愛と幻想のフットボール
2002 FIFA WORLD CUP Korea/Japan special #03.

朝、夜。
fantastic sunrise and realistic sunset with 64 football games.

text by EDOGAWA koshiro
e-mail : h_okada@kt.rim.or.jp


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6月21日(金)大会第20日

 まだ敗北のことを考えている。つまり、ワールドカップの試合に「ボーナス」などあり得ないということなんじゃないだろうか。「グループリーグ突破」とか「ベスト8」とか、そういう「途中で負けても達成したことになる目標設定」もあり得ないということなんじゃないだろうか。それがあり得ると錯覚していたことが、私たちが(いや私だけか)この敗北をうまく受け止められずに当惑している理由なんじゃないだろうか。

 ずいぶん前に、「ベスト16は開催国の義務」という発想はスポーツを冒涜するものだと書いた覚えがある。結果に関して、スポーツ選手に義務なんか負わせるべきじゃない(編集者やライターだって「4刷3万部が義務」と言われたらとても困る)。プロフェッショナルとしての義務があるとすれば、「全力を尽くして一つでも上を目指す」ことだけだ。目標設定も同じこと。「本番までに可能なかぎり実力を蓄え、本番ではその実力を可能なかぎり発揮する」ということ以外に目標はない。唯一の例外は、「最高で金、最低でも金」だけだ。それを口にできないのであれば、具体的な成績を目標にすべきではないような気がする。たぶん、私たちの想像を上回るほど強いプロ根性を身につけているであろう選手たちは、そのことを最初から自覚していたはずだ。見る側は「ベスト16、ベスト16」とウワゴトのようにくり返していたけれど、選手たちは持てる力をフルに発揮することしか考えていなかったはずである。だから、きっと、実力をうまく発揮できずに負けたトルコ戦で味わった敗北感のほうが、理不尽に義務づけられた目標を達成したことによる安堵感よりも大きいに違いない。

 しかし不幸なことに、ひとりトルシエだけが「使命」を果たしたことに満足していた。満足していたから、仕切り直しの三日間でチーム全体のセルフイメージを改めて極大化することができなかった。少なくとも、彼自身のセルフイメージは縮小していた。トルシエに会ったこともない人間のタワけた憶測にすぎないけれど、そんな気がする。そんなふうに見える。トルコ戦を控えた監督のコメントを聞いて、多くの選手たちが「ボーナス? けっ、冗談じゃねえや」と呟いていたと、私は信じたい。

 山本コーチの回顧録が、読みたい。



6月20日(木)大会第19日の翌々日

 ドイツ、アメリカ、スペイン、韓国、イングランド、ブラジル、セネガル、トルコ。欧州4、南米1、アフリカ1、北中米1、アジア1。なんて国際色豊かなんだろう。まるで世界大会みたいだ。世界大会だってば。大会に参加国を送り込んだすべての大陸が満遍なくそろっていることに、いまさら気づいた。ますます募るオーストラリアの孤独感。4年前はどうだったっけ。えーと、フランス、ブラジル、オランダ、アルゼンチン、ドイツ、クロアチア、デンマーク、イタリア……か。欧州6、南米2。2大会連続の8強入りは、ドイツとブラジルだけですね。何だかんだ言われながらも底力を感じさせる。史上初のドイツ×ブラジル戦が実現すれば、この混乱も丸く収まるのかもしれない。それにしても華やかだったねぇ、フランス大会。目を閉じれば、オランダ×ユーゴ、オランダ×アルゼンチン、オランダ×ブラジルのあの熱気が蘇る。やっぱり、華やかさの根源はオランダなのだよ諸君。今回の混乱は、すべてオランダ敗退から始まっておったのだ。つまり、ファンハールが悪いってことですね。ファンハールめ。なんで右サイドにハッセルバインクなんだよ。嗚呼。だいたい、欧州予選の組み合わせがダメだ。UEFAは猛省すべし。だって、ポーランドの組にオランダがいたと思ってごらんなさい。グループリーグから、ポルトガル×オランダの大決戦だ。壮絶な殴り合いの末、4-4のドロー。そして私たちは一昨日、オランダ×イタリア戦を見ていたに違いない。スタムがビエリを、ダビッツがトッティを完封し、オフェルマルスがパヌッチを翻弄してオランダの2-0。わっしょい、わっしょい。次はオランダ×スペインである。ラウールとクライファートの高等技術見せびらかし合戦だ。見たい見たい。3-2でオランダの勝ち。わっしょい、わっしょい。その次はオランダ×ドイツ。ファン・ニステルローイがドイツ守備陣を切り裂いて、オランダの3-1。わっしょい、わっしょい。そして最後はオランダ×ブラジルだぜベイビー。永遠のリターンマッチだ。めくるめく官能の超高速回転サッカーだ。わっしょい、わっしょい。最高だ。こうして書いているだけでも胸が高鳴り、手に汗を握ってしまふ。以上の5試合が見られるワールドカップに、不満などあろうはずがない。この思考実験の結果、ワールドカップを盛り上げるのにフランスもアルゼンチンもとくに必要ないことが証明されたのであった。

*

 きのうの素粒子(朝日新聞夕刊)も、「翌日の青い空」に言及していた。あの青の名前は「ジャパン・ブルー」というそうだ。私も失格だが、素粒子も失格である。素粒子という、ある意味で日本を代表するコラムの中に「ジャパン・ブルー」などという貧相な言葉が染み出してきてしまう、この現実。日本の4試合を見た上で、こんな言葉を使える神経が私には理解できない。そんな物言いがいかに貧しいかということを、われわれの代表は360分のプレイを通じて教えてくれていたのではなかったのか? ついでに言うが、私は日本代表チームのことを「ブルーズ」などと呼ぶ人と一緒にサッカーを見たくない。代表は代表でよいではないか。これからも私たちに成り代わって、何かを表現し続けてくれるであろう彼ら。「Daihyo」の呼称が外国メディアで使われるようになったとき、われわれの代表は堂々とファイナリストを目指せるだけの存在感を手に入れているはずだ。



6月19日(水)大会第19日の翌日

●日本×トルコ(Round of 16)
 どうして今日は、こんなに天気が良いのだろう。悲しいほどお天気。上を向いて歩け、ということか。そう思って、仕事場までの道すがら、上を向いて歩いてみた。空一面の、淡い青。この青には、どんな名前があるのだろう。限りなく透明に近いブルー? そんなバタ臭い言葉は聞きたくない。この青を端的に表現する美しい言葉が、きっとこの国には古くからあるはずなのだ。その「青の名前」を知らない私は、日本語を使う物書きとして、たぶん失格である。まだまだ修業が足りない。

