edogawa's diary on 2002-2003 season #03.
|#02(7/10-7/16)|home|backnumber|mail|fukagawa|#04(8/18-)|






7月30日(火)20:20 p.m.

 先週のある晩、私は老舗出版社G社の友人と会いました。ボツになった企画の蘇生を図るためです。彼とは大学の同級生で、同じロシア語クラスでしたが、企画を持ち込んだのは私がロシア語で本を書こうとしていたからではありません。以前、私の本を読んだ彼が送ってくれた感想を読んで、深川という書き手が内心に秘めていた野心・苦労・達成感などを、行間からとてもよく読み取ってくれていると感じていたからです。私があの本を書く過程で何と戦い、それをクリアするのにどれだけの芸が求められるかということを理解してくれていると感じていたからです。それは、プロの編集者にしかできない読み方でした。どんな世界にも、職人が密かに自負している小さなコダワリを見抜く眼力を持った目利きがいるものです。そして彼はその晩、「あの本を読んだときから、書き手としてつかまえておきたいと思っていた」と言ってくれました。

 そんな彼ですから、もちろん、褒めるばかりではありません。私があの本でやれなかったこと、できなかったことを、それができなかった原因や事情を呑み込んだ上で、指摘してくれました。それが何であるのかはたいへん抽象的な話ですし、そんなことをここに書くのはバカのやることなので書きませんが、どうやら彼は、私が持ち込んだ企画では、また同じことになるのではないかと危惧しているように感じられました。はっきりとそう言ったわけではありませんが、私には彼の話がそのように聞こえたのです。そして彼は、「自分が深川に書かせたいのはコレではない」と言いました。私はうれしかった。その企画が売れる売れないではなく、書き手の芸をいかに磨いていかに表現させるかを考えてくれているように感じたからです。彼は最後まで、その企画が売れるかどうかについていっさい言及しませんでした。商売ではなく、仕事のことを考えていました。

 残念なことに、私がこの件でメールを送ったその日に、彼は別の部署への異動を会社から申し渡されていました。将来的にはその部署で書籍を出すことも可能だけれど、当面は新たに立ち上げる定期刊行物のプロジェクトで手一杯とのことです。

 私は、二作目を焦らないことにしました。実のところ、本格的にそう腹をくくったのは、その翌日に新興出版社G社の友人(こちらも同い年)と電話で話をして、似たようなニュアンスのことを言われた時点です。G社の友人とG社の友人の話は、もちろん異なる世界観・人生観・仕事観に基づくものでしたが、私には二人が同じことを言っているように思えました。それはつまり、あんたは仕立て職人として既製服ばかり作っていていいのかい?ということだったかもしれません。いや、実は彼らはそんなことを言っていたわけではなく、私が自分の無意識の中にあったものを彼らの言葉に勝手に投影して納得しているだけなのかもしれないのですが、ともあれ、私は私の小さなコダワリを大事にしつつ、いったい私はナニがしたいのかを自問自答しながら、(販売部も含めて)多くの関係者がそのコダワリを共有し、「売りたい」と思ってくれるような書き手になるよう、もっともっと精進していこうと思い始めたところです。私は今、生まれて初めて努力をしようとしているのかもしれません。


 そういうことなんですか、ソウマエ先生。



7月25日(木)22:45 p.m.

 どうもよく事情が呑み込めていないのだが、ラツィオが困ったことになっているらしい。お金がないので、セリエにチームとして登録させてもらえないということのようだ。意地悪な話だなぁ。「おまえはカネ持ってないから仲間に入れてやんない」なんて、人間の言うことじゃないよな。おれだったら暴れるね。はあ。それにしても。どうしてそんなに借金しちゃったんでしょうか。そんなに借金したのに弱いということのほうがモンダイなのだが、そんなことを言っている場合ではないのだった。なんでも、29日までに何とかしないとアマチュアに降格なんだとか。アマチュアっていう言葉を久しぶりに見た気がする。ガイスカ君もいいときにバルサに出て行ったよな。ネスタとかミハイロとかクレスポとかシメオネとかいるチームがアマチュアになってどうすんだ。どうすんだって、そりゃあ、あんた、優勝するしかないわな。うん。優勝だ。優勝確実。太鼓判押しちゃう。ちょっと嬉しいかもしれないな。アマチュアリーグが何試合あるのか知らないけど、まあ、1シーズンにチーム全体で800ゴールぐらいは取れるだろう。158ゴールで得点王のシモーネ君も含めて、世界新記録かも。すごいすごい。がんばれラツィオ。何でもいいから、ぜんぶ勝て。

