10月の前半

扉(目次)

深川全仕事

大量点計画

江戸川時代

メ ー ル






平成二十年十月三十一日(金)  83.8 kg


向井さーん
BGM : ORISSA / 向井滋春


 きのうのBoneramaですっかり里心がついてしまい、こんなものを聴いている。向井滋春の「オリッサ」は1982年作。26年前だよオイ。ちなみにCD化はされていない。聴いているのは、親切な友人がLPからCD−Rに焼いてくれたものである。そんでもって、「YouTubeに向井とかあんのか?」と思って検索してみたら、当然というべきか意外というべきかわからないものの、たくさんあった。話はほぼ学生時代の仲間へ向けた業務連絡みたいなことになるが、驚くべきことに「ビリンバウ」もあったぞ。今から23年前(!)に私たちが渋谷エピュキュラスで演奏した曲である。

 谷啓&向井という日本ボントロ界の両巨頭による共演(タマガワブルース)もありました。これもどっかで演奏した記憶がある。あれはTake Off 7だっけ?

 明日11月1日土曜日の午後、GINZA de FUTSAL 大崎スタジアムで、ブラインドサッカーの東西オールスターマッチが開催される。業界初の試みだ。詳しくはこちらで。まだ見たことのない人は、ぜひ足を運んでもらいたい。

 と言いつつ、明日はセガレの試合(住信カップ)もあるので、私は大崎スタジアムに行けるかどうか微妙。朝の準々決勝に勝てば、午後の決勝か3位決定戦への進出が決まる。3位まで都大会の出場権が与えられるというのだから、これは応援しないわけにいかない。ブラインドサッカー関係者諸氏におかれましては、もし私が現れなかった場合、セガレのチームがベスト4に勝ち残ったのだとお考えください。すみません。

 そのセガレが、きのう、放課後にサッカーをやっている最中に右足の親指を捻挫しやがったのだから何やってんだという話である。どうやら先日の試合でついてくれた守護神は、とっくにどっかへ消えてしまったようだ。とほほ。さほど重症ではないようなので、明日の試合には何とか間に合ってほしい。セガレには、「出場するならフィールドで足を引きずるな。引きずるなら出場しちゃいけない。出場したら、失敗しても絶対に怪我のせいにはするな」と申し渡したが、さてどうなりますことやら。





平成二十年十月三十日(木)  83.4 kg


なんだコイツら
BGM : Live at the Old Point / Bonerama



 Boneramaはボーンラマ、と読むのだろうか。トロンボーン4本とスーザホンがバリバリに炸裂するニューオーリンズのファンクバンドである。じつに素敵なバカ野郎共だよまったく。こんなのが学生時代にあったら、ぜったい真似したのになあ。このアルバムではツェッペリンの「モビー・ディック」をやっているのだが、YouTubeでは「オーシャン」のライブ演奏を発見したので下に貼りつけておく。いやー、豪快豪快。音はきたねえしうるせえけど、とても大事な何かが激しく迸っている。久しぶりにトロンボーン吹きたくなった。フィジカル的にムリだけど。







平成二十年十月二十九日(水)  83.4 kg


ディエゴと辰徳
BGM : Shakedown Street / Grateful Dead



 共に代表監督に就任しそうな2人にとりたてて共通点はないが、ディエゴ・マラドーナがメキシコで神の手と5人抜きを披露した1986年、原辰徳は9月の広島戦で津田のストレートをファウルした際に左手首を骨折して出場113試合に終わりながら、自己最多のシーズン36本塁打をカッ飛ばした。これ豆知識な。