 昨日も、私は自分自身を責めながら午後3時半のキックオフを迎えた。そのとき私は、あろうことか茶の間の床にごろりと寝そべっていた。念力を発する準備が整っていなかった。疲れている自分を呪った。グループリーグ突破から、中三日。余韻に浸る時間がこんなに短いとは知らなかった。念力のスタミナが切れていた。だから私は自分を責めた。自分を責めた日本人は、私だけだろうか。

 八百万の神にも、4試合を戦うスタミナはまだなかったのかもしれない。一神教の国から来た「実験くん」を羽交い締めにして、その横暴を食い止めることができなかった。そしてトルシエは、W杯をキリンチャレンジカップにしてしまった。しかし、すでに役目を終えてこの国を去る者にいまさら文句を言っても始まらない。彼よりも先に、W杯のベスト8、ベスト4に進出することを目指せばよい。

 それにしても。一体、この3日間にわれわれの代表の中で何が起きたのだろうか。アトランタ五輪、ナイジェリア戦のハーフタイムに起きたような「何か」があった。そんなふうにしか思えない出来映えだった。もっとも、虫垂炎アガリが2人もフィールドに立っていたのでは、それも無理はないのかもしれない。西澤はダッシュの仕方を忘れていた。小野はボールの蹴り方を忘れていた。この2人が最後まで試合をしていたことが、いまだに私には信じられない。「西澤を引っ込めてくれ」と私が毒づいたのは、前半10分前後のことだった。私は機嫌が悪かった。

 トルコの先制点は、9年前のアレにそっくりだった。楢崎は躊躇いがちに一歩だけ前に出て、思い直したようにゴールマウスにステイすることを選んだ。ヨシカツなら。私は自らにタラレバを禁じない。タラレバのないサッカー観戦などない。だから私は、ヨシカツなら、と呟く。イングランドで学んだことを生かす、千載一遇のチャンスだった。

 後半20分、私は一人で家を出た。こんな試合見てられるか、という気持ちだったわけではない。対談取材のため、6時までにホテルオークラに行かなければならなかったのだ。しかし、そんな不幸を「まあ、いいや」で片付けられるような試合展開だったことも事実である。玄関を出てラジオのイヤホーンを耳に差し込み、J-WAVEにチューニングを合わせると、雨と一緒に歓声が降ってきた。「あなたのラジオの右から左に向かって、ニッポンが攻めています!」と実況アナが教えてくれた。ステレオ放送、という言葉を久しぶりに思い出した。ボールに鈴がついているわけでもなく、聞こえるのは歓声と実況アナの声だけなのだが、そう言われると不思議なもので、選手たちが右耳から左耳に向かって私の頭蓋骨の中を駆け抜けていくように感じられた。その足音を幻聴しながら、私は左の鼓膜に神経を集中した。そこに、目指すべきゴールがあった。

 井の頭線の車内に、人はまばらだった。ラジオを聴いているのは、私と、私の向かいに腰掛けている高校生2人組だけだった。ゲームに興じている大学生がいた。岩波新書を読んでいる女性もいた。他の人々は、ただひたすらボーっとしていた。単なる昼間の電車だった。なのに、私の耳の中にはワールドカップがあった。私はワールドカップと一緒に、渋谷に向かっていた。

「お仕事中の証券マンのみなさん、クルマを運転中のみなさん、タクシーに乗っているみなさん、授業を受けているみなさん、あなたのエネルギーを、あなたの思いを、ここ宮城に送ってください!」と実況アナが叫んだ。ラジオは何かをしながら接するメディアだということを、改めて認識した。実況アナは電車に乗っているフリーライターのことまで想像できていなかったが、それでも私は、言われたとおり宮城にエネルギーを送ろうと思った。だが、うまく送れなかった。そもそも、宮城がどっちの方角なのか咄嗟にはわからなかったのだ。方向音痴に生まれたことを呪うのは、こんなときだ。

 森島が投入されたのが明大前だったか下北沢だったか、よく覚えていない。解説の長谷川健太は、「もう気持ちで戦うしかないでしょう」というコメントだけを何度もくり返していた。ときどき、やや遠くのほうから「うおぅりゃっ!」「おっけー!」「ぬぅわくぅわとぅわぁぁぁ(中田ぁぁぁ)!」という呻き声が聞こえた。すでに健太は、ほとんどマイクの前に座っていないのだろう。ボールがどこをどう動いているのかは一切わからなかったが、日本が負けそうだということだけは十分に伝わる放送だった。

 渋谷の自動改札にパスネットを差し込み、銀座線の乗り場へ向かって10メートルほど歩いたところで、コッリーナさんの吹くホイッスルの音が、やけに明瞭なステレオサウンドで3度鳴った。スイッチを切り、イヤホーンを耳からむしり取って、胸ポケットのラジオを鞄の中に放り込んだ。そこは、単なる駅構内だった。歓声はなく、雑踏があった。誰も怒っていなかったし、頭を掻きむしる人もいなかった。誰も泣いていなかったし、放心してしゃがみ込む人もいなかった。人々は、生活をしていた。どの人にも、これから行くべき場所があった。私にもあった。銀座線に乗って、虎ノ門で降りる。銀座線に乗って、虎ノ門で降りる。銀座線に乗って、虎ノ門で降りる。それだけを考えた。脱力している暇はない。私には仕事がある。仕事とは、こういうときのためにあるのかもしれない、と思った。

 5時45分。オークラ本館の「梅の間」では、すでに漫画家のK先生と編集者ゴンザレスがスタンバイしていた。サッカーにまるで関心のないゴンザレスが「負けたねぇ」と言った。「負けた」と私が言った。続けて何か敗北を形容する科白を吐こうと思ったのだが、言葉が出てこなかった。「負けた」という言葉を口にした瞬間に、思考が停止していた。物書きとして失格だ、と思った。ゴンザレスが私を指しながら、「彼はサッカーの本を書いているんですよ」とK先生に紹介した。「あ、そうなんだ」とK先生が言った。「お恥ずかしいことで」と私が言った。何を恥じていたのか、われながらよくわからない。恥じてはいけなかったのかもしれない。勝利を語るのは容易だが、敗北を語るのは難しい。たぶん私は、敗北に名前をつけられないでいる自分を恥じたのだと思う。物事に名前をつけるのが、物書きの仕事だ。青の名前。敗北の名前。いま私は、それが知りたい。どうして今日は、こんなに天気が良いのだろう。

