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◇新しいパートナー
BGM : Closer To You / J. J. Cale



 とうとうハーマンミラーのアーロンチェア(ポスチャーフィット フル装備・グラファイトカラー・クラシック柄・Cサイズ)を買った。買ってしまった。17年間愛用してきたスチールケースのセンサーチェアを3月に修理し、そのときは「今後も大事にしよう」と買い替えを封印したつもりだったのだが、そのセンサーチェアのガスシリンダーが(交換したばかりなのに)先月またイカレやがったので、スチールケースへの信頼感が急落すると同時に物欲に対する歯止めがパコーン!と吹っ飛んでしまい、その勢いで五反田にあるハーマンミラーのショールームに行って座ってみたらあまりにも座り心地がよく、そうなるともう、誰にも止めることなどできはしないのだった。それに、センサーチェアのほうは再修理させて自宅で使うつもりなので、これは決して無駄遣いではない。決して無駄遣いではない。決して無駄遣いではない。なにしろ椅子というものは、考えようによってはライターにとって最重要の商売道具なのだから、設備投資を惜しんではならないのである。

 きょう届いたばかりで、まだ各種レバーをこちょこちょといじりながら最適な設定を模索している段階だが、メッシュ素材の座面と背もたれは尻や背中がムレないので、この季節にはすンばらしく快適。肘掛けの高さや角度が調節できるのも思った以上に効果大だ。以前、アーロンチェアのデザインについて「ターミネーターやエイリアンみたいだ」などと悪態をついたこともないではないが、でもそんなの関係ねぇ。椅子のデザインなんか、座っちまったら視野に入らないもんな。

 ともあれ、「椅子が変わる」は物書きにとって最大級の環境変化と言ってよい。弱小チームに所属していたF1ドライバーがフェラーリやマクラーレンに乗り換えるようなものだ、というのはあまりにも大袈裟すぎる(というか、物書きの「マシン」は自分の脳味噌なので比喩としてきわめて不適切だ)し、椅子が良くなったからといってフェラーリやマクラーレンのようなスピードで原稿が書けると思ったら大間違いだが、まあ、ちょっとは生産性も上がるであろう。椅子のステイタスに負けないよう、がんばって書くぞー。がんばって書かないとヤバいんだぞー。だって8月はもう2週間しかないんだぞー。

記・平成十九年八月十七日(金)







◇両替
BGM : 頭脳警察セカンド



 旅行前の7月下旬に1ドル=121円で買った米ドルを、1ドル=114円で売った終戦の日である。うーむ。アメリカめ。

記・平成十九年八月十五日(水)







◇シジミ汁飲めばシミジミと
BGM : Vida / akiko



 盛夏、という言葉しか思いつかない賑やかな陽気である。時差ボケで弱った体には堪えるが、小学館のT氏が「時差ボケにはシジミが効きます。どうぞお試しを」と「あるある大事典」みたいなことを言うので、さっそくスーパーに走って(ほんとうはトボトボ歩いて)棚のシジミを貝アサリ、いや買い漁り、ゆうべ(今朝も)愚妻の作ってくれた大量のシジミ汁を飲んだら、気のせいか眠気のタイミングがやや正常化した感じ。きのうのこの時間帯(現在午後2時)はネムネムで何もする気にならなかったが、きょうは日誌を書ける程度に回復した。根が単純で暗示にかかりやすいタチなので、プラシーボ効果かもしれんけど。

 サンパウロへの出発前夜という慌ただしいときに、『THE DAILY YOMIURI』紙の取材を受けたのだった。いま、日本サッカーミュージアムで「みんな『キャプテン翼』だった」という特別展が開催されており、それに因んだ記事の中で、『キャプテン翼勝利学』の著者からコメントが欲しいというので、メールでの質問に回答したのである。記事は5日の日曜版に掲載されたので現物は入手しにくいと思うが、その本文はネット上で読める。むろんメールは日本語で書いたので、記事中の自分が英語で喋っているのは妙な心持ち。無理やり使うためにものすごい要約のされ方をして「これなら使わないほうがお互いのためだったのに」と思った『AERA』と違って、ヨミウリのほうはかなり丁寧に使ってくれた印象だが、それは回答を「喋った」か「書いた」かの違いによるところが大きいのかもしれない。私の場合、やはり書いたほうが言いたいことをちゃんと伝えられるので、取材を受けるときはメールにかぎりますな。しかし、ああいう本を書いた以上はそれなりの責任があるだろうと思うので(新聞社系のコメントは一銭にもならないのに)引き受けてはいるものの、もう「翼」のことを語るのは面映ゆい気分。今後はブラインドサッカーがらみの取材が来るようになれば、私にとってもブラインドサッカー界にとっても良いことなんですけどね。と、Fukagawa said.

