■最新刊



闇の中の翼たち
ブラインドサッカー日本代表の苦闘
 (岡田仁志/幻冬舎/1500円+税)






8月の日誌

扉(目次)

深川全仕事

大量点計画

江戸川時代

メ ー ル

平成二十一年九月三十日(水) 82.0 kg


1年続いた
BGM : Speaking of Now / Pat Metheny Group


 小学館の「SAPIO」という雑誌は月2回刊で、年間22回発行。なんだか計算が合わないことになっているが、むかし私が関わっていた祥伝社の「微笑」という雑誌も隔週刊でありながら年間24回しか作っていなかったと記憶しているので、まあ、そういうものだ。雑誌には「合併号」という休暇捻出システムがあるんである。同じ祥伝社の「新鮮」(私が入社する前に廃刊になっていた)なんか、月刊誌なのに年10回しか作っていなかったらしい。いや11回だったかな。どっちにしろ、編集部には「1ヶ月休み」があったそうで、たいへん図々しいシステムである。

 前置きが長くなったが、「日本人のホコロビ」は本日発売の10/21号が21回目。途中、2ページの番外編が一度あったので実質22回目、つまり連載1年ということである。さしたる反響もないまま1年続いたというのは、なかなかに感慨深い。「闇翼」の作業も同時進行しており、精神的にはけっこうシンドイ1年だった。まるでノリが違うからね。「岡田」と「深川」の頭を切り換えるのに、かなり苦労した。そういえば先日、「闇翼」を読んでくれたブラインドサッカー関係者に「本人の雰囲気と文体が全然ちがいますよね」と言われたが、コラムのほうを読むと「本人の雰囲気」と合っているのだろうか、どうなのだろうか。たぶん、どっちも違うんだろうな。よく「文は人なり」というが、決してそんなことはない。「文は人でなし」が私の持論だ。そうじゃなきゃゴーストライターなんかやってられないっつうの。

 ともあれ、ブログ読者のなかには、「どうせここと同じことしか書いてないんだろ」と穿った見方をして、「SAPIO」のコラムを読んでいない者が大半だろうと(私もまた)穿った見方をしているわけだが、実際はほとんどが新ネタなので(たまには流用もあるが)、「SAPIO」のほうも読むように。ちなみにSOCIOの闇翼コラムのほうも、きのう5回目がアップされた。こちらは「岡田名義でやや深川ノリ」なので、書いててちょっとヘンな感じ。






平成二十一年九月二十九日(火) 81.8 kg


立ちくらみ
BGM : Nina Simone Sings the Blues / Nina Simone



 このところ、どういうわけか立ちくらむことが多い。「立ちくらむ」って動詞はないかもしれないが、とくに、ソファに横になって本を読んだ後などにクラ〜っとなる。ちょっぴりキモチよかったりもするのだったが、この「立ちくらみ」の原因というページによると、「転倒して怪ケガをする危険性がありますので、注意が必要」とのこと。「怪ケガ」は原文ママであり、そういう意味ではこのサイトを信用していいのかどうか迷うところだが、まあ、立ちくらみ自体で死ぬことはなさそうだ。安心安心。原因は「低血圧」「貧血」「自律神経失調」のいずれかであるらしい。どうやら老化現象ではないようだ。この中だと「自律神経失調」がいちばんカッコイイよね。「最近ちょっと自律神経のほうがアレでして……」とか言ってみたい。なんかこう、エスタブリッシュメントなステイタスってやつを感じませんか。感じねえよバカ野郎。自律神経失調で現に苦しんでる人に怒られるから、そういうことは言わないほうがよろしい。

 あるいは、仕事のために物理学系の本ばかり読んでるのがいけないのだろうか。難しい本を読んだとき、人はしばしば「めまいがする」と言うけれど、それが比喩ではなく現実に起きているのかもしれない。いずれ勉強の成果を原稿にするわけだが、読むだけで立ちくらむんだから、自分で書いたらどうなるのか心配である。超ひもの飛び交う10次元空間に入ってしまったらどうしよう。たぶん、どうしようもないわな。「めまいのしない素粒子物理学入門」が書けたらいいのだが。しかし私はその前に、狂言関係の本を書かねばならないのだった。素粒子がなければ狂言も(というかこの世界が)存在しないのでまったく無関係ではないとはいえ、書くジャンルがあまりに遠すぎて、めまいがする。






