愛と幻想のフットボール
2002 FIFA WORLD CUP Korea/Japan special #04.

朝、夜。
fantastic sunrise and realistic sunset with 64 football games.

text by EDOGAWA koshiro
e-mail : h_okada@kt.rim.or.jp





深川峻太郎・著
キャプテン翼勝利学
発行=集英社インターナショナル
発売=集英社(本体価格1200円)
※深峻情報

日販『新刊展望』7月号に
初エッセイ掲載中だ!
→ 続きはこちらのページへ!

7月2日(火)大会最終日の翌々日

 ロナウドもマゲヅラだった。大五郎カットとネガポジだった。なんてマゲヅラなワールドカップなんだろう。横浜で隣に座った日本語のうまいアイルランド人のことを思い出さずにはいられない。新聞のロナウドと競技場で撮ったアイルランド人を見比べたら、どうやら同じメーカーのマゲヅラのようだ。マゲヅラ・メーカーが日本に何社あるのか知りませんが。おそらくマゲヅラ業界は今、空前の好景気に沸いているに違いない。だって、「屋外でマゲヅラをかぶっている人」を1ヶ月のあいだに2人も見たのは、少なくとも私にとっては初めてだからね。転職するなら、マゲヅラ業界が狙い目だ。ともあれ、ワールドカップはマゲヅラと共に現れ、マゲヅラと共に去っていった。もう、帰ってこない。黙々と働くべし。ひたすら原稿を書くべし。

*

 ……と憂鬱な気持ちでいたところに、人間の証明や悪魔の手毬唄(古い)で有名なK書店よりお仕事の電話。K書店とはまったくつき合いがないのだが、どうやらポスト・ムラカミの日本文学で有名な仲俣さんが、何でもかんでも引き受ける便利なライターとして無名な私のことを、編集者に紹介してくれたようだ。ありがたい話である。他力本願な私にとっては、口コミの紹介が生命線だからね。で、どんな仕事かというと、映画のノベライズなのだった。ノベライズはわりと好き勝手に書けて楽しいので、悪い話ではない。

 さて、どんな映画をノベライズするかというと、9月に日本で公開されるチェコ映画であるらしい。チェコ映画? 外国映画というだけでも意外なのに、チェコ映画とは。すっかり意表を衝かれた。チェコ語のノベライズ本はすでにあるのだが、それを翻訳するのではなく、映画のシナリオから新たに書き下ろすのだという。チェコ映画かー。ノベライズの場合、シナリオに書かれていない人物の心理描写がキモになるわけだが、日本人の私がチェコ人の心理を想像するのは難しそうだ。ネドベドやポボルスキーが出てくるなら、心理描写だけで100枚ぐらい書けそうな気がするけどね。こんにちは、パヴェルです。ガイスカ君の不活躍はテレビで見てました。彼があんなふうになっちゃったのは、元はと言えば僕がラツィオの左サイドからトンズラしたせいです。しかしそれ以前の問題として、映画の公開に合わせて出版するんだったら俺には無理だろうから、まず日程の話をしないとな……と思ったのだが、それを私が言い出す前に、女性編集者は映画の内容について延々と語り始めた。明らかに喋り慣れていた。ほとんど「話芸」の領域だった。たぶん、いろんなライター相手に何度も同じ話をしてきたのだろう。途中で遮るスキがなかった。内容はいちいち覚えていないが、要するに戦争とチェコ人と人間愛をめぐる壮大な物語であるらしい。やはり、ネドベドやポボルスキーはもちろん、ベルガーやスミチェルやノボトナも出てこないようだ。

江戸川「で、9月に出すんですよね」
編集者「ええ」
江戸川「9月って、今年の9月ですよね」
編集者「はい」
江戸川「すると、原稿はいつまでに?」
編集者「〆切は7月末になります」

 あのね。今日はもう7月なのね。7月末〆切の仕事を7月に頼まれても、ふつうは出来ないのね。いくらコンビニエンスなライターだからって、急に来店されて「空いててヨカッタ〜」ってことにはならんのだ。こう見えても、あんがい行列のできるライターなのだ。……などということはもちろん口にせず、「すみません、もう年内は新規の仕事を入れられないもので」と丁重にお断り申し上げた。そこまで切迫している仕事の依頼なら、なおさら日程の話からしたほうがお互いのためだと思いました。そのノベライズ本、ほんとうに世に出るんだろうか。他人事ながら心配だ。とりあえず、チェコ語の翻訳に取りかかったほうが無難だと思う。チェコ語の翻訳家を探すのも大変そうだけど。



