師走の日誌

扉(目次)

深川全仕事

大量点計画

江戸川時代

メ ー ル

平成二十年一月二十三日(水) 88.0 kg


解放、茶の間、そして雪
BGM : Panoramico / Emilio Haro


 20日が締切といわれていた弁護士本を、21日の38時すぎに脱稿。20日は日曜日だったから、きっちり間に合わせたと評価してよかろう。ほんとうは22日の午後2時すぎということだが、まあ、細かいことは気にするな。少なくとも私にとって、21日と22日のあいだに境目はなかった。飲んだリゲインは3本。

 その時間まで徹夜するとまず夜になるまで眠れないわけだが、かといって何かする気になるかというとそんなはずもなく、家に帰って風呂に浸かり、茶の間でゴロゴロしているうちにセガレが学校から帰ってきて、「あれ父さんいたの」とか何とか言われながら、やがて晩飯の時間になって家族と食卓を囲む午後というのは、なかなか良いものである。おそらくどの仕事にも、その仕事でしか味わえない解放感というものがあるに違いないが、私の場合はこれが至福。セガレが寝たあとも茶の間でゴロゴロし続け、しかしテレビはつけず、音楽など聴きながら、わが子の成長具合について愚妻と語り合う。結論はいつも「とりあえず順調」といったところ。いまのところ、セガレ自身の将来のビジョンは、「サッカーか物書きか音楽」なんだそうだ。ま、がんばりなさい。「サッカー好きでエッセイの書けるミュージシャン」になれば満願だぞ。そいつ、あんまり食えてない気がするけど。

 爆睡して目覚めると、東京は雪。ひと仕事終えたライターが、次の仕事に向けて気分を切り換えるにはちょうどいい。土曜日から、1週間ほど旅に出る。







平成二十年一月二十一日(月) 88.0 kg _| ̄|○


取り急ぎ
BGM : Wonder of Love / 露崎春女



 告知がギリギリになってしまったが(現在午後4時すぎ)、本日、テレビ朝日『スーパーJチャンネル』でブラインドサッカーが取り上げられる模様。時間帯は18時過ぎになるらしい。先日の日本選手権にも取材に来ていたから、私もどっかに映り込んでいるかも。いや私のことなんかどうでもいいわけだが。








平成二十年一月十九日(土) 87.6 kg


デッドラインの謎
BGM : The Art of Love & War / Angie Stone


 先月の9日に、「24時間戦ってます?」と書かれたリゲインをがぶがぶ飲みながら24時間戦ってフィニッシュに持ち込んだ原稿が、さっき、本になって宅配便で届いた。はえー。脱稿から見本完成まで、6週間しかかかっていない。しかも年末年始の休みをはさんでいながら、である。ふうん。出版社や印刷所というところには、そんな潜在能力があるのだな。ってことはアレだよ。いま書いてる本は3月末発売だから、ほんとうのデッドラインは……などと逆算してはいけませんね。いけません、いけません。A社でやれることがB社でもできるとはかぎらないのである。「原稿アップは20日」と申し渡されていたのは、ひょっとして「2月20日」のことだったのだろうか、と思わないでもないが、そんなことないよなぁ。と、ぐずぐず言ってないで原稿を書く。なにしろ、まだ4万字も残っているのだ。あはは。リゲインをアゲインすべし。








平成二十年一月十八日(金) 87.6 kg


目覚める方法
BGM : Black Diamond / Angie Stone


 今日のは渡米後の宮本典子ではありません。

 起床後にボーっとしつつ朝飯をもさもさ食いながらフジテレビを横目で見ていたら、小倉智昭が(前後の脈絡は不明だが)裁判員制度について、「検察や弁護人が裁判員にわかりやすくするために事実と違う説明をするんじゃないかという不安がある」という意味合いのことを口走っていたので、「おまえらワイドショーが、どの口でそんなこと言うとるんじゃい!」と飯粒を吐き出さんばかりの勢いで罵ったら、「父さんは言い方が怖い」と愚妻にたしなめられた。朝、ワイドショーか朝日新聞に文句をつけた瞬間に頭がシャッキリするというのは、私の悪い癖だ。しかしまあ、ほんと、よく言うよな。香川のあのお父さんの前で同じこと言ってみろよ。もし私がコメンテーターとして小倉の横に座っていたら、「そうですよね。そんなことになったら、裁判のワイドショー化ですものね」と言ってやりたいところである。

