闇の中の翼たち
ブラインドサッカー日本代表の苦闘
 (岡田仁志/幻冬舎/1500円+税)








5月の日誌

扉(目次)

深川全仕事

大量点計画

江戸川時代

メ ー ル

平成二十一年六月三十日(火) 80.2 kg
この週末は
万難を排して
アミノバイタルに

集まりやがれ !!!



 きのうは何だかんだと一日中メールを書いていたような感じで(そしてほぼ一日中、矢野まきの「本音とは愛よ」を聴いている。自分史上最高のヘビーローテーションかも)、日常業務は捗らず仕舞い。しばらく日誌は更新できないかもしれないので、いま書いておくべきことを書いておく。ひとりでも多くの人に、週末の第8回ブラインドサッカー日本選手権に足を運んでいただきたい。入場は無料。くり返す。入場は無料だ。受付で「倦埋草を見た」と言ってもいいが、安くはならない。もともと入場無料だからなのだし、それ以前に受付とかありません。入場無料なのに、4日(土)は11時から17時まで、5日(日)は9時から15時すぎまで、ず〜〜〜っと試合をやっている。飲み込みの悪い人のために念のため付け加えておくが、入場無料なのに、だ。何試合観ても、入場無料。私も2日間ず〜〜〜っと会場のどこかにいる予定である。お望みなら解説もしよう。無料でだ。当日の時間割はこんな感じ。初めてブラインドサッカーをご覧になる方には、1日目の第4試合と第5試合、2日目の第4試合以降あたりをオススメしておこう。例年、いちばん面白いのは準決勝だったりする。無論、どの試合を見ようが、必ず何か得難い発見をして帰ることができるはずだ。ちと雨が心配だが、カモン、ベイビー。





平成二十一年六月二十九日(月) 80.8 kg


それはオレの息子だぞ的歓喜
BGM : Yamandu + Dominguinhos / Yamandu Costa & Dominguinhos


 うわ。もう29日だよ。日常業務、停滞しまくりだよ。まずいよ。

 なので昨日は仕事をするつもりだったのだが、高校時代の仲間と前夜から朝まで飲んでしまい、起きたら頭フラフラだったので、酒を抜くために高井戸第三小学校まで自転車を走らせ、セガレたちの試合を観戦。きらめきリーグという、10チーム参加の勝ち抜き戦である。ならば「リーグ」ではないと思うが、まあ細かいことはよろしい。われらが久我山イレブンの初戦は対落合。コートがやけに狭く、敵GKの蹴るパントキックがゴール前まで届いてイヤなバウンドをするのだったが、これをセガレがポロリとやって落合が先制。ああもう。さらに1点を失って前半は0-2。やれやれ初戦敗退で帰って仕事……かと思いきや、後半の久我山は見違える出来で連続ゴールを奪い、2-2でタイムアップ。するとどうなるかというと、PK戦である。GKの親にとっては悪夢の展開。延長戦やってくれよ〜。

 と・こ・ろ・が。先攻の久我山の1人目が決め、落合の1人目はセガレの正面に蹴ってくれたので簡単に止めることができた。おお。セガレがPK止めるのを初めて見た。聞けば去年も同じグラウンドでPK戦があり、セガレが止めて勝ったらしいが、それは私は観ていなかったのだ。久我山は2人目も決め、落合は2人目も正面に蹴ってくれた。連続セーブだ。いやっほう。久我山は3人目も決め(みんなPKがうまいのだ)、落合の3人目はGKの子が出てきた。このGK対決を制すればうちの勝ち。GKなのに蹴るだけあって自信があるのか、今回は正面に来なかったが、やや右側を襲ったシュートに反応したセガレは右足でこれに触り、ボールはポストを叩いて逸れたのだった。吠えたね私は。うおおおっしゃあああ!って吠えました。PK3連続セーブだよ。空前絶後だよ。この試合を見ずにどの試合を見るというのだ。PK戦3-0で久我山の勝ち上がり。私は隣にいたほかの子のお父さんに握手を求められ、愚妻は狂喜したお母さん連中にバシバシ叩かれていた。キャーキャー! 岡田くん岡田くん、キャーキャー! 女はなぜ嬉しいと人を叩くのか。というタイトルの新書企画はどうだろう。ともあれ、生まれて初めて自分の二日酔いに感謝した。ありがとうアルコール分! 続く準決勝の西田戦も2-1で勝った久我山が決勝に進出したものの、残念ながら雨が強くなって延期。ずぶ濡れで帰ったのにあんなに機嫌が良かったのも空前絶後かも。

 さて、そろそろ真面目に働くことにする。





平成二十一年六月二十七日(土) 80.6 kg


視覚障害者のみなさまへ
BGM : Esoptron / Kenso



 全盲の視覚障害者の方より、拙著についてお問い合わせがございました。

Q.本を買った上で、障害者手帳のコピーをお送りするなどして、テキストデータをいただくことはできますか?

 同じご希望をお持ちの方もいらっしゃるでしょうから、FAQとしてここで取り上げておきます。(事情のわからない人のために説明しておくと、いまはパソコンの音声読み上げソフトが発達していて、ウェブサイトやメールはもちろん、あらゆるテキストデータを視覚障害者が「読む」ことができるのである。なんとテキストデータをMP3に変換して、iPodなどで「読書」もできるんだとか。本をテキストデータにするスキャナを持っている人もいる。ITは彼らにとってまさに革命なのだ)

 購入した視覚障害者にテキストデータを提供する書籍が一部に存在することは私も以前から承知しており、その可能性を検討はしたのですが、残念ながら今回はできないことになりました。ある本でそれをやると、その版元はすべての本で同じことをやらなければ筋が通らない、というのが一番の理由です。そのサービスを提供している本は私が知る限り視覚障害の問題を扱ったものだけですが、視覚障害者が読みたいのはそういう本ばかりではありません。たとえば『1Q84』をテキストデータでもらえるなら、欲しがる視覚障害者は(私の本よりも圧倒的に)多いはずです。

