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◇師走は明日から
BGM : KEY / 吉田美奈子



 このあいだ、12月16日に神戸でブラインドサッカーの審判講習会が開かれることを伝えたが、関東でも同様の講習会が12月9日に実施されるようだ。詳細は例によってJBFAのサイトで。私はその日、午後からべつの取材が入っているので足を運べそうにない。残念。ちなみに明日(12月1日)は、神戸まで同競技の普及講習会(審判ではなくプレイヤーのためのもの)を日帰りで取材に行く。私は誰の師でもないが、まあ、師走は誰にとっても師走である。

 私は以前、ある本の取材を通じて、全員一致で物事を決めるのは困難だし必ずしも良いことではないから多数決を採用しているところが民主制のキモだと教わった記憶があるので、ミンシュシュギが大好きな共産党をはじめとする野党までが額賀大臣の証人喚問を躊躇する理由がさっぱりわからない。参院の議長が「円満に解決してもらいたい」と述べたそうだが、円満に解決できない問題を解決するための手段が民主主義であり議会なんじゃないんですか。「議決どおり実行しろよボケ」と命じるのが議長の役目だろうが。おまえがみんなにゲタ預けてどうすんだよ。もし証人喚問の議決は全会一致が慣例なのだとすれば、その慣例が間違っている。それでも全会一致で決めるのが正しいと考えるなら、そういう法律を(多数決で)作ればよろしい。慣例で物事を決めるなら民主主義なんか要らない。さっさと捨ててしまえ。たぶん大丈夫だ。慣例で物事を決める社会にも幸福な生き方はきっとある。不幸もあるだろうが、民主制社会の不幸とどちらがマシかは、私にはわからないので多数決で決めてください。……あら? 師走前からの爆走の勢いのまま暴言を吐いてしまったような気がする。

記・平成十九年十一月三十日(金)







◇爆走中
BGM : SPELL / 吉田美奈子



 序盤にしては異例ともいえるモーレツな勢いで原稿を書いている。ふだんは1行40字詰めか41字踏めで書いているのだが、今回は38字詰めで、これだと行数がどんどん増えるので、ペースも上がりやすいのかもしれん。もう27ページ分も書いちゃったんだぜベイベ。全体のおよそ6分の1だ。7章立ての第1章で6分の1を使ってしまったのはやや問題がないともいえない(この調子で書いていると全体の分量が増えてしまう恐れがある)が、ともかく、あと5回これをやれば脱稿ってことだ。すごいじゃないか私。あり得ないじゃないか私。まあ、実際これは序盤にはあり得ないことであり、したがってこれは序盤ではなく、要するに今回の仕事は「最初から最後まで終盤」ということではあるのだが、集中力を漲らせてシャカシャカ書くのは実に爽快な気分。ということは、常に「最初から終盤」の状態になるまで待ってから書き始めたほうが、メンタルヘルスにはいいということかもしれない。もっともフィジカル的にはかなりガタがきているので、一長一短だけどな。物事は何だって一長一短だ。一長一短だから、一日一章を目標に書いていても、原稿は一朝一夕に上がらない。っていうか、腕がだるくて上がらないんだよ。机の上に腕が上がらないんじゃ、原稿も上がらないんだよ。なので日誌は短め。

記・平成十九年十一月二十九日(木)







◇移りゆく日々
BGM : MINAKO / 吉田美奈子



 何もかも移りゆく。それはさけられない運命なの。と、吉田美奈子は歌い始めるのだった。したがって、私の仕事も移りゆく。きのうは企業経営者の本をフィニッシュに持ち込み、その日のうちに精神科医の口述速記を読み終え、きょうから書き始めた。きのうまでの仕事ときょうからの仕事に接点も共通点もまるで見当たらないのは運命というより単なる偶然だと思うが、どっちにしろ、さけられないことに違いはない。さけられないよなぁ。7日までに書けといわれている。7日にもいろいろあるが、この場合はおそるべきことに来月の7日のことだ。運命ではなく厳命である。さけられないし、さけ飲んでる場合でもない。飲んでどうするのだ。しかしまあ、38字 × 14行 × 160ページという究極のスカスカ本にしてもらったので、何とかなるだろう。さらに小見出しを5行ドリにでもしたらものすごく楽になるわけだが、たぶん怒られるのでやらない。

 22日の日誌を書いたあとで調べてみたら、ポーランドは前回も前々回も欧州選手権の本大会に出場していなかったことがわかった。あれぇ、おっかしいなぁ。いつも居ると思ったのになぁ。どうやら前回と前々回のワールドカップの印象が強いのでそう思ったようだ。ところでポーランドの「ポー」って何だろうと思ってウィキペディアを見てみたら、その国名は「野原」または「空き地」を意味するポーレ (pole) が語源と言われているとのこと。わりと切ない名前だ。ちょっとポーランドのことが好きになった。

記・平成十九年十一月二十七日(火)







◇ポジからネガへ
BGM : Sol De Medianoche / Amarok



 やっと火事場の馬鹿力が出た。遅れまくっていた祥伝社のビジネス書をさっき脱稿。この3日間で4万字ぐらい書いたかな。苦労しちゃったよなぁ。やはり、どうしても苦手意識が消えない。なんで苦手なのかずっと考えながら書いていた(そんなこと考えながら書いていたらはかどるわけがない)のだが、たぶん、ビジネス書というやつは、私が書くにしてはポジティブすぎるんだよ。しかし何はともあれ終わったのだから良しとしよう。過去を振り返っている暇はない。祥伝社の仕事に着手せねばならぬ。祥伝社につぐ祥伝社だ。こんどは、精神医療に関するかなりネガティブな内容の本なので気が楽である。どんな性格だ私は。

