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◇イカす師走天国(意味不明)
BGM : Stable / 吉田美奈子



 愚妻の母校が高校サッカー選手権の開幕戦で四国のチームに勝った。メンバーのなかには、セガレの所属するサッカークラブのOBもいるらしい。美術部OGである愚妻は、男子生徒の3分の1がサッカー部員であるという母校の現状をやや憂えてもいたし、やはり都立高校出身である私もその多様性の喪失具合はいかがなものかと思わなくもないが、まあ、喜ばしいことである。やってるサッカーも連動性に富んでいて面白かったし。それにしても、あの「東京B代表」という二流感の漂う呼び方は何とかならんのか。

 ゆうべ、「イカ天」の総集編番組をちらりと見た。当時は結構ハマっていたクチである。たまがマルコシアス・バンプの挑戦を退けてグランドイカ天キングになった場面など、かなりドキドキしながら見ていたので懐かしかった。そうそう、萩原さんだけマルコシに軍配を上げてたんだよな。この番組が放送されていたのは、平成元年から平成2年まで。私は25〜26歳で、勤めていた出版社を辞めてフリーになった時期だ。もっとも人生が荒んでいた期間だったような気がする。会社を辞めたのも、「約束された未来をぶち壊してやる」的なヤケクソというか捨て鉢というか、そんなような気分だった。そんな気分の醸成に「イカ天」が関わっていたというわけではないけれど、なんとなく、「自由」という言葉がまだそこそこの魅力を持っていた時代だったのかもしれない、という気がしなくもない。そういえば、試合のハーフタイムに流れた都立三鷹高校の紹介VTRでも「自由な校風」などと言っていたが、男子の3人にひとりが同じ部活やってる高校に「自由」とか言われてもなぁ、と、まあ、そんな感じ。大晦日に必死こいて原稿書いてるライターのどこがどう「フリー」なのかもよくわかんないけどよ。でも、私は私の人生を面白がりながら日々を暮らしている。ヤケクソもあんがい悪くない。来年(明日から)も面白く暮らしていきたいものだ。豊かさと面白さと、どっちが人間にとって面白いと思ってんだよ! と、誰にともなく文句をつけてみる年の暮れなのだった。

記・平成十九年十二月三十一日(月)







◇師走の崖っぷち
BGM : Bells / 吉田美奈子



 みそかである。来月中旬が締切の弁護士本はまだようやく資料の整理が終わったところで、つまり本来なら猛烈に追い込まれているわけなのだが、あと三十数時間で2007年も終わろうというとき(しかもみんな忘れていると思うが今日は日曜日だ)に仕事が捗るわけもなく、ところで私は今年1年なにをしとったのだろうかと思って日誌を読み返していたら、要するに仕事しかしていなかったような気がするのだった。仕事場や自宅はもちろん、井の頭線とかタクシーとか新幹線とかサンパウロとか仁川とか神戸とかいろんなとこで原稿書いたよなぁ。仕事以外で特筆すべき思い出といったら、ベランダでハトの孵化から巣立ちまでを観察したことぐらいだろうか。ひとりであちこち出張に行くばかりで、家族旅行もしていない。申し訳ないことだ。来年の夏休みこそはデラックスなバカンスを過ごすぞ。気の早い話だが8月は仕事をしないから各社の編集者諸氏にはそのつもりでいてもらいたい。もう仕事納まってるから誰も見てないと思うけど。

 来月中旬といえば、私の締切なんぞはともかくとして、もっとも大事なのは、ブラインドサッカーの第6回日本選手権が開催されることだ。1月12日と13日の2日間、飛田給(京王線)の東京スタジアムセカンドフィールド「アミノバイタルフィールド」で熱闘が繰り広げられることになっているので、いままで私の日誌だけでブラインドサッカーに触れてもどかしい思いをしていた人は、この国内最大のイベントにぜひ足を運んでいただきたい。詳細はこちらで。来年の話だと思って告知をしていなかったが、考えてみりゃ「再来週」のことである。正月返上で練習する選手も多いことだろう。私も、2日間の大会をみっちり取材するためには正月返上で仕事せにゃならんような気がしてきた。なにしろ、あと2週間で来月中旬なのだ。12月と1月はつながっているのだ。

