3月の日誌

扉(目次)

深川全仕事

大量点計画

江戸川時代

メ ー ル

平成二十一年四月二十八日(火) 81.4 kg


「好天」は「女子天」と(以下略)
BGM : Burnt Weeny Sandwich / Frank Zappa The Mothers of Invention


 昼に小学館でリライトの打ち合わせを終えた後、神保町をぶらぶら歩く。たぶん東京で今年いちばん快適な日は今日だ。そう言いたくなるほど良い天気である。われながら何を思ったかわからぬが、三省堂書店の4階で、思潮社の現代詩文庫を2冊(天沢退二郎と吉野弘)買った。不気味な衝動買いである。その後、仕事場に戻ったものの、こんな日に薄暗い部屋でフランク・ザッパなんか聴きながらパソコンに向かうのはバカげてるぞオマエ、と誰かが耳元で囁く。天使か悪魔かは不明だが、もう、井の頭公園で散歩でもすることにしようと決めた午後3時。





平成二十一年四月二十七日(月) 81.4 kg


「修正」は「撤回」と似てるけど違う

BGM : 4th / D.F.A.


■土曜日にまたインドカレーを作ったのだが、食後、家族全員「おなか痛くなりそう」とのことで、どうやらアーモンドを入れすぎたらしい。そのせいで食感もあまり良くなかった。次はうまくやってやる。

■きのうは午後1時から江古田Buddyで友人のバンドのライブ。カウント・ベイシー・ナンバー中心のビッグバンドなどもあって楽しかったが、昼間から夜10時まで飲み続けてしまったため本日はへろへろ。

■機種変更したばかりの携帯電話をどこかに落として茫然自失――という悪夢を見た。あちこち探し回ってヘトヘトで帰宅したら玄関に落ちてました、というオチ。

■鳩山総務相は「最低の人間」発言を「撤回」したわけではなく、「最低の人間」から「最低の行為」に「修正」したのだと私は認識しているが、テレビはそこまでちゃんと伝えない。裸で騒いだアホへの同情を喚起し、至極まっとうな常識を口にした政治家が愚かに見えるよう誘導するやり口には、ほんとうにウンザリする。

■D.F.A.はイタリアのフルート入りジャズロック系プログレバンド。聴いているのは2008年作。同じイタリアのP.F.M.はプレミアータ・フォルネリア・マルコーニの略だが、こちらはデューティ・フリー・エリアの略だそうだ。ちょっとつまらないネーミングだが、音楽はすばらしくカッコいい。一発でファンになった。





平成二十一年四月二十四日(金) 81.8 kg


「酒脱」は「洒脱」と似てるけど違う

BGM : Berlioz "La Damnation De Faust" / Radio Symphonie Orch. Frankfurt, Eliahu Inbal



 清水寺貫主の漢検協会理事辞任で、年末恒例「今年の漢字」が打ち切られるかもしれないとのこと。去年の漢字が何だったかもすでに記憶がないのでどうでもいいが、今年は「脱」になる可能性大なので、年末に話を蒸し返されるのを恐れる関係者は打ち切りを歓迎するかもしれない。ちなみに去年は「変」だったそうだ。ふうん。





平成二十一年四月二十三日(木) 81.6 kg


ポカ〜ン

BGM : Berlioz "Grande messe des morts" " La mort de Cleopatre" "Le carnaval romain" / Vienna Radio Symphony Orch. Bertrand de Billy


 ほぼ1年がかりの大仕事(その間に他人の本も6冊ほど書いたが)に一応の目鼻がついたっぽい状況のため、今週はポカ〜ンと放心&脱力中。日誌を書く気にならず、次の仕事のエンジンもかからない。そんなときになぜか唐突にベルリオーズにハマったりするのだから、私の気紛れは謎めいている。最近はまあそんな感じ。  








平成二十一年四月十七日(金) 81.4 kg


コラロフ発見
BGM : The Final Cut / Pink Floyd


 三つの書籍の口述取材が同時進行しており、それ以外にも打ち合わせやら何やらで外出が多いために更新がままならない昨今だが、そうこうしているうちに満45歳になった。人に言わせると、ここからはアラフォーではなくアラフィーになるらしい。アルフィーになるんだったらかなり厭だが、アラフィーなら別にどうでもいいや。