 ところで、3日間で4万字というハードワークを前にした23日に、サッカーをした。セガレが所属するサッカークラブの親子会である。これが私にとって年に一度だけサッカーをプレイする日なのだが、去年は出張の関係で参加できなかったので、2年ぶり。二十数人の親父が2チームに分かれて対戦する15分ハーフの試合にフル出場だ。言うまでもないとは思うが、3日後の現在もまだ筋肉痛に苦しんでいる。つまり筋肉痛に苦しみながら4万字も書いたということにほかならない。あと、右目にもきのうまで違和感があった。前線で相手DFに猛然と(私のイメージでは猛然と)プレスをかけた際に、強烈な(私の記憶では強烈な)クリアボールの直撃を受けたのだ。もんどり打って地面に倒れました。日々、サプリメントやらアイマスクやらで懸命に目を癒しているときに、よりによって目だよ。ほんとツイてないよ。勘弁してほしいよ。試合後、ぐったりしながら「疲れ目にたたり目」と愚妻に言ったら、横で聞いていたT君のお母さんが「うまい、座布団1枚」と褒めてくれたから嬉しかったけど。試合は2-1でわが軍の勝利。私はドリブルする敵からボールを1度奪い、足裏を使ったフェイントで敵を1度かわし、枠外シュートを3本放った。わりかし満足。2年前よりも確実にゴールに近づいている。来年の活躍が楽しみな選手である。

記・平成十九年十一月二十六日(月)







◇北京へ行けおまえらは
BGM : Sliding Gliding Worlds / Ozric Tentacles



 サウジアラビアと引き分けて北京オリンピック出場を決めた日本の選手たちが大はしゃぎしている様子を見て、つい「ちくしょうめ」と思ってしまったりするのだから、人間の思考や感情とは立場によってうつろいやすいものである。「あいつらはいいよなぁ、羨ましいよなぁ」って、おまえは外国の人か。あー。他力によって「引き分けでOK」になったこと。前半9分にサウジの選手が放った例のアレが入らなかったこと。どうしたって「ツキ」というものについて考えてしまう。運がいいとか悪いとか、人はときどき口にしたくもなるってもんなのだよ関口君。仁川のB1日本代表にはツキがなかった。なかったよなぁ。まあ、愚痴である。敗者は不運のことを「偶然」と呼び、勝者は幸運のことを「運命」と呼ぶのかもしれない。

 関口君って誰だ。

 海の向こうでは、イングランドが欧州選手権出場を逃したらしい。ふうん。しかしポーランドは出るのだな。これがよくわからないのだ。ポーランド。あらゆる本大会に、いつも居るような気がする。存在感はとても希薄なのだが、どういうわけか、いつも、居る。それはもう、「遍在する」といってもいいぐらいに、いつも居る。大きな音楽イベントにどういうわけかいつも居るエリック・クラプトンみたいなものだろうか。違うよな。クラプトンに、予選とかないもんな。誰かが呼ぶんだもんな。ポーランドは誰も呼んでないと思う。呼ばないよなぁ。でも、ポーランドはいつだっているのだ。そして、わりとすぐ帰る。謎の国だ。

記・平成十九年十一月二十二日(木)







◇サプリとビタミン
BGM : Vitamin Enhanced / Ozric Tentacles



 目が軽い。快調だ。眼球サプリとホット・アイマスク(きのうの日誌参照)を併用しているので、どちらが効いているのか、あるいは相乗効果なのかは不明。ちなみにサプリメントのほうは葡萄色の錠剤で、愚妻が3000円で安売りしていたのを買ってきたのだが、定価は60粒で9000円もするそうだ。ひと粒150円かよ! それを1日に2〜3粒服用することになっている。どうかアイマスクのほうが効いているのでありますように……と思ったが、こちらも5枚入りで500円するので、1日に何枚も使ったら、そんなに変わらんな。安売りしているうちにサプリをまとめ買いするべきだろうか。それが敵の思うツボなのだろうか。どうだろうか。どっちにしろ筆のほうは重くて不調なので、どうでもいいっちゃどうでもいいのだが。

 オズテン(Ozric Tentacles)のことは、相変わらずよく知らない。「相変わらず」というのは、以前にもここで(というか昔の日誌で)「よく知らない」と書いたような記憶があるからだ。英国出身であることは知っているし、ギターとシンセを中心にしたインストゥルメンタル・バンドであることは聴けば誰でもわかるが、まあ、そんな感じ。どんな感じだ。よくわからない。世間では「サイケデリック」「エレクトロニカ」「トランス」などといったコトバで語られたりもしているようだが、そのコトバからして私には意味がよくわからないので、よくわからない。

 よくわからないのに、いつの間にか手元に11枚もアルバムがある。私はオズテンが大好きなのかもしれない。あるいは、馬鹿なのかもしれない。ただし11枚のうち6枚は、この「Vitamin Enhanced」という愉快なパッケージのボックスセットに収められたものだ。80年代後半にカセットテープのみ(!)でリリースされたものをまとめてCD化したものである。どれも、ほぼ同じ音楽が入っている。ウソじゃないよ。どれがどのアルバムだか、さっぱり区別がつかないんだよ。とにかく、全体的に、ずっとピュンピュンいっているのだ。ピュンピュン。