平成二十一年九月二十八日(月) 81.6 kg


学校とか学習会とか
BGM : School of the Arts



 土曜日に、セガレが来春入学する予定の区立中学校の学校説明会に足を運んだ。「小6の息子がいる」というと、必ず「中学受験は?」と訊かれる昨今だが、ウチは「受験してどんないいことがあるのかよくわかりませ〜ん」というタイプの家庭なので、もう訊かないでください。「いいことはない」と言っているわけではなく、「わからない」と言っているだけである。したがって、べつに中学受験一般を否定しているわけではないので、勘違いしないように。どんないいことがあるのかわかるご家庭は、どんどん受験させればよろしいかと存じます。(※追記:じゃあ公立中学にどんないいことがあるのか書くのを忘れており、それはいろいろあるのだが、とりあえずは「お金がかからない」「地元の友達がたくさんいる」「満員電車に乗る必要がない」の三つを挙げておけば十分であろう)

 とはいえ「公立中サイコー!」とか思っているわけでは全然なく、それなりに不安や心配はある。もっとも、不安や心配が一切ない学校があるとしたら、それは教育施設ではなくカルト施設じゃないかとも思うわけだが、ともあれ、校内をうろうろし、説明会を聞いたかぎり、意外なことに(という言い方もアレだが)不愉快なところが見あたらない学校だった。制服がなく、校則もなく(ごく常識的な生徒心得はあるらしい)、生徒の自治を大事にするという触れ込みで、生徒会の役員諸君はわりとおっとりした感じ。要は都立高校みたいな雰囲気である。都立高校を知らない人には何のことだかわからんと思うが、うちは私も愚妻も都立高出身なので、わりかし共感できる。去年できたという吹奏楽部がピッカピカの楽器で「ラプソディ・イン・ブルー」を聴かせてくれ、その丁寧で実直な演奏にも好感を持った。男女比が1:3ぐらいなのは、ちと寂しかったけれど。チューバも大柄な女の子が吹いていた。

 ちなみに杉並区の公立中学校は、「つくる会」の扶桑社版歴史教科書を使う。ビミョーな話題である。社会科の教師がそれを使ってどんな授業をするのかが興味深いところ。モンスター・レフティ・ペアレンツが不穏な動きを見せたりするかもしれないしなぁ。なんかワクワクする。授業参観日があるのなら、ぜひ、日本近現代史の授業を見せてほしい。もちろんコラムのネタにしたいからだが、そのために公立に行かせるわけではありません念のため。

 きのうの日曜日は、日帰りで西明石。国立神戸視力障害センターで、JBFA育成部の学習会を取材。おもに初心者に何をどう教えるべきかというテーマの会議で、とても勉強になった。3年取材しても、まだまだ知らないこと、わからないことはたくさんある。終了後、代表選手の落合さんも顔を出すというので、いっしょに大阪城公園まで足を伸ばし、大阪ダイバンズの夜間練習を見物……するつもりだったのだが、「見てるだけ」が許されるはずもなく、前代表選手の山口さんに「深川さーん、声出しお願いしまーす」と容赦なく招集されて、グラウンドでお手伝い。ボールも何度か蹴るハメになり、「ブラインドサッカーの取材に革靴で行ってはいけない」ということを今更ながら学んだ。砂で真っ白になってしまいました。晴眼者の女子選手がとても上手にドリブルしていたので驚く。新大阪21時20分発の最終で落合さんといっしょに帰京。彼らといっしょだと、介助者も割引料金で乗れるのでありがたい。介助ったって肩を貸すだけだし、ほっといても1人で帰れる人たちなので、やや申し訳ない感じですが。

 聴いているのは、デイヴ・ウェックルやジョン・パティトゥッチなどが顔を揃えたユニットのアルバム。私はその2人しか知らなかったが、スティーヴ・モーズという人のアコースティック・ギターやジェリー・グッドマンという人のヴァイオリンが美しくからむ好演。山下広告事務所(友人がやってるジャズ・フュージョン系バンド)にトライしてほしい感じの曲がいくつもあるぞ。 






平成二十一年九月二十五日(金) 81.6 kg


たまには読んでる本の話でも
BGM : Vu-Du Menz / Corey Harris & Henry Butler



 池内了『ノーベル賞で語る現代物理学』(新書館)という本を読んでいる。著者自身もノーベル賞に憧れた第一線の研究者のようだが、語りがうまく、とても面白い。まあ、私にとってはようわからん話が多いのではあるが、素粒子や超ひも理論の入門書をいくつか読んだ結果、こういう本を読みながら、たま〜に「ほほー、そーゆーことか!」と感動できるようになったのが嬉しい今日この頃である。科学は楽しいよ。もし生まれ変わったら、理系の人生を歩んでみたい。もうじき今年のノーベル賞が発表されるはずだが、ようやく去年の小林さんと益川さんと南部さんの受賞の意味が(おぼろげに)わかったので、生まれて初めて、どんな研究に「物理学賞」が授与されるのかに興味を持っている。著者によれば、「物理学の世紀」だった20世紀に対して、21世紀は「生物学の世紀」になりそうな雲行きらしいが、私は今、「がんばれ物理学!」という気分。平和賞とか文学賞とか、どうでもええわ。