記・平成十九年八月十二日(日)







◇時差と気温差と
BGM : Sonos / Paula Toller



 サンパウロから10時間かけて降り立ったワシントンで日誌を更新したのち、空港の食堂で監督や選手たちと(ブレックファースト・タイムなのに)ビールをしこたま飲んで愉快なひとときを過ごし、酔った勢いにまかせて風祭監督オススメの本格芋焼酎「風」をネットで注文したりなんかして、さらに13時間かけて成田に辿り着いたのは一昨日の夕刻のことである。やれやれ。疲労感はさほどでもないが、日本は夏なのでどうしたって暑さは堪えるのだし、やはり時差ボケはきつい。ゆうべは取材報告を兼ねて某サッカー誌I編集長&S君と会い、深夜1時まで、ビールやらライムサワーやらトマトサワーやらスイカハイ(スカイハイではない)やらパイナップルサワーやらといった(まず外国では口にできないという意味では実に東京らしい)ワケのわからない酒をしこたま飲んで酔っぱらっていたにもかかわらず、今朝の8時までまったく眠れなかった。午後2時に無理やり起きて蒸し暑さに耐えながら仕事場に行き、10日分の郵便物を片づけ、某社編集部から「著者が印税の配分率でゴネている」という不愉快な電話をもらい、「わしズム」夏号をようやく読んでこうの史代さんの作品に感動していたら、夜7時をすぎてようやく目が覚めてきた。完全にサンパウロ時間で生きている。きょうは何時に眠れるだろうか。ワシントンで注文した焼酎がさっき届いたのだが、これガブガブ飲んだら眠れるだろうか。

 聴いているのは、サンパウロのCD店で目立つところに積まれていた女性ポップシンガーのアルバム。直観のみのジャケ買いで、とくに「ブラジルらしさ」は感じないけど、しっとりしたオモムキで悪くない。ジャケットに偽りのない音楽。

 飛行機の都合で見ることができず残念だったが、ブラインドサッカーの決勝はブラジルがアルゼンチンを2-0で下した模様。今回はブラジルが図抜けていたので、予想どおりの順当な結果である。ロドリゲス不在でヴェロ頼みのアルゼンチンでは、ブラジルと互角に渡り合うのは難しかろう。日本が銅メダルを逃したのは、かえすがえすも悔しい。「4チーム中の3位」にどれだけの値打ちがあるのか疑問といえば疑問だが、今回は各大陸の王者&世界王者が招待された大会だったという意味ではコンフェデの3位ぐらいのステイタスはあるのだし、「銅メダル」という言葉が世間に与えるインパクトはやはり大きい。それによって注目度が高まれば、北京への切符がかかる10月のアジア選手権に向けてさまざまな追い風になったはずだ。そういえば現地で知り合った日本の陸上選手の中には、「参加選手が3人だったので銅メダル穫れました(笑)」という人もいたが、それでもメダルはメダルとして記録に残る。

 ちなみに全体の金メダル獲得数はロシアが1位。以下、ベラルーシ、ブラジル、スペイン、中国、キューバ、イランの順。ベラルーシはサッカーのB2/B3(弱視)でも決勝でウクライナを下して優勝している。そちらではブラジルが3決でスペインに0-4と大敗して4位に終わっているのだから不思議だ。どうして旧ソ連勢は視覚障害者スポーツが強いのだろうか。日本は25位(金1銀2銅4)。あのスポーツ大国アメリカが38位(銀2)というのが意外なところですな。アジアではイランが柔道やゴールボールなどで急速に台頭してきたらしく、こんどのアジア選手権にも初めてエントリーしてくるので不気味な存在である。

