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日本のアフガン難民問題最新情報(2001年11月3日〜)


 
このページでは、刻々と移り変わる在日アフガニスタン難民問題の最新情報をお届けします。
 
 
  
2001年12月27日
  
  
【緊急速報】 
再収容されたアフガン人難民5名、
牛久収容所に移送される
〜ついに退去強制令書発付〜

 2001年12月27日、森山真弓法務大臣(77)は、さる21日に収容したアフガン人難民申請者5名について退去強制令書を発付。5名はすぐに、東京入国管理局第二庁舎(十条)を離れて牛久収容所(茨城県牛久市)に収容されました。入管は28日が仕事納めであり、なんとか年内に押し込んでしまおうという思惑ありありの措置です。退去強制令書というのは、対象者を収容した上、指定された送還先の国に強制送還することを命令する文書です。 
 もちろん、司法的な手続によって退去強制令書の執行を止めることはできます。通常、退去強制令書の取消訴訟と令書の執行停止申立を行うことによって、少なくとも送還部分については、取消訴訟の第一審判決までの間、とめることができます。ですから、今にも送還されるのではないか、というおそれを抱く必要はありません。しかし、彼らはアフガニスタンのターリバーン政権による収容と虐待を経験し、収容については強いトラウマを抱えているため、むしろ精神的・肉体的に、より深い意味で傷つけられてしまうのではないかということが、一番心配なことです。 
 牛久は東京から遠く、定期的な面会体制などが非常に重要になります。彼らを支援する団体・個人間のネットワーク「在日アフガニスタン難民支援ネットワーク」(あふねっと)が12月末に立ち上がり、彼らへのいろいろなサポート活動のネットワーク化ができつつあります。ご注目・ご支援お願い申しあげます。

 
 
 
 



 
2002年1月3日
 
緒方貞子・アフガニスタン問題担当政府代表が
アフガン難民申請者に人道的配慮を求める
 
 最近まで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の高等弁務官を務め、現在、日本政府のアフガニスタン問題担当政府代表を務めている緒方貞子氏が、12月19日に都内で行った講演において、「アフガン問題で積極的に対策をたてているのに、一方でアフガンから来た人たちを送還するのはどうか。法的問題について十分、柔軟な配慮が必要ではないか」と述べ、アフガニスタン難民申請者を退去強制しようとする政府に対して人道的な配慮を求めました。 
 緒方貞子氏は、来る1月21日〜22日に都内で予定されている、アフガニスタン復興のための閣僚級会議で、日本、米国、EU、サウディ・アラビアの代表とともに共同議長を務めることになっています。その緒方氏が、このような発言を行ったことは大変重要なことです。今後のアフガン和平に向けた日本の動きと関連して注目が必要です。
 
緒方氏の発言を報じる毎日新聞記事(2001年12月20日東京朝刊)
 


 
2001年12月21日
 
 
 