 数日前にローマダービーを観た。ゴールと(ベンチの人も含めた)退場者の合計が11という、最高にワクワクするデタラメなゲーム。久しぶりにカルチョを堪能させていただきました。キックオフから3分間で2点を強奪したラツィオの猛ラッシュに狂喜。それ以降は守備ゆるゆるで、「おまえらはウルトラマンか」と罵っていたが、終わってみれば4-2だよ。わはは。ざまあみろ。永久保存版だなこりゃ。

 倉敷さんが「ラツィオを象徴する選手」というロッキが私にはいまだ新入生に見えるくらいなので、最初のうちはどれが誰だかさっぱりわからなかったが、私のラツィオ愛を甦らせたのは左サイドバックのコラロフだ。アレクサンダー・コラロフ。「セルビアのロベルト・カルロス」とかいうバカげた異名を持つらしいが、私には「パンカロのDNAを継承する男」にしか見えなかった。なぜなら、チームに迷惑ばかりかけるからだ。なぜコラロフの蹴るフィードは敵しかいないところに飛ぶのか。たまに敵のいないところに飛んだかと思うと、なぜそこはタッチラインの外なのか。ボール蹴るの下手すぎないか。意味不明のプレイをくり返すコラロフを罵倒しながら、私はラツィオ戦の見方を思い出して嬉しかったのだった。パンカロのDNAってヤなDNAだなあと思うが、奴こそがラツィオを象徴する選手なのだ私にとっては。

 しかもそのコラロフが終盤に奇跡を起こすのだからたまらん。GKから自陣ペナ付近で渡されたボールを、エッサホイサと敵陣までドリブルで運び、約100メートルの独走ゴール。いくら退場者続出でフィールドがスカスカだったとはいえ、びっくりしたなあもう。まるで中国ブラインドサッカー代表チームのような攻撃だった。あれだけ走ったのに2人しか抜いてなかったけどね。コラロフから目が離せない。  








平成二十一年四月十日(金) 81.6 kg


ザッパ vs さだ
BGM : The Best Band You Never Heard in Your Life / Frank Zappa



 ゆうべは六本木で、とある仕事の打ち上げ。そんなに飲んだつもりはないのだが、男4人でワイン3本空けたような気がするので、私にとってはほろ酔いでは済まない。久しぶりに大声で歌も歌ったので、まだアタマ痛いです。

 歌の合間に「さだまさしは是か非か」といった議論をした記憶がある。なんでそんなことになったのかは不明。無駄話としか言いようがない。ともあれ私は例によって「主人公」を歌ってキモチ良くなっていたわけだが、今朝テレビのワイドショーを見ていたら、490円がどうしたとかいうソフトバンクのCMソングを歌うさだまさしの映像が流れた。こちらの是非は、また別の問題である。しかし、その「♪490円〜」という旋律が、いちど聴いただけなのに耳から離れないというこの現実この事実。フランク・ザッパを聴いていても、だ。やはり、さだまさしは侮れない。偉大だ。

 無論、ザッパの偉大さも相当なものなのであって、この2枚組のライブ盤では最後にレッド・ツェッペリンの「天国への階段」をレゲエっぽい妙なリズムで演奏しており、ジミー・ペイジのギターソロをホーンセクションがユニゾンでコピーしていたりするのだから、なんでそんなことしたくなるのかよくわからない。こんなザッパとあんなさだまさしが同じ「音楽」に属する営みだという不思議。でも、どっちも好き。  








平成二十一年四月九日(木) 81.8 kg


落とした紙と拾う神
BGM : Live in New Orleans / The Dirty Dozen Brass Band



 警視庁武蔵野警察署からハガキが届いた。おまえの落とし物を預かっているから引き取りに来い、とのこと。実際の文面はもっと丁寧ですけども。拾得物の欄には、「督促状」と思いっきり書いてある。おー。拾って届けてくれた人がいるのかー(4/7の日誌参照)。とっくにゴミとして吉祥寺の町に消え去ったものと思っていたが、ニッポン人もまだまだ捨てたものではない。よくもまあ、あんな紙切れを拾い上げてくれたものであるよ。できれば警察には、ハガキではなく現物を郵送してほしかったが。