*

●韓国×イタリア(Round of 16)
 K先生と水産庁K氏の対談は、8時に終わった。ホテル内のレストランで中華料理を食い、業務用のお愛想トークをしていると、敗北のことをひとときだけ忘れることができた。10時半頃、オークラの玄関からタクシーに乗った。ラジオがついていた。「どっちが勝ってます?」と運転手に尋ねた。ワールドカップが、巨人×ヤクルト戦のようになっている。時差のないワールドカップとは、こういうものなのだ。試合は1-1で延長戦に入っていた。終了間際に韓国が追いついたらしい。正直に言うが、とてもイヤな気分だった。嫉妬と羨望と悔恨と怨念と自嘲が、胸の奥でごちゃ混ぜになっていた。共催国の勝利を願う気持ちには、どうしてもなれなかった。タクシーが渋谷駅に着き、料金を支払って左足を地面につけたとき、トッティが2枚目のイエローを食らった。試合を見ずに私の帰宅を待っているはずの妻に電話をして、「先に見始めてていいよ」と告げた。

 井の頭線の車内で、ラジオは聞かなかった。帰宅すると、追っかけ再生の試合は前半15分ぐらいを迎えていた。シャワーを浴びて茶の間に戻ると、ビエリのゴールでイタリアがリードしていた。イタリア好きの妻は機嫌が良かった。トッティ退場までの経過を知っている私は、黙って見ていた。知っているのに知らんぷり。しかし妻は、私が途中経過を知っていることは知っていた。そして、経過を知っている私があまりに黙っているので、終盤に「何かが起こる」ことをうっすらと察知していたようだ。なので、同点劇にもあまり動揺していなかった。延長戦。トッティが退場になった。そこまでは知っている。そこから先は知らない。ようやく、タイムマシンで未来から現在に戻ってきたような気分だった。

 トッティのいないイタリアに、私は念力を送った。ビデオに録画された過去に念力を送ってもしょうがないのだが、私はイタリアに勝ち残ってほしかった。せめてスペイン×イタリア戦を見たかった。トッティが出場停止となれば、なおさらだ。だがイタリアには、ネスタとカンナバーロもいなかった。おまけにトラパットーニは、デルピエーロも早い時間帯に引っ込めてしまい、はじめ人間ガットゥーゾを投入していた。いつものことだが、とてもバカバカしいことだった。ビエリはすばらしいストライカーだが、伝説をこしらえられるようなタイプではないのかもしれない。彼がここでゴールデンゴールを決められるような選手だったら、今季のインテルは優勝していたことだろう。つまり、星を持っていない。サッカーは往々にして、見る者を運命論者にするのである。そして、安は星を持っていた。PKを失敗して、ゴールデンゴールを決める。出来過ぎたシナリオの中で主役を張れるタイプだった。アズーリという名前の青が消えた。昨日の朝、「本日のアンラッキー・カラーは青」と予言した占い師がいたとしたら、私はその占い師を信じるかもしれない。



6月17日(月)大会第18日

●メキシコ×アメリカ(北中米選手権決勝)
 ……と、ベタなボケをかましたくなるのも無理はないルーティン・マッチである。もしかしたらイタリア×ポルトガルになるかもしれなかった試合が、メキシコ×アメリカ。わざわざワールドカップ開いてまでやるような試合なのかしら。4年に1度しかない機会なのに。この試合のチケットをゲットして何ヶ月も前から気持ちを高めていた人の落胆はいかばかりか。ここでイタリアと自国の決戦を見られると期待していた韓国人も多々いたことであろう。でも、それは明日の話。どっちも順位が逆だ。詐欺にあったような気分かもしれない。

 で、試合のほうは、Aクイック、Bクイック、バックアタックなどのバリボー攻撃を繰り出すアメリカが、0-2でベスト8進出。レシーブ! トス! アタ〜〜〜ック!! 見事な三段論法サッカーである。徹底的に無駄を排した合理主義。もしかしてサッカーをリストラしようとしているの? なんだか、意地になってアメリカンスタイルを貫徹しているようにさえ見える。ふん、どうせ俺たちゃアメリカ人さ。効率が大好きなのさ。なんか文句あんのかこの野郎。私は試合中、ほとんど誰にも愛されていないアメリカチームが何故こんなに力を出せるのかをずっと考えていた。よくわからないが、とりあえずの結論としては「あの人たちはスポーツが好き」というところだろうか。「純粋スポーツ愛」とでも言うべき筋肉質のリビドーが、彼らのモチベーションを支えている。具体的に何がどうとは言えないが、明らかに文脈が違う感じ。アメリカを見ていると、サッカーではなく、「とくに名前のないプレーンなスポーツ」を見ているような気分になるのだった。ひょっとすると、それがサッカーの原点なのかもしれないけれど。終盤、このスポーツ大国に勝てないと悟ったメキシコは、コビ・ジョーンズに殴る蹴るのヤケクソな集団暴行を加えてトンズラ。今日はこのくらいにしといたろか。

*

●ブラジル×ベルギー(Round of 16)
 このワールドカップに、どこか散漫な印象を受けていたのは私だけだろうか。日本が活躍しているあのワールドカップと、フランスやアルゼンチンやポルトガルが消えたそのワールドカップを、頭の中でうまく統合できない感じ。一粒で二度おいしいと言えないこともないが、なんかこう、とっちらかった気分になってしまうのである。でも、韓国ラウンドでスパークしていたブラジルと、日本ラウンドでわれわれの代表と戦ったベルギーが同じフィールドに立っているのを見て、ようやくワールドカップが私の中で一つにまとまり始めた。ああ、よかった。やっぱり、同じ大会だったんだ。ちゃんとサッカー大国の参加している大会で、われわれの代表は勝ち残ったんだ。

 そうなると、なんとなくベルギーに肩入れしたくなるのが人情というものである。昨日の敵は今日の友。あれほど憎らしかったウィルモッツが、愛すべき「中年の星」のように見えてくるから不思議だ。赤い中年軍団は、序盤からとても調子が良さそうだった。若くてイキのいい跳ねっ返りの暴走族を、「人生、そんなに甘いモンじゃねぇんだぜぇ」と諫めている寡黙なベテラン漁師のように見えた。比喩に無理がありますね。でも、スコアは2-0だった。前半終了間際に決まったウィルモッツのゴールが認められていれば……とも思うが、まぁ、それでもブラジルは逆転していたような気がする。もう、この大会を直撃した観測史上最大規模の暴風雨は、はるか遠い沖合に去っていったのかもしれない。



6月16日(日)大会第17日

 昼から仕事、夜はマンション管理組合の定期総会。なので、夜10時前から2試合を観戦。どっちも延長戦に突入し、おまけに途中でセガレが目を覚まして母親を呼ぶたびにビデオを止めたりしていたおかげで、見終わったのは深夜2時半ぐらいだった。これじゃヨーロッパ開催と大して変わらん。

