大阪の日誌

扉(目次)

深川全仕事

大量点計画

江戸川時代

メ ー ル

平成二十年二月二十八日(木)  87.0kg


どうしても気になるもので
BGM : yippee ! / Cosa Nostra


 このあいだ、湯山尚之「夢〜プライド in ブルー―熱き知的障害者イレブン、ピッチに立つ!」(河出書房新社)という、幕の内弁当のように言葉をあれもこれも詰め込みすぎて焦点が絞りにくくなってしまったタイトルの本を読むまで知らなかったのだが、長沼健氏が会長を務めるこの競技の国内統括組織は、その名称を「日本ハンディキャップサッカー連盟」というのだった。いかがなものかと思う。知らない人が見たら、知的障害だけでなく、CP(脳性麻痺)や電動車椅子や聴覚障害や視覚障害などを含めた障害者サッカー全般を統括する組織だと思うだろう(今のところそういう組織は存在しない)。しかも一方で「東京都知的障害者サッカー連盟」も存在するのだから、なおさらわかりにくい。まあ、ブラインドサッカーのほうも、「日本視覚障害者サッカー協会」がある一方で「新潟県ブラインドサッカー協会」も存在するという不統一なことになっているのでアレですけども。

 そんなことも含めて、どうも障害者スポーツの世界は言葉の使い方が曖昧になっているように感じられ、それは私が細かいことを気にしすぎなのかもしれないものの、しかし外部のスポンサー企業やメディアとつきあっていく上では、けっこう大事な問題だと思う。たとえば、これはすでに一部の関係者にも申し上げたことなのだが、ブラインドサッカーの世界では「アジア選手権」のことを「アジア大会」と呼ぶことが多い。「アジアの選手権大会」だから略せばそうなるとはいえ、「チャンピオンシップ」は通常「選手権」と訳すのだと思うし、そもそも「アジア大会」と言った場合、ふつうは4年に1度の「アジア競技大会」のことを指す。メディアのなかには、カギカッコ内はもちろん地の文でも関係者の言葉をそのまま使って「アジア大会で4位」などと書いてしまうところもあり、そのせいで「アジア競技大会の正式種目になっている」という勘違いが生じないともかぎらないので、このへんは正確を期したほうがよろしいのではないかと思うのだった。この世界には、健常者スポーツは文部科学省、障害者スポーツは厚生労働省という縦割り行政による弊害(たとえばお金の出所の問題など)も少なからずあるようだが、もし、そういった壁を乗り越えて障害者サッカーを「サッカー」として位置づけさせたいのであれば、言葉遣いも「サッカー的」なものに統一するよう心掛けたほうがいいのではないだろうか。と、思います。

 出張先でも東京でもブラインドサッカー関係者の取材ばかりしている今日この頃だが、相手の仕事や学校の都合上、インタビューの時間帯は夜になることが多く、するとどうしたって「飲む」ことになるので、痩せる暇がない。ゆうべも国分寺でT.Wingsの宮島さんと深夜1時まで飲んでしまった。明日は博多。屋台ラーメンの誘惑に勝てる自信がない。勝つのは難しいので、せめて引き分けに持ち込みたいところだが、どうすればラーメンと引き分けられるのかわからないのが困る。いや、ラーメンじゃなくて誘惑と引き分けるのか。どっちにしろ意味わからん。









平成二十年二月二十七日(水)  86.8kg


画竜点盲
BGM : Happiness / 鈴木桃子



 書き忘れていたが、10日ほど前、LDプレーヤーを買い替えた。世間がHD DVDだBDだと騒いでいるときに何をしとるんじゃという話だが、まだ新品を供給しているパイオニアはそれなりにえらい。購入価格は、34,650円。18年前にいくらで買ったのか覚えていないが、当時の半値以下であることは間違いないだろう。しかも両面連続再生だ! すごく便利なのだ! 中古ソフトも激安で手に入るので、先行きのことを深く考えさえしなければ、悪くないオモチャである。なにしろオペラ「トリスタンとイゾルデ」と「ラ・ボエーム」をまとめて3,000円で買えるのだ。定価だと合計20,000円ぐらいになるわけで、それだけでプレーヤー購入価格の半分はモトを取ったことになる。と、一生懸命に買い替えを正当化している私。

 で、さっそく手持ちの「座頭市物語」(1962年/三隅研次監督)を見たわけだが、やはり「武士の一分」とは違って、誰も台詞のなかで「盲人」とは言っていない。「めくら」のオンパレードである。たとえば、「俺はね、めくらだとか片輪だとか、そんなことを言ったって、別に文句は言いやしないよ。そのとおりだもんな。だけどね、たかがめくらだとか、めくらのくせに、こう、めくらを侮った言い方をされると文句があるんだよ」といった勝新太郎の台詞を全盲の視覚障害者が聞いたときに何を思うか私にはわからないし、たぶん人によってさまざまだろうと推察するが、 少なくとも、木村拓哉の「盲人だと思って侮り召さるな」という台詞と比較した場合、どちらがより切実に当事者の心情や時代背景を表現しているかは明らかである。おそらく「武士の一分」の製作者はそれをわかっていながら「逃げた」のであり、その一点において、不誠実な作品になってしまったことが残念でならない。そこで逃げるぐらいなら、最初から盲人を主人公とする時代劇など企画しないほうがいいと思うぐらいだ。ここで「画竜点睛を欠く」などと言うと、また意味合いがこんがらがってしまうわけだが。

 ちなみに画竜点睛の「睛」には「ひとみ」という訓読みがあり、「晴眼者」は本来「睛眼者」と書くそうだ。ウィキペディアでは「睛」が常用漢字ではないので「晴眼者」になったと説明されているが、どうだろうか。私があまり信用しないことにしている岩波の広辞苑(第四版)には「晴眼」しか載っておらず、辞書に「常用漢字しばり」なんかあるわけがないことを考えると、何か別の事情がありそうな気がしなくもない。







