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電源部分がイカレたので修理屋に出していたeMacが、変わり果てた姿で帰ってきた。7年前に買ったもので、修理代が中古品の価格を上回ってしまうし、いずれにしろ同じ故障が発生する可能性が高いというので、ハードディスクだけ取り出してもらい、それ以外は処分したのである。要するに寿命ってことか。たぶん、あのマシンで50冊くらい書いている。「お茶ズボ」や「嫌いな日本語」も、あいつの生産物だ。どうも、お疲れ様でした。 さて、救出されたハーディスクも劣化が激しくてそう長くは持たないらしく、外付けでいつまでも使うわけにはいかないので、とりあえずMacBookにテキスト関係のファイルはコピーしたものの、写真とか音楽とかは入りきらない。まあ、要らないっちゃ要らないわけだが、どのみち、このままMacBookを仕事の主力マシンにするわけにもいかんから、またiMacか何か買わないといかんのである。近いうちに楽器(大バス・リコーダー)を買おうと思っていたのだが、そんなもんにカネ使ってる場合じゃなくなってきた。
それに加えて、おシャカになったマシンの半年後くらいに買った自宅のeMacも電源部分がイカレてきており(何度か押さないと起動しない)、いつご臨終を迎えてもおかしくない状態。さらに言うなら、結婚直後(15年前だよオイ)に買った冷蔵庫もヤバい雰囲気だというし、セガレの誕生直後(12年前だよオイ)から乗っているクルマもいい加減アレだ。そういやテレビも2011年までにはアレしないといかんのだよな。うー。アレもコレも、本が売れないと、どうしようもない。結局のところ、言いたいのはそれだけだ。
短いパブ記事を一つ書いた以外は原稿を書かず、本もほとんど読まず、久しぶりに文字っつうもんから離れていた1週間だった。火曜日は実家で過ごし、水曜日は妻子と昭和記念公園のプールで遊び、その夜はフロムワンの岩本編集局長&すずき編集長と吉祥寺で飲み、木曜日は取材で桐蔭横浜大学のオープンキャンパスを訪れ、金曜日はセガレのサッカー観戦(3試合で2勝1分け失点ゼロ)、土日はブラインドサッカー代表合宿の取材。3日連続、炎天下のグラウンドに立ち続けたのは堪えた。こんなにお日様の下で過ごす時間の長い人生になるはずではなかったのだが。ちなみに妻子は今日も友人母子といっしょに昭和記念公園に行っている。元気で何より。
![]() 拙著「闇翼」の終盤に、井上暢浩さんという元選手が登場する。彼の凄まじい半生については本で読んでいただきたい。国内屈指のストライカーでありながら、病気でピッチを離れざるを得なくなった名プレイヤーだ。その井上さんがご結婚されたのは、昨年のことだっただろうか。「闇翼」発売直後には、奥様がご懐妊中との知らせを受けていた。本を読んでくれた奥様からは、「夫がサッカーをやっていたなんて大昔のことのように感じますが、この本のおかげで、お父さんがサッカー選手だったことを子供に証明できます」とのメールを頂戴した。これから自分の「読者」が生まれてくるのかと思うと、とても不思議で、とても嬉しかった。それと同時に、本の果たす役割の重さと深さも思い知らされた。ドキュメンタリー作品は、生身の人間を素材にする。その重さは執筆中にも感じてはいたし、そのせいで立ち止まってしまったことも一度や二度ではないけれど、本当に自分が書いたことの意味を知るのは、これからなのかもしれない。 数日前、その井上さんから、ご長男誕生の一報が届いた。よかった。ほんとうに、よかった。かなりのハイリスク出産だったらしく、奥様は産後にも手術を受けたとのことだが、どうやら危険な状態は脱したようだ。これから3人で、大事に、大事に、あたたかい生活を築いていってもらいたいと、切に思う。そしていつか、息子さんが書いた読後感想文を読みたいものである。
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紹介が遅くなってしまった(私もさっき気づいた)が、発売中の週刊新潮に「闇翼」の短い書評があるので、よろしければご一読を。友人の厚意によるものである。ありがたやありがたや。これまで書評や紹介が掲載されたメディアは、日刊ゲンダイ、SAPIO、中日新聞(東京新聞)、日本経済新聞、週刊現代、CALCiO2002、週刊新潮。なかなかの反響だと思うし、書評が出るたびにamazonの順位がポンと上がる印象はあるのだが、重版はかかりませんね。本を売るのは大変だ。
