![]()
|
■まだ二日あるので油断はできないが(日付の横の数字は前日夕刻の体重)、今月も減量目標(82キロ)を達成できそうな雲行きである。原稿も減量も、締切前の数日で無理やり帳尻だけは合わせる人生だ。人生っていうと大袈裟だが。 ■人生の帳尻ってどうすれば合うんだろう。締切いつだかわかんないし。 ■まあ、どうであれ、誰も皆プラマイゼロで終わるに違いない。 ■みんなに勝ち点1。ありがたやありがたや。 ■できればスコアありドローのほうがいいかな。3対3ぐらいが楽しそう。 ■追いついて終わるか、追いつかれて終わるか、それが問題だ。
■青臭き44歳。いや来月で45歳。
講談社から「著作権(継承)者の皆様へ」という通知が届いた。GLP(グーグル・ライブラリー・プロジェクト)をめぐる著作権侵害訴訟のグーグルとアメリカ作家組合(およびアメリカ出版協会会員社)との和解協定は全世界の著作権者にも影響を及ぼすことになり、こちらから何らの通知も行わなければ自動的に和解参加となるとのこと。やれやれ、鬱陶しい話だなあ。講談社に私の著書はないものの、ゴースト仕事で印税支払いデータベースに登録されているので送られてきたようだ。講談社とは契約書を交わしていないので自分に「著作権」があるのかどうかは不明だが、まあ、ないだろう。なかには契約書を交わす版元もあり、かつてはライターが著作権者扱いされることもあったが、最近は著作権が著者にあることを明記するケースが大半だ。いずれにしろ和解に参加するかどうかは著者が決めるべきことなので、私には関係ない。いや、でも和解に参加するとグーグルから支払いが受けられるわけだから、私にも権利はあるのか。だけど著者が不参加なら私も不参加だよな。うーむ。フクザツな立場だ。
ともあれ、間違いなく著作権のある本が他社に1冊あるので、「まずご自身の著書が対象になっているか否かを確認して下さい」という指示にしたがって当該サイトでアカウントを作成してログインし、書名やら何やらで検索してみた。ああ、あったあった。だけどコレ、ネット上で「申し立て」ができるようなのだが、それが著者本人だってどうやって確認するんだ? 住所や連絡先は入力したけど、誰でも著者の名を騙って申し立てができるような気がする。そんなことないのかな。よくわかりません。こういう法的な手続きは嫌いだ。好き嫌いの問題ではないが、嫌いなものは嫌い。それに、この和解は書籍の「挿入物」も対象になるらしく、私の本には高橋陽一先生の作品もふんだんに挿入されているので、私の一存で何事かを決めていいものかどうかもわからない。いったい、何をどう考えればよいのでしょうか。ああ面倒臭い。グーグルめ。損得勘定以前に、アイツらの勝手な営みに巻き込まれること自体が忌々しい。
姫路で風邪をひいた。海水浴場近くのグラウンドは寒暖の差が激しく、ふだん部屋の中でぬくぬくと過ごしている体には堪えた。ドブ傷もまだ少々痛むこともあって、体調悪し。日焼けした鼻の頭は皮がむけつつあり、しかも鼻をかみまくっているので、ヒリヒリする。頭もボンヤリ。もともと低い思考力がさらに減退しているが、締切は否応なく訪れるわけで、きのうは必死でSAPIOのコラムを書いた。そうなのだ。今まで考えていなかったが、連載を持つ者は体調管理が大事なのだ。イザというときのために予備原稿をひとつ用意しておくべきかもしれない。それを次の締切に送稿してしまう誘惑に勝てるかどうかが問題だが。