平成二十年二月二十六日(火)  87.0kg


出張は太る
BGM : Jericho / The Band



 日本語文法業界には、上の見出しのような文を「こんにゃく文」と呼んで、「うなぎ文」(僕はうなぎだ)と区別する考え方があるそうだ。「こんにゃくは太らない」を典型とする文のことで、この場合、太らないのはこんにゃくではなく、こんにゃくを食った者である。出張は太ったりやせたりしないが、出張をする私は太るのだった。大阪ではどういうわけか体重が減ったので油断していたが、新潟は手強い。寿司、ずわい蟹の天麩羅、タレカツ丼、へぎそば等、さんざん食って昨夜帰京。醤油ダレを使う(玉子は使わない)タレカツ丼は、ブラインドサッカー日本代表GKの浅間さんの案内で、「発祥の地」である「とんかつ太郎」に行って食ったのだが、「せっかくの機会だから」と思って「特製カツ丼」を注文したのがいけなかった。なにしろカツ丼がミルフィーユ状になっているのだ。上から順に、カツ、ごはん、カツ、ごはん。通常、カツ丼はごはんだけが残らないように配分を考えながらカツのほうをちびちびと食うものだが、とんかつ太郎の特製カツ丼は、どんなにごはんをちびちび食べても最後はカツが2枚ほど余ってしまう。世のカツ好きにとっては、夢のようなカツ丼であろう。でも、食い過ぎ。旨かったけどね。小千谷で食べたへぎそばも、長く記憶に残りそうな一品。

 もちろん取材もした。日曜日は雪がどさどさ降るなかで新潟医療福祉大学を訪ね、Jリーグ元年に名古屋グランパスでのプレイ経験もある秋山隆之先生にインタビュー。昨年秋から地元のB1チーム新潟こしひかりーずに関わっている人物で、私は先日の日本選手権で初めてお目にかかった。サッカーの専門家から見たブラインドサッカーの可能性について、いろいろと興味深いお話をうかがう。

 大学のある豊栄まで、新潟駅からJR白新線に乗ったのだが、戸惑ったのは、車両のドアが自動ではないことだ。いちいち全開にすると車内が寒いので、必要なドアだけ乗客が自分で開ける。行きに乗った車両はボタンを押して開ける方式、帰りに乗った車両は旧型なのか手で開ける方式だった。「半自動」なので閉めるのは自動なのだが、長く開けておくと寒いので、みんな閉めるときも手動でやっている。まるで襖みたいだ。私もやってみたが、電車のドアを手で開け閉めするのって、ものすごく躊躇う。

 取材を終えて大学から豊栄駅に戻る際、タクシーに乗ったら、ちょうど新潟競馬場の横を通り過ぎたあたりでラジオからフェブラリーステークスのファンファーレが聞こえたので、運転手氏に「買ってるんですか?」と訊ねると、「ええ。100円ずつですけどね」という。なので黙ってレースの成り行きに耳を澄ました。ヴァーミリアンという馬が1着。運転手氏が黙っているので、「どうでした?」と訊くと、「いやぁ、なんか、当たったみたいですねぇ」と言って、馬券を見せてくれた。3連単で、配当は17,550円。客を乗せていなければ、「そのまま!」とか「うおっしゃー!」とか何とか叫びたかったところだろう。競馬の醍醐味を半減させてしまい、申し訳ないことをした。「他人事ながら嬉しいですね。なんか自分にもいいことがありそうな気がする」などと言ったら、降車時、2,220円の料金を「お客さん、2,000円でいいわ」とおまけしてくれたが、そんなつもりで言ったわけじゃありません。

 ところで新潟〜豊栄間には、阿賀野川が流れている。小学生時代、ウォーターラインシリーズという軍艦のプラモデルに熱中していた頃に、「阿賀野」という軽巡洋艦を作ったことを思い出した。日本海軍には重巡洋艦に山の名、軽巡洋艦に川の名をつける習慣があり、私はなぜか「軽」のほうに心惹かれていたような記憶がある。その中でも阿賀野型(阿賀野のほかに能代・矢矧・酒匂がある)はとくにスマートかつ精悍な印象があって好きだった。いま、イージス艦のプラモって存在するのだろうか。そういえば「あたご」って山の名前だ(昔も「愛宕」という重巡があった)けど、あれは重巡洋艦的な存在ということなのだろうか。それはともかく、初めて見た阿賀野川は、雪を川面に吸い込みながら淡々と流れていた。どこか切ない風情。車内からの一瞬の出会いだったので、いつかもう一度、ゆっくり眺めてみたい川である。

 月曜日は、燕市の株式会社ミツルで社長にインタビュー。新潟と関東にあるブラインドサッカー用フェンスを開発・製造したアルミ製品メーカーである。ふだんは主に農具や三脚などの製造を手がけているそうだ。「ビッグスワンのようなサッカー場で使用しても芝を痛めない(しかし十分な強度を持った)フェンス」をいかに作るかに頭を悩ませたという「プチ・プロジェクトX」なお話をうかがえて面白かった。

 ゆうべ帰宅してテレビを見ていたら、札幌で、全盲を装って生活保護費を騙し取っていた男が運転免許の更新で視力があることがバレて逮捕されたという、物悲しくも間抜けなニュースが流れていた。事故にあったとき「赤い車にひき逃げされた」とかいう証言もしていたというのだから呆れる。

 だが、視覚障害者スポーツに関わっている人間にとって、これは他人事ではない。この男が眼科医から「ほぼ全盲」という診断を受けていたということは、(その医師が男とグルでないのだとすれば)選手のメディカルチェックの精度にも限界があるということだろう。実際、ある視覚障害者競技の選手によれば、パラリンピックでは、より有利な条件で戦うために、B3レベルの視力の者がB2、B2の者がB1のカテゴリーにエントリーするようなことが「当たり前」に行われているという。しかし、それが不正であることを客観的に証明するのは難しい。