 技術がそこまで発達している以上、これをどうするかは出版界全体で取り組むべき今後の課題であると考えますが(たとえば音楽のダウンロードサービスと同じことが本でも可能だということでしょう)、まだそういったことを広く行う態勢にはなく、拙著については、点字図書館などによる点訳や音訳(していただけると思うのですが)をお待ちいただきたいと思います。どうか、あしからずご了承ください。

 だれか「朗読会」的なこと(買った本が入場券になるとか)をやってくれたら嬉しいけれど、ひどく長時間のイベントになるのでリアリティないですね。

 ところで、ブラインドサッカー日本代表ブログが面白くってしょうがない。選手たちが日替わりで書いているのだが、みんな、文才あるよなあ。ミノさんとかヤスさんとか、ゲラゲラ笑った。ミノさんの「日向小次郎ネタ」は聞いてなかったよ。悔しいなあ。インタビューのときに話してほしかったぞ。あと、オッチーさん、本を紹介してくれたのは本当にありがたいのですが、できればタイトルとか書いておいてください。





平成二十一年六月二十六日(金) 80.4 kg


訂正とお詫び
BGM : Fats Domino Jukebox / Fats Domino



 まさか自作の発行日(奥付では2009年6月25日)がこんな人の命日になろうとは思わなんだよなぁと思いつつ、追悼BGMにしようと思ってCDラックに手を伸ばすやいなや、自分がマイケル・ジャクソンの音盤を1枚も持っていないことに気づいた。わりと珍しいタイプの地球人だ。合掌。

 それはともかく、誤字のお詫びと訂正をするのを忘れていた。『闇翼』52ページ5行目および211ページ11行目の「国立神戸視覚障害センター」は、いずれも「国立神戸視力障害センター」が正解です。「視覚」じゃなくて「視力」。正しく「視力」と書いたところもあるのに、この2ヶ所はミスってしまった。同センターの細川さんには取材でさんざんお世話になり、この本に欠かせない重要なコメントをいくつも頂戴したにもかかわらず、たいへん失礼なことになってしまいました。まことに申し訳なく、伏してお詫び申し上げます。増刷時に修正するためにも、売らねばならぬ。





平成二十一年六月二十四日(火) 81.0 kg


出ました
BGM : なみだうた - 矢野真紀泣ける生歌ベスト



 岡田仁志『闇の中の翼たち ブラインドサッカー日本代表の苦闘』(幻冬舎)は、どうやら本日が出版日のようです。取材3年、移動距離ざっと9万5千キロぐらい、総インタビュー時間たぶん100時間以上、取材費あぽーん万円、執筆ほぼ1年。未熟な点は多々あろうかと思いますが、一所懸命にやりました。初版印税だけでは取材経費を半分しか回収できない私のためのみならず、この出版不況の中で新人にチャンスを与えてくれた幻冬舎に損失を出させないためにも、そして、「100万部売れたら専用コート作ってやる」という私の酔言を真に受けて(真に受けたフリをして)盛り上がってくれている選手たちのためにも、どうかひとつ、お引き立てのほど何卒よろしくお願い申し上げます。私は選手に「各クラブにサイドフェンス」と言ったつもりだったが、ある選手によると「専用コート」を約束したらしい。地面まで買うのは大変だ。表紙は帯がつくとまた印象が変わりますが、それは店頭でのお楽しみということで。昨日あたり、選手や関係者や知人からしきりに「宣伝します!」とのメッセージが届いている。著者を含めた関係者の「念力」の強さでは、どんな本にも負けない自信がある。

 矢野真紀のライブ集『なみだうた』は、「ふるさと」が抜群。矢野真紀にそんな曲あったか?と思ったら、「うさぎ追いしかの山」の「ふるさと」だった。ええ歌やなあ。このごろ、この歌がやけに沁みるのは、つまりトシなんでしょうか。ちなみに、こちらも本日発売のSAPIO最新号の特集は、「日本人でよかった」です。





平成二十一年六月二十三日(火) 80.8 kg


出てました
BGM : 本音とは愛よ / 矢野まき



 私としたことが、自分の本にばかりかまけていたせいで、この『本音とは愛よ』というきわめて深遠な哲学的タイトルの新譜が2週間も前にリリースされていたことに気づかなかった。しばらく彼女の話題に触れていなかったので、知らない読者も多いだろうが、ここは実のところ、孤高のシンガーソングライター矢野真紀のファンサイトでもあるのだ。いや、今は「矢野まき」である。いつの間にか表記が変わっていた。ファンのクセにこれも知らなかった。漢字を仮名にするのって選挙の立候補者みたいでちょっとどうなのかと思うが、まあ、名前をイジることに関しては「おまえが言うな」なので咎めるのはやめておこう。田舎のおばあちゃんが見たらザ・ピーナッツみたいな双子デュオだと勘違いしそうなジャケットも、悪くない。なんかキレイになったよね、彼女。前作『BIRTH』はすべて他人の作詞作曲だったが、このアルバムは全曲本人の作詞、8曲中5曲は作曲も本人である。こういうのを待ってました。全体にロック調の強い引き締まった仕上がり。わりとキャッチーだがさほどポップではない(だからって中途半端ではない)矢野まき節が堪能できて気に入ったぞ。いい歌が、いっぱい入っております。とくに5曲目の「のろいのように」は泣ける。このアルバムと同年同月に自作がリリースされるのは、なんだか嬉しい。それが私の本音と愛。





平成二十一年六月二十二日(月) 80.6 kg


どうも、岡田と申します
BGM : Movimento / Madredeus


 リリースは数日後だが、アマゾンビーケーワンで、拙著『闇の中の翼たち ブラインドサッカー日本代表の苦闘』(岡田仁志/幻冬舎)が予約可になっているのだった。はい、そういうタイトルなのです。即座にツッコミたい気持ちはわかるが、「また翼かよ!」とは言わぬが花。なにしろ著者名が違うのだから「また」じゃないんである。そんなわけで、「深川峻太郎」で検索しても出てこないのでご注意を。