「これ豆知識な」は、私が好きな数少ない2ch語のひとつ。

 わしズム秋号が届いた。左側に掲げた写真ではピンと来ないかもしれないが、表紙はあまり書店の棚では見かけない画期的な色。封筒から出してびっくりした。こりゃ目立つわ。今号から連載記事のデザインを変更したようで、これは何というのか、「週刊誌のワイド特集方式」とでも呼べばいいのかどうかよくわからないが、ともかく複数の文章をまとめて流し込むスタイル。私のコラムはページの裏面にも文章が続いているので途中で読むのをやめないように。まあ、言わんでもわかるとは思うが。1ページのコラムは、デザイナー・イラストレーター・書き手が三位一体で箱庭(もしくは弁当箱)的小宇宙を作るのが醍醐味だと思っているので、ちょっぴり淋しさを感じなくもない。しかし、それは書き手の責任逃れ。デザインによる差別化力を借りないと「埋め草」ならぬ「埋もれ草」になりかねないのが怖いのだった。これ弱音な。





平成二十年十月二十八日(火)  83.6 kg


眠い
BGM : Spiders on the Keys / James Booker



 間近に締切が迫っているわけではなく、したがって睡眠時間は十分すぎるほど取っているのに、このところ、朝から晩まで、ずっと眠い。からだが冬眠を欲しているのではないかと疑われるくらいだ。もしかして、これから私はクマになろうとしているのだろうか。クマかー。クマは悪くないかもなー。どうやら愚妻も眠くて眠くて仕方ないらしく、夕食後のわが家は、2人とも居眠りしている中で、セガレがひとり黙々と宿題やらZ会やらにカリカリ取り組んでいる。ゆうべ、「おまえって眠くなることないの?」と訊ねたら、「眠いこともあるけど寝たくはならない」とのお答え。そうかー。毎日毎日やりたいことがいっぱいあるんだもんな。要は意欲の問題なのね。





平成二十年十月二十七日(月)  83.6 kg


都大会への道
BGM : One Nation Under a Groove / Funkadelic


 土曜日は、セガレの出場する「住信カップ」(住友信託東京カップ第20回東京都5年生サッカー大会)の地区予選を観戦するため、昼前に高円寺の馬橋小学校グラウンドへ。5チームによるトーナメントである。ここで1位になれば杉並区のベスト8入りを果たし、次週の結果次第では都大会への進出も可能になるという。しかもセガレたち5年生にとっては、初めてクラブの「代表ユニフォーム」を着て出場する大会だった。セガレ、前夜からえらい緊張してました。当日の朝、出かける前に星新一の本なんか読んでるので意外に余裕なのかと思いきや、「こうでもしてないと落ち着かないんだよ」とのこと。そういうのを世間では「逃避」といいます。

 しかしまあ、重圧がかかるのも無理はない。1ピリオド15分の3ピリオド制という変則マッチ(8人制)で、どの選手も3ピリオド連続では出場できない(つまり多くの選手に出場機会を与える)ルールなのだが、GKだけは特例でフル出場可なのだ。で、うちのチームにGKはセガレしかいないらしい。親にとっても、こんなに心臓に悪い大会はないのである。でも試合前、コーチから「1番」の代表ユニを手渡されるのを見たときはグッときましたね。1番かー。かっこいいなー。と思っていたら、それに着替えたセガレがすでに涙目になっていたので、とても心配になったのだった。試合前から目をこするな目を。ダメだこいつ全力で緊張してるよオイ。

 セガレの久我山は、馬橋、済美と同じブロック。3チーム総当たりで1位になれば、逆ブロックのリベルタ対スモモニの勝者とベスト8進出をかけて戦うことになる。初戦の相手はホームの馬橋。しかし久我山は、ウォーミングアップのランニングで「くがやまぁ〜、ファイ、オー! ファイ、オー!」とやたらデカい声を上げて敵を威圧し、馬橋の選手たちをオドオドさせていた。よしよし、先手必勝じゃ。

 キックオフ後も、久我山はすばらしいサッカーを繰り広げた。何がすばらしいって、守備陣が敵をペナの前で食い止め、GKのセガレにプレイ機会をほとんど与えないのがすばらしい。ものすごく安心。攻撃も実に見応えがあった。フィールドの幅を広く使ったサイドアタック、ドリブルの中央突破、ギリギリのコースを狙ったスルーパス、そしてセンターバックの果敢なオーバーラップ。みんな球際で頑張りを見せ、ぐいぐい前に向かっていく。10年前に初めてテレビでオランダ代表(クライファートとベルカンプとオフェルマルスとダビッツとデブール兄弟がいたチームだ)を見たとき以来のワクワク感だった。サッカーはこうでなくちゃ!

