9月の後半

扉(目次)

深川全仕事

大量点計画

江戸川時代

メ ー ル

平成二十年十月十五日(水)  84.6 kg


ダメ親父と立派な息子
BGM : Alligator Lips & Dirty Rice / Jon Cleary


 金曜の夜から、風邪で鼻ぐしゅぐしゅ&微熱状態。朦朧としながらセガレの運動会に足を運び、筑波に一泊してブラインドサッカーの代表(候補)選手および強化部のみなさんに北京で見てきたことをご報告したりしつつ、その合間に新書70ページ分の原稿をボカスカと書き殴る蹴るの暴行を働いているうちに、連休が終わった。思い出すだけで目眩がする。脱稿はきのうの朝。20時間で2万8000字。平均時速1400字。20代の頃は時速2000字で24時間書き続けたこともあったが、もう無理っす。限界っす。途中、3回ほど「死ぬかも」と思い、2回ほど「発狂すっかも」と思った。だしぬけに「うきゃー!」とか「んにゃほー!」とか意味不明の呻き声も上げた。原稿に対する責任能力の有無は、かなり微妙だ。誤字脱字ぐらいは心神耗弱で見逃してください。それにしても、もう、こんなオウン拷問(もしくは刑罰)みたいな働き方はやめなければいけない。とりあえず年内は徹夜禁止。ほんと、病気になるよこんなことしてたら。

 運動会では、5〜6年生の組体操に感動。セガレは1ヶ月ほど前まで逆立ち(いわゆる「壁倒立」)ができず、中学時代は体操部だった母親の指導を受けながら家で一生懸命に練習し、何とかできるようになってはいたものの、百発百中ではなかったので心配していたのだ。それを本番では一発でキメやがるんだから、泣かせるじゃねえかこの野郎。足の先までまっすぐに伸びた、とてもきれいな逆立ちだった。人の逆立ちを見て美しいと思ったのは初めてだ。ありがとう。父さんは嬉しい。









平成二十年十月十日(金)  83.8 kg


弛緩からのリスタート
BGM : Mo Hippa / Jon Cleary & the Absolute Monster Gentlemen



 結局、きのうは弛緩状態から脱却できずに爆睡。編集者が私を甘やかさず、あのまま必死こいてやってたら、今頃は脱稿していたかもしれないと思うとちょっと茫然とする。まあムリだったとは思いますが。このところずっと始発で帰宅する日々が続いていたので、からだはボロボロだ。疲れ目と肩凝りは当然として、膝と足首が痛い(というかダルい)のが謎。これまではなかった症状だ。ずっと座ってるだけなのに、どうして相撲取りみたいな故障が発生するんだろう。でもまあしょうがない。いまいましい体にサロンパスローション(毛のある部位にも使えるのでとっても便利)を塗りたくりながら、連休明けの脱稿を目指してアクセルを踏み直そう。15日には、渋谷のクラブクアトロで、ジョン・クリアリーと怪物紳士たちが私を待っている。いやっほう。










平成二十年十月九日(木)  84.0 kg


限界への挑戦
BGM : Rock 'n Roll Gumbo / Professor Longhair


 明日の締切に向け、老朽化の著しいポンコツマシンに鞭打ちながら、24時間耐久レースを開催中。目標は、平均時速1600字をキープしての完走。いかにピットインの回数を減らすかが課題。クラッシュなんか怖がってちゃ走れねえんだよべらんめえ。

(追記) ……と、上の文章をアップした数時間後に、神様から「週明けでも構わないからじっくり仕上げなさい」というメール。神様って、担当編集者ですが。あー。それは禁句なんだけどなぁ。張りつめていた糸がぷつんと切れ、噴出していたアドレナリン的なものがしゅるしゅるっと引き潮のように格納庫へ吸い込まれていく音が聞こえる。魂を吸い取られたかのごとき弛緩により、レース中断。週末はセガレの運動会やらブラインドサッカー合宿訪問やらいろいろあるので、そんなに油断してはいられないのだが。しかしそれにしても、ロングヘア教授の演奏は楽しすぎて参りますわ。










