5月の日誌

扉(目次)

深川全仕事

大量点計画

江戸川時代

メ ー ル

平成二十年八月三十一日(日)  83.2 kg


夏休みの終わりに
BGM : Fillmore East April 1971 / Grateful Dead


 一昨日(8/29)の深夜に、8月末が締切の数学本を脱稿。2日前に仕上げるなんて偉すぎて目眩がしそうだが、ほんとうは25日ぐらいに終わらせてSAPIOの連載コラムに着手するつもりだったので、実態は押せ押せだ。おせえおせえ、とも言う。

 しかし1日ぐらいは息抜きしたいのだし、セガレも同じ日に夏休みの宿題を片づけていたので、きのうは父子2人でドライブがてら所沢の国立身体障害者リハビリテーションセンターへ。べつに、眼科機器納入をめぐる贈収賄事件を取材しに行ったわけではない。ブラインドサッカーの東日本リーグ「チャレンジカップ」を見に行ったのである。偶然やゴリ押しではない「狙いどおりのゴール」が次々と決まり、とても面白かった。国内の試合も、見るたびにレベルアップしているように感じる。試合の合間には、何人かの代表選手にセガレを紹介し、握手などしてもらった。初めて障害者と言葉を交わすのは緊張しただろうし、きっと、いろんなことを考えたであろうなぁ。帰りの車内で、セガレが「面白い人ばっかりで楽しかったね」と言ったとき、私はなにかとても安心したのだった。

 帰宅後、テレビをつけたら、両腕のない子供が100メートルを泳ぐという企画を見せていた。ジャニーズ系とおぼしき若い男のタレントが「何のために泳ぐの?」と質問していたが、こういう誘導尋問はほんとうに腹立たしい。「なぜ?」ではなく「何のために?」と訊かれたら、単に「好きだから」とか「楽しいから」とは答えられないからである。おそらくあの子にとっては、泳ぐことそれ自体が目的だ。なんで、それを別の何かのための手段にしなきゃいけないんだ?

 私がセガレの言葉を聞いて安心したのは、たぶん、奴が「みんな可哀想だったね」とは言わなかったからなのだと思う。







平成二十年八月二十九日(金)  82.6 kg


未明の雷鳴の下で
BGM : This Armor / 鬼束ちひろ



 いま時刻は午前4時である。もう眠いのでおうちに帰りたいのだが、雨がジャンジャン降りまくり、ビカビカと稲妻が光りまくり、ドカンドカンと雷鳴が轟きまくっているので、外を歩く気にならない。怖いよう、怖いよう。

 で、だからというわけでは全然ないのだったが、なにかの拍子に気紛れで100円かそこらで買ってまだ開いてもいなかったアルバムを聴いてみた。いいじゃんコレ。おれは好きだよ、鬼束ちひろ。もうね、こうして日本語を日本語らしく聞こえるように歌ってくれるだけで、オジサンはイマドキの音楽を受け入れたりするわけなのです。あとはアレだよな、矢野真紀、竹井詩織里、露崎春女(Lyrico)、そしてこの鬼束ちひろと並べてみると、私が気に入る女の歌い手の共通点は「芝居っ気がない」ってことのような気がするな。演劇か音楽かどっちがやりたいのかはっきりしろよ!とゲンコツぶんぶん振り回したくなる女っているじゃないですか。まあ、ゲンコツは振り回さなくてもいいんだけどさ。なかでも、ほら、あれはなんつうんですか、いわゆるひとつの不思議キャラ作ってる女とかって最悪じゃないですか。いや、矢野真紀の場合、アレは天然じゃないですか。芝居じゃないじゃないですか。いま、おれ、単に「じゃないですか」って言いたいだけじゃないですか。しかし曲がいいよな鬼束。声もいいし、びみょうに美人じゃないところもいいじゃないですか。世間的には人気者なのだろうか。どんな年齢層に好まれているんだろうかなぁ。それより雨まだやまねえのかなぁ。帰れないじゃないですかじゃないですか。