7月1日(月)大会最終日の翌日

 一つ忘れてならないのは、今回のW杯が実は「レバークーゼンの大会」だったということである。上位3ヶ国すべてに選手を送り込んでいたクラブは、いま思いつくかぎりレバークーゼンだけだ。しかも、揃って大活躍。ルシオもノイビルもバラックもラメロウもシュナイダーもバストゥルクも、「準優勝3つ」の悔しさをワールドカップに叩きつけていたに違いない。4つめの準優勝になっちゃった人も多いわけだけど。ゼも別の意味で悔しかったであろう。バラックはバイエルン入りが決まってるし、ルシオもどっかに移籍しちゃうのかもしれないが、できればあと1年レバークーゼンでやって、何でもいいからタイトル一つ獲って欲しいなぁ。ほんの数試合しか見ていないが、ルシオのいるレバークーゼンが私は大好物である。彼が残留するなら、来季はたまにセリエやプレミアの生中継を犠牲にしてWOWOWでブンデスリーガ見てもいいんだけどなぁ。あ、WOWOWはブンデス手放すって噂もあったな。スカパーに帰ってくるなら、再放送でいつでも見られるな。実況は倉敷さんだといいな。そういえば倉敷さんもルシオのこと「薩摩隼人」っておっしゃってたっけ。倉敷さんのベルギー戦、最高だったな。「ゲットおおおおおおおっ!」と「決めてくれえええええっ!」は、しばらく耳から離れそうもない。今夜家に帰ったら、もう一度ベルギー戦見ようかな。そんな暇あったら原稿書いたほうがいいんだけどな。何の話だっけ。レバークーゼンか。いいチームだよな。4年後、上位3ヶ国にラツィオの選手がいるなんてことがあり得るだろうか。ちょっと想像しにくいけど、今回だって、準決勝でイタリア×スペイン、決勝がそのどっちか×アルゼンチンになれば、そうなる可能性があったんだもんな。あれ? ってことは、この大会がこうなったのはラツィオのせいってこと? そういえば、韓国に負けたポルトガル、イタリア、スペインの3ヶ国すべてに選手を送り込んでいるクラブって、いま咄嗟に思いつくのはラツィオだけだ。そうかー。そうだったのかー。だからおれ、機嫌悪かったんだな。気がつかなかった。深層心理おそるべし。つまり逆に言うと、ドイツの勝因はラツィオ関係者がいなかったことなんですね。うへえ。欧州の疫病神かよ。えんがちょ。ひどい目に遭ったもんだよなぁ。いや、ひどい目に遭わせたのか。はらほれ。よおし、4年後はラツィオの大会にしちゃる。そのためには補強だよな。4年後の上位3ヶ国はどこですか。当然ドイツは入るよな。開催国だもんな。じゃあ、ドイツ人ひとり買っとこうよ。誰がいいかな。バラックは売ってくんないだろうしな。かといってクローゼでもないよな。要らないよな。サウジと試合するわけじゃないんだから。でも、他に4年後もレギュラーでやってそうな奴が思い浮かばない。じゃあ、カーンでいいやカーンで。きっとまだレギュラーだろ。奴だって、このままじゃ終われないしな。すいませーん、カーンひとつくださーい。で、イタリア人とアルゼンチン人には事欠かないから、どっちかに3位以内に入ってもらうとして、もう一ヶ国はやっぱ日本だ。日本じゃなくてどうする。うん。だったらこの際、日本人もひとり貰っとこうじゃないか。うんうん。賛成賛成。でも、中田は元ローマだからダメだよな。じゃ、あれだ、ヨシカツだヨシカツ。すいませーん、ヨシカ……おまえねぇ、GK二人も獲ってどうすんだよ。そりゃそうだよなー。でもよく考えてみると、いま補強したって4年後まで残ってるわけないよな。毎年チーム解散だもんな。2005年になってから考えればいいや。早く2005年にならないかな。



6月30日(日)大会最終日

●ブラジル×ドイツ(Final)
 最後になって、ようやくニッポン吹奏楽がワールドクラスの実力を見せて(聴かせて)くれた。あれは、どこの楽隊なんでしょうか。あんなに格調高いブラジル国歌を、少なくとも私は今まで聴いたことがない。サッカー場であれほどきらびやかに響くブラス・サウンドを、少なくとも私は今まで聴いたことがない。できることなら、手の施しようがないほど音楽性の欠落した選手たちの歌声はマイクで拾わないでほしかった。開催国の国民の一人として、自国文化に誇りを持てる演奏だった。でも、あの富士山はちょっとなぁ。セガレは「あ、富士山だ富士山だ」と喜んでたみたいですが。この期に及んで「誤解に満ちたフジヤマ・イメージ」を自分たちで強化してどうする。ある種の「媚び」を感じました。