 ほんのちょっとだけ何かを足すか引くかしただけで、猛烈に苦手な音楽になるような気がしてならない。聴いたことがないので偏見かもしれんが、私は「サイケデリック」や「エレクトロニカ」や「トランス」がたぶん嫌いだと思うのだ。オズテンはほんとうに「サイケデリック」や「エレクトロニカ」や「トランス」なのだろうか。「サイケデリック」や「エレクトロニカ」や「トランス」であるにもかかわらず、私のためにギリギリのところで踏みとどまってくれているような錯覚を抱くから好きなのだろうか。腐りかけの食い物が旨いのと同じ理屈か。それはちょっと違うな。なんにしろ、11枚は必要ないよ。わかってるんだよ。だけど。

記・平成十九年十一月二十一日(水)







◇火事場の馬鹿
BGM : Mendelssohn String Symphonies 11&12
/ Gewandhausorchester Leipzig, Kurt Masur



 苦しいぞ。私はいまとても苦しい。なぜなら仕事の原稿がちっとも進まないからだ。原稿はいつだってなかなか進まないものだが、これだけ日程的に追い詰められているのに進まないのは珍しい。「これだけ」がどんだけぇ〜なのかを説明するのは面倒だし気が滅入るばかりなので説明しないが、とにかく、これだけ追い詰められている場合、ふだんの私ならばいわゆる火事場の馬鹿力が噴出してサクサクと書けるはずなのだ。なのに、書けない。なんでだ。なんで書けないのだ。

 たしかに目は疲れているが、きのう愚妻が買ってきてくれた疲れ目に効くという触れ込みのサプリメントを飲んだら、気のせいか少し良くなった。「IQサプリ」ならぬ「眼球サプリ」だ。うまい。うまいことをいう。こんなにうまいことをいう人の原稿が進まないというのが不思議でならない。ちなみに愚妻は蒸気で目を温めるアイマスクというやつも買ってきてくれた。ホット・アイマスク。かなりキモチいい。近いうちにどこかでブラインドサッカーを実体験させてもらうつもりなのだが、これを使えば目を癒しながら運動不足を解消できるので一石二鳥だよな、なんて思うぐらいだ。でも、書けない。

 疲れ目のせいではないとすれば、何が書けない理由なのか。考えられるのは、これが私にとってほぼ唯一の苦手なジャンルの原稿(くどいようだが「得意なジャンル」はありません念のため)だということで、ぶっちゃけたことを言ってしまえばそれは「ビジネス書」なのだが、しかし9月に書いてたビジネス書だって最後は火事場の馬鹿力が出たもんなぁ。

 要するに、まだ、ほんとうの「火事場」じゃないということかもしれない。真のクライマックスはまだ先だから、自律神経が勝手にパワーをセーブしているのかもしれない。というより、おれ、ずっと火事場なんだよ。まだ3ヶ月ぐらい火事場が続くのだ。火事場が日常じゃ、火事場の馬鹿力なんか出ないよな。消防士さんだって、馬鹿力で消火してないだろうしな。馬鹿力で消火する消防士はイヤだよ。だって「馬鹿」だもん。プロには平常心で賢く消してほしいよ。まあ、馬鹿力で原稿を書くライターも、編集者にとってはイヤだろうけど。しかし、平常心だと原稿は進まない。馬鹿だと、もっと進まない。「火事場の馬鹿」って、ものすごく邪魔。

記・平成十九年十一月二十日(火)







◇ゴールボールのこと
BGM : Xcommunication / Brand X



 土曜日の午後、北区十条の東京都障害者総合スポーツセンターで、ゴールボールの日本選手権を見学した。会場の体育館に入るとすでに試合中で、たいへんな静けさ。ブラインドサッカーの場合、観客は静かにしなければいけないものの、選手や監督やコーラーは大声で指示などしているので、わりと試合中は騒々しい。しかしゴールボールはベンチから指示をしてはいけないようで、ひたすら「シャンシャンシャンシャン……」というボールの鈴の音が響いている。こりゃあシャッター音を立てることさえ憚られると思い、受付で名刺を出しながら「撮影は遠慮したほうがいいんですよね?」と訊ねると、シャッター音もさることながら「選手は基本的に顔を出さないことになっているので」と言われた。それでは報道を通じた広報が難しいのではないかと思ったが、障害者のプライバシーに関してはいろいろな考え方があるのかもしれない。そういえばゴールボール協会の公式サイトにも、ざっと見たかぎり、試合中の写真などはないようだ。同じ視覚障害者競技でも、ブラインドサッカーのほうは協会のサイトに写真がたくさんあるのだが。

 そんなわけで写真がないし、そのうえゴールボールは健常者競技に似たものがない障害者のオリジナルスポーツなので、説明するのが難儀である。コートはこんな感じで、バレーボールとほぼ同じ広さ。1チーム3人で、幅9メートルのゴールにボールを投げ入れれば1点である。なるほど、「ゴールボール」としか名付けようがない。対戦する両チームはセンターラインで隔てられている(つまり両軍の選手が入り乱れない)ので、ハンドボールとも全然違う。あえて似た競技を探せば、ドッジボールだろうか。「外野」がいないことと、できれば敵にボールをぶつけないほうがいいという点で、ドッジボールともかなり違うわけだが。