平成二十年八月二十八日(木)  82.6 kg


負けるな小金井市
BGM : Shining Star / The Jerry Garcia Band



 都立公園に植えられた夥しい数の桜の木だけが有名な東京都小金井市は、私が7歳から25歳まで暮らした町である。現在も両親が住んでいるのでよく足を運ぶ。いま気づいたが、そこで過ごした年月よりも離れてからのほうが長くなってるじゃん。あらま。光陰の恐るべき速度に愕然とせざるを得ないが、とにかく、私にとっては限りなく「故郷」に近いのが小金井だ。生まれてから2年間しか住んでいない北海道旭川市は、なんというか、形式的な出身地にすぎない。思い出は小金井から始まっている。

 で、その小金井市のイメージキャラクターとやらを、地元の名士である宮崎駿がこしらえたというのである。地方都市のキャラクターになんか(せんとくんを除いて)何の関心もない(ついでに言えば宮崎アニメというやつにはもっと関心がない)私だが、事が小金井とあっては捨て置けない。

 それは、こんなものであった。

 巨匠にダメ出しするわけにもいかず、しかしどこをどう褒めればいいのかもわからなくて困り果て、冷や汗ダラダラで「いやはや」から始まる空疎な賛辞を吐きながら拝受するしかなかった役所の担当者の気持ちが手に取るようにわかる。さぞ無念だったことだろう。あるいは屈辱か。ナメられた、と思ったか。来日したマンチェスター・ユナイテッドの手抜き親善試合を見に行って「カネ返せよこの野郎」と内心で毒づきながらもつい周囲に合わせて「ルーニー最高!」とか叫んでしまったサッカーファン的な気分なのかそれは。ひょっとするとその担当者は私の小中学校時代の同級生だったりするかもしれないと思うと、心からの同情を禁じ得ない。小金井市は、このジャガイモに目鼻をつけただけ(いや鼻はないから目口か)のようにしか見えない落書きに、一体いくらの税金を投入したのだろう。担当者には、せめて「……それで先生、この字は『カネ』とお読みするんですよね?」という嫌味の一つも言わせてやりたかった。

 さて、会議でボツにする勇気を持てなかった小金井市では、どこからどう見てもすでに金太郎であるにも関わらず、あらためてこいつの愛称を募集するんだそうだ。まあ、この歴史的&国民的ヒーローを(足柄山の小田原市ならともかく)小金井市ごときが独占するわけにもいかんから、金太郎のままじゃまずいよな。だけど、金太郎の愛称って「金ちゃん」しか思いつかない。巨大掲示板では、さっそく「キム」とか揶揄されてるようですが。やれやれ。

 しかし、ここは小金井市民の見識が問われるところである。これを逃せば、作者に復讐するチャンスは二度と訪れないだろう。コガネイの「金」だから「ガネゴン」とか、毛が7本だから「ゴールドセブン」とか、無理やり唯一の名物と結びつけて「桜金造」とか、一生懸命に無い知恵を絞ってる場合ではない。巨匠の顔に泥を塗る愛称は、たぶん一つしかないと私は思う。こいつは、迷うことなく「宮崎駿」と名付けるべきだ。文字どおりの「ざまあ見ろ」である。無論、「くん」も「ちゃん」も「さん」も添えてはいけない。その着ぐるみがイベント会場に現れたとき、司会者はこう叫ぶのだった。

「はーい! よい子のみなさーん! お待ちかね、宮崎駿の登場でーす!」

 口々に「ミヤザキハヤオ! ミヤザキハヤオ!」と声を上げながら群がり、逃げ惑う宮崎駿をバシバシと叩く子供たち。リアル宮崎駿も「子どもが元気な町が発展するんです」と語っているのだから、目論見どおりではないか。めでたしめでたし。

 っていうか、その「元気です 萌えるみどりの小金井市」ちゅうキャッチフレーズをどうにかするのが先か。あかんわ小金井市。







平成二十年八月二十七日(水)  82.6 kg


わからないことを書く
BGM : Garcia(Compliments) / Jerry Garcia



 円周率πは超越数である。同じ無理数でも、√2とか√3とかとはちょっと違う。そもそも無理数とは分母と分子が整数の分数で表せず、小数が循環せずに無限に続く数のことだが、その中でも√2のような無理数は代数的無理数といって、方程式の解(xの2乗−2=0の解が√2)になっている。それに対して超越数は方程式の解になっていない。で、実数のほとんどは実は超越数だ。実数は無限にあるので、その中の「ほとんど」って何のことだかよくわからない。たとえば「無限の75%」と「無限の25%」はどっちも無限大だと思うのだが、その無限と無限の大きさを比較できるのが数学の恐るべきところである。まあ、要はその比(というか「密度」みたいなものか)がどこまでも無限に続くということだろうと思われる。永遠の75%。

