大会日程&結果

10月23日
韓国 2-0 イラン 日本 0-0 中国

10月24日
日本 0-0 イラン 韓国 1-4 中国

10月25日
中国 0-0 イラン 韓国 1-0 日本

10月26日
日本 0-1 イラン(3決)
韓国 0-3 中国(決勝戦)

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◇あとがき兼まえがき
2nd IBSA Asia Five-A-Side Football Championships
KOREA 2007 帰国翌日


 昨夜9時半に、成田に戻った。一夜明けて、いまは日曜日の午後6時前。ほんの30時間ほど前には、代表選手たちと一緒にソウルのロッテ百貨店で土産物など買っていたのだが、それがもう何週間も前のことのように感じられるのが不思議だ。この1年間、代表チームに金魚の糞のごとくつきまとい、アルゼンチン、ブラジル、韓国と渡り歩いてきた。神戸や筑波や八王子の合宿にも、毎月足を運んできた。その長い長い旅が、終わったような気分。来年は、北京パラリンピック以外に国際大会がない。再来年のアジア選手権(現時点ではイランでの開催が最有力)まで国際経験を積めない(つまり代表チームが試合をする機会がほとんど得られない)日本にとっては、強化の難しい期間になることだろう。難しいのは代表チームの強化ばかりではない。競技の「普及」の面でも、注目される舞台への出場を逃したのは痛手になるだろうと思う。そういう状況で、取材者としての私に何ができるのかを、これから考えなければいけない。いろいろなことが、仕切り直しになる。

 ロッテ百貨店では、地下1階の食品売り場で「チョルトパイ」を探すのに苦労した。選手の山口さんが、知り合いのおばちゃんに頼まれたお菓子だ。目の見えない人に土産を具体的に指定して頼むのもどうかと思うが、なんでもチョルトパイとは、「チョコレートがかかっているモチモチしたパイ」なのだという。それぞれの要素がバラバラで、イメージしにくい食い物だ。おばちゃんが指定するぐらいだから有名な食い物なのだろうと思うのだが、これがなかなか見つからない。どの店員に訊いても「チョルトパイ?」とポカンとされてしまう。いちいちポカンとさせるのがおもしろくて、みんなでゲラゲラ笑いながら探し歩いた。

 さんざん歩いたあげく、ケーキ売り場の若い女の子の店員が「ひょっとしてチャルトパイのこと?」的なことをいう。「チョルトパイ」と「チャルトパイ」はとてもよく似ているので、もっと早くわかってもよさそうなものだが、それは日本人の感覚なのだろう。私も駅で電車の切符を買うとき、窓口で「インチョン」「トウォン」と行き先を告げるたびに、怪訝な顔で「インチョン?」「トウォン?」と聞き返された。微妙に母音の発音が違うだけで、彼らにはまったく別の言葉に聞こえるようだ。まあ、われわれもたとえば「新宿」のことを「サンジョク」などと発音されたら何のこっちゃかわからんとは思うので、それはそういうものである。

 ともあれ、その店員が「それなら向こうの売り場にある」と指し示したのは、ロッテのお菓子が並べられた棚だった。これだけ探して、ロッテかよ。チャルトパイは、ロッテのチョコパイの亜種みたいなお菓子だった。笑ったよなぁ。せっかくだから私も買ってきて、ゆうべ食ってみた。わざわざリクエストまでして食べたがるおばちゃんの気持ちは、あまりうまく理解できなかった。

 大会期間中、このページで韓国側への文句ばかり書いてきたが、日本の関係者にも苦言を呈しておきたいことがひとつだけあった。前半を0-0で折り返した日韓戦のハーフタイムに、ベンチ裏の観客席から、ある選手に何だかんだと声をかけた応援者がいたのである。単に「がんばれ」というだけではない。緊迫した現場の空気を乱すような軽口や、前半のプレイに関する感想や評価のような言葉も、そこには含まれていた。たぶん、ふだん同じクラブチームでやっている仲間たちなのだろう。心配で、いろいろ言いたくなる気持ちはわからなくもない。軽口も、選手をリラックスさせようという気持ちで発したものだとは思う。

 だが、ハーフタイムは戦いのさなかにあるチームにとって貴重な時間だ。選手も監督も、後半戦を控えて、その短い時間をいかに有効に使うかを考えている。その時間を奪うようなことは、たとえ選手の親友であってもしてはいけない。次の25分でパラリンピック出場の可否が決まるという真剣勝負の最中に、半ば観光気分で足を運んだ友達に愛嬌を振りまいている余裕などあるわけがないのである。

