1月の後半

扉(目次)

深川全仕事

大量点計画

江戸川時代

メ ー ル

平成二十一年二月二十八日(土) 82.6 kg


今日は日曜ではない
BGM : Sunday Samba Session LIVE AT LOFT / 長谷川きよし


 昔、受験生のあいだで「Sunday is not today」を「駿台は東大ではない」と誤訳する冗談が流行ったことがあったが、いま聴いているのも「駿台サンバ・セッション」ではなく「サンデー・サンバ・セッション」である。70年代後半に、長谷川きよしを中心とするメンバーが下北沢のロフトで月に一度そういうことをやっていたらしい。それは行ったことがないし、この復刻アルバムも今回初めて聴いた。長谷川きよしのサンバだからといって「別れのサンバ」とかを歌っているわけではなく、「オルフェのサンバ」(インスト)で始まり「トリステーザ」で終わるという、ちゃんとした(?)サンバセッションである。76年の録音。どちらも大学時代に演奏したことがある曲なので懐かしいが、長谷川きよしが演っていたとはなあ。平野融も参加しており「トール・デ・サンバ」を演奏したりしている。楽しい。

 そういえば、あれは一昨日だったか、朝日新聞の夕刊に、リオのカーニバルに視覚障害者のサンバチーム(チーム名は「暗闇でキスして」。素敵だ)が参加して踊った、という記事があった。これまでは危ないので参加できなかったらしい。もっと危ないと思われるブラインドサッカーのクラブがあの国には50以上あるというのに、ブラインドサンバ(そんな言葉はないが)のチームがなかったのは意外だ。リカルド(世界最高のブラインドフットボーラー)級の天才盲目ダンサーがいても不思議ではないと思うのだが、やはりブラジルではサッカーだけが特別、ということなのだろうか。

 最近この日誌を読み始めた人のために念のため説明しておくと、日付の横の数字は私の体重である。「体重公開ダイエット」というのを試みているのである。85キロから始まった今年の目標は、毎月マイナス1キロ。というわけで、今月も無事に目標を達成したのはえらい。ここから先が難所なんだけど。






平成二十一年二月二十七日(金) 82.8 kg


雪だ雪だ
BGM : 40年。まだこれがベストではない。長谷川きよしライヴ・レコーティング。/ 長谷川きよし



 昼前にふと仕事場のブラインドを開けてみたら、じゃんじゃん雪が降っていてビックリした。だから何だというわけではないが、雪はそれだけで特記事項である。まあ、新潟あたりの読者には珍しくも何ともないだろうが、メルボルンあたりの読者には驚いてもらえるかもしれない。イスラエルあたりの読者は……わからんな、今どんな季節なんだか。ともあれ、あんがい幅広い読者層。

 月末が締切だが28日は土曜日なので週明けまでに一気に仕上げようと歯を食いしばっていた。だが、さっき編集部から連絡があり、最終章の取材データが来週半ばになってしまうというので、ちと拍子抜け。それがないと書けないのである。雪も降ってることだし、もう、おうち帰ろうかなあ。雪はなぜ勤労意欲を下げるのだろうか。

 きのうの「遠く離れたおまえに」は30年前のアルバムの再発だが、きょうの「40年。まだこれがベストではない。長谷川きよしライヴ・レコーティング。」は昨年リリースされた最新作。井上陽水さんなんかもそうだが、こういう歌手の人たちって、声がぜんぜん老けないよな。あ、でも歌手だけじゃないか。このあいだクラス会に来た担任の先生も、部屋の外で挨拶してるのが聞こえただけで「来た」ってわかったもんな。