 さて、そのたくさんある超越数には、πのほかに「e」というのがある。オイラーが発見した。おいらじゃないぞ。オイラーだぞ。「e」はオイラーの頭文字だ。でも、ネイピアさんもちょっとからんでいるので「ネイピア数」ともいう。「自然対数の底」である。自然対数が何だかは知らない。そんでもって、「eのπ乗」は超越数になるかというと、なるんだそうだ。何かを「π乗」するってどういうことなんだろうか。π乗どころか、たとえば「2の2.7乗」だって私には意味がわからない。2を2.7回掛けるのだ。一体どうしろと言うのだ。3回目はハーフスイングみたいに掛けるの?

 なんでこんなことを唐突に書いているかというと、いま仕事でそういう原稿を書いているからである。わからないことを知ったかぶりして書くのは苦しい。苦しいから、おれはわからねえんだよ!と叫びたくなった。以上、ガス抜きはおしまい。

 ジェリー・ガルシアがいろんな人たち(チャック・ベリーとかヴァン・モリソンとかストーンズとか)の曲をカバーしたこのアルバムはやけにカッコイイ。50枚に1枚ぐらいの頻度でしか出会えない名盤。1日に2度は聴いている。シンプルだが隙間にいろんなものが詰まっている感じ。そんな文章を書いてみたいものだ。

 この日誌を見た某社の編集者が「忙しそうなのでゴースト仕事の発注を諦めた」と言う。それはイカン。日本人は五輪で上野から「諦めちゃダメ」ということを学んだはずだ。人間、やってみなきゃわからないじゃないか。まずは勇気を持って本人に打診してから、夢を諦めてもらいたい。どんな夢だそれは。締切前の悪夢なら見せてやる自信があるけどな。ともあれ、私の「忙しぶり」なんてたいがい誇大広告なのだし、なにしろ気紛れなタチだから、見境なく「やる」と答える確率はeのπ乗パーセントぐらいはあると思う。大丈夫だ。時間は無限にある。







平成二十年八月二十六日(火)  82.8 kg


めしのタネ
BGM : Garcia / Jerry Garcia



 スポーツのイベントは、大半の参加者が負けるようにできている。3位まで「勝ち」と見なされるオリンピックはその中でも勝者の多いイベントだが、それでも敗者のほうが圧倒的に多いことに変わりはない。勝利だけを「成功」だと考えると、きわめて効率の悪い世界なのである。にもかかわらず選手たちが勝つために努力や工夫を重ねるからこそ見る者はそこに尊さを感じるわけだが、たいがい「失敗」に終わる営みを「国策」として強化することでどんな国益が得られるのか、私にはサッパリわからない。「日本の強化費は中国や英国の4分の1以下!」となぜか胸を張って愚痴っていた団長(だか何だか知らないがとにかく偉い人)の姿は、とても醜かった。国と国との戦い? 選手は兵隊じゃありません。

 と、ここまで書いて、こういうネタは来月から始まる連載のために取っておくべきだということに気づいた。なにしろ月2回だ。苦悶することは目に見えている。こんなところで垂れ流している余裕はない。どんどん日誌に消極的になりそうな今日この頃。

 ともあれ、仮に強化費が増えたところで、それを文部科学省が握っている以上、そのカネが厚生労働省管轄のスポーツに回ることはない。そんな貧しいスポーツ観を放置したままメダルの数を「量産」(ヤな言葉だ)したところで、何の豊かさも生まれないだろうということだけは、ここで言っておきたいと思う。







