2月の日誌

扉(目次)

深川全仕事

大量点計画

江戸川時代

メ ー ル

平成二十年三月三十一日(月)  86.0 kg


春うらら
BGM : Stockholm Concert 69 / Jimi Hendrix


 本日が締切だった小学館の座談会本を、本日の昼過ぎにフィニッシュ。たいへんすがすがしい。途中の段階では原稿を送らず、いきなり1冊分まとめて送稿したにもかかわらず、すぐに通読してくれた担当者から、夕方にはOKの連絡も来た。さらに幻冬舎からは刊行されたばかりの本の重版通知もあり、実に御機嫌うるわしい3月末日である。これで心おきなく、明日から家族旅行に行ける。








平成二十年三月二十九日(土)  86.4 kg


限りなく不透明に近い国語
BGM : Electric Ladyland / Jimi Hendrix


「今回の判決で軍の関与は非常に強いものだったことが明らかになった。教科書に『関与』という言葉しかなくても、教師はその背後にある恐ろしい意味を子どもたちに教えることができる」(朝日新聞のこの記事から引用)という発言を聞いて頭の中に疑問符が浮かばない人の国語力を私は疑うが、なにしろノーベル賞作家および日本を代表する大新聞がそれをおかしいと思っていないのだから、国語力に問題があるのはきっと私のほうなのであろうなぁ。私の国語力では、今回の判決も教科書も「関与という言葉しかない」という点では同じだというふうにしか読み取れないのだけれど、優れた国語力を持った人が読むと、教科書の「関与」から判決の「関与」のあいだには何か大きな前進があるようだ。そうじゃなければ、「軍関与を司法明言」が(夕刊の紙面のほうで)あんなにデカい見出しになるはずがない。だって、それはとっくに教科書に書いてあるんだから。国語って難しい。その解釈の背後にある恐ろしい意味を、私は子供に教えることができない。

 数日前に、月刊PBの「史上最強のアルバム・ランキング ロック・ベスト100」の中に私がまだ聴いたことがないものが20タイトルあったと書いたが、いま聴いているのも、そのうちの1枚である。どうしてこれが今まで自分のアンテナに引っかからなかったのか、不思議でしょうがない。何年か前に「Are You Experienced ?」と「Axis: Bold As Love 」を聴き、なぜかあんまりピンと来なかったせいで、なんとなくジミヘンを意識の外に放置していたのだろうと思う。大間違いであった。先日のローマダービーを見逃したのと同等かそれ以上の不覚。コレと昨日の「Band Of Gypsys」を聴いて、今さらながらすっかり虜になっている。ヤバいよなぁ。ジミヘン集めとか始めちまったら、キリがないじゃんか。







平成二十年三月二十八日(金)  86.4 kg


限りなく聡明に近いブルー
BGM : Band Of Gypsys / Jimi Hendrix



 ゆうべは一家三人で六本木へ行き、インボイス劇場にてブルーマングループを鑑賞。このクソ忙しいときに何やってんだという話だが、チケットを予約した時点では、この時期はそんなに忙しくないはずだったのだ。どうか勘弁してもらいたい。誰に向かって頭を下げているのかよくわからない。そもそもは愚妻とセガレが「行こう行こう」と画策したことで、私はブルーマンが何のことだかわからないまま予備知識ほぼゼロで行ったわけだが、いちばんゲラゲラ笑っていたのは私だったような気もする。のっけからツボにはまってしまい、会場全体の中でも浮くほどひくひく笑ってしまいました。いいっすよ、ブルーマン。キミたちサイコーだよ。無言かつ無表情のブルーマンが首から上でやることを許されている表現手段は、色を青く塗ることと、「視線」を駆使することだけである。しかし、その「視線」のなんと雄弁であることか。陳腐な物言いだが、やはり目は口ほどに物を言うのである。それでまたブラインドサッカーには視線ってものがないんだよなあと考えたりもするが、それはまた別の話。

 大江健三郎「沖縄ノート」訴訟で、大阪地裁が原告の請求を却下。被告のすばらしいレトリックを拝借して、「東京裁判史観の下で日本国、マスコミ、裁判所までを貫くタテの構造の力で強制された判決」とでも言っておきましょうかね。







平成二十年三月二十六日(水)  86.6 kg


ローマとロンドン
BGM : Son / Juana Molina



 あろうことかローマダービーを見逃していた。やっていたことさえ知らなかった。もう再放送も終わっている。不覚。痛恨。馬鹿。ダイジェストは見たが、もう恥ずかしくてラツィオファンを名乗れない。ローマ史に残る勝利だったのに。ローマ史ってことはないよ。ローマダービー史だよ。ともかく、バロッタ翁にとってはこれ以上ない冥土の土産になったことだろう。一方、チェルシーとアーセナルのロンドンダービーは見た。こちらも先制を許しながらの逆転勝利。私はドログバ様を王様に任命したい。どこの王様かは知らない。とにかく王様。というか王様を任命できるのは神だけだから私が任命しちゃダメだよ。神はベーラミ。

 ところで昨日の続きだが、慣用句の現状を憂える私としては、政府の国慣審(国語慣用句審議会)に対して、修辞の適正化を図るべく「目クソ鼻クソを嗤う」を廃止し、代替句として「目クソ耳クソを嗤う」もしくは「歯クソ鼻クソを嗤う」を採用するよう提案したいと思う。あと「五十歩百歩」も目クソ鼻クソと同程度の開きがあるので、「百歩百十歩」ぐらいが適当であろう。国語慣用句審議会の設立が先だが。







平成二十年三月二十五日(火)  86.4 kg


フーゾクかコンビニか
BGM : blues / Jimi Hendrix



 ひさびさに朝まで原稿書きをしたので、肩がバリバリ。とりあえず「わしズム」はカタがついた。あとは月末までに単行本の座談会原稿。残り200枚。1日から家族旅行なので、命懸けで終わらせなければいけない。いや死んだら旅行に行けないが。

