Seoulの北村地域
コルビジェの緞帳を背景に
Seoulの北村地域
APACEビル(金寿根設計

自画像 ワークス 継承と理念 フォト・・視る
エッセー B l o g △HOME

No7 DOCOMOMO Koreaの設立    金晶東先生の講演会 2004年4月15日
Bulletin掲載

 渋谷人間ではない僕でも、どこかに懐かしい響きを感じる渋谷パンテオンという映画館や五島プラネタリウムを持つ、東急文化会館が昨2003年7月、大勢の人に惜しまれつつ閉館し解体された。この建築は、東急電鉄の当時の会長五島慶太氏が大衆に、まさしく大衆文化を享受させ東急の拠点とするために創られたもので、これほど多くの人々に親しまれた建築はないかもしれない。設計者のことなど一般市民は考えもしないと思うが、設計は坂倉準三、これを期に東急と坂倉建築研究所の縁が深くなり、数多くの優れた建築が生み出されていったことも合わせて考えると、この建築の持っていた位置づけも見えてくる。
 閉館を前にお別れ展覧会が開催され、同じく坂倉準三の代表作鎌倉の「神奈川県立近代美術館」の存続を願う『近美100年の会』(略称)のパネル展示(「この美術館が消えてなくならないようにと心から願っています」という坂倉夫人坂倉ゆりさんのコメントを記載した)をさせてもらったが、この展覧会の目玉は、かつて渋谷パンテオンで使用されていたコルビュジエの緞帳である。しかし公開されたのは展覧会の最終日の夜10時半からのみ、残念ながら見損なってしまった。
 そこで坂倉建築研究所の東さんにお願いして東急の許可をもらい、JIA保存問題委員会WG松嶋さんのコーディネートで、7月5日見学会を行った。設計を担当した駒田知彦さん、北村脩一さんや長大作さん、阪田誠造さんといった錚々たるメンバーも参加され賑やかな楽しい会になったが、僕にとって忘れられない出来事になったのは、DOCOMOMO Koreaの代表で、牧園大学教授の金晶東(キムジョンドン)先生が、当時日大で研修していた崔炳夏(チェビュンハ)さん(現韓国文化財庁専門委員)とともに参加されたことである。金先生は夏休みを利用して日大の客員研究員として日本の近代建築、主としてレンガ造建築改修事例の調査に
来日されていたのである。

見学の後金先生と崔さんを誘いコーヒーを飲みながら日韓のドコモモに関連した状況を中心として様々なことを語り合った。そこで僕は、韓国における近代化の苦渋つまり韓国の近代建築を語る難しさを知ることになったのである。同時に大げさだと思われるかもしれないが、建築の持つ重さに震撼としたと言ってもいいかもしれない。  僕がDOCOMOMO Japan100選の選定の難しさに触れたとき、日本はうらやましい、建築論だけで選定できるのだからと言われて愕然とし、また近代建築を改修して再利用した例が沢山あるのでとも言われ、確かにコンバージョンという言い方が一般化されるようにはなってきたものの、日本でもそう喜べる状況でもないのにとも思った。
 Seoulの旧朝鮮総督府問題は建築界でもよく知られていることだが、解体に伴って韓国内に大きな世論が沸き起こり、それに類する日本の建築家が関わった数多くの近代建築が解体の危機に瀕したという。韓国の近代化は1910年頃からの日本統治から始まったとも言え、其の時代の建築は'日帝残滓'いわば負の文化遺産という認識が一般市民の中では強い。  其の存続の是非を論ずるのは、歴史を振り返るととても難しく、簡単に残して欲しいとは言い難いが、しかし一部の若手の建築歴史研究者を率いて、それらの建築を守り残してきた金先生が会長に就任したDOCOMOMO Koreaの設立が韓国内において様々な波紋を呼ぶのは想像に難くないし、その組織の存在の大切さもよく分かる。ちなみに金先生は韓国文化財庁の近代建築に関するただ一人の文化財委員でもある。 話が弾むにつれ僕はいつものように好奇心でいっぱいになり、韓国の近代建築をもっと知りたいと思った。
金先生の講演会
8月21日JIAセミナールームにおいて、金先生の講演会を行った。テーマは「韓国近代建築物の文化財指定と登録制について」。今の僕の関心はむしろ歴史的な価値が定まっていないとされるモダニズム建築の存続問題だが、指定、登録された建築を考えることにより、建築界・社会の状況が分かるかもしれない。  
韓国の指定文化財(国、市指定)は8594件(2003年6月30日現在)、其のうち近代文化遺産は370件で4パーセントである。登録文化財は64件、日本では3000件を超えたことを考えるといかにも少ないが、制定されたのが2000年の2月であり、其の仕組みも少し違うようだ。  
日本の登録文化財は所有者の意思によって登録申請されることになっているが、韓国では地方にいる文化財委員がリストアップして審議し、文化財庁に上げ、市民に1ヶ月アナウンスして登録される。登録とはいえ指定に近い。文化財庁では指定される建築はこれ以上ないのではないかと言われているが、登録候補は13000件程度あると思われ、来年度は北朝鮮の調査もやることになっており合わせて2万件位,しかし現存しているのはその五分の一位か、土地の高い都心部に建築が集中しており、残すのが難しいし、市民には近代建築が文化遺産だという意識がない。
 解放後(戦後)50余年間、急激な社会変動と生活様式の変化により、経済的側面だけが強調される現実が、近現代建築物の消失と破損を加速化する契機となることも強調された。  
 どこかの国と全く同じではないかと思うものの、日本で取り壊す原因とされる耐震問題は、韓国ではまったく論じられていないようだ。 この講演会は、韓国の指定、登録文化財について日本での初めての紹介ということで大きな話題となり、文化庁建造物課の調査官、神戸や京都からの建築歴史研究者も駆けつけたが、特記しておきたいのは、韓国からの留学生が多数参加したことである。歴史系は日本、デザイン系はアメリカへの留学が多いと聞いているが、若い世代が現近代建築の存在に関心を持つことはうれしいことだし、歴史を受け留めることで、日韓友好の一助になるのではないかと期待する。
11月14日、DOCOMOMO Koreaの設立総会に招かれ、祝辞を述べ講演したが、懇親会では金晶東会長と会場になったSUPACE GROUPの 李祥林(リーサングリーム) 代表に囲まれてケーキカットを行うなど歓待された。  5月に行われた設立準備会にJapan代表の鈴木博之教授が招かれ、日韓交流の切っ掛けができたが、設立総会に建築家の僕が招聘され、個人的な信頼関係をベースに交流が始まったことは、建築界に何がしかの役割を果たせるようで嬉しい。そのスタートになったのが東急文化会館見学会だった。   

Seoulを歩く 明日を想いながら  
設立総会の翌日、歴史学者 金蘭基(キムランキ)さん、通訳をしてくれた 金哲生(キムチョルチュ) さんに案内していただき、同行の渡 金寿根(キムスクン) 、金重業(キムジョング゙アップ) さんの作品を中心にSeoulの建築を見て歩いた。興味深かったのは、金蘭基さんが調査に関わった「北村地域」。かつて高級住宅街だった街区を日本人が買い取り、分割して建売住宅を建てた其の町全体をSeoul市が文化遺産として保存修復し、街として残そうとしていることである。
 指定、登録文化財には金先生の努力もあって日本の建築家の設計した建築も含まれており、難しい問題が累積しているものの、やはり時代は動いている。

※DOKOMOMO Koreaは2004年9月にニューヨークで行われ総会で、ワーキング・パーティ(支部)として加盟承認された。

▼Back Page top▲