平成二十年八月二十五日(月)  83.2 kg


やっと終わった
BGM : O Espirito Da Paz(陽光と静寂) / Madredeus



■仕事じゃなくて五輪が。
■トラックを走る二階建てバスを眺めながら「ストーンズ出せよストーンズ(笑)」とか茶の間でホザいていたら、やおらジミー・ペイジが出現したので茫然とした。そっちは思いつかなかった。ニギヤカシに似合うタイプじゃないし、そもそも、あの人はなぜか英国人という気がしない。
■ジミー・ペイ爺。
■「失敗してたたかれたら、もう夢を言わない、語らない、チャレンジしないでは、誰も夢を語らなくなる」(星野監督)。すごい理屈である。試しに「夢」の部分に「身のほど知らずの大言壮語」を代入して読んでみた。それはいいことじゃないか。
■なるほど、どうやらこの人は「チャンスは無限に与えられるべきもの」だと考えているのだな。ならば選手起用にも納得がいく。でも、自分が勝つまで麻雀をやめない人って、たいがい嫌われる。
■で、森野さんって誰? 社会人野球の人?
■いつの間にか、私の中で野球とロックの知識量が逆転している。
■CG佐藤、なら良かったのにね。
■ともあれ、まだパラがあることをお忘れなく。無論、北京の人たちに言っている。








平成二十年八月二十一日(木)  84.0 kg ぼよよ〜ん。


家業
BGM : Nightfall of Diamonds / Grateful Dead


 セガレの夏休みの自由研究が佳境を迎えている。親がライターとデザイナーという家庭環境のせいなのか、自由研究というとブックレット的なものをこしらえるのが常で、今年のテーマは「阿吽」。京都と沖縄の家族旅行の際に自らデジカメで撮影しまくった狛犬、金剛力士像、シーサーなどの写真をプリントアウトし、母親の指導を受けながらレイアウトしている。テキストのネタ元は、図書館で借りた本やウィキペディアなど。近頃は小学生も読書感想文をコピペで済ませるご時世(コピペ用の感想文サイトが存在するとかしないとか)らしいが、「父さんも仕事で人の文章を書き直すことあるんでしょ?」などと言いながら資料を自分なりにリライトしているのはえらい。カリカリと集中して書いている姿を見ると、かなわねえな、と思う。こっちの不自由研究のほうは父として、いや、遅々として進まない。いずれそのうち、難儀な原稿は「家庭内編プロ」に丸投げしたいものである。あと10年もしたら、やれるだろ。








平成二十年八月二十日(水)  83.2 kg


グレイトフル・ベイビー
BGM : Without a Net / Grateful Dead


 セガレは11年前に帝王切開で産まれた。本来は頭の先から出てくるべきところを、何を思ったのか顔面から出ようとしたために、引っかかってニッチもサッチも行かなくなってしまったのだ。産まれる前からそそっかしい奴だった。顎を引け顎を。

 陣痛開始から帝王切開まで、およそ24時間。家で眠れぬ夜を過ごしながら待機していた私は、朝、病院から電話で呼び出されて急行し、手術に関する承諾書のようなものにサインを求められた。たぶん執刀医の免責事項などが書かれていたのだろうが、気が動転していたので、文面なんかろくに読んでいない。どうせアンタらに任せるしかないんだから、さっさとやってくれと思いながら自分の名前を書き殴った記憶がある。ふたり分の心配をしながら待った。人生最大のソワソワだった。こういうとき、男は本当に立ったり座ったりするのだということを知った。

 無事に産まれたときは、今から思うとバカじゃないかと思うほどゲラゲラ笑った。保育器の中の赤ん坊を見ながら、だはははー、だはははー、と、笑いが止まらなかった。わが家の今があるのは、産婦人科医のお陰だ。帝王切開で29歳失血死、医師に無罪判決との報道を見てそれを思い出したので、備忘のために書いておいた。命はいつだって瀬戸際である。この医師がふたりのうちのひとりは救ったことを忘れてはいけない。







平成二十年八月十八日(月)  82.6 kg


いい意味でダメな感じ
BGM : The Closing of Winterland / Grateful Dead



 8月もあと2週間。溜まった仕事は停滞しまくっており、本来なら猛烈に焦って然るべき状況なのであるが、ずるずると時間を引きずり、ぐだぐだと過ごしている。いや、決してサボってはいないのです。仕事はしているのです。でも、なんちゅうかこう、時間の密度が高まらないというか、いい意味で落ち着いちゃってるんだよなぁ。何がどう「いい意味」なのかサッパリわからないが、まあ、物は言いようである。