 杉並区・和田中の「夜スペ」、差し止め求め区民が仮処分申請との報道。区立和田中学校が進学塾のSAPIXと連携して始めた有料授業「夜スペシャル」を巡り、(和田中の保護者を含まない)区民49人が「校舎の目的外使用にあたる」として、実施の差し止めを求める仮処分を申し立てたそうだ。「わしズム」のような雑誌に関わっていると、「この、とてもシロートさんとは思えない区民たちは、左右どっちなんだ?」と余計なことが気になったりする。いや、それは余計なことではなく、事によると本質的な問題かもしれないわけだが、よくわからない。むしろ「右も左も関係なく賛否両論」であることに本質があるのかもしれない。世論はどうかというと、マスコミがどちらかというと好意的なせいか、歓迎ムードがあるように感じられる。うちは和田中を選択できる学区域ではないのだが、セガレの学校の保護者の中には「あそこに通わせられなくて残念」という母親がわりと多いという。

 で、わが家はどうかというと、たとえ選択できたとしても、セガレをそこに通わせるつもりは毛頭ない。愚妻も私も、こういうのが嫌いだからだ。「こういうの」がどういうのかは必ずしも明確ではないのだけれど、とにかくイヤな感じ。なんか知らんが反射的に頭が拒絶反応を示す。まず、「夜スペシャル」というネーミングがダメだ。中学生の教育に使うような言葉ではない。しかも略称が「夜スペ」だぜ。おまえらはフーゾクか。かくのごとき下品かつ軽薄な言葉を振り回して恥じないようなセンスの持ち主にわが子の教育を委ねるようなセンスを私は持ち合わせていない。まだ「体育学習発表会」のほうがマシだ。目クソ鼻クソだが、前から主張しているとおり、目クソには鼻クソを嗤う資格があると私は思う。他人の目クソは取ってやれるが、鼻クソはヤだ。人はそれを差別と呼ぶのだろうか。だったらごめんなさい。

 あとはアレだよ、夜スペ支持者が必ず口にする「公立校も生徒や保護者のニーズに合わせた教育を」というのがダメだ。「ニーズ」と聞いた瞬間に「ににに、にぃずぅ?」と顔が凶悪な形に歪む。おまえらはコンビニか。ニーズという名の無軌道なワガママに迎合した結果が、おにぎりの無秩序化じゃないか。「オム英語チーズ数学カレー夜スペ早慶コース」とかできてもいいのかよ。「ニーズでチーズ」だよ。ふざけてんのかよ。だいたい、ガキは自分に何が必要かわからないほど未熟だからこそ教育されなければいけないんじゃないの? それはたとえば「読者のニーズに合わせた啓蒙書」があり得ないのと同じことだ。啓蒙書の執筆者は、むしろその内容に対する世間のニーズが存在しないことを憂慮してそれを書くのではなかろうか、と思う。啓蒙書にかぎらず、小説にしろ音楽にしろ映画にしろ何にしろ、受け手のニーズに合わせて作られたものなんてのは、おおむねクダラナイものだ。ジミヘンはニーズなんか気にしない。そんなの関係ない。たぶん、ニーズに合わせて作ることに価値があるのは、消費財だけである。私は教育を消費したくない。消費者相手の商売しか知らないビジネスマンにわが子の教育をしてほしくもない。







平成二十年三月二十四日(月)  86.4 kg


馬とか馬鹿とか
BGM : And The Horse They Rode In On / Soul Asylum



 田舎のおじいちゃんやおばあちゃんは、台湾総統選挙のニュースを見て「なんで押坂忍さんが台湾で偉くなっとるんかのう」と怪訝に思っているはずなので、テレビはそのへんの事情をちゃんと説明したほうがいいと思う。「事情」ってこともないが、押坂さんはベルトクイズQ&Qで、馬はAQ。

 ねんきん特別便が届いた。うわぁ、なんかナウい感じで、気分が高揚しますね。いや「ナウい」はもはや死語だったか。最近は「イマい」ってゆうんだよな。そうそう、イマいイマい。あれはサイテーの新語だったよね。そんなことはともかく加入記録を見ると、国民年金は記載されているが会社員時代の厚生年金が書かれていない。おー。これかー。これが宙に浮いてるのかー。そうかー。私まで浮かれていてはいけません。で、社会保険事務所に来るかねんきん特別便専用ダイヤルに連絡しろと書いてあるので後者に電話をしたのだが、たいへん混み合っているので後でかけ直せという。うー。めんどくせー。「あなたの年金に結び付く可能性がある年金加入記録がみつかりました」っていうなら、おまえがそれ持ってこっちに来いよばかやろう。







平成二十年三月二十二日(土)  86.8 kg


100と101
BGM : Let It Be / The Beatles



 月刊PLAYBOY5月号が届いた。封筒に誌名のロゴが入っているので、郵便受けから取り出すときは、いつも思わず周囲をキョロキョロと見渡してしまう。だって、ほら、趣味で定期購読してると思われてもアレじゃないですか。今号の表紙は、約800枚のアルバム・ジャケットを並べて描いたというラビットヘッド。「史上最強のアルバム・ランキング ロック・ベスト100」という特集なのだ。レッド・ツェッペリンとの衝撃の出会いからおよそ4年半、ロックの世間的名盤はあらかた聴いただろうと思っていたが、投票で選ばれた「ベスト100」のなかには私の聴いていないものが20タイトルもあった。ちょっと悔しい。ちくしょう、こうなったら、「エルヴィス・プレスリー登場」も含めて年内にぜーんぶ聴いてやる。何をムキになっているのかわかりません。私の好物でひとつもランクインしていないのは、PFM、ジェスロ・タル、エアロスミス、ライ・クーダー、キャメル、キャラヴァン、モット・ザ・フープル、オズリック・テンタクルズ、ウィルコ、矢野真紀など。べつに入れなくていいです。矢野真紀はロックじゃないし。しかし、PFMぐらい非英米代表で入っててもいいんじゃね?とは思う。全般的にプログレの評価が低い。ピンク・フロイドの「狂気」さえトップ10に入っていない。そして、全体の1割がビートルズ。原寮(ほんとうはウ冠なし)が錦織警部に「ビートルズ? 二十世紀最大の過大評価だ」と語らせていたのは、デビュー作の「そして夜は甦る」だっただろうか、直木賞受賞作の「私が殺した少女」だっただろうか。というわけで、詳しいランキングが知りたい人は書店へゴー。うしろのほうにはジミー・ペイジさんのインタビュー記事も載ってます。このところ忙しくて仕事をお断りしてばかりなのに送本してもらっているので、ちょっと宣伝してみた。