 立ち上がりのブラジルは、今大会で初めて緊張しているように見えた。決勝のフィールドに立ってドイツの面々と対峙した瞬間、「あ、そういや、これってワールドカップだったんじゃん」と気づいたような感じ。そんなことないですか。いずれにしても、ブラジルが後手を踏んだことは間違いない。最初のゴールキックを、たっぷり時間をかけたカーンが辺りを睥睨しながら気合いを込めて蹴った時点で、ドイツが試合を飲み込んだような印象だった。仕切るのはわしじゃ。わしが杯を受けるんじゃ。決定機はブラジルのほうが多かったと思うが、カーンが仕切る以上、それもドイツペースだったと言ってよかろう。無敵の矛ロナウドと、無敵の盾カーンの一騎打ち。前半は盾の勝ちだった。カーンが守っていると、クロスバーまで「カーン!」と言いながらシュートを弾いてくれるのである。

 でも、最後に笑ったのは矛のほうだった。リバウドのシュートをキャッチするのが、技術的にどれだけ難しいのか、私にはわからない。いずれにしろ、カーンの心情を考えれば、「ミス」と言ってあげたほうがいいような気がする。「取れる」と判断したボールが取れなかったんだから。「しょうがない」なんて言ったら、きっと殴られる。ま、指さして「あんたのミスじゃ」って言っても殴られるような気がしますが。要するに、あのプレイに関してカーンにかけてやる言葉なんか、世の中の誰一人として持ち合わせていないのである。ともあれ、唯一の、しかし致命的なミスだった。大事にキャッチしようとしずぎたのかもしれない。これまで、シュートを敵のいないところに弾かせたら天下一品だった名手がこぼしたボールは、無敵の矛の足元に転がっていった。ファンブルしたボールへの反応も、彼らしくない遅さだった。ほんの一瞬だけ、自分の胸にボールが抱え込まれている幻影にとらわれていたのかもしれない。べつに痛みは感じていないのに、ふと自分の腹を見たら銃弾が撃ち込まれて血が噴き出していた。ジーパン刑事の「なんじゃこりゃあああ」みたいな感じでしょうかね。なんで取っとらんのじゃあああ。見ていて、とても痛々しかった。GKが辛いのは、ミスによる失点を自ら攻撃によって挽回できないところである。最後まで自軍ゴール前に張りつき、守ることでしか自己表現できなかったカーンの心境はどんなものだっただろうか。一本でいいから彼にシュートを撃たせてやりたかった……などと言ったら、あまりに牧歌的すぎると嗤われるだろうか。盾として生きることを選んだカーンのプライドを傷つけることになる、と非難されるだろうか。

 ともあれ、4年前にジダンにやられたことをロナウドがやり返して、ブラジルが五度目の優勝。すべて90分間で決着をつけて7戦全勝というパーフェクトな優勝だった。これぐらい「パーフェクト」という言葉が似合わない優勝チームもないけれど。それにしてもロナウド、これだけの星を持っていて、どうしてインテルを優勝させられなかったんだろう。まあ、持っている星の数に限りがあるのであれば、とても正しい使い方だと思うけどね。あんまり筋書きがわかりやすすぎて、どう感想を述べていいのかよくわからない。さすがにワールドカップの表彰式は人を幸せな気分にさせるものだとは思ったが、なんか余韻があんまりないんだよなぁ。やっぱカフーの声がマズかったんじゃないかなぁ。素っ頓狂な大会を締め括るにふさわしい、素っ頓狂な声だった。正直、ずっこけたです。

 とにかく、ワールドカップが終わった。私は日常に復帰する。これから40日で本を2冊も書かなきゃいけないのだ。ものすごく大変なのだ。しかし、それを含めてサッカー…………なのか?



6月29日(土)大会第24日

●韓国×トルコ(3位決定戦)
 友人たちを自宅に招いて、総勢9人で集団観戦。韓国派もいればトルコ派もいた。この試合は「応援とは何か」を考える上でたいへん参考になるサンプルだと思うので、どこかの新聞に、「どっちをなぜ応援したか」という世論調査でもしてもらいたいぐらいだ。人はそれぞれ様々な理由で(あるいは大した理由もなく)韓国を応援したりトルコを応援したりするのである。ちなみに私はトルコを応援していた。理由は何だろう。むろん、韓国に対するフクザツな心情のせいもある。彼の国に対して、ある種のヘンケンが頭の中に巣くっていることも否定しない。「敵の敵は味方」という単純な構図による部分もある。ずっと「敵」だと思ってきたチームを応援する気持ちには、最後までならなかった。和田秀樹シゾフレ・メランコ理論でいえば、私はメランコ度が強すぎるのかもしれない。「過去の価値観との一貫性を求めるあまり物事を柔軟に考えられない」のがメランコ人間のダメなところなのである。