 リンクフリーと書いてあったので、向井さんのバナーを貼りつけてみた。かっこいいなぁ。私もこういうの作ってみたい。顔は出さないけどね。えへへ。「リンク張りました」ってお知らせしちゃおうかなぁ。迷惑なだけだからやめたほうがいいですね。でも、向井さんもオウン検索でここを見つけちゃうかもしれないよな。ヤフーに行って「む、か、い、し、げ、は、る」って自分で打ち込んでる向井さんの姿って、あんまり想像したくないけど。でも、やってるね。ぜったい、やってる。……おっ、けっこうヒットすんじゃん、おれもまだ捨てたもんじゃないよな。なんだこいつ、江戸川春太郎? なんだよ「春」なんてつけちゃって、はは〜ん、さてはおれのことが好きなんだなこの野郎。憎いねどうも。どれどれ、はあはあ、サッカー日誌か。うん、おれもけっこうサッカーは好きだよ。ワールドカップも面白かったしね。トルコに負けたのは悔しかったよな。どれ読んでみっか、っておいおいぜんぜんサッカーのことなんか書いてねえじゃんかよ、ダメだなぁ、こいつ。……てなことになりかねないのが、インターネットの愉快なところなのだった。



7月23日(火)20:10 p.m.

 江戸川散策コースに矢野真紀 Official WEB SITEを追加したついでに、ふと「あの人の公式サイトなんて、きっと無いだろうな」と思い立って検索してみたら、あった。あるんですね。何がって、向井滋春 official home pageがだ。いやあ。けっこうびっくりした。学生時代からの私のアイドルである。向井さんのようにトロンボーンを吹ける人は、世界広しといえども向井さんしかいない。向井さんは、この公式サイトで日記をお書きになっていた。ちなみに矢野真紀も日記を書いている。公式サイトを作ったら、とりあえず日記だ。それが基本だ。ここは日記の国なのだ。日記があると散策のしがいがあるので嬉しい。あちこち巡回して、今日は自分しか日記を書いていないとわかったときは、わりと寂しいものだ。向井さんの日記を読んだ。向井さんもW杯に熱狂していたようで、なんだか嬉しかった。日本×トルコ戦直後のライブは、「全員攻撃的JAZZで大興奮」だったらしい。サッカーと関係があるのかどうかよくわからないが、いい話だと思った。



7月22日(月)21:10 p.m.

 きのう矢野真紀のステージをテレビで見ながら、どおゆうわけか「商売なんか糞喰らえだ!」と叫びたい気分になってから、なんだか無性に腹が立ってきた。われながら意味がよくわからんが、いまからロックンローラーにでもなっちまいたいような気分だぜシェキナベイベ。ま、そんなような腹の立ち方ってことだ。で、それから20時間ぐらいたっても腹が立ったままなので、「せーの」で怒ることにした。私のせいではない。矢野真紀のせいだ。でも、もしかしたら気温と湿度のせいかもしれない。


ignition !


 ったくよぉ。どいつもこいつも(おれも含めてだけどよぉ)売れるとか売れないとかそんな話ばっかりしやがって。「これはいま流行ってるから売れると思いま〜す」「みんなこれに興味を持ってるから売れると思いま〜す」「この人はテレビとかにも出てて有名だから本も売れると思いま〜す」「あの本が売れたからこの本も売れると思いま〜す」「ニーズがあると思いま〜す」「マーケットがあると思いま〜す」「お湯が沸いてると思いま〜す」「ま〜す」「ま〜〜〜す」「ま〜〜〜〜〜〜〜す」って、うるさいんだよ。聞き飽きたよ。吐き気がするよ。それであなたはナニがしたいんですか、だ。そんなにモノが売りたきゃ、キオスクで飴玉でも売ってろ。いっぱい売れて愉快だぞ、きっと。サッカー熱が冷めてるだぁ? ンなこと言ったら、今は「本熱」そのものが冷え込みっぱなしじゃねえか。それ沸騰させようと思って、おれたちゃ寄ってたかって年間6万点も本作ってんじゃねえのか? お湯の冷めたヤカンに興味がねえなら、出版なんかやめちまえって話だ。


Bomb !


