10月の後半

扉(目次)

深川全仕事

大量点計画

江戸川時代

メ ー ル






平成二十年十一月二十七日(木)  85.8 kg ひええ。


愚痴と慰撫と不安と
BGM : In the World: From Natchez to New York / Olu Dara


 久しぶりに口述取材。朝8時45分に京橋へ。この時間帯の銀座線に乗ると、あらためて世の勤め人のみなさんの忍耐力に頭が下がる。あれに耐えられるのは、どの世代までだろうか。ゆとり世代ってもう社会人? まあ、いまやどの世代も「我慢」なんて死語化しているわけだが。通勤電車の行く末が心配だ。

 経営者の心得に関する3時間のインタビューを終え、A社の担当編集者Sさんとクロアチア料理店「ドブロ」で昼めし。月刊サッカーズの副編Yさんとここへ行ったのは何年前だっただろうか。相変わらず旨かった。Sさんは東大出だが、どういうわけかいつも私の愚痴をやけに興味深そうに聞いてくれる稀有な人材なので、ここぞとばかり盛大に愚痴をこぼす。「東大出だが」にとりたてて意味はないが、今日も面白がってもらえたようだ。よかった。

 カサンドラ・ウィルソンの名盤「Blue Light 'Till Dawn」で、「Hellhound On My Trail」の(おそらくは)Hellhound役として激シブのコルネットを吹いて(というか唸って)いるのが、昨日から聴いているオル・ダラさんである。ギターやパーカッションなどもこなす才人であるらしい。昨日と今日のアルバムでは、おもに歌をうたっている。通勤電車の中で流しておくと、耐え難きを耐えられるようになるかもしれない。そんな音楽。この「In the World: From Natchez to New York」は、長年にわたってさまざまなビッグネームをサポートしてきたオル・ダラさんが、56歳のときに録音した初のリーダー作だそうだ。そういう経歴を聞くと、それだけで思わず「さん付け」にしてしまう私だった。

 それにしてもアレだ。「SAPIO」では、前号にも増して「ゴー宣」がえらいことになっているのだった。こんなのっぴきならない状況にありながら、私のコラムについて丁寧な感想をしたためた葉書をくれた飯田編集長には、ほんとうに頭が下がる。酒井君も大変だったんだなあ。欄外コメントによれば、「わしズム」を他社で復刊させようという目論見もあるらしい。「流浪の雑誌」として生き延びられるのなら生き延びてもらいたいが、一体どうなるんでしょうか。







平成二十年十一月二十六日(水)  85.0 kg


気休む昼下がり
BGM : Neighborhoods / Olu Dara



 このところ仕事の愚痴や弱音を書いていなかったし、上のジャケ写もひどく呑気なことになってはいるが、業務のほうは例によって淡々と遅れまくっている。あー。なぜ筆が進まないかというと、たぶん今回は珍しく著者が女性だから言葉遣いにいつも使わない神経をつかっているのだが結果的には別にふだんと変わらない筆致になっているような気もしたりなんかして、そんなこんなで停滞しているに違いない。と、執筆中に遅筆の原因を探ったところで、そんなもんは「渋滞中に渋滞の原因を考える」と同じで、ほんの気休め以外の意味はないのだった。はよ片づけて次の本に取りかかれっちゅう話である。しかしその前に「SAPIO」の締切も迫っているのであって、ほんと、えらいこと始めちゃったよなあ。たかが1ページ、されど1ページ。打ち切りの恐怖と戦いながらの月2回って、気の休まる暇がない。だから気休めを言いたい。







平成二十年十一月二十四日(月)  85.0 kg


ゆうしゅう
BGM : The Best of Beau Jocque & The Zydeco Hi-Rollers


 きのうは年に一度のサッカーの親子会。つまり年に一度、サッカーをプレイする日。15分ハーフの試合にトータル20分ほど出場した。パスを何本か通しただけで特筆すべき活躍はできなかったのに優秀選手賞を頂戴したのは、たぶん何度も転倒して泥にまみれる姿を哀れに思ってくれた故のことと思う。むしろ「憂愁選手賞」ですわな。40代になると、運動場で転んでるだけで「頑張ってる」と思ってもらえるから得だ。筋肉痛が例年ほどひどくないのは筋トレの成果かもしれないが、セガレが6年生になる来年はゴールを決めるラストチャンスなので、有終の美を飾るべく、3ヶ月ぐらい走り込みをして臨みたいと思う。試合までに壊れたら話にならんが。