 だいたい、私の聞き間違いでなければ、小倉智昭は「裁判員」のことを「陪審員」と言っていた。そういうアバウトな言葉遣いのほうが、よっぽど不安なんだよ。裁判員と陪審員は似て非なるものなんだよ。法律の世界には、弁護士と弁護人とか、告訴と告発とか、刑法と刑事法とか、そういう似て非なる言葉が山ほどあるんだよ。そんなようなことを正確に、しかし「わかりやすく」、おまけに面白そうに説明するのに、私が今どれだけ苦労してると思ってるんだよ。弁護士の言いたいことを代弁するのは大変なんだよ。助けてくれよ。







平成二十年一月十七日(木) 87.8 kg  な、なぜだ!


ボーボボと某と某
BGM : Joy Love Happiness / mimi



 渡米後の宮本典子である。あくまでも「mimi」になったのであって、ボボボーボ・ボーボボになったわけではないので勘違いしないように。

 だれも勘違いしません。

 先日、愚妻がセガレを連れて久我山駅近辺の某ファミレスに行った。「某」ったってそんなに数はないので地元民には丸わかりだが、それはともかく、支払いをする際、請求額が1240円だったので愚妻は10240円をレジ係の若い女に渡したつもりだった。ところが返ってきた釣りは9000円ではなく、小銭がじゃらじゃらと混じっていたという。愚妻が「240円渡したと思うけど?」と問うと、レジ係は顔色ひとつ変えずに「230円だったので」と答えたそうだ。ほかの客が並んで待っていたので、愚妻は「じゃあ、これでいいですっ」とプリプリしながら釣りを受け取ったらしい。ななな何のために小銭を出しとると思っとるんじゃオノレは! なぜ「十円足りません」のひと言が言えぬ! という話だが、しかしまあ、音声つき自動販売機を相手にしていると思えば腹も立たないということであろう。質問に答えてくれるだけ、自販機よりはほんの少し人間的にできていると言えるかもしれない。

 きのう、某誌編集部から、突如として連載コラムの執筆を打診された。わしズムの連載が面白いのであんなノリのやつをもうひとつ、とのこと。うほほーい。「某」ったって、つきあいのある雑誌はそんなに多くないので業界関係者には丸わかりかもしれないが、それはともかく、いまの私に舞い込む可能性のある仕事のオファーの中では、これがもっとも喜ばしい。待ってました!って感じだ。内容も時期も未定なので、いつ立ち消えにならないともかぎらないけれど、打診されただけでも私にとって十分に価値のある話である。月2回(というとますます媒体が限定されるが)の締切をこなせるほどの力量が自分にあるかどうかいささか心許ないところではあるが、そんなもん、断る理由はひとつもない。何をどう書くか、これから全力で考える。







平成二十年一月十五日(火) 86.6 kg


日本選手権のこと
BGM : On How Life Is / Macy Gray



 2日間、冷蔵庫の中で過ごしているような土日だった。初日は雨、2日目は風。第6回日本視覚障害者サッカー選手権は、とてもよく冷えた大会だった。日が暮れてから行われた決勝戦など、タイムアウトのたびにフェンスの陰にしゃがんでビバークしていたほどだ。フェンスのある競技でほんとうにヨカッタと思う。いま風邪をひいて寝込んでいないのが不思議だよまったく。

 しかし悪天候にもかかわらずピッチでは熱戦が……というのはあまりにも凡庸なレトリックでイヤになるが、事実、フィルードには選手たちの燃えるような勇気と闘争心が漲っていた。すばらしいファイトの連続。アジア選手権は各国とも守備の意識が強くてなかなか得点が入らなかったが、この大会は全体的にきわめて攻撃的で、ゴールシーンに飢えていた私にとっては(おそらくは仁川でひとつも得点できなかった代表選手たちにとっても)とても面白い大会だった。忙しいので詳細を書いている余裕がないが、優勝は、たまハッサーズ。前回に続く連覇である。チームとしての完成度は全体の中でも抜きん出ており、王者としての風格さえ感じさせる戦いぶりだった。そのハッサーズと前回同様準決勝で対戦し、前回同様の試合展開(2-0から2-2に追いついた)で引き分けに持ち込みながら、前回同様PK戦で敗退したF.C.Avanzareには、次回選手権での捲土重来を期待したい。なんか高校野球の講評みたいになってるな。寒いなかで必死に撮影した写真は後日公開する予定。