 攻撃の際は自陣ゴールから6メートル以内のエリアでボールを接地させなければいけないので、シュート(というのかスローというのか)は、必然的に「ゴロ」になる。バスケットボールよりもひと回り大きいボールは1.25キロと重くてそれほど弾まないし、ゴールの高さも1.3メートルと低いので、守備側はあまり「高さ」を気にする必要がない。基本的には「9メートルの幅を3人でどう守るか」という2次元の問題である。

 したがって、「手足を最大限に伸ばして真っ直ぐ横になる」が守備の基本姿勢になる。ゴールボールは「身を挺して守るスポーツ」なのだ。それはもう、全身を思いっきり伸ばして横になる。フィールドの外では、次の試合に出場する選手たちが、その練習を素振りのようにくり返していた。片膝をつき、片足は外側に投げ出した姿勢から、ものすごい勢いでびよよーんと全身を伸ばして横になる。どういうことかわかるでしょうか。わかってください。ともかく日常生活にはあり得ない動きで、ちょっと気持ちよさそうにも見えた。スポーツのルールというのは、人間に意外な動作を要求するものなのであるなぁ。

 で、びよよーんと伸びて相手のシュートを防ぐと、3人のうちの誰かがボールを持って立ち上がり、10秒以内に投げ返す。基本的には、そのくり返しである。ボールの音を消して逆サイドに移動してから投げるなど、いろいろな駆け引きがあるようだ。試合は10分ハーフ。私が観戦した3試合のスコアは、2-1、8-3、4-1だった。サッカーよりはハイスコアな競技だといえるが、ボールの奪い合いやパス回しなどに費やす時間がなく、最初から最後まで「シュート」の連続なので、割合からいうと、「なかなか入らないなぁ」という印象。身長170センチの選手が腕を伸ばすと「長さ」はたぶん2メートルぐらいになり、3人で6メートルぐらいカバーできるので、シュートコースはあまり多くないのである。

 そのためノータッチで入るゴールはほとんどなく(私が見た3試合では守備側が1人で守るペナルティスローのときだけだった)、たいがい守備者の体に当たって上にバウンドしてからコロコロと転がり込む感じ。見ている側は、「おおっ」と感嘆するというよりも、人が何か物を落っことしたのを見て「ああっ」と顔をしかめるときのような気分になるのだった。1チーム2人でやったほうがスリリングな競技になるような気もしたのだが、どうなのだろうか。ほかにも何か説明しないと競技の本質が伝わらないことがあるような気がしなくもないが、とりあえず、こんなところで。あ、ちなみにコートのラインは「紐」の上からガムテープを貼ってあって、触ればわかるように工夫されており、なるほどと思いました。

記・平成十九年十一月十九日(月)







◇ナヤミムヨオ
BGM : Songs of Yesterday (disc 2) / Free



 セガレ(小4)は陽気な子である。きのうも私が先に風呂に入っていたら、あとから素っ裸で両手を広げ「パンパカパーン!」的なファンファーレを口走りながら入ってきた。おまえは横山ノックか。陽気としか言いようがない。しかし、あまりの陽気さに呆れ返った私が「おまえってさ、悩みとかないわけ?」と訊くと、湯舟に気持ちよさそうに浸かりながら「あるよ」と言う。とても意外だ。それが何なのかは教えてくれなかったが、寝る前にはいろいろ考えるのだという。

 父「じゃあ、昼間は考えないようにしてるわけ?」
 子「っていうか、思い出さないんだよねー」
 父「悩みを忘れてるってこと?」
 子「忘れてるわけじゃないけど、僕は、悩みを枕元に置いてきてるんだよ」

 ほほー。なんとカッコイイことを言うのだろうか我が息子は。「悩みは枕元に置いてこい」って、自己啓発書のタイトルに使えそうだ。それでぐっすり眠れるのがまた陽気なところなのだが。

 父親のほうはといえば、目の疲労が悩みのタネである。韓国から戻って以降、疲れっぱなし。常に重くて腫れぼったい感じで、そのせいで(そのせいだけではないと思うが)集中力が持続しない。Macのディスプレイを見ているのがすぐイヤになる。世の中にはディスプレイを使わず音声を頼りにメールやミクシィの日記や本の原稿を書いている人たちがいることを私はよく知っているが、なかなかそうもいかない。ときどき痛みもあるから、単なる疲れ目ではないのかもしれないよなぁ。たまには眼科に行かないといかんよなぁ。起きている時間帯に生じる(寝ているあいだは関係ない)問題なので、枕元に置いてこられないのがこの悩みの辛いところ。

 明日と明後日、都内でゴールボールという視覚障害者競技の日本選手権が開催される。ブラインドサッカーについて考える上で参考になるだろうし、「助っ人」として出場するサッカーの代表選手もいるので、明日の土曜日に見学するつもり。そのためにも今日中に原稿を大幅ゲインさせておかねばならない。しかし目が。

 きのうから聴いているのは、フリーの未発表音源などを収録した5枚組ボックスセットである。ジャケットが縦長なのでDVDと勘違いした人もいるかもしれないが、CDだ。中身は大変すばらしいものの、パッケージはかなり迷惑。CDはCDラックに収納したいのが人情なのだよデザイナーさん。