 だいたい、その「ま〜す」に振り回されて、おれがこの十二年間にどれだけ売れねえ本の原稿を書いてきたと思ってんだ? 誰か一人でも、その「ま〜す」に責任取った奴がいたか? べつに「売れる仕事寄越せ」なんて言わねえよ。そんなもん、出してみなきゃわかんねえんだから、仕事があるだけありがてえと思って何でも書いてきたよ。売れなくたって、書いてよかったと思う本もいっぱいあったよ。売れるモン作るから楽しいんじゃねえんだよ。本を作るのが楽しいんだよ。著者とか編集者とかが「これ作りたい」って思ってるから、おれだってわくわくするんだよ。わくわくしなきゃ、他人の本の原稿なんか300枚も400枚も書いてらんねえんだよ。編集者がどうしても作りたいってゆうから10日間で560枚も書いて死ぬかと思ったのに15万しか貰えなかったこともあったよ。1枚267円強だよ。安いと評判の論壇誌の10分の1だよ。ハイライトしか買えねえよ。ハイライト560箱も買ってどうすんだよ。吸うんだよ。吸って吸って吸いまくるんだよ。タバコでも吸わなきゃやってらんねえんだよ。その本、実売1200部だったらしいよ。あのねおれたち社内報とか作ってんじゃないんだよってゆう話だよ。そんなこんなで死屍累々だよ。だけどおれ、「それ、売れないと思うし」って断ったことなんか一度もねえよ。一度もだよ。結果、おれはビンボーだよ。嗤いたきゃ嗤えよ。おれは泣くよ。ふざけんなよ。


Bomb ! Bomb !


 ……あー。すっきりした。つまり、あれです。どうして出版なんか仕事にしてるのかってことです。動機は何であれ、他の仕事じゃなくて出版を選んだわけでしょう? だったら「何が売れるか」ではなくて、「何を売りたいのか」をはっきりさせてほしいのです。予想ではなく意志を示してほしいのです。マーケットの温度だけではなく、作ろうとしている本の温度も計ってほしいのです。「今、そのジャンルは売れない」ではなく、「おまえの書く物は売りたくない」と言ってほしいのです。どうせ売れないなら、「売れると思ったのに売れなかった」より、「売りたいと思ったのに売れなかった」のほうが、納得いくんじゃないですか? 勝ち方も大事だけど負け方も大事だと思うんですよ私は。仕事って、そおゆうもんじゃないんですか? 仕事と商売は似てるけどちょっと違うんじゃないですか?


hyuuuuuuuuu............


 たかが売れるモン作っただけの奴がでかいツラしすぎなんだよ。
 ばかにカネ使わせたのがそんなに嬉しいかよ。


DokkuWaaaaaaaaaaaaaaan !!!!


 矢野真紀を聴けよ。




7月21日(日)21:20 p.m.

 ゆうべ、NHK『新真夜中の王国』を録画して、さっき見た。矢野真紀のライブを放送したからである。本誌を通じて矢野真紀を知って気に入ったという読者timさんがメールで教えてくれなかったら、見逃すところだった。なんて親切な人なんだろう。ありがとうtimさん! ネット社会も捨てたもんじゃない。

 矢野真紀は例によって、今までに見たどの矢野真紀ともニュアンスの異なる顔をしていた。表現者であることの歓喜と不安。もどかしさのようなもの。そんな一切合切を綯い交ぜにして発散していた。聴けたのは5曲。大きな翼、君の為に出来る事、名前、魔法、タイムカプセルの丘。すべてが名曲。真剣に聴いていたら、セガレに「あんた、矢野真紀好きだねぇ」と言われた。やのまきずき。たしかに私は矢野真紀好きだが、父親をあんたと呼ぶな。なんか、おまえ、クレヨンしんちゃんだけでなく、ちびまる子ちゃんも入ってないか?