![]() 一昨日の火曜日は、確定申告(遅い)のため領収書と格闘しつつWBC決勝に熱狂したのち、一家三人でシルク・ド・ソレイユの「コルテオ」(リンク先は音が出るので注意)を鑑賞。愚妻がなぜかサーカス好きなので、わりとよく行くのだ。コルテオとはイタリア語の「行列」で、この舞台が何の行列をテーマにしているかというと、葬儀の行列である。「私は夢を見ていた。どうやら私の葬式の夢のようだった」という主人公のモノローグで始まる幻想的なステージ。基本的にサーカスなのでテーマなんか何だっていいっちゃ何だっていいわけだが、宙吊りの天使が優雅にふわふわと飛び交っていたりして、それなりに一貫性の感じられる作品になっていた。たぶん誰にとってもそうだと思うのだが、世の中でいちばん見てみたいイベントは、自分の葬式である。でも見られないからこそ、別れは切ない。
![]()
この一週間のあいだに、新規の仕事依頼がバタバタと三本飛び込んできた。こういうのって不思議とタイミングが重なる。ホイホイと引き受けてはいるものの、ふと気づけば、年内にあと八冊ぐらい書くような雲行き。ますます頭ボンヤリしてきた。
金曜から日曜まで、姫路でブラインドサッカー日本代表の合宿を取材。ブラインドサッカーは、試合も楽しいが練習を見るのも楽しい。2対2のボールの奪い合いでは、守備側がきっちりとパスコースを消し、それでも攻撃側が足元やスペースへのパスをビシビシと通すシーンが何度も見られるなど、2年前のアジア選手権前と比べてはるかにサッカーらしい練習になっている。いや、サッカーの練習以外の何物でもない。初日は同じ会場でイベントが行われていたのでギャラリーが多く、初めて彼らのプレイを見た人たちがウォーミングアップのランニングだけで「うわ、まっすぐ走ってる」と感動しており、そういえば私も最初はそうだったと初心に返ったりもしたが、もはやそういうレベルでは全然ないのです。この3年間の成長ぶりはすごいよホント。 一方、すごくないのは私である。初日の晩、強化部のミーティングに合流しようとホテルから近所の店に向かってひとりで歩いている途中、まだシラフだったのに道路の側溝に右足から落ちた。そんなところにフタのないドブがあると思わないので、その黒っぽい部分が影に見えたのだ。選手に白杖を借りておけばよかった。さいわい側溝に水は溜まっていなかったものの、転倒してあちこちを強打。ボケてるのかツキがないのか何かのバチが当たったのか(あるいはその全部なのか)知らないが、店についたときは左右のてのひら&左膝が血だらけだった。ジーパンも破けた。遠征や合宿に帯同するときは怪我や病気でスタッフに迷惑をかけてはいけないと肝に銘じていたつもりだが、やっちまったなぁ。消毒液や絆創膏を無駄遣いさせてしまいました。本当に申し訳ない。今後は、ドブ川落太郎(おちたろう)とでも呼んでください。ふだん選手たちが駅のホームでいかに怖い思いをしているかがわかりました。突然地面が消えるのって本当に恐ろしい。っていうか、あの溝にフタがないなんて危ないじゃないか姫路市。市を相手取って損害賠償請求訴訟(ジーパン代)を起こしたら勝てるかも。
翌日のパス練習では、エースのトモ(黒田智成)さんが驚愕のプレイ。ほかの選手が逸らして足元に転がってきたボールをひょいっと飛び越えて、ちゃんと自分のボールをトラップしたのである。こういう小さな奇跡に出会えるのが、この取材の醍醐味。そういえばトモさんは「駅のホームから落ちたことがない」のが自慢の選手だ。こんど、彼に歩行訓練をしてもらおうと思う。
■気持ちのよい天気。神田川沿いの桜はまだ開かぬが。 ■13日付けの「初恋の人からの手紙」、最後まで読まずにリアルなものだと誤解した人がいるようだ。あのさ。違うからね。 ■しかし、若い頃の私を知る人間がホンモノだと思ったというところが大いにモンダイではある。あいつならキャッチャーミットもプレゼントしかねない、ってどういう人間だと思ってんだよオイ。 ■現在12時半である。WBCのキューバ戦が始まっているようだが、勝ったらまた韓国と試合せなアカンのかと思うと、面倒臭くて見る気にならない。2位でいいから放棄試合、というわけにいかんのかねアレは。キューバに勝ってから言えって話だけど。