 サイドストーリーもふんだんに盛り込まれた本で、キュリー夫人が夫の死後に不倫してたとか初めて知ったが、そんなことより面白いのは、「革新的な理論の提唱者は次世代の革新的な理論にあんがい不寛容」ということだ。たとえば「光が曲がる」とか「光速に近づくと時間が遅れる」とかワケのわからんことを言い出したアインシュタインは、「粒子の位置は確率でしか語れない」という量子論のワケのわからなさを「神様はサイコロ賭博をしない」と受け入れられなかった。また、未知の粒子(中間子)の存在を大胆に予言した湯川秀樹は、分数の電荷を持つ粒子(クオーク)の存在を予言する大胆な理論を「そんな中途半端な粒子があるわけがない」と一蹴したという。どちらも、今となってはちょっとカッコ悪い。やんちゃな人が他人のやんちゃを受容するのは意外に難しいということか。今後、「仕事のできる上司できない上司」的なビジネス書をゴーストする機会があったら、使えそうなエピソードである。ちなみにこの場合の「使える」は、「行数が稼げる」とほぼ同じ意味だと思ってよろしい。もちろん『ノーベル賞で語る現代物理学』は、行数稼ぎ不要な充実の一冊。なるべくなら、そういう仕事をしたいものである。  






平成二十一年九月二十四日(木) 82.2 kg


少しの音楽とたくさんのサッカー
BGM : 8 Concert Etudes / Nikolai Kapustin



 忙しい連休であった。

19日 千駄木でYBO(イエロー・バロック・オーケストラ)の練習。5時間。

20日 下高井戸でセガレのサッカーを観戦。区民体育祭の準々決勝(対杉並アヤックス)はPK戦となり、GKのセガレが3本防いだ(2本は止めて1本は念力で外させた)ものの、味方がなぜか1本しか決められずに敗退。夕刻、池袋サンシャインシティ噴水広場でブラインドサッカーのイベント(釜本邦茂さん&名波浩さんも参加)を見物。多くの買い物客が見守る中、ステージ上で模範演技をする代表選手たちが「ちゃんとトラップできますように」と客席で祈る。ちゃんとトラップできてヨカッタ。夜、大塚のブラジル料理店で友人のバンドのライブ。終演後は2時半までカラオケ。帰宅するのが面倒なので、大塚駅前の東横インに1泊。

21日 朝、十条駅で愚妻と待ち合わせ、朝鮮高校グラウンドでセガレのサッカーを観戦。「ナルゲ(翼)カップ」なる日朝韓の国際親善大会。校舎内で部活の高校生たちが奏でる民族音楽が流れ、あちらこちらで朝鮮語が飛び交い、テント内で保護者たちがチヂミとか焼いている敷地内は、まさに異国。パスポート・チェックなしで入れたのが不思議なくらいだった。日本勢同士の第1試合は大勝したが、完全アウェイの朝鮮第9との第2試合は0-3で惨敗。でも、朝鮮チームとのアウェイ戦なんて、滅多に経験できないこと。夜、八王子のフットサル場でブラインドサッカー日本代表の自主練習のお手伝い。取材に来たテレビ局のスタッフにいろいろ解説しつつ、サイドフェンスがないので久しぶりにヒトカベをやった。人手が足りず、1人で20メートル分を担当。トモさんのすばやい切り返しに振り回されてクタクタ。23時過ぎまで選手たちと飲む。

22日 昼から下高井戸でセガレのサッカーを観戦。前日のナルゲカップの続き。朝鮮第5との試合はPK戦となり、セガレが2本止めて勝利。朝鮮チームとのPK戦を制したのは得難い経験。とてもえらい。15時半から21時まで、参宮橋の国立オリンピック記念青少年総合センター内会議室でブラインドサッカーの未来を考える会議に参加。21時から23時までは懇親会で飲む。

23日 吉祥寺で買い物。サッカーシューズを購入。セガレのではなく私の。11月の久我山イレブン親子会で履くのだ。お父さんたちのゲームでGKをやらせてもらおうと思っているのだが、キーパーグローブも買ったほうがよかっただろうか。軍手じゃみっともないもんなあ。ともあれ、ゴールキック&パントキックの練習をせねばならぬ。

 それにしても特筆すべきはセガレの「逆PK職人」ぶりである。試合中のゴールキーピングはきわめて不安定なのだが、PK戦に関しては、6年生になってから3勝1敗。その1敗も敵は2本しか決めていない。4度のPK戦で8本か9本ぐらいセーブしているのだから大したモンだ。とはいえ反射神経で止めているわけではない。セガレの戦略は「威圧および恫喝」である。両腕を広げてキッカーを自信満々に睨みつけると相手はなぜか枠を外し、蹴る前に「さあ来い!」と大声を出すと(まるで投手が捕手に投げ込むように)真ん中に蹴ってくれる。PKは心理戦なので、じつに正しい戦い方である。あとは、蹴る前にボールに近づいて位置にクレームつけたりするとさらに相手の失敗率が高まると思うが、それはあまり小学生らしくないのでやめたほうがいいかも。