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●スウェーデン×セネガル(Round of 16)
 スカパーの解説者がアルゼンチン×イングランドと同じだったので、今大会初めてNHKで観戦。画面が荒い。オープニングテーマ曲が軽い。早野さんのおやじギャグはジャンルカさんより質が高い。「セネガルだけに競りたがる」はわかりにくかったけれど。ほとんど、アナウンサーに対する厭がらせレベルだ。「はあ」としかリアクションのしようがない。「いまのはチャウ」は完全に黙殺されていた。試合は1-1で延長戦。A.スベンション(だったかな)が鮮やかなターンから放ったシュートはポストの外側に当たり、カマラ(だったかな)のシュートはポストの内側に当たった。紙一重の勝負を分けたのは、結局のところスピードの差か。ラーションはコンディション悪かったでション。イブラヒモビッチはカバのように鈍くさかった。印象的だったのは、スウェーデンが前半3分という早い時間帯にFKで必殺サインプレイを使ったこと。面白いタイミングだった。暑いから、早めに勝負をつけたかったに違いない。これはセネガルGKに阻まれたものの、その後のCKで先制し、思惑どおりの試合展開になったのだが……。セネガルは、精神的にもあんがいタフだった。

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●スペイン×アイルランド(Round of 16)
 アイルランドの連中は、試合前からいい表情をしていた。ファイトすることの喜びを感じさせる表情だった。好調スペインを相手に一歩も引くことなく、序盤から猛ラッシュ。だが先制したのはスペインだった。プジョールのクロスを、ニアに詰めたモリエンテスがゲット。このゴールをカタルーニャとマドリードの人々がどんな気分で見ているのかと、つい考えてしまう。そういえば、イタリアのラツィアーリはトッティをどんな気持ちで見ているのだろう。そんなことはともかく、アイルランドは素敵だった。シャープかつクリーンなタックルで何度もボールを奪い取り、逃げ切りを図るスペインを怒濤のがぶり寄りで押し込んだ。後半、ハートがPKをしくじったものの、クインの頭がスペイン守備陣を脅かす。ロスタイム直前の同点劇も、その脅威がもたらしたものだった。イエロがクインのシャツを脱がそうとしてPK。脱がすなよ。アイルランドにとって幸いだったのは、このときハートがすでにアウトしていたことだろう。彼がフィールドに残っていたら、誰が蹴るのか迷ったところだ。そういう迷いは、あまり良い結果をもたらさない。蹴ったのはロビー・キーンだった。とても落ち着いていた。もう「アナザー」とは呼ばせない。1-1。ドイツ戦に続く起死回生。緑色の負けじ魂。横浜で出会ったマゲヅラのアイルランド人は、この瞬間をどこで見ていただろう。あのスタイルで、韓国まで応援に行っただろうか。延長。モリエンテスを引っ込め、ラウールを故障で欠いたスペインは、ほぼ自陣に釘付けにされていた。1次リーグと同じチームとは思えなかった。アイルランドは走って走って走りまくっていた。ものすごいスタミナ。サイパンでの休養が功を奏したのだろうか。でも、ゴールは割れなかった。スペインが守りきった。「守りきるスペイン」って、何だかヘンだ。「麒麟児の四つ相撲」と同じくらいヘンかも。エルゲラのCB起用が、このチームのキモなのかもしれない。PK戦はカシージャスの独擅場だった。さらばアイルランド。このグッド・チーム&グッド・サポーターと同じ空気を横浜で吸うことができて、私は幸せだった。



6月15日(土)大会第16日

●ドイツ×パラグアイ(Round of 16)
 見るほうの心の準備が整わないうちに、なんともなし崩し的な雰囲気で決トナ開幕。ちょっと休ませてほしい……と後ろ向きな気分で見ていたせいかどうかは知らないが、試合は退屈だった。いまごろワールドカップらしくなってどうする。どうせなら0-0のままカーン対チラベルトのPK戦を見たかった。しかし、カーンのロングフィードを何者かが頭で落として何者かが右サイドをえぐり、はるか後方からカッ飛んできたノイビルがニアへのクロスを叩き込んで1-0。パラグアイは、3戦目の大逆転で満ち足りていたのかもしれない。ドイツは、例によって何だかんだ言われながらも前回同様ベスト8入り。永遠にドラスティックな新旧交代ができない国なのかもしれない。2006年も、カーンとクローゼの2人でサッカーやってるような気がする。

*

●デンマーク×イングランド(Round of 16)
 ほんとうはフランス×イングランドだったのに……などと思うと、観戦モチベーションはどうしたって下がる。デンマークは、戦い方を確立する前に失点してしまったような感じ。こういう試合は、GKが不調だとどうにもならない。オーウェンの大会初ゴールに加えて、「デカくて黒い柳沢」ことヘスキーまでゴールを決め、0-3でイングランド圧勝。勝因は、世界でいちばん衝動コントロール能力の低いフットボーラーであるミルズが、なぜか2枚目のイエローを食らわなかったことか。彼が4試合も無事にピッチに立っていることが、どうしても納得いかない。ふだんは、リーズの凶暴な空気が彼を暴れさせているってこと? ともあれ、なんだか妙にあっさりしたトーナメント初日であった。まあ、たまにはお茶漬けも悪くないけど。



6月14日(金)大会第15日

●チュニジア×日本(Group H)
 日韓ともに、決戦は金曜日、である。一人で見るのがイヤなヤマちゃん夫人と、最近なぜか家のテレビを処分してしまい、これまではラジオでW杯を聞いていたりんご君一家を自宅に招いて、昭和30年代風集団テレビ観戦。ヤマちゃん夫人とりんご君一家は、これが初対面であった。人の輪を広げるワールドカップはすばらしい。みんなニッポン人だ! 心を一つにして頑張るんだ!

 試合開始1時間前ぐらいからソワソワと落ち着かなかったが、それはこれまでのソワソワとはまったく質の違うものだった。ドキドキはするが、ハラハラはしない。だって1点差の負けでもOKなのだ。こっちが1点取れば、あっちは3点取らなきゃいけないのだ。こっちが2点取れば、あっちは4点取らなきゃいけないのだ。すでに「モンスターのタマゴ」レベルまで成長した彼らが、そんな試合でしくじるわけがない。

 その信頼感は、キックオフ直後からの戦いぶりを見て確信に変わった。前に出てこないチュニジアを見下しながら、最終ラインでのんびりとパス回し。慎重、というのとは少し違う。自分たちのやるべきことを完璧に把握した人間だけが見せられる余裕。嗚呼、なんて頼もしいんだろう。ベルギー、ロシアとの2試合180分で、彼らはワールドカップ3回分ぐらいの経験を積んだように見えた。前半は0-0。過去に例を見ないほど不満のない0-0。

