正蔵宅跡、隣にさん馬師の住んでいる
同じ形の長屋がある

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No11 保存と文化の継承  講談家の写真を撮りながら 1996年5月号
Bulletin〈JIA機関誌)

西日暮里の南泉寺で行われる講談界の中興の祖、名人と言われた松林伯圓を顕彰する伯圓忌の帰り、数名の講談家や同席した方々と喫茶店でコーヒーを飲んだ。 
ふとM氏が「いやあ、まいった。正蔵師匠(落語家六代目林家正蔵、後に彦六)の住んでいた浅草稲荷町の長屋が壊されるってんで観に行つたら、もうなかつたの」と言い出した。「正蔵師匠が亡くなった時に、面識があったわけではないから訪ねることもできなくて、長屋の前に−日中ボーツと座って、これからどうしようかと思ったんですよ」。その長屋が無くなってしまった。私は心を打たれた。

釈場が欲しい
 そう言えば、つい最近読んだ“大塚鈴本は燃えていた”(西田書店刊)によると、
大塚に“大塚鈴本亭”という寄席が昭和16年から4年ほとあったが、
火災で燃えてしまって今では写真一葉とてなく、この本が書かれなかったら
貴重な昭和演芸史に空白ができたかもしれない。
人形町末広なく、講談の定席“上野本牧亭”も無くなって久しい。 

六代目宝井馬琴師が私の学校の先輩という縁で講談に魅せられ、講談家の写真を撮りはじめてから5、6年たつ。
本牧亭が池之端に小料理屋を開き、その2階に高座をつくり定席を行っているがいかにも狭く、修羅場を声を張り上げて読むことができないと講談家が嘆くのももっともなことである。日本橋亭、新宿永谷ホール等で講談の会はあるが、私でさえ釈場が欲しいと思うのだから、講談にかかわる方々の想いむべなるかな!である。 
全国で59名しか講談家はいないが、綿々と続いている日本の伝統話芸。記録し残していくことは、日本文化の継承に他ならない。講談家の写真を撮り続けることは自分の作品をつくることだけではなく、もしかしたらその意味でも役に立つことがあるかもしれない。正蔵師匠の長屋も、上野本牧亭も建築としてはとりたてて話題になるものではないだろう。まして、今度の登録文化財制度にリストUPされるような建物ではない。又取り壊されたことについては諸々の事情があり、建築家である私達か云々することではないかもしれない。でも、M氏の想いを聞く時、建築の持っている重さを感じ、建築家としての生き様を問われているような気がして仕方がない。

“保存と文化の継承”というフレーズが気にかかる。 2/2朝日新聞“三吉演芸場を助けよう”老朽化のため取り壊される横浜の大衆演芸場のためのJAZZコンサートを開いた記事。同じ思いの大勢の人達がいる。
同じ朝日2/6吉田秀和氏の「音楽展望」に、ヴェネチアのフェニーチェ劇場が全焼したとある。リゴレットが初演された美しい劇場、大塚鈴本と同じように、こういう形でも文化遺産が無くなつていく。新建築2月号、堀口捨己設計による明大図書館が再開発によって解体されるリポートを、木村儀一氏が書いている。明解でない記述にOBとしてもどかしい思いもするが、書けない事情も判る。
“役目を終わって取り壊す”とよく言われるが、私はこういう言い方は好きではない。しかしこの堀口先生の傑作は少なくとも役割を終えたと言えるのだろうか? ‘94/11建築学会の機関誌“建築雑誌”で保存問題を特集しているが、‘95/4西和夫氏か“特集を読んで”の棚に「保存問題はかくのごとく本当にむずかしい」と結んでいる。共感する。            

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