アフガン人難民申請者5名、
東京入国管理局第二庁舎に再収容
〜「収容機械」のスイッチはどこにある?〜
  
 2001年12月20日、東京入国管理局はアフガン人難民申請者5名に対し、東京入国管理局第二庁舎(東京都北区)に再収容のため出頭するよう命令しました。アフガン人5名は命令に応じて21日午前10時、東京入管第二庁舎に赴き、記者会見ののち、彼らを支援してきた「アフガニスタン難民弁護団」の弁護士らにつきそわれて東京入国管理局庁舎内に出頭、ふたたび収容されました。 
 彼らは2001年10月3日に東京入管により拘束され、収容令書により強制収容されましたが、11月6日、東京地方裁判所民事第三部(藤山雅行裁判長)が収容令書を執行停止とする決定を出し、9日に身柄を解放されていました。しかし、法務省は執行停止決定を不服として東京高等裁判所第九民事部に即時抗告(控訴)、12月19日、東京高裁が執行停止を取り消す決定を下しました。本収容は、これによって収容令書の効力を復活させた法務省が、まさに「収容機械」として彼らを収容したものです。 
 東京入管第二庁舎前には、午前9時頃からアフガン人たちを支援する多くの人々がつめかけ、いくつかのバナーや横断幕を掲げて再収容に抗議。午前10時、アフガン人たちと弁護団や関係スタッフが入管前に到着し、記者会見を行いました。記者会見では5名がそれぞれ発言。うち1人は、服用している数々の薬を集まった人々に見せ、医師が診断書を出し、通院も必要な状態にあること、法務省の収容は、こうした医療的な必要性を全く無視して行われる非人道的なものであることを告発しました。また、もう1人はアフガニスタンの情勢がいまだ厳しく、帰国できる状況にないこと、自分たちは、アフガニスタンが帰国できる状況になれば、当然帰国したいが、それは自ら決定すべきものであり、収容や強制送還などという措置は彼らには必要ないということを主張しました。最後に、彼らは収容が短期に終わることを信じていること、弁護団や多くの支援者に助けられてきたことを感謝すること、そして、多くの国民に助けを求めることなどを述べ、笑顔で弁護士たちとともに入管に出頭していきました。 
 入管に入ることができたのは当事者と弁護士たちだけで、一般の支援者は入管の外に閉め出されました。結局、即時仮放免により当日に身柄を解放することは不可能で、当事者と弁護団は泣きながら抱き合ってしばしの別れを惜しんだということです。 
 スイッチをオンにされた機械は、オフにするまでとまりません。法廷闘争も、マスメディアも、国会での質問も、結局のところ現時点においては、スイッチをオフにするには至りませんでした。「収容機械」は暴走を続け、一旦解放された5人を、ふたたび収容するに至りました。 
 「収容機械」のスイッチはどこにあるのでしょうか。私たちは何としても、そのスイッチのありかを見極め、オフにしなければなりません。スイッチを切り、「収容機械」から彼らをぶじにとりもどすこと。私たちの課題は、ふたたび重くなりました。 
  
<報道記事にリンク1!>東京入国管理局による
再収容に関する各種新聞記事
(2001年12月21日、毎日、朝日、読売各夕刊および共同)
  
<報道記事にリンク2!>東京高等裁判所の
再収容決定に関する各種新聞記事
(2001年12月19日、毎日、朝日、読売、東京各夕刊)
 
 
  

 
 

2001年12月19日
 

アフガン難民申請者の主張を理由なく却下
〜始めから結論が決まっていた高裁判決〜
 
 2001年12月19日に東京高裁民事第九部(雛形要松裁判長)が出した、アフガン人難民申請者5名に対する再収容の決定は、アフガン人難民申請者の主張を理由なく退け、法務省の主張をこれまた理由なく採用する絶望的なものです。東京地裁民事第三部の決定と比べて、その覇気のなさは明らかで、司法府が行政府の追認集団に成り下がっている現実を見事に表しています。 
 新聞報道によると、東京高裁の決定は、次のようなものです。 

(1)5名の入国目的は日本での事業や就労と推認される。 
(2)収容場の環境は過酷で人道上容認しがたいとは言えない。 
(3)5名はPTSDなどに悩まされていない。 
(4)弁護士との面会が認められているから、難民申請に関する活動が著しく制約されていない。 

 東京高裁は、彼ら5名がハザラ人でシーア派イスラーム教徒であること、もしくは政治的な立場により、ターリバーン政権による虐殺や迫害に直面していたこと、ターリバーン政権成立以前にも、各種ムジャヒディン勢力や軍閥による虐殺や迫害に直面していたこと、現在首都カーブルを制圧しているのは、虐殺を行ったムジャヒディンそのものであることなど、アフガニスタンで生起している様々な事実から、目を背けました。 
 東京高裁は、5名を診察した難民心理学の専門家である精神科医が、彼らがATSD(急性心的外傷後ストレス傷害)に苦しんでいるとの診断を行ったという事実から、また、東京入管の収容場には医師が1人もおらず、いるのは看護婦だけである事実から、目を背けました。 
 東京高裁は、法務省が国会などで「日本は厳格に難民調査をしている」と答弁し、難民申請者に対して証拠集めなどの点で他国に比べて著しく過大な負担を負わせているという現実や、今回5名の関係で弁護士が集めた証拠に関して、法務省側が受け取り拒否をしていたという事実から、目を背けました。 
 東京高裁の結論は、あらかじめ決まっていました。行政府の誤った政策を質し、日本の「難民鎖国」のあり方を変える端緒となる可能性をはらむものとしてあった東京地裁民事第三部の決定をいかに葬り去り、「今日と変わらない明日」を平穏無事に実現するか、変化の芽をいかにつみとっていくか。東京高裁は、「今日と変わらない明日」のその果てに、いかなる腐蝕が待っているかということに対しては、なんら注意を払いませんでした。そして、この決定を出すことで、自ら放棄したものが何なのかについても、徹底的に無自覚でした。 
 5名の収容が迫っています。私たちは、残されたすべての法的手続、すべての資源を動員して、5名の収容をとめる必要があります。