 仮にその言葉が選手の実力を引き出し、勝つために有効なものだったとしても、それは本来あってはならないものだ。試合中のプレイに関する感想や評価や指示は(それを伝えるかどうかということも含めて)チーム内の監督や選手たちが判断すべきことである。ハーフタイムをどう過ごすかということも、そのチームの実力のうちだ。したがってチーム外の人間は、どんな形であれ、彼らと試合中にコミュニケーションを取るべきではない。私自身、試合前やハーフタイムのベンチでは、監督にも選手にもいっさい言葉をかけなかった。その「境界線」を峻別するのは、チーム周辺の人間にとって当然のマナーだろう。今回の大会は取材者や応援者の立ち入るエリアに関する規制がまったくなく、そんなところにプレスや観客が近づける(その気になれば相手チームのベンチ周辺もうろついて撮影することができた)こと自体がどうかしているわけだが、たとえ無能な主催者がそれを許していたとしても、やっていいことと悪いことはある。そこで行われているのは、小学生の運動会ではない。日の丸を背負った選手たちの、重い重い戦いである。プライベートなレクリエーションとは違う、「公」の営みなのだ。

 もちろん、代表チームの戦いだけがブラインドサッカーなのではない。ブラインドサッカーは、世界を目指すほど頑張れる視覚障害者のためだけに存在するのではない。仁川で一緒に食事をしたとき、JBFA理事の細川さんが、「頑張れない視覚障害者でも気軽にサッカーを楽しめるようにしたい」ということをおっしゃっていた。健常者は、グラウンドとボールさえあれば、まさに「プライベートなレクリエーション」としてサッカーを遊ぶことができる。そういう草サッカーとJリーグや代表レベルの試合は、実は一本の糸でつながってはいるものの、その距離はとてつもなく遠い。一方ブラインドサッカーの場合は、草サッカーと日本代表がすぐに手の届く距離にある。各クラブでは、初心者と代表クラスの選手が一緒に練習をしている。無論それは素晴らしいことでもあるが、そういう形で全体が内輪のサークル活動のような範囲内に収まっているから、試合中の代表選手にも気軽に声をかけてしまったりするのだろう。しかし世界のブラインドサッカーは、すでに、私的なサークル活動のような意識で取り組んでいたのでは勝ち抜けないレベルになっている。そこはしっかりと一線を引き、すべての関係者が代表チームに畏敬の念を持って接することが、選手たちにさらに強い自覚を促し、全体のレベルアップを図ることにつながるのではないか。そして、常に「内輪のサークル」の外からの視線を意識してもらうことが、私が担うべき役割のひとつだろうと思っている。


記・平成十九年十月二十八日(日)







◇戦い終えて日が暮れて
2nd IBSA Asia Five-A-Side Football Championships
KOREA 2007 最終日


 最終的な順位は、ご覧の写真のとおり。日本対イランの3位決定戦は、きのうまでノースコアの両チームが「せめて1点を土産に」と果敢に攻め合う好ゲームだったが、お土産を手に入れたのは残念ながらイランのほうだった。0−1で敗北。きょうになって判明したのは、イランがほとんど国家プロジェクトと呼べるほど力を入れてブラインドサッカーの強化に取り組んでいたということである。柔道や自転車など視覚障害者スポーツの優秀なアスリートを集めてチームを作り、1ヶ月間の合宿(しかも朝・昼・晩と1日3セットの練習)を2度も実施したという。にわかには信じがたい話だが、いまのところブラインドサッカーは、かなり「一夜漬け」の効く部分がある競技なので、これが本当なら上手くなるにきまっている。それにつけても最初の公式練習で見せた体たらくが理解できないが、あれは情報戦の一環だったとでも思うことにしよう。そんなに合宿練習に時間を割ける選手たちが、ふだんどんな生活をしているのかは謎。それぞれ仕事や学業に励んでいる日本の選手たちには、そんなことできるはずがない。国際大会への参加さえ、職場の理解を得るのに苦労する人がいるぐらいなのだ。そういう環境を変えるためにも、北京に行かなければいけなかったわけだが。

 決勝は、3−0で中国の勝ち。2試合とも中国に3点差で負けた韓国がパラに出場し、最強国を完封して勝ち点1をもぎ取った2チームが出られないのは、ほんのちょっと納得がいかないような気がしなくもないと言えなくもない(くどい)が、まあ、しょうがない。1点も取れなかった国は黙るしかない。韓国には、アジア代表として立派な戦い方をしてほしいと思う。「日本とイランはこいつらより下手なのか?」と思われたくない。その前に、大会の事務方には今回の数々の不手際を猛省してもらいたいですけどもね。いちばん笑ったのは、韓国対中国の試合前のセレモニーだ。中国の国歌斉唱のとき、あろうことか君が代が流れたのである。中国の選手たちが、「やべぇぞコレ」とでも言うように、胸に当てていた手をものすごく慌てて下ろしていたのが印象的だった。マシンのように動き、あまり感情もあらわにしない(ゴールを決めても優勝してもあんまり嬉しそうに見えない)中国の選手たちが、いちばん人間らしく見えた瞬間だったかもしれない。あれ、中国政府の耳に入ったら国際問題になるんじゃないかと心配だ。気をつけろよまったく。って、そんなこと日本人に言わせるなよな。