平成二十年十月八日(水)  83.6 kg


投げ出してみたい
BGM : Nantucket Sleighride / Mountain


■マウンテンって、曲も演奏もかっこいいけどバンド名がまずいよなあ。言うに事欠いてマウンテンはないよ。ないない。ないと思う。「ダサいバンド名番付」を作ったら、イーグルスとコレが東西の横綱か。イーグルスってなあ。動物はダメだろ動物は。ちなみに大関は、東がキッス、西がクイーン。あと、シカゴとボストンとカンサスが理解できぬ。

■要は、ワンワードの名前はむずかしいということか。キャメルやキャラバンあたりも微妙っちゃ微妙だもんな。まあ、どうでもいいんだけどな。忙しいので、「わたしのバンド名番付」とか送らないように。

■じっさい、仕事が大ピンチなのだった。安倍サンや福田サンのキモチがちょっとわかったりする今日この頃。彼らへの批判には、嫉妬と羨望も混じっているのではあるまいか。投げ出せるなんて羨ましいぞコノヤロー!と。

■薬局でサロンパスローションとなみだロートドライアイと蒸気でホットアイマスクを買い込み、残り時間と残りページ数のことばかり考える。ふつう間に合わない。常識的にムリ。絶体絶命。

■はっきりカタをつけてよ、と、山口百恵は3回くり返した。

■やってられないわ。

■いや、これは私ではなく編集者のセリフ。

■さしたる反響もないまま、ひっそりと第2回を迎えた「日本人のホコロビ」を載せて、「SAPIO」10月22日号は本日発売。考えてみると、「SAPIO」って「国際情報誌」なんだよな。いいのか私で。









平成二十年十月六日(月)  83.2 kg


弟だけどアニキになった男
BGM : Marco Polo / Nicola Alesini & Pier Luigi Andreoni



 というわけで(きのうの日誌参照)、ゆうべはラツィオとレッチェの一戦を見たのである。オリンピコの風景を見るのがいつ以来なのか、まるで思い出せない。そういえばローマに勝った試合のゴールシーンだけYou Tubeで見た記憶があるが、あれは去年か?

 のっけから笑ったのは、ベンチにシモーネ・インザーギの姿があったからだ。いたのかよ。まだいたのかよ。ずっといたのか? と思って調べてみたら、どうやらサンプドリアやらアタランタやらでしばらく給料泥棒をしてからラツィオに復帰したらしい。いや給料泥棒だったかどうかは知らんけどさ。当たらずといえども遠からずなんじゃね?

 試合はレッチェが先制だ。なんとかボッキという人が頭で叩きつけたシュート。ラツィオのGKはまだ名前が覚えられないが動きが緩慢に見えた。何さらしとんじゃワレ!と、久しぶりなのにいきなりエンジン全開の私だ。

 まあ、「単独首位だって聞いたから見てやったのにホームで惨敗かよ!」というのもラツィオらしいというか私らしいというか微笑ましい話ではあるので、それもまた一興と思いつつ見ておったわけだが、出てきやがったよオデコ。おいおい光ってるよ光ってるよ。テッカテカだよ。あんなに光ってたっけなあ。輝きを増したんじゃないのかなあ。でもプレイは昔とおんなじだ。後半も押し詰まった時間に登場して、藪から棒に華麗なる転倒でFKゲット。うまい。相変わらずうまいっす。さすがにスクデットを知る男はやることが違う。それがコイツひとりしかいないかと思うと実に頼りない。いや頼もしい。