記・平成十九年十二月三十日(日)







◇終わらない師走
BGM : Extreme Beauty / 吉田美奈子



 暖かい国へ旅に出ることもなく、自力で失意のズンドコ(きのうの日誌参照)から這い上がって、座談会原稿1万5000字をやっつけた。これで年内の締切は一応すべてクリアしたことになる。この1年間で、締切っていくつあったんだろう。締め切られてナンボの人生とはいえ、まあ、よく働いたよ。しんどいよ。こういう話をすると、すぐ「商売繁盛で何より」とか「売れっ子ですね」とか言う人が多いけど、そんなこと言ってほしいんじゃないんだよ。そんなに稼いでねえっつうんだよ。「うんうん、生きていくって大変だよね」って、テキトーにいたわって欲しいだけなんだよ。などと泣き言を垂れながら1年を振り返っている暇はないのであって、残り3日、できるかぎり弁護士本を書き進めておかなければならぬ。年賀状のことは、決して考えてはいけない。そして私は、叶姉妹が実の姉妹ではないことを昨日まで知らなかった。とてもびっくりした。

記・平成十九年十二月二十八日(金)







◇躓く師走
BGM : gazer / 吉田美奈子



 ヘコんでいる。

 私はふだん、いつ発生するかわからないMacのアクシデントに備えて、ものすごくマメに原稿をセーブする男である。もちろん、機械にペースを乱されるのはイヤなので、自動保存なんぞというシロート臭い機能は使っていない。いつ保存するかは私が決める。言っておくが、その頻度は1センテンスごとなどという生易しいものではない。今も、ここまでの段階で10回ぐらいセーブした。手が休まるたびに「コマンド+S」を押すのが癖になっているのである。

 ただ、なかにはセーブを後回しにしがちな仕事がないわけではない。いま取り組んでいる座談会の原稿がそうだ。というのも、この仕事は「切った貼った」の世界なのである。きちんとリライトする前に、テープ速記の不要な部分を削ったり順番を入れ替えたりするわけだ。右手でマウスを握りしめ、左手でdeleteキーやら「コマンド+x」やら「コマンド+v」やらをちゃかちゃか押しているので、ついセーブをサボりやすいのだった。

 しかし、だ。それにしたって、ふだんはこんなにセーブせずに作業を続けることはない。たぶん、北向きの部屋は手がかじかむほど寒いので、いささか横着な気分になっていたのだろう。でもさ。ちょっと魔が差しただけじゃん。なにも、そろそろセーブしようと思って親指をコマンドキーに置いた瞬間を狙いすましたように部屋のブレーカーが落ちなくてもいいじゃないかと思うんだよ私は。いきなり「ばつん!」とか言ってんじゃねえよ。勘弁してくれよ。頼むよ。そりゃあ、エアコンとオイルヒーターと温風くんを同時に稼働させてたけどさ。手がかじかむほど寒いんだから仕方ないじゃないか。それに、昨日は大丈夫だっただろ? え? 昨日は温風くんが「弱」だったの? 「強」にすると落ちるわけ?

 で、ブレーカーを上げて電気が戻ったら、あちこち削ったり、がちゃがちゃに入れ替えたりした原稿が、すっかり元に戻っていたというわけだからヘコんでいるのである。嗚呼。どういう流れにしようとしていたのか、もはや思い出せない。今すぐ旅に出てしまいたい。どこか、暖かい国へ。

記・平成十九年十二月二十七日(木)







◇師走の小休止
BGM : 愛は思うまま / 吉田美奈子



 吉田美奈子のアルバムはいつだって「中身で勝負」なのであり、これほどジャケ買いというものを拒絶する女性シンガーを私はほかに知らない(矢野真紀もかなりそれに肉迫しているとは思う)が、そのポリシーの極北にあるのがこの「愛は思うまま(Let's Do It)」なのだった。何でしょうか、この写真は。収録されている音楽をまったくイメージさせない。拒絶というより、ケンカ売ってるみたいだ。でも中身はすばらしくチャーミング。