 それに、たとえ客観的な診断が可能だとしても、条件が完璧に揃うとは限らない。同じ全盲でも、たとえば「先天」と「中途」では、競技をする上で有利不利が生じる可能性がある。ブラインドサッカーなら、たとえばサッカー選手の動きを「見て覚えた」ことのある選手と、サッカーそのものを見たことがない選手とでは、キックのフォームからしてかなり違うものだ。視覚なしの空間認識などは「先天」のほうが優れている部分もあるので一概に有利不利を決めることはできないが、ともかくそのへんはけっこう微妙な問題を孕んでいるのである。おそらく、ほかの障害者競技でも事情は似たり寄ったりだろう。いずれにしろ、障害者競技では、いかに条件を揃えてフェアな競争をするかが大きなテーマだ。しかし「何がフェアか」を突き詰めて考えていくと、健常者のスポーツであれ、入試や就職試験であれ、さまざまに異なる環境で生まれ育った人間を完全に条件を揃えて競争させることなど不可能だということに気づく。「機会均等」というお題目を唱えるのは簡単だが、それを実現するのは容易ではないのである。人はそれぞれ、どうすることもできない運命のようなものを背負って生きている。化学物質とは違うので、理科の実験みたいに条件を揃えて比較することはできないのだった。







平成二十年二月二十三日(土)  86.0kg


新潟に来ている
BGM : Radioio Acoustic



 すでに新潟県ブラインドサッカー協会の藤崎理事長への取材を終え、ひとりでホテル近くの居酒屋で飲んでべろべろになり、日韓戦で不愉快になった直後に三浦和義タイーホのニュースを見て吃驚しているわけだが、そんなことはともかくとして、私は新潟を誤解していた。駅を出たら一面の雪景色で歩くのも大変だろうと決めつけていたので、事前にわざわざブーツまで購入して「準備万端」などと思っていたのだが、新潟駅前はご覧のとおりである。すげえ拍子抜け。この写真を撮ったあとで雪が降り始めたが、このあたりは強い風が雪を吹き飛ばすので積もらないらしい。「新潟=豪雪」という固定観念にとらわれていたことを深く恥じている。しかし、あした訪問する新潟医療福祉大学のあたりはかなり積もっているらしく、ブーツは無駄にならないようなのでヨカッタ。

 ところで上越新幹線である。MAXではないほうの「とき」に乗ったのだが、座席がやけに狭く感じたのは気のせいだろうか。単に隣のおっさんが図々しく領空侵犯していただけかもしれんが、ずーっと私の右腕とおっさんの左腕が密着している感じで、とてもキモチ悪かった。それに加えて、同じ車両で25人規模の宴会を開いている団体もいたのだからたまらない。いまどき、あそこまで本気の車内宴会を敢行する人たちがいるとは思わなかった。みんな座席を向かい合わせにしていたが、ミニスカートの美女でもいるならともかく、あの狭苦しい空間でおっさん同士が膝をつきあわせて何が嬉しいのかさっぱりわからない。それより何より、あの完璧な準備はいったいなんだろうか。彼らは、大量の缶ビールはもちろん、越乃寒梅やいいちこの紙パック、焼酎を割るための水とウーロン茶、ザ・氷、それらの飲み物を入れるコップやストロー、東京から新潟まで2時間食べ続けてもなくならないだけのカワキモノなどを盛大に持ち込んでいたのである。あれだけの宴会資源があれば、花見だって楽勝でやれるだろう。すさまじい熱意である。宴会の出席者だったら「幹事GJ」と称賛するところだが、うるさいし臭いのでぜんぜん眠れず、猛烈に不機嫌。チーズ味のカールは本当に勘弁してほしいよ。すごくニオうんだよあれは。煙草の臭いが許されないなら、宴会の臭いも許されないはずである。新幹線が全車禁煙になるのは我慢してやるから、今後は「禁酒車」と「飲酒車」に分けるべし。







平成二十年二月二十二日(金)  86.4kg


立川を歩いた
BGM : Revival / John Fogerty



 先週の土曜日は新宿、今週の火曜日は武蔵小金井、きのうは武蔵境と立川、来週の水曜日は国分寺など、このところ中央線沿線での取材が多い。いま著名ブロガーのあいだで「自分にとって東京のどこがホームでどこがアウェイか」といった話題が流行っているようだが、私の場合、「ホームとしての東京」は中央線の新宿〜立川間である。そこに新宿・渋谷・吉祥寺を結ぶ三角形を加えたぐらいの地域が、地元民意識を持って行動できるエリア。学生時代は高田馬場や池袋で過ごす時間が多かったが、そこがホームだと感じたことはたぶん一度もない。いまだに「新宿より上」のエリアにはアウェイ感があるのだった。とくに池袋は、どこを歩いていてもブーイングが聞こえてきそうな気がする。まあ、ホームだろうがアウェイだろうが、方向音痴であることには違いがないので、どこであっても道に迷うことは多いのだが。

 実際、きのうも迷った。武蔵境から立川に移動し、取材開始まで時間があったので、試しに25年前に卒業した都立高校まで行けるかどうかやってみたのだが、驚いたことに、駅から30メートルほど歩いた時点で「無理だ」と判断して駅に引き返したのだ私は。しかし私の名誉のために言っておけば、これは方向音痴や記憶力の低さだけが原因ではない。立川は四半世紀前と別の街になっていた。なんかもう、ポカンとしましたね。まっすぐ高校へ向かう道がどこにあるのか、さっぱりわからなくなっているのだ。駅前の地図を見てようやくその道を発見し、母校まで歩いてみたが、そこの街並みにもほとんど見覚えがない。何の郷愁も懐かしさも感じなかった。

 もっとも、それは私がもともとその高校にあんまり(というかまったく)良い感情を持っていないせいもある。「母校」と呼びたくないぐらいの感じ。理由は自分でもよくわからないが、それなりに歴史のある学校であるがゆえに「○○高生らしさ」を押しつけるような同調圧力があり、それに馴染めなかったのだと思う。だいたい、そこでそんな種類の集団的なアイデンティティを形成したって、あんまり意味がないと思うんですけどね。高校って、「自分らしさ」を模索しながら、ぐじゃぐじゃで未熟でこっぱずかしい自意識と格闘する場所じゃないの? だから私はあまり思い出したくないのだが。