 どうもこのところ、原稿の締切に対する切迫感がいい意味でゆるんでいるような気がしてならない。いい意味でトシのせいだろうか。いい意味で「焦らない」のは、いわゆる老人力のひとつなのか。そういえば先日は、ある書籍原稿を「秋に書けばいいんでしょ?」とアバウトなことを言って、長いつき合いの担当編集者に意外な顔をされた。以前は自分から「何月に書けばいいの?」とスケジュールをギチギチに明確化したがったからだ。そうしないと他の仕事の日程も決められないからで、それは今も同じなのだが、そういう窮屈さがいい意味でイヤになってきちゃったのかもしれん。鬱を避けるための防御本能のような気もする。

 そう思って見ると、オリンピックって、観戦者をひどく窮屈な気分にさせるイベントだ。タイムとかスコアとか距離とか残り時間とか、ずっと数字とニラメッコしてる感じだもんな。五輪後は鬱病患者が増えるとかいうことはないんだろうか。

 グレイトフル・デッドのライブ盤には、オリンピックにないものばかりが詰まっているように聞こえる。いい意味で。







平成二十年八月十六日(土)  82.8 kg


装う動物
BGM : The Place You Dwell / Amanda Rogers



 案の定、朝日新聞によれば開会式「56民族」の子ら、多くは漢族 組織委「演出」だったらしい。組織委のほうは「それが何か?」という感じなので、暖簾に腕押しというか糠に釘というか中国に常識というか、いちいち目くじら立てるのがバカバカしくなる状況ではある。そもそも「民族の団結と融和」というメッセージ自体が「浄化」の「演出語」なんだからしょうがない。なるほど、「とっくに浄化が進んでどの民族にも漢族の血が入ってるからこれでいいのだ」ということかしら。

 ともあれ、もはや「偽装」と「演出」の境目がどこにあるのかよくわからない。ウナギやマンゴーの産地偽装だって、演出っちゃあ演出だもんなぁ。「国産だと思ったほうが美味しく感じるでしょ?」と言われて反論できる人間がどれだけいるかという話である。考えてみりゃ、私のようなゴーストライターにCGや口パクや産地偽装を批判する資格があるのかどうかも怪しいものだ。たとえば映画のスタントマンは「演出」の範囲ですか? カツラは偽装? 演出? 寄せて上げる例のアレは?







平成二十年八月十四日(木)  82.8 kg


やれやれ
BGM : The Pizza Tapes / Jerry Garcia, David Grisman, Tony Rice



■足跡花火はCG、少女の歌は別人の口パク。べつに驚かないし、大食いの皿の数を偽装する国の人間にそれを批判する資格があるのかどうかもわからないが、56の民族衣装を着て五星紅旗を運んだ人たちがほんとうにその民族だったかどうかも、たしかめたほうがいいと思う。とくにチベットとウイグル。あと、ドーピングや性別偽装はもちろん、バドミントンとか卓球とかで「二人羽織」ぐらいはやってるかもしれないので油断は禁物。それで勝ったらそのほうが凄いけど。
■7/14にベランダでハトの雛を発見したことを書いたが、その後、私はまた油断していた。その雛はとっくに巣立ったはずなのに、またピーピー鳴く声が聞こえたのでブラインドを上げて見ると、そこには新たな雛が2羽。そうなのだ。ハトは育児と抱卵を同時進行でやりやがるのだ。子が巣立つ前に次の卵を産むのだ。厄介だ。考えたくないのでCGだと思うことにする。








平成二十年八月八日(金)  83.6 kg


働かない私
BGM : Hoist / Phish


 久々に二日連続で更新しているのは、久々に逃避モードに入っているからにほかならない。何から手をつけようか迷っているうちに時間だけが過ぎ、何にも手がついていないという、どうしようもないダメ人間状態。こういうときの対処ノウハウについては、過去さまざまなビジネス書で書いてきた。ビジネス書って、ほんとうに役立たずだ。