 というわけで、初戦は5対1の完勝。1失点はPKなのでしょうがない。2戦目の対済美は、序盤こそ押し込まれてヒヤヒヤしたものの、終わってみれば8対0の圧勝だ。ものすげえ得点力。サイドからのクロスをダイレクトボレーで決めたりしやがるんだから恐れ入りました。セガレもパントキックが好調で、たまーに攻撃の起点としてチームの役に立っていた。あと、声がデカい。それが一番の取り柄。

 ベスト8進出のかかった「決勝」は、18時キックオフ。相手はスモモニを5対1で下したリベルタ。名前からしてなんとなく強そうだ。試合前、手洗いで一緒になった久我山の監督に「次の試合は息子さんが活躍する場面が多いと思いますが」と言われ、「覚悟しております」と答える。だが、夜間照明を浴びた久我山の選手たちは、とても凛々しく見えた。頼むから、失点より一つでも多く得点してくれ。

 がっぷりと均衡した試合になった。ボールを支配する時間は敵のほうが多い。久我山ゴール前にボールが送られ、セガレが飛び出し、鼻先まで迫る敵フォワードをかわしてキャッチする場面が目立つ。そこで怖がってファンブルするなよオイ! 見てられないっつうんだよ。しかしセガレは徐々に恐怖心を克服したのか、敵が迫っても落ち着いてキャッチするようになった。あとで聞いたら「一度相手がキーパーチャージを取られて、ぶつかってもいいんだとわかった」らしい。それ知らなかったのかー。

 闘志では明らかに久我山が上回っていた。攻め込まれても怖じ気づくことなく、前に行く姿勢を失わない。そして第2ピリオド、待望の先制ゴールが決まる。少ないチャンスを確実にモノにしたヒロト君は本当にえらい。こんどアイス奢ってあげてもいい。

 それ以降は生きた心地がしなかった。PK戦だけは勘弁してほしかったが、このまま終わるとは思えない。GK正面を襲った鋭いFKをセガレがキャッチしたときは、私のほうが息が止まった。度重なる決定機は、相手がとくに理由もなく枠を外してくれた。どうして久我山が失点しないのか、さっぱりわからなかった。一つだけ理由があるとすれば、リベルタは全員が黙ってプレイする元気のないチームだったということくらいだろうか。ガッツやハートって、やっぱ大事なんだなぁ。

 終了間際、セガレがファンブルして敵にCKを与えたときは気絶しそうだったが、このピンチも何とかしのいで、1対0。まさか完封できるとは思わなかった。セガレが守護神なのではなく、セガレに守護神がついていたとしか思えない。来週までその神様をつけておくには、どうしたらいいのだろうか。勇気をキープする、が正解? ともかく、いいモン見せてもらいました。本気で勝ちたいと念じて戦った奴らが手にした勝利には、かけがえのない値打ちがある。すべての選手たちに感謝。








平成二十年十月二十四日(金)  83.8 kg


麻シューズ
BGM : Crash / Dave Matthews Band



 飽きたので模様替えしてみた。ちょっと冬っぽい感じ?

 グレイトフル・デッドやフィッシュを買いまくっていた頃、アマゾンのおすすめ商品にDave Matthews Bandという名を見つけたときは、「なぜここでジャズ方面に誘うのだ?」と首を傾げたものだった。しかしこれは、マンハッタン・ジャズ・オーケストラとかのデヴィッド・マシューズとは同姓同名の別人。米国では、かつてのデッド以上の動員力を誇る人気ジャムバンドであるらしい。まぎらわしいバンド名をつけたもんだよなあ。こういうのって、本名なら何の問題もないってことなんだろうか。村上春樹じゃない村上春樹さんが村上春樹の名で小説書いてもいいってこと?