 だったら足を向けるなという話だが、そうはいっても近くに行けば興味はわく。しかし行ってみると、校舎などもほぼ全面的に建て替えられたようで、どこか見知らぬ地方都市をほっつき歩いているような気分になった。駅周辺も含めて、ピカピカな新しい建築物が造られれば造られるほど風景が田舎臭く見えるのが不思議だ。こうして、私の「ホーム」は徐々に目減りしていくのだろうか。おそらく吉祥寺が最後の砦なのだろうが、ここもヨドバシカメラの出現によってアウェイ感が漂い始めた今日この頃。

 明日は新潟へ行く。駅周辺の景観は、立川と見分けがつくだろうか。  







平成二十年二月二十一日(木)  86.8kg


300円のキモチ
BGM : Bundles / Soft Machine



 心配するな。きのうの日誌は、「When the Sun Goes Down」が疑問文ではないことぐらいわかって書いている(強弁)。

 そんなことはともかく、その後、amazon.co.jpから電話での対応に関する意見・要望を求めるメールが来たので、あらためてサイト上の入力画面から「二度も同じ品を誤送するとはまともな職業人のやることとは思えない」「正しい商品を再送せずに返金で済ませるなど言語道断」「当方が被った時間的&精神的損害の補償を求める」といった内容のメッセージを送りつけたところ、「今回お客様にご迷惑をおかけいたしましたので、ささやかですが、次回のご注文にご利用いただけるキャンペーン用Amazonギフト券300円を発行いたしました」という文言を含む詫びメールが届いた。ほんとうにささやかだが、やればできるんじゃんか。そういうマニュアルがあるのに、なんで同じことを電話で言わないかね。まあ、電話で「300円あげるから返品してください」とは言いにくかろうとは思いますけども。「火に油」になりかねん。しかし300円ってなぁ。いわゆる「精神的苦痛」を金額に換算するのは、やはり空しいものである。イライラしたせいで増えた煙草代の補償とでも思うしかない。

 ソフト・マシーンの「Bundles」をようやく手に入れた。バカゾンのマーケットプレイスでは9800円〜2万9800円という高値がついている稀少盤だが、吉祥寺の中古店が何を血迷ったのか3150円で出していたので、迷わず購入。すばらしい。稀少盤といえば、ローラ・ニーロの「愛の営み」がマーケットプレイスで1万8900円で出ているのを数日前に知り、かなり迷ったが、アナログ盤は持っているのだし、こんなもんに手を出したらこっちがバカ損になりかねない。再発を待つべし。  







平成二十年二月二十日(水)  86.6kg


人災バカゾン
BGM : The Unauthorised Breakfast Item / Caravan



 あれは2週間ほど前だったか、amazon.co.jpにJuana Molinaの「Tres Cosas」というCDを注文したら、Arctic Monkeysの「When the Sun Goes Down」というCDが届いた。そんな猿は知らないし、私は気象庁ではないので日没時刻を訊かれても困る。なので、amazonの規定に従って返品した。送り状をプリントアウトして商品を梱包し、宅配業者を手配しなければならず、かなり面倒臭い。もともと私は、宅配便の手配というやつがとても嫌いなのだ。あの作業はなんでああも面倒臭いのだろうか。仕事でも、編集者に「原稿で使った資料を送ってください」と頼まれると、猛烈に不機嫌になる。もちろん私も資料などを送ってもらうことはあり、お互い様の話なので、理不尽な不機嫌だとわかってはいる。だが、機嫌が傾斜していくのはどうしようもない。1200字の原稿をタダで1本書いてくれと言われたほうがまだ機嫌がいいのではないかと思うぐらいだ。いや、タダじゃ書かないよ。書かないけどさ。

 しかし、返品しないと注文した商品と交換してもらえないのだから、しょうがない。イライラしながら送り返した。で、きのう、amazonから包みが届いたのである。やっとJuana Molinaの「Tres Cosas」が聴ける。誰だってそう思う。ところが包みを開けてみると、Arctic Monkeysの「When the Sun Goes Down」が出てくるじゃないか。おまえはブーメランか。猿にも日没時刻にも興味はないと何度いえばわかるのだ。おにょれamazon.co.jpめ。久しぶりに怒髪が天を衝いた。もう、ドハドハだ。

 ドハドハしながらamazonに電話をした。正確にはブラウザーをクリックして「電話をさせた」のであって、そんな仕組みになっていることを初めて知ったが、そんなことはどうでもよい。応対に出た女に凶悪な声音で状況を説明すると、しばし待たされたのちに、amazon内のカタログ登録にミスがあると思われるので、返品を待って返金することになるという。ちょっと待てよコラ。カタログ登録にミスがある可能性は、最初に誤送した時点で推定できるはずだろうが。そんな猿でもできる(いや猿にはできないと思うが)簡単なチェックもせずに同じ猿を送りつけるとはどういう了見だ。しかも、こっちが注文した商品も届け先の住所もわかっているのに、返金だと? カタログを修正して送り直すことがなぜできないのじゃ。「カタログ修正後にお客様に替わって注文し直すことはできない」というが、そんなの知ったことか。おれがいいって言ってんだからいいに決まってんだよ。だいたい、カタログを修正する以前に、おまえが倉庫かどこかに出向いて商品を探して俺に送ればいいじゃねえか。見つからないならタワレコ行って買ってこい。……とか何とか、まあ、いろんなことを、ヤミ金の取り立てもかくやと思われる調子で述べ立てた。最初に自動音声で「通話内容を録音やモニターする可能性がある」とか何とか言っていたが、上等だ。ブラックリストにでも何でも載せやがれってんだコンチクショー。

 しかし電話の女は申し訳ありません申し訳ありませんと言いながらも「返品してください」の一点張りである。なので、「ヤだ」と、コドモになってみた。だって、ほんとうにイヤなのだ。一度でも十分に不機嫌だったのに、なんで俺が二度も猿の強制送還に手間をかけなければいけないのだ。ヤだヤだ。ぜったいにイヤだ。