 天皇誕生日とクリスマスイブに、久々の連休を取った。23日はセガレのピアノ発表会@杉並公会堂小ホール。ピアノの発表会というもの自体が私にとっては初体験だったが、「メリーさんの羊」からベートーベン「悲愴」まで聴けるという何とも贅沢なプログラムだ。考えようによっちゃ凄まじい音楽イベントである。20人中の16番目に登場したセガレは、モーツァルトのピアノソナタ15番第1楽章を演奏。出かける直前まで、茶の間で呑気に本なんか読んで練習しようとしないので「大丈夫かコイツ」と案じていたのだが、あの男、父親と違ってほんとうに本番に強い。もちろん練習で弾けないところは本番でも弾けなかったし、ミスも何カ所かあったものの、綻びをテキトーに誤魔化しつつ最後まで落ち着いたテンポで堂々と弾ききりやがった。まるでピアノの弾ける子みたいだ。いやピアノの弾ける子なのか。そのへんがよくわからない。忙しくて練習する姿をほとんど見ていないので、急に化けたように感じてしまう。そういえばサッカーのボール・リフティングも、いつの間にか90回近くできるようになったらしい。知らないあいだに、子供はどんどん成長するのだった。でも、サンタさんの存在はまだ信じている。

 24日は愚妻の実家でクリスマス会。セガレは祖父母からプーマのGKグローブをプレゼントされてご満悦であった。手首のところにブッフォンのサインが入っているやつ。サッカーのほうはカカトを痛めているせいで最近はキャッチングの練習ばかりしているらしく、なんかもう、GK道まっしぐらな感じになっている。突き指のリスクを考えると、ピアノとは両立しにくいような気もするが。

 きのうの25日は午後3時から全日空ホテルで「わしズム」の座談会を取材。いや、いまはANAインターコンチネンタルホテル東京っていうのか。言うのも書くのもとても面倒臭い。略称を考えないと、みんな「全日空ホテル」と呼び続けるに違いない。とはいえ「アナホテ」ではモンダイがあるし、縮めすぎると「アホ」になってしまうので難しいところ。取材終了後、小林編集長と立ち話した際に、このあいだ書いた特集用の原稿を「おもしろかった」と言っていただき恐縮。小林さんのような偉大な表現者に、書いたものの良し悪しを評価していただく機会を得られるのは、それだけでとてつもなく幸運かつ幸福なことだと思っている。こんなにプレッシャーのかかる仕事もほかにないけれど。

記・平成十九年十二月二十六日(水)







◇師走に飽きてきた
BGM : Spangles / 吉田美奈子



 ふと気づけば1週間も更新が滞っていた。以下、その間の行状

●金曜の朝、神様のお導きを得られないまま「わしズム」の特集用原稿を無理やり書き上げ、不納得な気分でとりあえず担当者に送稿。2時間だけ仮眠して高田馬場へ。ブラインドサッカー日本代表・落合選手にインタビューを4時間。終了後、「わしズム」担当者から電話。原稿おおむね良いのだが、ちと書き直しが必要とのこと。やっぱりなぁ、どうしようかなぁと淀んだ気持ちを抱えたまま、落合選手と共にブラインドサッカー関係者の忘年会になだれ込む。寝不足でぼろぼろだったが、各チームでサポーターなどしている二十歳そこそこの娘さんたちとお酒が飲めてご機嫌。いまの大学生は「飲み放題」のことを「のみほー」と略すことを知る。ちなみにイントネーションは「悪法」ではなく「よど号」と同じ。

●土曜日は神戸。三宮で、JBFAの細川事務局長、風祭監督、GK田中選手と飲む。のみほーの店で監督が飲むとどうなるかは、ちょっとここには書けない。初めて訪れた三宮は、ルミナリエなるイベントの真っ最中だったせいか、凄まじい人出だった。歩いている女性たちの美人率が東京より圧倒的に高くてご機嫌。