 私が矢野真紀を希有な存在だと思うのは、歌っている彼女にナルシシズムをまったく感じないところだ。「歌より自分が好き」なそこらの歌い手と違い、彼女は自分よりも歌が好き。自己表現などという安っぽい目的のために、彼女はマイクを握っていない。だから、音楽をナメている感じがしない。歌さえあれば自分なんてどうなったっていいっ!とでもいうような迫力がそこにはある。ステージの上で、矢野真紀は歌を歌っているように見えない。歌になろうとしている。どうやったら歌そのものになれるのか、その方法を求めてもがいている。私にはそう見えた。全身歌手。そんな感じ。商売なんか糞喰らえだ! と、叫んでしまいたい。



7月20日(土)14:30 p.m.

 なるほどー。権力行使の背後にある強制力かー。その強制力のことを、人は「暴力」と呼んだり「実力」と呼んだりするわけでしょうか。例によって思いつきで言ってますが。「断ったらフクロ」は暴力で、「儲からんモンにカネは出せん」は実力だ。ヤクザは暴力団で、ケーサツは実力団だ。兄貴は柔道五段で、妹は三段腹だった。わかるかなぁ。わっかんねぇだろうなぁ。以上、かぎりなく私信に近い小部屋的ブツブツでした。モチベーション炎上の件は、「そう簡単に諦めんでも」的なメールも届き、ちょっぴり復旧。虎だ。虎になるのだ。

 『炎上するモチベーション』って、いいタイトルだな。
 何の本だか全然わかんないけど。……ロイ・キーンの自伝か?



7月19日(金)21:50 p.m.

 墜落、炎上したモチベーションの復旧作業は進まず。
 CL敗退後のリーグ戦って、こんな感じなのかもなぁ。



7月18日(木)21:00 p.m.

 脱力している。11月頃を目処に深川名義で出す予定だった2作目(W杯回顧モノ)の企画が、突然ポシャッた。出版社は5月の時点でとっくにゴーサインを出してくれていたのだが、販売面を担っている親会社が今になってストップを言い渡したのである。詳細は知りようもないが、「W杯後、世間のサッカー熱が急速に冷めている」というのが親会社販売部の言い分らしい。だから売れない、と。

 彼らがどんな温度計を使っているのかは知らない。たぶん、社外持ち出し厳禁の秘密兵器でもあるんだろう。その正確無比な温度計さえ駆使すれば、きっとベストセラーが続出するに違いない。すばらしい。すばらしすぎて涙が出そうだ。こんどは、その企画を私にゴーストさせてもらいたいものである。

 ともあれ、その温度計は、今回のW杯で一躍有名になった某国代表監督H氏の著書にさえストップをかけたというのだから、深川ごときの著書にOKなど出ようはずがない。どうせなら、「この書き手には魅力も才能もないからダメ」って言われたほうが、よっぽどスカッとしますが。「世間のサッカー熱が……」では、酔っ払ってチクショーチクショーと泣き喚きながら暴れる気にもならない。こっちは、冷めかけた熱の保温を企んでたんだから。お湯を沸かそうとしている人と、お湯が沸くのを待っている人とでは、ケンカにもならない。

 親会社の存在があるため、私自身、そういうこともあろうと当初から半ば予想していた面もある。このサイトの深川プロフィール欄で、2作目の予定を告知しつつ「ほんとうだろうか」と書いていたのもそのためだ。だから今日の午後、沈痛な声の担当編集者H君から電話を貰ったときは、「なぜだ!」と憤ることもなく、「ああ、やっぱり」という妙に落ち着いた気持ちだった。だが…………。嗚呼。チカラが入らん。世の中、甘くないっすね。