 押し問答の末、向こうが宅配業者を手配してこちらへピックアップに向かわせることになり、送り状のプリントアウトもしなくていいことにはなったものの、納得はぜんぜんしていない。なにしろ、これだけ不愉快な思いをさせられ、すったもんだしたにもかかわらず、私は何も手に入れていないのである。注文する前の段階に戻っただけだ。たとえばギフト券をくれるとか何とか、こちらの怒りを沈静化させる手段はいくらでもあると思われるのに、そういう手当ては一切しようとしない。要するに、amazonとは「巨大な自動販売機」なのであろう。そうではないなら、バカだ。バカじゃないのならマシンだし、マシンじゃないならバカ。bakazon.co.jpだ。結局、儲かったのは宅配業者だけである。どうせなら、二度目も電話せずに黙って返品し、誤送、返品、誤送、返品の無限ループ地獄に陥れてやればよかったと、ちょっと悔やんでいる。  







平成二十年二月十八日(月)  86.6kg あらー。


空気と空論
BGM : Segundo / Juana Molina



 このところ関係者のインタビューばかりしており、先月の日本選手権以来ブラインドサッカーの現場に足を運んでいなかったので、ちょっと「空気」を吸っておきたいと思い、土曜は八王子富士森公園でたまハッサーズ、日曜は護国寺の筑波大学付属盲学校でT.WINGSの練習を見学。とても寒かった。体を運ぶ現場取材には「机上」の仕事にはないしんどさがある(行き先が遠ければ時間もお金もかかる)が、やはり頭で考えているだけでは気づかないことに気づいたりして面白い。ただ、自分がそのコストを払っているからといって、「現場を見ていない人間に何がわかるのか」というような「現場エゴ」には陥らないように気をつけなければいけない、と、橋下府知事をめぐる報道を見てそう思う。たとえば日本代表がパラ出場を逃したことについても、合宿練習に足繁く通っていた私は「選手も指導者も限られた条件の下で最大限やれることはやっていた」と感じているし、チームも選手もとても進歩したと思っているので、結果だけ見て批判する声があると聞いたりすると、「じゃあ、ほかにどういうやり方があったんだよ」などと思いがちだ。実際、いわゆる「評論家」というやつは往々にして無責任な言説を垂れ流しがちではあるけれど、それはその「評論家」がダメなのであって「評論」という営み自体がダメなわけではないので、無闇に圧殺してはいけない。「机上」にはたしかに空論も多いが、実のある議論も(ときどき)ある。

 ところで八王子では、練習終了後、アブディンさんにインタビューのお願いをした。これまで代表チーム中心に取材していたので、この日本国籍のないスーパースターには声をかける機会がなかったのだが、チームの関係者に紹介してもらうやいなや「あー、深川さん。ブログ読んでますよー。すっごい、いい文章」などと言ってくれたので話が早い。スーダン人に文章をホメてもらうとはまたオツな体験である。「オツな」っていう日本語はわかってもらえるだろうか。かくいう私も実は意味がよくわかっていないのだが。なんでしょうか「オツ」って。何か言っているようで実は何も言ってないような気がしなくもない。でもアブディンさんは点字で夏目漱石や司馬遼太郎なども読んでいるという噂なので、きっとわかってくれるだろうと思う。

 護国寺では、校庭の片隅で、ずーっとグランドソフトボールの練習をしている少年を見かけた。たぶん、学校の敷地内にある寮で暮らしている生徒だろう。グランドソフトボールは「盲人野球」とも呼ばれるもので、日本で生まれた(というか現状ではほぼ日本でしか行われておらず、最近アメリカに逆輸出しようとしているらしい)視覚障害者スポーツである。私はまだ見たことがないが、全盲のピッチャーが転がすハンドボール大のボール(鈴は入っていない)を打つという。少年は、ときには友人が転がしたボールを、ときには一人で地面に置いたボールを、ひたすらバットで打ちまくっていた。寒空の下、3時間はやっていたと思う。以前、あるブラインドサッカーの選手が「ボールを触っていると、何時間やっていても飽きない」と言っていたことを思い出した。そういえば私も子供の頃、塀を相手に一人でキャッチボールをして延々と遊んでいた記憶がある。同じ動作をくり返しているだけだが、頭の中にはさまざまな情景が浮かんでいたものだ。見えない人たちはなおさらそうだろう。あの単純な球体には、人の想像力を喚起する魔力のようなものがあるのかもしれない。







平成二十年二月十五日(金)  85.4kg \(^o^)/


友チョコ・LD・譲らない日本人
BGM : The Sermon on Exposition Boulevard / Ricky Lee Jones



 昼飯を抜いてトータル1時間半ぐらい歩いたら、前日比1.6キロも体重が落ちた。前日の計測値は食後数時間経過してからのもの(ふだんの計測は食前の空腹時)なので、実際はマイナス1.0〜1.2キロぐらいだろうか。体重計の信頼性に疑問符がつかないでもないが、まあ、よい。この調子この調子。きのう頂戴したチョコを食べ過ぎないように気をつけないといけない。ぜんぶで4粒(箱はもちろんひとつ)だけどな。しかもそのうち1粒は愚妻が自分で食べたので、何の心配もない。心配ない心配ない。ちなみにセガレはクラスメイトの女子1名から「ともチョコ」と念を押されて頂戴したらしい。友チョコ。近頃はそういう概念があるようだ。どうやら本来は「女性同士で贈り合うチョコ」を指す言葉であるらしいが、義理チョコよりは麗しい感じ。めずらしく好感が持てる新語である。

 私には義理も友情も寄せられなかったわけだが、チョコを伴わない女性からのアプローチはやけに多いバレンタインデーではあった。「座談会のまとめをお願いします」「土曜日に京都でインタビュー取材があるのですがご都合は」「わしズムの締切は来月2日です」など、いずれも小学館の女性編集者からの電話およびメールである。義理も友情も色気も何もない。とはいえ、そこに「信頼」があるのだとすれば、それは何にも代え難いもの。取材で忙しいので、さすがに「土曜日の京都」は引き受けられなかったけれど。2週間前なら、大阪にいるついでに行けたのになぁ。