■明日から二泊三日で姫路。
ひさしぶりに料理を作りたくなったので、土曜日に友人夫婦を招いた。べつに客を呼ばなくても料理は作れるわけだが、家族三人分ではなかなか気合いも入らないというものである。こしらえたのは、卵のフラメンコ風、パプリカのミンチ詰め、タコの米料理トマト風味の三品。スペイン料理の本に記載されていたとおりの品名だが、もうちょっとカッコイイ名前にできないものだろうか。どの料理も使う素材が似たり寄ったりであるがゆえ、ミンチ詰め用に刻んでおいた玉ねぎを米料理に投入し、米料理用に刻んでおいたトマトをミンチ詰めのソースに投入するといった錯誤が続出し、トマトが足りなくなって慌ててセガレをスーパーに走らせるなど厨房にはかなりの混乱があったが、どれも、まあ、そこそこの出来映え。
![]() それにしても、この頃ちょっとボケ気味だ。SAPIOのコラムで切タイマーや消し忘れ防止コンロに悪態をついたばかりだというのに、料理中は用が済んだブイヨンスープを火にかけっぱなしにしていたし、きのうはきのうで仕事場でヤカンを焦がした。私としたことが原稿に集中したあまり、湯を沸かしているのを忘れていたのだ。「今日はやけに蒸すな」とか「もう春だもんな」とか呑気なことを思いつつエアコンを止めたりしていたのだが、止めるのはそれじゃねえよ。火だよ火。うるさいので「ピーッ」と鳴るヤカンのアレを外して使用していたのだが、もう、アレに助力をお願いしたほうがよさそうだ。歳には勝てない。
![]()
都立高校の入試で、「チュウヤ(昼夜)」を漢字で書かせる問題があったにもかかわらず「昼食」「昼休み」などと板書してしまった会場があり、その問題を全員加点する措置が取られたというニュースを見た。「夜」が書けなかった奴と、板書があった教室で「昼」が書けなかった奴は減点すべきだと思うがどうなんだろうか。前者は知識が、後者は(ヤカンを焦がす私に言われたくはないだろうが)「生きる力」ってやつが足りなすぎる。あらかじめ教室内の漢字をチェックしておくのは受験生の基本。
LEON増刊「チョイ不良オヤジ最新ヘアカタログ」……みたいなジャケットであるが、そこにジローラモさんがいないことを見ればわかるとおり、これはそういうものではなく、CDである。テリー・ボジオとトニー・レヴィンとスティーヴ・スティーヴンスという凄腕トリオによる97年作。と言いつつ、スティーヴ・スティーヴンスというギタリストのことはまるで知りませんでした。すげー上手。ジャケットはもっとも私が嫌いなタイプの凡庸さなので、かなり手を出すのを躊躇ったのだが、中身は凄い。三人だけで演奏しているのが信じられないスケールの大きさと音像の多彩さ。こういうのを聴くと、シンセの音色に依存しがちないわゆる「シンフォ系プログレ」の作り方が実に安易なものに感じられたりするのだった。ともあれ、この傑作にこのチープなジャケットを着せるプロデューサーのセンスがうまく理解できない。「中身が勝負だから外見は関係ねえ」なら、文字だけにしたほうがよかろうと思うのだが。単に三人とも「出たがり屋さん」なんだったらしょうがないけどね。左から順に、子泣きじじい、鬼太郎、ネズミ男、に見えなくもない。
![]() 以下、初恋の人からの手紙。
笑ったなあ。無論、私は手品などできない(お手玉なら三つまでできる)し、キャッチャーミットを女性にプレゼントしたこともない(男にもない)。これはこのサイトから届いたものである。このテの性格診断モノに感心させられた経験はほとんどないのだが、これはスゴイな。最初から最後までヘコみっぱなしだよ。いやはや、参りました。
