北京で押井守について考えたこと

清瀬 六朗



 仕事で中国の北京に行った。押井守監督の映画『アヴァロン』で、はじめて「クラス・リアル」の街に出た主人公アッシュの気分を気取って、私は空いた時間にホテルのまわりの街を歩いてみた。


高度成長とバブルが一度に押し寄せる街

 いま、北京では、街の姿が大きく変わりつつある。2008年のオリンピックを見据えてのことである。

 東京も1964年のオリンピックで大きく街の姿が変わったという。たとえば、東京の街を縦横に走っていた路面電車がほとんど姿を消したのもこの時期のことだったと思う。

 いま北京は同じような時期を迎えている。社会・経済の激変期である。都市の景観も大きく変わっている。しかも、その変化の速度は日本の1960年代前半も速い。少なくとも、情報通信技術の発達で、情報の流れる速度は1960年代前半の日本より遙かに速くなっている。現在の北京は、アメリカ合衆国や日本・韓国の同時代の文化の影響も大きく受けている。

 たとえば光ファイバーを使った打ち上げ花火型イルミネーションがある。横浜の港のあたりや東京のカラオケチェーン店の屋上に設置されている。これがいまでは北京のあちこちに普及しているのだ。昨年の夏に行ったときには他の地方都市でも見かけた。日本を上回る勢いで普及している。その北京の情景は、日本のバブル時代のまぶしさをも彷彿とさせる。バブル時代の日本よりも変化は徹底していてしかも急速なように私は感じる。高度成長とバブルとが同時に押し寄せているようだ。



消し去られる「古い北京」の姿

 そんななかで「古い北京」の姿は急速に消えつつある。というより、政策の力で、暴力的にと言っていいぐらいに激しい勢いで、消し去られつつある。

 古い北京の町並みは「胡同(フートン)」と呼ばれる狭くて入り組んだ迷路のような路地を特徴としていた。その路地の両側に煉瓦造りの建物が並ぶ。いくつかの建物が中庭を中心に配置された「四合院(しごういん)」という形の建物である。四合院の入り口には、日本のお寺の門のような立派な門が(しつら)えてある。四合院のなかのいくつかの家族の関係や路地を共有する人たちの関係が重なり合い、複雑な人間関係がこの北京の古い町並みを織りなしていた。

 ただ、これが住みやすいかどうかというと、意見はさまざまだろう。もちろん胡同や四合院に昔から住んできた人たちのなかには住みやすいと感じるひとが多いと思う。少なくとも高層マンションなんかよりも胡同や四合院がいいと思うひとは多いだろう。けれども胡同の町並みは衛生的とは言いかねる。路地も細く、入り組んでいるところも多くて、防災上もけっして優れているとは言えない。このような点は日本の下町のアパート街とあまり変わりがないように思う。

 いま、中国政府は、この胡同や四合院を壊す政策をとっているのだ。2008年のオリンピックを見据えた北京市大改造計画の一環としてである。

 胡同は北京の一部分に記念物的に残すだけにして(この胡同の保存区をめぐる観光ツアーもある)、それ以外の地域の胡同や四合院を壊しているのだ。北京に向かう列車や郊外の観光地に向かうバスから窓の外を見ていれば、人の住んでいない煉瓦造りの家並みの姿がいやでも目に入るはずである。車窓から見ていると人の住まない町並みが延々と続くこともある。その姿は壮観ですらある。

 そういう町並みを壊して何を作るかと言えば、高層ビルの建ち並ぶ近代都市である。すでに北京のあちこちに近代的な高層ビルの建ち並ぶ町並みが生まれている。

 北京のばあい、この高層ビル化と並行して、いまは何もない郊外に巨大道路を造ったり、郊外に通じる近郊電車の路線を造ったりしているところが計画的である。都心に高層ビルだけを造ればどうなるかというと、その高層ビル街に住んだり通勤したりする人びとの群れを交通機関が支えきれず、非常に住みにくい街ができてしまう。東京のばあいには、その交通機関の整備がいつも高層ビル街の発展を後追いする形で進められてきた(ゆりかもめ・大江戸線の汐留駅は汐留地区開発に先んじていたが、本格的にこの地域が発展するとほんとうに交通量を支えきれるかどうか?)。このへんはやっぱり長いあいだ計画経済を本格的にやってきた国である。このへんの議論は展開してみるとおもしろそうだが、今回はあんまり関係なさそうなのでやめておく。

 都市大改造計画によって、北京は、いま、煉瓦の平屋の家が並ぶ町並みから、高層ビルが並ぶ近代都市へと、急速にその姿を変えつつあるのだ。



廃墟の街

 だから、いまの北京には、人が引き払った胡同の長屋や取り壊しを待つ個人商店などの廃墟があちこちにある。

 それは私にとってはあまりに「押井守的」な風景だった。その廃墟を歩きながら、私は押井作品のことを思い出していた。

 押井守監督の『機動警察パトレイバー』劇場版(第一作)では、バブルで失われつつある東京の「風景」が主題のひとつとして描かれていた。それが観るひと(の一部)に衝撃を与えた。それは、作品のなかで、古い東京の家屋で育った天才プログラマーという経歴を持つらしい帆場暎一(ほばえいいち)というキャラクターとも重ね合わせられた。そして、作品中の帆場と、その作品の作り手である押井監督とは、そういうバブルの世相に強い反発を持ち、古い東京の風景を顧みないバブル期の風潮に抗議しているのだと解釈されたりもした。