 数日前に映画『武士の一分』(WOWOWの録画)を鑑賞した。意外に(と言っては失礼だが)良い映画。ただ「盲人だからといって侮り召されるな」という木村拓哉の台詞が気になるところだ。そこで、勝新太郎の『座頭市物語』では「盲人」と言っていたかどうかを確かめようと思ったのだが、レーザーディスクを再生しようとしたらプレーヤーが故障していたので暗鬱な気分である。17年ほど前に購入したパイオニア「CLD-F1」という機種。ダメモトでパイオニアに電話して問い合わせてみると、部品の在庫はあるので修理はできなくもないが新品を買ったほうが安くなる可能性が高いという、予想どおりのお答え。かねてからの憧れだった「両面連続再生」の機種に買い替えるチャンスではあるが、いまさらそんなモン買ってもなぁ。でも、きっと買うんだろうなぁ。とくに映画好きというわけでもないのに、気紛れでLDプレーヤーなんか買ったのが間違いの始まりである。

 足が不自由で4級の障害者手帳をお持ちだという女性読者から、きのうの日誌に関連したメールを頂戴した。杖をついて歩いていると、やはり避けてくれない人が多くて困るとのこと。まあ、目立たせるためにその色が選ばれている白杖にも気づかないのだから、ふつうの杖に気づくはずもない。いや、気づいてはいても、その杖と自分の行動を関連づけられないということだろうか。いやいや、道を譲ることが親切だとわかっていながら「譲りたくない」のだろうという気もする。前にも書いたが、いまは「譲ったら負け」なのだ。というか、世の中には「これだけは譲れない」という何かを持っている人間と、「あれもこれも譲りたくない」人間の2種類がいるのかもしれない。前者はその「何か」で自尊心を保つことができるのに対して、後者はあらゆる場面で「ささやかな勝利」を拾って歩かなければ自己愛を満たすことができないのだとすれば、それはそれで気の毒なことである。「一億総クレーマー時代」などと呼ばれる状況の背景にあるのも、結局は「ささやかな勝利」に執着する自己愛の問題なのではあるまいか。「譲らない」とは、「誇りを守る」ということでもある。ともあれ、杖ではサインにならないのであれば、いずれはパトカー並みにサイレンでも鳴らしながら歩くことを検討する時代になるのかもしれない。







平成二十年二月十四日(木)  87.0kg


像への想い
BGM : Shine / Joni Mitchell



 取材ばかりしている。4日間で4人の視覚障害者に会った。大阪でもさんざん取材してきたので、目の見えない人と食事をするのはかなり慣れてきたつもりだったが、数日前まで気づかなかったのは、最初に「皿のどこに何があるか」をクロックポジションで教えるだけでは不十分だということだ。しばらくしたら、そこに料理が「まだある」ことも教えてあげないと、「もうない」と思って箸をつけないことがあるのだった。「見えない状態」を想像するのは意外に難しい。この場合、「像がない状態を想う」のであるからして、「想像」という言葉が適切なのかどうかも微妙だったりするのだが。「想無像力」とでも言ったほうが政治的には正しいのかもしれない。そしてブラインドサッカー(というか視覚障害者スポーツ全般)も、観戦者に「想無像力」を要求する競技だといえるのではないか。プレイヤーの想像を想像する力、といってもよい。じっさい、試合を見ていると、ときどき自分が何も「見ていない」ような気がして不安になることがある。見ている者が感じる凄さと、選手が味わっている達成感や快感とのあいだに、ギャップがあるように思えて仕方がない。そのギャップを埋めるためにお互いが努力することが、このスポーツの存在意義をより深めることにつながるような気もする。

 ところで、街の雑踏で見えない人を手引きしていて感じるのは、東京より大阪のほうがはるかに歩きやすいということだ。理由は単純で、大阪のほうが丁寧に進路を空けてくれる人が多いのである。東京の場合、こちらが点字ブロックの上を進んでいても、ギリギリまで避けようとしない「対向者」が多い。「見える人間が手引きしてるんだから避けるだろう」と思うのかもしれないが、おまえが避けろよバカ野郎。1人で避けるのと2人で避けるのと、どっちが楽だと思ってんだよ。もっとも、そこに白杖を持った人間がいることに気づいてさえいない奴が多いのであろう。想像力があるとかないとかいう以前の問題。現実を認識できない者に想像力を与えても、豚に真珠である。







平成二十年二月十一日(月)  86.8kg


くだらない六本木
BGM : Lida / Yamandu Costa



 土曜日に家族3人で、六本木の国立新美術館で開催されている公募展「第17回 全日本アートサロン絵画大賞展」を見に行った。私の母(73歳)が応募したら入賞したというからだ。母は40歳を過ぎてからなぜか絵を描き始め、どういう成り行きだかよくわからないがパリのサロン・ド・メという展覧会に作品が展示されたこともあるという妙な経歴の持ち主である。あれは私が高校3年生のときのことで、それを見に行くため、私の初海外旅行先もパリということになったのだった。懐かしい。当時の母は和紙を黒インクの点描でほぼ真っ黒にし、白く残した部分で不気味な模様を描くというワケノワカラナイ抽象画を制作していたが、さすがに今はそんな体力はなく、色鉛筆でワケノワカラナイ抽象画を描いている。たくさん描き溜めるばかりで人に見せる機会を作ろうとしないので、以前から「個展でもやったら?」と言っていたのだが、個展は心身ともに大変なので、最近は公募展に応募しているらしい。

 それが2点、「自由表現部門・佳作」として掲示されていた。「あ行」のコーナーに「軌跡」と「熱情」という作品があるので、ものすごく暇な人は見に行ってもいいし、行かなくてもいい。大変な点数の作品がびっしりと展示されており、レベルは(本当に審査の結果なのかと疑いたくなるほど)低いが、描き手の思い入れだけは過剰なほど溢れているので、眺めていると胸が苦しくなる。はっきり言えば、「いたたまれなくなって逃げ出したくなる」ような空間だ。展覧会としてのグレードを高めたいなら、どう考えても入賞点数を半分以下に減らすべきだが、たぶん主催者の目的はそこにはないのであろう。出品者がいくら払っているのか知らないけれど、人の自己顕示欲や功名心につけ込むという意味では、自費出版ビジネスと同じ構造になっているに違いない。それで本人たちが満足ならそれでもかまわないが、くだらない絵に囲まれることで、母の絵が損なわれているようにも感じた。母の絵は、母の絵だけ並べないと美しさが引き立たない。いずれ、こっちですべて準備して個展を開いてやるぐらいの親孝行は考えてもいいかもしれないと思った。