 が、ハーフタイムが終わると不安がむくむくと頭をもたげる。トルシエが動いた。森島と市川。いきなりの2枚取っ替え。おいおい、あと1枚しかカードを切れないじゃないか。怪我人が出たらどうすんだ。先制されて西澤投入、楢崎顔面骨折でGKは市川……悪夢のようなシナリオが脳裏を過ぎった。しかし、それはやはり見る側の成長が追いついていない証拠だったのである。心のどこかに、「最後は七転八倒の思いをするはず」というネガティブ思考が巣食っていたことを、私は正直に告白しよう。ドーハ以来のトラウマである。だが心配は無用だった。市川はカフーのように力強かった。森島はモンテッラのように鼻が利いていた。後半開始早々の先制弾。何がどうなったのかわからないが、気がつくと森島の足元にボールがあった。「撃て!」と叫んだ。森島が反転した。撃った入ったネットが揺れた。

 あとは歓喜だけが続いた。2人のディフェンダーを前にした市川の、あのセクシーでリズミカルなステップを、私は死ぬまで忘れないだろう。八百万の神が結集してゴール前まで運んだような、完璧なクロス。ヤマタノオロチを斬りつけたスサノオの剣もかくやと思わせる、中田のロケットダイブ。ヘッドで股抜き。神々しいゴールだった。

 2勝1分。勝ち点7。H組1位。相手はトルコ。誰もが頭の片隅で思い描きながら「まさかね」と自分を窘めるようにやんわり否定していた最良のシナリオが、現実のものになった。すべてはベルギー戦の後半、鈴木の爪先が届いたところから始まったような気がする。あれが「天の鉾先からポタリと落ちた一滴の泥」だったのだ。新しい建国神話が、いま始まった。

*

●韓国×ポルトガル(Group D)
 しみじみした気分に浸りながら愚妻の作ったカレーをみんなで食い(熱狂後の急性空腹のせいかヤマちゃん夫人はおかわりをしていた)、りんご君一家が帰った後、ヤマちゃん夫人と共にライブ観戦。ちなみにりんご君のお父さんは、「やっぱりラジオとは違いますよねー」と原始人のような感想を述べ、わが家の使用していない小型テレビを車に積んで持ち帰った。いまどき、テレビを人に貸すことがあるとは思わなかった。ワールドカップはいろいろなことを起こすのである。

 さて試合のほうは、前半、ジョアン・ピントが愚かなバックチャージで一発レッド。しかし、なぜかアメリカが2点ビハインドの報。意味も理由もよくわからないが、とにかくポルトガルは救われた。韓国と共に、引き分けでOK。どちらも、もうサッカーをする必要はない。前半は0-0。だが、なぜか珍しく「今日は父さんと寝る」と言い出したセガレを寝かしつけて茶の間に戻ると、ポルトガルの通過を願うヤマちゃん夫人と愚妻が沈痛な表情でテレビを見ていた。ポルトガルが9人になっている。韓国選手のシミュレーションを主審が見抜けなかったらしい。この大会は、主審2人制を導入するきっかけになるかもしれない。ともあれ、それでもポルトガルは2位で抜けられるはずだった。アメリカは相変わらず敗色濃厚。韓国は、あれほど嫌いなアメリカを、ポルトガルと引き分けることで蹴落とすことができる。ゴールを決める意味も理由もない。しかし、それは過去の常識だった。この大会に、過去の常識は通用しない。交渉不成立。韓国は勝ちに行った。日本と同じ勝ち点7が欲しかったのかもしれない。ヒディンクがオランダの仇討ちをしたかったのかもしれない。人の動機は、他人にはうかがい知れないものだ。まあ、たぶん、「引き分けを選択して手を抜くのは強国のやること」という後藤健生さんの見方が正しいのだろう。今までやったことのないことをやると、チームのリズムが乱れるのかもしれない。裏切られたポルトガルはダダをこねる子供のようにゴールを目指したが、フィーゴのFKはわずかに枠を逸れた。ヌーノ・ゴメスの右足は空を切った。セルジオ・コンセイソンのシュートはポストを叩いた。ルイコスタに出番は与えられなかった。1-0。W杯史上に残る奇異な試合を落としたポルトガルが、恨みだけを残して去ることになった。しかし、それもサッカー、これもサッカーである。たぶん、この日韓大会は、あまりにもサッカー的でありすぎるのだ。恨むなら、アメリカに負けたおのれを恨むしかないですね。

*

 未見の試合もいくつかあるが、これで狂気のグループリーグが終了。就寝前に愚妻が、「オランダの怨念なのかなぁ」と呟いた。なるほど。クライファートやコクーやフランク・デブールが、ケタケタ嗤いながらシーズンオフを満喫している姿が目に浮かぶ。怨念おそるべし。来シーズンの欧州戦線は、すっきりリフレッシュした休養十分のオランダ人選手たちに注目だ。バルセロナが破竹の快進撃を見せるような気がしてきた。



6月13日(木)大会第14日

●メキシコ×イタリア(Group G)
 バックスタンド手前、センターラインの向こう側に大書された「OITA」の文字が、ITAノースコアを思わせて不吉。と思っていたら、首と体をどうひねったのかよくわからないヘディングシュートで、メキシコが先制した。たちこめる暗雲。イタリアの勝利を願いながらも、一方で、ポストモダンの香り漂うこの大会にもう一つ毒々しい花が添えられるところを見てみたい……というサディスティックなのかマゾヒスティックなのかよくわからない衝動を抑えられなかったのは私だけだろうか。イタリアの10番が放ったシュートがきわどく枠を逸れたとき、私が内心で快哉を叫んだのは、「トッティが大嫌い」という理由だけではなかったような気がする。荒れるなら、とことん荒れてみろ。そんな気分だった。だが、イタリアはいかにもイタリア的な幸運に恵まれていた。なぜかエクアドルがクロアチアをリード。そのままなら、負けても2位通過。そしてイタリアは、リザーブ陣にも恵まれていた。そこがフランスと違うところだ。トッティに代えてデルピエーロ投入。ここから私は本気でイタリアを応援し始めた。やはり、トッティが嫌いなだけだったのかもしれない。負ければまたぞろ国内で「バッジョ・コール」が起きかねない状況で、真の10番はクールに爆発した。鋭い飛び出しからのヘディングシュート。1-1。このスーパーサブの登場が、大会に辛うじてクラシカルな彩りを与えるのかもしれない。ところで、ロスタイムの無気力相撲は醜悪だった。時間を消費するのは当然だが、プロなんだからもう少し芸を見せろよな。主審もロスタイム取りすぎじゃ。1分でええわ。

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●コスタリカ×ブラジル(Group C)
 この重苦しい1次リーグと同じ大会の試合とは思えないノー天気な殴り合いは、2-5でブラジル。なぜコスタリカはこんな戦い方を選んだのだろう。PL学園に立ち向かう弱小県立高校のようなスガスガシサだった。思い出をつくりたかったのかもしれない。それも悪くないけど、だったらトルコに勝っとかないとなー。決トナ進出のかかった大勝負で、ブラジルのスパーリングパートナーになってどうする。ま、すげー面白かったし、一服の清涼剤ってことでいいんでしょうね。でもブラジルを崩したかったらロングボール放り込まないとダメだ。ブラジルのほうは、トーナメントで負けた場合、「この試合で気持ちよくサッカーしすぎたのが敗因」という話になるのかもしれないが、それは過去の常識に照らした見方なのかも。たぶん、この大会にペース配分など無用なのだ。最初から全開バリバリで飛ばして、最後にスタミナと運が残っていた者が勝つ。それはもしかして……ドイツなの?