 このライヴ盤に収録されている「コムダビチュード〜いつも通り〜」という曲は、フランク・シナトラで有名な「マイ・ウェイ」の原曲のフランス語の歌詞を長谷川きよしが日本語に訳したものだそうだ。「マイ・ウェイ」に原曲があるなんて知らなかった。しかも歌詞の内容はまったく違う。「マイ・ウェイ」の訳詞はこんな感じ(アクセスするやいなやメロディが鳴るので注意してね)だが、「コムダビチュード」は「心を隠して 笑顔を作って 何とか生きてるだけ 今日の日をやり過ごす いつも通り」とか、そんな感じのアンニュ〜イなシャンソ〜ンなのだった。この「いつも通り」が「マイ・ウェイ」の「ア〜イディディッ、ムワァ〜〜〜イ・ウエ〜〜〜〜イ!!!」に相当する部分なのだから面白い。本来そんなに声を張り上げちゃいけないんである。このライヴのMCによれば、「マイ・ウェイ」の英詞はシナトラに雄々しく歌い上げさせるためにポール・アンカが作ったとのこと。といったウンチクはともかくとして、ジプシー・キングスの「マイ・ウェイ」を想起させるような快活なギターに乗せて長谷川きよしがそんな歌詞を歌うのだからたまらない。とても良い歌。この1曲のために買っても損はないアルバムである。と思うが損しても責任は取らない。

 YouTubeで「遠く離れたおまえに」を発見。








平成二十一年二月二十六日(木) 82.4 kg


幻の名盤
BGM : 遠く離れたおまえに / 長谷川きよし



 きのう気紛れに長谷川きよしのアルバムを引っ張り出して聴き、久しぶりにアマゾンで検索してみたところ、いつの間にか過去の名作がいくつかCD化されていたのを知って狂喜した。さっそく4タイトル注文したらもう届いたのだから、ペリカン便おそるべしである。いま聴いている「遠く離れたおまえに」は、その中でも極めつけの名盤。スペイン、モロッコ、ギリシャなどヨーロッパ各地を旅しながら、街頭や名所旧跡での弾き語りを録音したものだ。アルハンブラ宮殿で歌った曲もある。高校時代にアナログ盤を何度も何度も何度も何度も聴き、保管状態が悪かったせいもあってすっかり盤面が傷んでしまったため、ず〜っとCD化を待ち望んでいた(そのわりには4年も前に発売されたのを知らなかった)。うー。1曲目のイントロを聴いただけで泣けてくる。「砂地獄」という暗〜い歌。作ったのは阿木燿子と宇崎竜童だよ。うわー。

 前にも書いたが、高校時代はしょっちゅう吉祥寺のライブハウスに足を運んで長谷川きよしの歌を聴いていた。いまから思えば、私はその頃から「盲目のプレイヤー」に縁があったのかもしれない。長谷川きよしは筑波大学付属盲学校の出身のようだから、ブラインドサッカーの選手の中にも彼の「後輩」は大勢いるということになる。まあ、熊本盲学校出身で「麻原の後輩」になってしまった選手もいるわけなので、そんなの関係ないっちゃ関係ないわけですけども。そんなことはともかく、高校のクラス会をやった後だけに、余計に沁みるぞ長谷川きよし。久しぶりにライブでも行ってみっかなー。






平成二十一年二月二十五日(水) 82.6 kg


青春の1ページ(のコラム)
BGM : ふるいみらい / 長谷川きよし



 きのう、「わしズム」最終号が届いた。今日あたり店頭に並ぶのだろうか。2002年の創刊号からこの最終号まで全29巻、ライターとして添い遂げた。いろいろな思い出がある。私にとっては、ちょっとした青春だった。なんてね。そんなことを言ってみたくなる仕事って珍しい。そんな仕事に出会えただけでも仕合わせの良いことだ。今号の「ゴーマニズム宣言 EXTRA」を読むと、復活の可能性もまったくないわけではないようなので、いつお呼びがかかってもいいように予備役として準備だけはしておこう。