 ところで、一昨日の会議でもそうだったのだが、まだ「闇翼」を買っていないブラインドサッカー関係者から「ぜひ読みたいんですが、本屋さんで買えるんですか?」と訊かれることが多くて戸惑う。えーと、これは本なので、本屋さんで売ってます。たぶん、八百屋さんでは買えません。もしかして、通販でしか入手できない入門テキストみたいなものだと勘違いされているのだろうか。そのへんのことが、どうもよくわからない。






平成二十一年九月十六日(水) 81.8 kg


芸術と食欲と学問の秋
BGM : The Electric Light Orchestra



 理由を書くと愚妻に叱られるので書かないが、昨年10月以降、夫婦2人で映画館に行くと合計2000円で見せてもらえるというのは、なかなかに有り難いことである。しかし近頃のアメリカ映画はそれでも「高い」と思える代物ばかりで、『天使と悪魔』はギリギリ面白いと思える出来だったけれども、『路上のソリスト』とか『サブウェイ123』とか、つまんなかったよなあ。というわけなので、きのうは(セガレが月曜から2泊3日の移動教室に出かけていることもあって)銀座で日本映画を観た。堺雅人主演の『南極料理人』。私が大好きなタイプの日本映画だった。堺雅人、いいよね。こういう「間」と「をかしみ」って、アメリカ人にはたぶんわかんないんだろうなあと思うわけだが、ともあれ、劇場を出るやいなや、無性におにぎりかステーキかラーメンのどれかを食いに行きたくなる映画である。なので、鑑賞後は銀座5丁目のグレープ・ガンボで肉をむしゃむしゃ食った。食い過ぎた。

 帰宅後、ビデオデッキに溜まっていた「LOST」シーズン5を見始めたら、3時まで夜更かししてしまった。放っておくと、われわれ夫婦はこうなるのである。セガレが生まれる前は、ほぼ毎日そんな感じだった。日頃の規則正しい生活とそれがもたらす健康は、セガレのおかげなのだ。ありがとうセガレ。

 ともあれ、「あー、またメンドクセーことになってやがるぞオイ」とボヤきながらも観るのをやめられないのが「LOST」である。アメリカは映画よりTVドラマのほうが面白いかも。今シーズンは、島の時空が歪みまくったりなんかして、ますますえらいことになっている。私は最近、相対性理論や量子力学や素粒子物理学や超ひも理論の入門書を読み漁っているのだが、もしかすると「LOST」は、そっち方面の知識があるとより深く楽しめるのかもしれない。まだ知識が身についていないからアレだが、現代物理学によれば光は波であり粒でもある。電子も粒子性と波動性を兼ね備えている。だとすると、このドラマは「島は物質波である」的な話なのではないか。そして行き着く先は多世界解釈だ。自分が何を言っているのかサッパリわからないし、きっと見当違いだが、そんなことを言ってみたくなる今日この頃。

 聴いているのは、ELOのファーストアルバム。一昨日、吉祥寺のディスクユニオンでふと目にとまって買ったときは意識していなかったのだが、考えてみりゃ、ELOといえばビートルズである。さんざんビートルズを聴いた後に聴くと、そのフォロワーっぷりが実に微笑ましくて面白い。おー、よしよし頑張れ頑張れっていう感じ。








平成二十一年九月十四日(月) 81.4 kg


スポーツと音楽の秋
BGM : Magical Mystery Tour / The Beatles



 前日に日本ユース代表の鳥居健人君からご案内のメールをもらったこともあり、金曜日に、東京2009アジアユースパラゲームズのゴールボール競技(国立代々木第2体育館)を観戦した。健人君は06〜07年のブラインドサッカー代表選手だが、盲学校の部活で毎日のように練習できることもあり、いまはゴールボールのほうがメインになっている。若い視覚障害者アスリートは各競技間の奪い合いだ。ブラインドサッカーのファンとしては「惜しいなあ」と思うが、若いうちにいろんな競技をやるのは、たぶん良いこと。いずれまたサッカーに戻って華麗なドリブルを見せてくれることを願っていますが。

 ゴールボールの説明は前にも書いたことがあるので省略。ひたすらシュートとディフェンスを交互に繰り返す競技(10分ハーフ)である。ある試合の最後の5分間に勘定してみたら、一方のチームの攻撃回数は23回。観客は、1試合に両チーム合計で200本程度のシュートを見続けるわけである。シーンと静まりかえった場内でそれを見ていると、なんというか、ちょっと「酔う」ような感じがあったりする。まあ、午後1時から6時まで延々と5試合も見続けたせいもありますけどね。ヒマなのである。