 っていうか、私だって身の程はわきまえているから、そう簡単に2作目を書かせてもらえるとは思っていなかった。翼くんのお陰で私のような者が著書を出せたというだけで、世の中は甘いといえば甘い。かな〜り甘い。しかし、いくら何でもそんなに人を甘やかし続けていいわけはないので、H君の立ててくれた第2弾の企画があっさり版元内部の会議を通ったと聞かされたときは、むしろ「ほんとにいいの?」と動揺したぐらいだ。それから数週間は、「そんなに甘くないだろ。まだ正式決定じゃないだろ」と思っていた。

 でも、W杯が終わり、H君は一生懸命にネタ集めをして私に送り届けてくれ、少なくとも私の中では「これは」と思えるタイトルも見えてきて、あとは私が構想をまとめて書くだけ、というところまで事態は進んでいた。H君の企画は、私の執筆意欲を猛烈にそそるものだった。期待に応えて面白いものを書き上げる自信もあった。そして私は、来月下旬からその執筆に取り組むことだけを楽しみに、いま抱えている仕事と格闘していたのである。ところが。モチベーション急降下。墜落。炎上。なにぃ、これから3週間で400枚書けだとぉ? 書きますけどね。ああ、書くともさ。

 それにしても。もう大丈夫だと思ってたから、あちこちに「2作目を書きま〜す」なんてホラ吹いちゃったじゃんか。あーあ。カッコ悪いよな。いちいち「やっぱポシャりました」ってメール出すのもバカみたいだよな。こういうことは、本が出来上がるまで人に言わないほうがいいんだな。編集部の企画だから、私がよそに持ち込むわけにもいかないし。ヤマちゃん夫人のおびちゃん、ごめんなさい。せっかく参考資料の本をいっぱい貸してもらったのに、参考にする場がなくなってしまいました。

 親会社の販売部に言いたいことは、山ほどある。しかし何を言ってみたところで、「商売」の二文字の前では、どれも青臭い書生のタワゴトだ。リスクを負ってカネを出す人の言うことが正しい。それが資本主義社会というものである。「虎」の掟である。せいぜい、「いつか偉くなって、おれの本を出さなかったことを後悔させてやるぜベイビィ」とか何とか、相手に聞こえないように小声でほざくぐらいのことしかできない。タワゴトの上塗り。私は脱力している。

 いつか必ず、今回思いついたタイトルで本を書いてやる! 必ずだ!!



7月18日(木)10:50 a.m.

 大学の学部や学科の名称が、古ければ古いほど短いというのはよく知られた話である。当初は一文字学部(法学部、医学部、理学部、工学部、文学部など)がスタンダードだったものが、やがて二文字(経済学部、教育学部、社会学部、看護学部、建築学科など)が多くなり、いまは三文字や四文字(よく知らないが、人間科学部、情報工学部、情報通信学科、情報社会学部比較情報学科、情報物理学部量子情報学科、台風情報学部進路情報学科、犯罪心理学部目撃情報学科、情報誌学部欄外情報学科、帰省ラッシュ時の交通情報学科、情……情……情状酌量学部、第一文学部、第二文学部、酒池肉林学部など)が当たり前になっている。どんどん正体不明になっていくわけだが、それはそれで学問にもいろいろ事情ってもんがあるんだろう。どうして私は四文字熟語というと酒池肉林しか思いつかないんだ。

 しかし、それにしたって、ドサクサに紛れて柔道整復学科ってことはないじゃないか。言わずと知れた帝京大学の話だ。いや、これを新設したがったのは、帝京平成大学だか帝京明治大学だか帝京森永乳業だか何だかそんなようなものだったかもしれない。よくわからん。ともかく、一連の悪行そのものにはさほど興味がないのだが、新聞を眺めていて、この六文字にはすっかり心を奪われた。新聞記者が、当たり前のようにさらっと書いていることが信じられない。だって、柔道整復学科だぜ。柔道で学問なんだぜ。道なのか学なのかよくわかんないんだぜ。いくら能面がイノチの新聞記事でも、「……が申請していた柔道整復(!)学科」ぐらいの表情はつけてもいいんじゃないのか。

 いろいろあって、この新学科は「作っちゃダメ」ということになったらしい。一連の悪行三昧と新学科の許認可のあいだにどういう脈絡があるのかよくわからないが、悪行がなかったら認可してたのかそれ、と思わずにいられない字面である。ハイそうですかと受け流すことなど私にはできない。こんな言葉を見せつけられたら、日誌だって長くなろうというものだ。だから今日も長いぞ。覚悟しとけ。