 
東京高裁決定に関する報道(朝日・毎日・読売・東京)
 

2001年12月15日

アフガン人難民申請者9名のうち収容中の4名が
在留権を求めて東京地裁に提訴
 
 
 10月3日に東京入国管理局によって強制収容された9名のうち、収容を継続され、現在牛久収容所(法務省入国者収容所東日本入国管理センター)に収容されている4名が、在留権を求め、12月12日、東京地方裁判所に提訴しました。 
 この訴訟については、大変ややこしいので、少し説明します。 
 4人は、(1)退去強制手続、(2)難民認定手続 という二つの別個の法的手続の上にのせられています。 
 (1)は在留資格のない外国人を強制退去させるための法的手続です。彼らは11月27日、法務大臣によって「退去強制令書」を発付されました。この「退去強制令書」というのは、在留資格のない外国人を@強制収容し、A指定された国に送還する手続で、これを発付されたまま放っておくと、強制収容が継続された上、強制送還されてしまいます。ですから、強制送還を止めるためには、裁判所に「退去強制令書」の執行を停止する決定を出すよう申し立て(執行停止申立)、さらに「退去強制令書」の発付処分が誤りであるとしてこれを取り消すよう求める行政訴訟(「退去強制令書」発付処分取消訴訟)を提訴する必要があるわけです。 
 一方(2)については、外国人を難民として認め、保護するように求める手続ですが、法務大臣は11月26日、「難民不認定処分」を行いました。これについては、難民申請者の側には「異議申出」の権利があり、これにそって異議を申し出た場合、法務省はもう一度難民調査をし、再度判断を下さなければならないことになっています。彼らは現在、異議の申出を行っており、こちらについてはまだ裁判を起こす段階には至っていません。 
 今後、裁判は本格化し、法廷なども開かれることと思います。また、収容を止めるため、収容所に対して仮放免を求めていく運動なども展開されていくことと思います。4名に対して、市民レベルの積極的な支援が必要です。
  
「退去取り消し求めて提訴 不法入国容疑のアフガン男性4人」
(2001年12月12日 朝日新聞夕刊)
 


 
2001年12月11日
 
アフガニスタン人9名の収容問題で朝日新聞が再び社説掲げる
 
 朝日新聞社は、「アフガン難民申請者を再収容しないで!世界人権デー緊急集会」が開催された12月11日、社説で在日アフガニスタン難民問題を取り上げ、法務省の決定などの不透明さを厳しく批判、司法判断がまっぷたつに分かれたことについても取り上げた上、収容継続を認めた東京地裁民事第二部や高裁第三民事部の決定について「人権への配慮を欠き、入管行政を追認しているといわれても仕方がない」とこれまた厳しく批判しました。
 
「足元の貢献が試される 難民認定(社説)」(2001年12月11日 朝日新聞朝刊)
 
「この収容はおかしい」(2001年10月27日 朝日新聞朝刊)
 