 この日の日本はイラクに4-3、マレーシアに10-6で勝ったものの、おそらくここでもライバルなのであろう韓国との緊迫した一戦は1-2で惜敗。何の競技だろうと、目の前で日本が韓国に負けるのはとても悔しい。韓国はセンターの巨漢選手の守備が堅かったが、ユニフォームのサイズが合わないのか、身を挺してボールを止めるたびにシャツがめくれて腹と背中が見えるのがイヤだった。視覚に障害のある選手がプレイしているからこそ、身だしなみには気をつけたほうがいいと思う。と、負けた腹いせに言っておく。会場で健人君に聞いたところ、男子は「イランが強い」とのこと。その言葉どおり、3日間の日程を終えて、イランが優勝したらしい。2位はタイ、日韓が3位だったようだ。健人君、銅メダルおめでとう。

 夜は歌舞伎町。高校時代の同級生たちとベトナム料理。卒業以来の友人に「岡田に会うのはちょっと怖かった」と言われた。自分はすごく会いたいと思っていたものの、私のほうはさほどではないかもしれないと思ったらしく、それを彼は「オレの片思いじゃないかと思ってさ」と表現していたのがキモチ悪かったです。しかし当然ながら、私も彼にはとても会いたかった。なので、ひじょうに嬉しく楽しかった。自分が会いたいと強く思う相手が自分に会いたいと思っていないことって、男女間以外ではあり得ないと思うのだが、そんなことないのだろうか。

 土曜日は夕刻まで家で笛の個人練習、夜は千駄木のスタジオでイエロー・バロック・オーケストラの合奏練習4時間。まだアルト記号には慣れておらず、譜面には「ミ」とか「シのフラット」とか恥ずかしげもなく書き込んであるのだが、きのう新たなリコーダー五重奏の譜面が配られたので見てみたら、こちらはテナー担当で譜面はト音記号。混乱に拍車がかかりそうである。そもそも私はユーフォニウム&トロンボーン歴が長く、「ヘ音記号の譜面でベー管の楽器を吹く」に馴染んでいるのであり(そのためへ音記号のシのフラットを「ド」と認識しがち)、ふつうのト音記号さえ苦手というわりかし珍しいタイプの楽譜弱者なのだった。でも頑張ります。

 日曜日はクルマで山梨へ。ブラインドサッカー関東リーグ第3節の観戦である。恥ずかしながら、ひとりで高速道路を走るのは生まれて初めての経験だったので、ちょっとドキドキした。でも無事に行けた。3試合のうち、いちばん面白かったのはアヴァンツァーレ対ウォーリアーズの一戦。後半途中まで0-0だったが、残り10分でウォーリアーズが先制。アヴァはここからエース田村が登場して猛攻を始め、逆転は時間の問題と思われたが、ウォーリアーズ守備陣が感動的な集中力と勇気を見せて守りきったのだった。マイアミの日本対ブラジル(アトランタ五輪)を思い出させるような終盤だった。

 帰路はえらい渋滞。行きは2時間だったのに、帰りは4時間かかった。「ひとりで渋滞」も初めてだったが、あれは地獄のようなストレスである。車内にアビーロードを大音量で流し、大声で歌ったりした。「オレはいま猛烈に立ち上がりた〜い!」と叫んだりもした。人間、ひとりだとロクなことをしないというのが私のかねてからの持論だが、渋滞中はますますロクなことをしませんね。しかし途中から「これをコラムのネタにしてやろう」と思ってからは少し気が楽になって渋滞を楽しめるようになった。愚痴や不満を飯のタネにできるのが、この商売のよいところである。で、本日がそのコラムの締切。3日間よく遊んだので、真面目に働くことにする。






平成二十一年九月十日(木) 82.0 kg


応援団長を応援する秋
BGM : Abbey Road / The Beatles



 旧CDを聴いていないのでリマスター効果がどの程度のモンなのか私には判断しかねるものの、冒頭のクリアな「シュッ」一発だけでグッときてしまった。「Come Together」、カッコええなあ。この曲や「I Want You」あたりが、とりわけリマスターで輝きを増すような気がする。となると「Don't Let Me Down」を聴いてみたいところだ。あとでパスト・マスターズを買いに行こう。制作者の思う壺である。結局は「ボックス買っときゃよかった」になりそう。

 きのう家でアビーロードを聴いていたら、愚妻が高校時代を思い出していた。クラス対抗の合唱祭で「Because」を歌わされたそうだ。「惨憺たる出来映え」だったらしい。 反対を押し切って強引に選曲した指揮者クンの気持ちはわからんではないが、まあ、無茶ですわな。しかし、そういえば私も中学時代、クラス対抗の合唱コンクールで指揮者を務め、「アメリカン・フィーリング」(サーカス)を推す多数派の声を無視して『出発の歌』(上条恒彦&六文銭)をやったことがある。出来映えは悪くなかったが、イヤなことを思い出してしまった。