周回遅れのお盆休み気分で、妻子を連れて小金井の実家へ。父が高校野球の北海道代表チームを熱烈応援しているのを見ると、夏だなあと思う。最終回に逆転されてガッカリだ。武蔵小金井駅前のイトーヨーカドーでバイキングを喰い、セガレはおじいちゃんに野球のグローブを買ってもらった。もっと早くに始めればGKのキャッチングがもっとうまくなったはずだが、ともかく、これでようやく「息子とキャッチボール」ができる。これをやらなきゃ、ニッポンの親父になった気がしない。中学生になってからでは遅すぎる。間に合ってよかった。
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ワールドサッカーキング編集局長の岩本義弘さんが、ご自身のブログとスポナビのブログで、「闇翼」を紹介してくださった。書評に加えて著者の人物評にもなっているような感じで、自分がそんなふうに見守られていたことがありがたいやら照れくさいやら。たぶん、私にとってのこの仕事の意味を一番よく理解してくれていたのが、岩本さんだったのだろうと思う。ブラインドサッカー関係者には、「取材前夜」の私のことが意外に感じられるかもしれない。
土曜深夜(日曜未明)に小学館新書のリライト原稿をフィニッシュ。その前の祥伝社新書が遅れまくった影響でこちらもえらく迷惑をかけてしまったが、とりあえず一段落である。今月後半は少しのんびりできそうな気配。これから石垣島に行きたい気分だよまったく。
![]() というわけで、きのうは八王子でブラインドサッカー関東リーグを観戦。ものすごい日射しで、寝不足の身にはきつかった。初戦の「チェルシー対リバプール」は、実は先月の日本選手権で燃え尽きていたT.Wingsが、チームのネジを巻き直す時間が足りなかったらしく、ふがいない戦いぶりに終始。試合前には「ワンツーやりますよ」と豪語していたが、ハッサーズの機敏かつ堅牢な守備の前にワンツーのワの字も出せず、アブディンの豪快な2発を食らって轟沈である。試合後、「ご期待に添えなくてすみません」と私に謝ってくれた選手もいたが、チーム事情を知らずに勝手にコラムやブログで煽った私がいけませんでした。 しかしT.Wingsは2試合目の山梨キッカーズ戦で6ゴールと、その攻撃力を見せつけてくれた。ひとりで4得点(だったかな)のエース加藤は、リカルドばりのヒールショットも決める余裕まで見せたのだった。かっちょいい。あと、その加藤が左サイドから出したラストパスが逆サイドの南にばっちり通り、それを南がきれいに決めた6点目は鳥肌モノ。サッカーらしいリズムと、このチームの志の高さを感じさせるファインゴールでありました。その試合の前に行われたウォーリアーズ対山梨は、佐々木の活躍で3-2とウォーリアーズが辛勝。晴眼者エースの13番(すみません、まだ名前を知りません)にかなりの得点力がある山梨は、侮れない存在である。
試合会場には、日本選手権でハマった私の友人のほか、SAPIOの飯田編集長も奥様ご同伴で足をお運びくださり、ありがたいことである。また、私の本を読んで興味を持たれたという日本経済新聞論説委員の方ともお話することができた。いずれ記事にするつもりだとのこと。自分の本がきっかけで少しでも注目度が高まれば、こんなに嬉しいことはない。
掲載誌をまだ見ていないが、発売中の『CALCiO 2002』9月号(フロムワン)に、「闇翼」の書評があるはず。編集長は、伝説のアホバカ連載コラム「お茶の間にルーズボール」(略称お茶ズボ。な、なつかしい)の担当者だった、すずき君だ。編集も書き手もラツィオファンだったもんだから、カルチョ雑誌でもないのに(それは月刊サッカーズという雑誌だった)「パンカロネタ」で1ページ作ってしまうなど、ずいぶん無茶をしたっけね。そんなすずき君も編集長となり、いつの間にか若〜いお嫁さんもゲットしたそうで、ちょっと見ないあいだにずいぶん立派になったモンである。
そんなワケで、温情による書評掲載ではあるが、イタリアサッカー専門誌に「ブラインドサッカーの情報」が載るというのも、なかなかに画期的なことではなかろうか。表紙がデル・ピエーロで、中にはブラサカ。欧州サッカー好きの関係者は、記念に一冊お買い求めになるといいかもしれない。雑誌の売り上げに貢献できれば、ちっとは恩返しになりますし。そういえば、先週の「週刊現代」でもノンフィクション作家の北島行徳さんが書評を書いてくださったのだが(こっちはコネじゃないぞ)、もう読めませんね。台風騒動で紹介し忘れた。
きのう大慌てで書いて送った原稿がもうアップされているのだから、ウェブ連載はおそろしい。ゲラとかそういう悠長なものはないのである。で、そのSOCIOの闇翼コラム3回目にも書いたとおり、今週の日曜日に八王子でブラインドサッカーの関東リーグが開幕する(詳細はコラム内のリンクをたどればわかる)。私の知り合いには、日本選手権でカトケン(T.Wingsの24番)やトモさん(ハッサーズの5番)のプレイにグッときたという人が何人もいたが、その両者がいきなり初戦で当たります。わーお。王者アヴァンツァーレへの挑戦者決定戦、といったところだろうか。イングランドのプレミアリーグになぞらえるなら、第1節からチェルシー対リバプール、という感じ。ロケットスタートのリーグ戦、こりゃあ見逃せないですぜ旦那。