 セガレがボール・リフティング101回を達成した。10回もおぼつかないときの姿しか知らない父親としては、心底からの驚きを禁じ得ない。「100回できたら」と約束していたので、今夜はすきやき。センスのなさを練習で克服したのはとてもえらい。頭が下がる。あいつ、なんであんなにひたむきなんだろう。誰に似たのか、さっぱりわからない。今朝は今朝で、親が朝寝坊して起きたら、ひとり食卓で黙々とZ会の算数に取り組んでいた。ほんとうに頭が下がる。







平成二十年三月二十一日(金)  86.6 kg


迷ネーズ
BGM : Insomniac / Green Day



 あれは一昨日だったか、マヨネーズの定義が変更されたことで、砂糖の代わりにハチミツを使った「マヨネーズタイプのドレッシング」が晴れて「マヨネーズ」を名乗れる見込みになった、というニュースを見た。マヨネーズの定義。エッセイか小説のタイトルにできそうな面白い言葉の組み合わせである。売れたら続編は「マヨネーズの仁義」にしたい。何を言ってるのかよくわからない。

 しかしマヨネーズの定義ってなぁ。そんなことをお役人さんたちが真剣な面持ちで議論しているかと思うとアクビが出る。だって、そこでは「ハチミツ容認派」と「ハチミツ否定派」が真っ向から対立しているのだ。「マヨネーズにハチミツ? 冗談じゃありませんよ課長。そんなものを認めたらマヨネーズの秩序は崩壊してしまう」「しかしキミ、司直の判断とマヨネーズは時代に応じて変化するんだよ」とかなんとか言っているのだ。どっちにも加勢したくないじゃないか。「最終的には議長の一存で」とか言われても困るじゃないか。そういえば、このあいだ福岡で「めんたいマヨネーズ」を土産に買ってきたが、あれはほとんど「マヨネーズ状の明太子入りサウザンアイランド・ドレッシング」だった。あれを放置しておきながらハチミツ入りを認めてこなかったというのは理解に苦しむ。いずれにしろ、おれはキューピー以外のマヨネーズをマヨネーズとは認めないけどね。ほんとうにどうでもいい話だよなぁ。

 ところで、食い物って何から何まで役所が定義しているのだろうか。たとえば「おにぎり」はどうなのだ。ずいぶん前にも書いたような気がするが、コンビニのおにぎりはかなりアナーキーなことになっている。中に何をぶち込もうが、完全に野放しだ。「焼おにぎりベーコンチーズ」とか「オムチーズカレーおむすび」とか「焼おにぎり豚肉きんぴら炒め」とか「直巻おにぎりスパイシーソーセージ」とか「焼おむすびバーガー牛カルビ」とか「でかでかむすび鮭めんたらこマヨ」とか、いずれもおにぎりやおむすび本来の姿を逸脱しているように思う。3番目は「おにぎり」ではなく「定食」だし、最後のは意味さえわからない。規制しなくていいのか農水省。

 ブラインドサッカー日本代表の高校生鳥居健人君はドラマーでもあって、盲学校の仲間とロックバンドを結成しているそうだ。サッカーのドリブルでも書く文章でも会話でもリズム感がとても良い人なので、きっとドラムも上手であるに違いない。で、このあいだ「どんなのやってんの?」と訊いたら「グリーン・デイとか」とのことで、しかしそう言われてもおっさんには「どんなの」かわからないので中古屋で買ってみたのが、いま聴いている「Insomniac」というアルバムなのだった。そっかー。パンクだったのかー。予備知識ゼロで聴き始めたパンクって、そうとうショッキングだ。でも(でもってことはないですが)カッコいいなこれ。演奏うまいし。ドラムは楽しそうだ。はたしてパンクが演奏を「楽しむ」ものなのかどうかよくわからないが、それはともかく、いずれどこかで健人君の演奏を聴いてみたいものである。彼のキックは、ボールとバスドラではどちらが強いだろうか。







平成二十年三月二十日(木)  86.6 kg


毒を売ったわけでもあるまいに
BGM : Brazil with My Soul / Tania Maria



 ミートホープ社長に懲役4年の実刑判決。ちょっと重すぎねえかそれ。朝日新聞の記事によれば、検察は「一罰百戒の狙い」も込めて、執行猶予付き判決を出しにくい求刑(懲役6年)を行ったという。地の文でそう書いているのでその根拠(誰がそう言ったのか)は不明だが、「百戒」のために個人が4年(次のオリンピックまでだぜ)も刑務所にぶち込まれるのではたまらない。刑罰権の濫用である。検察に「世直し」の権限なんか誰も与えてねえぞコラ。それは法廷ではなく国会の役目である。将来の食品偽装を未然に防ぎたいなら、個人を厳罰に処するのではなく、違反行為に厳罰を科す法律をこしらえることで対応するのが筋というものだ。朝日の同じ記事によると、検察幹部の一人は「司直の判断は時代に応じて変化する。今の社会では、絶対に許されない犯罪だった」と話したそうだが、これはつまり、「世論」の支持を追い風にした厳罰ということであろう。だとすれば、裁判に「国民の量刑感覚」を反映させようとする裁判員制度でも、このような「見せしめ的判決」が続出する恐れがある。「国民の量刑感覚」なんてものは、要は「マスコミ世論」にすぎない。たとえば殺人事件の被害者遺族を無闇に犯人扱いするようなマスコミの無法感覚が法廷を席巻するだけなのではないのだろうか裁判員制度ってやつは。この制度の導入によって「死刑」は減るかもしれないが、一方で限りなく「私刑」に近い判決が増える。そんな気がする。とても怖い。








平成二十年三月十八日(火)  86.4 kg


あなたはナニ偽装をしてますか
BGM : Kissing Fish / 佐藤奈々子


 先月「偽装全盲」による生活保護費詐取が発覚した札幌で、こんどは聴覚障害偽装だそうだ。どうなってんだ北海道。前者は(発覚当時の報道を見るかぎり)眼科医が嘘を見抜けなかったということのようだが、こちらは怪しげなブローカーと耳鼻科医が結託して行ったという疑いが持たれている。朝日新聞によれば、「手帳の取得者は旧産炭地である北海道赤平市と芦別市の在住者が多い」とのことで、とくに必要な情報とも思えないのに何かをほのめかすようにあえて「旧産炭地」と書いているあたりが、この問題のミソかもしれない。以前、九州の旧産炭地を雑誌の取材で訪れた際、現地の行政関係者から、「まるでそれが家業であるかのように準公務員感覚で生活保護を受けている家庭が多い」という話を聞いたことがある。親の世代が働いている姿を見たことがない子供たちの意識の上では、生活保護を受けて暮らすことがある種の「常識」と化しているわけだ。そのへんのモラルがぶっ壊れているとしたら、さらに一歩進んで障害偽装のようなことを抵抗なくやれる人々が出てきても不思議ではない。無論そうではない人も大勢いるだろうから、旧産炭地への偏見や差別を助長するようなことがあってはならない(朝日新聞の書き方にもその危険性があるように思う)けれど、いわゆる「弱者」が別の「弱者」を偽装するような国に日本をしてしまったのかと思うと、溜め息が出る。しかし溜め息なんかついてもしょうがない。せめて自分は偽装なしで確定申告をすることにしよう。もう締切すぎてるけどな。ごめんなさい。