 というわけで、第9号から連載したコラム「嫌いな日本語」も最終回。1号に2本載ったこともあった(2本書いて「どっちがいいですか」と送ったらどっちも載せてくれて嬉しかった)ので、全部で22本書かせてもらったことになる。大した反響もなく淡々と続いていた感じだが、一度でも読んでくださった方々には心より感謝。たまに読者ページに「面白かった」「共感した」といった投稿があると、たいへん励みになったものだ。あと、対談や座談会の取材現場で小林編集長にお目にかかったときに「コラムおもろかったよ」と言われると、震えるほど感激したです。毎号、小林先生のOKをいただけるかどうかを合格発表前の受験生のようにビクビクして待っていたのだ。機会があればまたどこかであんなことを書いてみたいが、小林よしのりというフィルターがあるからこそ、やり甲斐も大きかったという気もする。ともかく、ほんとうに楽しい仕事だった。どうもありがとうございました。ちなみに最終号は、表3のペンダコが圧巻。こんなに雄弁なペンダコがほかにあるだろうか。






平成二十一年二月二十四日(火) 83.0 kg


はしゃぎびと
BGM : Damn Right, I've Got the Blues / Buddy Guy



 映画「おくりびと」の脚本をお書きになった小山薫堂さんには、先日、ある仕事の打ち合わせで初めてお目にかかった。ひどく腰の低い、おだやかでやさしい方だった。そこで頂戴した名刺が「オスカー関係者の名刺」にバケたのは、何だかうれしい。小山さん、ほんとうにおめでとうございました! なーんて書いたところで、単なる出入り業者のブログを小山さんがご覧になっているわけはないのだったが、まあ、受賞者のみなさんもレッドカーペットでハリウッドの有名人を追いかけ回していたようなので、ミーハーな行動が許される雰囲気があるうちにミーハーなことを書いてみた。今日あたりはそんな奴が何百人もいそうだけどね。どうやらオスカー像は関係者のあいだでリレーされるようだが、次の打ち合わせのときに小山さんの事務所にあるといいなあ。






平成二十一年二月二十二日(日) 83.6 kg


クラス会
BGM : Last Train to Memphis / Bobby Charles


 きのうは立川パレスホテルで高校1年時のクラス会。なぜ立川かといえば高校が立川にあったからである。高校1年って、1980年の話だよ。29年前だ。まだテレビのチャンネルを手で回していた時代だったんじゃないかと思うが、それは私の記憶違いだろうか。あるいは私の家だけがそうだったのだろうか。まあ、テレビのことはどうでもよろしい。クラス会だ。16歳のときはみんな高校生だったが、44歳の現在はさまざまである。医者、弁護士、都立高校の国語教師、中学の数学教師、ナース、JALの機長、半導体一筋の女、カナダ人と結婚して美人の娘2人を連れてきた女、このあとアフリカン・ダンスのレッスンがあるので太鼓を持ってきたという東大出の女、ヘーベルハウスを150軒売った男(多いのか少ないのかは知らないが私がゴーストで書いた本の数より20ほど多いので「負けた」と思った)、マンションを売る女、安易にオール電化に手を出してはいけないと主張する東京ガス勤務の女、主婦、17歳の女の子を含めて三股かけているというバカ、ライターなど、まあ、なんで一緒に酒飲んでんのか考えてみるとよくわからない。クラス会ってすごいよ。

 例によって、本当に私はこの高校にいたのだろうかと不安になるほど、知らない昔話がたくさんあった。とりわけ驚いたのは、世に言う「ドンゴール事件」である。大規模なカンニング事件のことだ。これは1年のときではなく、3年の男子クラスでのことだが、世界史の試験で一番前の男が解答欄に「ド=ゴール」と書いたところ、順に写しているうちにそれが途中から「ドニゴール」になり、最後のほうの連中は「ドンゴール」と書いて提出したというのだからバカである。ちょっと訛ってる感じですか。シャルル・ドンゴール。ふつうドニゴールだのドンゴールだのといった誤答が続出するわきゃないので、当然、バレる。というか、誰か途中でヘンだと気づけよっていう話だが、ともかくこれは保護者会でも問題になり、ヘーベルハウスの男は家で母親に「あんたはどのへんにいたの」と問い詰められたらしい(彼はドニゴール派だったようだ)。こんな大事件を、そのクラスの一員でありながら知らなかった自分のことが信じられない。私は一体、そこで何をしていたのだろうか。つまり仲間はずれだったの?