 ともあれ、日本にとって初めてのパラリンピック挑戦は無惨な結果に終わった。ちなみに、ブラインドサッカーがパラリンピック種目になったのは、前回のアテネ大会からである。だが、そのときは挑戦することもできなかった。ただし、それは日本の態勢が整っていなかったからではない。すでに日本はブラインドサッカー協会を作り、韓国に「パラ予選をやりましょう」と何度も持ちかけていたのに曖昧な反応しか得られず、そうこうしているうちに、どういうわけかIBSAが韓国をアジア代表に正式決定してしまったという。その後、日本の関係者が「幻のアジア選手権」と呼んでいる大会(日本・韓国・ベトナムが参加)が開かれ、日本はそこで優勝したのだが、この大会はIBSAの公認が得られなかった。そういうことが罷り通るぐらい、国際組織そのものが未熟な状態だったのだ。それを思えば、今回、正式にパラリンピックにチャレンジできただけでも大きな前進だと言えるだろう。もちろん、皮肉で言っている。韓国には、寛容の心でチャンスを与えてくれてカムサハムニダ……という捨て台詞を残していくことにしましょうかね。とほほ。

 夕刻、ホテルの部屋からこんな写真を撮っているときに、NHKのTアナウンサーから電話があった。私の10月17日の日誌をご覧になって、ブラインドサッカーを取り上げた「おはよう日本」(放送日を教わっていたのに間抜けな私が録画し忘れた番組)のビデオを貸してくださるとのこと。なんて親切な方なんだろう。で、日本ではアジア選手権の情報がまったく入ってこないとおっしゃるので、全試合の結果を重苦しい声で教えてさしあげた。「えっ、4位ですか……」と絶句なさっていた。それはともかくとして、NHKのような大放送局の人が私に電話しないと結果がわからないぐらい情報がないというのは、きわめて大きな問題である。公式サイトさえ用意していない主催者もいかがなものかと思うが、メディアが注目しないから運営者も自分たちの未熟さを自覚せず、そんなことで良しとしてしまうという面もあるに違いない。当たり前だが、世間の目にさらされると人は緊張する。たとえばテレビ中継されるようなスポーツイベントで、流す国歌を間違えるなんぞという初歩的なミスはまずあり得ない。つまり、取材する側が取材される側を育てる部分もあるということだろう。というわけで、これからもしっかり取材をしていこうと思った仁川の日暮れ時だった。

 とはいえ、今後のことを考えると気が遠くなる。なにしろ2010年3月にはW杯開催直前の南アフリカ(!)で障害者サッカー全般(視覚障害や知的障害など)の国際大会が予定されており、同年7月にはロンドンでブラインドサッカーの世界選手権が開催されるという。その前後の2009年と2011年にはアジア選手権(開催地未定)、2012年にはイギリス(都市名を忘れてしまったが五輪開催地のロンドンではないそうだ)でパラリンピック。私は一体どうするつもりなんだろう。とりあえず北京までのことしか考えていなかったので、茫然としている。入国当日から出国前夜まで、仁川は私を茫然とさせる街だった。

記・平成十九年十月二十六日(金)







◇明日もある。明日はある。
2nd IBSA Asia Five-A-Side Football Championships
KOREA 2007 3日目


 日韓戦のタイムアップから、まだ3時間半しか経っていない。いまの時点で、いったい私に何が書けるだろう。泣いている人の姿を泣きながら撮影したのは、生まれて初めてのことだった。取材者としては、レンズを向けてシャッターを切らざるを得ない。でも、ファインダーを正視できなかった。そういう私は、やはりまだ「ジャーナリスト」ってやつになりきれていないのだと思う。なりたいのかどうかも、よくわからない。ライターとジャーナリストは、ある人にとっては同じかもしれないが、私にとっては似て非なるものだ。

 試合開始前、私は取材仲間であるビデオカメラマンの北岡さんと、「第2PKが入るかどうかだね」という話をしていた。0−0で迎えた後半18分、その第2PKを得た落合(右上の写真)がボールに込めたのは、祈りだったのだろうか、願いだったのだろうか、それとも魂だったのだろうか。すでに帰国し、頬骨の治療を受けているはずのキャプテンに、何かを伝えているようにも見えた。だが、それが何だったのかは私にはわからない。何かが込められたボールは、無情にも枠を逸れた。背中に14番をつけた韓国の選手が第2PKを決めたのは、その1分後のことだ。韓国の14番は、試合中に負傷して、いったん担架で運び出されていた。しかし日本の累積ファウルが4つになり、すべてのファウルに第2PKが与えられる状況になると、足を引きずりながら再びフィールドに戻った。この大会で決まった韓国の第2PKは、すべて彼によるものだ。そして彼は、この試合で唯一のゴールを決めると、またベンチへ下がっていった。見事な「代打」だった。