 そんなこんなで、0-1のまま迎えた88分だ。サラテもパンデフもいいところがなく、こりゃアカンわいと諦めていたところで飛び出しましたよ。インザーギ家に先祖代々伝わるという、炎のごっつぁんゴール。うほー! まさかこんなものを見ることができるとは、いやはや、なんとも、感涙にむせびましたねアタシは。1-1のドローで、ウディネーゼとインテルに勝ち点では並ばれたものの、得失点差で首位キープ。愛してるぜシモーネ。









平成二十年十月五日(日)  83.0 kg


動くラツィオ、微動する怪物
BGM : Moonburn / Jon Cleary



 きのうの日誌をご覧になった親切な読者の方が、ラツィオの現状を示すYou Tubeの動画を教えてくれた。これってやったことなかったんだけど、このアレをここにこうしてコピペするだけで見られるようになるわけですか? 勝手にそんなことしていいの? まあ、いいや。物は試しだ。ラツィオは今、こんなことをしでかしている。

 おー。すげーじゃんすげーじゃん。おれの日誌のなかでラツィオが動いてるじゃん。いやそうじゃなくて、すごいのはラツィオのゴールだよ。1点目がサラテ、2点目がパンデフだ。パンデフは知ってるがサラテは知らないぞ。アルゼンチン人なの? なんでこんなすごい人がラツィオに来てくれたの? ありがたい話だよなあ。ありがたいと思うなら、ちゃんと試合観ろっていう話です。はい。

 しかしこれ、便利でクセになりそうだな。字ぃ書いて説明しなくても済むもんな。目の見えない読者諸氏には申し訳ないし、文筆業者としては堕落以外の何物でもないが、ついでにJon Cleary & The Absolute Monster Gentlemenもご紹介だ。左端のギタリストが「絶対怪物(Absolute Monster)」なのかどうかは知らない。見えない方は、音だけでも楽しんでください。











平成二十年十月四日(土)  83.6 kg


おまえの回転をクギづけにせよ?
BGM : Pin Your Spin / Jon Cleary



 と、まあ、タイトルの意味はようわからんけれども、ジョン・クリアリーの「Pin Your Spin」は、ああもうどうにでもして級の傑作。聴かずに死ななくてヨカッタ。曲が終わって次のイントロが始まるたびに、「えー、もう終わっちゃうのぉ?……あ、だけどコレもいいじゃんか!」のくり返しだ。交錯する余韻と期待感。ポピュラー音楽のアルバムは、すべからくかくあられたし。日本語ヘンですか。まあいいよ日本語のことなんかこの際どうだって。なんつうかこう、聴いてると魂がいろんな踊り方をしますな。カッコよくて、ゴキゲンで、愛おしくて、そして、きれいな音楽。いや愉快愉快。

 ところで、ラツィオが単独首位だとかいう妙な噂話を耳にしてキツネにつままれたような気分でいるのだが、それって何の話ですか。セリエA? サッカーの? いったいぜんたい、何が起きてるわけ? ひょっとしてシメオネが復帰したとかそういうこと? ああもうどうにでもして級のシーズンになりつつあるのか? そうなのか?











平成二十年十月三日(金)  83.0 kg


昔はよかった。調子が。
BGM : Act Like Nothing's Wrong / Al Kooper



 突如として、「足が攣るときに不足している栄養素」(一昨日の日誌参照)について何に書いたのかを思い出した。昔サッカー雑誌に連載していたコラムの最終回だ。今から3年半ほど前の話である。あらためて読んでみたら、けっこう良く書けてるじゃん(当社比)と思ったので、ここに再録。好調時のフォームを思い出すのは大事だ。

*  *  *

お茶の間にルーズボール 最終回
フットボーラーに学ぶ「爪先クイクイ」の精神

 子供の頃、明け方に寝床の中で足がつることが多かった。睡眠中に無理なスライディングタックルをかましたことはないと思うし、トップスピードで走りながら急激な切り返しを試みた記憶もないので、たぶんカルシウムやマグネシウムが不足していたのだろう。あの頃そういう栄養学的な知識があったら、大嫌いなヒジキやニボシも我慢して食べたに違いない。足がつった人間は、「コレが治るなら何だってしますよぅ」という気持ちになるものだ。あの天地がひっくり返るような激痛から解放されるなら、嫌いな物を食べるぐらい何でもない。石や鉄を食えと言われれば食うだろう。