 でも後から振り返って考えてみると、いちばん大きい「応援の理由」は韓国云々ではなく、トルコの選手たちのキャラが立っていて愛着を持ちやすかったということだと思う。韓国選手の名前はなかなか覚えられなかったが、トルコ選手の名前はけっこうすぐに覚えることができた。そして、トルコには愛嬌があった。少なくとも、私の愛嬌センサーに訴えかけるものがあった。ブラジル戦の終盤、逃げるデニウソンを4人で追いかけ回したあのプレイは、愛嬌のある人たちにしかできないものだ。愛嬌のない人は、あんなことしないと思う。つまり愛嬌のある人というのは、どこか「放っておけない感じ」なことをするのである。ちょっと放っておけないでしょう、あの4人。そして人は、自分にとって「放っておけない」と感じる人たちのことを応援するのではないだろうか。それだけじゃないだろうけど。

 だいたい、あんなにダメだったハカン・シュクールが腕にキャプテンマークを巻いているというだけで、私はトルコを放っておけない。何か私にしてあげられることはないのか、と思ってしまう。だが私が何かをしてやるまでもなく、ハカンは最後の最後で自らを救ったのだった。キックオフから11秒後のW杯史上最速ゴール。素っ頓狂な大会のラス前を飾るにふさわしい、素っ頓狂なゴールだった。韓国もよく粘ったが、この1点でいきなりキャプテンらしい振る舞いを思い出したハカンの活躍と、アズーリが消えてからマダムたちの人気を一手に引き受けていた(?)イルハンの2ゴールもあって、2-3。試合後、負けた韓国の選手たちを引っ張って行って、一緒にスタンドへ向かって挨拶しているハカンの姿が印象的だった。あんたがそーゆーことするかね。泣いたカラスがもう笑った、って感じでしょうか。ハカン一笑。やはり、放っておけない。



6月28日(金)大会第23日の翌々日

 たしか朝日新聞夕刊のコラムだったと思うが、昔、私の敬愛してやまない宮沢章夫大先生が、「人生、いろいろである。」について書いていた。どんな文章でも、最後を「人生、いろいろである。」と締めくくると何か含蓄のあることを言っているような読後感を与えることができる、というような内容だったと思う。要は、「着地の仕方に困ったときの万能の結語」というようなことだろう。このコラムを読んで以来、私は仕事の原稿をそのように締め括りたい!という衝動と常に戦うことになってしまった。まだ実行したことはないですが。人生、いろいろである。

 さて私は今、「しかし、それを含めてサッカーなのだ。」について考えようとしている。これも、サッカー語りにおける「万能の結語」たり得るような気がするのだった。たとえば、ここ数日の日誌なら、こんな具合だ。

●リアリズムとファンタジー、勝利と快楽、手段と目的。それにまつわる堂々巡りの自問自答を永遠にくり返しながら、サッカーは続いていくのであった。しかし、それを含めてサッカーなのだ。

●オリバー・カーンというキーパーは、自軍ゴールを守護しているのではなく、すでに減衰しつつある、キャプテンシーという名のサッカー古来の美しい物語を「保守」しようとしているのではなかろうか。しかし、それを含めてサッカーなのだ。

●おっかなびっくり守っていたスペイン守備陣は、いつ襲いかかってくるかわからないレクター博士をおっかなびっくり探しているFBIの女性捜査官そっくりだった。今夜のドイツ×韓国を見るのが、私は怖い。しかし、それを含めてサッカーなのだ。

●あんなに素晴らしいサイドアタックのできる人間にPKを失敗させるなんて、神様は残酷すぎる。しかし、それを含めてサッカーなのだ。

●いまの日本文学が考えさせてくれるニッポンと、日本代表が考えさせてくれるニッポンは、似ているだろうか。似ていないだろうか。結局、サッカーのことを考えている。しかし、それを含めてサッカーなのだ。

●えっ、審判の判定? みんな怒ってるって? 何かあったんですか? ごめんなさい、見てませんでした。視野が狭いです。しかし、それを含めてサッカーなのだ。

●それにしても、ロナウどんの頭は、一体どげんしたとですか。ばってん、それを含めてサッカーなのでごわす。

 ……なかなかの万能感である。試しに、新聞・雑誌のサッカー記事の文末にこれを付け足して読んでみてほしい。あらゆる議論が丸く収まることだろう。審判問題だって、チケット問題だって、韓国を応援するのしないの問題だって、「しかし、それを含めてサッカーなのだ。」と言われちゃったら、もう何も言い返せない。「じゃ、まあ、そういうことで」と席を立つしかないのである。そして、もしかしたらこれはサッカーと関係のない文章にも通用するかもしれない。