2001年12月11日
 
「アフガン難民申請者を収容しないで!世界人権デー集会」が成功

 2001年12月11日午後5時30分より、衆議院第二議員会館において、アフガニスタンの難民申請者5名と、主治医の方をお迎えして、「アフガン難民申請者を収容しないで!世界人権デー集会」が開催されました。
 この集会は、東京地裁民事第三部の歴史的な「収容停止」決定に対して国側が即時抗告(控訴)した裁判について、東京高裁の決定が出される日程が間近に迫っていることを踏まえ、5名を収容しないで!という声を大きく上げていこうということで、関連各団体が連名で実行委員会を結成して開催したものです。
 会場には65名の参加者が集い、また、国会議員も、社民党の北川れん子議員、田嶋陽子議員、福島瑞穂議員をはじめ、日本共産党の議員、民主党・公明党の議員秘書が参加しました。
 今回の実行委員会には、外国人労働者の支援運動を行っている諸団体をはじめ、多くの団体が加わっており、今後、「収容しないで!」の声が各界からわき起こってくることが期待されます。
 

集会に関する報道「難民を再収容しないで」(2001年12月11日 共同通信社) 

(以下、集会要旨)
 

2001年12月11日 衆議院第二議員会館に集まろう!
アフガン難民を収容しないで!世界人権デー緊急集会
  
主催:「アフガン難民を収容しないで!世界人権デー集会」実行委員会 
  
呼びかけ団体(2001年12月11日正午現在) 
 移住労働者と連帯する全国ネットワーク 
 難民・移住労働者問題キリスト教連絡会 
 チームS・シェイダさん救援グループ 
 市民外交センター 
 外登法問題と取り組む全国キリスト者連絡協議会 
 在日韓国人問題研究所 
 カトリック正義と平和協議会 
 日本カトリック難民移住移動者委員会
  
○日 時 2001年12月11日(火)午後5時30分〜6時30分(5時10分開場) 
○場 所 衆議院第二議員会館第二会議室(丸の内線国会議事堂前・有楽町線永田町) 
○連絡先 移住労働者と連帯する全国ネットワーク(担当:矢野) 
 112-0002 東京都文京区小石川2-17-41富坂キリスト教センター2号館203号 
 電話:03-5802-6033、FAX:03-5802-6034 
  


  
 日本に逃れてきたアフガン少数民族の難民申請者たちに、収容の危険性が高まっています。10月3日、法務省はアフガニスタンの難民申請者9名を東京入管の収容施設に収容。11月6日に東京地方裁判所民事第三部が出した画期的な決定によって、このうち5名は一時的に収容を解かれました。しかし、11月26日、法務大臣は9名全員を難民不認定とする処分を行い、収容が続いていた4名は翌日には混乱の続くアフガニスタンへの強制送還の命令を出され、茨城県牛久市の収容施設に送られてしまいました。 
 そしていま、残る5名についても、来週にも強制送還の命令が出され、ふたたび収容されるのではないかと懸念されています。 
 彼ら5名はアフガニスタンのタリバン前政権による虐待に直面し、心に深い傷を負っている人々です。彼らを診察した難民心理学の第一人者である精神科医は、彼ら全員に「ATSD」(急性心的外傷後ストレス障害)と診断し、再度の収容は彼らに取り返しの付かない損害をもたらす可能性があると警告しました。 
 私たちはいま、声を大にして、法務省に「アフガン難民を収容しないで!」と訴えていきたいと思います。私たちは、世界人権デーの翌日である12月11日、アフガン難民当事者の主治医の方のご参加を得て、「アフガン難民を収容しないで!世界人権デー集会」を開催します。ぜひともお越し下さい! 
  
 


 
 
アフガニスタン少数民族難民申請者によって問われる
日本の「難民鎖国」(2001年12月4日筆)
 法務省・東京入国管理局が10月3日、ハザラ人などのアフガニスタン少数民族の難民申請者9名を、
難民申請に対する決定が出ていない段階で拘束・強制収容した事件は、11月25日、
法務大臣が9名全員に難民不認定処分を行ったことによって、新たな段階を迎えています。
最新情報を整理しました。
 