記・平成十九年十一月十六日(金)







◇忙殺のB
BGM : Songs of Yesterday (disc 3) / Free



 夢と同様、言い間違いや書き間違いや駄洒落などにも人間の無意識だか前意識だか潜在意識だか深層心理だかが表出すると言ったのは、フロイト先生だっただろうか。たぶん正解は「前意識」だと思うが、きのうの午後、ビジネス書の原稿を書いている最中に、「忙殺」とタイプしたつもりで変換キーを押したら「増刷」と出たので笑った。忙殺の「B」と増刷の「Z」の間には3つもキーがあるのに打ち間違えるのだから、潜在的な欲動とは実におそるべきものである。Bのすぐ隣と打ち間違えて「悩殺」にするよりはマシな欲動かもしれないが。

 このあいだ秋号が発売されたと思ったら、もう冬号が動き始めて気忙しい。「わしズム」の話である。ゆうべ編集部のKデスクから電話があり、特集の内容に合わせて、いつものコラムより長いものを書いてくれと注文された。飛び上がりたくなるほど嬉しい発注だが、日程を考えると浮かれてはいられない。なにしろ頭が不器用なので、自前の原稿を頼まれるとそのことばかり考えてしまい、ほかの仕事に気が向かなくなるのがダメだ。まずは目の前のビジネス書を早くやっつけなければ。忙殺を増刷と書き間違えている暇さえない。当面はひたすら忙殺されるべし。

 仁川で大いなる落胆を味わった私としては、もう日本が韓国やイランに負けるところは見たくなかったので、中日と浦和の勝利には(日頃はどちらのチームにも無関心だが)ホッとした。しかし一方で、逃した歓喜の大きさを改めて思い知らされたりもしている。アジアでの勝利は、近くて遠い。いつか必ず、私のもっとも愛する日本チームがアジアを制するところに居合わせたいものである。

記・平成十九年十一月十五日(木)







◇明日
BGM : Shostakovich String Quartet No.1 / Rubio Quartet



 セガレが去年(3年生のとき)国語の時間に書いた詩が「杉っ子」に載った。よほど熱心な読者しか覚えていないだろうが、「杉っ子」とは杉並区立小学校教育研究会国語部が編纂している文集で、そこから抜粋された意味不明の作文がセガレの書き初めのお題になったとき、ここでさんざん文句を書いたことがある。「わしズム」でも書いた。とはいえ、あのときはそれを書き初めのお題にしたことに文句をつけたのであって、選ばれて「杉っ子」に載ること自体は、まあ、名誉なことである。それは(手元に「杉っ子」がないので表記など怪しいが)こんな詩だった。

※※※

「明日はおいしくなる」  ○○小学校 三年 深川R太郎(仮名)

 カレーを今日にこんで
 今日食べるより
 明日食べたほうが
 おいしい

 ピアノも
 今日練習すれば
 明日弾けるようになるかも

 サッカーもかな

※※※

 熟成と成熟について考えさせるおもしろい詩である。楽天的な本人の性格も滲み出ている。何よりタイトルがすばらしい。糸井重里が褒めてくれそうだ。文体がやや父親に似ているかも、と思わなくもないが、それは親バカかな。こんなところで見せびらかしていること自体がすでに親バカだよ。しかし本人の国語力に問題がないわけではなく、私が「なかなか良く書けている」と褒めてやったら、「いやぁ、物書きの父さんに褒められるとお目が高いよ」というので、その言葉遣いが180度間違っていることを説明してやった。そういうときに高くするのは鼻だ。それでもまだ「鼻が高いっていうと、(おでこのあたりを指して)鼻がこのへんにあるみたいだね」などとブツブツ言っていた。なるほど。

 カタツムリはお目が高い。

 しかし何が高いって「杉っ子」自体が高い。てっきり生徒全員にタダで配布されたのだろうと思っていたのだが、なんと700円で買わされたと知って吃驚した。だいたい「掲載誌」というものは書き手にタダで謹呈されるのが出版界の常識である。このあいだ3年がかりで完成した新書なんか、要りもしないのに5冊も届いたぞ。「載せてやるから買え」って、そういうのを世間では紳士録商法というんじゃないんですか。しかも700円は「3〜4年生編」の価格であって、1年生から6年生まで全学年の作品を掲載した完全版は2500円もするという。さすがにそれは買っていないが、なんで3分冊が各700円で、全部まとめたものがその3倍より高いのか。結局、文句を言っている。

 で、明日はおいしくなるかもしれないピアノのほうは、去年私がブエノスアイレスに行っている隙に習い始めてから、およそ1年が経った。来月下旬には、初めての発表会が予定されている。曲目は、モーツァルトのピアノソナタ第15番の第1楽章。そんなもん弾くようになるとはなぁ。どんなカレーになるのか楽しみ。

記・平成十九年十一月十二日(月)







◇ブラインドサッカー審判講習会
BGM : Sibelius Symphony No.6 /Berliner Sinfonie-Orc. Kurt Sanderling