 韓国1−0日本。それがこの試合の結果である。こちらへ来てから初めて、すべての選手が、自分の持っている能力と技術を、持っているとおりの形で見せた試合だった。足裏を巧みに使った鳥居の引き技、田中(智)の華麗なターン、強さとテクニックを兼ね備えた巨漢・天川のトリッキーなボールコントロール、そして、ブラジルのリカルドに迫るべく猛練習で磨き上げた、落合の流れるようなドリブル。いずれも、韓国の選手が誰ひとりとして真似のできないものだ。カウントしていたわけではないが、放ったシュートの本数は韓国の5倍以上あったような印象がある。的確なパスや、すばらしいタイミングでのサイドチェンジも幾たびか見られた。要するに、まったく負ける気のしない試合だった。しかし、ボールがゴールラインを超えないかぎり、サッカーは1つのスコアも与えられない。そういう競技であることを改めて思い知らされた。

 日韓戦の前に行われた第1試合では、1戦ごとに力をつけてきたイランが中国を完封し、ともに勝ち点を1つ増やしていた。韓国に2−0で負けたイランが、韓国を4−1で下した中国と引き分けるのだから、わからないものだ。スポーツイベントでは往々にして「大会に入ってから強くなるチーム」があるものだが、それがイランだったような気がする。ここで対戦順に関するタラレバを言うつもりはない。リーグ戦の結果(カッコ内は勝ち点)は、1位・韓国(6)、2位・中国(5)、3位・日本(2/得失点差−1)、4位・イラン(2/得失点差−2)。明日の決勝を待たずに、北京パラリンピックのアジア代表は韓国と中国の2ヶ国に決まった。「おれの作戦ミスや。勝たせられへんで、ごめんな」。ベンチで泣きじゃくる選手たちに、風祭監督はそう声をかけていた。荷物を片付け、重い足を引きずりながら体育館の外に出ると、昏い空から、仁川に来てから初めての雨が落ちていた。

 もちろん、これで大会が終わったわけではない。でも、明日の3位決定戦にどんな意味があるのか、いまの私には正直なところわからない。しかし、きっと、やることに意味のない試合なんか、世の中にひとつもないに違いない。選手たちには、プレイを通じて、その意味を見る者に教えてくれるような試合をしてほしいと願っている。

記・平成十九年十月二十五日(木)







◇日本 × イラン 韓国 × 中国
2nd IBSA Asia Five-A-Side Football Championships
KOREA 2007 2日目


 きのうは右手の小指を感電で痛めたが、きょうは試合中に左手の親指を切った。もちろん出場したわけではなく、フェンスにへばりついて写真を撮っていたときのことだ。選手が激突した拍子にフェンスを裏側で支える支柱が外れてしまったのだが、私のいたバックスタンド側には係員のような者はおらず、誰も直そうとしない。そのままでは次に激突したときに危ないので、仕方なくカメラを置いて直していたら、うっかり金具で切ってしまったのだった。まあ、この小さな傷で選手の怪我を未然に防げたと思えば大したコストではないが、あんなに脆いフェンスしか用意できないなら、誰かひとりぐらい配置しておきましょうよ主催者の人。いちいち忌々しい国だよまったく。

 日本国内のブラインドサッカー関係者の方々から「楽しみに読んでいます」的なメールやらミクシィのメッセージやらを多々頂戴していることもあり、詳細なレポートを書きたいのはやまやまなのだが、持ってきた仕事があまり進んでいないので、今日はそんなに長々と書いている余裕がありません。イラン戦は、残念ながら得点が奪えず、またしてもスコアレスドロー。写真は惜しくもGKに阻まれた落合の第2PKである。ほんとうに惜しかった。GKを褒めるしかない。これを含めて前半に3本あった第2PKを決められなかったのが悔やまれる。試合後のPK戦は3人(ブラインドサッカーのPK戦は3人なのだ)が蹴り終えた時点で1−1(日本は佐々木が成功)となってサドンデスに突入したが、5人目の加藤が決めて2−1で日本の勝ち。神様はいつも少ししか微笑んでくれない。少し笑うことを微笑むというのだから仕方ないけど、あした爆笑してくれれば許す。韓国のほうは、やはりドリブルロボ戦隊を止めることができず、4−1で中国の勝ち。第1も第2もPKなしで4得点はすごい(ちなみに韓国の1点は例によって第2PK)。あらためて、よくもまあ昨日の日本はロボたちを完封したものだと思う。来年の北京パラリンピックでブラジル対中国の対戦が実現したら、凄まじくおもしろいドリブル合戦になることだろう。パラ最大のショウになることは間違いない。ちょっと気の早い話をしてしまった。2日目を終えた時点で、成績はこんな感じ。