![]() 朝の更新時に書き忘れていたので追加。今日8月12日は、私にとって、ちょっとした記念日である。3年前のこの日に、初めてブラインドサッカーの試合を見た。「闇翼」の序章に書いた、日本代表の壮行試合だ。足かけ3年の取材活動の中で、この日付だけは、どういうわけか忘れたことがない(けさ書き忘れたのは今日が11日だと錯覚していたからだ)。たぶん、直前までカレンダーのその日付に何度も何度も目をやり、「大阪まで行こうか行くまいか」と迷っていたから覚えているのだろう。いまとなっては不思議だが、そのときは、そもそもこの競技の取材を始めるかどうかを決めかねていたのだ。関係者をひとりも知らない世界に単身で飛び込んでいくような取材は経験がなかったし、自分にできるような気もしなかったのである。あと、「自腹で新幹線に乗る」にためらいを感じたのも正直なところ。その後の3年間で移動にどんだけ自腹を切ったか考えると、われながら笑える。 最終的に「行く」と決めた心境がどんなものだったのかは、はっきり覚えていない。ここで動かなければライター人生に二度と「転機」は訪れないかもしれない――なんてことを考えたような気もする。朝早くにひとりで新幹線に乗ったときは、初めて出社する新入社員のような居心地の悪さを味わった。「行くのはいいけど、オレはそこで何すんだ?」である。 行った先で見たことについては、本の序章に書いたとおりだ。試合終了後、私はスタンドから降りて、おずおずとフィールドに向かった。それまで単なる「観客」として見ていたのは、たぶん、「つまんなかったらやめよう」と思っていたからだろう。試合を見る前に関係者に挨拶してしまったら、引っ込みがつかなくなるような気がしたのだ。 最初に名刺を渡したのは、ピッチの外にいたJBFA理事の田中重雄さんだった。「アルゼンチン組」には入っていなかったので、そのときは彼がプレーヤー(しかも代表の正GK)だとは知らなかった。後日、日本選手権のビデオを見て彼がファインセーブをビシバシ決める姿を見たときは、ほんとうにビックリした。 これから取材でお世話になりたい旨を告げると、重雄さんは「じゃあ関東の理事を紹介します」と言って、JBFA副理事長の石井さんを連れてきた。意外なことに、汗をびっしょりかいたユニフォーム姿の人だった。さっきまで関東選抜の一員として試合に出ていたのだ。動揺した。取材の窓口は目の見える人だろうと思い込んでいたからだ。「いきなり見えない人かよ〜」と思った。 目の見えない人と話すのは初めての経験なので、とても緊張した。墨字の名刺を渡すだけでも、「こんなもの渡していいのだろうか。見えない人に対して失礼ではないのか」と冷や汗をかいた。でも、石井さんがくれた名刺も墨字だけで点字はなかったので安心した。別れ際、石井さんに「じゃあ何かあったらメールください」と言われ、「はい、ありがとうございます」と答えて、長居球技場を後にした。しばらく歩いてから「メールって……どうやって読むんだ?」と首をかしげた。点字で印刷でもされるのかと思った。後日メールを出してみたら、ふつうに返信が届いた。その時点でも、仕組みはわからなかった。パソコンの読み上げ機能の存在や、点字の読める視覚障害者は全体の1割程度だといったことを知るのは、もっと後のことである。 翌月には八王子で代表合宿があり、そこで初めて風祭監督に挨拶した。数週間後には、神戸まで行ってインタビューもした。監督に1時間ほど話を聞くだけのために日帰りで神戸に行ったのだから、なかなかの熱意である。その時点で、すでに「この仕事に関しては金に糸目はつけない」と腹をくくっていた。10月には神戸の合宿に足を運び、選手たちに初めて声をかけた。みんなちょっと無愛想な表情だが、名前を呼ぶとニッコリ微笑んでくれる。近づいただけで愛想笑いをしてくれるわけがないという当たり前のことを、そのとき学んだ。一緒に地球の裏側まで行ったのは、その1ヶ月後だった。
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この3年間、毎日のようにJBFAのサイトをチェックし、取材予定を決める上で頼りにしてきた。私にとっては、取材の道標のような存在だった。どんな情報も見逃すまいと、隅々まで読んだ。いまや、そこに自分の著書の紹介やコラムが掲載されている。万感胸に迫るものがある。