 というわけなので、今朝、三鷹駅近くの武蔵野警察署まで行って来た。出がけに愚妻が「そのハガキを落とさないようにね」と鋭い忠告をしてくれた。なるほど、それはそうだ。そのハガキが別の警察署に届けられ、その警察署からハガキが届き、「おまえのハガキを取りに来い」と書かれたハガキを持って「おまえの落とし物を取りに来い」と書かれたハガキを取りに行き、そのハガキを持って落とし物を取りに行くことになったら、これはひどくアホである。またそれを落とせば、「おまえのハガキを取りに来い」と書かれたハガキを持って「おまえのハガキを取りに来い」と書かれたハガキを取りに行くことにもなり、永遠にハガキが循環しかねない。ひとり白ヤギ黒ヤギ状態だ。

 ハガキを落とすことなく無事に武蔵野警察署に着き、落とし物カウンターへ。受付の婦人警官(死語か?)にハガキを渡すと、「ああ、はいはい」と頷いた。待ってましたと言わんばかりだ。めずらしい拾得物として、係内でひとしきり話題になったのかもしれない。「わーっはっはっ、見てみろコレ、税金の督促状だよオイ」とか言って盛り上がったのかなあ。持ち主が引き取りに来るかどうか、賭けてた可能性もある。なにしろ払い込み期限が過ぎているのだから微妙な落とし物だ。私なら来ないほうに賭ける。

 身分証明書を提示し、受け取り書類に住所氏名を書いて、「二重にお恥ずかしいことです」と苦笑しながら督促状を受け取った。警察署で税金の督促状を受け取るのは、あまり気分が良くない。受領書だけになってたら感動的だよな、と思っていたが、さすがに払っておいてはくれなかったようだ。拾ってくれた人に御礼のひとつも言いたいところなので、いちおう「連絡先なんかわかりませんよね」と訊いてみたが、「御礼などは必要ないそうです」とのこと。なので(届けてくれたのはきっと物凄い美人に違いないと思いつつ)天に向かって御礼を申し述べておく。本当にありがとうございました。

 ともあれ、これで一件落着である。いくらか期限が過ぎても銀行や郵便局が受けつけてくれることは、経験上よく知っている。そんなこと、よく知っててどうするというのだ。それにしても、これで税務署と警察署の両方でブラックリストに載るんじゃないかと思うと、気が気じゃないのだった。  








平成二十一年四月七日(火) 82.2 kg


今日のポカポカと昨日のポカ
BGM : Shut Up 'N Play Yer Guitar / Frank Zappa



 通勤途中、神田川沿いの桜並木の下を歩いていたら、見知らぬご老人に「ちょっと、すみません」と呼び止められた。やや千秋実に似た、穏やかなご老人である。道を尋ねられるのだろうと思いきや、そうではなかった。ご老人は「こっち、こっち」と私を手で招き寄せると、五メートルほど下の川面を指さして、こんなことを言う。

「あれは、トカゲじゃないですかな」
「……は?」
「ほら、あの、岩の上にいるでしょう。トカゲ」
「トカゲ、ですか」

 満開の桜の下で、ご老人と二人、川沿いの柵から身を乗り出して下を覗く。爬虫類マニアが飼っているイグアナでも逃げ出してたら面白いぞこれはと思ったのだが、川面から頭を出した岩をいくら眺めても、それらしきものは見えない。「ほれほれ、私の指の下」と言われ、ご老人と顔をくっつけるようにして同じアングルから指の先を見てみたが、そこにはただ岩があるだけだった。

「動いてます?」
「いや、じっとしてますよ」
「うーむ。私には見えませんがねぇ」
「あの縞々の爬虫類、わかりませんか」
「あれは影ではないかと……」
「そうですか……。どうやら私の錯覚のようですなぁ」
「いや、どちらの錯覚かはわかりません」
「あっはっは、こりゃあどうも、失礼しましたな」
「いえいえ、とんでもない。トカゲがお好きなんですか?」
「いやいや」

 ポカポカ陽気によく似合うのんびりした気分が味わえた。たぶんご老人にも、私が、ポカポカ陽気によく似合うのんびりした人間に見えたのだろう。そうでなければ、そんな用事で声はかけない。頭の中では全力でコラムのネタを考えていたのだが、どうやら私は苦悩が顔に出ないタイプのようだ。ともあれ、春ってすばらしい。今日は何か良いことが起きそうな気がする。

 などと思いたくなるのは、昨日、悪いことが起きたからだ。固定資産税を払おうと思って銀行に行ったのだが、いざ窓口に向かおうとしたら、上着の内ポケットに入れておいたはずの用紙がない。ポケットからちょっとはみ出していたので、どこかで落としたようだ。やはり、このところボケている。