 岡田仁志は私の本名である。コレで検索するといろんな本が出てくるが、サイバー社会やら電子マネーやら情報セキュリティやらが得意な岡田仁志サンも、言葉を失った母を見つめている岡田仁志サンも、私じゃありません。私の母は、やや耳は遠くなってきたものの、言葉は失っていない。私が3年前から見つめてきたのは、視覚を失った人たちのほうだ。大石静原作『オトナの男』(TVドラマのノベライズ)の岡田仁志は私だけどね。そういや、こんなのも書いたよなあ。懐かしい。あと、「なか見!検索」の本の中には私が編集に関わったものもある(本のどこかに名前があると引っかかってしまうらしい)が、まあ、とりあえず無視してよろしい。

 今あなたが予約すべきは「闇翼」である。

 いやはや、なんとも、「門=ゴール」に「音」が入って「闇」だというのだから、まるでブラインドサッカーのためにあるような文字ではないか。ちなみにビーケーワンのほうはタイトルに誤記があったので、さっきサイト上のメッセージフォームから修正を頼んだ。「苦悶」じゃなくて「苦闘」です。まあ、「闇の中野翼たち」とか書かれるよりはマシだけどね。どんな翼サンだそれは。それよりも、「闇 〜野中の翼たち」だとほんとうにシャレにならないのでやめてください。ともあれ、よろしくよろしく。1日も早く「岡田仁志ギョーカイ」のトップになりたいものである。





平成二十一年六月十九日(金) 80.8 kg


むしゃくしゃ
BGM : D'improvviso / Rosalia De Souza



 朝日新聞の消防団員19歳、放火容疑で逮捕 現場で自ら119番という記事で、「現場の半径約500メートルで5月下旬〜6月上旬、倉庫や住宅の一部が焼ける不審火が約10件発生して」いたと書かれているうちの1件が、6月5日の日誌に書いた近所の火事なのだった。私が杉並区内各所に送り込んでいる諜報員から(ウソ)「どうやら消防団員が怪しいらしい」という情報を数日前に耳にし(これはホント)、やけにクラシックなマッチポンパーだよなあと眉に唾つけていたのだが、あらまホントだったのね。でも、まだ全部がコイツの仕業だと決めつけるわけにはイカンので、安心するのは早い。模倣便乗犯の一人や二人いても不思議ではないし、「彼女とけんかしてむしゃくしゃしてやった」とかいうバカげた理由がホントなら、コイツ自身が便乗犯という可能性もあろう。「彼女とけんかでむしゃくしゃ」と「2〜3週間にわたって約10件の放火」って、ちょっと釣り合わない。

 それにしても、コイツは本当に取り調べに対して「むしゃくしゃ」という言葉を使ったのだろうか、と、妙なことが気になるのだった。19歳の語彙にしては古くね? どうも警察による「翻訳」が入っているような気がしてならないが、そういう役人的紋切り型は事件を平板化させるのでやめてほしい。もし周辺住民に「知る権利」とやらがあるのなら、こういうところで行使したいと思う。もっとリアルに教えろ。

 でも「むしゃくしゃ」って忘れてた言葉だよな。あんまり使った記憶がない。しかし「むしゃくしゃ」を忘れると「むしゃくしゃした気分」もなくなり、それは良いことのようにも思えるものの、本当なら「むしゃくしゃ」程度で収まるはずのものが収まらなくなって「むちゃくちゃ」なことになるおそれもあるので、「むしゃくしゃ」はあったほうがいいと思うよ。青年よ、むしゃくしゃを抱け! むしゃくしゃしてナンボの青春だ! でも火ぃつけちゃダメです。

 きのう、ブラインドサッカー本の見本が出来上がった。多くの苦難と心労とむしゃくしゃを乗り越えて(少しだけ大袈裟)ようやくここまでたどり着いたので、シミジミしたりウルウルしたりニマニマしたりガック〜ンと脱力して熱でも出したりするんじゃないかと思っていたが、いざ完成した本を手にすると、実はまだ何も終わっていないというか、むしろここからいろんな苦難と心労とむしゃくしゃが始まるのだとしか思えず、期待と不安が(3対7ぐらいの比率で)入り交じった重苦しい緊張感に包まれたのだった。この気分は何に似ているかというと、自分が出演するコンサートの前日の気分に似ていますね。でもコンサートと違って、本っていつまでも終わらないような気もする。

 で、出来上がった本にパラパラと目を通してみると、ちょっと前にあれだけゲラを集中して何度も何度も読んだにもかかわらず、たちどころに2ヶ所もの誤字が見つかってトホホ〜なのだから、人間の脳は一体どうなっているのだという話である。こうなってるんだよなぁ。どこが誤字かは、6月26日の発売と同時にお知らせします。すべては原稿で書き間違えた私の責任。どうもすみません。もう謝っている。





平成二十一年六月十八日(木) 81.2 kg


外見と外形
BGM : Greasin' The Wheels / The Sound Stylistics



 きのうのオーストラリア戦、日本の先発メンバーを確認したセガレの第一声は「あ、フォークシンガー出てるよ!」でした。橋本サンのことを、我が家では以前からそう呼んでいます。ギター抱えて「青葉城恋唄」とか弾き語りしたら似合うと思いませんか。ま、ほんとうのことを言うと、向井滋春のほうが似てるんだけどね。どっちにしろ、ピッチを走る姿に猛烈な違和感を覚えるタイプの顔である。要するに、不健康な感じ。それはまあいい(というか個人的にはきわめて好感が持てる)のだが、あの内田クンという子は、ルックアップしてからボールを蹴るまでに、どうしてあんなに時間がかかるんですか。ゴルフやってんじゃねえっつうんだよ。ほっといたら、そのうち指なめて風向きとか読み始めるぞあの子は。そんなことで世界を驚かせてどうするというのだ。今後、私が「ドッコイショくん」と書いた場合、それは内田クンのことだと思ってください。若いのにねえ。

 サウンド・スタイリスティックスを背景情報ゼロで(ユニット名さえ知らずに)音だけ聴いた瞬間「こりゃタマラン!」と狂喜し、それが「UKファンク」なるジャンルに属すると知って「イギリス人かよ」とちょっとガッカリしてしまったあたりが、私のなかに巣食う権威主義のダメなところである。でも、仮にコレが外形だけをなぞった「なんちゃってファンク」なのだとしても、カッコイイものはカッコイイ。そもそも「カッコ」って外形のことだしな。……などと思いつつ辞書を引いて、「stylistics」が「文体論」という意味だと初めて知った。なるほど。あと、これも常識だったら恥ずかしいが、「stylist」には「文章家、名文家」という意味があるらしい。ふうん。