  
法務省の11月28日「難民不認定理由開示」記者会見に反論する
「奴らは金を持っている、だから難民ではない」
ゴシップ雑誌化した難民認定(2001年12月11日筆)
法務省は11月28日、9名のアフガニスタン難民申請者の難民不認定の理由を公表すると称し、
9名の銀行口座の取引額など、難民認定に関係のないことも含め、
9名のプライバシーを事細かに発表しました。
難民条約という国際基準で堂々と勝負することを避け、
俗情と結託しようとする法務省のこのやり方は、
出発点からして誤っています。
 


 
2001年11月27日
 
「手負いの牡牛」法務省の暴走を止める手だてはないのか
 
『奴らは、みなグルだ』−金義夫はそう思わずにはいられなかった。
梁石日「夜を賭けて」(幻冬舎文庫)
 
 11月26日の9名全員に対する「難民不認定」処分(ただし、収容を解かれている5名については決定通知書を受理していないため、処分は成立していません)以降、法務省・入管当局はなりふり構わぬ攻撃を次々と繰り出しています。 
 法務大臣(森山真弓)は11月27日、東京入管第二庁舎収容場(東京都北区)に収容されていた4名のアフガン人に対して、退去強制令書を発付、即座に牛久強制収容所(東日本入国管理センター)に移送しました。法律上、彼らには難民不認定に対する異議の申出の権利があり、異議の申出によって難民と認められたケースもこれまで数例存在します。退去強制令書の発付は、難民法に定められた適正手続を無視するものであり、許されません。 
 牛久強制収容所の処遇についても大きな問題があります。彼らはタリバーン政権の虐待による心の傷が収容で再び開いてしまった状態にありますが、牛久収容所の医療は極めて劣悪です。収容の停止に尽力するとともに、適正な処遇と医療の保障をも強く要求していく必要があります。 
 一方、解放されている5名は、法務省の今後の攻撃を前にして記者会見を行い、日本政府にあらためて難民認定を求めました。 
 戦争と迫害から逃れてきたアフガン人少数民族たちが、国家からの安全、正義と平和を獲得するために、いったいどうしたらよいのでしょうか。今や「手負いの牡牛」と化した法務省の暴走を止める手だてはないのでしょうか。
 
2001年11月28日毎日新聞インラタクティヴ
収容のアフガン人:4人 東日本入国管理センターに移送さる
アフガン人:5人が会見 難民認定を訴え

  

2001年11月26日
 

 在日アフガン難民9名に難民不認定処分
「再収容」を許さない世論を巻き起こそう
 
 本日朝のNHKニュースによると、2001年11月26日、法務大臣(森山真弓)は本年上半期に日本に入国して難民申請を行っていたハザラ人などアフガン少数民族9名全員に対して、難民不認定処分を決定しました。 
 
タリバンと戦っていないから難民ではない?
法務省の驚くべき「難民条約」認識

 本日朝のNHKニュースによれば、難民不認定の理由は、「タリバンと戦ったり政治活動をした経歴がなく、迫害を受けるおそれは乏しい」などというものですが、これは噴飯ものです。 
 彼らはタリバーン政権によって拘束され、暴行を受けるなど、実際にタリバーン政権による迫害を受けてきた人々であり、その迫害などによってATSD(急性心的外傷後ストレス障害)の診断を受けています。法務省の処分は、彼らをテロ対策の一環として拘束・強制収容したことを隠蔽し、「法務省の難民政策は国際秩序に反する」として彼らのうち5名を解放した東京地裁民事第三部の歴史的決定を「なかったこと」にするための政治的な処分です。 
 また、この難民不認定処分については、9名の代理人である「アフガニスタン難民弁護団」が提出した資料を入管側が受け取りを拒否するなど、本来必要な証拠の検討を全く行わないまま出されたものであり、手続上の瑕疵も見られます。 
 難民申請に関して不認定処分がおりた場合、一度だけ異議の申し出を行うことができます。また、行政事件訴訟法で規定されているいくつかの方法で、不認定処分の取消や無効の確認を求める訴訟を提起することが可能です。 
 一方、難民申請について不認定処分がおりた場合、退去強制手続についてもほぼ同時に最終段階の判断が下され、法務大臣が「退去強制令書」を発付するのが通常です。「退去強制令書」は送還と収容の二つの命令から成り立っており、もし退去強制令書が発付されれば、解放されていた5名も再収容される可能性が高いです。 
 