 きのう左の表紙写真だけアップしといたが、発売中の「SAPIO」に短い文章を書かせてもらっている。8人の書き手によるコラム集のようなページで、そのうち6人が使用している(というか特集のタイトルにも使われている)言葉をあげつらう結果になってしまったので、ケンカ売ってるように思われたら怖いなぁ、と、ちょっぴりドキドキしている。まあ、攻撃にはリスクがつきものですけども。どういうことか知りたい人は、買って読んでみてちょうだい。

記・平成十九年八月九日(木)







◇ワシントンにて



 右上の写真はいまの私の目の前の風景。外国の空港からアップロードできれば、もうモバイラーとして一人前というものである。経由地のワシントンで、T-mobileというやつに登録して無線でつないでいる。日本に電話してヤマちゃんにちょっと手伝ってもらったけどね。ヤマちゃんが調べてくれたところによると、日本の郵便番号は7ケタそのまま入力してもアメリカでは受け付けてもらえないそうなので、試しに4〜5ケタ目の「00」を省略して5ケタにしたらオッケーだった。ヘンなの。いまワシントンは朝の9時半で、成田行きの離陸が12時半ぐらいなので、暇で暇でしょうがないのだ。ともあれ、日本とスペインの3位決定戦は50分を終えてスコアレスドロー。延長戦はなく、すぐにPK戦に突入し、残念ながら0-1で敗れた。直接対決2試合を1勝1分と勝ち越した日本が4位で、ひとつも勝ってないスペインが3位って、それどうなのよ。しかしまあ、順位はともかくとして、欧州王者のスペインを100分間完封した日本の守備力は称賛に値する。あとは得点力を高めて10月のアジア選手権に臨んでほしいところだが、それより何より、いまは早く帰って味噌汁のみたい。

記・平成十九年八月六日(月)







◇ちょっとだけ観光



 べろんべろんに酔っぱらっているサンパウロのラストナイトなのだ。つってもまだ現地時間21時半やけどな。ホリデイインで選手のみんなとビール飲んで、自分のホテルに戻ってからも調子こいてブラジルのなんとかという強烈なカクテル飲んだからべろべろなのだった。ちなみに選手たちは明日も試合なのでちょっとしか飲んでません念のため。きょうはせんしゅたちも公式練習をキャンセルしてかんぜんオフ。おいらは午前中、ちょっとは観光もしとこ思って、セントロのセー広場とリベルターヂという東洋人街にひとりでブラブラ行ってきたのら。セー広場は家があるのか無いのか微妙なおじさんたちがぎょうさんおって、怖かったのれす。右上のしゃしんはそのちかくにある教会か何か。なんなのかはあとで調べる。しゃしんはとったものの、あとで現地の通訳ボランティアに「きょうはセー広場に行ってきました」と言ったら、「まさかカメラ持って?」といわれ、かなりでんじゃらすな行動をしてしまったのだということを知ったのだった。あぶねー。リベルターヂは、鳥居があったり招き猫が売ってたりして、できそこないの浅草みたいな感じだったのだ。



 というわけで、たこ焼きも売ってたし、「度胸」とか「自由と希望」とかわけのわからん漢字入りのTシャツも売ってたよん。「平安」とか書いた色紙を売ってる店もあった。なんやねん一体。さっきまで神戸在住の風祭監督と喋ってたんで関西弁がちょっとうつってまんがな。Tシャツ売ってたおじさんは46年前からこっちにいるらしい。本業は魚屋さんで、きょうは土曜日なので奥さんの仕事を手伝っているとのこと。62歳。「こっちは日本と違って自由なのがいい」と力説してはりました。日本もかなり自由だとは思うが、まあ、なにしろここはリベルターヂなので、それもよかろう。え、リベルターヂってリバティのポルトガル語じゃないんですか。よくわかりません。

 午後は選手たちといっしょに、ホテルから車で五分ほどのショッピングセンターに行ったのである。山口さんと落合さん(やっぱり鼻が折れてたけど痛みもなく元気いっぱい)を手引きしながら買い物の手伝いをしたのだが、どこにどんな店があるのかずーっと実況しながら歩かないといけないので、喉がカラカラになったのだ。なのでグビグビとビールを飲んで姉妹、いや飲んでしまい、したがってあっという間にべろんべろんになったんだよ文句あんのかこの野郎。こんだけ酔っぱらっててもこんだけ書けるおれってすごいなぁ。明日は3位決定戦が終わるやいなやホテルに戻って空港に向かうらしい。PK戦までもつれこむと乗り遅れる恐れがあるとかないとか。もひとつ勝って帰りたいです。結果報告は帰国後になるっちゃ。では、ボアノイチ!