●国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった。しかし、それを含めてサッカーなのだ。

 おお。あんがいイケるじゃないか。日本近代文学の名作が、厳寒のモスクワでの過酷なアウエー戦に臨むチームの奮闘を描いたルポルタージュと化してしまったかのようだ。川端でイケるなら、カフカや乱歩はどうだろう。『審判』と『屋根裏の散歩者』だ。

●誰かがヨーゼフ・Kを誹謗したにちがいなかった。なぜなら、何もわるいことをしなかったのに、ある朝、逮捕されたからである。しかし、それを含めてサッカーなのだ。

●多分それは一種の精神病ででもあったのでしょう。郷田三郎は、どんな遊びも、どんな職業も、何をやってみても、いっこうこの世が面白くないのでした。しかし、それを含めてサッカーなのだ。

 わけがわからないが、凄い。何が凄いって、小説の冒頭なのに、そこで否応なく物語を完結させてしまう闇雲なパワーが凄い。では、最後にこれはどうだ。

●春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。しかし、それを含めてサッカーなのだ。

「それってどれ」「しかしって何」というごくまっとうな質問をも封じ込めてしまう、この有無を言わせぬ迫力は何なのだ。こんなことを言われたら、「うむ」とか「はあ」とか「いとをかし」とか呟きながら静かに頷くしかないじゃないか。たぶん、夫婦喧嘩だってこれで収められる。

妻「仕事仕事って、毎日子供の世話してるアタシの身にもなってよ!」
夫「わかったわかった。でもさー、それも含めてサッカーなんだよ。うん」

 つまり、サッカーはすべてを含んでいるのである。そうとしか言いようがない。まるでブラックホールのように、あれもこれもそれもみーんな含みながら、サッカーは成立している。この包容力こそがサッカーの本質なのではないか……などと考える決勝戦二日前なのであった。人生、いろいろである。しかし、それを含めてサッカーなのだ。



6月27日(木)大会第23日の翌日

●ブラジル×トルコ(Semi Final)
 たびたびお邪魔するでごわす。薩摩隼人のルシオでごわす。ドリブルが三度の飯より好きでごわす。ばってん、フェイントとかはあんまりかけられないでごわす。猪突猛進でごわす。曲がったことは嫌いでごわす。ごわすって言ってれば鹿児島弁になると思い込んでいるでごわす。実のところ、博多弁と熊本弁と鹿児島弁の区別がついてないでごわす。きのうのトルコ軍は、ほんのごつ手強かったですたい。あげな早いパス回し、おいどんの故郷でも滅多に見たことないでごわす。ボールば取られんようにする手練手管もお見事じゃった〜。勝負ば忘れて、しばし見とれてしもうたぐらいですたい。おいどんも、最初は張り切ってドリブルしたとですが、わが軍の中盤があんまりキリキリ舞いさせられとるもんで、ほとんどゴール前に釘付けだったでごわす。ハカンどんが調子ば崩されとらんかたったら、どげなことになったかわからんでごわす。それにしても、ロナウどんの頭は、一体どげんしたとですか。

 ……などと異能のディフェンダーが呟いていたかどうかは知らないけれど、よか試合だったでごわす。わりとニュートラルな気分で見始めたのだが、キックオフから10分後には完全無欠のトルコファンになっていた。すげぇサッカー。90分間に「うわわっ」と何度うめいたことだろう。驚愕の嵐。♪キミがっ、望むならぁっ、ヒデキ〜。それは情熱の嵐ですね。そんなことはともかく、何でしょうか、あのピンボールマシンのような一糸乱れぬ高速パス回転は。どいつもこいつも球際に異様に強いし、キープ力も並外れている。両サイドのオーバーラップも流麗だ。そして、ハサン・シャシュのドリブルといったら! 変幻自在とはあのことだ。観客的(客観的の間違いではないです)には、あれ見ただけでチケット代のモトが取れるんじゃないだろうか。トルコ風シーマン(ルスチュ?)もすげぇGKだ。彼とカーンの超絶セーブ合戦を見たい、と思った。トルコは、とてもセクシーなチームだった。コーフンした。