 ともあれ、アコギ&ボーカルのデイヴ・マシューズ以下、ベース、ドラム、バイオリン、サックスという珍しい編成で織りなす独特のメリケンサウンドは、素肌に麻のシャツをざっくりと羽織っているような心地よさ。「素肌に麻」って、じっさいは汗でひっついて最悪だったりするわけだが、まあ、イメージはイメージとして。










平成二十年十月二十三日(木)  83.4 kg


テレビって奴
BGM : Junco Partner / James Booker



■ジェイムズ・ブッカーの「Junco Partner」は、異様な「子犬のワルツ」が聴ける名盤。ジャケ写からは想像のつかない美しくも泣ける音が次々とスピーカーから溢れ出てくる。いやぁ、音楽って本当にいいモンですね。

■久米宏の新番組を見た。計算し尽くされたミニマリズム、とでも言えばいいのだろうか。徹底して無駄を排除した作り方は見上げたもの。いわゆる「情報バラエティ番組」を「トーク番組」に収斂した勇気は敬服に値する。

■「報道ステーション」が始まったとき、後任者のまだるっこしい喋りを聞いて「久米は嫌いだったが上手かった」と感じ入ったものだが、やはりテレビ芸人としては天才なんだろうな。好き嫌いは別にして、人に物を伝える仕事をする上では実に勉強になる。

■視聴者のリテラシーに対する畏怖(というか敬意というか)の有無が、たとえばビートたけしとの差かもしれない。とはいえ「いやぁ、テレビってヤツは本当にいいモンですね」とは決して思わないけれど。








平成二十年十月二十二日(水)  83.6 kg


生命と保険
BGM : Rejuvenation / The Meters



 生命保険の設計書を並べて「うーむ、どれにすべきか」と考えるのは、いつだって憂鬱だ。というか、面倒臭い。未来を「設計」できるような暮らし方はしていないので、どれにしますかと言われても困る。

 たとえば死亡保険金が10年後まで毎年200万ずつ減っていくというタイプのプランがあって、その意味がさっぱりわからない。「子供の教育費負担が徐々に軽くなる」という前提らしいが、それって「あんたの命の値打ちがどんどん軽くなる」と言ってるのと何が違うんだろう。だいたい、「もうちょっと早く死んでくれりゃ200万余計にもらえたのに」とか思われたら死んでも死にきれないっす。

 結局、保険金の変わらないもっとも無難なタイプを選択。そもそも何を選ぼうがどうせ足りないんだから、どれだっていいんである。大丈夫だ。きっと誰かが助けてくれる。高野長英だって、逃亡中は同志が妻子の面倒をみてくれていた。しかも逃亡中に家族を増やしたりなんかしてるんだから、ナニ考えてんだ長英!と同志に代わって叱りつけたくもなるじゃないか。と、そういうことなので、ひとつよろしく頼む。誰に言ってんのかよくわからんが、まあ、家族に遺せる財産は金銭だけではないということ。

 ともあれ、生命保険を見直した結果、「あと10年死なずに働けば父親としてはオッケー」という認識を得たことは有意義であった。まだ10年ぐらいは何とか仕事もらえるやろ。ほんでセガレが一人前になっとったら、それでよろしおます。私自身が一人前になれるかどうかというモンダイもないわけではないが、それはまた別の話。








平成二十年十月二十一日(火)  84.0 kg


能とか長英とか
BGM : Jesse Davis / Jesse Ed Davis



■木曜の夕刻、生命保険会社の担当者が来訪。いまの契約内容のまま更新すると3年後には月々の保険料が倍以上になるがいかがいたすか、といったような話。

■保険金が同じなのになにゆえ保険料が高くなるのかというと、歳を取るほど死にやすいからなのだった。ああ、なるほどなるほど。と、感心しきり。

■倍以上も死にやすいのかよ。

■その晩、友人が兄弟を亡くしたとの訃報に接した。こういうときに何をしてやればいいのか、どんな言葉をかければよいのか、そういった死をめぐる教養(?)のようなものが身についていない自分が歯痒い。ふだん死というものから遠ざけられているからかもしれない。でも、これからは身近に死がどんどん増えていく年代。