記・平成十九年八月四日(土)







◇日本 0 - 2 アルゼンチン
第3回 IBSA 世界選手権 ブラインドサッカー1次リーグ




 いろいろなことがあった50分だった。

 アルゼンチンの先制点はエースのヴェロ(5番)。今回のアルゼンチンは、昨年の世界選手権で大活躍したルカ・ロドリゲスが(理由は不明だが)不在で、そのため絶妙のコンビプレイが見られないのが寂しいが、主将ヴェロの存在感は相変わらずである。スペイン戦でも後半残り5分に逆転ゴールを決めて長嶋茂雄的勝負強さを見せていた彼に、日本もやられました。前半15分、左CKからドリブルで中央に持ち込んでズドン。

 その数分後、なにやら理由はわからないがベンチからレフェリーに向かって猛烈な勢いで食ってかかっていたアルゼンチンの監督がピッチに唾を吐いて一発レッドの退席処分。ブラインドサッカー観戦歴1年で初めて目にしたレッドカードである。障害者スポーツが決して和やかなレクリエーションではないことを雄弁に物語るシーンだったが、唾は吐いちゃダメだ。体育館なので放っておくわけにもいかず、ボランティアの人がモップを持ってきて床を掃除していたのがおかしかった。まあ、監督がそんなことをしでかしてしまうぐらいアルゼンチンを本気にさせたのはすばらしいこと。じっさい、先制されるまでは「ひょっとしたらイケるかも」と思える戦いぶりだったのだ。

 しかし徐々に実力の差が見えるようになり、とくにフェンス際の1対1で日本はどうしても勝てない。また、ルーズボールへの反応やアプローチのスピードでもかなり遅れを取っていたように思う。すぐにボールを追うべきポジションにいる選手が、ベンチやGKからの指示を待っているのか棒立ちになる場面が目についた。指示なしで然るべき方向に迷わずダッシュできる人たちのほうがどうかしているとは思うが。

 そして後半15分、またしてもヴェロの個人技が炸裂。左サイドと中央のあいだを15秒間ぐらいうねうねと蛇行ドリブルし続け、日本守備陣を右往左往させた挙げ句にズドン。ブラジルのリカルドもそうだが、あの蛇行ドリブルをされると、いつの間にかDFが相手の後ろから追いかける形になってしまい、シュートを撃ったときにはDFがその背後でゴールと正対しているという悲しい状況になってしまうのだった。言ってることわかりますかね。

 ショッキングな事故が発生したのは、2点目のゴールの5分後だった。日本のゴール前で、落合がアルゼンチンの選手と正面衝突して転倒。おそらく相手の額が鼻を直撃したのだと思う。衝突して選手が倒れるシーンは決して珍しくない競技だが(というか衝突しないほうがどうかしているとも言えるのだが)、日本のスタッフ、ドクター、ボランティアなど十数人が落合を取り囲み、事態は深刻なことになっている様子だった。あとで聞いたところ、かなりの出血だったようだ。意識はしっかりあるように見えたが、担架で運び出されて病院へ。現時点ではまだ詳しい容態はわかっていないものの、どうやら鼻の骨が折れているらしく、頭も打っているので心配である。落合さん、きのうは最高の誕生日だったのに。それにしても、南米の選手は誰ひとりとしてヘッドギアを装着していないのだが、これは本当にルールで規制したほうがいい。自分が頭を打って怪我をするのは勝手だが、頭は相手を傷つける凶器にもなる。ヘッドギアどころか、「音はちゃんと聞こえるヘルメット」を開発して被らせてもいいぐらい危険な競技なのだブラインドサッカーは。

 ともあれ、怪我の手当で試合が中断しているあいだに、こんどは会場の照明が落ちて暗くなってしまった。GK以外の選手にとっては問題ないとはいえ、これではゲームにならない。そのため落合が運び出されたあともレフェリー・タイムアウトが取られ、いったん選手たちがベンチに下がる事態となった。