●日曜日は国立神戸視覚障害センターで、ブラインドサッカー審判講習会&ワンデイ・カップという個人参加の大会を取材。その試合で、講習会参加者に笛を吹いてもらおうというわけである。審判講習会には10名が参加し、終了後は半分以上が協会に審判登録をしていた。頼もしい。協会関係者の地道な広報活動の成果だと想像するが、ブラインドサッカー、じわじわと関心が広がっている印象がある。

●月曜日から火曜日の夕刻までは、完徹で「わしズム」の座談会原稿。なにしろ4時間もテープを回したので、えらく苦労した。4時間やると、薄い新書1冊分ぐらいの分量になるのだ。それを1万4000字で整理するのは大変なのだ。

●きのうの水曜日は、特集用原稿の書き直し。いちおう納得のいく状態にはなったと思うが、最後まで神様は現れず。

●木曜日(本日)は、さっきコラムのゲラに手を入れてファックスで編集部に戻したところ。特集用原稿のほうはまだOKをもらっていないが、とりあえず「わしズム」はこれで一段落……と思いきや、座談会をもう一本やるとのこと。25日に取材して28日までに仕上げろというのだから鬼である。できれば2時間以内で収めてほしい。それはそれとして、そろそろ弁護士の単行本にも着手しなければいけない。でも今日はもうくたびれたので、これから髪の毛を切りに行くのだ。マッサージもしてもらうのだ。

記・平成十九年十二月二十日(木)







◇師走の迷走
BGM : 扉の冬 / 吉田美奈子



 上のタイトル、ATOKによる一発目の変換は「師走の名僧」と来た。まさか季節感センサーがついているわけでもあるまいが、まあ、なかなかのものである。しかし大晦日の鐘の響きに思いを馳せている場合ではない。オシムさんは「考えながら走れ」とおっしゃったそうだが、私は迷いながら走っているのだった。ネタから自分で考えるコラムも簡単ではないが、編集部からフィードされたネタで書く「課題作文」にはまた違った難しさがある。「これで書けなきゃ別のネタ」という逃げ道がないぶん、心理的プレッシャーがでかい。こういう仕事こそ頭の回転の速さが求められるのだろうと思うが、あいにく私の頭は、たぶんLPレコードを載せると女声が男声に聞こえるほど回転が遅いのだ。吉田美奈子を載せたら、誰に聞こえるだろうか。細野晴臣だろうか。よくわからない。そんな吉田美奈子はイヤだ。ともかく、あっちに行ってもこっちを向いても壁ばかりで、方向転換ばかりしている。どこかに必ず突破口があるはずなんだけどなぁ。しかしまあ、こういうときは神様のお導きをじっと待つしかない。もちろん名僧でも可。

記・平成十九年十二月十三日(木)







◇「師走力」というタイトルはどうか
BGM : Twilight Zone / 吉田美奈子



 ゆうべ、家族そろって浦和 × セパハン(クラブW杯)をテレビ観戦していたら、セガレが「アナウンサーうるさい」「それ(勝つとエーシーミランと試合ができるとかそういうこと)はもうわかったよ」「この人、ほかに言うことないのかな」とか何とかずっとブツブツ言っていた。どうやら家庭におけるメディアリテラシー教育はうまくいっているようなので、たいへん満足である。

 観戦終了後、深夜までかかって「わしズム」のコラムを書き上げ、起床後に少し手を入れてから担当者に送稿。ぐずぐずと重苦しさを抱えながら走る単行本と違って、短距離走は気分がスカッとする。ググッと集中してバーンと発散する、みたいな感じ? おれは長嶋か。ふだん、他人(著者)の頭の中にあるものを文章にまとめる仕事ばかりなので、自分の頭を振り絞るという意味でもストレス発散になる。しかし次は同じ署名原稿でも、特集用のやや長い論考。5000字の中距離走となると、瞬発力だけでは走りきれない。そうかといって、持久力の問題でもない。ではナニリョクが求められるかというと、いつだって問われているのは実力なのだった。よろこんで引き受けたものの、私に書けるのだろうか。いつになく不安。