 ブラインドサッカー本は、きのう(おそらくは)最後のダメ出しを拝受。全体的にはOKで、ようやく「本になる」という確信が持てた。「ボツ」「全面書き直し」の悪夢も見ていたので、かなりホッとしている。タイトルも決まったが、それはナイショ。編集者の強い勧めもあり、深川名義ではなく、本名で出すことにした。「そっちのほうが字面がいい」とのことで、なんかフクザツな気分だが、まあ、親は喜ぶだろう。前著やコラムとはまるで芸風の異なる文章なので、ここで細胞分裂するのも悪くない。筆名で取材して本名で出すってふつうと逆だし、ずっと私を「深川さん」と呼んでくれている関係者諸氏を混乱させて申し訳ないことだが、それはそれで渾名やコテみたいなものだと思っていただければよろしいかと。







平成二十年八月七日(木)  84.0 kg


働け私
BGM : Wake of the Flood / Grateful Dead



■二の腕の皮がべろべろ。剥けたぶん、体重は減るはずだが。
■わしズム夏号は絶賛発売中。
■SAPIO本誌のほうでも9月下旬から1ページのコラムを連載することになった。新編集長の新企画なので期待に応えたいとは思うものの、どうなることやら。タイトルは未定。まずは原稿を2〜3本書いてみないといけない。
■でも仕事は山積み。自著原稿もまだカタが付いていない。休暇ボケも癒えず、放心の夏。








平成二十年八月五日(火)  84.8 kg たりらりら〜ん。


焼け太り
BGM : Slip, Stitch & Pass / Phish


■名護のカヌチャ・ベイ・ホテル・アンド・ヴィラに6泊して、ゆうべ帰京。部屋は快適、従業員の態度は良好、食い物も旨い良いリゾートだった。結果、減量はやり直し。名護方面へ行くなら、古宇利島のビーチがおすすめ。
■滞在中に内閣改造が行われたようだが、沖縄タイムスはそれよりもマンゴーの産地偽装事件で盛り上がっていた。一面トップの大見出し。「偽装マンゴー取材班」による連載記事も上・中・下の3回。やけに嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。
■戻るなり、5種類の仕事の連絡が殺到。ありがたいと言えばありがたいし、憂鬱と言えば憂鬱。キーボードに触るのは1週間ぶりなので、手がうまく動かない。頭はもっと動かない。リハビリから始めよう。
■空では派手に雷が鳴っている。








平成二十年七月二十七日(日)  81.2 kg


略してモー夏
BGM : Live at Madison Square Garden New Year's Eve 1995 / Phish


■完全に夏バテ状態。略して完バテ。明らかに水溶性ビタミンが流出し過ぎな感じ。略して明水ビタ流。ちょっとカッコイイ。
■地球の歩き方「北京・天津」を買った。土産物のページを眺めていたら、セガレに「食べる物は買ってこないでね」と言われた。略して正論。
■オリンピックはやるだろうが、そこで何かあった場合、パラリンピックは中止もあり得るよなあ。
■駅でポスターを見たセガレが行きたがったので、きのう、一家三人で「対決−巨匠たちの日本美術」(東京国立博物館)を鑑賞。好企画でおもしろかったが、セガレがなぜあれほど真剣に見ていたのかは謎。
■もっとも見応えがあった対決は、円山応挙 vs 長沢芦雪。最後を飾る横山大観「雲中富士図屏風」に苦笑してしまったのはなぜなんだろう。全体的に、「ケレン」について考えさせる展覧会だったように思う。長谷川等伯にはそれがないようであり、芦雪にはそれがあるようでない。いや逆かもしれない。
■鰻弁慶で晩飯。バカ旨。セガレもうっとり。食わせ甲斐のある男。
■アメ横で買い物。時計付きの招き猫キーホルダーをゲット。
■ジャムバンドばかり聴いている。PHISHすげえ。「狂気」や「ホワイトアルバム」の全曲演奏ライブもあるらしい。欲しい。「ロックは集めるものでもある」はリリー・フランキーの名言だが、ジャムバンドはキリがない。
■もーすぐ夏休み。火曜日から沖縄。減量作戦(夏休みまでに78キロ)は失敗。
■略して意志薄弱。