 フォークシンガーとドッコイショくんの文体や如何に。





平成二十一年六月十七日(水) 81.4 kg


オヤジの背中
BGM : Rajaz / Camel



 きのうの午後、ひさしぶりに背中をキクッとやってしまった。これ、正式な診断名は何なんだろうか。首の寝違えは「肉離れ」らしいが、これもそうなの? 私はときどき背中をニクバしているの? なんにしろ、症状は寝違えと同じで、姿勢によって激痛が走るのである。これをやるたびに「背筋を鍛えねば」と思うのだが、治ると忘れてしまうのがダメだ。セガレはこれを見て育つのだからして、背中が弱いのは父親としての資質を問われかねない大問題である。こんどこそ治ったら鍛えよう。

 そういえば、あれは父の日のことだったか、テレビのニュースを見ていたら、なにやらオヤジの家庭での役割を考えるシンポジウム的なイベントが開催され、そこでは「子供に背中を見せていないで正面から向かい合うべきだ」という意見が支配的だったとのこと。そうかねえ。むしろ子供がオヤジの背中をチラ見できるほどの時間さえ家庭内で共有していないのがマズイのであって、父親と息子(娘のことはようわからん)がガッツリ向かい合うとロクなことにならんのじゃないかという気がしてならない。過保護にバックアップしがちな母親と正面を向いた父親に前後から挟まれた子供は、どうやって自立心を身につけ、おのれの行く手を模索するのか。だいたいオヤジなんてものは、息子と向かい合うと、つい「ああしろこうしろ」と指図したくなるんである。実際、近頃は「有名私立に入らないと将来がないぞ!」とばかりに中学受験を強要する父親も多いらしい。それが「正面から向かい合う父親」だとしたら、息苦しいじゃないかそんな家庭。家庭教育には、外に向かうベクトルが必要だと思う。お父さんは、「息子の将来よりまずはオレの将来が心配だ」と自分の仕事で精一杯なくらいがちょうどいい。なにしろ私がそうだ。だからこそ私は、あえて家庭内で盛大に仕事の愚痴をこぼすのである。2週間ほど前に書いた添付ファイルの一件も、食卓で話したらセガレに大ウケだった。どんな背中だそれは。





平成二十一年六月十六日(火) 81.4 kg


差別と無差別
BGM : a nod and a wink / Camel



 脈絡なくランダムに手に取った2冊の本に、たまたま共通のキーワードやキー概念が含まれていると、なんだか妙に気になるものである。ひょっとして自分の潜在意識がその2冊を選ばせたのか? 私がこれを読んだのは神の見えざる手によるお導きだったのか? と、そんなことを思ったりもするわけだ。

 片田珠美『無差別殺人の精神分析』(新潮選書)と中島義道『差別感情の哲学』(講談社)は、書名にいずれも「差別」の文字があるとはいえ、とくに深い関連性があるわけではない。バンドのキャメルと煙草のキャメルほどの差はないかもしれないが、少なくとも私は、何かひとつのことを知るためにこの2冊を読んだわけではない。「なんかねえかな」と書店をほっつき歩いて、ただの気紛れで買ってみただけである。

 で、この2冊がその論考の一部として掲げていたのが、「投影」という心理学の概念だった。自分の中の「悪」を他者の中に見出し、それを攻撃したり批判したり否定したりすることによって、自分を正義の側に置いたり浄化したり優越させたりする心の作用が「投影」であるらしい。ウィキペディアは「自己の悪い面を認めたくないとき、他の人間にその面を押し付けてしまうような心の働き」と簡潔にまとめている。要するに、「おまえが言うな」ってヤツでしょうか。片田はこの「投影」が無差別殺人者にしばしば見られると言い、中島は差別感情を生む一因としてこれを挙げるわけだ。

 さて私は何を他者に投影して攻撃しているだろう。続けてこんなものを読むと、そんなふうに考えざるを得ない。とりわけ私の場合、「日本人のホコロビ」なんぞというコラムを書いている。自分のホコロビを他人に押しつけて悦に入っていたりしていたら、すごく恥ずかしいじゃないか。書けば書くほどドツボじゃないか。

 そんなわけで、これまでのネタを見直して自分が「投影」をやらかしていないかどうか検証しようと思ったのだが、辛くなるだけのような気がするのでやめた。投影、やってるに決まってるもんな。投影なしで書けっていうほうが無理だよ。うんうん、無理無理。ぜーんぜん無理。せめて、日本人のホコロビは必然的にその日本人であるところの私自身のホコロビでもある、と肝に銘じておくことにする。

 ところで、無差別じゃない殺人って、差別殺人? いや殺人自体が究極の差別行為だから、言ってることがおかしいか。じゃ、「非無差別殺人」かな。よくわかりません。どうでもいいような気もするが、どうでもよくないような気もする。





平成二十一年六月十五日(月) 81.2 kg うああ。


微力ながら宣伝
BGM : Zii e Zie / Caetano Veloso



 日本視覚障害者サッカー協会から、「周知にご協力を」と日本選手権(およびそれに附随して開催されるフットサル大会)のポスター&チラシが送られてきたのだが、どこに貼ったり配ったりすればいいのかわからないので、とりあえずここで宣伝しておくと、ブラインドサッカー(B1)の第8回日本選手権は7月4日と5日にアミノバイタルフィールド(味スタのサブグラウンド)で開催されるのだった。半年前に寒い寒い仙台で第7回大会をやったばかりだが、今季から全体の競技日程を大幅に変えたのである。夏季五輪とずらすために、いちど冬季五輪が2年間隔で実施されたようなものですね。12月のアジア選手権も同じ会場で行われ、この日本選手権にはそのプレイベント的な性格もあるので、12月にスタンドを満員にするためにも、ここで過去に例がないくらいの集客を実現したい。おまえら、こんどこそ絶対に見に行ってください。