 ともあれ、面白かったなあ。このくらいの年齢になると、男も女も毒気がなくなるというのか、嫌味がなくなるというのか、諦めるべきことは諦めつつ人生の味わい方をそれぞれに身につけているというのか、自慢と自虐がほどよくブレンドされているというのか、要はなんだかやけに素直な感じで、話していて愉快だよね。ああ愉快愉快。そんなこんなで、午後1時から11時まで飲んでいた。というわけで、昨日は1行も書かなかったので仕事に戻る。






平成二十一年二月十九日(木) 83.2 kg


大傑作
BGM : Glory B da Funk's on Me ! / Bootsy Collins



 あまりに面白かったので、本日二度目の更新。

 さっき、仕事の原稿に「この場合は、迷惑防止条例ではなく強制わいせつ罪が適用される」といったことを書いた。痴漢の話をしているである。ところが、何行か書き進めた後でふと見直したら、「迷惑脳死条例」と「去勢わいせつ罪」となっていたので爆笑した。面白いじゃないか私。近年稀に見る傑作タイプミス。






平成二十一年二月十九日(木) 83.2 kg


古い写真
BGM : 夢の丘 / KENSO



 きのう届いた「SAPIO」を見たら、ブラインドサッカーの写真(提供:共同通信社)が古い。まあ、これは報道写真ではなくあくまでもイメージカットなのだし、ふつうの読者にはわからないから別にいいのだが、関係者には失笑を買ってしまうかもしれん。たぶん私が取材を始めた2006年8月以前のものなので、いつの写真なのかもわからない。第3回か第4回あたりの日本選手権だろうか。なにしろ中央でドリブルしているのは宮島さんだよ。宮島さんは業界内では知らぬ者のない名プレイヤーなので、その意味では決して選択ミスとは言えないものの、彼はもうB1ではプレイしていないのである。B2/B3では現役だが、いまやJBFA強化部のスタッフだ。いちおう言い訳しておくと、写真は編集部マターであって、私はいっさい関与していないのです。事前にゲラでは見ていたが、ファックスなのでどんな写真だかよくわかりませんでした。でも、このあいだ代表合宿で宮島さんに会ったら「こんどサピオ買いますね〜」と言ってくれていたので、本人には喜んでもらえるかもしれない。






平成二十一年二月十八日(水) 83.2 kg


さまざまな仕事
BGM : Wreck of the Day / Anna Nalick


 著者のいないゴースト作業、というやつに取り組んでいる。世間にはときどき「○○研究会/編」といった本があるが、今回はソレだ。自分でも意外に思っているのだが、20年近くゴーストライターをやってきて、このタイプの仕事は初めてである。著者なしでどうやって書くのかというと、編集部がデータマン(取材記者のことだと思えばよい)を使って集めたデータ原稿をまとめる形で書く。要は雑誌のアンカーマンと同じ作業だが、雑誌と違って本は「無署名記事」にできないので、適当な団体名を編者とするわけである。文責は、まあ、その編集部なり出版社なりが負うのであろう。

