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シュレディンガーの猫
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第一回

四年半の休暇

― 2002年5月 ―


 はじめての方は初めまして。

 そして、久しぶりの方は、ほんとうにお久しぶりです。「オンライン同人誌WWF」のページに掲載させていただいていた旧「珊瑚舎」のページを最後に更新したのが1997年11月、以来、四年半の休暇から帰って参りました。

 ご無沙汰いたしました。

 これからもよろしくお願い申し上げます。

 この4年半の時間で、私の作業環境は大きく変わった。

 私は2000年のはじめまで Windows3.1 で作業をしていた。ほとんど通信ソフトとテキストエディタしか使わない私にはそれで十分だった。ところが、残念ながら通信ソフトに2000年問題が発生してしまい、使い慣れた Windows3.1 の環境にお別れした。現在は WindowsXP 環境で作業している。

 Windows95 発売時の過熱ぶりを傍目(はため)に見てやり過ごした私には、パソコンやインターネットをめぐる環境の激変は2000年にやってきた。

 1999年までは、私の周囲では、たしかに会社などでメールアドレスを持っているひとはもう多かった。けれども個人でプロバイダと契約してメールアドレスを持っているひとはそれほど多くはなかった。だから、平気な顔で周囲のワカモノをつかまえて「メール使えよ〜便利だぞ〜」と説教して回るようなこともできた。

 それが2000年でぜんぜん違ってしまった。iモードをはじめとする携帯メールが爆発的に普及し、私は周囲のワカモノに「携帯でメール使えないんですか?」となじられるようになってしまった。そうこうするうちに、私の知り合いのあいだに「ブロードバンド」が普及し、私はその流れからも取り残されつつある。

 いまや、キーボードから mkdir とか cd\ とか打ちこまなければコンピューターが動かなかった時代を知っていることなど、なにの自慢にもなりはしない。というより、むかしそういう時代があったことも知らないでパソコンを使いこなしているひとがけっこう多くなったのではないだろうか。

 やっぱり1999年に一つの世界は滅んでいたのかも知れない。

 この激変が「IT革命」というものの結果なのだろう。

 「革命」というからには、この「革命」を起こすことで世のなかが劇的によくなると考え、「革命」を切実に求めたひとがいるはずだ。

 ところが、私には、世のなかの多くのひとが、「IT革命」を切実に求めたとは思えない。

 あの不人気だった森喜朗内閣が国を挙げての「IT」化を喧伝したとき、すでに情報通信技術に親しんでいた人たちは「いまさら何を言っているんだ」と冷笑した。そうでない人たちはそれが自分の日々の生活に直接にかかわるものと感じることができなかったのではないだろうか。

 「IT革命」は多くのひとが「変わってもいいが、変わらなくてもべつにかまわない」と思っていた分野で、少数の人たちが既成事実を積み重ねることで進められた。人びとのあいだに期待が広がるまえに、一部の少数の人たちが「こうすれば便利だからこうしよう」と提案し、提案すると同時に実行に移し、大量の製品を世のなかに供給した。それを多数の人が受け入れ、追従することで、この「革命」は進んで来た。私はそう感じている。

 でも、政治革命とは違って、産業革命というのはそれが標準的なありかたなのかも知れないと思う。

 18世紀末から19世紀の初めにかけて起こった工業化の産業革命のときも、イギリスや北アメリカ東海岸、西ヨーロッパの人びとが工業化革命を切実に求めていたとはあまり思えない。

 自動紡績機や自動織機を開発した人たち自身は、自分や自分の家族の生活が楽になることは願っていたかも知れないし、自分の立身出世も願っていたかもしれない。しかし、ここ200年のあいだに世界を覆ってしまった工業化社会を待ち望んでいたわけではないだろう。いや、自動車が世界中を走り回り、工場がいたるところにできて、工業のせいで地球の気候が変わってしまうほどになることなど、夢想すらできなかったに違いない。

 まして、当時の一般の人たちが、市場に行けば、生活に必要なものがいつでもいくらでも売っている世のなかを熱望していたのだろうか。せいぜい「そうなるのなら、そうなったほうがいい」という程度に考えていただけではないか。

 その時代の人びとの夢見ることの限界を超えて工業化革命は進行したのではなかったのか。

 工業化革命はたしかに世を変えた。

 工業化の産業革命が起こって何十年か経ったところで、人間が作った商品が世のなか(市場)にあふれるという事態が起こった。あまりにたくさん同じものを作りすぎて、人びとがその商品を買い切ってしまうことができなくなったのだ。売れないから商品の値段は下落し、工場の儲けは少なくなり、工場で働いている人たちの給料は減る。そのうちに工場は倒産、働いていた人たちは失業という大きな不幸が降りかかってきた。経済恐慌である。

 ヨーロッパ社会はそれまでにも大きな経済変動を経験していた。バブルもバブル崩壊も経験している。しかし、人間が工場で造った品物が世のなかにあふれかえり、そのために多くの人が不幸に直面するという事態は、この工業化産業革命ではじめて起こった事態だ。

 しかも、工業化が進むにつれて、工業化が作り出す経済変動に巻きこまれる人たちも増えてきた。株式市場や為替市場が生まれ、それが世界規模に広がった。世界中のだれもが、その経済変動の影響で生活を劇的によくする機会に恵まれた。かわりに経済変動の影響で生活を破滅させられる危険を背負いこむことにもなってしまった。そして、1930〜40年代には、その世界規模の経済変動が世界大戦を引き起こすまでになってしまったのだ。

 「IT革命」も産業革命の一種だろう。「IT革命」を主導した企業家たちは「あれば使うが、なくてもべつに困らない」という製品を大量に供給した。そして、その製品が大量に使われることで、その製品を「なければものすごく不便」なものに変えていった。それによって製品を次つぎに人びとに受け入れさせて行ったのだ。

 「IT革命」は私たちの生きかたを大きく変えたように見える。

 家庭ではともかく、職場ではパソコンと無縁ではなかなか過ごせなくなった。携帯電話は多くの人にとって手放せないもの、日々使っていなくてはどうにもならないものになってしまった。

 けれども、たぶん、それは今回の産業革命による変化の「始まり」にすぎない。

 「工業化による産業革命」は一人ひとりの生活から世界のあり方までを変えてしまった。それは産業革命の始まった時代には十分に予測できなかったことだ。同じように、「情報通信技術による産業革命」でも、一人ひとりの生活から世界のあり方までの世のなか全体が、それも私たちが予測もできないような変わりかたをしてしまうかも知れない。

 私はこのような流れの前衛集団に属することはないだろう。

 そういう位置から、この変化する世のなかに何かを言っていけるのだろうか?

 「世のなかは変わっても、人間には変わらないところはある」という立場表明を思いつく。しかし、私自身がそういう考えをあまり信じていない。変わらないところがあるのは確かだ。しかし「変わらないところ」は「変化」と対になって意味を持つ。だから、変化の意味をきちんと把握しないで、変化しない部分についてだけ何かを言ったところで、それは十分に意味あることばにはならないと私は思う。

 その問いに答えるための模索も進めながら、これから、このページに幾ばくかのものを書いていければと、私は思っている。

―― おわり ――




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