 で、今回は、日本選手権開催中の7月5日に、同じグラウンドでフットサル大会も行われるのである。フットサルで集まったついでにブラインドサッカーも見てちょうだいね、と、そういうわけであるからして、興味のある方はJBFA公式サイトのこのページをよくお読みになった上で、ふるってご応募しろ。 





平成二十一年六月十二日(金) 80.2 kg


ブラックアウトとバックアップの作法
BGM : もしもし、ピアノが弾けますよ / ホッピー神山



 4月に携帯電話、その数週間後にはiPod nanoがいずれもブラックアウトして買い替えるハメになったのだが、すると当然、次に心配になるのは購入から6年半ほど経つeMacである。ずいぶん副流煙も吸い込んでるし、ちょうど大きな仕事が片づいたところで、Macってわりかしそういうタイミングに敏感だからなあ。と思っていたら、ここ数日、ちょっと怪しい雰囲気。FirefoxやiTune等がときどき予期せぬ理由でダウンしやがる。イヤな兆候だよまったく。

 なので、重要なファイルはバックアップをとっておこう……と思ったのだが、それほど重要なファイルって意外と少ないもんだよな。リライトした他人の本の原稿なんてどうでもいい(私がなくしても編集者の手元に残っているだろう)し、読み込んだ音楽はほとんど手元にCDがある。写真だって、デジカメはつい撮りすぎるから、消えてなくなったほうがセーセーするものが大半だ。考えてみれば、「紙」の時代なら10年くらいで保管場所に困って処分するようなものが多いのだから、デジタルだからって無限に保管する必要もないよな。うんうん、気が楽になった。進行中の原稿だけマメにバックアップとればいいや。

 それにしても「予期せぬ理由」って、あらためて眺めると妙な日本語だ。予期できなかったのは「終了の理由」じゃなくて「終了そのもの」だと思うのだが。

 きのうに続いて、また辻井伸行さんの話。前に東京芸術劇場で観たコンサート(そのときもラフマニノフの協奏曲を弾いていた)の指揮者もそうだったし、今朝のワイドショーで見た彼の恩師もそうなのだが、辻井さんをステージのピアノの前まで連れてくる人たちは、どうして後ろから彼の腕につかまったり背中を押したりするのだろう。一般的な手引きの作法とは逆である。視覚障害者にこちらの肘や肩をつかませて前を歩くのが手引きの基本だ。なにしろ「手引き」なんだから当然です。指揮者はともかく、恩師は何年もつき合っているのだから、それを知らないはずはない。だとすると、ステージ上ではあれが正しい作法(ソリストの前を歩くのは無礼)ってことなの?

 いずれにしろ、テレビで映像がバンバン流れると、あれが一般的な「正解」だと勘違いされるのではないかと心配になる。駅とかで見かけたとき、後ろから押しちゃダメだからね。ついでに言っておくと、これは以前SAPIOにも書いたことだが、声もかけずに黙っていきなり腕をつかむのもNGである。ちょっと想像力があればわかることだが、アレはものすごく怖いそうだ。というか、想像力以前にちょっと常識さえあればそんなことできないとは思うが、かなり多いらしい。あと、「大変ですねえ」と泣きながら手引きするのもやめましょう。

 まあ、そういう私も、「ここから階段で〜す」と教えて、「昇りですか降りですか」と聞き返されたりするので、まだまだ半人前ですけども。

 なにかの拍子に新宿ディスクユニオンのプログレ館に迷い込み、数百円で投げ売りされていたのを見て出会い頭で直観買いしたのが、いま聴いている「もしもし、ピアノが弾けますよ」である。ピアノソロ即興一発録り、とのこと。けっこう美しい演奏で気に入った。……で、ホッピー神山って誰?





平成二十一年六月十一日(木) 80.4 kg


見える人に見えないこと
BGM : The Way It Is / Snooks Eaglin



 優勝した辻井さん、結婚への思い“フォルテ”という見当違いも甚だしい見出しを掲げた新聞記事によれば、バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行さんに、共同会見の席で、「1日だけ目が見えたら何がしたいか」と質問した脳内お花畑記者がいるらしい。それ、音楽と何の関係があるんだよ。「1日だけ透明人間になれたら何がしたいか」と訊くのと同じくらいアホな質問。なんで今ここでそれを訊く? もし見えるようになったらあなたの演奏は変わるでしょうか同じでしょうか――という質問なら、いくらか意味はあるかもしれないが。

 だいたい、先天盲の人が急に1日だけ開眼したところで、「見える」ようになるわけではない。視覚を取り戻した(というか初めて得た)場合、たとえば球体と立方体を並べて見せても、どっちがどっちかわからないという。触覚で知っている両者の形と、見た目の形がリンクしないのだ。二次元の像を三次元の立体として把握するなど、視覚をちゃんと使えるようになるには、それなりの訓練というか経験が必要なのである。1日ではどうにもならないだろう。お花畑さんたちは、彼が「おお!世界はこんなにも美しかったのか!」と感涙にむせぶ姿を想像するのだろうが、おそらく「うああああああ!何じゃこりゃあああ!」と錯乱状態のまま終わると思う。中途失明者の場合も、視力が回復したものの見える状態に馴染めず、「気持ち悪いから」といって「見る」を拒絶するケースがあるそうだ。たとえば、本来は人間の耳に聞こえない周波数の音まで全部聞こえるようになった状態を想像すれば、わかるような気がしなくもない。

 といった次第でいろいろあるので、見える人間の勝手な感傷で「見えない」ことを気の毒がるのは謹んだほうがよかろう。「見えるってどんなことかもわからないのに、何がしたいかなんてわかるわけないでしょ」と質問者を嘲笑することなく、両親の顔が見たいと笑顔(あの素敵な笑顔をどうやって身につけたのだろう)で答えた辻井さんはオトナだなあと感心するが、一方、そういうサービス精神がお花畑メディアを増長させ、無理解を広げてしまう面もあろうかと思う。