 しかし著者がいないからといって、ただ事実や関係者のコメントを並べた新聞記事みたいに書けばいいというわけではなく、そこにはどうしたって「書き手」の世界観やら価値観やら考え方の癖やら意見やらが反映されるわけなので、これはなかなか原稿に対するスタンスが難しい。しかも編集部からは「いつものコラムみたいな調子で」というリクエストもされている。でも著書ではないので、そんなに思い切り「自分らしさ」をさらけ出すわけにもいかん。とはいえ現実にはあれこれ考えている時間もないので、書きグセ全開になっているような気もしたりして、まあ、いいや。「こういうバヤイ、この著者はどう考えるだろうか」といったことをツベコベ考えなくていい(自分とは真逆の発想を強いられることもない)ので、書いていて楽しい。しかし時間がない。

 本日発売の「SAPIO」の連載コラムは、特集〈みんな偽善だ!〉にからめた特別版となっている。分量も、いつもより大盛り。ブラインドサッカーの取材を通して漏れ聞いた舞台裏ネタでまとめてみました。厨房の「賄い飯」みたいなものかね。競技のことは何も書いていないが、試合の写真は載っているはずなので、いくらかはPRにもなるであろう。それにしても、今回は呉智英先生に加えて、えのきどいちろうさんも同じ特集でお書きになっている。私にとってはえのきどさんがコラム界のスターなので、とても光栄。若い頃、週刊文春のコラムを「こんなの書けたら楽しいだろーなー」と羨望の眼差しで眺めていたのを思い出す。それが今では「週イチはキツかっただろーなー」になっているわけですが。毎週あんなに面白いことを書いていたなんて信じられない。週刊朝日と週刊文春に同時連載していたナンシー関は、やっぱ化け物だよなあ。






平成二十一年二月十七日(火) 83.2 kg


練習と勉強
BGM : 天鳶絨症綺譚 / KENSO



「天鳶絨症綺譚」と書いて「びろうどしょうきたん」と読む。国産プログレの雄、ケンソーのアルバム。めちゃめちゃカッコイイ。

 土日は筑波技術大学のグラウンドでブラインドサッカー日本代表の合宿練習を見学。やけに気温が高くて助かった。今年は初めて日本国内でアジア選手権が開催される予定(開催時期はほぼ決まっているようだが公表は協会の正式発表を待ちます)。来年ロンドンで行われる世界選手権のアジア予選を兼ねた大勝負である。そこに向けて、熱のこもった練習が行われていた。

 一昨年のアジア選手権は対戦相手(中国とイラン)の力量が皆目わからず、しかもディフェンディング・チャンピオンとして臨んだ大会だったこともあって、レベルアップの具体的な目標をイメージしにくい部分もあっただろう。しかし今回は明確かつシンプルだ。打倒中国。敵はパラリンピックの銀メダリストなのだから、モチベーションも高めやすいというものである。代表チームの練習内容は、一昨年の同じ時期よりも明らかにハイレベルだった。いま作り上げようとしている「連動性」が成熟すれば、中国が誇る鉄壁の「4枚ディフェンス」を突破できるのではないか。そんな期待を抱かせるに十分なものだったと思う。私のほうも、しばらくペンディングになっていた原稿を成熟させて早く世に出し、彼らの援護射撃をしなければいけない(こちらも刊行時期は正式に決まってからお知らせします)。

 日曜の夕方に筑波から帰宅すると、愚妻がチョコレートと算数の問題を私に与えた。Z会の問題がセガレに教えられないから「父さんに任せた」という。チョコレートは甘かったが、問題は甘くなかった。どういう問題かというと、こういう問題だ。

 AとB、2つの円柱形の容器がある。底面の半径の比(A:B)は3:2。Aには高さ8センチまで、Bには13センチまで水が入っている。で、Bの水を180立方センチメートルだけAに移したところ、AとBの水面の高さが同じになった。さて、それではBの底面積は何平方センチメートルでしょうか。

 この場合、「なんでそんなこと知りたいんだおまえは」という逆質問は許されない。出題者の動機は問われないのが算数の問題というものだ。正解およびセガレへの教え方に結論が出るまで、夫婦で頭をひねって2時間もかかってしまいました。べつに中学受験させるわけでも何でもないのでいいのだが、塾に行かせずに勉強を教えるのは大変である。しかしまあ、ふだん使わない脳味噌を使ったので面白かった。というか、答えは「52平方センチメートル」でいいんだよな? 違ってたら誰か教えてください。