平成二十年七月二十三日(水)  80.6 kg


近況
BGM : Born on the Wrong Planet / The String Cheese Incident


 もうじきシーズン4が始まってしまうというので、先週、溜まっていた「LOST」シーズン3をまとめて見た。あんがい話が進んだ。こういうのは見始めると勢いがつくもので、今は「宇宙空母ギャラクティカ」を見ている。きのう、セガレがサッカーの合宿から帰ってきた。真っ黒だった。原稿は第3次ダメ出しを待っているところ。そろそろ食うための仕事も始めなければいけない。年内に何冊書くのか数えたくない。9月の中旬に北京に行くことになった。そんな感じ。








平成二十年七月十四日(月)  81.6 kg あかんわ。


油断
BGM : A Picture of Nectar / Phish


 ここ数ヶ月、私としたことが、仕事に集中するあまりベランダにまるで注意を向けていなかった。今のご時世、油は断ったほうが家計は助かるかもしれないが、これはいけない。きのう、ピーピーという声が聞こえたので恐る恐るブラインドを上げると、案の定だ。ハトの雛が親の喉に嘴を突っ込む痛々しい光景は私にとって見慣れたものだが、いつ生まれたんだよおまえ。去年の四月に二羽が巣立って以降、二度ほど卵を処分してきたが、今回は気づかなかった。卵は二つ産むはずだが、雛は一羽しかいない。一つは割れたのかもしれない。私のせいではない。割るなら二つとも割る。仕事場にベランダ要らないんだけど、これって撤去できないんですか。








平成二十年七月十一日(金)  81.0 kg


そら見たことか
BGM : Live/Dead / Grateful Dead


 タスポないので… 高校生がたばこ70箱万引きだ。未成年者喫煙なら本人は罰せられないのに、買えないがために窃盗犯。モンスターペアレントなら、「タスポが息子を犯罪者にした」と国を訴えるだろう。強盗殺人が起きても驚かない。コンビニの店員はますます命懸けだ。1箱1000円になったら成人も万引きを始めるだろう(ブックオフとかに持ち込むかもしれない)し、ヤミ煙草で北朝鮮とか暴力団とかも大儲け。目先の健康のために、社会が病む。そんな社会で、長生きしたいかね。








平成二十年七月十日(木)  81.0 kg


決定論の行方
BGM : Grateful Dead(Skull & Roses) / Grateful Dead


 正月に、88キロまで増えた体重が夏休みまでに10キロ減ることが決定した。私の夏休みは29日からだ。半年で7キロ減らして最後の3週間で3キロって、ペース配分が仕事といっしょじゃん! 締切前は火事場のナントカを発揮する私だが、減量でそれをやることに何の意味があるのかよくわからない。だいたい、たくさん食べないとバカヂカラって出ない。








平成二十年七月一日(火)  81.8 kg


主の機嫌
BGM : From The Mars Hotel / Grateful Dead


 来年(2009年)はダーウィン生誕200年、「種の起源」出版150周年であるのに加えて、バージェス動物群発見100周年でもあるという一大メモリアルイヤーなんである。きっと進化論やら生物学やらが流行るに違いない。だもんだから、何かの役に立つんじゃないかと思って進化論方面の本など読んでいるのだが、これがまあ、難しい。ドーキンスとグールドの対立とか、なんとなくわかるような気がしなくもないが人に説明できるほど理解はできないというか、隔靴掻痒な感じ。揚げ足取りと誤解に満ちたレトリック合戦をしているうちに、何が本筋だかよくわかんなくなっちゃってるのかもしれない。よくわかんないのに、「おれはグールドのほうが好きだ」とか思えてしまうのがまたよくわかんないんだよな。たぶん日本人はグールドのほうが好きなんじゃないかな。そんなことないのかな。よくわかりません。