 ボー・ジョック(Beau Jocque)は、生前「キング・オブ・ザディコ」と呼ばれたルイジアナのアコーディオン奏者&シンガーであるらしい。あらゆる国の老若男女を微笑ませるであろう、とても愉快なダンス音楽。一家に一枚あってもいいような気がする。なくてもいいけど。YMOでお馴染みの「Tighten Up」も入ってます。楽しいなあ。







平成二十年十一月二十一日(金)  85.0 kg


麻生の読み方
BGM : Vivo en Argentina / Lito Vitale Quinteto



■今朝のワイドショーで、まだハンザツ・フシュウ・ミゾウユ・ヨウサイ云々を取り上げていた。いつまで引っ張ってんだか。かなりしつこい。だいたい、「天に唾する」っちゅう言葉を知ってんのかなテレビの人たちは。いちいちメモしてないから具体例が挙げられないけど、あんたたちが画面に出すテロップの誤字脱字も相当なもんだぜ。

■と、自分を棚に上げたついでに私も取り上げてみると、この中でいちばん問題なのは「踏襲=フシュウ」だと思う。これはこの機会に小中学校の授業で教師が言及してもよかろう。「踏」は「ふむ」と訓読みする漢字であって、「ふ」という漢字ではない。たとえば「トウシュウのトウってどういう字?」と訊かれたら「フムという字」と答えるべきなのであって、「フムのフ」ではよろしくない。送り仮名を含めてその漢字の読み方なのだからして、分離しちゃイカンのである。

■だから「倦埋草」も「うみうめぐさ」と読ませることができる。

■もっとも視覚障害者用の音声読み上げソフトだと「けんまいそう」になっちゃうようですけどもね。それはそれで、意味は同じだからどっちでもかまわない。「吉本隆明」がそうであるように、人名もたまに音読みされる。

■ちなみに「麻」は「あそ」という字ではない。「生」は……あれ? まさか「うむ」の「う」じゃないよな?

■ちょっと自信がなくなってきた。

■ま、これも分離しちゃイカンということだろう。「四月一日」を「わたぬき」と読むからといって、「四月」を「わた」と読むわけではない。

■聴いているのは、アルゼンチンの鍵盤奏者が率いる五重奏団。「甘くなくて美味し〜い」って甘いから食ってんだろうが!的スイーツ系フュージョン、といったところだろうか。言ってることがよくわからないが、まあ悪くない。演奏うまいし曲もいいし。だけど、マラドーナ監督はこんな音楽、好きじゃないだろうなあ。彼、どんな音楽が好きなんだろう。







平成二十年十一月二十日(木)  85.2 kg


体力が大事らしい
BGM : They Call Us Wild / The Wild Magnolias



 十日ほど前から、腹筋・背筋・腕立て伏せ・ゴム製エキスパンダーによる運動など、上半身の筋力アップに励んでいる。回数は書くと嗤われるので書かない。ちょっとだけ二の腕にチカラコブめいた何かが生じてきた。いつもなら体重が減るはずの食生活をしているのに減らないのは筋肉が増えたせいだと思いたいがどうなんだろうか。それにしても、これまで運動によるゼェゼェハァハァは「辛い・苦しい・したがって可能なかぎり避けたい」ことでしかなかったが、いまは妙に楽しい。驚くべきことに「走りたい」とさえ思う。自分で自分のことが信じられない。

 たぶん冬の間だけだと思うけど。

 ゆうべ何かのニュース番組を見ていたら、元厚生事務次官およびその家族殺傷事件について、VTR出演した影山という犯罪心理学者が「犯人は体力のある男性!」と予想していたのでズッコケた。ほぼ何も言っていないのと同じだし、どこがどう心理学とカンケーあるのかもさっぱりわからない。「この試合で勝つのは……強いほう!」と予想してるのとあまり変わらないような気もする。しかし私は、この学者本人よりも、そんなコメントを放送で使うほうが悪いと思うよ。番組制作者が「ボツにする勇気」を持たないと、本人が気の毒だ。「時間内に収まるように素材を切ったり貼ったりする」だけが「編集」ではなかろう。私もコラムの原稿を編集部に送るたびに「ダメならボツにしてくれ!」と魂の叫びを上げている。