きのうの午後、やっと空席待ちの順番(整理番号は1184〜1186)がまわって来て、東京に戻れた。4泊5日の予定が、結果的に6泊7日。聞けば台風9号がこっちに来ているそうで、「羽田に降りられないので引き返しま〜す」にならなかったのは不幸中のマンモスラッキーである。あやうく8号と9号のスカイラブハリケーンを食らうところだった。石垣島に仕事は持っていったものの、キャンセル待ち状態でそんなに捗るはずもなく(セガレと将棋はずいぶん指したが)、溜まりまくった原稿を前に茫然自失の月曜日。しかも仕事場のMacが旅行前日に故障した(電源スイッチを押してもウンともスンとも言わぬ)ので、旅行に持参したMacBookをそのまま仕事場に持ち込んで書いている。かなP。 ところで土曜日の決勝戦だが、正GK(というかチーム唯一のGK)不在の久我山イレブンは0-3で敗れ、残念ながら準優勝に終わったとのこと。代役GKの子(本来はFW)には、たいへん気の毒なことをした。まあ、われわれも十分に気の毒な目に遭ったが。
本日は全便欠航。帰れまへん。 明日の決勝でセガレの代わりにGKやる人、 どうか頑張ってください。オレたちも頑張るから。
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私の母の旧姓は「高桑」という。四角四面で退屈な「岡田」より非凡な感じがするので、子供の頃は「そっちのほうがよかったなー」と思ったものだ。だって、なんつうかこう、F1レーサーとかフラメンコギタリストとかになれそうなイメージないですか。 という私の勝手な思い込みはともかくとして、世界水泳の日本代表に高桑健という個人メドレーの選手がいる。タカクワケン。4つのスタイルで泳げるわりには、ちょっと不器用そうな名前だ。黄色いハンカチとかも好きかもしれない。 この高桑選手が私の母と血縁関係にあることを知ったのは、つい昨日のことだった。私は母の実子なので、母と血縁関係にあるということは、当然、私の血縁でもあるわけだ。で、どういう関係かというと、「母のイトコの子」である。遠いな。ものすごく遠い。私は母方の祖父母にさえ会ったことがない(生まれたときには死んでいた)ので、オフクロのイトコなんか知らんがな。 でも、それで顔がうちのセガレと似てたりしたら可笑しいよな。と思って検索してみたのだが、出てきた写真はセガレと似ても似つかぬものだった。私の知っている親戚縁者に、こんな顔の人はいない。そのヤケに前向きな耳の遺伝子はどこから来たのじゃ。 しかし、どうも関係性がピンとこないので、「イトコってのは親のきょうだいの子だからぁ……」とブツブツ言いながら系図を書いてみたら、私と高桑健クンは同じ「曾祖父母」から派生したということなのだな。ほう。母のイトコの子は、あんがい仲間っぽい。ちょっと親近感が湧いてきた。ならば応援しようじゃないか。 と思ったら、もう7位でレースを終えたらしい。どうやら北京五輪は5位だったようで、それを下回る残念な結果だったようだ。ちょっと血縁関係があるだけで、「世界のファイナリストなんだから十分すげぇよ」と思えるのが不思議ですが。どうも、お疲れ様でした。よかったら、「親御さんのイトコの子」が書いた本も読んでみてください。
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ちなみに、私の母はカナヅチである。
すでに「石垣島に仕事を持っていく」が不可避の情勢である。出発は3日の朝だが、残り枚数を考えると、よほどの奇跡(突然デビルマンに変身するとか)が起こらないかぎりほぼ絶望的。まあ、持ってけば済むなら持ってけばいいだけの話だ。3年前のブエノスアイレス出張以来、「ホテルで仕事」がめちゃめちゃ捗らないことは誰よりも私が一番よく知っているわけだが、捗らないのは仕事場でも同じこと。家族の監視があったほうが、かえって捗る可能性もないわけではない。
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いちいちここで宣伝するのはあんまりみっともいいことではないので気が引けるものの、これは私ひとりの商売ではないので、なりふり構ってはいられない。きのうは日本経済新聞夕刊の読書欄で、スポーツジャーナリストの二宮清純さんが「目利きが選ぶ今週の3冊」の1冊に「闇翼」を挙げてくださった。ありがたき仕合わせである。5年ほど前に何度かインタビューでお目にかかったことはあるのだが、まさか名前を覚えていてくれたってことはないよなあ。また、本読みの記録というブログも、心の中で手を合わせながら拝読。いくつか細かい事実関係の勘違いはあるようですが、それは本を読めばわかることなのでいいです。そんなことはともかくとして、著者や競技関係者との人間関係上のしがらみは一切なく、仕事でもないのに(つまり一銭にもならないのに)、「直感で手に取った」本についてこうして長文の熱っぽいレビューを書いてくれる読者の存在ほど、書き手を勇気づけるものはない。