東京高裁も残る4名の収容停止申立を棄却

 一方、同じ26日、東京高等裁判所は、東京地方裁判所民事第二部が出したアフガン人4名に対する収容継続の決定に対する即時抗告(通常の裁判で言う控訴)について、棄却の決定を下しました。内容は、東京地裁民事第二部の決定を踏襲するもので、収容されていても難民認定手続などは行うことができるため、収容は彼らに回復不可能な損害を与えるものではないというものです。 
 しかし、実際には、収容が続く4名のアフガン人のうち一人が自殺未遂、もう一人が摂食障害を起こすなど、アフガン人たちの精神状態は極度に悪化しています。ただちに彼らを解放することが必要ですが、彼らにも難民不認定処分がおりているため、退去強制令書の発付も近いものと思われます。 
 アフガニスタンの情勢は極めて混沌としており、現状で彼らにとって安全な場所ではありません。強制送還は許さない、彼らをただちに解放すべきだ、という声を、大きく上げていきたいと思います。

  在日アフガン難民9名に難民不認定処分(2001年11月26日NHKニュース)
  

 
2001年11月25日
 
解放されたアフガン人難民5名が記者会見
不適切な難民審査、難民不認定で再収容の危険も
 
 東京地方裁判所民事第三部の歴史的決定により収容停止を受けて解放されたアフガン人難民5名が2001年11月24日、東京都内で記者会見しました。 
 彼らはアフガンの主要支配勢力だったタリバーン政権による民族虐殺に直面して拘束や暴行を受け、そこから逃れて日本に来た人々です。 
 毎日新聞の11月24日夕刊記事に述べられているとおり、彼らは難民として受け入れられると思っていた日本で、意に反して強制収容された結果、タリバーン政権の虐待によって受けた心の傷が再び開いてしまう精神的な症状、「ATSD」(急性心的外傷性ストレス障害)と診断されています。難民認定や在留特別許可などによる安定した在留資格が早急に彼らに与えられるべきなのです。 
 ところが、彼らが東京入管によって再び収容されてしまう可能性が、急速に高くなってきています。 
 毎日新聞の記事によると、彼らは26日に東京入国管理局から出頭を求められています。東京入国管理局は、十分な証拠も検討しないまま、彼らに難民不認定を出し、その上で「退去強制令書」を出して彼らを再収容しようとしています。歴史的な民事第三部決定を、法務省挙げて「なかったこと」にしようとしているのです。 
 彼らの再収容は、精神的な傷を負っている彼らに、取り返しの付かない損害を与えます。また、タリバーン政権が崩壊したとはいえ、アフガニスタンの情勢は厳しく、その他の民族や軍閥による迫害が生じる可能性も大きいのです。 
 彼らの再収容は絶対に許されません。再収容をめぐる情勢は急展開の可能性があります。彼らの状況にぜひともご注目お願いします。
 
「犯罪者扱いしないで」 拘束を解かれたアフガン人、難民認定訴え
 毎日新聞11月24日夕刊記事
 
拘束解けたアフガン男性 ATSDの症状 5人会見
 北海道新聞11月24日夕刊記事
 


 

2001年11月19日

東京入管収容中のアフガン難民申請者が自殺未遂
 
 
 10月3日、東京入管により収容され、11月6日に東京地方裁判所民事第二部により収容令書の執行停止を却下されて収容され続けていたアフガン人(ハザラ人)男性4名のうちの1人が「ここでは人間として扱ってもらえない」として自殺未遂をしていたことが、朝日新聞の報道で明らかになりました。 
 本ホームページで以前からも触れていることですが、収容されたアフガン人少数民族の人々は、そもそもタリバーン政権によって迫害され、非人間的な拘束や暴行にさらされた経験があり、多くの人がPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症している可能性があります。 
 入管当局は、本来、難民として保護を与えられなければならないこれらの人々に対して、期限の定めのない収容を強制的に行っています。 
 西日本入国管理センターでも、ベトナム人男性が10月30日に自殺するという悲劇が起こっています。日本の入管システムは、収容によって被収容者からすべての希望を奪い取り、被収容者たちに緩慢な自死を強制しているといっても過言ではありません。 
 アフガン人4名の収容の是非は、いま東京高等裁判所で審理されていますが、東京入管は彼らに適切な精神医療を保障した上で、裁判所の決定を待たずに、ただちに彼らを解放すべきです。
 