 と言いつつ、「盲人ブームが来ないかなあ」と下衆な妄想に浸ってしまう私。

 きのう、新規のリライト仕事の注文を受けた。何かと思えば、なんと素粒子理論の入門書だってよ。朝日新聞夕刊コラムの悪口を書くんだったら楽勝だ(著者なしでも書けると思う)が、そういう企画じゃないんだぞ。物理学の話なんだぞ。まあ、数学や生物学の本は書いたことがあるので理系も一応はこなせることになっているのだし、永遠の「プロ入門者」としては腕が鳴る仕事ではある。いつかそういう仕事が舞い込むような予感もあった。しかし不安じゃ。高校時代、物理の授業は8割以上を麻雀の時間にあてていた。ところが愚妻に報告すると、即座に「おもしろそうじゃ〜ん」とのこと。ヘンな女である。著者口述のテープ起こしを楽しんでもらえるなら、悪い話ではない。

 しかしそれは夏の話。まずは今月中にビジネス書を一本、仕上げねばならぬ。先日の添付ファイルの一件(6/3の日誌参照)でモチベーションが急降下した仕事である。その中に「仕事のできる奴はメールの返信が早い」という項目はあるのだが、「仕事のできる奴は開かない添付ファイルを再送しない」というのがなかったのが残念だ。口述中にそんな話が出ていれば、編集者も事前に学習できたであろう。まあ、ビジネス書も想定しないほどのできなさ加減、ということではある。ある意味、ケタ違いのスケール。

 ちなみに、いま聴いているニューオーリンズ出身のギタリスト、故スヌークス・イーグリンも1歳で失明した盲目プレイヤーである。が、別にそんなこととは関係なしに、すばらしく楽しい音楽。というか、ついさっきまで盲人とは知らずに聴いていた私。





平成二十一年六月九日(火) 80.0 kg うひひ。


そっちもこっちもオヤジ系
BGM : Piety Street / John Scofield



 50代のオヤジ向け新雑誌を創刊するサカマキ編集長が、温泉宿紹介記事の資料を私に送り、「サライみたいに書いてくれ」というのだが、私は「サライ」なんか読んだことがないのである。なので、初めて買った。ざっと眺めてみたが、何が「サライ調」なのかよくわからない。とくにどうということもないフツーの文章のようにしか見えないので、とくにどうということもないフツーの文章で原稿を書いて送ると、やがて編集長から返信があり、「さすが! ばっちりです!」とのこと。何かがうまくできたのは喜ばしいことだが、できた理由がわからないのは気持ちが悪い。でも、まあ、いいや。どうせ結果オーライの人生だ。とにもかくにも、どうやら私は「サライみたいな原稿」が書けるらしいです。えへん。

 それにしても「サライ」だよ。ブック・レビューで『バカの壁』が紹介されていたので、一瞬バックナンバーを買ってしまったのかと慌てた。たぶん、「ナウ」にこだわらない雑誌なのだろう。第一特集は「三国志早わかり」。中国文学者の立間祥介さんが登場していたので「おお」と思った。私の大学の同級生のお父さんなのだ。だから何だというわけではないが、妙な偶然である。人はそういうとき「おお」と思う。

 昨日だったか朝日新聞夕刊にピーター・バラカンさんがアラン・トゥーサンの来日公演(ビルボード東京)のレビューをお書きになっていたが、そのステージは私も観た。えらく楽しかった。バラカンさんには座談会の取材で二度ほどお会いしたことがあるし、ニューオーリンズ方面に関心を持ったのはバラカンさんが故・月刊PLAYBOYでジョン・クリアリーを紹介されていたのがきっかけなので、覚えてはいないだろうなあと思いつつ終演後に挨拶すると、「どうもどうも」と気さくに応じてくださった。で、「ジョン・スコフィールドとジョン・クリアリーが9月に来日するの知ってる? え、なに、まだアルバムも聴いてないの? ダメだよアレ聴かなきゃ〜」と教えてくれたのが、いま聴いている「Piety Street」なのだった。激渋のゴスペル・アルバムである。ジョン・スコフィールドのリーダー作だが、鍵盤と歌はジョン・クリアリー全開なので、彼のファンにとってもタマラナイ逸品。あまりに渋すぎだから、ガキには勧めないけどな。なーんつったりなんかしてみたりして。9月が待ち遠しい。





平成二十一年六月八日(月) 81.4 kg


Aリーグ開幕
BGM : In the Heart of the Moon / Ali Farka Toure & Toumani Diabate



 すばらしい勝利に感動し、身も心も打ち震えた週末であった。4.5もあるW杯のインフレ出場枠を勝ち取った代表のことじゃないぞ。セガレの所属する久我山イレブンFCの話である。きのう、杉並Aリーグが開幕した。うまい選手の多かった去年の6年生が前期にBからAに昇格し、後期も降格を免れたので、今年の6年生はそのままトップリーグに残留して次代につなぐのが最大の使命である。つまり、きわめてツラい立場で新シーズンを迎えたってことだ。よく知らないが、6チームぐらいによる2回戦総当たりで、下位2チームがBリーグに降格するらしい。シビレます。

 で、きのうの開幕シリーズは2試合。初戦の対戦相手は朝鮮第九だった。なんというか、子供のスポーツに政治を持ち込むのは大人げないので、あまりあからさまに言うのは控えるが、まあ、オツな相手である。ベンチの監督からの指示がときどき朝鮮語、ときどき日本語だったので、「へえ」と思った。どうやら子供によって使い分けているようだ。選手同士のコミュニケーションは一体どうなってんだろうか。と、そんなことはどうでもいいのであって、前半のキックオフの笛が鳴ると同時に、いきなり朝鮮第九のFWがセンターサークルから放ったテポドンシュートが久我山ゴールの枠をとらえたので、死ぬほどヒヤッとした。あらかじめ監督サンが「最初から来るから準備しとけ!」とGKのセガレに指示を出しておいてくれなかったら、きっとアララララ〜と開始0分の失点を喫したことだろう。なんとか足に当てて弾いたものの、危うく秒殺されるところだったよ。ほんとヤバかったよ。

 前半は押されまくった久我山だが、後半はなぜか反転攻勢。同じ試合とは思えぬ激変ぶりであった。しかしなかなかゴールを奪えず、ヤマムラ君の放ったロングシュートもGKにキャッチされたのだが、どうしたわけか久我山の選手たちが「やったやった!」と飛び跳ねている。朝鮮第九のGKが、ゴールラインの内側(というか外側というか)でキャッチしたらしく、主審がゴールインを認めたのである。ナイス判定! この1点を守りきった久我山が、幸先良く勝ち点3をゲットしたのだった。