平成二十年十一月十八日(火)  85.0 kg


私語とピカソとローマダービー
BGM : The Wild Magnolias



 土曜日に小学校の学習発表会(いわゆる学芸会)があり、セガレたち5年生が合奏した「コパカバーナ」がとても楽しかったので、思わず客席から「アンコ〜〜〜〜ル!」と叫んだ(そして子供たちはもう一度「コパカバーナ」を演奏した)のだったが、ゆうべセガレの担任から愚妻に電話があって、「真っ先に言っていただいてありがとうございました。子供たちも喜んでいました」と礼を言われたとのこと(補記:例年アンコールを受けるのは6年生だけなのだが、来年から学習発表会での合唱・合奏が図工展示との隔年実施になるため、5年生はアンコールを受けるラストチャンスだったので感激もひとしおだったらしい)。またひとつ徳を積んでしまったわけだが、私としては、保護者席でベラベラとのべつまくなしに私語をかわしたり、わが子の姿をビデオに収めるのに一生懸命だったりで(私にも経験があるがアレをやっていると絶対に音楽は耳に入らない)、とにかくロクに演奏を聴いてないと思われるバカ親どもがあまりにも多いので、「ちゃんと音楽を音楽として真剣に聴いてる保護者もいるんだよ」ということを伝えたいという気持ちもあったのだった。子供たちはそこで「音楽会の舞台に立つ」とはどういうことかを学んでいるわけなのだからして、聴衆が音楽会のお作法を守らないと、やる意味がないと思うのである。というか、いたいけな子供たちがキンチョーして必死で演奏してるときにクッチャクチャ喋ってられる神経が理解できない。保護者世代でもそうなんだから、大学の教室がどれだけ私語だらけだろうと驚かないよ私は。

 きのうの月曜日はセガレが学習発表会の代休だったので、家族3人でピカソ展へ。国立新美術館とサントリー美術館の2ヶ所に分散して合計2600円の入場料を取るのはいかがなものかと思わないではないが、すばらしい展覧会だった。偉大だ偉大だと聞いてはいたが、やっぱりピカソって偉大だと思う。ピカソといえば、大衆レベルでは「わけのわからない奇妙な絵」の代名詞的存在なのであり、私もまたそんな大衆の一人であるわけなのだが、わけがわからないのに「なるほど人間の顔や体とはこういうものかもしれん」と納得させるその説得力というか、有無を言わさぬ断定力というか、とにかくこのドラ・マールさんの右手がちゃんと「こういう手の人いるよね」と思えるんだから偉大だ。と、ややコーフンしながら帰途についたら、渋谷駅構内で岡本太郎の「明日の神話」が公開されていた。もうおなかいっぱいで、じっくり眺める気にならず。なにもピカソ展開催中にお披露目せんでもよかったのにねえ。そういえば、サントリー美術館のほうに、タイトルは忘れたが「太陽の塔」とそっくりな顔の子供を描いた作品があったっけ。

 帰宅後、ローマダービーを3人できゃーきゃー言いながらビデオ観戦。ラツィオは前節までどうやって3連勝したのかさっぱりわからぬふがいない戦いぶりで、ゼロイチ。「モンテッラとデルベッキオのいないダービーなんてちっとも怖くねえな」とか言いながら観ていたのだが。脱力。  