 観賞後、晩飯を食おうと東京ミッドタウンなる商業施設に足を運び、1階のスペイン料理屋で「予約なしの3人なんですが入れますか?」と訊くと、若い女の店員が私の脇にいるセガレに視線をチラリと向け、「お子様はご遠慮いただいております」という。その「チラリ」がじつに不愉快な態度だったので、ぞんざいな口調で「なんで?」と訊くと、「当店のコンセプトといたしまして云々」といいやがる。コンセプトだってよ。笑わせるじゃないか。たぶん彼らの英和辞典で「concept」を引くと「差別の基準」と書いてあるに違いない。そこが酒場であるなら「未成年お断り」も理解できるし、私も日頃から居酒屋のような場所にセガレを連れて行くことは自らに禁じているが、そこはスペイン料理屋である。家族でメシを食うのがいけないとは思えない。要は、子供がそこで食事をしているのは「絵的にまずい」ということだろう。そんなことでしか「コンセプト」を維持できないような店が食わせる料理なんか、どうせろくなもんじゃないに決まっている。

 さらに店員は「ランチタイムはお子様も大丈夫ですので」などとぬかしていたが、だから何だというのか。こっちは別に「いつかこの店で食事をしたい」と思っているわけでも何でもない。たまたま近くにいて腹が減ったからそのへんでメシでも食おうと思っただけのことだ。「いまメシが食える店」以外に用はない。客はみんな自分の店にわざわざ足を運んでくるものだというミシュラン風味の高飛車感が鼻についたので、「そうですか。こんな店には二度と来ません」と凶悪な形相で吐き捨てて立ち去った。しかし、きっと悪いのは私のほうなのだろう。東京ミッドタウンなる場所の「空気」が読めなかった私がいけない。まさか田舎者の観光客だけを相手に商売している場所だとは知らなかったのだ。そうやって、その「コンセプト」とやらを理解できる奴らだけで、空想科学的な「TOKYO」の空気を勝手に作っていればいいさ。でも、もし私がテロリストだったら真っ先に標的にするのは……という妄想が頭から離れない。







平成二十年二月八日(金)  86.8kg


蓮舫・モリサワ・夢吟坊
BGM : Mayor / Florencia Ruiz



 ゆうべは、旧丸ビル35階の和食店で、去年ゴーストした新書の著者および編集者と会食。本の出版後に著者と打ち上げで顔を合わせることは意外と少ない。自分の原稿が気に入ってもらえたかどうか自信がないので、私としてもさほど積極的に会いたくはない(たぶん著者は原稿の出来が良くても悪くてもライターにはあんまり会いたくないんじゃないかと思う)のだが、今回は著者がかなり満足していたと聞かされていたため喜んで出て行った。著者によれば、本を読んだ知り合いに「いつになく切れ味のある文章だったな」と言われたとのこと。代書屋としては反省しなければいけない。まったく関係ないが、丸ビルへ向かう途中、東京駅の階段で民主党の蓮舫議員を見た。朝ナマ系の知識人や政治家を見かけると、いつも一瞬「どっかで取材したことあったっけ?」と考えるのだが、蓮舫議員には会ったことがないはずなので、黙って立ち去る。テレビと変わらぬ笑顔を連れの人々に振りまいていた。まあ、どうでもいい話。

 来週から再来週にかけて東京周辺で7〜8人のブラインドサッカー関係者にインタビューするため、そのアポ入れと日程調整などで気忙しい。今月下旬には新潟と福岡にも行くので、宿やら航空券やらの手配もある。私の場合、こういう作業がめっぽう苦手だというのも編集者からライターに転身した理由の一つだったりするのだが、いまはインターネットがあるから楽だよなぁとしみじみ思う。ミクシィを使えば、相手の電話番号やメールアドレスを知らんでもアポ入れできるもんな。いまどき「インターネットって便利」というのもアレですけども。人類はいつ頃まで、「いまは電話があるから楽だよなぁ」としみじみ思っていたのだろうか。

 きのう書いたMacのトラブルは無事に解決。愚妻がモリサワに問い合わせたところ、どうやらシステムを再インストールした場合はよく発生する事態のようで、たちどころに対応マニュアルがファックスで届いた。そのマニュアルどおりに対応したら直ったので、ちょっとびっくり。Macのトラブルは「予想どおりマニュアルが通用しない」というところから「さてどうしよう」が始まるものだとばかり思っていたのだが。

 きょうは昼前に渋谷マークシティの夢吟坊で、某誌編集長代理のIさんと面談。かき揚げうどんはとても美味しかったが、うどんを食うのが目的ではなく、打診されていた連載コラムをどうするかという相談である。ろくなアイデアが浮かばないのでどうしようかと悩んでいたのだが、聞けば、あまり縛りをかけずに身近なネタをフリーハンドで書いてほしいとのこと。実にありがたく、気が楽になった。スタートはまだ数ヶ月先の話だが、雛形になるようなものはいくつか書いてみなければいけない。タイトルも大事だ。おもしろいことになってきた。おもしろいものにしたい。







平成二十年二月七日(木)  86.8kg


こころと電脳
BGM : Computer World / Kraftwerk



 一昨日の火曜日は打ち合わせのため神保町へ。4つ年上の先輩編集者に「抗うつ剤を飲んでいる」と聞かされて、ちょっと動揺した。会社に行けているのだし、打ち合わせでも闊達に喋っていたから病状は軽いのだろうが、薬の副作用で眠くて仕方がないらしい。数ヶ月前に会ったときは「煙草をやめた」と言っていたが、関係あるのだろうか無いのだろうか。間接的に「うちの上司がうつで」などと聞かされることはよくあるが、本人からじかに聞かされると、やはり誰でもかかるありふれた病気なのだと実感される。「早めに医者に行って薬をもらうのが得策」ということも、これまで精神医療関係の原稿で幾度となく書いてきたが、あらためてその必要性を思い知った。私自身はいまのところ、精神的にはかなりイケイケな時期ではあるのだが、その反動が怖いといえば怖い。コレステロールを恐れて肉食を避けているとうつになりやすいという説もあるようだから、ダイエットもほどほどにすべきかもしれない。