ブラインドサッカー日本代表メンバーブログで、トモさん&ミノさんが共に「雨」の話をしている。さすが、先日のつくば合宿で仲良くスカイラブハリケーンの練習をしようとしていた九州男児コンビだけあって、息が合っとりますなあ。あのときは、「じゃあ、オレが下になる」と言ってピッチに寝そべったミノさんがケナゲだった。でも危ないからやめときなさい。トモさんはホントに飛びかねないんだから。そんなことより、ミノさんには早く右足の故障を治していただきたいものである。というわけで、8月の代表合宿は八王子で行われるとのこと。近くてありがたい。
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体重70キロ台は一瞬のことだったが、まあ、そんなもんである。それに、考えてみると、身長180センチの私は81キロを切るとBMI(体重÷身長の2乗)が25未満になる(つまり「肥満」ではなくなる)のだった。ちなみに「標準値」は22で、私の場合は71.28キロとなる。ふざけた判定基準だ。無理に決まってんだろバーカ。だからアメリカ人の考えることなんかアテにできないっつうんだよ。でも、いまの私は肥満ではないということだけは言わせてほしい。もちろん、ヒマでもないぞ。もう今月も29日なんだぞ。すっげえヤバいんだぞ。
今月の減量目標は78キロで、しかし現実は81キロ前後をうろうろしていたので、もはや減量作戦自体がどうでもよくなっていたのだが、きのう、なぜかストンと80キロを切った。このところ昼飯は抜いておらず、暑いため通勤に電車も使っている(つまり歩いていない)しビールも飲んでいるので、意味がわからない。もしかして、急に気が向いて聴き直しているベン・フォールズの音楽には減量効果でもあるのだろうか。あるいは先週、仕事とカラオケで二度も徹夜したのが効いたのだろうか。後者だとすると、それは「効果」ではなく「ダメージ」と呼ぶべきかもしれないが、まあ、何であれ減ったのはめでたい。再び「年内に75キロ」を目指す気持ちになってきた。
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きのう、終わった仕事の資料を編集部に送り返そうと、近所のコンビニへ行った。ゆうパックの着払い伝票と荷物をレジで渡すと、若い女の店員が伝票の「お届け先」を指さして「都道府県はどちらかおわかりになりますか?」と訊くので、「え、東京都ですけど」と答えた。たしかに私は都道府県名を書いていなかったが、「千代田区神田神保町」で始まる住所がどこだかわからんのかー。佐賀県か鳥取県あたりのコンビニで訊かれたならともかく、ここ東京だぞオイ。「昭島市」とか「あきる野市」とかは知らなくても許すけど、23区の名前ぐらい知っててください。
発売から1ヶ月が経ち、「闇翼、売れ行きはどうスか?」と訊ねられることの多い昨今なのであるが、そういう数字は著者にわかるものではないので答え方に窮する(というか、こっちが訊きたい)ものの、書評はぼちぼちと散見されるようになった。中日新聞・東京新聞では大住良之さんが「研ぎ澄ませた感覚を頼りに」と題した文章を寄せている。サッカージャーナリスト界の先駆者が「スポーツ・ドキュメントとして引き込まれた」と書いてくださったのは、この競技にとってすばらしいこと。先日ここで紹介した「SAPIO」の書評も選手たちの「アスリートとしてのかっこよさ」を読み取ってくれていたし、「エンタメ・ノンフ辺境探検作家」の高野秀行さんのブログも、「著者がブラインドサッカーを、完全にスポーツとして捉えて書いている」ことにノンフィクション作品としての新しさを見出してくださっているようだが、それはもちろん私の手腕ではなく、選手たちのおかげである。また、ボランチノートという一般ブロガーの書評も嬉しかった。ああ、ちゃんと届いてるなあ。届くべき人のところにはしっかり届いてるよオイ! 商売としては広く届けねばイカンが、まずはこうして深く届くことが大事だよな。うんうん大事大事。というわけで、まだお買い求めになっていない方は、これらの書評を読んで、読みたくなってください。
昨晩は、大久保駅近くの中華料理店で挙行されたJBFA事務局主催の宴会に参加。ブラインドサッカー日本選手権の打ち上げ(兼アジア選手権への決起集会のようにも感じられた)である。実行委員、ボランティア、選手などが賑々しく集まって、たいへん愉快だった。すでに拙著をお読みの方もいらして、読者から直に感想や意見をうかがえるというのは実に有り難い機会。聞けば、選手権会場のアミノバイタルでは2日間で約40冊、展示会を行ったイデアフレイムス表参道ヒルズでは1週間で約30冊も売れたんだとか。あちこちに置いていただけると聞いたときは「人はそう簡単に本なんか買わないからなぁ」と思っていたので、ビックリだ。事務局長の松崎さんはじめ関係者の熱意と念力と営業力の賜物である。きのうの宴会場では松崎さんに命令されて10冊ほどに「深川峻太郎こと岡田仁志」という妙なサインをしたためたが、その場でも何冊か買っていただいた。ひたすら感謝。