平成二十年十一月十六日(日)  85.0 kg


有害人間ベム
BGM : Lost Paramount Tapes / James Booker



 14日金曜日の読売新聞、「禁煙」JRはどうする…首都圏私鉄は駅全面禁煙だがという記事の最後にある、たばこ問題情報センター渡辺文学代表の(名前もすごいが)コメントがすごい。「たばこを吸ってから電車に乗り込む喫煙者の呼気には有害物質が含まれ、分煙対策では解決にならない」だってさ。とうとう「呼気」まで隔離対象になりやがったよ。1日のうち「有害人間」じゃない時間なんかほとんどなさそうだ。そのうち、アルコール検知器ならぬ有害物質検知器とか持ち出してきて、改札口でハァハァさせたりするわけだな? おもしろい。やってもらおうじゃありませんか。当然、そこらで排気ガスやら何やら吸い込んだ人の呼気にも反応するだろうから、全員乗車禁止だわな。電車に乗れないから、みんなマイカー通勤になって排気ガス激増。禁煙ファシストVS偽善エコロジストのバトルを、一服しつつ高みから見物したいものである。







平成二十年十一月十二日(水)  84.2 kg


わしズムのこと
BGM : Built to Last / The Grateful Dead


 一昨日、編集部からの電話で「わしズム」が次号で終わることを告げられた。その事情については、「SAPIO」11月26日号(本日発売)の「ゴー宣」で小林先生が苦渋に満ちた説明をされているので、関心のある方は読んでいただきたい。雑誌休刊が相次ぐ昨今だが、こちらは業績不振による終焉ではないだけによけい残念だ。途中で幻冬舎から小学館に移籍したこともあり、創刊号から皆勤賞で関わっている人間は、小林編集長とよしりん企画のスタッフのほかにはおそらく私だけだろうと思う。フリーになって以降、そこまでがっちりレギュラーとして働いた媒体は「わしズム」以外になく、したがって深い愛着(執着といってもいい)を抱いていたので、なくなってしまうのはひどく寂しい。なんだかポカンとしてしまう。

 コラムの連載が終わるのも無論残念だが、私が執着していたのはむしろ対談記事のほうだ。創刊号から発売中の今号まで、小林編集長の出席する対談および座談会記事は、すべて私がまとめてきた。一時期に何本も重なり、ふつうなら断るような強行日程になることも多かったが、意地になって全部引き受けた。もちろん、「これは俺にしかできない」と思うほど私は傲慢ではない。対談や座談会の構成なんて、誰がやったって大差はないだろう。しかしどういうわけか、この仕事だけは、絶対にほかのライターに渡したくなかった。いささか大袈裟な言い方になるが、これが下請けライターとしてのライフワークのようなものだと勝手に決めていたのである。「ゴー宣」の欄外コメントによると、小林先生は仕事の7割を「わしズム」にあてていたそうだが、私にとっても、ある意味で、そこはライターとしての主戦場だったのだ。

 それほど強く思い入れたのは、版元が変わっても「引き続き頼む」と小林先生に言われて意気に感じたということもあるが、それより何より、この仕事が楽しかったからである。こんな言い方はほかの仕事の関係者に申し訳ないけれど、「わしズム」の取材現場に向かうときだけは、何か得体の知れない高揚感のようなものに後押しされ、やけに意欲的な気分になれた。そこには常に、真剣勝負の場にしかない熱気と緊張感と覚悟があった。だから語られる言葉は重く、時に危険で、それを取り扱う者にもパワーと集中を要求した(そしてスピードも)。それが、私には楽しかったのだと思う。最終号ではその楽しさを存分に味わっておきたいので、対談や座談会がたくさんあるといいなあ。







平成二十年十一月七日(金)  85.2 kg やべえ。


その後の山岸、その後の福王
BGM : Life Is a Carnival / The Wild Magnolias



 ワイルド・マグノリアスが1999年に発表したアルバムである。ウィキペディアを見ると、ワイルド・マグノリアスは「ニューオーリンズのマルディグラ・インディアンのトライブ(部族)であり、バンドである」と謎めいたことが書かれており、もろもろのリンクをたどるとその背景には北米先住民と逃亡奴隷のフクザツな関係をめぐる歴史的経緯があるらしく、それはそれでじっくり勉強すると面白そうなのだし、初の黒人米国大統領が誕生したときにこのバンドを知ったのも何かの巡り合わせかもしれないと思ったりもするのだったが、そういうことを考えるのは今後の課題にするとして、やたら楽しいぞワイルド・マグノリアス。ジョン・クリアリーの存在を知ってこっち方面に耳を伸ばさなければワイルド・マグノリアスも知らないまま死んだかもしれないので、ジョン・クリアリーを教えてくれたピーター・バラカンさんと月刊PLAYBOY誌には感謝あるのみである。ちなみにワイルド・マグノリアスのギターは1995年から山岸潤史だ。80年代に向井滋春のライブで何度も見たし、チキンシャック(!)のCDも何枚か持っているが、ニューオーリンズに移住してたのかー。知らなかったー。