仏像化したカーネルおじさんの発見は、久々に心暖まる良いニュース。手やら足やらも出てきたのはバラバラ事件みたいでちょっと気味悪いけど、ぜひ野球博物館かどこかに展示してもらいたい。あの年、私は大学3年生だった。ちなみにバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発は、私の21歳の誕生日の出来事である。巨人ファンの私にとっては最悪の「バース・デー」だった。なんちゃって。槙原ぁ。
![]() 野球といえば、月曜日の日韓戦である。あれは7回表の韓国の攻撃だったか、ノーアウト2−3塁からの「内野ゴロでゲッツー」には驚いた。あんなの初めて見たよ。プロにあるまじき拙劣なプレイ。あのヨロコビに比べたら、イチゼロの敗戦なんて取るに足らない痛みである。あの試合で勝ったのは韓国でも日本でもなく、城島。
![]()
それはともかく、私は日本人のヨロコビではなくホコロビを書かねばならない。本日は「SAPIO」の発売日だが、次号の締切日でもある。前に書いたものを誌面で見る前に、次を書く。おおむね、そういうサイクルになっている。雑誌ってそういうものだけど、なんだか落ち着かない。投げた球がストライクかボールか判定されないうちに、次の球を投げ込むような感じ。ふと気づいたら四球連発で満塁の大ピンチ……なんてことにならねばよいのだが。
きのうの日曜日は、三菱養和の主催するサッカー大会に久我山チームが招待されたので、調布の日活撮影所前にあるグラウンドへ。全面人工芝の立派な施設に32チームを集めた大掛かりなイベントだった。久我山は1勝1分1敗の勝ち点4でグループHの3位に終わり、残念ながら来週のトーナメントへの進出はならず。第1試合は終盤まで1-0でリードしながら、終了1分前に追いつかれて引き分け。第2試合は5-0の圧勝だったものの、第3試合は0-1で負け。久我山が5点差をつけた最弱チームに、ライバルチームが13-0というWBC並みのスコアで勝ったため、得失点差での3位である。15分ハーフで13点って、ふざけてんのかよ。手ぇ使ったってそんだけ取るの大変だぞ。
第3試合の久我山は「引き分けでオッケー」だったのだが、前半、GK(セガレ)のクリアしたボールが相手FWの足に当たって跳ね返り、ゴールマウスにコロコロと転がり込むという脱力ゴール。これが決勝点となったのだった。なにもそれが枠に行かなくたっていいじゃねえかよオイ。観戦エリアに陣取った父母たちの漏らす溜め息が辛かった。ほんと、GKの親っていたたまれないです。6年生になると、大会が目白押しになるらしい。心臓に悪い1年になりそうである。
昨夜は四谷のポルトガル料理店マヌエルにて、1ヶ月ほど前に刊行されたメンタル・トレーニング本の打ち上げ。著者も担当編集者も女性(しかも美女)という、まことに稀有な両手に花状態で、じつにゴキゲンだった。いつもオッサンとばかり仕事をしているのだから、たまにはこんなことがあってもよかろう。隣のテーブルが野暮な風体の中年オヤジ3人組だったこともあり、たいへんな優越感に浸らせてもらった。うへへ。 しかしその状況だと、どうしたって黒一点の私がいじられ役にならざるを得ない。昨年夏の口述取材中、私は著者に「べき思考の強いイライラ型」に分類され、自分でもそりゃそうだ(そうじゃなきゃコラムなんか書けないからイライラするのが仕事みたいなもんだ)と思っていたのだが、あろうことかそれが原稿にも滲み出てしまったらしく、「文章に『べき』がやたらたくさん出てくるので、大笑いしながら読みました」と著者に言われたのだった。あ痛たたぁ〜。乾杯するやいなやそれを指摘されたので、動揺してフォークは落とすわグラスは倒すわの醜態を演じてしまいました。原稿を通じてカウンセリングを受けたような気分である。どうやら、調子よくガンガン書いているように見える所ほど「べき」が頻出するらしい。そんなにベキベキ書くべきではないので、すべからく反省すべきである。