 来月、小学校最後となる運動会で、セガレは赤組の応援団長に決まったとのこと。ゆうべ、とても嬉しそうに報告していた。「太陽の色はなんだ〜!」「赤〜!」「体を流れる血の色はなんだ〜!」「赤〜!」的なコール&レスポンスをリードしたりするんである。セガレは声はデカいが足が遅いので、運動会で目立とうと思ったらコレがいちばんなわけだが、なんでそんなことしたいのか父にはよくわからない。合唱の指揮者と運動会の応援団長では、かなり志向が異なると思う。でも、まあ、がんばって燃え尽きてくれたまへ。






平成二十一年九月九日(水) 81.6 kg


30前のあの日の夕方
BGM : Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band / The Beatles



 リマスター盤の発売日を待ちかねたように買いに走るほどのマニアではないものの、ちょうど吉祥寺に行く用事があったし、ビートルズナンバーの大半はカセットテープ(しかも中学時代にNHK−FMの「軽音楽をあなたに」をエアチェックしたやつ)でしか聴いたことがなく、CDはレット・イット・ビーとホワイトアルバムしか持っていないので、タワレコに寄って買ってきた。つってもボックスじゃないぞ。やや迷ったが、とりあえずサージェントペパーズとマジカルミステリーツアーとアビーロードの3枚だ。このへん持ってないっつうのはロックファンとしていかがなものかという話だから、まあ、よかろう。誰になぜ言い訳しているのかよくわからない。で、早速サージェントペパーズを聴き始め、いま「When I'm Sixty-Four」が始まったところ。当たり前なんだろうけど、クラリネットの音が異様にきれいに響いております。なにしろ比較の対象が30年前のFM放送 on カセットテープなんだからアレだが、なるほど、こういうアレンジだったのね。持ってた人が買い直すほどの価値があるのかどうか私にはわからんが、いままでCD買わずにいてラッキー、と思わせるには十分な代物でありましょうな。

 そうこう言ってるあいだに、「A Day In The Life」が終わった。30年前にエアチェックしたテープは、最後の「ガイ〜〜〜〜ン」の前が一瞬途切れていたことを思い出した。女性パーソナリティの喋りを入れずに曲だけ録音したかった私は、しかしこの曲をそのとき初めて聴いたのでどこで終わるかわからず、曲がブレイクした瞬間に「ここだ!」とストップボタンを押してしまったのだ。「ガイ〜〜〜〜ン」を聴いて慌ててまた録音ボタンを押したが後の祭り。夕暮れ時の薄暗い部屋の隅で、がっくりと膝をついた記憶がある。それ以降、「ジャージャージャージャーッ(ぶつっ)イ〜〜〜〜ン」で終わる「A Day In The Life」を何百回も聴いて育つことになった。When I'm fifteenの失敗を、45歳でようやく取り戻した気分。生きててヨカッタ。

 一昨日あたりに、SOCIOのコラム4回目がアップされましたので、よろしかったらご覧ください。これを含めて、このところ短い原稿ばかり書いている。短い原稿は、書き始めさえすれば終わるのがよい。先週末から昨日までは、『時感』でオヤジバンド特集を企画したサカマキ編集長が次から次へと頼んでくるアンカー原稿20本ノックを受けていた。まあ、いっぱいありますわ。オヤジバンド。で、『SAPIO』のほうは本日が発売日である。なぜか今回の「ホコロビ」は妙に家族のウケがよく、セガレは「今まででいちばん面白かった」とか生意気なことをぬかしておったが、どうなんだろうか。家族の評価をアテにしてもしょうがないが、ほかに拠り所がないのがこの仕事の悩ましいところだったりもする。






平成二十一年九月七日(月) 82.0 kg


東京JAZZと小説すばる
BGM : Mothership Connection / Parliament



 土曜日の午後、東京国際フォーラム(ホールA)で「東京JAZZ」を鑑賞。3日間5ステージのイベント中、たぶん、もっとも賑やかなプログラムだっただろうと思う。

(1)神保彰 featuring エイブラハム・ラボリエル、オトマロ・ルイーズ and very special guest リー・リトナー
(2)ジョン・スコフィールド and the Piety Street Band
(3)東京スカパラダイスオーケストラ
(4)ジョージ・クリントン & PARLIAMENT / FUNKADELIC

 私のお目当ては、無論ジョン・クリアリー含みの(2)。それが聴きたくてチケットを買ったら、あとでPファンクがついてきて超ラッキー、という成り行きであった。ま、「超アンラッキー」と感じた客もいたでしょうけどね。じっさい、ジョージ・クリントンが登場した途端、呆然とした表情で席を立った年配客が何人もいた。