平成二十年三月十七日(月)  86.2 kg


愛媛のまじめな取材です
BGM : Feels / Animal Collective


 松山はよかとこだったですばい。いきなり内容と言葉遣いがちぐはぐだが、県立松山盲学校でのブラインドサッカー普及講習会の取材をするついでに、観光もしてきた。土曜の昼過ぎに松山空港に着き、バスでJR松山駅まで行って、あとはひたすら歩く。駅前でガイドブックを買って慎重に計画を立てたので、松山城のあたりまでいっさい道に迷わなかった。私もずいぶん旅慣れたものだ。まっすぐ歩くだけだが、それが難しいんだよ。ほっといてくれよ。路面電車の走っている町はなぜか気持ちがのんびりとする。

 歩いていたら目についたので、坂の上の雲ミュージアムに入館。念のため言っておくが、坂の上に「雲の博物館」があるわけではない。雲の博物館って、何を展示すればいいのかよくわからない。そうではなく、司馬遼太郎の「坂の上の雲」のミュージアムだ。これまで松山の観光産業は基本的にミカンと坊ちゃんの2トップ頼みだったが、今後は坂の上の雲をトップ下に据えてファンタスティックな攻撃を展開しようという戦術であるらしい。産経新聞連載時の「坂の上の雲」が壁一面にびっしりと貼りつけられていた廊下が圧巻。その後、ボランチの松山城天守閣にリフトで登り、鎧などの陳列物を見物していたら、JBFA普及部の松崎さんがとても真剣な表情で真剣を眺めているところに出くわした。待ち合わせなど決めていなかったが、考えることは同じである。挨拶をし、「松山城って誰が建てたんですか」と聞いたら、「さっき書いてあったじゃないですか」と笑われた。ちゃんと読みながら観光している松崎さんはえらい。

 いっしょにホテルにチェックインしたのち、GKの道後温泉本館へ。歩き回って疲れた体を癒し、本館のすぐ前にある麦酒屋で漱石ビールと坊ちゃんビールとマドンナビールをごくごく飲む。ホテルに戻って協会の細川さん&名代さんと合流し、さらに深夜まで痛飲。翌日は朝から夕方まで講習会を見学して夜に帰ってきた。お土産は、各種温泉の素、一六タルト、五色そうめん、学業成就の坊ちゃん鉛筆など。松山は意外とお土産が優秀だ。取材のことを何も書いていないが、それは原稿のほうで。

 ところで、あれは金曜日だったか、「倦埋草が文字バケしてます」というメールを読者からいただいたのであるが、私はふつうに読めているのでどういうことなのかわからない。みんな文字バケしているのだろうか、ならば教えていただきたい、と書いても、文字バケしてたら伝わらないのが難儀である。そういえば、視覚障害者用の音声読み上げソフトって、文字バケしてるときはどんなことになるんだろう。聞いてみたい。









平成二十年三月十四日(金)  86.2 kg


乗りかかった船
BGM : Some Enchanted Evening / Blue Oyster Cult



 数週間前にある座談会のまとめを依頼され、それは単行本の一部であり、締切も4月下旬という話だったから、分量が少ないし時間もあるので引き受けた。しかし座談会の収録を終えてからいろいろあり、結局はその座談会だけでほぼ1冊作ることになっただけではなく、刊行も1ヶ月早まって締切が今月いっぱいということになってしまったのだが、まあ、乗りかかった船なのでしょうがないですわな。詳しくは書かないが、おれがやらんで誰がやるという仕事でもある。しかし時間がない。時間がない時間がない。と言いながら、明日から一泊二日で松山。はじめての四国である。

 どうしてもこういうニュースばかり目についてしまうのだが、「障害へ配慮不足だった」、兵庫・西宮市が元生徒と和解という朝日新聞の記事を見て、単一障害児のみならず重複障害児も盲学校を選ばないことがあるという事実を認識した。市立中学に通っていた弱視の知的障害児が、視覚障害の面で十分な配慮を受けられなかったので、西宮市に損害賠償を求めたという話である。この記事だけでは、原告の親子に盲学校を選択する余地がなかったのかどうか、あったとしたらなぜそちらを選択しなかったのかということがわからないのでアレだが(そこがこの一件のキモだと思うんですけどね)、その和解金も「配慮」のためのコストも税金でまかなわれるということを考えると、単純に「学校はけしからん」で済ませられる話でもないような気がする。盲学校では、その市立中学で受けられなかった「配慮」が受けられたかもしれないからである。そのために存在するのが盲学校であろう。仮にすべての公立学校に盲学校同様の設備や専門家を置くとなったとしたら、それはあまり効率がよいとは思えない。しかし通学圏内に必ず盲学校があるわけではないので、誰もがそれを選択できるものではないということもある。通学できても、それを選択しない理由はいろいろあるに違いない。難しいよなぁ。兵庫の視覚障害関係者には知り合いが何人もいるので、いずれご意見をうかがってみたいところだ。サッカーとはあんまり関係ないが、まあ、それも乗りかかった船ということで。私にとって視覚障害者問題が「船」なのか、それともブラインドサッカー関係者にとって私が「船」なのか、どっちなんだかよくわからないことになっているが。







平成二十年三月十二日(水)


盲と聾
BGM : second tune 〜世界 止めて〜 / 竹井詩織里



 3日連続でBGMにしているので、今さら言うまでもないとは思うが、竹井詩織里は現状で私が私にイチ押しするアイドルである。もうじき「2分の1米寿」を迎える男がこんなことを書くと不気味に思われることは重々承知しているが、うっかりすると思いあまって「しおりん」とか呼んでしまいそう。ああ気持ちが悪い。自分で自分を殴ってやりたい。この、とりたててオリジナリティがあるとも思えない音楽の何がそんなに気に入ったのかは、例によって不明。私の貧弱なJ−POP体験に照らすなら、たとえば原田知世の歌やマイ・リトル・ラヴァーにグッと来るものがある人は、竹井詩織里にもグッと来るんじゃないかと思う。なにグッと来てんだよおっさん。