 西武と巨人の日本シリーズはたまにちらちらと見ている。ゆうべはラミレスの好走塁に端を発する怒濤の逆転劇に接してコーフンし、いまだに潜在的巨人ファンである自分を再発見したりしたわけだが、それにしても今の巨人はラツィオ並みに知らない選手ばっかりだよなあ。巨費を投じて大補強したという噂を聞いていたわりに、鈴木とか坂本とか亀井とか脇谷とか鶴岡とか西村とかやけに地味な人ばっかりじゃないか。日本シリーズが終わるまでに顔を覚えられる自信がない。監督やコーチはみんな知ってるけどね。うわあ、黒江さんだ黒江さんだ。すっかりおじいさんだよ。そりゃそうだよなあ。9連覇って昭和40年代の話だもんなあ。そして巨人の1塁ベースコーチに福王が立っていることに驚いた。コーチとして残るような人材だったのかー。知らなかったー。たぶん引退後のほうが試合でグラウンドに立ってる時間が長いはずだ。よかったよなあ福王。ところでクルーンって、昔、レッツゴー三匹にいたよな? 違うのか?







平成二十年十一月四日(火)  84.8 kg


今日って四月馬鹿じゃないよね?
BGM : Live at Fillmore East 2-11-69 / Grateful Dead



 ホッペをつねったら痛かったので、たぶん現実なんだろうと思うが、驚いたことに、拙著『キャプテン翼勝利学』(集英社インターナショナル)が5000部も増刷されるらしい。うひゃあ。なんでそんなことになるのか全然わからないが、日韓W杯向けの期間限定品だとばかり思っていた本が6年かけて3万部を突破してしまったのだから、世の中わからないものだ。ご購入いただいた皆様には、ひたすら感謝あるのみ。いっぱい刷っちゃうようなので、まだ買ってない人はこの機会に是非お願いします。もはや私自身が何を書いたかうろ覚えだが、私にしか書けない本を書いたという自負だけは今でもある。たとえば「クライファート」や「ラバネッリ」という固有名詞に反応してニタニタしてしまうタイプの人には、それなりに楽しめると思います。

 そんなタイプが5000人もいるわけないので、そうじゃない人も是非。

 ともあれ、持つべきものは著作権である。しかし仮に本人が著作権をすべて持っていたとしたって、小室哲哉の曲が10億円ってなあ。私は彼の音楽をカネ払って聴きたいと思ったことが一度もない(タダでも要らない)ので、さっぱり理解できない。詐欺じゃなかったとしても、霊感商法並みの暴利だと思うのだがどうなんだろうか。払うほうも払うほうだよ。ふだんどんな音楽を聴いていると、あれに10億円払う気になるんだ? 音楽の好きな人のやることとはとても思えない。音楽が好きでもないのに音楽ビジネスに手を出した人がいくら損しようが、同情する気にはならない。

 いま聴いているライブ盤で、グレイトフル・デッドは珍しくビートルズ・ナンバーを演奏している。「ヘイ・ジュード」だ。これが、ちょっとどうかと思うほどひどい。聴きながらゲラゲラ笑った。たぶん、急遽アンコールに応えて「ちょっとやってみっか」という感じだったのだろう。ぶっつけ本番な雰囲気で、お互いに顔を見ながら「こうだっけ? こうだっけ?」と焦っている姿がありありと目に浮かぶ。最後の「ナナナーナー」も、みんな「なあなあ、どうやって終わんの?」と怯えているのが明らか。バンド名に似合わないヘタレな空気がデッドの魅力の一つだとはいえ、著作権料さえ払えば何やってもいいってもんじゃねえぞコラ、と、思いました。







