト・メンソールという禁断の実を。

 ハイライト・マイルドが登場したときも衝撃を受けたし、その商品名自体が「黒い白馬」に匹敵する矛盾を内包していると思ったものだが、今回はあのとき以上のインパクトがある。「ハイライトに清涼感」って、人をバカにしているとしか思えない。おまえら、ハイライトの本質を何だと思っておるのか。私は、ハイライトほど吸う者に「罪悪感」を抱かせるタバコはないと思っている。もしかしたら、そのドンヨリしたブルーのパッケージがもたらす印象も含めて、世界で一番「死」を意識させるタバコかもしれない。そんなタバコに「清涼感」だと? そういうポジティブかつ軽薄なイメージに背を向けてこそのハイライトじゃないか。

 パッケージも悪い冗談にしか見えない。それなりに新しいデザインを施していた「マイルド」と違って、「メンソール」は和田誠の手による本家のデザインを踏襲しつつ、色だけ緑に変えたものだ。キモチ悪いです。JTの説明によれば「ハイライトの持つ“流行に囚われない”ブランドイメージを継承しつつ、レトロ感とポップ感をシンプルに表現しています」ということだが、なんかこう、むかし何かの本で読んだ(書いた)「ウズラとニワトリのキメラ」を思い起こさせるものがある。ちっともポップじゃない。むしろグロテスク。あるいは不潔。和田誠はコレに納得しているんだろうか。あの微妙な「青」こそがこのデザインのキモではなかったのか?

 さて、ウズラとニワトリのキメラはウズラの声でニワトリの鳴き方をしたというウソかホントかわからない異常事態になったらしい(逆だったかもしれない)が、ハイライト・メンソールはどうか。何だかんだ言いながら買っている私がここにいるわけだが、おそるおそる吸ってみると、ふつうにメンソールの味がするのだった。またまたJTの説明によれば「ハイライトらしいほんのり甘いラム酒香味とメンソール感が楽しめる」とのことだが、私にはどこがハイライトなのか全然わからん。しかし、「ヘヴィなメンソール」を好む愚妻によれば、「ハイライトの味がする」とのこと。いま吸っているマルボロ・メンソールより30円安いことを知って、ちょっぴり惹かれていた。うへえ。「夫婦で色違いのハイライト」って、かなりモンダイがあるような気がする。やめてほしい。いまどき「安いからハイライト」というのもレトロ感があるし。

 一つだけ嬉しいのは、いまハイライト・メンソールを買うと、オリジナルの使い捨てライター(ヤな言葉だ)がついてくること。ハイライトのロゴが入ったライターだ。こっちのほうが、より「あり得ないこと」だったかもしれない。何種類か色違いで用意されているようだ。全種類ほしいなぁ。

 ところで、今回あらためて本家ハイライトのパッケージをしげしげ眺めていたら、そのカラーリングがいわゆる「ビアンコ・チェレステ系」であることに気づいた。ラツィアーレには似合いのタバコである。

 そういえば最近、初対面の人に「いまどきハイライトなんて珍しいですね」と言われることが多い。あのう、20年前から同じこと言われてるんですけどぉ。

 ちなみに、今のところハイライト・メンソールは福岡、佐賀、長崎、東京でしか売っていないらしい。なぜ九州? あっちはハイライトがよく売れるんだろうか。よくわからないが、10月25日(月)より全国販売へ切り替わる予定。なんで俺が宣伝してんだよ。




2004.09.02.Thu. 11: 50 a.m.
BGM : CARAVAN "Blind Dog at St. Dunstan's"

 8月上旬に吉祥寺ユザワヤの地下にオープンした啓文堂書店に、きのう初めて足を運んだ。「吉祥寺最大規模!」という触れ込みだったが、たしかに広い。広すぎて落ち着かない。茫然とする。売り場が通路をはさんで2つに分かれているので、買うつもりの本を持ってこっちの売り場からあっちの売り場へ移動していると、万引きを疑われやしないかとドキドキした。そういえば近くにはブックオフもある。いや、だから何だというわけではないが。あちこちにハリーポッターが山積みされていて閉口したが、あれだけスペースがありゃ、アレに押し出されて返品される本もあんまりないかもしれないですね。欲しい新刊を3冊ほどアマゾンに注文した直後だったので、とくに何か探していたわけではないのだが、挨拶代わりに糸井重里『オトナ語の謎。』と奥田英朗『空中ブランコ』を買う。

 仕事場への帰り道、末広通りで見慣れない瀟洒な中古レコード店を発見。ふらふらと入って店長らしき男性に聞いてみると、啓文堂と同じ頃にオープンしたんだという。吉祥寺も何かと忙しい。それにしても「新しい中古レコード屋」って、なんだか「新品のリヤカー」を思わせて不思議だ。CDはわずかしかなく、古いLPがいかにも改装したばかりのピカピカした店内に並んでいる光景は、ちょっと異空間な感じだった。棚の一部に「CANTERBURY」というコーナーがあるのもディープな感じ。挨拶代わりに、そのコーナーにあったキャラバンの『Blind Dog at St. Dunstan's』というアルバム(LP)を買う。キャラバンは以前から聴いてみようと思いつつ、なぜか躊躇していたのだが、ジャケットが気に入って衝動買い。プログレ風味はまるで感じられないものの、私はこの愉快なアルバムがわりと好きだ。どういうわけか、本もレコードもポップなものばかり買っている。