 ちなみに日曜日は、愚妻とセガレも観戦。私も一度は見せたいと思っていたし、本人も見てみたいというので、サッカーの練習は休ませた。いろんなサッカーを見るのも勉強のうちなので、それだけの価値はあったと思う。とくに、ハッサーズのサポーターとして業界では有名な全盲の小学生K君に「サッカーしようよ」と誘われ、会場の隅で「ヘイ、ヘイ!」「行くよ!」などと声をかけながら鈴の入ったボールを蹴り合って遊ぶことができたのは、セガレにとって得難い経験だった。K君のキックはとても正確に足元に届き、「うちのチームの1年生より上手いよ」とセガレを驚かせていた。父親としては、セガレのキックもちゃんとK君の足元に届くかどうかのほうが心配だったけどね。まあまあ正確に蹴っていたので安心。K君はうちの近所にある盲学校に通っているので、いずれ遊びに行って、GK役でも務めてあげるといいかもしれない。未来の日本代表を背負って立つであろうブラインドサッカー界の翼クンには、若林クンの存在が必要だ。かなり役者不足ではあるけれど。ともあれ、選手および関係者のみなさま、ほんとうにお疲れさまでした。そして、すばらしい大会をありがとうございました。







平成二十年一月十一日(木) 87.0 kg


あした飛田給で
BGM : In Rainbows / Radiohead



 昨年の暮れに告知したとおり、いよいよ明日、味スタのアミノバイタルフィールドで第6回日本視覚障害者サッカー選手権大会が開幕する。年に一度開催される、国内最大の祭典だ。大相撲は千秋楽まで2週間あるが、こちらは明後日に閉幕してしまうので、お見逃しなきように(入場無料)。B1クラスは、北は仙台から南は福岡まで全国から集結する12チームをA〜Dの4グループに分けて初日にグループリーグを行い、その結果を踏まえて最終日(2日目)に順位決定戦を行う。2試合ずつ同時にやるので全試合をフル観戦できないのがやや残念だ。各試合のキックオフ予定時刻はこんな感じ。とくに、F.C.Avanzare × 兵庫サムライスターズ戦と、たまハッサーズ × 大阪ダイバンズ戦という屈指の好取組が同時開催というのは、ファンにとって辛いところである。ザッピングしてゴールシーンを見逃さないよう、気をつけなければいけない。せめて日曜日の準決勝は、一方をB2/B3の試合かB1の5位決定戦と入れ替えられないものなのでしょうか。まあ、それだと休憩時間に差が出てフェアじゃなくなっちゃうからなぁ。しょうがないよなぁ。ともあれ、ほとんどすべての関係者諸氏にお会いできそうなので楽しみにしています。天候が心配ですけども。明朝までに降り終えて、明日の午後は虹がかかっていたりしないもんだろうか。








平成二十年一月十日(木) 87.2 kg


うれる、うれない、うらない
BGM : Believe Yourself / 露崎春女


 完全無欠の個人的主観だが、この人の音楽は露崎時代のほうがLyricoっぽく、Lyricoになってからのほうが春女っぽいような気がしてならない。で、このアルバムがLyrico名義だったらもっと売れたんじゃないかと思ったりもするのだった。人生って、時々ちぐはぐだ。いや、これが売れたのか売れなかったのかも知らないわけだが。まあ、売れてたら改名しないよな。

 しかし私の場合、自分の手がけた本だって「売れる/売れない」の判断がおぼつかないのだから、その見立てなどまったく信用できないのである。昨年の暮れからこっち、書いているときは「誰が読むんだこんな本」とかなんとかブツクサ言っていた(しかしちゃんと心を込めて仕上げた)本が次々と重版しているのだった。うひひ。だがその一方で、「これは売れるだろ」と思いながら書いた(いつもより余計に心を込めて仕上げた)本はまるで売れなかったりするのだから、ほんとうにわからない。マーケットはいつだって謎だ。たぶん、「売れる/売れない」については、私に訊くより花占いのほうが当たると思う。