2次会にふらふらとついていくと、みんながぞろぞろと入っていったのは新宿のカラオケ店だった。私以外はおおむね30歳前後で、その爆音と声量と勢いにタジタジ。次から次へと知らない歌が繰り出されるなかで、「襟裳岬」と「主人公」では少しだけオヤジの意地を見せられた気もするが、「オマエらうるさいんだよ(笑)!」とカラオケ店で叫んだのはたぶん生まれて初めてのこと。というか「深夜3時に『リンダリンダ』をぴょんぴょん飛び跳ねながら絶唱する全盲の人」を初めて見ました。それがどの代表選手だったかはあえて書かないが、この業界は本当に意外性に満ちている。それが楽しくてやっている。だからって始発までつきあうことはなかったとは思うが。
ビジネス書の加筆原稿はきのうの夕刻にやっつけて、こんどこそ脱稿。まだOKの連絡はないけれど、もう知りません。とっとと頭の中を次のテーマに入れ替えて発進しないと家族旅行に間に合わない。家族旅行に間に合わないのはとてもマズい。返す刀で、「食事と健康」についての新書に取りかかる。ふと、「なんでこんなに字ぃ書いてばっかの人生になってしまったのであろうか」と遠い目になったりもするが、まあ、いまさらどうしようもない。どうしようもない。どうしようもない。
きのう徹夜で仕上げて送った書籍原稿、「内容はよくまとまっているが分量が足りない」とのことで、20ページほど加筆を求められてしもうた。あらまあ。いや、私も正直、こりゃギリギリかなあとは思ってたんだけどね。ギリギリ以下でした。反省。いまやある種の本には「中身が少ないほうが喜ばれる」という(ポテトチップス業界ではまず考えられないがアルバムに曲を詰め込みすぎるミュージシャンには見習ってもらいたい)奇妙なトレンドが生じており、20年ほど前は400字換算で300枚だった最低ラインが、本のスカスカ度が増すにつれて、280枚でオッケー、いや250枚でも十分……と徐々に下がり、最近は薄い新書が多いこともあって、230枚程度でも大丈夫なケースが出てきた。そこで今回は「もうちょい下げられるかも」と、思い切って230枚割れにトライしてみたのだが、許してもらえなかったっつうわけだ。250枚ぐらいはほしいらしい。人生、甘えちゃいけません。世の中には「200枚割れ」の本もたくさんあると思うんだけどね。これ、150枚まで下がったらホント楽だろうなあ。ブツブツ。
諸般の事情でなかなか集中できず、七転八倒でのたうち回り、ぐじゃぐじゃとこじれまくっていたビジネス書の原稿を、今朝、ようやく片づけた。あれは去年の秋頃だったか、「もう徹夜はしない」などとここで誓ったような記憶があるが、まあ、無理な相談である。原稿に「寝るのも仕事のうち」とか書いたのは、今朝の6時ぐらいだった。やれやれ。ビジネス書って、常に自分を棚に上げて書いている。
![]() 本日発売の『SAPIO』が拙著の書評を掲載してくれた。誠にかたじけない。とても嬉しい読み方をしていただき、「伝えたいことが伝わった幸福」を噛みしめている。そう。私もその選手のその言葉を聞いたときは、身も心も震えるほど「かっこいい!」と思ったのだった。読み方は読み手に委ねるべきなので、書き手はあまりこういうことを書いてはイカンと日頃から思ってはいるのだが、つい書いてしまった。
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さて、次号用のコラムを書かねば。
恥ずかしながら、SOCIO(ソシオ)ブラインドサッカー公式ファンサイト(およびブラインドサッカーアジア選手権2009公式Webサイト)におきまして、ややドサクサに紛れつつ、ブログ風味のコラム「はばたけ、闇翼たち!」の連載がスタートしやがりましたのでお知らせいたします。初回はなんと!豪華2本立てですぜ奥さん。いやはや、なんとも、異例の出血大サービスだ。こう見えて、オレも大変なんだよ。マジで目から血ぃ出そうだよ。あれはたしか、大久保駅前のJBFA事務局に自著の見本を届けた日だったと思うが、事務局長の松崎さんとウダウダ世間話をしているうちにうまいことノセられて、よく考えもせずにホイホイと引き受けたのだった。しかし月2回のペースを維持できるかどうか不安じゃ。だってほら、ウェブの連載って、発売日とかそういうの別にアレだし。アレって何でしょうか。