 だが、しかし。勝つために必要なあらゆる条件を兼ね備えていたように見えるトルコには、唯一リアリズムだけがなかった。もしかしたら、自分たちのサッカーに酔いしれてしまったのかもしれない。あれだけ気持ちよくボールを支配し、仲間同士のイメージがばっちりシンクロしていたら、きれいに点を取りたくなるのも無理はないと思う。彼らは、「ブラジルを完璧に崩してゴールを奪う」ことに徹頭徹尾こだわっているように見えた。パーフェクトなオーガズムだけを欲しがっていた。だから、遠くから無理めなシュートを撃つことを頑なに拒絶し、より自由な選手を探してパスを回し続けた。頑固な快楽主義者たちだった。

 ロナウドは現実主義者だった。ゴールという最終目的だけをストイックに見据えていた。イクことよりもイカセることを考えていた。べつに「トルコ」からヘンな連想をしているわけではないが、今日は比喩がお下品だ。ドリブルの「ついで」に繰り出したような、意表を衝くトゥ・キック。きっと尋常ならざる高等技術なのだろうけれど、少なくとも素人目にはさほど美しいキックではない。たぶん本人にとっても、キック自体に快楽を感じられるようなプレイではないと思う。だって、先っぽで突っついただけだもぉん。おいおい。しかしロナウドは、目的のためには手段を選ばなかった。そして、ブラジルを決勝にイカセた。

 終盤、あまりにシュートを撃たないトルコに私はイライラした。撃て撃て撃たんか何やってんだこの意気地なし。そんなふうに毒づく私は、(少し前までの)日本代表の試合を見ているときの私にそっくりだった。けれど日本にも、どうせ負けるならこんなふうに負けて欲しかったとも思う。トルコが自分たちに「できること」をやり尽くしたかどうかは判らないが、少なくとも「やりたいこと」をやり尽くしてはいた。敗れた以上、試合として完璧ではなかったが、自己表現としては完璧だった。もっとも、トルコ国民がそれで納得したかどうかは判らない。サッカーを愉しむのは簡単だが、サッカーを飲み込むのは難しい。美しく勝利せよ、とクライフは言う。でも……と私は呟く。プロは結果がすべてだ、と辛口評論家が言う。だけど……と私は口ごもる。リアリズムとファンタジー、勝利と快楽、手段と目的。それにまつわる堂々巡りの自問自答を永遠にくり返しながら、サッカーは続いていくのであった。



6月26日(水)大会第23日

●ドイツ×韓国(Semi Final)
 サッカーが骨粗鬆症を患って悲鳴を上げていたようなこの大会が、骨太な両国のクリーン・ファイトによって救われた。そんなゲームだった。ドイツは少しも脅えていなかった。最後尾に最強のウルトラマンがどっしり腰を据えていると思えば、どんなモンスターも怖くはないのである。いくら戦闘機のミサイルが怪獣に通用しなくたって、最後はウルトラマンが地球を守ってくれるのだ! 結果、この新世紀ホラー・サスペンス劇場は、活劇ならではの伝統的かつポジティブなスリルを取り戻したのでありました。めでたしめでたし。

 序盤こそ韓国が押し込んだものの、ドイツはその間、机にかじりついてガリ勉に励み、相手のやり方を学習していたのかもしれない。学習を終えてからはテキパキとボールを奪い、ひたすら前線に解の公式(ハイボール)を供給し始めた。クインがドイツ人だったらオモロイやろな、と思った。韓国も幾度となくドイツゴールを脅かしたが、なにしろ相手はウルトラマンである。しゅわっち!と横っ飛びしたカーンの右手が、スペシウム光線のごとく赤い野望を粉砕したのだった。掛け値なしに、今大会のベストプレイ。大物スターたちが早々と退場していったこの舞台の上で、ひとりカーンだけが、最後まで大物スターらしいオーラを放っていた。「すげぇGKがいれば点は取られない」というマンガ的ファンタジーを現実化したという意味で、今回のドイツチームは画期的なサッカーを見せてくれたと言えよう。試合とは関係ないが、この「リアル若林君」から1点をむしり取ったアイルランドは本当にすばらしい。

 決勝点は、解の公式に当てはまらないものだった。最後の気力と体力を振り絞って攻め込んだ韓国の、一本のパスミス。いや、ミスと言うのは気の毒か。学習の成果としてのパスカットだったに違いない。絵に描いたようなカウンター。右サイドを駆け上がったノイビルに、韓国DFもよく体を寄せたものの、グラウンダーのボールはゴール前の空き地へ向かってフィールドをクロスしていった。この一対一に、休養日1日分の差が出たのかもしれない。そしてゴール前では、ビアホフとバラックの一対一の勝負が行われようとしていた。邪魔だぞビアホフ。というドイツサポーターの声が聞こえたかどうかは知らないが、瞬時に「やっぱ俺じゃイカンよな。これ、ヘディングできないしな」と思い直したビアホフが後輩に道を譲る。ここまでゴールを死守してきた韓国GK(どうして韓国選手の名前は覚えられないんだろう)だったが、最後の最後でカーンとのわずかだか決定的な差が出たというところか。セーブしたボールは、再びバラックの足元に吸い寄せられていった。運がいいとか悪いとか、人はときどき口にするけど、そういうことって確かにあると、サッカーを見ててそう思う。韓国に対して私は世間並みに終始フクザツな気持ちを抱いてきたが、考えてみれば、この骨粗鬆症大会が辛うじて熱気を保ったままファイナルまでたどり着けたのは、開催国が頑張ったからだと言えなくもない。赤いカルシウム。もし、このサプライズを起こしたのが他の国(たとえばチュニジアとか)だったらと想像すると、とても薄ら寒い気分になる。