 このあいだ、4月末に発売される「わしズム」に掲載されるコラムの原稿を編集部に送ったのだが、そのマクラに使ったネタを、今朝の「天声人語」で先に使われてしまった。「後期高齢者」という言葉にまつわるクダリだ。くっそー。原稿に書いたのは私のほうが先なのに。季刊誌が日刊紙と競争するのは大変である。しかし、よりによって天声人語とかぶるとは。おのれの凡庸な着眼が恥ずかしい。まだゲラは届かないが、別のネタと差し替えようかと迷っている。

 ところで、その天声人語でも触れられているのが、「聾学校、改称しないで」元生徒ら異議 割れる教委判断というニュースだ。自分とこの「声」欄から始まった騒動であるせいか、やけに朝日新聞は盛り上がっている。それはべつにいいのだが、この記事を読んで誰もが首をひねるだろうと思うのは、静岡県教委が「聾学校」を「聴覚特別支援学校」と改名することに「県聴覚障害者協会」が反対してきたというところだ。だったら、どうして県の協会は「聾唖者協会」を名乗らないのでしょうか。まあ、そのあたりが、この手の問題の一筋縄ではゆかぬところなのであろうなぁ。

 ちなみに盲学校のほうも、昨年から「視覚特別支援学校」に改称するところが出てきているが、護国寺にある筑波付属の正門には、「視覚特別支援学校」の下に「盲学校」の名もやや小さな文字で併記されている。改称による混乱を避けるための暫定的な措置なのだろうと思うが、もしかしたら改称反対派への配慮もあるのかもしれない。とはいえ、聴覚障害者が「聾」に誇りを持っているからといって、視覚障害者が「盲」に誇りを持っている(差別を感じない)とはかぎらないわけで、私は自分のことを「盲人」と呼ぶ視覚障害者を何人も知っているが、一方、視覚障害者の書いた本を読むと「盲人」という言葉は差別的だと主張していたりもする。視覚障害者へのアンケート調査をもとに書かれた「視覚障害者と差別語」(遠藤織枝/明石書店)という本があり、(そのアンケートの設問内容がアバウトすぎて私はちょっといかがなものかと思いながら見ているのだが)それによれば、「めくら」という言葉の容認派が6.8%と少数であるのに対して、「盲人」の容認派は60.3%と多数だったという。しかし拒絶派も35.9%と無視できない割合を占めているので、「盲」に誇りを持っているとまでは言えないかもしれない。でも、そう考えると、「聾」にもある程度の拒絶派がいるのではないかと予想されるわけで、朝日新聞にはそのへんまで突っ込んで取材・解説してもらいたいと思う。そもそも、「県聴覚障害者協会」という名称に読者が抱くであろう疑問に答えずに済ましていられる神経が理解できない。

 私自身はいまのところ、盲学校にしろ聾学校にしろそこで学ぶ当事者に判断を任せればよいという無責任な考え方をしているが、ただ、「盲学校や聾学校という名称だと重複障害児の教育機関であることがわかりにくい」という行政側の主張にも一理あるとは思っている。統計資料が手元にないので数字はわからないが、関係者から話を聞いているかぎり、少なくとも盲学校に関しては、世間が思っている以上に重複障害児が多い。視覚だけの単一障害児は保護者が一般の学校に通わせる(これを「統合教育」という)ケースが増えており、その結果、盲学校では知的障害や肢体不自由などを併せ持つ子供がかなりの割合を占めているそうだ。学校にブラインドサッカー部を作ろうにも、まともに走れる子供が全校で2〜3人しかいないので無理、という話も聞いたことがある。おそらく、聾学校も似たようなものだろう。つまり、「盲」や「聾」の文化や共同体を脅かしているのは、学校の名称などではなく、世の「統合教育志向」だったりもするわけだ。盲や聾という概念でくくられることを拒絶する流れが強まっているからこそ、盲学校や聾学校は盲文化や聾文化の拠点として機能しにくくなっているのだと、今のところ私は理解している。そのような状況で、はたして当事者たちが「聾」という言葉に誇りを持てるものなのかどうか、これは健常者にはちょっと想像できないところだろう。少なくとも私には、朝日新聞のような態度で一方に肩入れすることなどできない。







平成二十年三月十一日(火)


はやく大人になりたい
BGM : Diary / 竹井詩織里



 東京にいる。きょうは仕事場に来る前に、セガレの学校で「2分の1成人式」に出席した。小学4年生は(浪人や留年や飛び級などをしていないかぎり)満10歳だということで、数年前からそういう行事をやっているらしい。意義がよくわからないが、たぶん子供たちに自分たちが半人前であることを思い知らせるのが目的なのだと思う。少なくとも私には、それ以外に意義が思いつかない。子供たちはいくつかのグループに分かれて、跳び箱、ダンス、なわとび、一輪車、紙芝居、調べ学習の成果などを発表していた。いずれも失敗が多く、完成度はかなり低かったが、それを批判する者はこのイベントの意義がわかっていない。半人前なのだから、それでいいのである。みんな、おのれの未熟さを痛感したことだろう。セガレは調べ学習グループの一員として環境問題について発表していたのだが、何度か口にした「オゾン層」という言葉のイントネーションが「カレンダー」や「ソ連邦」と同じではなく「かりんとう」や「保存法」と同じだったのが気になってしまい、何を話しているのか頭に入らなかった。あれを直さないと一人前の司会者にはなれない。なりたくないかよ。そうかよ。