といった次第でして、会員専用コンテンツではないので誰でも読みたければ読めますが、ちっとは会員増に貢献しなけりゃ私もあっちのギョーカイでの立場ってモンがないわけであるからして、もちろん会費(寄付金)がコラムの購読料だと思ってもらっては困るけれども(私にはビタ一文入りません念のため)、ブラインドサッカーを見たことがあろうがなかろうが多少なりとも興味や関心や愛着や敬意や下心(ん?)さえあればかまわんから、どしどし入会してほしいぞ。会費はと〜ってもリーズナブル、手続きはベリー、ベリー、イーズィーだ。さあ、エブリバディでトゥゲザーして、ナイスな徳をアキュムレートしようぜベイビー!(あまりにアレコレ気忙しくて錯乱中)。
来週の月曜日(13日)から、イデアフレイムス表参道ヒルズというところで、ブラインドサッカーの展示会が開催されるとのこと。詳しくはこちらで。いろいろなグッズといっしょに、私の本も置いてもらえるようです。ブラインドサッカーもさることながら、このお店自体も楽しそうだな。なんとか足を運ぶ時間を作りたいものだが。
![]() Amazon.co.jpから、「以前に深川峻太郎の『キャプテン翼勝利学』をチェックされた方に、岡田仁志の『闇の中の翼たち ブラインドサッカー日本代表の苦闘』のご案内をお送りしています」とのメール。これはまたご丁寧にどうもすみません。しかしサイト上では何とも思わないのに、なぜかメールだと「呼び捨て」にされたような心持ちになるのが不思議だ。しかも二度にわたって。
そういえば、さすがにもう慣れたものの、本ができた当初は、そこに自分の本名が入っていると「商品」に見えなくてヘンな感じだった。自分の名前が入った物って、子供の頃から、基本的に「自分の持ち物」だからなあ。これが落とし物や忘れ物として届けられた場合はオレんとこに戻って来るんじゃねえのか、と、そんな感覚。
ある人に原稿を添付ファイルで送信したところ、Macのテキストエディット(1.3)で作成した「rtf」と「txt」のファイルでは届かず、Word(doc)だと届いた(添付ファイルなしのメールもふつうに届く)。前者は添付ファイルだけが届かないのではなく、そのメール自体が届かない。戻ってもこない。どこかに消えてなくなってしまう(だから相手は私が締切を守らなかったと思ってしまう)のである。念のため、同じ「txt」ファイルを愚妻に送ってみたら、ちゃんと届いた。謎だ。不気味だ。何者かによる陰謀の臭いさえする。締切を守れなかった私が「え? おっかしいなあ。3日前に送りましたけど?」と嘘をついている可能性を指摘する声も聞こえてきそうだが、そ、そんなことはねえよ。う、う、嘘なんかついてねえよ。いやマジでマジで。研究している暇もないが、一体全体どゆことなんでしょうかコレは。
![]() さて、仕事はあらゆる面で不調だ。集中できず、頭も回らない。「文月」なのになあ。これも誰かの陰謀だろうか。っていうか、いつもと同じことのような気もするけどね。おまえはいつ集中して、いつ頭が回っているというのか。うう。こ、答えられません。8/3からの家族旅行が決定しており、これだけは絶対に待ったなしなのだが、それまでにモロモロ片づくのだろうか、どうなのだろうか。他人事ながら心配だ。ゴーストの仕事って、微妙に他人事。なんてことは、決して人前で言ってはいけません。
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amazon.co.jpでは、拙著『闇翼』をイビチャ・オシム『日本人よ!』とあわせて買うことをススメている。ふうん。でも『日本人よ!』のページでは『闇翼』をあわせて買えとは言っていない。ふうん。まあアレか、ボスニア・ヘルツェゴビナ人が「日本人よ!」を書くことはあっても、日本人が「ボスニア・ヘルツェゴビナ人よ!」を書くことはあり得ないのと同じようなことか。いや、ちょっと違うか。何はともあれ、こうして「サッカー本」として認知されるのは喜ばしいこと。
ブラインドサッカー欧州選手権(EURO 2009)は意外な結果になった。こっちも欧州では「無敵艦隊」だったはずのスペインが、準決勝でイングランドに(しかも3-2という派手なスコアで)敗れて3位。そのイングランドを決勝戦で(これも3-2という派手なスコアで)下したフランスが優勝である。見たかったー。すげえ見たかったよー。2007年の夏、日本が1-0で下したスペインは、すでに「終わりの始まり」だったのだろうか。なんだか寂しい。各試合のゴールのうち何本が第2PKだったのかが不明なのでよくわからないが、スコアを見るかぎり、フランスとイングランドはやけに得点力が増した感じ。それにしても、「北京パラ不出場国が地元開催の大陸別選手権で優勝」というのは、なかなか縁起がよろしい。スタンドもさぞや盛り上がったことだろう。日本もぜひ、12月にフランスと同じことをやろうではないか!