 かくなる上は、私はドイツに優勝してほしい。理由はただ一つ。カーン組長が金色の「でっかい杯」を高々と掲げるシーンが見たいからである。やっぱ、カフーじゃマズいっしょ。おれ、ローマ嫌いだし。ハカン・シュクールだったら、もっとマズい。オリバー・カーンというキーパーは、自軍ゴールを守護しているのではなく、すでに減衰しつつある、キャプテンシーという名のサッカー古来の美しい物語を「保守」しようとしているのではなかろうか。



6月25日(火)大会第22日

 朝、セガレが「きのう歯医者さんに行ったら、虫歯、なかったんだよ」と言った。2週間ほど前、幼稚園の歯科検診で「未処置の歯があります。歯医者さんに行ってください」とジャッジされて以来、親子ともども「歯医者さんのキョーフ」におののいていたのだが、それは誤診だったらしい。しょうがないので歯磨き指導を受けていくらか料金を払ってきたそうで、無駄な出費を強いられたわけだが、まあ、「ある」ものを「ない」と誤診されるよりはマシである。ともあれ、どの世界にもミス・ジャッジはあるわけだ。だから仕方がない、とは思えないけれど。

 キョーフから解放されたセガレは、「幼稚園の歯医者さん、調子悪かったんじゃないの?」と余裕のコメントを発していた。さらに続けて、「ワールドカップも、トルコが強かったんじゃなくて、ニッポンが調子悪かったんだよ」と言う。こいつ、いつからこんな相対思考ができるようになったんだろう。ちょっと前まで、サッカーを見るたびに「どっちが強いの?」としか訊かなかったのに。「そうだね。ニッポン、調子悪かったね」と答えた後、でも試合までに調子を上げられるかどうかも実力のうちなんだよ、というセリフを飲み込んだ父であった。そんなことを言い始めたらキリがないことに気づいたからである。サッカーの試合は、理科室の実験とは違う。すべての条件を揃えて強さを客観的に比較することはできない。

*

 ゆうべ、『ハンニバル』という映画を見た。以前、WOWOWで録画しておいたものだ。フィレンツェの街でレクター博士に殺されるスリが、アルベルティーニに似ていた。とくに面白いところのない映画だった。たぶん私は、この映画の制作者が想定したターゲットではないのだろう。どうしてこの映画を作りたいと思うのかが判らない。もしかしたら----これは当てずっぽうで言うのだが----キリスト教が判らないと、こういう映画は判らないのかもしれない。でも、『羊たちの沈黙』は面白かった。どうして面白かったのだろう。活劇としてよく出来ていたからかもしれない。『ハンニバル』は、ホラー性が活劇性を上回っている。そんな感じ。私はサッカーも活劇であってほしいと思っているが、今回のワールドカップはちょっとしたホラー・サスペンスなのかも。ペナルティエリア内でPKを恐れておっかなびっくり守っていたスペイン守備陣は、いつ襲いかかってくるかわからないレクター博士をおっかなびっくり探しているFBIの女性捜査官そっくりだった。今夜のドイツ×韓国を見るのが、私は怖い。



6月24日(月)大会第21日の翌々日

 きのうは、さすがにサッカー以外の「心の栄養」が欲しくなった。偏食はよくない。こんなにサッカーばかり見ていたら、栄養失調になってしまう。なので、朝起きるなりCDを聴いた。べつに何でもかまわなかったのだが、手近にあった数枚の中からジム・ホールを選んでプレーヤーに放り込んだ。しかし無意識の力とは侮れないものである。4曲目にアランフェス協奏曲が入っていた。スペインのことを思わずにいられない。溜め息にも似たチェット・ベイカーのトランペットを聴きながら、ラウールのやるせない横顔を思い出した。最高のドリブル突破を台無しにされたホアキンの無念を思った。あんなに素晴らしいサイドアタックのできる人間にPKを失敗させるなんて、神様は残酷すぎる。