 ともあれ、2分の1成人式なのだから舞台の子供が未熟なのは当然である。しかし客席の保護者どもが未熟なのは許し難いし恥ずかしい。すべての出し物が終わったあと、生徒代表の女子が「保護者への手紙」を読んでいるときだ。いたいけな少女がイベントをきれいに締めくくるべく一生懸命に考えてきた「ええ話」を披露しているときに、後ろのほうでぺちゃくちゃとお喋りにかまけている母親どもがいたので、腹に据えかねた私は、凶悪な表情で「シーッ」とたしなめた。保護者への手紙なんだから保護者は静かに聞けよばかやろう。ここがこの行事のクライマックスなんだよ。あの女の子がどんだけ緊張して喋ってると思ってんだよ。以前から、学校でイベントがあるたびに、このお行儀の悪いお喋りには頭に来ていた。たいへん多くの母親が、自分とこのガキの出番が終わるやいなやイベントへの集中力を失うのである。そのため、どんなイベントでも、保護者席は生徒席と同等かそれ以上にざわついているのだった。大人たちがそんな最低限のマナーさえわきまえていないのでは、「2分の1成人式」に何の意義があるのかますますわからなくなってしまう。「こいつらの半分かよ」と気づいた子供たちの絶望はいかばかりかと案じたから、私は正しい大人の見識の何たるかを示すために、あえて嫌われるのを覚悟で「シーッ」と叱りつけたのである。おそらく、あとで愚妻に「大人げない」と叱りつけられるんだろうと思いますが。

 それで思い出したのが、昨年韓国の仁川で開催されたブラインドサッカーのアジア選手権である。あれは日本対イランの試合だったか、フェンスにへばりついて写真を撮っていたら、セットプレイでピッチ内が静かになったときに、背後で若い女がケラケラ笑う声が聞こえた。もともとブラインドサッカーは静かに見なければいけないのだし、凄いプレイを見て思わずほとばしってしまう歓声ならともかく、その笑い声は真剣に試合を見ている者のものとは思えない。試合に興味がないなら、会場から去るべきだ。そこで私が振り返り、凶悪な表情で「シーッ」とたしなめたら、あろうことか、そこではIBSA(国際視覚障害者スポーツ協会)の重鎮カルロス・カンポス氏が若い女をはべらせて談笑していたのだった。あんときゃフリーズしたよなあ。ブラインドサッカー界で「一番えらい人」を叱ってしまった私が、相手とばっちり視線を合わせた状態で怒濤の冷や汗をかいていたことは言うまでもない。今後、もしIBSAが何らかの形で日本に冷たい判断などを下した場合、それは私のせいかもしれないので、あらかじめ謝っておく。どうもごめんなさい。ちなみにカンポス氏はその後、体裁を取り繕うかのようにフェンス際まで来て試合を観戦していた。反省させてやったぜベイビー。

 それ以外にも、あのときは、どう考えてもトップスピードで突進してくる選手と激突する恐れのある場所にテレビカメラを据えていた韓国人や、どう考えても客席から選手に指示(それはルール違反なのだ)を出していたとしか思えないイラン人などを、あちこちで叱りまくっていた。メディアやチームの関係者さえ競技の(初歩的な)特質を理解していないわけで、それだけ未成熟な世界なのだといえるかもしれない。もちろん、いちばん未熟なのはそんな無法を規制もせずに放置していた韓国の運営者だが、なにしろ「君が代」を中国国歌と間違えて流すような奴らなんだから、しょうがないわな。仕切りが2分の1成人式以下。最近、バルセロナで開催された陸上競技大会で中国国歌と間違えてチリ国歌を流す失態があって謝罪騒ぎになったそうだが、チリ国歌ぐらい、なんてことないじゃんねぇ。なにしろこっちは中国に君が代だぜ。中国政府の耳に入ったかどうか知らないが、あのときの映像があったら、韓国に対する外交カードとして使えそうな気さえする。







平成二十年三月九日(日)


また関西やで
BGM : My Favorite Things / 竹井詩織里



 深夜1時である。神戸の安宿にいる。ゆうべは明石、きょうは昼に梅田、夜は三宮で取材をした。もうすっかりJR神戸線に心身が馴染んできたような気がする。少なくとも埼京線や東武東上線よりはアウェイ感が少ない。こんなに関西に馴染む人生が自分にあるとは思っていなかった。今回はとうとう道に迷わなかったしな。遠足は家に帰るまでが遠足なので油断は禁物だが、きょうは2人の選手を手引きしながら、目的の店に一発で行けた。それどころか、あとから遅れてくる人に電話で道を説明してあげたぐらいだ。地元の人に向かって「東急ハンズがあるのわかります?」って、いまだに渋谷の東急ハンズにも一発で行ける自信のない人間が何様のつもりだという話だが、まあ、立派なもんだったよ。そういえば、関係あるような無いようなことだが、きのう会った人と方向音痴について話していて思い出したのは、私はなぜかよく旅先で人から道を訊ねられるということだった。たとえば韓国の仁川では、競技場から選手の宿舎に行く途中で道に迷って深い絶望感に苛まれていたとき、若い男に車の中から道を聞かれた。韓国語だから道を聞かれたのかどうか定かではないが、たぶんナンパではないと思うので、やはり道を聞かれたのだろう。「わかりません」と日本語できっぱり言ったら去っていったが、あの場合、「おまえが教えろよばかやろう」と日本語できっぱり言ってやるべきだったと後悔している。先日の福岡では、天神から博多へ行けなくなって泣きそうになっているときに、中国人の若い女に「エクスキューズ・ミー」と声をかけられた。こんどはナンパかと思ったらさにあらず、あれは媚びを売っているのか何なのか知らないが妙に身をくねらせながら「ハカタ・ステーション?」と訊いてきやがる。「私もそれを探しています」と日本語できっぱり言って追い払った。私は韓国人から見ると韓国人っぽく、中国人から見ると日本人っぽいのだろうか。東アジアで生きていくのは、いろいろと難儀だ。








平成二十年三月七日(金)  86.2kg


マケレレさーん
BGM : Seven / Cosa Nostra


 ゆうべ、ものすごく久しぶりにチェルシーを見た。この場合、チェルシーというのは、アナタニモアゲタイとか何とかいう例のアレではなく、ロンドンを本拠地とするフットボールクラブのことである。もはやご存知ない読者も増えているだろうから説明しておくと、私はラツィオとチェルシーのファンなのだ。ラツィオはビエリとサラスが2トップやってた時代、チェルシーはゾラとかポジェとかいた時代に惚れた。前世紀の話だ。めぐるめぐるよ時代はめぐる。この二年ぐらいはぜんぜん見てないけどね。それぞれ現在リーグ戦で何位なのかも存じ上げない。調べるのも面倒臭い。でもファン。どっちもがんばれー。負けるなー。一生懸命やれー。