 来月16日に、国立神戸視力障害センターで、ブラインドサッカーの審判講習会が実施されるとのこと。詳細はJBFAの公式サイトをご覧いただきたいが、この競技の普及・発展には審判の増員および育成も不可欠なので、少しでも関心のある人たちには積極的な参加を呼びかけたい。ブラインドサッカーを見たことがなくても、まったく問題ないと思う。だいたい、私の日誌を以前から継続的に読んでいる人はこの競技についてかなり詳しくなっている(無理やり詳しくさせられてしまっている)と思うので、ぜんぜんオッケーなはず。協会の関係者諸氏はみんなとても親切でやさしくて冗談も通じる方々なので、気軽に足を運べばよい。それは私が保証する。そして、目の見えない人たちのサッカーに関わることによって、必ずや何か有意義な発見が得られるであろうことも。

 ちなみに韓国で開催されたアジア選手権では、ギリシャのマストラスさん、日本の井口さん、韓国のナントカさん、中国のカントカさんの4人が笛を吹いたが、韓国と中国の審判はあまり上手とはいえず、たとえば選手にボールを渡すときに揺すって音を鳴らさず、黙って差し出して選手にぶつけたりもしていた。「彼らは見えてないってことがわかってんのか?」と思うぐらいだが、そんな人にも審判をしてもらわないといけないぐらい人材が足りないということである。それだけ競技全体が未成熟な段階にあるわけで、その意味では、審判員にも大きなやり甲斐があるといえるだろう。ルールやジャッジ方法の改善などを通じて、1つの競技が成長していくプロセスに関与できるということだ。また、JBFAのサイトにも書いてあるとおり、「国際舞台」への道も開けている。日本代表は北京へ行けなかったが、井口さんは「アジア代表」としてパラリンピックで笛を吹く可能性が高いのではないかというのが、私の勝手な予想。ともかく、そんなわけなので、一人でも多くの参加者があればいいなぁ。私も(参加はしないけど)取材には行くつもりです。たぶん、受付で「深川さんの日誌を見た」と言うと、参加費が無料になるんじゃないかと思う。言わなくても無料なんだけど。

記・平成十九年十一月九日(金)







◇フリー
BGM : Sibelius Symphony No.4 /Berliner Sinfonie-Orc. Kurt Sanderling



 ジャケ写がきのうと同じなのは、どちらも同じシベリウス交響曲全集の1枚だからである。廉価盤の王者ブリリアント・クラシックスには以前からお世話になりっぱなしだ。5枚組で、およそ2000円。ノミの市で買い物をしているような気分になる。いっそ「フリーリアント・クラシックス」と呼びたい。

 ちなみにフリーライターの「フリー」は、フリーマーケットの「フリー」と同じではありません念のため。じゃあ「自由」っていう意味かというと、そうでもないわけだが。もちろん「無料」でもないぞ。

 たまに「不利ライター」かな、と思うことはある。

 2004年の暮れに私が(最終章を除いて)原稿を上げたにもかかわらず、フトドキな著者の怠慢で刊行が遅れていた某社の新書がようやく出来上がり、きのう見本が届いた。ありがたい。危うく「無料ライター」になるところだった。正直なところ、私は2年ぐらい前の段階で「もう出ない」と思っていたので、こそこそと逃げ回る著者を3年近くも諦めずに追いかけ、これをお蔵入りにしなかった担当編集者のガッツには頭が下がる。その執念たるや、ほとんど銭形警部並みといってよかろう。それぐらいタチの悪い(ただしルパンみたいにカッコよくはない)著者だったのだ。単に、最終章を作るのに必要な資料を揃えて渡してくれと言っていただけなのに、なんで3年も逃げ回っていたのかは謎。その間に別の版元から何冊も本を出していたから、ほんとうに頭に来た。数ヶ月前、最終章の打ち合わせて久しぶりに会ったときも、ろくに頭を下げようともしない。殴りかからなかった自分を褒めてあげたいぐらいだ。二度と顔を見たくない。たとえ100万部売れたって、続編なんかぜったいに引き受けない。と、思う。と、日記には書いておく。

記・平成十九年十一月八日(木)







◇紙の行方
BGM : Sibelius Symphony No.2 /Berliner Sinfonie-Orc. Kurt Sanderling



 やっと風邪が治りかけたと思ったら、こんどは背中をキクっとやってしまった。寝違えと似た状態で、常に痛いわけではないが、姿勢によってはピリリと患部が悲鳴を上げる。忌々しい背筋め。

 民主党の今後も気にならないわけではないが、ブーメランのように小沢サンのもとへ戻った辞職願の今後のほうが気になったりする。そういうのがモノとして実在するのかどうかも定かではないけれど、きっと、あるんだよねぇ。返すんだなぁ。いくら幹事長の顔がヤギっぽいからって読まずに食べるわけにもいかんし、受理しないんだから返すしかないとはいえ、返されても困るような気がするのだった。鳩山サンから受け取った秘書か何かが、「コレどうしますぅ?」とか本人に訊くのかなぁ。ちょっと間抜けなシーンだよなぁ。その場合、破って捨てるのだろうか。それとも、そっと引き出しにしまうのだろうか。あるいは、ずっと懐にしのばせておくのか。「孫にあげて紙ヒコーキを折らせる」もお洒落だと思うが、その行方を会見で質問した記者はいないのかね。それが歴史のリアリズムというものではないのか。まあ、そんなのどうでもいいよなぁ。でも、半世紀後にどっかの古書店から発見されたりするかもしれない。で、封筒の中からは、辞職願と一緒に、鳩山サンの筆跡で「友愛(はぁと)」と書かれた紙片が出てくるのだ。いい話だ。いろいろな意味で泣ける。そのとき民主党があるかどうかは、いまは誰も知らない。

