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アフガニスタン少数民族難民申請者によって問われる
日本の「難民鎖国」
(2001年12月4日筆)

 
 法務省・東京入国管理局が10月3日、ハザラ人などのアフガニスタン少数民族の難民申請者9名を、
難民申請に対する決定が出ていない段階で拘束・強制収容した事件は、11月25日、
法務大臣が9名全員に難民不認定処分を行ったことによって、新たな段階を迎えています。
  
1.ターリバーン政権の弾圧で受けた心の傷が「収容」によって悪化
2.「手負いの牡牛」と化した法務省
3.私たちの課題
 
1.ターリバーン政権の弾圧で受けた心の傷が「収容」によって悪化

 東京入管に収容された9名のアフガン少数民族は、事件発覚後すぐに、難民問題にとり組む弁護士たちで結成された「アフガニスタン難民弁護団」のサポートを得ながら、自らを収容した法的根拠である「収容令書」の発付を違法として取り消すことを求める行政訴訟(「収容令書」発付処分取消訴訟)と、「収容令書」の執行を停止することを求める申立(収容令書執行停止申立)を行いました。その結果、東京地裁民事第二部で審理された4名については11月5日の決定で収容が継続することになりましたが、残りの5名については、民事第三部が歴史的な収容停止決定を下し、これをうけて11月9日、彼らはほぼ1ヶ月ぶりに、東京都北区の強制収容所の外の土を踏むことができました。
 収容中から、彼らは強い疲労感や不安感、不眠などを訴えていました。彼らのほとんどはアフガニスタンでターリバーン政権による拘束や暴行、銃撃などを受けており、そのトラウマを背負っていたのです。彼ら5名は収容が解かれた後、しばらくして日本の難民心理学の第一人者と言われる精神科医の診察を受けました。「彼らは心に予想以上に重い傷を負っている」と感想をもらした精神科医は、彼ら5人全員にATSD(急性心的外傷後ストレス障害)の診断を下しました。ATSDは、心に受けたその傷口が開いた状態にあるということで、心の傷の後遺症であるPTSDとは違う質の深刻さをもっています。強制収容所への収容はそんな彼らにとって「取り返しの付かない損害」をもたらす可能性がある、とその精神科医は診断しています。
 一方、収容が継続された4名については、状況はより深刻になりました。4名は東京地裁民事第二部の決定について、東京高裁に即時抗告(控訴)をしましたが、その後、一人は自殺を試み、もう一人は摂食障害になりました。アフガニスタン難民弁護団と支援者たちは、4名についても精神科医の診察を要求しましたが、収容所側はこれを拒否しました。結果として、4名は心に重い傷を負いながら、治療はおろか、診察の機会さえ与えられていません。

2.「手負いの牡牛」と化した法務省(関連情報はここから)

 そんな彼らに対して、法務省は牙をむき出しにして襲いかかろうとしています。
 法務省は東京地裁民事第三部の歴史的決定に対して、なりふり構わぬ巻き返し作戦を開始しました。民事第三部の歴史的決定が確定すれば、法務省はこれまでの難民政策を全面的に転換しなければなりません。それを阻止し、とにかくこの決定を「なかったこと」にするために、まず法務省は彼らを「不法入国の偽装難民」に仕立て上げました。何カ月、何年と放置しておくこともある難民調査や退去強制手続のプロセスを、とにかく終わらせればいいとばかりに数週間で詰め込んだ上で、法務大臣は11月26日、ついに9名全員に難民不認定処分を下したのです。4名の抗告に対する東京高裁の決定が追い打ちをかけました。東京高裁は、4名の収容は合法であるとし、抗告を棄却したのです。
 法務省はかさにかかって4名を攻めたてます。本来、難民不認定処分に対しては、異議の申出を行うことが出来ます。しかし法務省は、彼らの異議の申出の権利を無視して27日、今度は4名に退去強制令書(強制退去命令)を発付、そして同日、彼らは茨城県牛久市の牛久強制収容所(東日本入国管理センター)に移送されました。彼らの話では、荷物を片づける時間は10分しか与えられませんでした。
 東京地裁民事第三部によって収容を停止された5名にも、危機は迫っています。28日、彼らは難民不認定の通知を受けに、東京入管に出頭させられました。この場での収容も懸念されましたが、結局、この日はそれはありませんでした。しかし、難民不認定の通知を受け取ったことによって、東京入管はいつでも退去強制令書を発付して再収容することができる状態に彼らを追い込みました。
 さらに法務省の寺脇一峰・総務課長は28日に記者会見し、9名を難民不認定にした理由と称して、9名の実名を挙げながら一人一人のプライバシーに関わる情報を暴き立てました。これは本人たちの許可を得ないで行われたものであり、明らかに、公務員が職務上知り得た秘密を暴露してはならないとする国家公務員法に違反しています。さらに、この中には難民認定手続と関係のない個々人の資産などに関する情報や、退去強制手続の中で公安的観点から集められた情報が大量に紛れ込んでおり、さらにその中には、まったく事実無根のものもあるということが判明してきています。
 法律を冒して難民申請者のプライバシーを侵害することまでして、民事第三部の決定を「なかったこと」にし、これまでの理不尽な「難民鎖国」に頑なに固執しようとする法務省。法務省はいまや「手負いの牡牛」と化し、彼らの強制送還に向けてしゃにむに突進しているのです。

3.私たちの課題

 アフガン難民問題に取り組む私たちの短期的な課題は、現在解放されている5名の再収容をなんとしても断念させること、そして現在牛久収容所に収容されている4名の解放をかち取ることです。法的にはいくつかの方法がありますが、心に大きな傷を負っている彼らの収容を解くことが、最初の課題です。
 より長期的で最大の課題は、彼らの意に反するアフガニスタンへの強制送還を阻止し、難民認定、もしくは在留特別許可といった方法で、彼らの在留権を保障することです。
 法務省の攻勢、東京地裁民事第二部や東京高裁の及び腰の姿勢に照らせば、この問題が短期で決着する可能性は少ないと思われます。今後、彼らアフガン人9名は、難民不認定を取り消すか無効にするための行政訴訟と、退去強制令書を違法として取り消すことを求める行政訴訟を、長期にわたって取り組んでいかなければなりません。
 とくに、ターリバーン政権が事実上崩壊状態にあり、「アフガン和平」が国連の手によって鳴り物入りで進められている現在、法務省は恐らく「ターリバーンが去った以上、彼らに迫害の危険はない」と主張してくることが考えられます。しかし、アフガニスタンの実態は四分五裂であり、北部同盟の主導権はハザラ人勢力ではなく、前大統領ラッバーニーを盟主とするタジク人のイスラーム原理主義勢力「イスラーム協会」がとっています。彼らは1993年、首都カーブルでハザラ人1000人を虐殺する事件を起こしており、ハザラ人は彼らへの不信の念を捨てていません。内戦が再発する可能性も含め、いまだアフガニスタンはハザラ人にとって「安全な場所」ではありません。彼らには迫害にさらされる「十分に理由のある恐怖」が存在し、条約難民として受け入れられる権利があります。
 この事件は、「難民鎖国」たる日本の実態を改めて浮き彫りにしました。私たちは彼らを難民として受け入れるために、また、日本の難民政策を「難民開国」へと抜本的に転換させるためにも、これからも彼ら9名の闘いを支えていきたいと考えています。

 
 



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