 欧州チャンピオンズリーグのベスト8進出がかかったオリンピアコスとの試合である。ドログバやランパードやテリーやカルバーリョや右サイドバックのあいつ(嗚呼、名前が出てこない)などがいまも元気そうにプレイしていて安心したが、なにより心がほのぼのとしたのは、マケレレさんが相変わらずのポジションで相変わらずのプレイを見せていたことだった。ドログバのポストプレイとマケレレさんのボールキープが、私にとってチェルシー最大の見所だ。どちらも、目にするたびに「おー」と唸っている。もう、それだけでごはん三杯はいけそうな感じ。おー。どんな辛子明太子だそれは。

 3-0となって試合がほぼ決まった終盤、ジョー・コールの放った強烈なシュートをギリシャ代表GKヒポポタマスが弾き、セカンドボールがマケレレさんの足元に転がったときはドキドキした。マケレレさんは世界最高峰の守備職人だが、その反面、攻撃能力はとても低いからだ。しかしマケレレさんは、小さな体をめいっぱいに使った大きな切り返しで敵DFを振り切った。お−。そんなこともできるのかー。でも、シュートは案の定しょぼい。しょぼすぎる。マケレレさんは、たぶん世界でいちばん純朴なインステップキックを蹴る男だ。あんなに素直な球筋のシュートは、Jリーグでも滅多に見られない。その素直さといったら、ほとんど打撃投手レベルである。球威もイヤらしさも何もないシュートは、あっさりヒポポタマスの胸におさまった。「えへへ、撃っちゃった」とでも言っているようなマケレレさんの照れ笑いがとても愛らしい。マケレレさんはこうでなくっちゃなぁ。妙にうれしかった。念のため言っておくと、オリンピアコスのGKの名前はヒポポタマスじゃありません。でもそんな感じだったと思う。そして私は、右サイドバックのあいつの名前をまだ思い出せていない。







平成二十年三月六日(木)  86.2kg


日記に関する日誌
BGM : Our Things / Cosa Nostra



 利用規約改定をめぐって、ミクシィが炎上している。4月1日から発効する新規約の18条に、「本サービスを利用してユーザーが日記等の情報を投稿する場合には、ユーザーは弊社に対して、当該日記等の情報を日本の国内外において無償かつ非独占的に使用する権利(複製、上映、公衆送信、展示、頒布、翻訳、改変等を行うこと)を許諾するものとします」「ユーザーは、弊社に対して著作者人格権を行使しないものとします」などと書いてあるのだから、猛反発を食らうのは当然だろう。プロやセミプロが集うライター系のコミュニティ(セミプロのライターって何のことだかよくわかりませんが)などを覗くと、みんなえらい剣幕で怒っている。事務局はいろいろと弁明しており、条文修正を検討しているようだ(面倒臭いので詳述はしない)が、仮にユーザーの反発が誤解に基づくものだったとしても、こんなもんがスンナリ通ると想定していた時点でアホですわな。そりゃあ株価も下がるというものである。もっとも私の場合は(一度だけ簡単な新年の挨拶を書いたことはあるものの)基本的にはミクシィで「日記」をつけていないので、あまりカリカリせずに済んでいる。そうでなければ、いまごろは仕事が手につかなかったことだろう。

 私がミクシィで「日記」を書かないのは、やたらと「つながりたがる」ネット文化に対するヘソ曲がりな反抗心もある(だからここでもBBSやアクセス解析をやめた)わけだが、それだけでもない。あのオレンジ色を基調としたお仕着せのファンシーなデザインが気に入らないというのも、一つの理由だ。あんなところで物を書く気にはならない。仕事でも誌面のデザインが気に入らないことがないことはないが、だからこそ、せめて自分で好きにやれるウェブ上の表現活動ぐらいは拙いながらも自分の手ですべて仕切りたいと思う。そこまで一人でやれてしまうのが(少なくとも私にとっては)このメディアの楽しいところなのだ。

 あと、あんまり人に迷惑をかけたくないという思いもある。ミクシィは、「日記」を書くとその更新情報がマイミクシィたちのページに表示される仕組みになっている。しかもアクセスすると「足あと」(なんで交ぜ書きやねん)が残るので、マイミクが読んだかどうかが書き手にわかる。したがって読み手は「更新されたら読まないと悪い」という心境になるわけで、短い文章ならともかく、私のように長々と書く奴の「日記」はマイミク諸氏に多大な心理的および時間的な負担をかけると思うのである。だって、いちいち全部読んでいられないじゃないか、こんなもん。これを漏れなく読めと強要するのは、ほとんど暴力であろう。だから私はこの日誌の継続的な読者がすべてを読んでいるとは思っていないし、それを期待してもいない。会ったときも、読んでいることを前提に話をしたりはしないので安心してください。まあ、読んでいないことを前提に話をしたら「それは知ってます」と言われることも多いので難しいのだが。初対面のブラインドサッカー関係者に何度それを言われたかわかりません。

 ちなみに私はここで書く日録のことを10年前から頑なに「日記」ではなく「日誌」と呼んでいるが、それはさほど強い信念があってやっていることでもない。辞書的にいうと、「日誌」は「日記」よりも業務的な内容のものを指すらしく、その意味では「日記」と「日誌」が半々ぐらいになっているのかなぁとも思う。ただ、当初に「日誌」と呼んだときにそこまで考えていたわけではなく、なんとなく、最初から人に読ませることを前提にした日録は「日記」より「日誌」のほうが似合うような気がしたのだった。日記は「つける」もの(つまりメモっぽいもの)で、日誌は「書く」もの(つまり作文っぽいもの)だという印象がなくもない。いや、でも、「日誌をつける」とも言うか。言いそうだな。よくわかりません。

 要はどっちでもいいのだが、しかし「ミクシィ日記」が「日記」と呼べるものなのかどうかについては、いささか懐疑的な思いを持っている。書き上げるやいなやたちどころにコメントが寄せられ、そこから愉快なお喋りが始まるというその有り様は、少なくとも伝統的な日記の有り様とはかなり異なるものだ。そういうコミュニケーション自体を否定するつもりはさらさらないし、芸達者な書き手と読み手のやりとりを私も楽しく読ませてもらっているけれど、それを「日記」と呼ぶのはなんか違う気がしてならないんだよなぁ。日記というのは、なんというか、もっと孤独な営みであってほしいと思ったりするのである。たとえ公開するにしても、あーだこーだとぐじぐじ思い悩んで書いている人間の孤独を書き手も読み手も黙って噛みしめるようなものじゃないんだろうか日記って。というわけなので、今日もあーだーこーだとぐじぐじ思い悩んでみた。最後まで読んでくれて、どうもご苦労さん。