 神保サンは、相変わらずデオドラントな80年代フュージョン全開。考えてみると、私は「動いている神保彰」をこれまで見たことがなかったのだが、なるほどアレがいわゆる「千手観音」かと感服。MCがやけにプロ司会者っぽく、要はドラミングも含めて全体的にハキハキした人なのだなと思った。

 で、「デオドラント」や「ハキハキ」の対極にあるのが次のステージだったので、対比がおもしろかった。スタート直後は「コンサートホールで聴く音楽じゃないかも」と思ったが、曲が進むにつれて、ジョンスコのギターとクリアリーのピアノ&オルガンが醸し出す「行間の味わい」がじわじわと会場の空気を(とても良い意味で)汚してゆき、私はえもいわれぬ恍惚感に酔い痴れたのだった。

 なので、「この後でスカパラとか聴きたくねえよな〜」とは思ったのである。しかし私はスカパラの音楽をまともに聴いた経験がないので、何かをひどく誤解している可能性もあろう。読みもしない本や聴きもしない音楽を悪く言うのは、正しくない。

 と思って席に着いたのだが、1曲目が始まるなり深く後悔した。立ち上がって踊りまくるファンもいたことを公平を期すために書き添えておくけれども、私にとっては、ちがう意味で「スカ」のパラダイス。ブロードウェイ・ミュージカルの後に、小学校の学芸会を見せられたような気分である。つまり、それまでの2ステージが台無し。もちろん見識を問われるのは音楽祭に大道芸人を呼んだ主催者だが、おまえらも断れよスカパラ。私にそれを言う資格はないかもしれないが、ときには仕事を断る勇気を持とうよ。だって無理じゃないか。リー・リトナーとジョン・スコフィールドの次に登場するのは無理だろどう考えても。

 そんなわけで、2曲半で我慢が限界に達した私は、同行した友人と顔を見合わせて席を立ち、スカパラが終わるまでロビーでワイン飲んだりジョージ・クリントンの派手なTシャツを買ったりしてのんびり過ごしたのだった。ステージ上の演奏者に失礼だとは思うが、仏頂面で拍手もせずに座っているほうがより失礼というものである。

 で、ジョージ・クリントンだ。ご存じない人のために言っておくと、この人は、べつに大統領2人のパロディをやっているわけではありません。大統領というより、まあ、「尊師」みたいな人である。風貌も、ほとんど「カラフルな麻原彰晃」と化していた。ほかのメンバーも、ウエディングドレス姿のギタリスト(たぶん男)とか、オムツ一丁のギタリストとか、散歩の途中で立ち寄ったみたいな小汚いおじさん(コーラス)とかいて、見せ物小屋というか怪物ランドというか、ビジュアル的には悪夢のような状況。スカパラの中途半端さが余計に際だちますな。10月にNHKハイビジョンやBS2で放送されるらしいので、興味があれば見たほうがいいと思う。ファンクの楽しさと危なさを堪能した。

 発売中の『小説すばる』9月号で、書評家の東えりかさんが「闇翼」を取り上げてくださった。残念ながらサイト上では読めないが、文芸誌に書評とはまた思いがけぬ仕合わせ。拝読して「ああ、なるほどそうか」と思ったのは、こんなクダリである。

《本書がすごいのは、障害者のスポーツと(※原文ママ)紹介しながら筆致が鈍らないことだ。眼が見える見えないに関係なく、試合経過を熱いながら忠実に、興奮しつつ淡々と普通の観戦記として綴っていく》
 筆致が鈍らないとは、別の言い方をすると、おそらく「腫れ物に触るような書き方をしていない」ということだろうと思う。この指摘を見て初めて気づいたが、私はあの本の原稿を書いている最中、いわゆる「障害者差別」の地雷を注意深く避けるための配慮を、ほとんど自覚していなかった。無論「配慮は不要」と自覚していたわけでもない。数ヶ月程度の取材で書いていたらいろいろ考えてしまったとは思うが、もはやそういうことを気にする関係性ではなくなっていたのだろう。この本が「スポーツノンフィクション」であることを「意外」に感じる読み手が多いことを私が「意外」と感じるのは、そのあたりに原因があるに違いない。

 事によると、そのせいで期待を裏切った面もあるかもしれない。たとえば、ブラインドサッカーを知っている読み手からは、「自分は知ってるから面白いが、知らない人にはわからないのではないか」と危惧する声が聞かれる。何が「わからない」のかは必ずしも明確ではないのだが、それも「筆致が鈍らなすぎ」であることに一因があるような気がしてならない。もっと「障害」を描かないと大事なことが伝わらない、と感じる関係者は少なくないような気がするが、どうなんでしょうか。まあ、それ以前に「誰も見たことのないスポーツ」を完全にわかるように書くのは私には無理、という能力の限界もあるわけですが。すみません。しかし、「読んだだけじゃわからんから試合を見たい」と思ってもらえれば最低限の責任は果たせたとも思っている。そして東さんは、12月のアジア選手権を《本書を読めば見に行きたくなるのは間違いない。私も必ず行く》と書いてくれた。アミノバイタル満員化計画、一歩前進である。素直に、うれしい。