 しかしよくわかんないながらも、議論の合間に出てくる具体例なんかが面白いので読めてしまうのが進化論本のいいところだ。たとえばグールドによれば、この35億年間でもっとも成功した生物はバクテリアである。ひょっとすると、地球上の生物の総重量の半分はバクテリアかもしれないそうだ。地球の「家主」は細菌だっちゅうことですわな。うちらはバクテリアの星に居候させてもらってるってえぐらいのもんである。環境問題とか、もうどうでもよくなりますね。太陽エネルギーのない地底深くにもみっしりバクテリアさんがいらっしゃるらしいから、何したって地球の生命は(地球がある限り)大丈夫でしょう、と思えてくる。ちなみに人間は、乾燥体重のおよそ1割がバクテリアなんだとか。「乾燥体重」ってすごい言葉だが、要は水分を除いた体重ということだろう。たしか人体の6割か7割は水分だから、体重の3〜4%はバクテリアだとすると、私もすでに本当は70キロ台(だってバクテリアは私じゃないから)と言えないこともないのだった。水分が私かどうかは、よくわからない。







平成二十年六月二十日(金)  81.2 kg


EUROいろいろ
BGM : EUROPE '72 / Grateful Dead



 1972年にロンドン、パリ、アムステルダム、フランクフルト、コペンハーゲンなどで行われたグレイトフル・デッドのライブを収録した名盤である。たまたまこういう時期にこれと出会ったので、さて同じ年にベルギーで開催されたEURO72はどんな大会だったのかと思って調べてみたら、決勝は西ドイツが3-0でソビエト連邦を下したらしい。わーお。西独とソ連だよ。ちなみに三位決定戦はベルギーが2-1でハンガリーに勝った。そんな時代もあったのだ。シブい時代だ。

 EURO2008はけっこう見ている。スイスは思いのほか弱かった。消去法で優勝候補に推した旧ソ連も最初は思いのほか弱い感じだったが、スウェーデン戦では何だかえらいことになっていた。ひょっとするとひょっとするかもしれない。まあ、どのチームもひょっとするとひょっとするのがスポーツというものだが。チェコ戦のトルコには腰を抜かしたよなぁ。いま私が知りたいのは、あのトルコの逆転劇と、名人戦第3局における羽生の「50年に一度の大逆転」はどちらがより凄かったのかということだ。どこかに将棋をサッカーになぞらえて語ってくれる人はいないのだろうか。

 明日の土曜日、飛田給のミズノフットサルプラザ調布で、ブラインドサッカーのリーグ戦を兼ねたイベントが開催されるとのことなので、遅ればせながら告知しときます。天候が心配だが、好取組が多いのでかなり楽しめるはず。詳細はこちらで。







平成二十年六月十七日(火)  81.6 kg


とりあえず
BGM : Workingman's Dead / Grateful Dead



 最後まで書き終えた。400字詰換算でおよそ500枚。途中で震度5レベルのダメ出しを受けてカットしたところとか自分で削ったところとかもあるので、ひょっとしたら全部で700枚分ぐらい手を動かしたかもしれない。ふう。比喩が不謹慎で申し訳ないが、まだ余震はあるはずなので、ダメ出し待ちのライターに解放感はないのだった。むしろこれからが本番なのだ。そこがゴーストで書く原稿とは違うのだ。

 体重が減ったのは、昼飯をほとんど食っていなかったからである。あえて抜いたわけではなく、食う気にならなかった。食わなくても原稿は書けた。たぶん、脳内にどばどば分泌した怪しげな物質が食い物の代わりをしていたに違いない。どばどばだ、しゅびだばだ。ちょっと休んだほうがいいみたいだ。







平成二十年六月五日(木)  83.6 kg


雑味
BGM : Arrival / ABBA



 原稿はまだサンパウロにarrivalしたところ。ともあれ、生きてはいる。だが、不急のメール等には反応できていない。あしからず。どうでもいいことだが、私はアバの曲の中では「ザッツ・ミー」が一番好きだ。ベスト盤には3枚組ぐらいにならないと収録されないのが不思議でならない。そして私は、アバが好きな人はキャンディーズも好きなのではないかと勝手に思っている。そのキャンディーズのほうはあの名曲「哀愁のシンフォニー」の別バージョンが何かの拍子に発掘されたとか何とかというようなことが、どこかに書いてあった。いずれそれを収録した20枚組のボックスセットが出るとも書いてあったような気がする。それ買わないと聴けないのかその曲は。