![]()
待っていた最終章の取材データがようやく届き、先月中旬から取り組んでいた本を書き上げた。去年の夏から7ヶ月で6冊というハイペースでやっつけてきたので、いささかヘバり気味である。当面はゴースト仕事が入っていないので、今後しばらくはブラインドサッカー本の仕上げに取り組む予定。関係者諸氏にはあらためて取材やら確認やらでお騒がせすることになるやもしれませぬが、どうぞよろしくお願いします。
私の信頼する編集者の中に、ひとり「決して原稿の催促をしない男」がいる。彼いわく「だって書くって約束したんだから、そのうち書いてくれるでしょ」とのこと。よほど腹が据わっていないと言えないことだし、彼の同僚もその神経の図太さは見上げたものだと感心しているが、実にシンプルかつ立派な見識である。それを知って以来、私も彼に倣って、なるべく人に催促はしないことにしている。 だいたい私自身、催促されるのはものすごく嫌いだ。「どんな進行状況でしょうか」といったメールが来ると、それだけで不機嫌になり、かえって進行が遅れたりする。だから予定より遅れ気味なときは、相手が催促したくなるタイミングを見計らって「こんな進行状況です」と先手を打つことが多い。 人を待たせているときの心理は、おおむね誰でも同じだろう。だから、たとえばメールで取材のアポ入れをしたときなど、3日も4日も返信がないと不安になるものだが、じっと待つ。「ひょっとしてメールが届いていないのでは?」「忘れているのでは?」といった焦燥感に駆られることも多い(相手が視覚障害者だと「見逃し」はしばしばあるのでなおさら心配だ)が、待っていれば返信は来るものだ。ときにはシビレを切らして「届いてますよね?」的な確認をしてしまうこともあるが、それをやると必ず後悔することになる。ちゃんと届いているからである。それでも相手が返信しないのはそれなりの理由や事情があるわけで、しかもそれはこちらに言いにくい話だったりするから、それを言わせてしまったことを後悔するのである。 なんでこんなことをクドクド書いているかというと、あるメーリングリストで、宴会の出欠に関する催促とお詫びが飛び交っているからだ。宴会の出欠なんて、返信の期限を設定して、出席する者だけ参加表明をすりゃいいだろうと思うのだが、幹事が「○○さんはどうですか」「××さんはどうですか」と毎日のように返信を催促するので、○○さんも××さんも申し訳なさそうに不参加表明をしている。たいへん気の毒である。宴会の日時はわかっているのだから、参加する人はそれに間に合うように態度表明をするだろう。不参加は「言い出しにくいこと」なのだから、そっとしておけばよろしい。なんで、他人が勝手に企画した宴会に出席しないことをみんなの見ているところで詫びなければいけないのか、さっぱりわからない。幹事の不安はわからなくもないが、人は意外に「待たせていること」を気に病んでいるものなのである。仕事も宴会も、そのあたりの機微をお互いに信じ合える相手とやりたいものだ。いわゆる一つの阿吽の呼吸。
![]() もっとも原稿執筆者の中には、締切を守らなかったときに「あなたがちゃんと催促しなかったから遅れたんだ」と逆ギレする強者もいるそうだ。私もたいがい甘えん坊のほうだが、これにはかなわない。人づきあいって難しいよな。
![]()
聴いているのは、「日本を代表するシンフォ系プログレッシヴ・バンド」などと評されることの多いミスター・シリウスが1986年に発表したデビュー作。これ以外にシンフォ系プログレッシヴ・バンドが日本にいくつあるのかは知らないので、「代表する」の意味するところは定かではない。それ以前に「シンフォ系」の定義が謎。ライナーでは難波弘之サンが「ミスター・シリウスは本当にPFMしている。それでいてオリジナリティがある」と書いており、前段はPFM好きの私にはあまりピンと来ないが後段はウンウンと頷けるのであり、かなりの傑作であることはたしかだと思う。ボーカルの永井博子という人(美声)は、今は大木理紗の名で「ファイナル・ファンタジー」などを歌っているらしい。女声入りプログレって意外に珍しいような気がする。