平成二十一年二月十三日(金) 83.4 kg


スッキリも中くらい
BGM : Fibra / Paulo Moura Hepteto



 ふう。昨日はついイライラをほとばしらせてしまったが、正月明けから取りかかったビジネス書を本日4時半に脱稿。お疲れお疲れ〜。よく頑張った。しかし、対外的な締切は完璧に守ったものの、今後のことを考えると、あと3日ほど早く上げたかったのである。なにしろ今月中にもう1冊書き下ろさねばならぬという鬼日程だ。ふがふが。気力と体力の衰えを実感する昨今なのでひじょーに辛いが、3月末に刊行する緊急企画なので待ったなしである。頑張れ私。まあ、本気出せば2週間で十分だけどな。と、強気なことを書いて自らを追い込んでみた。ちなみに週末は筑波でブラインドサッカー代表合宿の取材。いい気分転換になりそう。






平成二十一年二月十二日(木) 82.8 kg


提案
BGM : Ashram / Ashram


 締切直前でもうれつに忙しいのだが、もうれつに忙しいからこそ、言いたいことがある。あのですね、メールの件名に「○○です」と自分の名前を入れるのは、もうやめませんか。やめようよマジで。そこに書かなくても差出人を見れば誰だかわかるし、返信するときに私は○○ではないので「××の件」などと書き直すのが面倒臭いのである。些細な手間だが、鬱陶しいものは鬱陶しい。「キーッ」ってなる。キーッ。






平成二十一年二月十日(火) 83.0 kg


中国中央錯視台?
BGM : Kulanjan / Taj Mahal & Toumani Diabate


 これは昨年の9月にタクシーの車内から通りすがりにケータイで撮影した失敗写真だが、北京滞在中はCBDと呼ばれる殺風景なビジネス街に宿をとっていたので、中央電視台の新ビルは何度も目にした。「これって書き割りじゃね?」と思うくらい異様な印象の建物だった。あのサイズの書き割り作るのも大変ですが。ともかく、「こんなダンボール箱の中では働きたくない(というか一歩も入りたくない)よな」と思ったものだ。だって、おかしいもん。形が。まるでエッシャーの騙し絵みたいじゃないか。どうやら燃えたのはこの本体ではなく、隣接する別のビルのようだが、花火で全焼ってなあ。いやまだ原因は確定していないのだろうし、花火だろうが火炎放射器だろうが火は火なんだろうけども、いずれにしろ、対中テロに旅客機は不要、ということか。








平成二十一年二月八日(日) 83.0 kg


錯視に溺れる
BGM : Mo' Roots / Taj Mahal


 ある本を読んでいて、サッチャー錯視(Thatcher Illusion)なるものを知った。認知心理学の定番モノらしい。逆さまの写真でも右のほうがややヘンな顔に見えるが、下のツマミを中央に動かして天地を元に戻したらアラ驚いた!というワケである。無論これはべつにサッチャーさんの顔だけで生じるモンダイではなく、人間の視覚認知がそんなふうになっているということだ。カメラと違って、われわれの見ている映像は脳がいろんなことを補完することで成立している(映ったまま「見える」なら逆さまでも印象は変わらないはず)というお話である。あんのじょう、ブッシュ錯視をこしらえている人もいるので笑ってください。写真をクリックすればひっくり返ります(その下のお姉さんもかなり怖い)。きっと、オバマ錯視も探せばどこかにあるんだろうな。麻生錯視は、もともと口元が歪んでるからあんまり面白くないかも。