 それほど痛いものだから、私が「ぐげぐげぐげげぇ〜っ」と悲鳴を上げるたびに隣の部屋でガバッと飛び起きて「どうした! 大丈夫か!」と助けに来てくれる兄の存在は、ウルトラマン並みに頼もしかった。つった足を持ち上げて爪先を懸命にクイクイ押してくれる兄が、私には「シュワッチ! シュワッチ!」と口走っているように思えたものだ。無論、私に必要なのはカルシウムやマグネシウムであって、スペシウム光線ではなかったわけだが。

 そんな体験のせいか、私はサッカー観戦中も、足をつらせた選手が倒れてのたうち回っているのを見ると、思わず手に汗を握ってしまう。そして、真っ先に駆け寄って爪先をクイクイ押してやる選手には、称賛を惜しまない。あれこそ、サッカーにおける最も感動的なシーンの一つだと私は思う。というのも、つった足の手当をしてやるのは、たいがい敵の選手だからだ。

 そうなるのは、サッカーでは試合中、味方より敵のほうが近くにいることが多いからである。味方は遠くでパスを待っており、近くには敵が3人も4人も集まって自分を取り囲んでいる。だから足がつった時は「遠くの親戚より近くの他人」になるのだった。もし、その時に味方の爪先をクイクイしている選手がいたら、そいつはポジショニングが悪いのではないかと疑ったほうがいいだろう。治療には役立っていても、試合では役に立っていない可能性が高いのである。

 それにしても、敵に救いの手を差し伸べる選手はエライ。故障した敵なんか放っておいたほうが戦いが有利になるにもかかわらず、彼らはもしかしたらプレー中よりも真剣な表情で、敵を助けようとする。いや、そんな時のフットボーラーは誰の敵でもない。正義の味方である。そう信じられるからこそ、倒れた選手も、相手が自分の足をさらに痛めつけるのではないかと疑ったりせず、「ああ頼む頼む、頼むから早くクイクイしてくれよぅ」と完全に身を委ねられるのだ。

 今どき、あんなふうに「近くの他人」を信用できる場面が、私たちの日常にあるだろうか。たとえば私は、駅のホームで見知らぬ他人が落としたマフラーを拾ってあげた時、感謝されるどころか、その女性に凶悪な形相でジロリと睨みつけられたことがある。スリが盗んだ物を返したぐらいにしか思われなかったのかもしれない。あるいは、私がそれをきっかけに甘言を弄して近づき、自分を騙そうとしているとでも思ったのだろうか。どこに「敵」が潜んでいるかわからないご時世だから、それも無理はないとは思う。

 なにしろ身内の危機だと信じて金を振り込んだらオレオレ詐欺だったり、追突されて車を降りたら拉致されて身ぐるみ剥がれたりするような世の中だ。油断も隙もあったもんじゃない。子供たちにも、「知らない人は悪い人」という警戒心を植えつけざるを得ない状況になっている。「近くの他人」が善意も好意も持っていないことが、生活の前提になってしまったのだ。

 そして人々は、電車の中でも街頭でも、まるで「近くの他人」などいないかのように振る舞い、ケータイで「遠くの味方」とつながっている。おそらく、駆け込み乗車した瞬間に足がつっても、苦悶の表情を浮かべながらケータイで仲間に助けを求めるのだろう。近くの他人が爪先クイクイをやろうとしたら、つっていないほうの足で蹴飛ばされるかもしれない。私はいつか昔の兄のように「シュワッチ!」と正義の味方に変身し、他人の爪先をクイクイしたいと思っているが、そのチャンスが得られそうもないのは残念だ。