 1位  中国 勝ち点4 得失点差+3 総得点4
 2位  韓国 勝ち点3 得失点差−1 総得点3
 3位  日本 勝ち点2 得失点差 0 総得点0
 4位 イラン 勝ち点1 得失点差−2 総得点0

 すでにご案内のとおり、最終日の決勝戦に進出するのは1位と2位。この手の計算はとても苦手なので(どんな計算も得意ではありません)、イランが非現実的な途方もない大量得点差で中国に勝った場合のことを考えると放心して思考停止に陥るのだが、よそのことはともかく、日本は勝つしかない。第1試合でパラ開催国の中国が2位以上を決めていれば、第2試合で韓国を下した時点で決勝を待たずに日本の北京行きが決まる。と思う。シビれます。W杯予選(93年とか97年とか)の日韓戦よりもシビれるかも。とにかくまずは1点だ。われわれ応援者に必要なのは、神様に幸運をお願いすることではない。祈るのではなく、信じることだ。彼らの努力と、それによって培われた実力を、心の底から信じることだ。フットボールを動かす応援者の念力とは、そういうものではないかと思う。

 日本からの応援団は、きょうの夕方から続々とパラダイスホテルに集結しています。すでに、カトケンのご両親、大阪のゆかりさん、協会の宮島さんと細川さんにお会いしました。明日の晩、このホテルがほんとうにパラダイスになっていますように。……あ、祈ってしまった。

記・平成十九年十月二十四日(水)







◇韓国 × イラン 日本 × 中国
2nd IBSA Asia Five-A-Side Football Championships
KOREA 2007 1日目


 相変わらず、朝からロクなことがない。試合は午後からなので、そろそろ持ってきた仕事も進めようと思ってUSBメモリをMacに差し込んだら、書きかけの原稿をコピーしてくるのを忘れたことに気づいて茫然自失。愚妻に連絡して仕事場に行ってもらい、電話で手順を指示しながらメールで送ってもらった。すぐに送ってもらえる忘れ物だったことが不幸中の幸いとはいえ、慌てました。夜は夜で、ネットがつながらないのでLANケーブルの根っこ(ベッド脇のテーブルの裏側の暗がり)をいじろうとしたら、壁からはがれて剥き出しになっている電線か何かに触れて、ビビビビビッと感電してしまった。びっくりした〜。死ぬかと思った。ヤケドはしなかったが、ほっといて大丈夫なんだろうか。明日、試合に勝ったあと選手たちと握手しても平気だろうか。心配だ。とにかく、なんだかんだと呪われている。

 右上の写真は、開会式のプラカードガールたち。いや、75%はガールじゃねえか。ねえよな。プラカードガールとプラカードウィメン。……えーと、ウィメンはウィメンですよね? うんうん、たぶんウィメンだと思う。主催者は、中国に何か借りでもあるのだろうか。副キャプテンの天川さんは、「そういうことされると、ますます闘争心に火がつきますね」と、見えないのに腹を立てていた。ちなみに開会式は第1試合が終わってから行われたのだが、入学式みたいな挨拶がダラダラと続き、直後に試合を控えている日本と中国の選手たちにとっては迷惑以外の何物でもなかっただろうと思う。高校野球じゃないんだから、開会式に全員で整列する必要はなかろう。世界選手権では、監督と選手2人だけが入場行進をしていた。そのうえ、式次第が終わったあとも、背広姿のお偉いさんたちがフィールドに入ってきていつまでも選手たちと記念撮影をしているので、GKの田中さんが「ピゴネヨー!」とクレームをつけていて偉いと思った。その韓国語なら、このあいだ調べたから知っている。「疲れた!」だ。あらゆる意味で、選手のことを思いやった開会式ではなかった。記念撮影なんか、閉会式でやれよ。

 さて開会式に先立って行われた開幕戦は、写真のようなシーンの多い危なっかしい試合だったが、韓国が2−0でイランを下した。前半に第2PKで先制、後半早々に流れの中から追加点。スコア的には想像していたとおりの結果と言えなくもないのだが、そんなに実力差はない。というより、技術的には明らかにイランのほうが上。きのうの練習とは見違えるような動きを見せていたので驚いた。きのうは、そんなスピードでドリブルしてなかったじゃんかあ。あれは何だったんだよオイ。一方の韓国は、昨年ブエノスアイレスで見たときから何も変わっていないと断言できる。上積みゼロ。しかしその世界選手権でも、明らかに技術的には上の日本と2−2で引き分けたわけで、その勝負強さが韓国の韓国らしいところである。どこまでいっても侮れない人たち。

