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No10 「神奈川県立近代美術館」100年の会・発足 2002年1月号
JIA news

この秋鎌倉の八幡宮境内の一角に建つ『神祭川県立近代美術館』は、開設50周年を迎える。
終戦直後の昭和26年(19511年)コンペによって建てられたこの建築は、言うまでもなくル・コルビュジエに学んだ建築家坂倉準三の代表作だが、信じがたいことにスレート、大谷石、鉄骨という安価な材料で作られたバラックで、残すに値しないと言った評論家がいる。しかし考えてみるとこの言は反面教師で、安価な材料でもこれだけ豊かな空間を創ることができるということに思い至ることにもなり、またそういう評価をする人間がいるという証にもなる。
 
展示室を一巡して階段を下りると現われる彫刻の置かれた中庭やピロテイから、緑豊かな八幡宮の杜が望め、池の水面に反射した光の影が、スレートの天井にゆらゆらと揺れる様は、えもいわれぬ美しさだ。時折訪れると、時間や季節によってその有様が変化し、この建築が場所や自然環境に配慮して作られていることにふと気が付くのである。
 県は2003年に新美術館を葉山に開設し、それに合わせて鎌倉を改修して、鎌倉、葉山とのこ館体制で運営すると表明した。改修については、構造の建築基準法との整合性や修復費の捻出、建物の地面下にあるとされる埋蔵文化財のことなど数多くの問題を抱えている。またこの美術館は八幡宮から借地して建てられており、2016年にくる借地期限のことも気になる。
 僕は、建築家、歴史学者、美術関係者、市民と共に『神奈川県立近代美術館100年の会』(略称「近美100年の会」)を発足させ、この美術館のあり方を考え始める。

この一文は、2001年の9月東京大学のキャンパスを使って開催された、日本建築学会大会の建築歴史・意匠委員会のシンポジウムに関連したアンケート『22世紀に残したい(残る)、20世紀の建築』に答えたものの再録である。(一部修正)
 建築歴史・意匠委員会のテーマは、「20世紀の建築、22世紀への建築」という興味深いものだった。しかしシンポジウムではテーマが集約できず、コメンテーター役の鈴木博之教授が、建築歴史学者の問題意識について慨嘆されたが、これは歴史学者だけの問題ではないだろう。
 モダニズム建築のクライテリアについてはまだ検証されておらず、鎌倉の近代美術館を考えていくときの課題でもあり、「近美100年の会」の活動が格好の事例検証をすることになると思う。

シンポジウム「神奈川県立近代実術館の100年を考える」
 「近美100年の会」は11月6日高階秀爾氏を代表に、僕が事務局長を引き受けて発足し、11月23日活動第一弾のシンポジウムを、武基雄設計の鎌倉商工会議所ホールで開催した。パネリストは、高階秀爾、槇文彦、藤森照信、木下直之、コーディネーター・松隈洋という多彩な面々。

徹刺激的で、実り多かったシンポジウムの内容について全てを記すことは出来ないが、どうしても伝えたいことがいくつかある。
 その一つは松隈さんが討議に入る前にレクチェアしたこの美術館の歴史である。
 建築の誕生には常に物語があり、また使い続けていくうちにドラマが生まれると僕は考えているが、鎌倉の近代美術館もまた、神祭川県知事内山岩太郎と土方定一によってドラマが作られた
 この美術館は内山の、戦争によって荒廃した社会を復興するには人の集う場が必要であり、世界に通用する文化の向上を目指して、小さくても良い近代美術館を建てる必要があるという信念とそれを支える人々によってニューヨークとパリの近代美術館に続く世界で三番目の近代美術館として建てられた。
この場所が選ばれたのは、やはり戦後の復興を期した八幡宮の要請もあったといわれている。これらの思いは設立時から関わり、斬新な企画と美術史の堀り起こしによる独自な美術館活動を行った土方定一によって推進され、廷べ530回を超える企画展を軸に続けられ、画期的な美術館として現在に至るのである。
 
高階さんの話も書きとめたい。
僕たちは、どうしても建築の側面だけでこの美術館を考えてしまうが、実は今の美術を際限なくコレクションし紹介していく現代美術館の役割、それに伴う収蔵庫の問題、壁を越えていく作品、つまり槻念の変化、地域との関わり、近美にあっては聖なる空間の隣に日常に繋がりながら非日常を楽しみ得る意義を考えることが重要だとの指摘。言われてみると当たり前のようだが、建築と美術のダイナミズムに目を見開かされたような気がした。 
 槇さんがモダニズム建築を残すのは、結局メンテナンスをちゃんとしていくことしかないんです、とつぶやくようにいわれたのにドキリとし、藤森さんは、坂倉がパリの万博で鉄骨を剥き出しに使ったのは世界で始めてでミースに大きな影響を与えたと指摘。
 また木下さんが金沢の兼六園にある日本武尊像を例にとり、近美が世界遺産指定を目指している古都鎌倉の中で「異物」として扱われる懸念を述べた一瞬、会場がどよめいた。
 
この会は、上記パネリストや阪田誠造、林昌二、磯崎新、谷口吉生、内藤廣、鈴木博之、藤岡洋保、李禹煥、宮脇愛子、小川裕充、永井路子のほか大勢の建築家、歴史学者、アーティスト、美術史家、作家に市民、学生を含めた多彩なメンバーがこの建築の存続に思いを込め、活動していく。
新しいドラマが始まった。      

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