 そもそも電車の中で足をつらせている人は見たことがないが、とにかく私は、敵の爪先をクイクイしてやれるサッカー選手が羨ましい。あれがやれるのは、彼らが相手の「痛み」をよく知っているからだ。他人の痛みを知っている者は、痛がっている人を見ると、居ても立ってもいられないものである。一方、他人の痛みに鈍感な者は、痛がっている人に向かって「耐えろ」としか言わない。そんな人を総理大臣にしている国があるとしたら、他人を信用できない社会になるのも当然だ。

 そこで私はこの連載を終わるに当たって、世間に「爪先クイクイ運動」を提唱したい。つった人を見たら、すぐに駆け寄って爪先をクイクイしてあげよう。つった人は、遠慮なく他人の好意に甘えよう。電車の床に仰向けになって片足を掲げ、見知らぬ大学生に爪先をクイクイしてもらっているサラリーマンの姿を、私は夢想する。嗚呼、なんて美しい光景なんだ。爪先クイクイの精神がこの社会を豊かにするのだと、私は信じている。

(月刊サッカーズ 2005年2月号)

*  *  *











平成二十年十月二日(木)  83.2 kg


フィクショナルな夜
BGM : Homemade Songs / Bobby Charles



 夜中に、体の動きを完全に封じられた状態で何者かに襲われ、「うわーっ!」と叫びながらガバッと起きたら夢だった、という、そんなもんドラマやマンガの世界にしかないだろうと思っていた体験をした。あるんだな、こういうの。ということは、「バナナの皮を踏んづけてすってんころりんする人」とか、「ボコボコに殴られた翌日に腫れ上がった顔で会社や学校に行き、『いや階段で転んじゃってさ』と言い訳する人」とかも現実に存在するに違いない。あとはアレだな、実験室で薬品を爆発させてビーカーを握りしめたまま真っ黒焦げになってる博士とかもいるんだろうな。いや、それはドラマやマンガじゃなくてコントか。そんなことはともかく、夢から醒めたときは全身ぐったり&汗びっしょりで、しばらくドキのムネムネが収まらなかった。愚妻によれば、その後も私は何やら理屈っぽい寝言をさんざん口にしていたらしい。なぜ自分が締切を守れないのかということについて懸命に言い逃れを試みていたのかもしれない。まさに人間として不調。というか呪われている気がする。今夜、眠るのが怖い。

 ボビー・チャールズの「ホームメイド・ソングス」は、悪夢の痛手を癒し、呪いを解いてくれそうな、慈愛に満ちた好盤。









平成二十年十月一日(水)  83.6 kg


不調で不潔でキモチ悪い私
BGM : Ring of Hands / Argent



■一昨日から昨日にかけて、「わしズム」の原稿で完徹。徹夜で仕上げたというより、徹夜すれば間に合うギリギリまでグズグズしていたという感じ。とにかく不調。

■そのまま風呂にも入らず渋谷へ向かい、午後3時から某社新書の口述取材。ずっと「あたま洗いてー」と思いながら著者のお話を拝聴。

■いかにもライターっぽい不潔感。

■ふらふらで帰宅したら、夜、両足の指が攣り続けて参った。ヘンな形に広がった指を「ほらほら、攣った攣った」と家族に見せたら、「キモチ悪い」と嫌がられた。

■私はキモチ悪いのだ。

■昔、攣りやすいときに不足している栄養素について文章を書いた記憶があるのだが、それが何だったか思い出せない。というか、なんでそんな原稿を書いたのかさえ不明。書いたものが何も蓄積されていない。

■足りないのは栄養じゃなくて睡眠時間だってば。

■1元=17円52銭で買った中国元が800元ほど余っていたので、さっき買ったところで売ったら、1元=13円82銭だった。えーと……あ、損したんだ! これもアメリカのせいなの? そうなの?

■お金の扱い方は知ってるつもりだが、マネーの扱い方がわからない。