記・平成十九年十二月十一日(火)







◇止まらない師走
BGM : Monster In Town / 吉田美奈子



 セガレの「サンタさんへのお願い」が決定した。このところ水木しげるワールドに浸りっぱなしの彼が所望したのは、文庫版の『墓場鬼太郎』と『悪魔くん』だそうだ。聖夜に墓場と悪魔かよ。本屋のレジで、そんなモンに「リボンかけてください」っていわなきゃいけないサンタさんの気持ちも少しは考えてやれよ。

 土曜の朝から日曜の朝まで、リゲインをがぶがぶ飲みながら、精神医療に関するかなりネガティブな内容の本をフィニッシュに持ち込んだ。24時間で2万字。脱稿の1時間ほど前に最後の1本を飲み干したとき、リゲインの瓶に「24時間戦えますか?」ではなく「24時間戦ってます?」と書かれたシールが貼ってあるのに気づいて笑った。イエス・アイ・ドゥー。7日の締切には間に合わず、どうしても月曜までに入稿したいという担当者を休日出勤させることになってしまったのは申し訳なかったが、まあ、間に合ったといえば間に合った。くたくただ。くたくただったが、脱稿の5時間後には都内某ホテルにて「わしズム」の座談会取材。みなさん4時間もお喋りになったので、たまに自分の左手を自分の右手でつねったりしながら必死で起きていた。必死で起きているのが仕事。

 キーボードの打ちすぎで、まだ両手の指先がヒリヒリしている。親指とか、皮がむけそうだ。しかし休めない。書くべき本は2タイトル3冊。ひとつが上下巻なのだ。著者は、一方が弁護士で、もう一方が弁護士。弁護士ばっかじゃん。でも、弁護士の本はけっこう好きである。精神医学と法律は、もちろん「専門家」ではないけれど、私のなかでの相対的な問題としては「得意分野」といえるかもしれない。どちらも今まで7冊ぐらい書いていて、つまりその2分野だけで書いた本の15%近くを占めているわけだが、どれもわりかし面白かった。勉強したことを「ねえねえ知ってる知ってる? これってこうなってるんだぜえ」と他人に吹聴したくなる本は書いていて楽しい。さて、どっちの弁護士を先に書くべきか。「たくさん売れそうなほう」が正解だが、しかしその前に「わしズム」だよ。とりあえず、きょうはコラムの締切。ネタも決まってねえよ。

記・平成十九年十二月十日(月)







◇失速する師走
BGM : In Motion / 吉田美奈子



 六本木ピットインでのライブ録音に後からホーンセクションなどを付け加えたという吉田美奈子のアルバムは、私が大学に入学した年に発表されたということもあり、まさに我が青春のサウンドとも呼ぶべき80年代的な疾走感に溢れていて大変キモチいいのであるが、私自身はゆうべから失速した。大失速だ。ガクンとペースが落ちたまま、ぜんぜん立て直しがきかない。なぜガクンとペースが落ちたかというと、くたびれたからだよ。文句あんのかよ。おまえら、肩で息しながら原稿書いたことあんのか? 両手の指に乳酸が溜まるほどキーボード打ったことあんのかっていうんだよ。おれなんかなぁ、さっき、左手の小指で「Z」を叩いた瞬間に手がつったんだぞ。びっくりしたんだぞ。こうなると、ライターもアスリートである。でも、こんなに肩が凝るスポーツはないよなぁ。すでにバリバリを通り越してガチガチ。針とか打ったら効くのだろうか。仁川で、日本チームに帯同していた美人鍼灸師軍団とお知り合いになったので、ぜひ一度お願いしたいところである。といっても、みんな関西だけどね。嗚呼。

記・平成十九年十二月六日(木)







◇師走からのトン走
BGM : Flapper / 吉田美奈子



 仕事場での私は常に孤独だが、たまに「うー」とか「あー」とか「でー」とか呻く以外、独り言はあまり言わない。なんだよ「でー」って。しかしそれを言ったら「うー」や「あー」だって意味不明なのだし、意味不明だからこそこれは単なる呻き声なのであって、独り言ではないのである。独り言はオウンゴールにも匹敵する哀しみが漂うので、あまり口にしないほうがよろしい。