記・平成十九年十一月七日(水)







◇もっと怒られろ
BGM : Shigeharu Mukai J Quintet featuring Junko Onishi



 亀父謝罪会見に続き(亀1会見は韓国出張中だったので見ていないが)、今回の小沢辞意表明会見も、実にツマラナイものに終わった。どうにもこうにも質問する記者に迫力がなくていけない。だらだらと要領を得ない質問で時間を浪費し、またしても一方的に打ち切られてすごすごと引き下がっている。少なくともテレビ画面の中では、「すごすご」としか見えなかった。実際はまだ10人ぐらい手を挙げて質問する意思を見せていたらしいが、もっとテレビでわかるように大声で厳しい質問を叫びながら食い下がって、「都合の悪い質問には答えず強引に会見を打ち切る小沢」の姿を見せてくれなきゃ、視聴者はコーフンできないじゃないか。

 だいたい、面と向かって自分たちの報道姿勢を罵倒されているのに、反論する奴もいない。党首が自ら「国民から『本当に政権担当能力があるのか』という疑問が提起され続けている」と認め、「さまざまな面で力量が不足」だの「あらゆる面でいま一歩」だのと断言するようなダメ政党およびそのリーダーに、連立政権に参加する資格があるなんて本気で思ってんですか?と質問する者もいない。「フツーに考えたら党の役員会が連立を受け入れるわけないんだから、最初から辞める口実としての大連立話だったんじゃないの?」とか、「それって要するに『どうせ総選挙では勝てないから辞める』と言ってるのと同じで、安倍ちゃんと同じ敵前逃亡じゃないスか?」とか質問して怒らせる奴もいない。子供の頃から成績優秀で他人に叱られることに慣れていない大手マスコミの記者たちは、公衆の面前で怒られることに耐えられないのかもしれないが、記者の人格なんか誰も見てないんだから、余計な心配すんなよな。

 昨年ブエノスアイレスで開催された第4回ブラインドサッカー世界選手権の公式サイトを久しぶりに覗いてみたら、GALLERYのページに写真がたくさん掲載されていた。知らなかった。懐かしいなぁ。日本チームの写真もけっこうあるので、ご存知なかった関係者のみなさんにもご覧いただければ幸い。私自身も何枚か写っていた。取材現場では写真を撮るばかりで撮られることが少ないので、たとえ豆粒ほどの大きさであっても「自分がそこにいた」と思えるのは、なんだか嬉しい。と同時に、ちょっと不思議な気分でもある。私の目や耳が取材した世界選手権に、「私」はいなかったもので。それにしても試合そっちのけでブラジルの美女にカメラを向けている姿を見とがめられたのは痛かったが、まあ、この際、取材記者の人格はどうでもいいのだ。美女の笑顔はこちらをどうぞ。

記・平成十九年十一月五日(月)







◇そぼくなぎもん
BGM : Catfish Rising / Jethro Tull



 参院が否決した法案でも、衆院は3分の2の賛成で可決できる。それが国権の最高機関たる国会のルールである。べつに私は与党の法案に賛成しているわけではない。だが、ルールは守られるべきだと考える。ルールに則った行為なのに、なぜ自民党がそれを避けたがるのかがさっぱりわからない。「勝ち点で並んだ場合は得失点差で順位を決める」というルールがあるのに、「いや、それじゃファンが納得しないから、決トナには両軍の選抜チームを結成して臨みましょうよ」と持ちかけているようなものだ。もっと納得しないっつうの。報道によれば「問責決議案」とやらを恐れているということらしいが、なんで憲法を遵守した総理大臣が「問責」されなきゃいかんの? だって、「衆院の3分の2」を使わないと法案が成立しない(使えば何でも成立する)ような状況を作ったのは、有権者である。もし「問責」されるべき者がいるとすれば、それは総理大臣ではなく、有権者だろう。野党は有権者に向かって、「純ちゃん大好きなおまえらが衆院で与党にべらぼうな数の議席を与えたからこんなことになっちゃったじゃないか!」と言えばよい。「おれたちに参院でべらぼうな議席を与えたから」でもいいけどさ。ともかく、衆院で与党を大勝させたのも「民意」なら、参院で野党に過半数を与えたのも「民意」なのである。「国会はねじれるけど、参院で否決したら衆院の3分の2を使っていいよ」と有権者どもは言った。「衆院で3分の2」と「大連立」のどちらが民主的なやり方かといえば、明らかに前者だと私は思うんですけど違うのでしょうか?