 ところで、私の買い物も場当たり的だが、ラツィオの買い物もかなり場当たり的になっていた模様。というか、ただのデタラメ? なんだか知らないが、閉店間際に9人もまとめて獲得したらしい。フィリッピーニ兄弟ってのはポップな感じで悪くない(使えるのかどうかは知らない)が、ほかの連中はどこの馬の骨だかわからず、名前を覚える気にもなりません。誰なんだおまえら。売れ残りの福袋を買ったような気分である。私が買ったわけではないが、一個でいいから、いいモン入ってるといいなぁ。福袋ならぬゴミ袋じゃないことを祈る。ともあれ、スタムやファヴァッリやミハイロやフィオーレやコラーディに加えて、いつの間にかアルベルティーニとクラウディオ・ロペスも放出していたラツィオであるが、土壇場でセーザルが残留したのは幸いであった。ディカーニオおじさんの加入も頼もしい。彼がいるだけで、むしろ昨シーズンよりもチームがラツィオっぽくなるような印象さえある。ラツィオっぽくなることがいいとは言っていない。悪いとも言っていないが。下向かないで張り切って行こー。




2004.09.01.Wed. 9: 55 a.m.
BGM : RY COODER "BOOMER'S STORY"

 2学期である。夏休み中は朝寝を貪っていたが、今日からはまたセガレと共に7時55分の出勤。眠くてたまらない。しかし9月の朝は存外に爽やかで、歩いていて心地よかった。気のせいか、青空にもささやかな秋の気配が孕まれているように見える。

 セガレの宿題は、ゆうべの夕食後に「きょうりゅうずかん」(全6ページ)の表紙を仕上げて無事に終了。資料(小学館の恐竜図鑑)から数頭の恐竜の絵と説明文を写しただけのものだが、親の目から見れば、レイアウトのセンスも含めてなかなかの出来映えであった。きっちり製本してやった母親の手腕による部分も大きいが、セガレも「とうとう完成だー!」と満足そう。うんうん、自分の書いた本ができあがるのって、(たとえ資料を写したものであっても)嬉しいよね。それを先生や友達に見せるのがモチベーションになっているのか、久しぶりの学校にもグズグズ言うことなく、意気揚々と出かけて行った。それ以外にも、御宿で集めた貝殻と紙粘土で作った壺と写真立て、「血の池地獄」を実物以上に真っ赤っかに描いた鮮烈な一枚を含む絵日記など、始業式の小学生は荷物が多くて大変だ。もっとも、夏休み中に母親が抱えていた荷物をようやく学校に持って行ってくれた、という気がしなくもない。母子共に、お疲れ様でした。だが、夏休みは来年もある。

 きのうヤフーで見た<新レコード会社「喝采」及川光博、矢野真紀ら所属>というニュースには、ちょっとドキドキした。ニュースのヘッドラインに矢野真紀だ。いいのか。みんな意味わかるのか。しかも同じマザー・エンタープライズ所属の大物HOUND DOGをおさえてのヘッドライン入りである。たぶん字数の関係で適当だったんだと思うけど、先輩にいじめられやしないかと心配にもなるというものだ。ともあれ、マザー・エンタープライズが新レコード会社を作るという話で、「日本で一番小さなメジャー・レコード会社を目指す」という社長のコメントは、目標としてどうなんだそれはと思わないでもない。ちょっと志が低くはないですか。しかし、所属アーティストにとってどんなメリットとデメリットがあるのかわからないものの、その第一弾が矢野真紀の新曲になるというのはイイ話だ。一発目なら、それなりに宣伝にも力を入れるだろうし。この機会にプロデューサーも替えてくれるといいんだけどね。矢野真紀の前途に幸多かれ。

 ゆうべは、ラシン・サンタンデール×バルセロナ(リーガ第1節)をビデオ観戦。カタルーニャ・カップとかいうどうでもいい試合で故障したロナウジーニョの欠場が残念である。極東まで出張って、よせばいいのに一生懸命にプレイしたツケが回ってきたのかもしれないけれど。で、ロナウジーニョのいないバルサは、ラーション、エトー、ジュリ、デコなど新戦力テンコ盛りであるにもかかわらず、なんだか華やかさに欠ける印象。要するに、新戦力がみんな微妙に地味なんですね。どの選手も、「+ロナウジーニョ」という前提があって初めて輝いて見える感じ。なので、やや面白味には欠けるゲームだったものの、それでも安定感はあるようで、ジュリ&エトーのゴールで0-2。新顔がそろってゴールを決める一方で、いちおう金メダリストのサビオラ君がモナコへレンタルされるというのが寂しい。なんで、そんなところでモリエンテスと比較されるハメになってしまったんでしょうか。


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