 でも、独り笑いはときどきする。それも、何か読んで笑うわけではない。自分で自分の思いつきに意表を衝かれて笑うのである。そういうのも、世間ではナルシシズムと呼ぶのであろうか。よくわからないが、虚空をボーっと見つめて放心していた人間が突如として「だははは」とか笑い出すのだから、誰か見ていたらかなり不気味であることは間違いない。私は不気味だ。孤独なうえに不気味なのだ。

 きのうは、日誌に「豚に木を登らせる」と書いていたのに気づいてなんかヘンだと思い、「豚を木に登らせる」と修正した直後、ふいに「能ある豚も木に登れる」という大変な真理を孕んだフレーズが頭に浮かんだので、腹を抱えてゲラゲラ笑った。だって、すごい身体能力なのだその豚は。おだてられなくてもホイホイと涼しい顔で木に登ってみせる豚なのだ。正直に告白するが、いまも書きながら笑いが止まらない。私は不気味なうえに頭がおかしいのだろうか。ぶひぶひ。

 きのう、名古屋のほうで、電動車椅子に乗った人が駅のホームから転落して轢死したという痛ましい事故が伝えられていた。私が不思議に思うのは、犠牲者が「電動車椅子の人」だとそのように書く新聞が、視覚障害者のときはそれを書かないことである。日本共産党の前参議院議員・宮本たけし氏が自身のウェブサイトで報告しているところによると、視覚障害者の駅ホームの死亡・重傷事故は、1994年12月から2007年4月までの約12年間に、34件も発生している。そのうち20件が死亡事故だ。だが私は、鉄道での人身事故を伝える新聞記事で、転落したのが視覚障害者であることが明記されているのを見た記憶がない。単に、私が見落としているだけなのだろうか。それとも、しばしば「犬が人を噛むのではなく人が犬を噛まないとニュースにならない」というとおり、視覚障害者の転落事故はちっとも珍しくないのでニュースバリューがないということなのだろうか。実際、頻繁に電車を利用する視覚障害者の半数以上が駅ホームから転落した経験があるというデータを見たことがあるし、私が知っている視覚障害者の中にも「落ちたことありますよ〜」という人はたくさんいる。「僕は落ちたことありません!」と威張る人がいるぐらいのものだ。ほんと、気をつけてくださいね。

 しかし気をつけなきゃいけないのはホームにいる晴眼者たちも同じであって、周囲が気にして見ていれば未然に防げた事故も、決して少なくはないだろう。たとえば、目の見えない人は線路をはさんで反対側のホームに入ってきた電車をこちら側だと錯覚して空中に足を踏み出してしまうこともある(聴覚というのは意外に音源からの距離を把握しにくいものなのだそうだ)といったようなことを知っているだけでも、周囲の対応はずいぶん違ってくるはずだ。世間にそういう注意を喚起する意味で、もっと報道すべきではないかと思うのだが、どうなのだろうか。

記・平成十九年十二月五日(水)







◇師走の走り方
BGM : Monochrome / 吉田美奈子



 師走を力走している。実働正味5日で85ページ書いた。驚異のハイペース(当社比)だ。原稿の出来も、ふだんから豚を木に登らせるのがひどく上手な担当編集者によれば、「相変わらず完璧です」とのこと。うほー。すごいな私。完璧だよ完璧。だったらもう書かなくていいような気もするが、「完璧」と「完成」は違うのだった。野球でも「5回までパーフェクト」とか言うもんな。とりあえず85ページまではパーフェクト。しかし記録はどうでもいいので、私も球児・浩治とかにリリーフしてほしいよ。1イニングだけライトとか守って再登板してもいいから、誰か代わってくれよ。ちょっとだけ怠けたいんだよ。

