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No17 時を超えた建築  二つのシンポジウム 2007年4月
Bulletin〈JIA機関誌)

 いろいろとやってきて、つまり建築をつくり、建築やその保存を考え、写真を撮り、酒を酌み交わし、講談や音楽を聴き、ブログを書いたりしてきて、つまるところ人生をやってきて幾つかの「コトバ」が気になり始めた。
 例えば「僕は昔を振り返り、君は将来を見る」。こんなことを言ったのはつい最近NHKの「課外授業」にでたフォーク歌手の高石友也だ。「君」は母校の後輩の小学生たち。若者に将来を託すコトバ。「過去を振り返って今を考え未来につなげる」なんていう言い方は良くするので、高石友也の言い出したコトバではないだろうが、今なんていわないで「僕は昔を」とさっぱり言ったので心に残った。
 繰り返しになるがいろいろとやってきて建築を考えるときに、「時」と「記憶」が欠かせないコトバだと気がついた。僕たち建築家は心血注いでつくった建築をクライアントに手渡すとき、嬉しさや晴れがましさと共に、得もいわれぬ寂しさを感じる。自分のものでなくなってしまうからだ。(いやいやそうではないのだけど)
 そして「時」を経るにつれ建築はそのクライアントのものだけでなく市民のものにもなっていく。その近辺で生活する人々だけでなく、通り過ぎる人の「記憶」にも留まる。よく言われるコトバ「建築は都市の記憶装置」。建築が市民と結びつくのだ。
 
二つのシンポジウム 
この「昔を振り返る」と「市民」「記憶」という言葉が結びついたと実感する出来事があった。暮れから新春に掛けて行った二つの_シンポジウムにおいてである。
 一つは東京杉並にある東京女子大キャンパスのA・レイモンド初期の建築、チェコキュービズムの面影を残す「東寮」と「旧体育館」を残したいと保存運動を行っているOGと専門家による「東京女子大学レーモンド建築東寮・体育館を生かす会」の主催。
JIA関東甲信越支部とDOCOMOMO Japanが後援した。
 もう一つは東京・日比谷に建つ「三信ビル」の保存を願ってJIA関東甲信越支部(担当保存問題委員会)主催、建築学会関東支部との共催によるもの。そのいずれも僕がコーディネートをし、シンポジウムでは司会をした。そして二つとも市民からの相談があってコーディネートをすることになったのだ。
 東女ではシンポジウムをやることにためらっているOGに対して、OGも僕もあの二つの建築があることが豊かな東女の将来を築き上げることに信念を持っているので、建学の精神を振り返り、学校側や支える市民に自信を持ってそれを伝えるべきだと述べた。
 一方、三信ビルは僕のターゲットではないとためらった。若き日モダニズムの真っ只中で建築に志した僕は、モダニズム建築というと黙っていられない。吾が友といった感じなのだ。だから三信ビルは僕の役割ではないと思った。しかし「いやと言えない症候群」の僕は、若き友人から何度も要請されて「よしやろう」と決めた。三信ビルに行くとなぜかいつも心が震えるからだ。
 二つの会場は満席、日本外国特派員協会(外人記者クラブホール)で工2月2日に開催した東女は当然のことだが、1月16日のJIA会館での三信ビルシンポジウムは130名の参加者で満ち溢れ、その半数が一般市民、しかも女性が40名を越したと取材したJIAマガジンの編集者や事務局の清宮さんが興奮した。
 創建時を振り返り、建築が果たしてきた役割を確認し、新しい建築と共に存続していくことによってキャンパスや都市が生き生きと息づく。それを伝える(声をあげて)ことが大切だという共通認識を得たといえる。
 会場にいらした林昌二さんからは「三信ビルはぴかぴかに輝いている」と熱いメッセージ(手紙)を頂いた。二つの建築が「時を超えた」と思った。いずれも終了後いくつもの輪ができ、市民と建築家が熱く「建築」を語る姿がいつまでも僕の眼から消えない。昔を振り返り、記憶を媒介として僕たち専門家と市民が結びついたのだ。




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