 「痩せる/痩せない」についても訊かないでほしい。それにしても、「花占い」ってこの世にまだ存在するのだろうか。

 ともあれ景気のいい重版通知が続いているので出版界もちょっとは元気が出てきたのかと希望的観測を持ち始めたところに、草思社が民事再生法の適用を申請したというのだから驚く。そんなことになっていたとはまったく知らなんだ。ベストセラーは数知れず、タイトルも実にうまいので、つきあいの一切ないライターにとっては「いつかお知り合いになりたい版元」のトップ5にランクされる会社だったのだが、「声に出して読みたい日本語」があってもこうなってしまうのだから、出版業とはじつに恐ろしいものである。つきあいのあるアノ会社やコノ会社は大丈夫だろうか。がんばれ、アノ会社やコノ会社たち。版元の人たちは、みんなとてつもないリスクを背負って企画した本を書かせてくれているのだから、どんな本も「こんな本」なんて言ってはいけませんね。いけません、いけません。







平成二十年一月八日(火) 87.2 kg


ビューティフル・ネーム
BGM : Rush / 宮本典子



 体重公開ダイエットである。基本的に前日の晩飯前に計測した数字を上にメモしておくことにした。昨夜ちょっと減っていたので気をよくして公開に踏み切ったわけだが、きっと後悔するに違いない。体重後悔ダイエット。

 知っている人がどれだけいるか心許ないが、宮本典子である。呉田軽穂作詞の「エピローグ」が収録されたアルバム。すごいジャケットだ。八十年代が「つい最近」ではなく「大昔」なのだということが、こういう写真を見ると実感できるのだった。学生時代に、おもに六本木ピットインで行われていた宮本典子のライブに何度か足を運んだことがある。たしかギターは大出元信、ベースは琢磨仁で、すばらしくカッコいいステージだった。ぜんぜん知らなかったが、その後、宮本典子は渡米して「mimi」になったらしい。そういえば昨日の「Lyrico」は、むかし露崎春女だったそうだ。ちなみに「呉田軽穂」は松任谷由実のペンネームです。関係あるような無いような話だが、宮本典子が渡米する前年(一九八九年)の今日、昭和は平成に改元された。私もそうだが、人は名前にいろいろなものを託すのである。セカイを切り開く意志と祈りを込めて。







平成二十年一月七日(月)


国語力と決定力
BGM : Tender Lights / Lyrico



 セガレの塾の国語の問題、きのうは「正解はコレだろうと見当はつく」などと書いたが、セガレが持ち帰った模範解答を見たら見事に間違っていた。あじゃぱあ。四択は二問あったのだが、どっちも違ってるんだから参る。作文業者を廃業したくなるのはこんなときだ。セガレが自分で考えた答えは大半が正解だったのだから、わからない問題も自分でやらせりゃよかったのだ。だから国語は嫌いだっていうんだよまったく。間違え方が小中学生時代とまったく同じじゃん。どういうふうに間違えるかというと、早い話が「深読み」しすぎるのである。出題者は、解答者が字面どおりの文意を理解しているかどうかを見ようとしているだけなのに、つい行間を読もうとしてしまうのだ。ひっかけ問題じゃないのに、自分から勝手にひっかかる奴なのだ。セガレには「すまん。父さんが悪かった。こういうのは書いてあることをそのまんま読めばいいのだ」と謝罪&指導。親として、この上ない恥をかいた。これからセガレと二人三脚で努力し、「文科省的に正しい国語力」を身につけて雪辱を果たしたいと思ふ。

 六年前には九十七キロあった体重を一時は七十九キロまで落としたにもかかわらず、超多忙による食生活の乱れと運動不足(および年末年始の暴飲暴食)のせいでまた八十八キロまで増えてしまったので、夏休みまでに十キロ減量することにした。念のために言っておくが、これは「目標」などという生ぬるいものではない。もはや揺らぐことのない「決定事項」である。七月下旬の私は体重が七十八キロになっているということが決まったのだ。ああ良かった。「レコーディング・ダイエット」に対抗して「決定論ダイエット」の本を書ける日は近い。







平成二十年一月六日(日)