 まず、「整復」がわかりにくいです。見たことも聞いたこともない。しかし私もちょっとしかバカじゃないので、想像はつく。とりあえず整えて、それから元に戻すのだろう。私もたまに、そこらに散らばった本を整えて、本棚に戻すことがある。その行為を「整復」と呼んだことはないし、子供の頃、母親に「遊んでないで早く部屋を整復しなさい!」と叱られた記憶もないが、まあ、人はしばしば何かを整えて元に戻すものだ。そのお陰で私たちは辛うじてカオスから逃れている。だから「整復」はよかろう。そう呼びたければ呼びたまへ。問題は「柔道」との関係性だ。「柔道で整復する」のか「柔道を整復する」のかがわからない。「柔道を整復する」のなら、そんなもの勝手にしろ私は私で自分の脳を整復するだけで精一杯だという話だが、「柔道で整復する」となると何を整復するのかが気になる。

 なので、検索してみた。キーワードは「柔道整復」だ。勢い余って「今、キーワードは柔道整復だ!」と力強く叫んでみると、それがいったい今の時代に何のカギを握っているのか心許ない気分にもなるわけだが、検索とはそういうものである。叫ばなくてもいいけどね。でも面白いのでちょっとだけ叫んでみたら、いっぱいヒットした。どうやら「ほねつぎ」に関係することらしい。私はまだ会ったことがないが、世の中には「柔道整復師」が大勢いるらしいこともわかった。あー。「柔道整復家」でも「柔道整復業者」でも「柔道整復士」でもなく、「柔道整復師」だ。「師」はいいぞ「師」は。きのう肩書きについて書いた後、ちなみに文春で活躍中のホリイさんは何だろうと思って見たら「著述業」となっていてナルホドと思ったのだが、こうなると「著述師」も悪くないような気がしてくる。詐欺師や占い師と同じくらい怪しげなのがいい。さらに「自称著述師」としてみると、これはもう無敵の怪しさだ。

 日本柔道整復接骨医学会に行ってみた。米国柔道整復接骨医学会やカメルーン柔道整復接骨医学会が存在するのかどうか知らないが、日本柔道整復接骨医学会を英語で言うと「Japanese Society of Judo Therapy」だ。柔道セラピー。真面目にやっているのだから笑ってはいけない。つまり柔道整復師とは、柔道セラピストのことなのである。あんがい癒し系だ。なんだか、ちょっと優しそう。柔道整復は往々にして「柔整」と略されることもわかった。まだ世間に柔道整復の正体が認知されていない以上、略称をつけるのは時期尚早だという気がしないでもない。略称はしばしば排他的な空気を生じせしめるからである。「だって、おれたちってば柔整じゃん」と言われたとたん、そこには部外者を寄せ付けない壁ができるのだった。私も、「おれ、ゴーライだから」などと言わないように気をつけなければいけない。柔道整復師を「柔整師」と呼んでいいのかどうかということまではわからなかった。柔整師。やっぱり、ちょっと優しそうだ。ためしに「女柔整師」などと書いてみると、そこはかとなくセクシーでさえある。つい筆を滑らせて「女柔整師・薫の事件簿」なんてタイトルも書いてみたくなる。薫?

 それ以上は私も忙しいので調べていないが、ほねつぎと関係がある以上、たぶん柔整師たちが癒すのは相手の心ではなく体だろう。柔道で体を癒す。整えて、元に戻す。おかしな話だ。柔道は格闘技である。相手をやっつけるためにやるのである。痛いこともあるだろうし、怪我をすることもあるだろう。「やっつける」と「整復」はどうしたって相容れない。患者に背負い投げを食らわしたからって、いったい何がどう癒されるというのだ。おいおい、さっき大外刈りで怪我したのに、こんどは背負い投げかよ。また畳かよ。受け身取るのかよ。たまらんよ。やめてほしいよ。しかも、投げるやいなや寝技に持ち込もうとするのかよ。時間も計るのかよ。苦しいじゃないか。ちっとも癒されないじゃないか。あーあ、もう技ありだよ。何をしやがるんだよこの柔道整復師は。なんでガッツポーズ取ってんだよ。そうかよ。一本なのかよ。おれの怪我はどうなるんだよ。