 左の写真は、きのうの練習中に頬骨を陥没骨折してしまった三原主将である。私が見るかぎり、昨年の世界選手権以降、日本選手の中でもっとも技術レベルの「伸び幅」が大きかったのが彼だ。ほんとうに、韓国の選手たちに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいほどドリブルが上手くなった。33歳の彼が、あれだけのプレイを身につけるために、そしてこの大会で勝つために、この1年間どれだけの努力をしてきたかと思うと、胸が締めつけられるような思いである。だが、たとえプレイできなくても、キャプテンとしての存在感は少しも失われていない。選手ミーティングでも、懸命にみんなの気持ちを高めていたそうだ。そして今日、落合さんは自分のシャツの下に三原さんのシャツ(青)を着込み、田中(重)さんは試合前の国歌斉唱のとき、GKジャージの代わりに三原さんのシャツ(白)を着て君が代を歌っていた。いつものように、とても大きな声で。私は、彼らの歌う君が代が、世の中で歌われる君が代の中でいちばん好きだ。いつも涙が出そうになる。

 中国チームは、練習を見た人たちから聞いたとおり驚くべき技術を身につけていた。ブラジルのリカルド(ブラインドサッカー界最高の高速ドリブラー)の7掛けか8掛けぐらいのドリブラーが何人もいる。ただし、基本的に、ドリブルしかしない。彼らのブラインドサッカーには「パス」という概念がないように見える。ブラインドサッカーとは「ドリブルするスポーツ」だと思っているのではないかと感じるぐらいだ。写真は中国のフィールドプレーヤー全員が縦一列になってしまった世にも珍しいシーン(シュート練習の順番待ちをしているわけではなく試合中)だが、いちばん前がドリブルロボ1号、最後尾がドリブルロボ4号である。ウソだけど、そんなふうに呼びたくなりました。なにしろ攻撃はひとりでやるのだから、パスしようにも相手がいない。4人でがっちり守り、ボールを取ったらその選手がぐんぐんドリブルで上がっていってシュートする。ほかの3人はまったく上がろうとしない。「行け、1号!」と送り出しっぱなしで、後ろを向いてぶらぶらしている人もいた。

 しかし、それはそれでブラインドサッカーの戦法として決して間違っていない。かつて日本がスペインを「4人守備」で完封したことがあったが、日本チームも今日の中国戦ではなかなか決定機を作れなかった。そして、ひとりでも決定機を作れるのがブラインドサッカーである。右に左にS字や8の字を描くドリブルに翻弄され、ぽっかりとシュートコースが空いてしまう場面が幾度となくあった。GK田中の落ち着いたセービングもあって何とか無失点で切り抜けたものの、日本もゴールを割れずスコアレスドロー。正直なところ、「負けなくてヨカッタ」という試合だった。この試合を守り切れたのは、やはりこの1年間でブラジルと(というかリカルドと)2度対戦したことによる経験が大きいと思う。リカルドと一度も試合をしたことがない韓国は、明日、中国の攻撃を止められるだろうか。

 試合後、意外なことにPK戦が行われた。そういうルールだとは知らなかったのだが、勝ち点や得失点差や総得点が並んで順位をつけられなくなったときのために、引き分けの試合ではPK戦をやっておくのだという。なるほど。結果は、佐々木のキック(左の写真)がGKとバーに当たってからゴールインするという幸運に恵まれ、1−0で日本の勝ち。こちらに来てから初めての幸運だったかもしれない。仮に中国と2位争いになった場合(そんなことにはならないと信じているが)、これが効く。こっちへ来てからロクなことがないのは日本チームも同じだが、私とは違って、チームには神様がようやく少しだけ微笑んでくれたような気がした。

記・平成十九年十月二十三日(火)







◇桃源
2nd IBSA Asia Five-A-Side Football Championships
KOREA 2007 大会前日


 大会の審判団(および私)の泊まっているパラダイスホテル仁川は、京仁線(1号線)の仁川駅から徒歩2〜3分。どうやら仁川は2009年に万博(City Expoと書いてあったから「都市博」だろうか)、2014年にアジア大会が開催されることになっているらしく、つまりは典型的な「成り上がり予定都市」という言い方をしてよかろうと思う。全体的にまだ作ってる途中という雰囲気で、ホテルの窓から見える港もこんな感じ。そういえば、サンパウロで泊まったあたりもこんな風だったような。なんだかブラインドサッカーに関わり始めてから、「ゴーゴー資本主義」的な成り上がり系の国ばかり訪れているような気がしなくもない。優勝したら来年は北京だし。