 第2試合の相手は、八成FC。数週間前の全日本選手権杉並予選で、2-0から2-3という痛恨の大逆転負けを喫した因縁の相手だ。絶対に負けられない戦いが、そこにはある。ああ、そうだとも。絶対に負けちゃダメだ。ダメよダメダメ、ダメなのよ。

 ところが前半、八成が久我山ゴール前から蹴ったFKをセガレがファンブルし、こぼれ球をねじ込まれて0-1。セガレぇ。頼むよぉ。ちゃんと捕ろうよぉ。父さん、いたたまれないんだよぉ。

 だが、この日の久我山は逞しかった。ジュンペイ君のミドルシュートで同点に追いつき、カウンターを決められて1-2と勝ち越されたあとも、再びジュンペイ君の豪快なロングシュートが決まって2-2の同点。そしてそして、後半も残りわずかとなった時間帯に、第1試合のヒーロー、ヤマムラ君がまたしてもロングシュートを叩き込み、3-2の逆転勝利をものにしたのだった。うおおおおおおおおお。スコアの上でも完全にやり返しやがったよ。これ以上の復讐劇があるだろうか。セガレのミスを帳消しにしてくれたジュンペイ君とヤマムラ君には、もう足を向けて寝られない。それより何より、リーグ戦序盤での勝ち点6はめちゃめちゃ大きいです。朝鮮第九戦でキックオフ時に秒殺されていたら、チームがガタガタになって勝ち点0に終わる可能性もあっただろう。その意味では、セガレもそこそこGJだ。A残留に向けて、好発進である。  





平成二十一年六月六日(土) 81.2 kg


カバー
BGM : Fortfied / New Orleans Juice



 きのう、「あとは巨匠のカバーデザインを待つだけ」といったことを書いた数時間後に、編集部から、そのカバーのPDFファイルを添付したメールが届いた。目にした瞬間に「うほー!」と狂喜。いやはや、なんつうか、とにかくもう、カッコイイとしか言いようがないっすよ。オレは鈴木さんにこういう表紙を作っていただくために書いたのかもしれん!とさえ思った。前回は高橋陽一先生の描き下ろしイラスト、今回は鈴木成一さんのデザインと、表紙にはめちゃめちゃ恵まれた人生である。ありがたやありがたや。帯の文句も素敵で面白い。著者は二流以下だが、編集者とデザイナーは超一流なので、ことカバーまわりに関しては「乞うご期待!」と胸を張って言える。まさに「至らぬところをカバーしてもらいました」って感じですか。この表紙を、取材に協力してくれた選手たちに見てもらえないのが悔しい。





平成二十一年六月五日(金) 81.2 kg


納屋が焼けた
BGM : Open The Next Page / ブラック・ペイジ


 添付ファイルの件で愉快に盛り上がっていたので書くのを忘れておったが、数日前、近所で火事があった。夜11時前に消防車のウーカンカンが聞こえ、「なんだか近そうだな」と思っていたら外がガヤガヤと騒がしくなったので、パジャマ姿のまま慌てて表に出てみると、少し前まで駐車場だった(うちも前に借りていたことがある)土地のあたりで巨大な炎が揺れ、十数メートルの高さまで火の粉が猛然と噴き上がっていた。同じアパートに住むオバサンたちは、向かいの家を指さして「あそこも危ないわよねえ」とか言ってたが、それ、他人事じゃないでしょうに。ちょっと強い風でも吹けば、うちのアパートに火の粉が降りかかってもまったく不思議ではない距離である。しばらくして鎮火したが、うちの前の消火栓にもホースをつないで取水したりしていたので、けっこうドキドキした。あんなに近くで火事が出たのは初めてだ。寝たはずのセガレもいつの間にか起き出して「うわー」とか何とか唸りながら目を輝かせていた。輝かせちゃいけません。地震や台風に比べて火事は日頃リアリティを感じにくいが、こうして目の当たりにすると火はやっぱり怖いよ。ああいうときにすぐ消防隊員の皆さんが駆けつけてちゃんと処理してくれる国って、ありがたいと思いました。とても素直な感想。納屋が焼けただけで人的被害がなかったのは不幸中の幸いだが、この一件も含めて、久我山周辺ではここ10日間ほど不審火が続いているらしい。毎晩、消防車の音が聞こえる。

 本日午前中、幻冬舎に行ってブラインドサッカー本の再校を戻した。一般に、本は書くより読むほうが楽だと思われているフシがあるが、「仕事で読む」は「仕事で書く」よりはるかに大変だと再認識。ゲラ読みって、なんでこんなにくたびれるのでありましょうか。19年前に編集者からライターに転身して本当にヨカッタと思う。ともあれ私のやるべき作業はこれでおしまい。定価や初版部数なども決定し、あとは装幀界の巨匠・鈴木成一大先生がいかなる魔法をかけてくださるのかを、ワクワクしながら待つばかりである。もろもろ順調に推移すれば、今月中には店頭に並ぶ予定。書店には、村上春樹以外の本も売っているのです。1Q84効果で、本屋に足を運ぶ人が増えたりしないもんかなあ。








平成二十一年六月三日(水) 81.2 kg


音を立てて踏切が
BGM : Moodoo with Page McConnell / Porter Batiste Stoltz



 Mac OSXになって以降、添付ファイルをめぐる対Windows問題はほとんど発生していなかったのだが、久しぶりに呆れるほどバカらしい思いをした。当事者が読むかもしれんが、えーい、かまうものか。

(1)一昨日、編集者A氏(48歳ぐらい)から本の構成案が届いた。アイコンがのっぺらぼうなので、どんなソフトで作成したファイルなのかもわからず、当然、どうやっても開かない。さては誰もが持っているわけではないややこしいソフトを誰でも持っていると思い込んで使ったのかと思い(昔はよくそういうことがあった)、「単純なテキストファイルか何かで再送を」とメールで依頼。