 きのうの水曜日は、とくに急ぐ原稿もないので、自宅で取材のアポ入れなどしながら過ごす。しかし暇だったわけではなく、おもに愚妻が使用しているMacが不調で(起動はするが正常に作動しない)、その手当てのためにバタバタ。吉祥寺のヨドバシカメラに行ってUSBメモリを買い、ファイルのバックアップを取って、システム(10.3)を再インストールしたら直ったかと思われたものの、ATOK15をインストールしたらまた同じ症状が出やがる。何のことやらわからないが、言語環境設定でATOKのチェックボックスをオフにすると正常に動くので、どうやらこれが原因らしい。だからといって、ことえりさんを使うことにするわけにもいかないのは世の常識。そこで別バージョンならどうかと思い、MacBook用に買ったATOK 2006を仕事場まで取りに行き、15を追い出してインストールしたら直った。が、Macのトラブルがそう簡単に終息するはずもなく、愚妻がデザイン仕事で使うモリサワのフォントをインストールしようとしたら、これができない。それ以上は為す術が無く、モリサワに問い合わせないとわからないので、ゆうべは未解決のまま就寝。OSXになって以来(機械的な故障はあったものの)この手のトラブルとは無縁だったので、Macもずいぶん立派になったもんだと思っていたが、やはりMacはMacなのか。これはこれで、どこでも起こり得るありふれた病気。ただし、早めに飲ませる薬はたぶん無い。

 ワールドカップ予選の対タイ戦は、4-1で日本の勝ち。相手のクリアボールが中村の足に当たって偶然クロスになり、大久保が反射的に足を出して決めた2点目がおもしろかった。「ゴール前でチャンスを迎えると精神的にピンチに陥る」が日本の攻撃陣に関する私の持論だが、精神的ピンチに陥る前に何も考えず体を動かせば入るのであるな。ドイツ大会のクロアチア戦における柳沢も、あんなに時間的余裕がなければ決めることができたに違いない。考えて走り、考えずに撃つべし。







平成二十年二月五日(火)  86.8kg


大阪の重さ、東京の重さ
BGM : Blues Attack / Sonny Landreth



 日曜の夜に東京へ戻ったが、まずは大阪編の続きから。

 土曜日は午後2時から西宮名塩(にしのみやなじおと読む)の我夢という喫茶店で風祭監督にインタビュー。そのあたりは「西宮のチベット」と呼ばれるほど寒い土地なんだそうで、実際、しばらくすると窓の外で雪が舞い始めた。5時に店を出て、監督の運転する車で近くの鹿之子温泉へ。露天風呂にじ〜っくりと浸かる。ずっとホテルでシャワーしか浴びていなかったので、風呂に浸かるのは1週間ぶり。実にありがたかった。その後、監督の邸宅にお招きいただき、奥様お手製の牡丹鍋をご馳走になる。野趣あふれる逸品。がつがつといただいた。生酒、焼酎、マッコリ、百歳酒、ブランデーなど家中のあらゆる酒を酌み交わしながら、(途中、「エンタの神様」を3人で見てフランチェンの「えーよー」にゲラゲラ笑ったりしつつ)深夜までブラインドサッカーのことを語り合う。このスポーツに関わってから7年間のことを、腹を割って洗いざらい話していただき感激。忘れられない関西ラストナイトになった。

 翌朝、ご子息で元代表GKの大地君がかつて使用していたベッドで目覚めると、窓の外は一面の雪景色。一瞬、どこに出張したのかわからなくなって混乱した。朝食は、牡丹鍋の残りで作ったおじや。これがまた絶品。奥様の運転する車で駅まで送っていただき、大阪へ戻る。そちらは雨だったが、愚妻からのメールで東京は雪だと知った。環状線で弁天町に行き、元代表選手の井上さんにインタビュー。初対面にもかかわらず自宅に押しかけ、昼食までご馳走になるという図々しさ。井上さんはこの世に生まれてきた瞬間からとにかく凄まじい人生を送ってきた青年で、それについてはここで簡単に書くことはできないが、私なんぞには想像もつかない苦労を重ねてきたことを柔和な表情で淡々と語る姿に胸を打たれた。私がこの日誌で「胸を打たれた」などという言葉を使うのは、たぶんこれが初めてだと思う。それぐらい胸を打たれたということだ。午後3時すぎまで話し込み、帰京すべく新大阪へ。初日の落合さんから最終日の井上さんまで、ブラインドサッカー関係者の熱意と愛情にどっぷりと浸った9日間だった。新幹線の車中で、取材に協力してくださったみなさんに感謝の念を捧げつつ、ビールをちびちびと飲む。なぜか目にうっすらと涙が滲んだ。

 日曜の夜8時前に自宅に到着。長期出張から戻るやいなや、こちらが見聞きしてきたことを話す前に、私のいないあいだの出来事を愚妻とセガレから次々と聞かされるのはいつものこと。晩飯はカレー。家の食卓で家族と食べるカレーほど人をホッとさせる食い物がほかにあるだろうか。

 翌日の月曜日は、出張中に頼まれていた「マンスリー・エム」の商品情報記事5本。今回の出張は珍しいことに持って行った仕事がなく、久しぶりの原稿書きだったので苦労した。ラグジュアリー・ウォッカがどうしたとかオメガの革製品がこうしたとか、前日までの仕事と使う頭が違いすぎる。帰宅後、夕食前に体重計に乗ったら出張前より減っていたので驚愕。何の節制も運動もせず、ひたすら飲んだり食ったりしていたので、絶対に太って帰ると思っていたのだが。インタビューって、意外にカロリーを消費するのだろうか。それとも、大阪は東京の人間からカロリーを奪うのだろうか。