 再開後、アルゼンチンが立て続けに3本の第2PKを得て、その直前に田中(重)と交替で入ったばかりのGK箱守には気の毒な展開となったが、正面、バーの上、正面と1本も決まらず、0-2のままタイムアップ。第2試合でブラジルがスペインを2-0で下し、1次リーグは1位ブラジル、2位アルゼンチン、3位日本、4位スペインとなった。こうなると、3位決定戦なんか必要ないじゃないか!と言いたくなりますな。日本は現地時間5日の15時からスペインと再戦するわけだが、「ドローなら日本が3位」ぐらいのアドバンテージをもらわないと納得がいかない。  

記・平成十九年八月三日(金)







◇日本 1 - 0 スペイン
第3回 IBSA 世界選手権 ブラインドサッカー1次リーグ




 タイムアップから4時間。選手たちと別れてひとりホテルに戻り、ビールを飲みつつ食事を終えても、まだ興奮している。昨日の初戦、スペインは世界チャンピオンのアルゼンチンと一進一退の激闘を演じ、2-3で逆転負けしたとはいえ、欧州チャンピオンの風格(および例の勝負弱さ)を十分に見せつけていた。それより何より、スペインはブラインドサッカーの「母国」である。そのスペインに、日本が、勝った。いわゆるひとつの「歴史の目撃者」になったような気分だ。ブラインドサッカー界にとってはもちろん、日本のサッカー界全体にとっての歴史的一勝と呼べるのではなかろうか。呼びたい。呼ばせろ。

 この試合で唯一のゴールは、前半18分(ちなみに試合は25分ハーフ)。ゴール左45度、約8メートルの地点で得たFKを、チョン蹴りから落合がドリブルで運ぶ。相手のカベを左にかわして角度のない地域から左足で放ったシュートは、右ポストの内側に当たってゴールに転がり込んだのであった。カメラのシャッター押しながら吠えましたよ私は。結果、落合さんのガッツポーズはブレブレになってしまったが、写真はシロートだから別にいいんである。この際、吠えることのほうが大事。それ以降の日本は、守備の集中力が凄まじかった。スペインの巨人ドリブラー・ホセを、小柄な日本選手が3〜4人で(つまり時には全員で)雲霞のごとく取り囲んで封じる姿には、見ていて魂が震えたものだ。とはいえ、守ってばかりいたわけではない。むしろ流れの中での決定機は日本のほうが多かった。日本のGK田中重雄が脅かされたのは、終盤に与えた2本の第2PKだけである。なにしろ終了1分前と11秒前だった(ブラインドサッカーは時計が止まるので残り時間が電光掲示板に表示される)から、見ていて泣きそうになりましたけども。いや、シゲオさんが2本目を止めたときには、ほんとうに目に涙が滲んだ。

 終了後のロッカールームは、30歳の誕生日を自らのゴールで祝った落合さんを中心に、そりゃあもう大騒ぎ。私も風祭監督はじめみんなと抱き合って喜ばせてもらい、勝利のおすそわけをしていただいた。勝利が素晴らしいものだと頭では知っていたが、間近で見る勝利はほんとうに素晴らしい。

 今日の第2試合でブラジルがアルゼンチンを4-0(日本戦と同スコア)で下したので、2日目を終えた時点で日本は総得点の差で3位。明日のアルゼンチン戦に勝てば決勝進出である。ブラジルがもう1点取ってくれれば引き分けでもよかったんだけどなぁ。帰国便がその日の晩なので、決勝にコマを進めると日本に帰れないという噂もあるのだが、JBFA理事長の釜本団長(あの釜本さんのお姉さん)は「そうなったら決勝を3位決定戦の前にやるようにIBSAと交渉する」とおっしゃっていた。選手も頼もしいが団長も頼もしい。とにかく明日の一戦が楽しみである。(※右上の写真はシュートする田中智成選手)  

記・平成十九年八月二日(木)