 と、ここまで書いたところでニュースを見たら、小沢さんが党代表を辞任する意向を固めたとのこと。誰が書いたシナリオがどこまで進行しているのか知らないけれど、いったい何がしたかったのか(何ができると思っていたのか)いまの時点ではさっぱりわからない。政治って、さっぱりわからないことばっかりだ。

記・平成十九年十一月四日(日)







◇「カネで解決」の徒労感
BGM : How My Heart Sings ! / Bill Evans Trio



 自宅として使用している賃貸住宅の契約更新時期である。管理会社は「家賃据え置き」を提示してきたが、2年前の9月に杉並区周辺を襲った集中豪雨の際にサッシからの雨漏りが発生して以来、何度か同じところから雨が漏っている。2度ほど業者が入って工事をしたが、原因を特定できず、いまだ解決していない。近々、あらためて工事が行われることになっており、それで解決する可能性もあるが、この2年間、「いつ雨漏りするかわからない物件」に「雨漏りのしない物件」と同じ家賃を払ってきたのは不当だ。だいたい、「雨露をしのぐ」は住宅にとってもっとも基本的な機能である。21世紀にもなってそんな住宅を提供していることを、貸し手はプロとして恥じなければいけない。

 先日、取材で会った弁護士にこの話をしたら、それは契約不履行だか債務不履行だかに該当するので「3万ぐらい下げさせられるかも。ただし相手との関係はかなり悪くなりますけど」という。なので、こういう交渉はほんとうに苦手なのだが、ためしに「知り合いの弁護士」の存在をちらつかせながら「雨漏りのことを踏まえた上であらためて家賃を提示してもらいたい」と伝えてみたところ、2日後、「雨漏りの迷惑料」として5000円値下げするとの回答。雨漏りする物件にその家賃で借り手がつくとは思えないから納得はいかないし、正式に弁護士のご登場を願えばもっと安くできるだろうとは思うが、愚妻が「なるべく穏やかに暮らしたい」と言うし、こんなことで時間および精神的コストを払うのはイヤなので、それで手を打つことにした。少なくとも2年後の更新まではその家賃になるわけで、5000円×24ヶ月=12万円の「迷惑料」ということになる。いや、この家賃は今回だけの特別措置ではなく、次回以降の更新の際もこの新家賃が交渉のベースになるという言質はとったので、ここを借りているかぎり毎年6万円のプラス。「迷惑料」を当座の現金ではなく、月々の家賃に反映させたのは大きい。実際に雨が漏ったのはほんの数回のことだから、まあ、悪くない話である。弁護士先生には来週また取材で会うので、正規の相談料をお支払いしたい。「そんな金額で手を打っちゃダメですよ〜」と叱られるかもしれないけど。

 いじましい話をしてしまった。

 気分は、決して良くはない。たとえ万単位の値下げを勝ち取ったとしても、気持ちの上ではむなしいだけだろう。苦しい家計は助かるとはいえ、自分で稼いだ金のような尊さが、そこにはまるでナッシング。恥知らずな業者の言いなりになる気分の悪さと、クレームをつけて値下げさせる気分の悪さと、どっちがマシかというだけの話である。それによって、恥知らずな人間が恥を知るようになるわけではない。薬害肝炎を引き起こした製薬会社や厚生労働省、無実の人間を刑務所に服役させた警察や検察や裁判所なども、たぶん同じである。仮に賠償金やら型通りの謝罪やらで事が片づいたとしても、恥知らずな人間は恥知らずなまま同じ仕事をし続けるのだった。むなしい。

 恥知らずで思い出した。きのう、ソウルのロッテ百貨店で買った白菜キムチを初めて食ったのだが、なんだか味が酸っぱい。「よもや」と思ってパッケージの賞味期限をたしかめたら、2007年10月24日。購入したのは、10月27日である。ちっくしょー。韓国め。確認しないで買った自分の軽率さを呪うしかないとはいえ、3日前に期限が切れている食い物を平気で売っているとはなぁ。賞味期限を誤魔化すためにいろいろと知恵を絞っているだけ、日本人のほうがまだ恥を知っているのかもしれない。五十歩百歩だが、五十歩と百歩は倍半分も違う。

記・平成十九年十一月三日(土)







◇ぼんやりしている
BGM : We'll Never Turn Back / Mavis Staples



 通常モードに戻した。仁川編で初めて私の日誌を見たブラインドサッカー関係者は面食らうかもしれませんが、これが本来の体裁なのです。

 帰国翌日から通常業務に戻っていたが、きのうは全身の倦怠感と微熱のため何をする気にもなれず、朝から晩まで自宅で床に伏せっていた。この数ヶ月間、気力で何とか封じ込めていたものが、とうとう抑えきれなくなったような感じ。しかし片づけなければいけない原稿がおそろしいほど溜まっている(これから3ヶ月で5冊分も書くことになっている)ので、そんなに休んでいるわけにはいかない。なのできょうは仕事場に来ているわけだが、ひたすらボーっとしている。仁川の試合会場で大変な念力を込めてカメラのファインダーを覗いていたせいか、目の疲れも取れない。鼻もぐじゅぐじゅ。

 出勤すると、郵便受けに小学館から「わしズム」秋号が届いていた。特集は、<全体主義の島「沖縄」>。集団自決の教科書記述をめぐる問題が実のところどういうものなのかということが、これを読むとよくわかるはず。業田良家さんの連載「独裁君」と、小林編集長&堀辺正史さんの連続対談「武士ズム」は今号が最終回。私の「嫌いな日本語」も最終回だったらどうしようかと思ったが、そうではないようなので、ホッと胸を撫で下ろす。ブラインドサッカー関係者はご存知ないかもしれませんが、そんな仕事もしているのでした。ゴーストライターというメイン業務も含めて、われながら、いったい何者なのかを人に説明しにくい人間だと思う。結局、「フリーライター」としか言いようがない。たぶん、死ぬまでフリーライター。編集者の依頼や提案があれば、ジャンルを問わずに何だって書く。それがフリーライターだと思っている。

記・平成十九年十一月一日(木)







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