(2)再送メールが届く。アイコンがのっぺらぼうなので、どんなソフトで作成したファイルなのかもわからず、当然、どうやっても開かない。っていうか、さっきと同じファイルだよコレ。「再送」ってそういう意味じゃないんだよ。なんか違うことしてくれよ。頼むよ。

(3)茫然としていたら、追伸メールで「開きましたか?」と返信の催促。いや、だからさぁ……と、ややイラッと来たのだが、ここは「踏切踏切」と自分を抑える。以前A氏から届いたWordのファイルは問題なく開けたので、「以前のファイルと同じようにするか、それができないならメール本文にコピペでもいいです」と伝えた。

(4)構成案を貼りつけたメールが届く。「ワードで創って特別なことはせず、添付してるだけなんですが、よくわからないのでコピーします」とのこと。

(5)とりあえず読めるので一件落着だが、今後のことを考えると、Wordのファイルが開けないのは困る。で、開いた過去のファイルと開かない今回のファイルを見比べると、拡張子が違った。開くのは「.doc」で、開かないのは「.docx」である。バージョンアップか何かで、形式が変わったのだろう。でも、きっと保存時に「.doc」も選択できるに違いない。そう思ったので、先方に、「.docx」では開かない旨を伝えた。ここまでが一昨日の話。

(6)昨日、A氏から別の資料が添付ファイルで届いた。のっぺらぼうのアイコン。拡張子は「.docx」。

(7)頭の中で、遮断機が粉々に砕け散る音が聞こえた。

(8)なぜ、「開かない」と言っているファイルを二度も三度も送るの? 「次はうまくいくかも」と思っているの? ファイルに出来不出来があるとでも? あのさ。缶詰めや瓶詰め送ってんじゃねえんだから、ひとつ開かなきゃほかのも開かねえんだよ!

(9)……とはさすがに書かず、「きのう、docxのファイルはこちらでは開けないと申し上げましたよね?」と書いて返信。

(10)docに変換したファイルが届く。なんだ、やればできるんじゃないか。

(11)ファイルは開けたが、メールの文面を見て頭頂部が噴火。「docで創った企画書が開かないというメールだったので、docxにしましたが、docに戻したものをあらためて送ります」と言うのである。

(12)つまり「おまえが指示を間違えた」と、そう言いたいのだな?

(13)この「つくった」を「創った」とするような編集者にあるまじき文字遣いについては大目に見てやろう。でも、せめて、人の書いた文書はちゃんと読みやがれ。

(14)自分の送ったメールの該当個所をコピペして、「そんなことは申し上げていません。これこのように、docxでは開けないと申し上げました」と書いて送る。

(15)「すみません、私の勘違いだったようです」との返信。

(16)「ようです」だと? なぜ「勘違いでした」と言えぬ。

(17)と思ったが、ここから先は打ち合わせではなく説教になってしまうので、もうやめた。できることなら、この仕事そのものをやめたい。読解力のない編集者のために原稿を書くほど虚しい仕事があるだろうか。

(18)どうやら、Word 2007 で作成した文書 (docx) ファイルを旧バージョンのWordで開くには、「2007 Office System 互換パック」とやらが必要であるらしい。ああ面倒臭い。そんなものを入手するのに手間暇かけるのは絶対にイヤなので(使いもしないWordを買っただけでも私にしては相当な譲歩なのだ)、今後は何人たりとも私に「.docx」のファイルは送らないように。

 私はふだん、Jeditというテキストエディタで仕事の原稿を(この日誌も)書いている。Wordだの一太郎だのといった鈍臭いワープロソフトは使っていられない(それを使ってどんな良いことがあるのかわからない)ので、それらの扱い方はよく知らない。知ろうともしていない。送稿の際、相手がJeditのファイルを「開けませーん」というときだけ、WordかMac標準装備のテキストエディットに変換して送る。一方、編集者から送付されるファイルはWord文書であることが多いのだが、たまに改行コードか何かがひっかかって難儀な思いをすることもある。Windowsに関してはまったく無知なのだが、Macのテキストエディットに相当するプレーンなエディタって付いてないわけ? そんなワケないよな? なんでみんなそんなにWordが好きなの? ひょっとして、文書ってWordでしか作成できないと思ってない?

 








平成二十一年六月一日(月) 82.0 kg


いつも心に踏切を
BGM : Shady Grove / Jerry Garcia & David Grisman



 5月の減量(目標80キロ)は大失敗に終わったのだった。ヒマだったがゆえに夜遊びが過ぎ、終盤にビールばっかガブガブ飲んだのがいけない。天気が悪くて、あんまり歩かなかったしな。まあ、原因ははっきりしているのだから、戦い方は容易に修正できる。ビールを飲むな、たくさん歩け。増えてしまったので目標設定に迷うところだが、あくまでも今月は79キロを目指す。

 このあいだ踏切のことを書いたが(5月27日の日誌参照)、愚妻からその話を聞いたセガレにまで「父さん、なんで踏切だけイライラしないの!?」と驚かれてしまった。そんなに日頃からイライラしているのか私は。「だって踏切って、どんなに文句言ったってしょうがないから、諦めがつくじゃないか」と言うと、「ほかのことだってそうじゃん」と言い返された。このところ、セガレはわりと言い返しやがるのである。反抗期の始まりかもしれない。日本対ベルギーの終盤、敵陣でFKを得た内田が早いリスタートを選択して敵の足元にパスを出しやがったので、「そもそも時計を進めりゃいい時間帯に早いリスタートなんかすること自体がアホだろうが。それでもあえて早く始めるなら決定的なチャンスを作ってこいよバカ野郎」とか何とか罵ったときも、セガレに「ほら、踏切踏切」と窘められてしまった。今後しばらく、イライラするたびに、妻子が「カーン、カーン、カーン、カーン」と言いながら私を黙らせるのが流行りそうな雲行きである。やけに暗く写ってしまったが、写真は通勤途中に渡る井の頭線の踏切。この向こうに、春は桜並木がきれいな神田川沿いの遊歩道がある。前回の日誌で「左右の赤い目玉」と書いたが、あれって「上下」だったのね。したがって「目玉」にも見えないのだった。なんてアテにならない私の観察眼。