◇ブラジル 4 - 0 日本
第3回 IBSA 世界選手権 ブラインドサッカー1次リーグ




 去年はブエノスアイレスで7-0だったのだから、敵地でこのスコアは大変な進歩である。スコアだけでなく、戦いぶりも8ヶ月前とくらべると格段に良かった。とくにキックオフからの十数分間は果敢なプレスで幾度となくボールを奪い、かなりブラジルを慌てさせていたように思う。あわや先制か!というチャンスもあった。惜しくも田中智成のシュートはポストを叩いたものの、すばやいカウンターは私を興奮させた。だけどリカルドはやっぱりすごいよ。4点のうち3点が彼だ。とくに最後の得点は、ゴールに背を向けたままのミラクルなヒールショットであった。まあ、考えてみれば彼らは常に晴眼者が後ろ向きで蹴っているような状態でゴールを狙っているわけなのだが、それにしたってなぁ。いいモン見せてくれてオブリガードって感じでした。ほかにもいろいろあったが、くたびれたので今日はこれでおしまい。試合の取材はものすごく消耗する。あと、きょうはホテルのロビーでどういうわけかキューバの柔道選手と握手をするという珍しい体験をして妙にうれしかった。ブラジルでキューバ人と握手することになるなんて、スポーツイベントってすばらしい。すんげえ手がでかくてびびったけど。ちなみに名前はジョアン・カルロス。世界に何人いるんだろうジョアン・カルロス。  

記・平成十九年八月一日(水)







◇ビーフ or チキンの日々



 早くも食い物に飽き飽きしているサンパウロ2日目だった。サンパウロといっても、選手団の宿泊しているホリデイ・インも私の宿泊しているホテルIBISもセントロから遠く離れた(「地球の歩き方」にも情報皆無の)北部にあり、右上の写真のごとく、周囲には旅行者が必要とするものなんか、なーんもないのである。きわめて殺風景で、ほぼ道路しかない地域といってよい。工事現場も多く、まだ町そのものが出来上がっていない感じ。したがってメシはホテルのレストランで食うよりほかにないわけだが、どっちのホテルもビュッフェしかなく、往路で計5回も食った機内食の延長みたいなもんばっかりなのだ。日によって微妙に料理は異なるとはいえ、なんかソースのかかった牛肉と、なんかソースのかかった鶏肉と、白いパスタと赤いパスタと、なんか豆を煮込んだどろどろしたものと、あと生野菜いろいろ&頭が痛くなるほど甘い例の茶色いデザート、といったラインナップであることに変わりはない。全体的に茶色いな。3食それなんだから、うんざりする。しかも私は選手団と食事を共にすることができない立場であり、孤食を余儀なくされているため余計につらい。心の底から「誰かと鍋を囲みたい!」と7月に思ったのは初めての経験である。

 なにしろ世界中の人たちが周囲にいて、いろんな仕草でいろんな言葉を喋っているので、ブラジルに来たにもかかわらずブラジル人の習性を集中的に観察するような環境にないわけだが、ひとつだけわかったのは「こっちの男の人たちは親指を立てるのが好き」ということだ。オーダーを受けたウエイターも、行き先を告げられたタクシーの運転手も、トイレの場所を教えてくれたホテルマンも、みんなサムアップ。なるほど、あれは別にラモスの個人的なクセではなかったのだな。笑顔で親指を立ててくれると、とても頼もしく見えて安心できる。私もこれから、締め切りを告げる編集者にはサムアップで応えることにしよう。安心安心。「安い心」と書いて安心。

 本日の日本チームは、午後4時から試合会場で練習。昨日は不慣れな環境でトラップ・ミスが目立ったが、今日はかなり慣れたようで、いつものプレイができている選手が多かった。しかし、やはり味方の声が聞き取りにくいらしい。練習終了後、選手たちが「まわりの音が消えた瞬間を逃さずにお互いの名前を呼び合わないとダメだな」と打ち合わせしていたのが印象的だった。さまざまな指示が飛び交うブラインドサッカーでは、フィールド上のスペースだけでなく、「音のスペース」を見つけることも要求されるわけなのだ。明日のブラジル戦は地元観客も多くて練習とはまた違った環境になるだろうから、かなり難しい試合になりそうである。そのブラジルの練習も見たが、ブエノスアイレスで彗星のごとく登場して人々を驚かせた17歳のリカルド君はもう18歳になったのか、すっかり大人びた風貌になっていた。最初は、それが本当にリカルド君かどうか自信が持てなかったぐらいだ。でも、ドリブルする姿を見れば、それは間違いなくリカルド君。あんなスピードでボールを運べる全盲の人は、世界にひとりしかいない。