 これから応援ツアーでパラダイスホテルに来る方々のためにご案内しておくと、その仁川駅から2駅先が、選手団の宿泊しているホテル(および試合会場)のあるDowonという駅である。漢字では「桃源」と書く素敵な土地だ。運賃は、行きが1800ウォン、帰りが1000ウォンだった。不思議な国だ。たぶん、行きの切符を私たち(日本人審判の井口さんと一緒に乗ったのだ)に売った人が、間違えたか騙したかしたのであろう。タクシーの初乗りが1900ウォンなんだから、電車2駅で1800ってこたぁないよな。ちなみに韓国ウォンは7分の1にするとほぼ日本円になります。それにしても、きのうから「間違えたのか騙したのか判断しかねること」ばっかりである。そういえば、ホテルのフロントにいる日本語の堪能なお姉ちゃんに日本語の地図を見せながら試合会場への行き方を訊いたら、「漢字は読めない」と言いながらアレコレ調べた挙げ句、桃源駅のひとつ先にある道禾駅に印をつけやがった。念のため仁川駅前の案内所で確認したら「それは桃源よ」と教えてくれたので事なきを得たが、これは単なるミス(というか無知)だとはいえ、とにかく誰も信用できない国だ。いや、案内所にいる日本語の上手なおばさんは信用できるので、みなさん活用しましょう。写真は、選手団が宿泊しているホテル周辺の街並みの一部。私にはガラクタ置き場にしか見えない店のようなものが軒を連ねており、なんというか、まあ、桃源もいろいろだよね、と言うしかない。

 公式練習では、ついに神秘のベールを脱いだ中国チームが多くの関係者に衝撃を与えていた。間抜けなことに私が到着したときは終わっていたので聞いた話なのだが、ブラジル並みの個人技を持つ選手がゴロゴロいるらしい。おそらく地元パラリンピックに向けてガンガン強化に励んできたのであろう。おそるべき国である。GKの田中重雄さんによると守備の組織などはまったくできていないそうだが、どうやらこの大会の優勝争いは「韓国との一騎打ち」ではなかったようだ。中国と並んで「謎」だったイランのほうは練習を見たが、なんというか、まあ、とても楽しそうにサッカーをしていました。日中韓がそれぞれイランから何点取るかが順位の分かれ目になるかもしれない。ところで日本チームの練習では、重大なアクシデントが発生。キャプテンの三原健朗(上の写真の右で背中を見せている選手)がミニゲームの最中に加藤健人と衝突し、頬骨が陥没するという怪我を負ってしまった。病院に運び込まれて以降は情報がないので、容態は今のところ不明。風祭監督(写真左から2人目)が「あとワンプレーで(ミニゲーム終了の)笛を吹こうと思っていた」矢先の不運だった。

 公式練習終了後は、各チームのコーチ陣と審判団によるルール・ミーティング。きのうお知らせした試合日程が、また変更された。そもそも「韓国対中国」で開幕するスケジュールは韓国側が希望した(勝手に決めた)ものだったのだが、なぜか抽選を行うことになり、それで決まったのが左記の日程。会議出席者から聞いた抽選方法はいちいち書かないが、どの国もシードされていないにもかかわらず、韓国が開幕戦に登場し、最後は当初の予定どおり日韓戦になるというのだから、都合のいい抽選もあったものである。予想外に強そうな中国との開幕戦を避け、どう見ても「最弱」のイランとの初戦を引き当てた韓国の「強運」を羨むことにしよう。ホスト国のくせにクジを最初に引いたのは、アジアの礼儀としてどうなんだろうとは思いますけども。

 そんなわけで、初めて訪れた韓国の印象が良くなる要素がひとつも見つからない2日間ではあった。取材を終えてホテルに戻り、レストランで孤独な夕食を取っていたときもそうだ。キムチチゲ定食を「辛っ!」と思いながら食っていたら、店内にあるステージで、男女2人組が生演奏を始めたのである。男がキーボードを弾き、女がマラカスか何か振りながら、一曲ずつ交替で歌を歌いやがる。べつにそれぐらいかまわんだろうと思うかもしれないが、問題は、店内に客が私ひとりしかいなかったことだ。しかも、そうとは知らずステージ正面のテーブルに案内されるまま陣取ってしまっていた。まるで、8時半から始まるそのステージをものすごく楽しみにして来た客みたいじゃないか。いたたまれない。辛さが誘発するのとは違う種類の汗がたらたらと流れてきた。怖くてステージに目を向けられない。だって、目が合ったらどうすればいいというのだ。微笑むのか。微笑んだら、いちいち拍手しなきゃいけなくなるじゃないか。拍手したら、途中で帰れないじゃないか。私しか聴いてないんだから。だいたい、私の置かれたこの状況はいったい何事だ。なにしろ食っているのはキムチチゲ定食である。箸で定食を食いながら聴くものだろうか生演奏って。それも、英語のバラードばかりだ。とくに女のほうはゾクゾクするようなエロエロ唱法。おまえは青江美奈か。仁川ブルースなのかそれは。一刻も早く食い終えて帰りたかったが、キムチチゲ定食は辛いし熱いのでそんなに早く食えないのが難点である。キムチチゲ定食を頼んでこんなに後悔したのは生まれて初めてだ。食い終えることだけに集中していたので、味も何も覚えていない。ようやく食い終えて脱兎のごとく席を立った。私が店を出てからも、歌声はホテルのロビーに届いていた。パラダイスホテルにお泊まりの応援団のみなさまは、どうぞご注意を。

記・平成十九年十月二十二日(月)