朝日新聞11月17日朝刊 「収容不当」の訴え却下されたアフガン男性が自殺未遂
 
毎日新聞11月7日朝刊 ベトナム人男性自殺 茨木の入管センター
 
 

2001年11月17日
 

政府がアフガン「避難民」の受け入れの検討を開始
 
 
 日本政府は、先の対米軍事協力法に基づく「基本計画」の策定を行っていますが、これと関連して、アフガニスタンからの「避難民」を一定数受け入れることを本格的に検討し始めたようです。(11月16日付毎日新聞) 
 10月に国会の衆議院法務委員会で、民主党の肥田美代子議員が行った質問に対して、森山法務大臣は「難民と避難民は違う」と答弁していましたが、今回の「避難民」受け入れはおそらくその線に沿ったものであると考えられます。 
 日本がこのような形で「避難民受け入れ」を検討し始めたのは、1979年のインドシナ難民受け入れ開始以来のことであり、先日11月6日に東京地方裁判所民事第三部が出した、アフガン人5名の収容停止決定とともに、日本のこれまでの「難民鎖国」政策をくつがえす画期的なものになる可能性をはらんでいます。 
 アフガン人「避難民」の受け入れが実効あるものとなるためには、次のような条件を満たす必要があると思われます。 

(1)アフガニスタンの国境隣接国の負担が物理的に軽減できる程度の人数を受け入れること。 

 「避難民」の定量受け入れというのは、70年代末〜80年代にかけて、インドシナ難民への対応として打ち出されたことがあります。政府は79年の閣議決定において、インドシナ難民の受け入れを決めましたが、その際の受け入れ枠は、わずか500人に過ぎませんでした。いかにも少ないというので国内外からの要求を受け、政府は国際会議などのたびごとに受け入れ枠を拡大、1985年には1万人の受け入れを表明しました。最終的に、インドシナ難民受け入れによって日本に定住したインドシナ難民は、1989年段階で6382名に及んだのです。 
 今回も、すでに6万人程度のアフガン難民が隣接国の国境に押し寄せているといわれます。すでに200万人のアフガン難民が滞在しているパキスタン、150万人が滞在しているイランの状況に鑑みれば、数百人などという規模では隣接国の負担は物理的に軽減されません。「協力のポーズを取っているだけ」とみなされないためにも、隣接国の負担が実際的に軽減されるだけの人数の受け入れが必要と考えます。 

(2)各武装勢力の迫害の対象となっている少数民族を排除しないこと。 

 アフガニスタン内戦やタリバーン政権の支配の中で、イスラーム教シーア派に属するハザラ人などは、最初はタジク人(イスラーム協会=「マスード派」)、つぎにタリバーン政権によって虐殺などの迫害を受けてきました。また、米国の報復戦争の発動に伴って、パキスタンやイランは国境を閉鎖し、とくにハザラ人はモンゴル系で識別がしやすいため、現地のパシュトゥン人勢力による迫害にさらされたり、パキスタン当局による逮捕や強制送還の対象となっています。パキスタンは、特にハザラ人に関しては「難民受け入れ国」ではなく「迫害国」の一つになっているといわれています。日本の「避難民受け入れ」に際して、その実務を、パキスタン当局や少数民族の実情を知らないNGOなどに委託した場合、ハザラ人などの少数民族は排除される恐れがあります。 
 これら暴力にさらされた少数民族は、本来、最も優先的に避難場所を確保されるべき人々です。少数民族の排除につながらないような体制を作るべきです。 