きのう麻生サンのらくがおを載せたら、その数時間後に小沢サンの公設秘書が逮捕された。いや別に何の因果関係もないのだが、なかなかのタイミングである。これでどっちもトップ交替、総選挙は鳩鳩対決だ! 若貴優勝決定戦以来の国民的ガチンコ骨肉バトルだ! どっちかというとお兄ちゃんが「骨」で弟が「肉」っぽいぞ!……などと勝手に盛り上がっていたのだが、小沢サンは記者会見で辞任を否定したとのことで、なんかつまんないや。投票率を上げてアノ政党を弱体化するには、ポッポッポ選挙がいいと思ったんだけどなあ。それに、「友愛の兄弟連立政権」というのも悪くない。たとえば皇族の結婚がそうであるように、幸福なペアの誕生は共同体の精神状態を好転させる心理的効果がある、というようなことをどこかで読んだ(書いた)ような記憶がある。鳩ポッポ内閣ができたら、世の中がホンワカして、ちょっとは景気もよくなんじゃね? 世襲政治の大団円という意味でも、彼ら以上の役者はいないような気がする。
![]()
![]()
タジ・マハールのライブ盤「The Real Thing」も、らくがお風(色調的にはこれにちょっと似た感じ?)の安っぽいジャケットだが、中身はかなり強烈。なにしろ、ホーン・セクションがチューバ4本である。なんでそんなこと思いつくのかわからない。というか、どこから4人もチューバ吹きを連れてくるんだろうか。まあ、それぞれトランペットやトロンボーンやバリトンサックスなども吹くので純然たるチュービスト(まさか「チューバー」じゃないよな?)ではないんでしょうけども。チューバ4本でぶりぶりと咆哮するのは圧巻といえば圧巻だが、これ、見た目の面白さのほうが重要だという気がしなくもないよな。音だけ聴いていると、チューバという楽器の難しさが耳についてしまい、ちょっとトッチラカッタ感じがするのだった。チューバなしでも十分に良いライブだと思うのだがどうなんだろうか。
ベーシストには「全身音楽家」とでも呼びたくなる人が多い(なぜかベース以外の楽器ではあまり見当たらない)ものだが、リチャード・ボナはその筆頭であろう。この「Tiki」というアルバムは、超絶技巧よりも歌心を全面に押し出した逸品。ジャケ写の表情どおりの音楽が聴ける。写真を見られない人には説明が難しい。やさしくて、爽やかで、温かで、それなのに涼しげで、滋味にあふれていて……などと言葉を並べれば並べるほど、おのれの陳腐さにウンザリするのだった。まあ、実をいえば、そもそも私は音楽を「語る」ことをとっくの昔に放棄しているのだったが、それでもたまに語りたくなって、そして失敗する。音楽をちゃんと言葉で説明できる人がとても羨ましい。
![]()
書けるところまで原稿を書き、最終章のデータ原稿が来るのをボンヤリ待つという、めずらしく宙ぶらりんな状態である。これはこれで悪くない。いつも人を待たせてばかりいるのを心苦しく思っているせいもあって、待つのはわりと好きだ。そういえばケータイのない時代の待ち合わせにはそれなりの味があった。待っているあいだに考えていたことって、待ち人が現れた瞬間にすべて忘れていたような気がする。「待ち始めた時点」に意識が戻る、というか。人は待ち始め、やがて待ち終わる。言ってて何のことだかよくわからないが、味わい深いよ。本当はこの待ち時間に次の仕事のことを考えたほうが効率はいいのだろうが、どうしようか。考えるべきか、考えざるべきか、それを考えている長くて寒い午後である。
|