自画像 ワークス 継承と理念 フォト・・視る
エッセー B l o g △HOME

No14 新しいほうがいいんじゃない?! 1995年1月号
Bulletin〈JIA機関誌)

 94年10月号本欄の篠田さんのレポートは衝撃的だった。私の愛する母校、そして密かにそのOBであることを誇りに思っている“千葉県立東葛高校”の文字が飛び込み、しかも旧本館が取り壊されるというのである。
 私は建築家であるにもかかわらず、レポートを読むまでうかつにも、母校の旧本館が、関東大震災の直後70年前の大正14年に建てられた近代建築の、又学校建築の典型であり、その上この種の校舎は全て解体されて、千葉県で残つていた唯−の建物だという認識が全くなかつた。
篠田さんに伺うと、老朽化して危険であるとする出所の明らかにされない「I報告書」なるものがあったりして、解体やむなしと思われていたのが、今回の視察がきつかけになり、保存運動が動き出したことは、レポートの通りだが、“取り壊すということは、造った人の情熱や東葛高校(正式には東葛飾高等学校)OBの、この校舎に対して持っている想いまで壊してしまう事になるのですよ”と述へたら,皆さんシュンとして言葉もなかつたという。胸が熱くなつた。
 私はすく東葛高校へ電話を入れた。事務の女性の声はやけに淡々としていた。もう取り壊されていて,写真を撮る状況でもないとのこと。母校への想いがこみあげてきた。シックイ塗りでくり型のある壁,高い天井、フローリングブロックの床,光と影、ざわめき!
 私は自分の思いを込めてPTA宛に熱烈な手紙を書き、そのコピーを弟(弟も東葛のOB)へFAXした。ところが思いもかけず“新しい方がいいんじゃない”という冷たい返事。そこで心ならずも電話先で文化論を戦わすはめになつた。心ある人なら皆そう思うはずだ,と言うと“心あるなんていっちやいけないよ。価値感の違いだけなんだから” 
同級生にも電話した。一様に,ああそうなのという程度の反応。夏目さん(保存問題委員会委員長)の溜息が聞こえたような気がした。
 私が気になっていたのは、レポートの“取り壊そうという見えない意志”である。保存運動をリ一ドされたPTA会長神前さんに電話した。驚くことばかりで話がはずんだ。東葛高校は、学園紛争に端を発した教育改革をやりとげ、20年たった今も、東葛方式といわれる独特のカリキュラムで教育がなされている。有数の進学校であるにもかかわらず、中間考査なし、理数系文系に区分けすることもなし、制服勿論なし、しかも部活はしごく活発―素晴らしい!―旧本館は部室として使用され修繕にお金を掛けないため荒れるままになつていたが、先生方も入りにくい生徒の城となっていた。私はこれだ、と思った。独自のカリキュラム 自由で力のある生徒会、管理者にとつては釈然としない状況であることは想像に難くない。
 恐ろしい事だと思った。成程と思った。でも面白いとも思った。いろんな事が気になりだした。ある保存問題シンポジウムで、建築家K氏が私ならもつといい建築がつくれるといらたとか。そうかなあ。いい建築って何だろう!折りしも又々私の母校ニコライ堂と共に駿河台の風景をつくってきた明大の記念館がほほ解体されることとなつた。“建築家ってうまいこと言うんですよね。
”建築は都市の記憶装置なんて“という神前さんの声が聞こえてくる。       

▼Back Page top▲