週末は天候に恵まれ、アミノバイタルフィールドで激しく日焼けした。いろんな人に「深川さん、真っ赤っかですよ」と言われたが、なんで私だけこんなに赤くなるのかよくわからない。ともあれ、ブラインドサッカー第8回日本選手権(7月4〜5日)で優勝したのは、5試合でたしか19点(失点ゼロ)という圧倒的な破壊力と堅守を見せつけたアヴァンツァーレ。準優勝はラッキーストライカーズ福岡であった。決勝は後半から登場した田村友一にハットトリックを決められて3-0の差がついたものの、2トップがいずれも脚に故障を抱えながら準決勝のT.Wings戦を1-0で辛勝して初のファイナリストとなった福岡の健闘が光る大会でありました。決勝戦の後半、三原健朗が左サイドから蹴ったクロスを森良太がダイレクトで完璧にとらえて放ったシュートは、もし決まっていたら大会のベストゴールになったことだろう。06年世界選手権のアルゼンチン代表を思わせるようなプレイ。ものすごく惜しかった。東高西低の傾向が強まるなかでの福岡の活躍は、ブラインドサッカー界にとっても喜ばしいことである。 個人的には、「死のグループ」(B組)の1位たまハッサーズと2位T.Wingsの2試合が面白かった。初日のグループリーグはスコアレスドロー、2日目の3位決定戦は黒田智成のゴールでハッサーズが先制、加藤健人の同点ゴールで1-1、モハメド・オマル・アブディンの決勝ゴールで2-1という、手に汗握る展開。いずれも完璧にボールをジャストミートした、力感あふれる美しいゴールだった。ブラインドサッカーの凄味と面白さを凝縮したような2試合だったと思う。チームは惜しくも4位に終わったものの、T.Wingsのキャプテンとして強烈な存在感を示し、いくつもファインゴールを決めた「カトケン」には、敢闘賞的なものを差し上げたい気分です。 自慢話をひとつ。初日のウォーリアーズ戦で、ハッサーズの黒田智成が、敵ゴールに背を向けた状態でヒールショットを撃とうとして一瞬だけ右足を小さく振り上げ、しかし「やっぱやめた」と反転してからシュートを放ったことに気づいた観戦者は、おそらく私だけだろう。試合後、本人に確認したら「あ、わかりましたぁ? 実はそうだったんですよ〜」と嬉しそうだった。むふふ。さすがだな私。背後にDFがいるのでやめたそうだが、あれは観客へのサービスとしてトライしてほしかったなあ。 もっといろいろ書きたいことはあるが、なにしろ忙しい。拙著を読んで会場に足を運んでくださった方々、会場で拙著を購入してくださった方々に、御礼を申し上げます。そして何より、すばらしい大会を見せてくれた選手および関係者の皆様に感謝。どうもありがとうございました。そして、お疲れ様でした。次はアジアだ!
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さて仕事仕事……と思って今朝出勤したら、ヴィヴァルディ「四季」の「冬」ほか、いくつかの譜面が速達で届いていた。なぜそんなものが届くかというと、イエロー・バロック・オーケストラ(YBO)という出版業界人のアマチュア楽団にリコーダー(おもに大バスでヴィオラのパートを吹くらしい)で加入することになったからだった。ああ忙しい。でも、仲間に入れてもらえてひじょうに嬉しい。が、アルト記号の譜面って生まれて初めて読む。大丈夫だろうか私。
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