 来た道を戻りながら目を皿のようにして探したが、見つからなかった。まずいよなあ。なにしろ落としたのはただの払込書ではない。督促状である。べつにカネがなくて払っていないわけではない。あらゆる税金を督促状が来るまで払わないのは、昔からの悪い癖だ。原稿を催促されるのは嫌いだが、役所からの催促に対しては厚顔無恥なのだ私は。「そんなに欲しけりゃそっちが集金に来いよ」とさえ思っている。

 しかしどうであれ、住所も氏名も書いてある督促状を他人に拾われるのは、かなり恥ずかしい。悪い人が拾えば悪用する可能性もあるだろう。どうすれば悪用できるのか私にはさっぱり思いつかないし、思いついたところで防御手段があるとも思えないが、そこはかとなくイヤな感じ。まあ、住所氏名が書いてあるのだから、良い人が拾ってくれれば、いずれ手元に届くだろう。ものすごく良い人が拾ってくれれば、代わりに払い込んでおいてくれるに違いない。期限は昨日だし。








平成二十一年四月三日(金) 82.6 kg


路上
BGM : Blue Moon Risin' / Walter "Wolfman" Washington



 通勤途中、神田川沿いの桜並木を新しいケータイのカメラ(800万画素!)で撮影した後、ふとレンズを足元に向けたら自分の影がそこにあったので、なんとなく勢いでシャッターボタンを押してみたのが左の写真(タイトルは『さくらとわたし』)である。咄嗟のことであったし、新しいケータイのサイズにもまだ不慣れなので、迂闊にも左下に右手のひとさし指が映ってしまったところがダメダメだが、被写体と撮影者の関係性を表現するために、吾輩はあえて指を入れ込んだのであーる! と、そういうゲージツ的な釈明ができぬわけでもない。ともあれ、ケータイカメラだからこそ思いつくアングルであるような気もする。

 ところで四月馬鹿の冗談というのは、1日が終わったら削除や訂正をしないといけないものなのだろうか。よくわからない。面倒なので放置。ただし曜日が(月)となっていたのはウソではなくミスなので直しました。

 ちなみに本日の体重表記は真実である。月曜日に家でインド料理をこしらえてガツガツ食い、火曜日は小金井の実家で手巻き寿司をバクバク食べ、水曜も木曜も飲酒の機会が続いたため、また増えてしまった。まあ、しょうがない。旨いものは旨い。インドカレーは初めて作ったが、味つけは難しいものの手順は意外に簡単。途中の味見で、ほうれん草カレーがなぜか和風テイストになっていたときは慌てたが、じゃがいもやにんじんを剥く手間がない分、欧風カレー(っていうのかなフツーの家庭的カレーは)より楽かも。各種スパイスを買い揃えるだけで、思わずニマニマしてしまう。








平成二十一年四月一日(水) 91.4 kg orz


ケータイめ
BGM : Over-Nite Sensation / Frank Zappa & the Mothers



 きのうの昼過ぎ、仕事の打ち合わせを終えた後、神保町の交差点付近で愚妻にメールを打っていたら、送信前に、携帯電話が突如ブラックアウト。家族と吉祥寺で落ち合う予定だったので、慌てて公衆電話ボックスに駆け込む。まだ公衆電話の使い方を忘れていなかったのが不幸中の幸いだった。

 吉祥寺ヨドバシカメラのドコモショップに持ち込むと、そこでは原因がわからないので修理に出す必要があるという。1週間も10日も携帯ナシではどうにもならんし、どうせそろそろ買い替えたいなあと思っていたところでもあったので、その場で機種変更をしたのはいいのだが、なにしろ古いほうが仮死状態なのでデータの移し替えができぬ。できるかどうかも修理の結果が出るまでわからないのだから困ったものだ。このところ本当にツイてない。

 しかも最近のケータイ事情をまったく知らないまま機種変更に臨んだし、急いでもいたので、深く考えることなく無駄に多機能の機種を買ってしまったような気がする。電話やメールやインターネットや写真撮影やUFOとの交信ができるのはもちろん、テレビやビデオや目覚まし時計や財布や執事や十徳ナイフとしても使えるのに加えて、冷蔵庫とガスコンロまでついているのは本当に便利だ。新学期からのひとり暮らしは、コレ一台でバッチリだね。

 おまけに今日はPCのメールもうまく送れない。なんでだよー。なんでだよー。もう世間と絶縁して隠遁生活に入れと神様が仰っているのだろうか。