*

 午後、吉祥寺パルコブックセンターで仲俣暁生『ポスト・ムラカミの日本文学』(朝日出版社)を購入。なぜこんなガラにもない本を買ったかというと、著者の仲俣さんは私の友人だからである。どうでもいいことだが、私が生まれて初めて電子メールを送った相手が仲俣さんだった。当時、私の周囲で電子メールのアドレスを持っているのは彼だけだったのである。「届いたかどうか心配なので見たら返事ください」というバカバカしい文面だった。私に「ネットスケープ」なる画期的なブラウザーの存在を教えてくれたのも彼だった。「1.0は使えないから、2.0をダウンロードしなきゃダメだよ」というアドバイスが懐かしい。昔は、よく彼を含めた数人と集まって読書会なんてものを開いていた。同い年の彼の博識と見識には、いつも圧倒される思いだった。本書は、そんな仲俣さんの初の単独著書である(共著、編著はこれまでにもあったらしい)。タイトルどおり、春樹&龍登場以降の日本文学を読み込み、その世界を貫く縦糸を模索する試み。春樹&龍登場以降の日本文学を私はほとんど読んでいないのだが、それでも面白く読めた。ムラカミ以降の小説を読んでみたい、と強く思わせる本だった。本を読みたいと思わせる本はすばらしい。いまの日本文学が考えさせてくれるニッポンと、日本代表が考えさせてくれるニッポンは、似ているだろうか。似ていないだろうか。結局、サッカーのことを考えている。



6月23日(日)大会第21日の翌日

●韓国×スペイン(Quarter Final)
 こんにちは。ガイスカです。今大会、最後のラツィオ関係者です。一対一にとても弱いです。サイドにいると、何やっていいんだかわかりません。でも、負けたのは僕のせいじゃないです。僕なんか使うカマーチョが悪いんです。僕は僕なりに、自分が今シーズンやってきたサッカーを精一杯やったんですから。人間、できることしかできないでしょ? あれが僕の100%なんです。なんか文句あんのかこの野郎。だけど、僕なんか消えてたって勝てると思ってたんだけどなぁ。みんな、どうして点が取れなかったんだろう。えっ、審判の判定? みんな怒ってるって? 何かあったんですか? ごめんなさい、見てませんでした。視野が狭いです。

*

●トルコ×セネガル(Quarter Final)
 どうも、ハカン・シュクールです。ぜんぜん元気ないです。常に上の空です。みんなとも呼吸が合いません。たぶん、嫌われてるんだと思います。だから、たまにパスが来るとビックリしちゃうんです。観客席で、誰かが「あれやったら、ハカンやのうてアカン・シュクールやないか」って言ってるのが聞こえました。オーサカの人って、面白いこといいますね。引っ込んでからもベンチで上の空だったんで、ゴールデンゴールは見てませんでした。ほんとに勝ったんですか? ふうん。キャプテンなんかいなくても勝てるんですね、サッカーって。



6月22日(土)大会第21日

●ブラジル×イングランド(Quarter Final)
 うっす。ルシオでごわす。生まれは鹿児島でごわす。このあいだウエノに立ち寄り申したら、おいどんの銅像があったもんで、ほんのごつビックリしたですばい。きのうは、えげれすに勝ててホッとしたでごわす。オーウェンどんを見失ったときは、どうなることかと思ったでごわす。みんなに迷惑をかけてしもうて、その後は必死だったでごわす。コールどんがボールを寄越さんかったときは、危うく殴ってしまうところだったでごわす。ばってん、ロナウジーニョどんが頑張ってくれたお陰で、おいどんの失敗も帳消しになり申した。おいどんより、シーマンどんのほうが気の毒ですばい。次の試合は、あの人のぶんまで一生懸命やるでごわす。うっす。どすこい。

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●ドイツ×アメリカ(Quarter Final)
 よう。わしゃカーンじゃ。もうわかっとろうが、生まれは呉じゃ。メリケン組とのケンカはキツかったのう。あいつら、よう走りよる。昔のゲルマン組じゃったら、あんなもん手もなくひねっとるところじゃが、最近の若いモンは肝っ玉が小さくていかんわ。わしがおらんと、なあんもできんの。クローゼには、「逆立ちして頭でドリブルせぇ」いうて怒鳴りつけたんじゃがのう。わしもトシじゃけん、もうクタクタじゃ。ほいじゃが、わし以外にあのでっかい杯(さかずき)の似合う組長もおらんけぇ、あと2試合、がんばらんといかんね。



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※本誌の記述は原則として事実に基づいていますが、たまに罪の(たぶん)ないフィクションが混入している可能性もないわけではありませんので、あらかじめご了承ください。


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