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●デンマーク×フランス(Group A)
 敗因は、負けた後から見えてくる。ジダン不在時の備えがなかった。ピレスの代役もいなかった。デシャンの仕事を精神面で引き継ぐ者もいなかった。取って付けたように連れてきたシセ以外、新戦力にも欠けていた。要するに層が薄かった。監督はいつもベンチで放心していた。EUROのときも監督は放心していたが、それでもチームは優勝してしまった。だから監督の能力に疑問を呈するチャンスがなかった。予選もなかった。負けて反省する機会がなかった。勝ち続けたために、前例踏襲主義の役人みたいな監督の思考力に疑いをはさむ暇がなかった。2-0。1点も取れずに、前回王者帰国。勝利への飢餓感を、最後まで微塵も見せなかった。

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●セネガル×ウルグアイ(Group A)
 前半は3-0。1点目のPKはシミュレーション、3点目はオフサイドだったと思う。ウルグアイはツイていなかった。後半、ひたむきに1点ずつ返したものの、3-3のドロー。モラレスにもう少しスピードがあれば、きっと勝っていた。レコバ君さよなら、さよならレコバ君。また会う日まで。

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●スロベニア×パラグアイ(Group B)
 う〜ん、パラグアイ。W杯になると人の胸を打つ戦いぶりを見せつけるチームである。10人になり、先制されながら、姿の見えない南アフリカを総得点で逆転。トーナメント1回戦は、チラベルト×カーンの巌流島だ!

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●南アフリカ×スペイン(Group B)
 スペイン、3戦連続の3得点で2-3。南アフリカは守りに入るのが早すぎた。見えない敵と戦うには、やはり経験が必要だ。経験は大事だと、年齢を重ねるごとに強く思う今日この頃。

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●スウェーデン×アルゼンチン(Group F)
 試合開始前、テレビに表示されたアルゼンチンのメンバー表を横目で見て、「うおっ、すげー攻撃的じゃん。クレスポもキリもグスタボもカジャルドも出るんじゃん」とコーフンした愚か者は私です。それはリザーブのリストなのだった。ベーロンとシメオネの名前があったから、ついスタメンだと思ってしまったのである。はらほれ。リザーブのほうが攻撃的に見えるってどういうことだっ。そんなわけで、アルゼンチンはアイマールとアルメイダが先発。まあ、何でもよい。全員アルゼンチン人には違いない。全員アルゼンチン人のチームは全員スウェーデン人のチームより理論的には強いはずじゃ。勝て。でも、勝てなかった。FKを決められ、がっちり守られた。がっちり守るスウェーデン人集団は強かった。オルテガがしくじったPKをクレスポが押し込んだだけで1-1。スウェーデン人集団と試合をすることは半年も前からわかっていたのに、なぜ点の取り方をちゃんと考えておかなかったのだろう。勤勉サネッティがいくら右から放り込んでも、ぜんぜんラチが明かないです。だからサビオラを連れてこいって言ったじゃないかぁ。と、世界中で5億人ぐらいが愚痴っていそうだ。5億人の愚痴って、かなり凄い。5億人の愚痴と戦うのはどんな気分だろうか。それにしても。ビエルサって、どうしてそんなにオルテガが好きなの? あーあ。



6月12日(水)大会第13日

●生サウジアラビア×生アイルランド(生Group D)
 きのうは、人生初のワールドカップ生観戦。深夜に子連れで帰宅するのは大変なので、新横浜プリンスを予約した。えらい出費だが、しょうがない。だってワールドカップだもの。セガレが幼稚園から帰るのを待って、午後3時頃に家を出る。菊名の駅で、数人のアイルランド人と遭遇。おお。これがワールドカップだ。新横浜の駅を出ると、そこらじゅうアイルランド人だらけ。旅費の足しにするのか、薄汚れた自国ユニフォームを売っている奴もいた。これがワールドカップだ。ホテルにチェックインして1階のラウンジに行くと、隣の席でアイルランド人たちがビールを飲みながら大声で話をしていた。これがワールドカップだ。セガレはストロベリー・アイスクリームをびちゃびちゃ食いながら、目はアイルランド人に釘付けになっていた。この人たち、何? それがワールドカップだ。ワールドカップはビールをたくさん飲むのだ。

 駅前のマクドナルドで腹ごしらえをしていると、携帯が鳴った。編集者H氏からだ。「いまエコバにいます」とのこと。会社で取材用に買っていたチケットが余ったとかで、ドイツ×カメルーンを一人で見に行っているらしい。途中経過を報告し合う約束をした。スタジアムへ向かう途中の露店で、アイルランドの旗を購入。2本で1000円。1本をセガレに渡すと、「アイルランド応援すんの?」と言いながら嬉しそうな顔で振り回していた。そうだ。それがワールドカップだ。ワールドカップは旗を振るのだ。

 荷物検査やらボディチェックやらを受けて、観客席へ。正面から見て右奥のコーナーフラッグの後ろ。カテゴリー2。コンフェデ決勝もカテゴリー2だったが、今回はほぼゴール裏なので、けっこう見やすい。しかも通路に面した席なので、脚を伸ばして座れるのが嬉しかった。満足満足。と思っていたら、その通路の前に座っていたニイチャン(日本人)が、やおら立ち上がって後ろを向き、「みなさーん、アイルランドの応援、よろしくお願いしまーす!」と叫んで手拍子を始めやがった。ちゃっ、ちゃっ、ちゃちゃちゃ、ちゃちゃちゃちゃっ、あいらんっ。鼻白む観客席。このニイチャンに対する嫌悪感を言葉で説明するのは、なかなか難しい。W杯を楽しみたいという気持ちは、よくわかる。だが、おまえの楽しみ方を押しつけられたくない。アイルランド人に言われるならともかく、日本人にそんなこと言われたくない。私はW杯を見に来ている。おまえの応援ぶりを見に来ているわけではない。どうか邪魔をしないでほしい。私もアイルランドの勝利を願っているが、それを見知らぬ他人に強要するほど願ってはいない。だいたい、サウジを応援している人だっているかもしれないじゃないか。そもそも応援なんて、人に頼まれてするものじゃない。それぞれの自発性に任せるべし。外国チームの試合観戦にいちいち一体感を求めるなんて、サッカー的じゃないと思う。