◇決戦前々夜
2nd IBSA Asia Five-A-Side Football Championships
KOREA 2007 大会2日前



 韓国の仁川にいる。
 いろいろとデタラメなことになっている。

 北京パラリンピックの出場権をかけた第2回アジア選手権に出場するブラインドサッカー日本代表チーム(および私を含むもろもろの関係者)一行は、本日の午後、仁川国際空港に降り立った。ホスト国である韓国が用意したリムジンバスで、まずは昼食会場へ。とてもレストランとは呼べない巨大な食堂で、ビニール張りの床の上に座布団も敷かずに座り、みんなでプルコギを腹いっぱい食べた。まあ、旨い。東京で食えるプルコギと同等程度には旨い。

 食後、驚くべき事実が判明した。選手団の宿泊先が変更されたというのである。いや、向こうがそれを「変更」と認識しているかどうかはわからない。最初からそうだったのに、誤った情報を(故意か過失か知らないが)日本側に伝えていたのかもしれない。とにかく当初はパラダイスホテル仁川という特一級だか一級だかにランクされているという施設に泊まる予定で、だから私もそこを予約していたのだが、そこには大会の審判団が宿泊しており、規定で選手と審判は同じホテルに泊まってはいけないことになっているので、別のホテルになるというのだ。なに言ってんだいまごろ。

 とりあえず一緒に行ってみると、そこは、選手たちが神戸合宿で使用しているリンカーンホテルというふざけた名前のホテルと大差ない雰囲気のホテルだった。たとえば部屋には殺虫剤(パッケージにはハングルしか書かれていないので何だかよくわからないが蚊が仰向けに倒れているイラストが描かれているので殺虫剤なんだろう)が備え付けてある。殺したくなるような虫が出没するということであろう。リンカーンホテルの場合はカラオケ対策のために耳栓が用意してあるが、カラオケの騒音と害虫のどちらがより上等かは微妙なところだ。また、当然ながら部屋は狭く、選手の中には「スーツケースが半開きにしかできません」と苦笑している人もいた。ベッドの上以外に全開で置けるスペースがないのである。LAN回線らしきものは見あたらず、少なくともその点では、全室インターネット使い放題のリンカーンホテルに完敗している。私が投宿したパラダイスホテルのほうは、特一級ってほどのもんじゃねえだろうとは思うが、事前情報では有料だったLAN回線が無料なので助かったのだし、晩に1階のレストランで食った骨付きカルビスープ定食もかなり上等だったものの、結局またブエノスアイレスやサンパウロと同様、選手団のホテルに「通勤」するハメになったのでやれやれである。やれやれ。

 さて、急遽変更になったのは宿だけではない。なんと、大会の方式そのものが事前に聞いていたものとはまったく違うものになったのであるよ。こちらに来るまでは、明日(22日)から24日まで韓国・中国・イラン・日本の4ヶ国で総当たりのリーグ戦を行い、25日に準決勝(1位対4位&2位対3位)、26日に3位決定戦と決勝戦を行う予定だった。ところが来てみると、大会は23日開幕で、25日にリーグ戦を終えたのち、26日に3位決定戦(3位対4位)と決勝戦(1位対2位)を行うという。つまり、当初は総当たりのリーグ戦は準決勝の組み合わせを決めるためだけのものだった(3位や4位でも優勝できた)のが、いきなり「2位以内」が優勝の条件になったということですね。最初の3試合の重みが全っ然ちゃうやんか!

 まあ、アウェイとはこういうものなのかもしれない。嫌がらせでわざとやってるなら、まだ救いがあるとも言えるだろう。しかし実際は、単に物事の決め方が場当たり的で、基本的な事務処理(いわゆる「ホウレンソウ」)もまともにできないのではないかと私は勘繰っている。国際大会の運営能力ゼロ、という烙印を押されても文句は言えまい。そこで文句言ったら、わざとやってることになっちゃうからね。だいたい、日本チームの世話をする係の人間が韓国語しか喋れないってどういうことだよ。ブエノスアイレスでもサンパウロでも、日替わりで日本語のできる通訳ボランティアがついてたぞ。せめて英語ぐらい喋れ。私は喋れないが、日本側には英語の堪能な人が何人もいる。昼食後のホテル変更騒動のときなんか、たまたま食堂で働いてるおばさんが英語使いだったもんだから、その人をはさんで釜本理事長がクレームをつけていた。通訳の現場調達って、あり得ないだろそれ。ホスト国には、開幕前に反省会を開いてほしい。

 唯一の救いは、試合会場の体育館がサンパウロほど反響がなく、けっこう声や音が聞こえやすいこと。フェンスに当たったボールの弾み具合もあまりヘンなものではなく、選手たちもわりと好感触をつかんだようだ(右上の写真は、最初の公式練習でドリブルする鳥居健人選手)。ここで、明後日から、決戦が始まる。


記・平成十九年十月二十一日(日)







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