平成二十一年九月三日(木) 81.6 kg


ニューマシン
BGM : The Way Up / Pat Metheny Group



 文字をやや大きくしたのは、作成環境が激変したからである。私の日誌は私が見やすいようにデザインされる。なぜ作成環境が変わったかといえば、本日、吉祥寺のヨドバシカメラで、iMacを購入したのだった。24インチ、2.66GHz Intel Core 2 Duo、4GBメモリ、640GBハードディスクドライブ。でかい。でかいよ。映画館のスクリーンに字ぃ書いてるような気分だ。物書きに、こんなに広大なデスクトップは必要ありませんね。原稿を書くだけなら、ディスプレイの下半分だけで用が足りる。20インチのほうでよかったか。ところで、まだATOKは入れていないのだが、ここまでとくに問題ないな。ことえり、少しは賢くなったのかもしれん。







平成二十一年九月二日(水) 82.0 kg


わりかしヒマな秋の入り口
BGM : Green Onions / Booker T. & the MG's


 ずいぶん更新をサボっているあいだに夏休みが終わった。セガレが宿題をフィニッシュしたのは、31日の晩。終盤の追い込みで帳尻を合わせる姿は、自分を見ているようでとてもイヤだった。なにしろ自由研究の取材のため、一家三人で自転車に乗って吉祥寺から武蔵境まで「武蔵野吉祥七福神めぐり」をしたのは先週の木曜日だ(リンク先は正月のイベントだが我々は自前で勝手にめぐった)。「近所にこんなモンがあったのか!」的な面白さは味わえたが、せめて取材はもう少し早めにやっとけ。ちなみに読書感想文を書き終えたのは30日。ウンウン唸りながら上目遣いにこっちを見やがるので、ついアレコレとアイデアを提供してしまった。イケナイことです。それにしても、他人の書いている文章にはいろいろとアドバイスができるのが不思議だ。自分の文章は、そんなふうに客観視できない。だから編集者の言うことは素直に聞くべきなのである。

 私のほうは、先週、仕事はSAPIOのコラムと取材が一件あったぐらいで、あとは基本的に笛の練習をしていた。大バス・リコーダーである。楽器はまだ借り物。「曲の練習」以前に「楽器に慣れる」と「アルト記号に慣れる」という二つのハードルをクリアせねばならない。どんな楽器かというと、こんな楽器だ。全長約1.4メートルの縦笛。小学校で吹くソプラノ・リコーダーの2オクターブ下。なかなかきれいに鳴ってくれない。「縦笛なんて指を正しく押さえて吹けば鳴るんだろ?」とか思ったら大間違いである。ソのシャープとかね、うまく鳴らないのよ。あと、無駄に力が入っているのか、何時間も練習してると指が痛くなってたまらん。練習後はキーボードが打ちにくくなるのだからモンダイだ。

 アルト記号(ヴィオラ用の譜面)のほうは、ト音記号のシの位置がドになるという微妙なややこしさ。なんでそんな表記にせにゃならんのかと思うが、昔の人はそのほうがいろいろ都合がよかったらしい。で、ヴィヴァルディの四季とかバッハのヴァイオリン協奏曲とかやるわけだが、こっちはフラット4つであっちはシャープ4つだったりなんかして、もう、発狂しそうになりますね。シャープ4つの曲でダブルシャープの臨時記号なんか出てくると、完全に思考停止だ。ファのダブルシャープはソのナチュラルと書いて欲しいと切に思うが、それもそういうわけにはいかんらしい。そんなわけで、練習後は心身ともにクタクタである。でも、それを含めて音楽のヨロコビ。

 あれは日曜日だったか、スペインリーグの開幕戦、レアル・マドリード対デポルティボ・ラコルーニャを観た。来年はワールドカップもあるので、今シーズンはなるべく欧州サッカーを観ておこうと思っているのである。いささか粗雑な殴り合いの末、3-2でレアルの勝ち。昔ラコルーニャを応援していた時期があるので、残念だった。ところで久しぶりに観たカカは、やや老けたのか、ルックスに以前の輝きがない。愚妻の指摘した「似てる人」には笑ったなあ。というわけで、なんと6年ぶりに「似てる人シリーズ」復活である。

 ●ちょっと老けたカカと志垣太郎

 ……いまの時代に志垣太郎を咄嗟に思い出せる愚妻のセンスがうまく理解できない。