 つまるところ私が嫌悪したのは、彼がそこはかとなく漂わせていた「私がW杯の楽しみ方を教えてあげましょう」というお節介な教育欲だ。「こうしないとW杯らしくない」という浅薄な決めつけだ。たぶん彼は、花火大会に行けば必ず「たまやぁ〜!」と叫び、ウィーンフィルのコンサートに行けば必ず「ブラボー!」と叫ぶだろう。要するに、楽しみ方がナチュラルじゃないんだな。サウジとアイルランドの試合で、日本人がキックオフの2時間前からそんなにコーフンできるわけないじゃないか。ああ、鬱陶しい。どうか彼が二度と後ろを振り向きませんように。

 外で一服して席に戻ると、顔面をストッキングで覆った怪しいアイルランド人と緑色のカツラをかぶったお茶目なアイルランド人が、私たちの席の後ろに横断幕を張っていた。おお。これがワールドカップだ。アイルランドの横断幕を背中に観戦できるなんて、嬉しいじゃないか。国旗の3色をあしらった横断幕には、

SEAN OG
GAOTH DOBHAIR

という横文字が大書されていた。ぜんぜん意味がわからない。英語にさえ見えない。でもケルト語にしては英語っぽい。英語ができないので、彼らに質問することができず、悔しかった。でも2人のアイルランド人と記念撮影をさせてもらった。

 しばらくすると、別のアイルランド人が私の隣に座った。ものすごく体がデカい。そして、なぜか頭にチョンマゲのカツラをかぶっている。連れはいないようだ。一人でマゲヅラをかぶって歩くのは、かなりの勇気だと思った。セガレが不思議そうな顔で、「あれ何?」と私に訊いた。「お相撲さんだよ」と私が答えた。「いえ、サムライです」とアイルランド人が言った。パーフェクトな日本語だった。聞けば、もう12年も日本に住んでいるらしい。これ幸いとばかりに、横断幕に書かれたメッセージの意味を訊ねた。「SEAN(ショーン)」は人名、「OG」は「小さい」、「GAOTH DOBHAIR」は地名であるらしい。「ガオス・ドブヘアーのリトル・ショーン」ということだ。ぜんぜん応援メッセージになっていない。いわば「でっかい表札」である。ショーンなんて選手もいないみたいだし。あのストッキング男がショーン君なんだろうか。ちっともリトルじゃなかったけど。

 マゲヅラのアイルランド人(名前ぐらい聞いておけばよかった)は、オーストラリア人の友人と一緒に来る予定だったのだが、その友人がチケット入りのバッグを電車の中に忘れてきてしまい、来られなくなったのだという。「かわいそう」と私が言った。「そう、かわいそう」とアイルランド人が言った。とても哀しそうな顔だった。でも、頭にはマゲヅラ。強烈な違和感だった。

 そうこうしているうちに、キックオフ。マゲヅラのアイルランド人は、シルベスタ・スタローンの「エイドリア〜ン!」に似た野太い声で、「カムォーン、アイランッ」と何度も叫んでいた。目が血走っていて怖かった。でも、頭にはマゲヅラ。とても不思議な光景だった。これもワールドカップなのか。アイルランド人の発音する「ダフ」が味わい深かった。「ダフ」と「ドフ」の中間ぐらいの微妙な発音である。そんなことに感心しているうちに、遠いサウジ・エリアに攻め込んだアイルランドがロビー・キーンのゴールで幸先よく先制。しかしマゲヅラは、あんがい冷静だった。吠えることなく、「よしよし」と小さく頷きながらビールで喉を潤していた。ワールドカップを見に行ったのか、アイルランド人を見に行ったのか、われながらよくわからない。

 前半15分頃、セガレが「トイレ」と言い出した。え〜、そんな殺生な。「だって、おまえ、試合が始まる前に行っただろ」と言うと、「っていうか、うんちなんだけど」と言いやがった。うんちか。うんちじゃしょうがないな。ハンバーガーとかヤキソバとか、いっぱい食ってたもんな。やむを得ず、トイレへ。嗚呼、どうかセガレのうんちでW杯のゴールを見逃すなんていう間抜けなことになりませんように。祈りは通じた。席に戻ったときも、試合は1-0のままだった。最悪の事態は免れた。私にしては、あんがいウンがツイている。

 あっという間に前半終了。ハーフタイムに入ると同時に、携帯が鳴った。H氏だった。「どうですか、そっちは」と訊かれたところで通話が途切れた。みんなで一斉にかけているからかもしれない。エコバの状況は、近くに携帯テレビを持っている日本人観客がいたので知っていた。マゲヅラも、ときどきその人に「ドイツ×カメルーンは?」と怖い顔で訊いていた。脅かしてどうする。

 前半のアイルランドは全体的に動きが重い感じで、サウジに攻め込まれるシーンが多かった。話しかけづらい雰囲気だったが、「どうですか、アイルランドは」とマゲヅラに訊いてみた。「だめ。調子悪い」と不機嫌そうだった。話を一般論にしたほうがいいかと思い、「いちばん好きな選手は誰ですか」と訊いたら、「次のスコアラー」と答えた。なるほど。自力突破には2点差勝利が必要なわけで、実に気の利いたクールな回答だ。これがワールドカップのリアリズムだ。ある意味、ブンガクの香りすら感じる。さすがにジェイムス・ジョイスを生んだ国の人だ。でも、頭にはマゲヅラだ。マゲヅラのスタローンは、チケットをなくした友人と(なぜか)宇都宮で落ち合うことになっているらしく、後半のキックオフを待たずに「もう帰らないと」と言った。帰る前に、記念撮影をさせてもらった。握手をしながら、「大丈夫。きっと2-0で勝つ」と私が言った。スタローンがマゲヅラを脱ぎながら、「そうね」と言った。

 後半、アイルランドは2ゴールを加えて3-0で勝ち、自力でトーナメント進出を決めた。テレビ観戦に慣れすぎたせいか、試合で何がどうなっていたのかはよくわからなかったけれど、W杯のゴールを3つも見ることができて幸福だった。前のニイチャンも、試合中は他人に迷惑をかけなかった。