■ご冥福をお祈りいたします。

■金曜日は、月窓寺で第23回吉祥寺薪能を鑑賞。能をナマで見たのはたぶん初めてのこと。八世観世銕之丞は能の大きな特徴として「死者の世界からものを見る」という根本的な構造を指摘している、というのは、いまウィキペディアで見たばかりの後付の知識。そうだったのかー。客席がお年寄りばかりだったのがその基本構造と関係あるのか無いのかは知らない。眠気に負けそうになったら大鼓の「カーン」という鋭利な音色に集中するのが能鑑賞のコツ。

■週末はひたすら家でゴロゴロ。土日を丸ごと休んだのは何ヶ月ぶりだろうか。吉村昭『長英逃亡』上下巻(新潮文庫)を一気に読む。国家を救うために国家から逃げ続けた蘭学者のお話。吉村昭を読むのは、『破獄』『漂流』に続いてこれが3作目。4度もの脱獄に成功した男も、無人島でアホウドリを食いながら十数年後に生還した男も、高野長英も、最後は、みんな、死んだ。

■きのうの月曜日は、新たなゴースト作業に着手。調子よくホイホイと資料整理などしたものの、夜は友人と深酒してしまい、明けて本日火曜日はグズグズ。週末にセーブしたエネルギーをすでに使い果たした感じ。そんなこんなで、年内にあと2冊。








平成二十年十月十六日(木)  84.6 kg


イェイと言え、と、ジョンは言った
BGM : Crawfish Fiesta / Professor Longhair



 ゆうべは渋谷クラブクアトロで、ジョン・クリアリー&ジ・アブソリュート・モンスター・ジェントルメンのライブを堪能。客層は平均年齢やや高めな感じで、いまどきのイベントには珍しくオトコ率がオンナ率を圧倒的に上回り、平日なのにネクタイ姿の人が異様に少なく、大半がいわゆるクリエイター系っぽい風貌。たぶん各種「デザイナー(自称も含む)」が30人はいたんじゃなかろうか。イラストレーターも7人はいたと思うね。知らないけど。そんな空間。あと、ピーター・バラカンさんもおられました。ネクタイ族に囲まれるのも居心地はあまりよろしくないが、これはこれで、なんというか、ある種のいたたまれなさがある。

 しかしまあ、客席のことはどうでもよろしい。3時間の立ちっぱなしは激務で衰弱した体に相当キツかったものの、その音楽は、衰弱したタマシーのほうに十分すぎるほどのエネルギーを注入してくれた。いやはや楽しいのなんの。頭上で派手に手拍子してノリノリのわりにはリズム感の悪いお客さんが2人いたことを除けば、最高のライブだった。ま、井上陽水のコンサートでは「夢の中へ」を聴きながら1拍3拍で手拍子するという奇特なリズム感(そっちのほうが難しいだろうに)の団塊オヤジがいたことを考えれば、優秀なほうだと思いますが。

 某社より、5年前にゴーストした単行本を改題して新書で出すので印税あげます、との連絡。イェイ。旧作の「文庫化」ならぬ「新書化」というのは、私には初めての経験だ。なにしろ「新書」なので、ちょっと言ってることがおかしいような気がしないでもないが、まあ、「装いも新たに」なのだと考えればよいのであろう。このところ新書の仕事が多く、したがって書いたものが文庫化されるケースが減っていて寂しいのだが、いずれは「新書の文庫化」もあるのだろうか。さすがにそれはないか。やたら薄い文庫本になっちゃいそうだもんな。でも、いわゆる「2in1方式」(文庫1冊で新書2冊読めます!)ならあり得るかも。一連の品格モノを『全部の品格』というタイトルで文庫化するとかさ。私が書いたわけじゃないから関係ねーけどよ。関係ありたい。