御茶ノ水スクエアA館
写真 大橋富夫

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No18

シンポジウム「カザルスホールを考える」を考える

2011年3月
Bulletin〈JIA機関誌)

2010年11月16日の北沢ホール、「カザルスホールを考えるー音楽家と建築家から見る価値」と題するシンポジウムの最後に演奏された「鳥の歌」の終わった瞬間、息を呑むような緊迫感に満ちたこの空気を壊したくないと、間が起きた。ジョン・F・ケネディの前で演奏したパブロ・カザルスのカタルーニア民謡「鳥の歌」は音楽界の伝説となっているが、岩崎洸、堀了介、堀沙也香のチェロに岩崎淑がピアノを添えた演奏に、カザルスホールで演奏をしたい、聴きたいという人々の想いが凝縮したのだ。音楽は凄い。時空を越えて人の心を打つ。


カザルスホールとお茶の水スクエアA館
 主婦の友社を創業した石川武美氏が、社屋を建て替えるときに、自社の事業を育んでくれたこの地に文化で報いたいと、マルタ・カザルス・イストミン夫人よりカザルスの名をつけることを許された室内楽のためのホールを併設した。建築の名は「お茶の水スクエアA館」。竣工したのは1987年、設計は磯崎新である。アーレントの製作したオルガン設置がその10年後、2002年この建築は日本大学に譲渡される。
日本大学は御茶ノ水キャンパスの整備計画を行うと発表したが、JIA千代田地域会からの諮問によってA館は当面建替え校舎代替え措置として使用し、カザルスホールなどのあり方についてはその間に検討するとの回答を得ている。
 昨年3月に閉館されたホールの存続に危機感を持った岩崎淑、池辺晋一郎、堤剛、など数多くの音楽家が結集して「カザルスホールを守る会」を6月に設立した。僕は知人を介して`守る会`から相談を受け、岩崎淑さんや事務局の方々と打ち合わせ、音楽界と建築界メンバーによるシンポジウムの開催を提案した。
 
母校明治大学の真向かいに建つこの建築は、常に気になっていた。「お茶の水スクエアA館」は千代田区の景観まちづくり重要物件に指定されているものの、建っていたヴォーリズの建築のレプリカと模して建てた建築の背後にポストモダンといわれる姿で建つ高層棟。丸の内や横浜の、レプリカやそれを模して歴史を継承したという考え方に異議を唱え続けてきたのに、なぜかそこにあるのが当たりまえの建築になっているからだ。23年経って!
 シンポジウムではコーディネート(音楽に始まって音楽で終わる仕組みやパネリスト構成)と共に進行役も担い、カザルスホールと共にA館をPPで紹介したが、時折ホー!というざわめきを感じ、僕の思惑が実ったと思ったものだ。音楽は聴きに行くもので建築を見るためではない。それにしてもこのホールと建築は!という溜息なのだ。



さてパネリスト鈴木博之青山学院大学教授(建築史)からの磯崎新という建築家論、会場にいる磯崎さんからグー!が出た。音響の至宝永田穂氏からは「シューボックスを日本につくりたかった」そして「いい演奏があっていいホールだといわれる」との一言、それを受けた作曲家の池辺晋一郎氏が「音楽家に言うのだ、音響がよければ君の演奏がよくなるというわけではない。いい演奏があってホールも聞き手も文化も育てる。ホールは生き物だ」。オルガニスト廣野嗣雄東京藝大名誉教授の「オルガンは弾き込むことによって音が変わり、それはホールと一体だからだ」と休館によってどちらも駄目になるとの懸念。岩崎淑さんの学んだカザルスへの想いは熱い。
僕は資料をめくりながら、発表時の磯崎さんの「記憶・再現・継承・対比」というキーワードの`対比`に惹かれていた。装飾に満ちたヴォーリズの建築に対してつるつるのシンプルな造形、その対比によってどちらも生かし、景観構成をする。
 逡巡していた磯崎さんが会場に来てくださって最後にこう述べた。「建築家も、永田さんも、クライアントも、またこのホールの運営を担う人も、みなが俺が考えた案だったのだよといってはじめて建築になる」と。この一言で僕の`もやもや`は吹っ飛んだ。レプリカ問題を超えて!「本物の建築」。それが「カザルスホール」を内在した(旧)御茶ノ水スクエアA館だ。
 
日本大学がカザルスホールを取得したときのパンフレットがある。「ホールは人と共に生きる楽器です。これからは、きらきらと目を輝かせた学生たちも偉大な音楽家と同じ舞台に立ち、ここから世界に羽ばたいていくことでしょう。日本大学は、カザルスホールを大切に育んでいきます」。
日本大学の9年前のこの決意に期待したい。
              
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