 アイルランドの3点目は、GKアルデアイエのイージーミスだった。明らかに気が抜けていた。そのゴールが決まった後、私はタイムアップまでずっとアルデアイエの背中を見ていた。3試合で12失点を食らったアジア最高GKは、背中に深い脱力感を漂わせていた。ケンカに負けて家路についた小学生のように俯き、何度も地面をつまらなそうに蹴っていた。一度でいいから彼にファインセーブのチャンスが訪れることを願ったが、アイルランドはもう攻めてこなかった。

 なんとかタイムアップまで寝ずにつきあってくれたセガレを肩車して、競技場を後にした。とっくに就寝時間を過ぎているセガレは、いわゆる「徹マン・ハイ」の状態。やけに陽気な声で「オーレー、オレオレオレー」と私の肩の上で歌い、通りすがりのアイルランド人を振り向かせていた。母親に買ってもらったチアホーンも気に入ったようで、部屋についてからも吹き鳴らして私に叱られていた。子連れでワールドカップを見るのは大変だった。でも、たった1日のあいだにいろいろな思い出ができた。チケットを当ててくれた妻に、この場を借りて感謝します。



6月11日(火)大会第12日

●韓国×アメリカ(Group D)
 うっかり先制を許した韓国が攻めに攻めたものの、安のヘディングで同点まで。韓国にとってはマスト・ウインのゲームだっただけに、いくら事前に決めていたこととはいえ、呑気にスケーティング・フォームなんか真似ている場合ではなかった。さっさとボール拾ってリスタートしないとね。だいたい試合前にゴール・パフォーマンスの相談なんかしてること自体、「悲願の一勝」による気の緩みと言われても仕方がない。ショート・トラックの判定問題が、キミたちに何の関係があるというのだ。開催国の代表選手として、サッカーに集中してほしかったです。W杯の難しさを誰よりもよく知っているはずなのに。

*

●チュニジア×ベルギー(Group H)
 ウィルモッツのゴールでベルギーが先制したが、チュニジアも何者かの華麗なFKで同点。1-1のドロー。やはりベルベルの今次元サッカーは侮れなかった。彼らのしなやかなボール・キープやドリブルに、ジダンの影を見たのは私だけだろうか。私だけだろう。しかしまあ、日本としてはクウェートあたりとやるつもりで行けばわかりやすいかも。3戦目に1点差で負けてもオーケーだなんて、恵まれすぎてて怖い。

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●ポルトガル×ポーランド(Group D)
 パウレタ3発、途中出場のルイコスタも決めて、ポルトガルが暗雲を払拭。ルイコスタは、スタメン落ちが理解できないほどルイコスタらしく見えた。むしろ、休ませるべきはフィーゴだったのではないか。シーズン終盤から、ずっとイライラを引きずっている感じ。愚妻はカプーショのルックスが気に入った模様。ちょっと前まではヴィトール・バイアーのファンだったのだが。


語る人シリーズ#05



もっと姿勢を低く、肩は水平に。

アポロ・アントン・オーノ(スケーター)


 五輪ショートトラック金メダリストが、安のパフォーマンスについて訊かれて。たいへん真面目なコメントである。たぶん、あれを見た世界中のちびっ子スケーターが悪影響を受けてはいけないという配慮から出た言葉であろう。スケート界の将来を見据えているオーノはえらい。安のほうは、そんなイチャモンをつけられるようではアスリートとしてどうかと思う。派手なバク転でナイジェリア体操界に注目されているアガホワの爪の垢でも煎じて飲むべし。それにしてもナイジェリア体操界、どうせならアガホワにムーンサルトを教えておいてほしかった。




6月10日(月)大会第11日

●日本×ロシア(Group H)
 われわれの代表が、いったい何をやってのけたのか、まだリアルに受け止めることができない。だって、たった6日前に初めて一つの勝ち点を手に入れたばかりなのだ。われわれはあのベルギー戦で、W杯で一つの勝ち点を得るためにどれだけのガッツと幸運が必要で、どれだけの油断と不運があると二つの勝ち点を失うのかということを学んではいた。だが勝ち点3のことは何も学んでいない。だから、勝ち点3を得たり奪ったりすることについては、うまくイメージできなかった。勝利から14時間ほど経過した今も、その勝ち点3を前にして私はいささか戸惑っている。ロシアでは人々が暴れ、チャイコフスキーコンクールを観賞していた日本人や日本料理店が襲われ、人がひとり死んだらしい。それほどインパクトのある勝ち点3なのだと、頭ではわかっている。けれど、その衝撃を実物大のリアルなものとして感じるには、われわれの代表はあまりにも落ち着いていた。「悲願の一勝」なんぞという手垢のついた紋切り型をすっかり色褪せさせるほど逞しかった。選手たちの成長に、われわれ見る側の成長が追いついていない。そんな感じ。われわれの代表は、われわれの貧困な想像力を遙かに越える、とんでもないモンスターに化けようとしているのかもしれない。ホーム・アドバンテージ? サポーターの声援のおかげで守り切れた? それは選手たちに失礼だ。なにしろロシアは、EURO2000を制したフランスを、その予選のアウエー戦で倒した国である。アウエーの逆境にやすやすと屈するほどヤワな連中ではない。そんな強者を完封した選手たちに、「サポーターの声援で勇気が出ました」などと言わせたがるインタビュアーは、励まされているのはどちらなのかを改めて自問自答すべし。真のサポーターは観客席ではなく、フィールドの上にいる。

 ところでヨシカツは今日もベンチだった。あれえ。YCPったら、どこまで強気なんだろう。ブラジル戦まで引っ張るなんて。餓死しなきゃいいけどねぇ。

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●メキシコ×エクアドル(Group G)
 2-1でメキシコの逆転勝ち。このクラスの試合が引き分けにならないあたりが、コリア/ジャパンの特徴なのかもしれない。それにしても、メキシコ連勝とは。かなりの驚きである。メキシコ人の立場でワールドカップを考えたことがなかったのが迂闊だった。いま改めてメキシコ人の視点で見てみると、メキシコは対戦順に恵まれていたことがわかる。二戦目のイタリア戦に照準を合わせているクロアチアと初戦で当たり、初戦のイタリア戦でヘコんでいる初出場国と二戦目で当たるメキシコは、その経験値をフルに生かしてG組を突破する可能性がきわめて高かったのだ。まだわかんないけどね。メキシコ的には、イタリアの黒星が大誤算か。

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●トルコ×コスタリカ(Group C)
 後半41分にコスタリカが追いついて1-1のドロー。どっちだ。C組2位はどっちなんだああああっ。トルコが来たら、いよいよ秋田の出番?



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※本誌の記述は原則として事実に基づいていますが、たまに罪の(たぶん)ないフィクションが混入している可能性もないわけではありませんので、あらかじめご了承ください。


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