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No4 文化遺産としてのモダニスム建築
野文化会館からDOCOMOMO展へ
1999年9月15日
Bulletin 掲載

発端は 3年程前, 習志野で行なわれた日本建築学会全国大会の折り、歴史意匠委員会の懇親会が日本工業倶楽部会舘で行なわれた会場でのことだったと思う。
  直前に上野の文化会館が改修されると新聞に報道されたが、一時は取り壊しも検討されたと書いてあった。ショックを受けた僕は, 神奈川県立図書舘・音楽堂の保存問題がまだくすぶっていたこともあり、いわゆるモダニズム建築の保存についての懸念を藤岡洋保、 鈴木博之両教授に話した。そして会場に居合わせた前川事務所の松隅洋さんを掴まえ事務所の対応についての様子を聞いているうちに、 誰からともなく日本もドコモモ加盟をきちんと考える必要があるということになった。
 その後東大の清家さん(現助教授)からパリの友人から ドコモモ加盟について本部からの打診があったら、JlAとしても対応して欲しい旨伝えてくれといわれたとの話しがあったりした。ドコモモ20選を選ぶにあたり,学会の中にワーキング・グループ(WG)を構成をする時に.主査を務める藤岡洋保教授より、JlAからもメンバーを選出して欲しいとの要請があったのは、そういういきさつがあったからだと 思う 。  
 ドコモモあるいは20選については、Bu11etin7月号に渡辺研司さん、ニュース8月号に夏目さんが、学会の「雑誌」と新建築に藤岡教授が書いているので参照して欲しい。 だが新建築誌に日本支部が設立されたとあるのは少し正確さを欠き、このWGが支部的な対応をしているが、事務局をどういう態勢にするかJlAがUIAに納めている上納金?のよう な間題があり、正式設立には少し時間がかかりそうだ。
  残念ながらというより何故か日本には建築博物館・美術館がない。日本におけるモダニスム建築の保存の状況、図面や、スケッチ、 模型などの資料の整理や保存の有様そしてそれらについての建築家自身の、さらに一般の社会人が持っている認識について考えると、 この WGの活動は意義のあることだと思う。同じように、いわゆる建築ミュジアムを創ることはとても大切である。 建築学会の中に建築博物館構想の検討委員会があり、長い間審議されてきたが、頓挫しているようだ。思うにこの間題は、 広く社会にその必要性を訴え働きかけていかなくてはいけない。そして建築界全体として対処していかなくては駄目だ。 ドコモモ関連もそうしていきたい。そういう意味では2000年の初頭,鈴木博之教授が実行委員長を、 丹下健三、林昌二、阪田誠造、酒井忠康近美舘長、藤岡洋保,藤木隆男(会場構成)各氏といった面々が委員を引き受け、 ドコモモWGと保存問題委員が加わり、僕が事務局長として準備を進めている鎌倉の神奈川県近代美術館で行なう「文化遺産としてのモダニスム建築」展・DOCOMOM020選は意義のあることだ。  
僕たちは勿論20選のみが優れているとか、20選だけが日本のモダニズム建築を代表していると思っ ているわけではない。これを題材にしてモダニスム建築の歴史をふりかえり、これからの建築のあり方を考える機会をつくりたいのである。  
 ともあれこの建築展は,BCS の協賛もえて実現する。あるゼネコンの専務が、数十年前自社が施工した建築が選定され、こんなに名誉なことはないと言って下さった。嬉しかった 。文化遺産は誰の物でもない。みんなの物だ。この建築展を建築界全体のイベントとして成功させたい。
 つい先日銀座の奥野ビルという迷路のよう なビルと、京都の武田五一の設計した旧毎日新聞京都支社ビルを観た。何れもギャラリーがあり、魅力的な空間。ことに武田五−の円柱とハンチ のある梁の取り合わせには心惹かれる。ドコモモWGで選定作業をやりながら考えていたのだが、僕たち建築家はこのような歴史を経てきた建築に優る物を創りたいと思っているが、実はこれは数十年という時間との戦いなのかもしれない。大変なことだ。  さて文化会館は打ち放しも当初の状態に戻され、見事に修復なった。
 かつて何故べんがら色に塗ったのか気に掛かるが技術の進歩も大した物だ。学生時代、胸を躍らせて上野に見に行ったあの喜びが蘇る。

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