角度を求めた夜
BGM : Long Road Out of Eden / Eagles



 きのうは朝から家族が出たり入ったりしていたので、お留守番役を務めながら自宅で仕事。夜、愚妻がサッカークラブの保護者&コーチ陣の新年会に出かけているあいだ、セガレの塾の宿題につきあってやった。算数は多角形の角度を求めたりする例のアレ。こんなもんラクショーだろうと思ったのだが、ある問題で、正五角形の内部に描かれた複数の図形のなかに二等辺三角形が存在することに気づくまで二十分ぐらいかかってしまい、怒濤の冷や汗をかいた。角度を求めない生活を何十年も送ってきたツケは重い。しかし国語なら何十年も続けてきたからラクショーのはずだ、と、思いきや、これがまたムズカシイのだ。ある場面における登場人物の心境を四つの選択肢の中から選べという例のアレである。正解はコレだろうと見当はつくものの、なぜそれだけが正解なのかをセガレに説明することができない。本当にそれが正解なのかどうかも自信がない。そういえば、この手の問題は子供の頃から苦手だった。べつに、国語が好きな子供ではなかったのだ。おもしろくねえもんな、国語の授業なんて。なので、「明日ちゃんと塾の先生に教わって、どう教わったかを父さんに教えなさい」とセガレに命じて、自分の仕事に戻った。そっちはそっちで、次をどう書くか正解が見つからずに難渋。一緒に塾に行って、先生に相談したい。

 ちなみに塾は今年度が終わったらやめることになっている。もともと中学受験などする予定はなく、セガレが行きたいというので行かせていたのだが、五年生になると週に三日だか四日だか晩飯用の弁当を持って夜九時ぐらいまで授業を受けなければいけないというのだからやってられない。小学生が塾で晩飯を食うって、どう考えてもおかしいだろそれは。間違いなく、得るものより失うもののほうが大きいと思う。しかも、勉強は中学や高校に行ってからでも挽回可能(さらに言うなら人生は何歳になっても挽回可能)だが、そこで失った家族の時間は二度と取り戻すことができない。無論それは受験コースの話で、もっとユルい補習コースみたいなものもあるのだが、それでは本人が物足りないようだ。受験はしないがちょっとハイレベルな知的コーフンみたいなものを味わいたい、という子供のためのコースは用意されていないのである。要するに、ここでも二極化が起きているのだった。やれやれ。とはいえ地力はつけておいてほしいので、Z会の通信添削は続けさせる。ますます親の指導力が問われるので頭が痛い。日頃から角度を求める習慣をつけておこうと思う。あと、著者の心境を明確に説明できるような原稿を書かなければいけない。







平成二十年一月四日(金)


本日も晴天なり
BGM : Revelation / 吉田美奈子



 謹賀新年である。子年の平成二十年、年賀状業界におけるNGワードは「ア・ハッピー・チュー・イヤー!」だった。少なくとも3通はあったと思う。使った人は反省するように。正月早々から憎まれ口をたたいてしまったが、今年もこんな感じでやっていくのでよろしくお願いしたいのだった。以下、年末年始の行状。

●大晦日は午後2時すぎまで働いたのちに家族と吉祥寺で合流し、カレンダーなど買う。ロンロンの食品売り場で和牛をたっぷり買い込み、晩飯はすきやき。テレビは紅白を回避し、無人島0円生活。最後を生中継に切り換えて視聴者からカタルシスを奪った制作者を家族全員で痛烈に批判。しかし、にしおかすみこの好感度だけはやけに高まった番組ではあった。食後、テレビを見ながら年賀状を書こうと思っていたのだが、食い過ぎで果たせず。

●元日は小金井の実家へ。兄の一家と久しぶりに会う。大学1年生の姪(二十歳)が、最近、彼氏を親に会わせたんだとか。昭和の終わり頃に生まれたときから知っている人間が恋をするようになるというのだから、なるほど平成も二十年になるわけである。帰宅後、年賀状を書こうと思っていたのだが、飲み過ぎで果たせず。

●2日は一家3人で朝から川越まで足を運んで七福神めぐり。たぶん妖怪好きの延長線上にあるのだと思うが、セガレは七福神にも関心があるのだ。「寿老人と福禄寿は南極星の化身なんだよ」だの「日本で生まれたのは恵比寿だけ」だの、いろいろと教えてくれた。午前十一時から午後四時まで歩きどおしでくたくたになったが、写真のような店もあり、川越はおもしろい街だった。あと、「スイス」という名前のカラオケスナックもありました。とても国際色豊かな街だ。帰路、渋谷マークシティのつばめグリルに寄ってハンブルグステーキを食う。帰宅後、年賀状を書こうと思っていたのだが、歩きすぎで果たせず。

●3日は私の母校が駒澤大学に追い抜かれ、愚妻の母校が宮城県工を破るのを横目で見ながら年賀状書き。今年になってから「今年もよろしく」と書くのは実に正しいことをしているようで気分がよろしい。夕刻から調布にある愚妻の実家へ。またすきやきを食う。帰宅後、再び年賀状を書いて正月休み閉幕。

●本日より仕事再開。年頭の所感とか考えている余裕はありません。