ILLUME 13号(1995) 「考えるデザイン-1」
モノ作りの系譜
世の中はたくさんのモノで溢れかえっています。
生きる上で絶対に必要なモノや心豊かにするモノ、
使う側の発想で生まれたモノや商売上の発想で生まれたモノ、
そしてすぐごみになってしまう可哀想なモノなど様々なモノがあります。
モノが増えれば増えるほど、モノ作りに於いて、
デザインが重要なポイントだとよく言われます。
佐藤阡朗・作「外朱入栗丼鉢」左/「黒内朱片口小」右
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しかし、デザインと一口に言っても様々な解釈があります。集積回路の回路設計部署をデザインセンターと呼びますし、自動車産業に於いては、協力工場が設計段階から参画することをデザインインと呼びます。国や自治体などの将来にわたっての展望をグランドデザインという言い方をします。実際にモノの形を描かなくても、生活者がこんなモノを欲しがっているといったことを研究し、企画提案するのもデザインと言えます。 大学でのデザイン教育の中では「デザインとは何か」なる講義から始まるようです。計画・意匠・設計の3要素だとか、生産者と生活者をつなぐものとか、機能と美の調和だとか言われます。歴史も浅く、様々な解釈の上に成り立っている概念だから、なかなかこれだ、とは言えそうにありません。 形を作る事に限っても、私が主な領域としているプロダクトデザインをはじめとし、グラフィックデザイン、ファッションデザイン、インテリアデザイン、建築デザイン、などいろいろなデザインがあります。さらに雑誌などを読みやすく、見栄えよくするエディトリアルデザインもあれば、スーパーマーケットのPOPデザインやグラフィックと音楽とインターフェースの融合でもあるマルチメディアデザインとでも呼ぶべきものもあります。 さらに形だけではなく操作性やモノとの関係性が重要視されるようになり、インターフェースデザインという心理、生理学の専門知識が必要な分野も生まれました。また昔ながらの陶芸などのクラフトという概念もデザインの一分野でしょう。自分で形も考えて作る、木工職人もデザイナーといえるでしょう。 |
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木曾の楢川村平沢に佐藤阡朗氏という漆作家がいます。佐藤氏は自ら「日常雑器を通して漆の文化を伝えたい。」とおっしゃるように、一個だけの芸術品を作り上げるわけでなく、ある程度の量産をしていますので、その意味ではデザイナーと言えるかもしれません。ご本人からは「モノを自分で作らん人間と勝手に一緒にするな!」と怒られるかもしれませんが。話をさせていただくと、気さくで、ユーモア溢れ、かつ、モノ作りや自然と真剣に対峙している姿が印象的な方です。 佐藤氏の工房から生み出される漆の器は道具も含めて全て天然の素材から生まれ、ひとつひとつに、氏の愛情とエネルギーが降り注がれています。眺めていると、まるで「使ってみて」と我々を誘惑するかのようです。 漆器というのは、いろいろな職人の方々の共同作業がなければ生まれません。漆を木から採取する人もいれば、形の基礎を作る木地師もいる。刷毛を作る人もいれば、漆を研ぐための炭を焼く人もいる。漆を漉こす紙を漉すく人もいる。佐藤氏のような塗師ぬしもいれば、蒔絵を施す人もいる。分業化されているところは工業製品と同じなのです。 |
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ある時、デザイナーとしての興味本位で佐藤氏に「木地師に依頼するときは図面を書くのですか?」と聞いてみました。すると氏は「山の稜線は何故稜線なんだろうね。僕はね、山のエネルギーと空のエネルギーの境界だと思うんだよ。」「昔ね、田舎で林檎の収穫を手伝った時ふと気付いたのだけれど、みんな林檎というけど、一つ一つ全部形が違うんだね。でも、全部林檎は林檎なんだよ。」そして、「昔はちゃんとした図面を書いていたけれど、今は筆だよ。勢いつけて。最近ようやく木地師もこの巾のある筆の線の内側ですか、外側ですかと聞かなくなったよ。」という答えでした。 さらに「自分の個性を発揮させようと思えば思うほど、おかしな事になるんだな。個性を殺して基本を忠実に続けるうちに自然と個性が滲み出てくるもんだ。」という話しもしていただきました。 デザインという側面から大量生産される工業製品を作る片棒をかついでいる私にとって、普段の視点と全く違うお話に、身震いする思いでした。 私なりに解釈すると、モノの形は簡単に数値の置き換えらる図面よりも、内部のエネルギー、それはデザイナーや経営者を含めた作り手の思い入れと言っても良いかと思いますが、内部のエネルギーをどれだけ込められるかの方が、遥かに重要なのだといえます。他で売れているから同じモノを作ろうといった横並びの思想や、ただ単に安いモノをといった発想では、できあがったモノのなかに作り手のエネルギーが込められていないという事でしょう。 現在の社会と産業は、工業化社会の規範でもある標準化、共通化、集中化、品質管理などによって支えられ、モノを大量に作り、コストを下げ、より多くの消費者に満足を与える事に邁進してきました。そのことにより人間の幸福が享受されてきたのは事実です。 しかし、ふりかえってみると、モノの作り手は、特に我々デザイナーは、LSIの中身ならいざ知らず、例えば冷蔵庫の外観のデザインのコンマ何ミリに執着し、それを図面化することにエネルギーを使い、肝心のモノの形や使い勝手にエネルギーを吹き込むことをちょっとおろそかにしていたのでないかと反省させられます。 |
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さらに、他社より少しでも多くのモノを売るために、「差別化するためのデザイン」が必要だとされています。A社が赤だから、うちは黒でいこうとか、B社のが青で売れているから、同じ系統で紺でいこうとか。様々な思惑でモノは形作られていきます。 よく日本の製品は個性がない、会社のマークを外すとどのメーカ解らない、とまでいわれます。個性と差別化とは意味が違いますが、佐藤氏の個性の話を聞くと、日本の企業は差別化を追いかけてばかりいたので、個性が希薄になってしまったのではないかと考えさせれれます。 モノづくりの基本に忠実な企業として、ドイツのBRAUNや、デンマークのB&Oがよく挙げられます。昔から時代に左右されない、味気ないほどシンプルな形を続けており、それが結果として個性となっているからこそ評価されるのではないでしょうか。 現代は、商品を生むことによって引き起こされる人間の生活や環境の変化などの問題が山積しています。また工業化社会から情報化社会へ移行しつつあり、モノ作りそのもののパラダイムも確実に変わりつつあります。 これからの時代に対処するためには、モノ作りに、作り手側の強いエネルギー、しかも、真に人間の幸福を考えたエネルギーを込めることが必要だと思います。 |