ILLUME 15号(1996) 「考えるデザイン-3」

それは、誰のためのデザイン


HD-1をプロデュースした浜野安宏氏

我々デザイナーには自分が欲しいと思ったものをデザインできるチャンスとスキルがあります。しかし、世の中のもの全てが自分が欲しいという欲望から生まれたとは限りません。売れるから、とか、競合他社との比較の中から生まれてくるものが多いようです。

カメラも変わった ヒトも変わった

30年位前は、カメラは貴重品でした。父親は書斎の引き出しから、革のケースに入った、丁寧に磨かれたカメラを大事そうに取り出し、フィルムを装填しASAを合わせ、露出や、ピント、さらにストロボのガイドナンバーなどを丹念にチェックしてシャッターを押しました。撮影される側も一張羅を着て緊張していたものでした。

その後カメラは、撮影する側の、より便利にといったニーズに合わせて、自動露出、ストロボ内蔵、オートフォーカス、と便利な機能が付加され、一般の人も簡単に映像記録を残せるようになりました。

反面、機能を削り、安くてどこでも買えるレンズ付きフィルムというのも大きなシェアを占めるようになりました。カメラは途中で買ってシャッターを押すだけ。撮られる方も気軽にVサイン。

「遊びのプロ」が作ったカメラ

18年ほど前に私はFUJICA HD-1という世界初の生活防水AEカメラの開発に関わりました。クライアント(富士写真フィルム)からの依頼で始まった仕事ではなく、以前私の勤めていた事務所が企画として持ち込んだものです。

事務所の連中は皆、遊びのプロを自認していました。特にボスの浜野安宏氏は釣りきちがいで、しょっちゅう海外に釣りに行っていましたし、スタッフもスキーやテニス、ダイビングなどの遊びに熱中している連中ばかりでした。

今でも基本的には変わりませんが、カメラ業界には、対象がプロ、アドアマ(アドバンスドアマチュア=写真マニア)、それと素人という区別しかないようです。

我々は、映像にとことんこだわり重い機材を持ち運ぶプロやアドアマではない。しかし、かといって素人と十把ひとからげにされるほど、撮影の状況や、方法、結果に無頓着ではない。釣った魚や我々自身が楽しんでいるその瞬間の映像をきちんと記録したいだけなのです。でも当時それに適したカメラはありませんでした。だから、スポーツアクティビティを中心とした遊びのプロとしてカメラを見直そう、我々自身が使いたいカメラを作らせよう、というわけです。

今まで釣果を記録しようとしても水がかるからカメラを持って行かない。仮に持って行ったとしてもバッグの奥に大事にしまってある。

せっかく海外のビーチで泳いでも、カメラは濡れるといけないからホテルの部屋。

スキーだって転んだらカメラが壊れるし、雪が降っていたら困る。おまけにいちいち手袋を外して撮るのもおっくう。加えて、海水浴の子供の写真が極端に少ないというデータもありました。

サイズはこのくらい、スペックはこうこう、値段はこのくらい、と自分たちが欲しい仕様を設定していきました。この企画段階の最終プレゼンテーションには、だいたいこのくらいの大きさでこんな内部構成、重さはこのぐらい、と想定した塊を木で作り、アウトドアライフの象徴である赤いバンダナに包んで提示しました。

デザインは「おかず入れ」方式で

そしていよいよデザインの段階です。企画段階からいろいろな構想は練っていますが、一番の難関はやはり防水の点です。各部の防水箇所の内、何といっても裏蓋の防水方法が重要です。そんな折り先輩デザイナーが「おかず入れ方式で行こう!大きくすればグリップにもなる。」と言いました。はじめは何を言っているのかピンときませんでしたが、よく聞くと昔よくあったアルミの弁当箱の中に付いているおかず入れの箱のことでした。確かにゴムのパッキングが付いていて、両側から小さな金具でパチンと止めると、おかずの汁気がこぼれません。発想の柔軟さに驚かされたものでした。

コンセプトがはっきりしているので、デザインそのものはそんなに悩むことはありません。手袋をしたまま使えるために必要な大きさと形状、砂が付いても洗えるように複雑な面構成はしない、誤操作を防ぎ、視認性を高めるなどデザインはすぐコンセプトに基づき評価が下されます。本体のデザインと並行してカメラを胸に固定するためのチェストハーネスやストラップに付ける防水フィルムケース等も同時にデザインを進めていったことも特徴的かも知れません。

さらに、広告、パッケージデザイン、取扱説明書のデザイン、販売店向けのセールスマニュアルなども我々のチームが中心となって、当初のコンセプトを維持しながらデザインを進めます。

実際の製品を使ってみると、思った通り。それまで素人には切り取ることの出来なかった水面すれすれを跳ねる岩魚の画像、浜辺で飛沫を浴びながら遊ぶ子供達、雪の中を転げ回るカップルなどの画像を得ることが出来ました。海でHD-1を使っていると周りの人が「カメラが濡れていますよ」と注意してくれます。それが面白くてよく持ち歩いたものでした。

楽しみを与えてくれる道具はどこへ

HD-1そのものはすでに生産中止になっていますが、「精密光学機器から生活道具へ」という視点で新しいカメラの在り方のひとつを提示できたのではないかと思います。それまでカメラは生活者にとって、大切に扱わなければならない記録するためのモノだったのを、記録するだけではなく生活の楽しみ方を教えてくれる道具として捉え直したわけです。

我々自身の生活を楽しむ上でこんな道具が欲しい!から始まった商品開発でしたが、最近の世の中のモノ作りを見ていると、なかなか生活の楽しみ方まで提示できるモノは少ないようです。

機能が多すぎて使いづらかったり、店では目立つけど持つには恥ずかしかったり。おそらく、技術が出来たからとか、他社が作っているからとかの理由からでしょう。

形状も差別化や需要喚起のために、去年は直線、今年は流線型、来年は円弧などと次から次へと形を変えてきました。結局は多くの製品が4、5年で市場からなくなります。

デザインも消費から成熟へ

自らの生活に立脚しないこのような発想では、モノがモデルチェンジされた時にデザインも一緒に「消費」されて消えてしまうのです。デザインは消費されるべきものではなく、時間をかけ検証し、受け継がれて行かなければなりません。たとえ仮にフォルムは変わったとしても、その思想は受け継がれなければなりません。その結果、「熟成」されたデザインとなるのです。

「消費」の時代は終わりました。ドイツのBRAUN社のデザインディレクターのD.ラムスは「飽きの来ない製品を作ることはデザイナーの環境問題に対する義務だ。購買意欲を刺激することだけを主眼とした製品はやがてすぐゴミになる。」と語っています。

今までのようなモノ作りから早く脱却しなければなりません。その為には生活を見つめ、自分達が欲しいものを作るしかありません。それは、自分達が欲しいものを作るわけだから、生活を真面目に捉えさえすれば、以外と簡単なことだと思うのですが。


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