 減量作戦は小休止。月末にこの数字になっていればよいのだから慌てることはない。きのうは鍋をがっつり食った。寒い日に鍋を食うたび、日本に生まれてヨカッタとしみじみ思う。このヨロコビを放棄してまで痩せる意味がどこにあるだろうか。

 前に「去年私にお金を払ってくれたのは7社」と書いたが、その後も2社から支払調書が届いた。やはりちゃんと把握していない。なので去年は9社。まったくもってどうでもいいことだが間違いは間違いなので、いちおう訂正。お詫びはしないぞ。








平成二十一年二月六日(金) 82.8 kg


眉毛を切る
BGM : Dirt Farmer / Levon Helm



 きのうは四谷で打ち合わせ後、駒場東大前で髪を切ってもらう。激しく短くなり、帰宅したら家族にギョッとされたが、それは眉毛の変化も一因だったようだ。「伸びてますねー」と、美容院のお姉さんが見るに見かねてカットしてくれたのである。愚妻には『ダブリンの鐘つきカビ人間』に出演していた山内圭哉みたいだと言われた。いやいや、いくら何でもここまでアレじゃないだろうよ。しかし考えてみると、これまで眉毛のつながった眉間を剃ってもらったことはあるものの、眉毛自体を切ったのは生まれて初めてなのではないか。聞けば、「自分で眉毛の手入れをする男」は現在35歳以下の世代だそうで、それより上の世代はまずやらないらしい。「やらない」というより「思いつかない」よな、そんなこと。少なくとも私にとって、「眉毛を切る」は「睫毛を切る」と同じく想像の外にある行為だった。しかし不思議なもので、男は歳を取ると眉毛や鼻毛や耳毛が伸びやすいそうだ。やれやれ。なんでそんな仕組みになってんだよ。意味わかんないよ。耳毛は要らんだろ耳毛は。ちなみに眉毛ボーボーといえば思い出すのは村山首相だが、右上の写真は村山さんじゃないので勘違いしないように。

 体重は、1日200グラムずつコンスタントに落ちている。ひょっとして病気か?と思わなくもないが、これにはちゃんと別の理由があるのであって、ふだん25分のウォーキングを1日2本やっているのを、4本に増やしているのだ。ウォーキングって、通勤のことだけどね。片道25分で、1日2往復。夕食後にも出勤しているのである。要はベラボーに忙しいのだった。今月はずっとそんな感じ。








平成二十一年二月四日(水) 83.2 kg


ブラジル、そしてジンバブエ
BGM : Negro del Blanco / Paulo Moura Yamandu Costa



 ブラジル産の大傑作。「ネグロ・デル・ブランコ」は、パウロ・モウラのクラリネットとヤマンドゥ・コスタの7弦ギターによる二重奏を収めたアルバムである。2人とも異様にうまいのはもちろん、共に楽器の音色がまたうっとりするほど美しい。録音もいいのだろうが、スピーカーから漏れる音で室内の温度や湿度が最適化されてるんじゃないかという錯覚に陥るような、深〜くて温か〜い至福の響き。それが時にしっとりと歌い、時に快活に疾走する。超絶フレーズのユニゾンは鳥肌もの。クラリネットという楽器をこんなに素敵だと思ったことはない。高級なオーディオ装置が欲しいと思うのは、こういう音楽に出会ったときである。

 それにしてもジンバブエだよ。以前からその豪快な状況を気にしてはいたが、半年前に100億分の1にしたのを、さらに1兆分の1にデノミ。物価上昇率は2億3100万パーセント。そういう数字は、自然科学の分野でしか使わないもんだと思ってました。いったい何が起きているのだ。というより、こうなるともう、ジンバブエ人的には何も起きていないようにしか感じられないのではないだろうか。宇宙が1000億倍に広がっても宇宙は宇宙、バクテリアが500万分の1に縮んでもバクテリアはバクテリア、何がどうなろうがジンバブエはジンバブエ。そう考える以外に心の平穏を保つ術はないじゃないか。私は通貨とか為替とかのことを考え始めると頭がボーっとしてしまうタイプなので、何が何だかさっぱりわからないのだが、1USドル=4兆Zドルって、もう、それだけでゲラゲラ笑う。なにしろ百円ショップが「4兆ショップ」だ。棚にあるもの全部4兆。「え〜、これも4兆で買えるんだ〜」――言ってておかしいと思えよ、っつう話である。しかし、レジとかどうしてるんだろう。「はい、4個で合計16兆ドルでございまーす」って、そんなケタまで表示できるのか。細かいことが気になる。