 到着してからこっち、もらえるかどうか心配していたプレスカードがすぐに発行され、試合会場まで選手団を送迎するバスへの同乗も許され(車で1時間かかるのでタクシーだとえらい出費になる)、某誌編集部とのゲラ(PDF)のやりとりも無事に終わるなど、もろもろの懸案事項がノー・トラブルで順調に運んでいたのだが、今日はネットがつながらなくなって慌てた。24時間有効のカードを購入してそこに記されたパスワードを入力する方式なのだが、新しいカードを買ったら何度やっても「パスワードが違う」と言われてしまう。フロントに「ワタシ、アクセス、デキナイ。ナゼ?」と伝えると、ジミー大西似の気の弱そうな背の低い黒人が、道具箱を持ってヘルプしに来た。水道工事を頼んだわけじゃないから、道具箱は要らないと思うんだけどね。おれのMacBookをどうするつもりだおまえは。

 ジミー君は私とほぼ同等の英語力しかなかったが、それぐらいのほうが話は通じやすい。「イエスタデイ、アクセス。バット、トゥデイ、ノー・アクセス?」「イエス、イエス」とか何とか言いながら、2人でMacBookとしばし格闘。この場合、英語的には「イエス」ではなく「ノー」と答えるべきだったのかもしれないが、通じたのだから問題ない。言葉は通じることが大事だ。ジミー君がパスワードを入力してもやはり接続できず、結局は道具箱を開けないまま、別のカードと交換することに。新しいパスワードを入力したら一発でつながって、一件落着である。使わなかった道具箱をジミー君が私の部屋に置いたまま帰ろうとしたので、2人で笑った。しかし、ジミー君が「ソーリー、サー」と言って帰ってから気づいたのは、私とジミー君がタイプしていたパスワードの一部は「916」ではなく「9 l 6」(2文字目が「いち」ではなく「エル」の小文字)ではなかったかということだ。そうだそうだ、きっとそうに違いない。なんで最初に気づかなかったんだろう。「アイの大文字」では試してみたのに。ジミー君にいたっては、「1」だと信じて疑っていない様子だった。つまりは英語が苦手な2人の悲劇だったのである。っていうか、パスワードに「1」や「 l 」を使うのは国際法で禁止してくれ。  

記・平成十九年七月三十一日(火)







◇遥遥来たぜブラジル



 現地時間の深夜24時30分。サンパウロのホテルでこれを書いている。右上の写真は選手団の宿泊先で、私はそこから車で10分ほどの別の宿にいるのだが、なんにしろ、ぜんぜん現実感がない。出不精で旅に消極的な私が一体どうしたことかと改めて思う。成田から28時間半かかった。当初はシカゴ経由の予定だったがワシントン経由になり、30時間はかからなかったものの、去年のブエノスアイレス行きより90分ほど余計にかかっている。遠い。遠いよまったく。しかもその遠いところに(近い人たちもいるが)60を超える国から目の不自由なアスリートたちが(たぶん1000人ぐらい)集まっており、ホリデイ・インでは、ベネズエラ、トルコ、アゼルバイジャン、アルジェリア、韓国、アメリカ、キューバ、スペイン、フランス、ウクライナなどの選手団を見かけた。視覚障害者のオリンピックなのである。その賑やかな雰囲気に圧倒されてしまい、いろいろな意味で「別世界」にやって来たという感覚はものすごく強いものの、ここがどこなのかはもはやどうでもいい感じ。仮にここが北京やソウルだったとしても、同じように目眩がするだろうと思う。

 今日は到着後、ブラインドサッカー会場での日本代表の公式練習などを取材。選手たちは長旅の疲れをちょっとだけ見せながらも、よく声を出し、元気にボールを追っていた。本番を控えてテンションが上がっていく選手たちの姿を見るのはとても楽しい。ブエノスアイレスの世界選手権ではコンクリートのピッチに悩まされた選手たちだが、今回の競技場は体育館。反響して音が聞こえにくくなるので、ルール上は原則として屋外でプレイすることになっているんですけどね。じっさい、監督やコーラーの指示がグワングワンに反響しまくりで、何を言っているのかほとんど聞き取れない。この環境でボールから耳を離さないようにプレイするのは大変だ。ほかにもいろいろ書いておきたいことはあるが、くたびれたので寝る。ちなみにホテルでは、ビジネスセンターでしか使えないと言われていたネットが部屋でも使えたのでよかった。メールもふつうに受信できるのでよろしく。あと、私はまだ見ていないが「わしズム」夏号が発売されたはずなので、こちらもよろしく。  

記・平成十九年七月三十日(月)









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