 それとも柔道整復とは、「柔道で元に戻す」ではなく、「柔道で怪我をした人」を柔道以外の手段で元に戻す技術のことなのだろうか。同じ骨折や脱臼でも、ボクシングや野球でやった場合は戻せないのかもしれない。わりと不便だ。それに、どうして外科に行かないのかがわからない。外科にカルテが残ると何かまずいことでもあるのだろうか。もしかして、柔道による怪我を表沙汰にしないための秘密結社か?

 なんだか、どうも、柔道整復は印象として「閉じて」いる。柔道をする。怪我をする。柔道整復師が治す。また柔道のできる体になる。また柔道をする。また壊れる。また整復する。気を取り直して柔道をする。この出口の見えなさ加減といったらどうだ。どこまで行っても柔道しっぱなしだ。柔の道は果てしなく続くのだ。

 柔道の、柔道による、柔道のための柔道整復。あってもいいけど、大学で学問として教えるようなことかそれ。ともあれ柔道整復は、私の見たところ、結果的にはやはり「柔道を整復」しているのだった。私には関係がない。勝手にしてください。もし私の解釈が間違っていたら謝る。すまん。



7月17日(水)10:00 a.m.

 肩書きは厄介だ。勝手に「ジャーナリスト」にされてしまって困惑なさっているG先輩の身の上を思いつつ、そんなことを考える。私(深川)も一瞬、「サッカー評論家」にされそうになったのだが、私はサッカー評論家ではないし、サッカー評論家になりたいと思ったこともないし、あの本はたぶんサッカー評論ではない(むろんマンガ評論でもない)し、そもそも「評論」が何なのかよくわからないので、それは勘弁してもらった。困ったのは、その後だ。「じゃあ、何にしますか?」と尋ねられて、ん〜〜〜〜〜〜〜〜っと唸りながら、ふと「仮面ライター」などというろくでもない言葉を脳裏に浮かべたりなんかしているうちに、この話はうやむやになったからヨカッタ。なので、広告とかそういうところに肩書きはついていない。どうしても必要なものではなかったのだろう。プロフィールには「フリーライター」と書いてあるが、これって肩書きなんだろうか。単なる「状態」を指しているだけのような気もする。「女性誌、漫画誌等の編集者を経て、現在はカゼ気味」でも別にかまわん。

 ちなみに、日販『新刊展望』7月号のサッカー本特集で私の前に載っている2人のプロフィールを見たら、二宮清純さんが「フリーのスポーツジャーナリスト」で、平塚晶人さんが「新進気鋭のノンフィクションライター」となっていた。深川峻太郎さんはあくまでも「フリーライター」だ。生涯一フリーライターかも。「ジャーナリスト」と「ノンフィクションライター」はどう違うんですか。ノンフィクションライターはジャーナリストの部分集合? ブロードキャスターとかに出演するのがジャーナリストで、Numberとかで執筆するのがノンフィクションライターかな。いや、二宮さんはNumberでも書いてますね。まあ、いいや。私が悩む必要はない。世の中、私が悩む必要のないことだらけだ。

 でも、スポーツジャーナリストやノンフィクションライターの皆さんは、急にスポーツ以外の分野を取材したくなったり、フィクションを書きたくなったりしたら、どうするんだろう。ならないのか。生涯一スポーツジャーナリスト、生涯一ノンフィクションライターと決めているのか。うーむ。成り行きまかせ風まかせでない意志の強さを感じる。「いずれ煮詰まる」可能性を念頭に置いていないあたりが立派だ。私には、そんなにまっしぐらな生き方はできそうにない。いや、肩書きも成り行きまかせ風まかせにすればいいのか。それだけのことなのか。人生、いろいろである。しかし、それを含めて肩書きなのだ。意味不明。



|#02(7/10-7/16)|home|backnumber|mail|fukagawa|#04(8/18-)|
edogawa's diary on 2002-2003 season #03.