平成二十一年二月三日(火) 83.4 kg


裁判官は裁きたくて裁くのか
BGM : The Nightfly / Donald Fagen



 いまさらながら、仕事の参考資料として周防正行監督『それでもボクはやってない』の中古DVDを買って見た。おもしろかったが、たとえば「怖いのは有罪率99.9%が結果ではなく前提になること」等といった説明臭い教科書的(教条的?)な台詞が多くて、「とてもよく作り込まれた教育ビデオ」という印象がなくもない。それが目的なんだろうから当然かもしれないけれど、なんというか、一方の言い分だけ勉強して作り上げた「ウブな正論」という感じもあったりして、こうなると逆に「裁判官や検察官ってホントにこんなにアホなのか?」という疑問も浮かんだりする。

 まあ、現実の裁判資料を見てもアホとしか思えないケースは多々あるので、別に反証があるわけではない。というか、こういうことに対して裁判官や検察官からの反論や弁明があまり聞こえてこないのが不思議だ。「バカどもには勝手に言わせておけ」ということだろうか。アホにバカ呼ばわりされたくはないが、向こうもバカにアホ呼ばわりされたくないだろうからね。いやはや何とも、アホとかバカとか言っててもどうにもなんないや。あはは。何が言いたいんだろうか私は。

 たぶん、この映画には被告人や弁護人の本音は描かれているが判事や検事の本音は描かれていないので、それを聞いてみたくなったのだと思う。いちばん知りたいのは「どうしてその仕事を選んだのか」および「その仕事から得られる喜びは何か」かもしれない。「弁護士になりたい」という子供はいるが、「大きくなったら裁判官になりたい」という子供はいないもんなあ。その「動機語り」や「やり甲斐自慢」が子供に憧れられるくらいイイ話なら、「それならボクはやってみたい!」と裁判員をやりたがる人も増えると思うんだがどうだろう。イイ話じゃないからナイショにしてるわけ?








平成二十一年二月二日(月) 83.6 kg


がんばれ念力
BGM : Rising Sons Featuring Taj Mahal & Ry Cooder



 なんか知らんが絶妙のタイミングで体重がすとんと落ち、1月の減量目標(85kgからマイナス1kg)をクリア。昼飯を抜いてたくさん歩く等の努力はしたが、同じことをしてもまるで変わらないこともあるので、念力で落としたような気がしなくもない。気のせいだろうけど、念力自体がカロリーを消費するわけだからな。あると思います。

 わしズム最終号の座談会原稿を、今日の昼過ぎにまとめ終えた。寂しいような、ほっとしたような。しかし、そういうセンチメンタリズムを排してリアリズムに立ち返ってみると、これで(SAPIOの連載はあるとはいえ)この数年間かかわってきた「雑誌のアンカー業務」の大半が終わったことになる。月刊PLAYBOYが終わり、マンスリーMが終わり、わしズムが終わった。残るは週刊ダイヤモンドの(バイトみたいな)パブ記事だけ。やはり不況なのであるよ。フリーになった当初から雑誌依存度は低かったし、すべてがレギュラーだったわけではないが、こうもまとめてなくなるのは痛い。書籍と雑誌による2次元の「面」ではなく「線」の上を歩くような気分。それを世間では綱渡りと呼ぶ。こちらは、落ちないための念力が必要。あると思いたい。