(3)定住化をも選択肢として含む形で、政治難民については条約難民として受け入れる道を確保すること。 

 政府は受け入れ先として長崎県の大村強制収容所(法務省入国者収容所大村入国管理センター)を検討しているといわれています。大村強制収容所は、敗戦後、韓国・朝鮮から入国してくる人々を収容し、船で韓国に強制送還するための施設として作られたものであり、収容定員もそれほど多いものではありません。 
 大村強制収容所への受け入れということであれば、それは、一定期間を区切って、少数の避難民を、厳しい管理の下に一時的に受け入れるということにとどまる可能性があります。これでは「ポーズに過ぎない」といわれても仕方がありません。 
 この「避難民受け入れ」を日本の「難民開国元年」「国際協力元年」と位置づけていくためには、インドシナ難民受け入れの事例を踏まえ、難民の定住化を選択肢として含む形をとり、また、条約難民にあてはまる人々については、受け入れ期間が終了したとしても、一律に帰国させるのでなく、難民申請の門戸を開き、今後も迫害の「十分に理由のある恐れ」のある少数民族などについては、条約難民として広く受け入れる必要があります。 

 一方、アフガン情勢の悪化に伴い、日本に逃れてきているハザラ人などのアフガン人少数民族は9月以降ますます増えているといわれています。空港で難民申請をしても無視され、上陸防止施設を経由して茨城県牛久市の牛久強制収容所(東日本入国管理センター)などに収容される場合が多いようです。すでに難民申請をしている人々も含め、これらアフガン人少数民族は、いわゆる「避難民」と同等かそれ以上に難民性の高い人々であり、これらの人々を収容したりすることは認められません。政府はこれらの人々に対する迫害をいますぐ停止し、より積極的に難民認定や在留資格の保障を行うべきです。

 
毎日新聞2001年11月17日朝刊 アフガン難民:政府が受け入れ検討


 
2001年11月7日
 

大阪で新たにアフガン人3名が難民申請
 
 東京で地裁決定に対する即時抗告が行われたこの日、大阪では、3名のアフガン人(ハザラ人)が
新たに難民申請を行いました。強制収容はされず、難民申請も受理(申請書を受け取ること)されました。
 
カトリック大阪大司教区国際協力委員会の声明
 


 
2001年11月7日
 
 5名の収容停止決定について東京入管が即時抗告
 
 即時抗告に関する新聞報道(毎日)


 2001年11月6日
 

東京地方裁判所民事第三部(藤山雅行裁判長)が
アフガン少数民族難民申請者のうち5名の収容停止を決定!
 
 たいへんすばらしい情報が入ってきました。アフガン少数民族難民申請者9名が東京地裁に申し立てていた「収容令書の執行停止申立」について、東京地方裁判所民事第三部(藤山雅行裁判長)が、自己の管轄下で審理されていた5名の収容を停止する(収容令書の執行を停止する)決定を行ったのです。5名は、11月9日にも解放されることになります。 
 決定文も極めて画期的であり、「(法務省の)態度は法の執行に当たって、難民条約の存在を無視しているに等しく、国際秩序に反するものであって、ひいては公共の福祉に重大な影響を及ぼすものというべきである」と、今回の法務省による強制収容に留まらず、これまでの法務省の難民政策自体に対して、厳しい法の裁きを与えるものとなっています。 
 私たちはこの決定を喜ぶとともに、政府が決定に対する即時抗告を行ったり、例は少ないものの執行停止の効力をなくさせる「総理大臣による異議」の表明をしたりしないよう、監視しなければなりません。また、残りの4名については、昨日、東京地方裁判所民事第二部(市村陽典裁判長)が、執行停止を却下する決定を下しています。本来同じ立場にある9名に、このような分断を持ち込むことは許されません。これについても、法務省・東京入管として仮放免等の手段で一括して解放するよう、要求していく必要があります。
 
<本ホームページ緊急ニュースリリース>ここから
難民申請者への強制収容に画期的な「法の裁き」
〜東京地裁、強制収容されていたアフガン人難民申請者5名の収容停止を決定〜
 
東京地裁民事第二部・第三部決定に関する報道(朝日新聞)ここから
 
 
アムネスティ・インターナショナル日本による声明
 
 
→2001年11月2日以前の「最新情報」はここから



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