 報道によれば、秋田の連続児童殺害事件の被告に「心因性健忘」が認められるとの精神鑑定書が提出されたとのこと。おお、それならおととい勉強したばかりだ。「心因性健忘」はやや古い診断名で、最近は「解離性健忘」と呼ぶことが多いらしい。万引きしたときの記憶が抜け落ちて、気づいたら買った覚えのない物が手元にあるとかそういうやつだ。気づいたら書いた覚えのない原稿が手元にあったりしたらいいなぁと思うが、抜け落ちるのは外傷性の記憶なので、むしろ「怠けた覚えがないのに気づいたら締切が過ぎていた」ということになるんだと思う。なっちゃダメだ。解離性健忘は解離性同一性障害(いわゆる多重人格)や離人症性障害などと並ぶ解離性障害の一種で、解離性障害ってのはアレだよ、朝青龍に三人目の医師がつけた診断名だよ。あと、ほら、何年か前に英国の海岸で発見された例の「ピアノマン」が詐病じゃなかったとしたら、あれは解離性遁走。だから何だというわけではないが、そういうことである。なるほど、遁走か。人間にはいろんな走り方があるんだよなぁ。と、うっとりしている場合ではない。

記・平成十九年十二月四日(火)







◇加速する師走
BGM : Light'n Up / 吉田美奈子



 うむ。なかなか良いタイトルじゃ。

 土曜日は神戸盲学校にてブラインドサッカーの普及講習会を取材。約20名の参加者はすべて晴眼者だったが、国内の試合は誰でも出場できるので、それでも十分に普及につながるのである。私はこれまで上級者のプレイばかり見てきたので、初めて目隠しをしてサッカーをする人たちの動きを見て、なるほど原初的段階のブラインドサッカーはこういうものだったのだろうなぁと感じ入った。初めての人たちの試合は、基本的に、「ボール探しゲーム」になるんである。「ボールに触ったら1点」という競技にしてもいいぐらいのものだ。そりゃあ当然そうなのだが、ちょっとしたトラップミスも許されないハイレベルの試合ばかり見てきた目には、とても新鮮。代表クラスの選手たちが、練習によってどれだけの困難を克服してきたのかがよくわかった。タッチライン際の「人壁」に向かっておもいっきりシュート撃ってた人とかいたもんなぁ。あんなの、代表選手はやらないもんなぁ。代表選手の天川さんなどもゲスト参加していたのだが、華麗なドリブルやヒールショットを披露する姿は、ロナウジーニョ級のスーパースターに見えました。さすがだ。

 野球もサッカーも「アジアの戦い」が多くて、いちいち仁川の記憶が蘇る今日この頃である。星野さんのチームは勝ったのでめでたいが、韓国が事前に交換したスタメンを試合で急に変更してきたという話を聞くと、やっぱりそういう人たちなんだなぁと思わざるを得ない。韓国が2位になったら、「ここから決勝トーナメントをやろう」とか言い出しかねないから、気をつけたほうがいいと思う。スタメン変更はルール違反ではないそうだから勝手にしろという話だが、内角球にわざと当たりに来るやり口も含めて(子供の頃、「避けずに当たっても死球にならない」と教わった記憶があるのだが違うの?)、われわれとは美意識が違いすぎて尊敬できませんね。もっとも、「尊敬される敗者」より「軽蔑されても勝者」になろうとする連中が多いという点では、いまの日本も人のことは言えなさそうだけど。っていうか、なに野球なんか見てんだよ私。加速しろよ私。

 欧州選手権の組み合わせが決まった。ポーランドは、オーストリア、ドイツ、クロアチアと同組。比較的楽なグループに入ったといえよう。やけにツイてるじゃないかポーランド。少なくとも、オランダ、イタリア、フランスと一緒になったルーマニアよりは何百倍もナイスだ。なんでポーランド目線で見てんのかよくわからんが、どっちみち日本人なんだから、どこ目線で見ようがおかしいといえばおかしいのである。成り行きにまかせて、ポーランドを応援してみようかと思っている。それはかなり新鮮な体験になるはずだ。新鮮ならいいってもんでもないが、人生、何事も経験である。

記・平成十九年十二月三日(月)







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