平成二十年三月四日(火)  86.8kg


迷い道くねくね
BGM : Love The Music / Cosa Nostra



 金曜日に福岡へ飛び、土曜日に帰京した。現地では、まずアビスパ福岡の本社を訪問。アビスパは地元のブラインドサッカーチーム(ラッキーストライカーズ福岡)を支援しており、監督も送り込んでいるのだ。なので、いま監督を務めている下田功さん(ホームタウン推進グループ長)にインタビューしたのだった。アビスパの本社は、香椎浜の福岡フットボールセンター内にあり、そこは広大な埋め立て地である。周辺は巨大な物流センターで、あちらこちらにばかでかいコンテナが大量に積み重ねられていた。遠目には「トリプルタワー」なる43階建てのマンションが建設中で、その脇に建っているのが、吉村作治学長がえらいことになっている例のサイバー大学である。サイバーな大学が物体として存在しているのは何となく不思議だが、まあ、そうはいっても建物はあるのだった。ケータイ写真なのでアレだが、それはこんな感じ。たしか科学特捜隊かウルトラ警備隊のオフィスがこんな形だったような記憶があるのだが、気のせいだろうか。

 取材後、市役所に用事があるという下田さんに車で天神まで送っていただき、夜の取材まで時間があったので試しにそこから博多まで歩いてみたら、キャナルシティ博多のあたりで予想どおり道に迷った。キャナルシティを通り抜けて反対側に出ようと試み、出てきたら元の場所だったときは、空間が歪んでいるのかと思って本当にびっくりしたよなあ。歪んでいるのは私の方向感覚ですが。こんなことでは、絶対にブラインドサッカーなどプレイできない。どうにもならないので、地図を求めてグランドハイアットホテル福岡のロビーに飛び込むと、そこはなぜか見覚えのある光景だった。なるほどそうか、一昨年「わしズム」の取材で福岡に来たとき、小林先生と落ち合ったのはここだったんだな。などと今さら腑に落ちているあたりが方向音痴の方向音痴たる所以である。

 無事に地図をゲットして博多に戻り、夜は日本代表キャプテンの三原さんと会って、もつ鍋屋で4時間半。そのもつ鍋屋に三原さんの案内で向かうときも、また道に迷って大変だった。目の見えない人を手引きしつつその指示を受けながら知らない場所へ行くのは、わりかし難しい。店では、アジア選手権の開幕前日に顔面を負傷して帰国せざるを得なかったときの話などをあらためてうかがい、またあのときのことをいろいろと思い出す。最初から最後まで「試練」に事欠かない大会だった。

 翌日の土曜日は取材の予定がなく、15時の搭乗手続きまで暇だったので、どこに行こうかと思案した結果、遠賀川に行くことにした。どういうわけか川に惹かれる性癖のある私は、前日に鹿児島本線で香椎駅まで行った際、車内に掲示されている路線図に遠賀川という駅名を見つけて気になっていたのだ。遠賀川。遠賀という名の軽巡洋艦こそなかったものの、魅力的な名前である。ローマ字表記だと「ONGAGAWA」だ。なんかロックな感じでカッコいい。軽巡、造ればよかったのにな。ホテルをチェックアウトし、朝10時に博多駅から電車に乗った。各駅停車でおよそ1時間かかった。そんなに遠いとは思っていなかったが、なにしろ遠賀川なのだからしょうがない。駅前の地図を見ると、東に向かってひたすら真っ直ぐ行けば遠賀川にぶつかるようだ。簡単である。いくら方向音痴の私といえども、これは一発で行けた。遠賀川は南北方向に流れているので、ぶつからないほうが難しい。

 遠賀川は広くてのんびりした川だった。新潟でJR白新線の車窓から見た雪の阿賀野川とは、まったく雰囲気が違う。日本列島は広いよまったく。天気がよく、川面に反射する陽光が美しい。まともなカメラを持ってこなかったことを後悔した。30分ほどぶらぶらして、遠賀駅に戻る。驚いたことに、道に迷った。油断である。行きは簡単だったが、それは「線」をターゲットにしていたからだということを忘れていた。帰りのターゲットは駅という「点」なので一筋縄にはいかない。いまの一文は「線」と「一筋縄」をかけていて、とても上手い。遠賀総合運動公園という広大なスペースに迷い込み、さんざん歩いた。線路が見えるので、それをたどれば駅に着くはずだが、どっちが遠賀駅なのかがわからない。たぶん川の反対側が駅なのだとは思うが、すでに駅を通り過ぎている可能性もある。途中、「大牟田行き」の電車が通過し、それは有効な判断材料になるはずだったが、私には大牟田がどっちなのかもわからないのだった。ひどいダメ人間だ。いよいよヤバイ感じになってきたので、ウォーキング中らしきおじさんに道を尋ねた。それまでに3回ぐらいすれ違った人だったので、かなり恥ずかしかった。ようやく駅にたどりつき、また1時間かけて博多駅へ戻り、地下鉄で福岡空港へ。福岡は空港と中心部が近いのがよい。

 空港の土産物屋では、さまざまな辛子明太子を買い込んだ。出張のたびに「くだらないガラクタ」(みうらじゅん先生いうところの「いやげ物」)を期待しているセガレ用の土産は、「博多めん隊カラインジャー」という携帯ストラップ。アカレンジャーが明太子を背負っている。ほんとうに、くだらない。

 出張中、10年ほど前に買うだけ買ってつんどくになっていた島田荘司「三浦和義事件」(角川書店)を読んでいた。それはとても重たい本で、どうせ今まで読まなかったのなら文庫になってから買えばよかったと後悔しきりである。ともあれ、これは同じ出来事を「マスコミ目線」と「三浦目線」で両論併記するという藪の中方式で書かれた作品で、これを読むと冤罪説にも説得力があるんだなあと思わされるわけだが、これだけ多くの情報を与えられても真相なんか断言できないということを考えると、いかに裁判員制度というものが危ういかがよくわかる。少なくとも、被告が容疑を否認している案件については、シロートの参加など絶対にやめたほうがいい。神様と本人しかわからない事実を判断することで生じるリスクは、その道のプロだけが背負うべきであろう。あたしゃ御免だね。見聞きしたことをここで暴露するのも、絶対に我慢できないし。