立原道造設計「別所沼のほとりに建つ風信子ハウス設計図」

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No6 <ヒヤシンスハウス> 夢の実現へ 2004年1月1日
JIAメンバーに送付

 立原道造が学生時代に図面を引いた「ヒヤシンスハウス」を、ゆかりの地浦和の池の畔に建てようという、なにかしらロマンを誘うプロジェクトが進んでいます。  このプロジェクトの首謀者、いや実行委員長は,JIA埼玉に所属する永峰さんですが、なぜか面識のない僕にどうしようかと相談がありました。たまたま僕がJIAの理事という立場であったことと、埼玉地域会のメンバーと親しいので何とかなると思ったのかもしれません。  詩人立原道造が東大の建築学科を出て建築家として将来を嘱望されていて石本事務所に勤めていたことは知っていましたが、考えてみると彼の詩に触れたことがないような気もしました。そこでよしこの機会に立原道造を制覇しようという大それたことを考え、図書館にいって分厚い全集の中の一冊を借りてきました。 しかし借り出したのがアホなことに書簡集だったということもあり、あえなく挫折しました。        

      



 そのことを親しい建築家に話したら、彼はなんと立原道造にシンパシィを感じており、全集は座右の書とも言える愛読書だそうです。彼はこのプロジェクトはロマンを掻き立てられる夢のような企画であり、全国に意を同じくする建築家が沢山いるに違いないと言ってくれました。それなら僕だって夢実現の多少のお手伝いができるかもしれない!といつもの好奇心と多少の野次馬根性で永峰さんにその旨伝えたら、送られてきた書類がいきなり募金申込書でした。まあ夢を語るだけでは何もできない、それもいいだろうと思い僕のこの檄文?というか推薦文と言っていいのかよくわからないけれどもこの文書を同封していただくことにしました。 
 どうかこのプロジェクトの魅力を大勢の人々に伝え、夢を共有していただくようお願いして下さい。

この文章を書きながら、韓国の「李箱(イーサン)」という詩人を思い起こしています。
李箱は立原道造と同じく建築を志した詩人であり、朝鮮の近代文学者の中でもっとも有名であり、またもっとも異色の文学者でした。彼のことは川村湊著「ソウル都市物語」(平凡社新書)に詳しいのでぜひ読んでいただきたいのですが、彼は日本統治が始まった時代
(1910年生まれ)に生き、そこで生じてきた都市の問題の狭間で苦悶し、27歳の若さで日本で夭折しています。
上述した新書の中の詩編「鳥瞰図」に収録されている「詩第
1号」はこういう書き出しで始まっています。
  十三人の子供が道路を疾走する。
   (道は袋小路が適当だ)
   第一の子供が恐いからだ。 
   第二の子供が恐いからだ。
   第三の子供が恐いからだ。
     ・
     ・

 街の中を疾走していく(モダニズム的で都会的な恐怖の)
13人の子供のイメージ。僕はこの詩を忘れられません。李箱と立原道造とは何の関係もないので、立原フアンから叱られるかもしれませんが、昨秋韓国を訪れたとき建築歴史研究者に李箱のことを尋ねたら、直ちに其の位置づけについて返事がありました。もしかしたら立原道造の詩の中にも、僕を震撼とさせる都市の姿が隠されているのではないか、と立原道造に疎い僕は思うのですがどうなのでしょう。


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