平成二十年十一月二日(日)  84.6 kg


それもサッカーこれもサッカー
BGM : Live Phish: 05.08.93 Unh Fieldhouse, Durham, NH / Phish



 きのうの土曜日は、朝9時過ぎに東高円寺の区立杉並第十小学校グラウンドへ。数ヶ月前に屋上の天窓が割れて無惨な死亡事故が起きた学校だが、訪問の目的はまったくそれと関係ない。住信カップ杉並地区予選最終ラウンドの応援である。セガレの所属する久我山チームは、準々決勝で杉並FCと対戦。都大会には3位までが進出するので、これに勝たなければ話にならない。

 木曜日に右足親指を捻挫したセガレは、まだ痛みがやや残ってはいたものの、GKとして出場。私との約束どおり、フィールドでは痛そうな素振りを見せることなく懸命にプレイした。杉並FCは突出してうまい選手はいないが、みんなボールへの寄せが速く、一対一に強い。久我山は先週の3試合で見せた闊達なサッカーを封じられ、ほとんどチャンスを作ることができず、終始押し込まれる展開になってしまった。第1ピリオド(この大会は15分×3本の変則マッチ)こそ何とか無得点に抑えたものの、第2ピリオドの終了間際、セガレのミス(ファンブル)で与えたCKから猛攻を受ける。一度はシュートがポストを直撃し、「まだ守護神はいた」と思われたが、その直後に失点。第3ピリオドにも2つのゴールを許し、0対3の完敗であった。あー。

 しかし選手たちは、ベスト8という舞台に進まなければ味わえないさまざまな経験を積んだことだろう。3失点は喫したものの、セガレも山のような数のピンチをよく防いだと思う。痛い足で蹴るパントキックはわりと正確だったし、最終ラインを突破してドリブルで迫る敵FWの足元に飛び込んでシュートを阻止する勇敢なプレイも再三にわたって見せてくれた。うんうん、GKっぽいGKっぽい。それが見たかったんだよ父さんは。だけど、ゴールポスト近くでファンブルして相手CKにしてしまうミスは先週もあったので、もう同じ失敗はくり返さないようにしてください。

 というわけで、セガレのチームが10時半という早い時間帯に終戦を迎えてしまったため、午後のブラインドサッカー東西オールスター戦に足を運べることになったのだった。嬉しいとも悲しいとも言いにくい複雑な心境で、大崎へ。やたら早い時間に着いてしまったが、大崎駅の改札を出るやいなやWESTの選手たちが待ち合わせをしていているところに遭遇し、これ幸いと合流して昼食を共にする。GKの田中重雄さんと久しぶりに会えて嬉しかった。

 大崎スタジアムのコートはタテ約28メートルとやけに狭く(本来は40メートル前後)、試合はかなり窮屈な印象。あのスペースに8人のフィールドプレイヤーが犇めいていると、ドリブルで動く範囲がかぎられてしまい、どうしても肉弾戦が多くなる。どちらもゴール前の密集を打破することができず、なかなかゴールの生まれない試合だったが、後半にビヴァンツァーレの田村がさすがの決定力を見せ、1対0でEASTの勝ち。お祭り的なイベントなので、スコアレスドローで終わらなくてヨカッタ。

 後半のEASTは、ふだんはアタッカーの落合を最後尾に置くという超攻撃的な布陣だったが、彼はトラップが上手なのでピンチを未然に防ぐことができるし、最後方からの攻め上がりにも迫力があるので、これはなかなか魅力的。代表に復帰した暁には、そんなフォーメーションも見てみたいと思いました。WESTのほうでは、前代表キャプテン三原の充実ぶりが目を惹いた。ドリブルのスピードやボールコントロールの正確性がさらに高まり、シュートも強烈。仁川のアジア選手権では開幕前に怪我で帰国するという苦い経験をした選手だが、34歳、まだまだ頑張ってますなあ。

 試合後は選手および関係者の懇親会に紛れ込んで痛飲。およそ30人の大宴会って、なんだか久しぶりだ。大半が20代とおぼしき若人たちで、どう見ても私がぶっちぎりの最年長だったが、ブラインドサッカーを語り合うのに年の差は関係なく、とても愉快なひとときを過ごさせてもらった。みなさま、お疲れ様でございました。