 しかし、私は、押井守にしても、また、作品中の帆場にしても、単純に「反発」や「抗議」だけを表現しているわけでもないだろうと思っている。

 押井守はおそらくバブルの世相を意識の中心に据えているわけではない。押井にとって、都市の風景の破壊は、バブルの時代の東京だけに起こったことではなく、もっと普遍的な、運命的なできごとなのだ。それは、旧約聖書のバベルの塔の破壊以来、ずっと人間世界で続いてきた営みなのである。



都市の発展で喪われていくもの

 『Stray Dog』(『ケルベロス地獄の番犬』)では、押井は、台湾の風景を借りて、高度成長期の東京の風景を象徴的に描いた。

 この作品に出てくる台湾の都会は、派手な看板や張り紙で猥雑にけばけばしく飾り立てられている。それは、たぶん、そこに住む中国系住民の好みも大きく反映しているのだろう。けれども、この作品では、その猥雑さ・けばけばしさを、民族性の違いとしてではなく、ある段階やある時期の都市のあり方として描いている。それは都市のエネルギーがその都市の表面にまで溢れかえっている時代の情景なのだ。

 台湾の情景を使うことで、押井守は、バブルより前の高度成長も、都市から何かを失わせつつ進んだことを描いている。高度成長で失われつつある「何か」とは、端的に言えば、「道端で飯を食う時代」である。

 その「時代」に対して、押井守は、郷愁に近い哀惜の念を持っている。しかし、それが失われることを止められるとは、じつは思ってはいない。私はそう思う。

 押井守が原作・脚本という形でかかわった『人狼』の東京でも同じである。圧倒的な経済成長のもとですでに不可逆な変化を始めた(架空世界の)東京がこの作品の舞台である。『人狼』はそれについて行くことのできない人たちに視点を置いて描いた作品だ。

 しかし、だからといって、東京の変化について行けない連中が何をしたところで、それを止められるわけではない。その連中は、おそらく、東京の、あるいは首都の変化に対して、また、その都市を首都としている国の変化に対して、何もできないのだ。できたとしても、それはせいぜいただの騒乱事件を起こすことぐらいだ。

 劇場版『パトレイバー』(第一作)は、プログラマー帆場暎一が、その天才的能力を使って、古い東京の風景を破壊していくテクノロジーに「呪い」を与える物語だ。しかし、呪ってみたところで、古い東京の風景が復活するわけでもない。それは最初からできないことなのだ。その諦めを受け入れた上で、作品中の帆場の「犯罪」は組み立てられている。

 帆場暎一はその「犯罪」によって古い東京の破壊の阻止を図ったわけでも、単純な意趣返しや八つ当たりでその「犯罪」を引き起こしたのでもない。ただ、古い東京の風景が破壊されていくこと、それは止められないことを見せたかっただけだ。そうやって「見せる」ことに帆場の「犯罪」の意味はあった。

 それを描いた押井監督の立場も同じである。自分の育った古い東京を保存したいとか、古い東京を破壊するテクノロジーに警鐘を鳴らしたいとか意図で『パトレイバー』劇場版を作ったのではない。そう観たほうがいいと私は思う。



ユートピアの喪失

 押井守は都市に対して喪失感だけを持っているように思う。

 押井守の描く都市では、極端な言いかたをすれば、何かが喪われていく一方なのであって、発展によって何か新しいものを獲得していくわけではない。その喪われる「何か」の中核をなすのは、押井にとっては「立ち食いそば」であり「道端で飯を食う時代」である。

 だが、では喪われる前の時代がとても豊かなユートピアとして描かれるのかというと、どうもそうではないように私は感じる。

 押井守にとって、また、押井作品の一部の登場人物にとって、「立ち食いそば」や「道端で飯を食うこと」は、生きることそのものの根本に直接にかかわる重要なことだ。そして、それがおおっぴらに行えなくなることが、押井守や一部の登場人物にとってユートピアの喪失を意味するのは確かだ。

 では、喪失される前のユートピアは、理想的な世界だったのか? 「ユートピア」ということばは、本来は、「(この世界には)ない場所」というような意味であって、必ずしも「理想のくに」を意味しない。

 で、押井守のばあい、喪失する以前のユートピアだって、どうも理想世界ではないように思う。

 高度成長前の東京は「人情」とか「人のぬくもり」とか「濃密な人間関係」とかいうものにあふれている「暖かい」世界だった、という描きかたを、たとえば高畑勲(『アルプスの少女ハイジ』や『平成狸合戦ぽんぽこ』の演出家)ならばするかも知れない。山田洋次もするかも知れない。しかし押井守はそういう描きかたはしない。たとえ濃密な人間関係が張り巡らされていても、押井守のキャラクターたちは徹底して孤立している(このことは『WWF No.25 押井学会 Vol.3』所収の拙文で論じた)

 『うる星やつら』のあたるとメガネたちにしても、いつもいっしょに戯れてはいるが、根本のところで互いに心を許しあってはいない。これは、押井守が描いているかぎりでは、『パトレイバー』シリーズの特車二課第二小隊でも同じだと思う。

 『うる星』の世界や『パトレイバー』の第二小隊で 日々 繰り広げられる愚劇にしても、立ち食いにしても、『Talking Head』でのアニメ制作の共同作業にしても、それは、一体感や共同意識の表れなどではない。その孤立感を紛らわすための虚飾の道具にすぎない。

 そして、都市が発展するとは、その「虚飾の道具」の虚飾性が暴露され、道具としての役割を奪われていくことを意味する。つまり、虚飾で飾られていたものの本体が明らかになり、ぎらぎらした派手な原色の光のもとにさらされるのが、押井作品のなかでの都市の発展なのだ。



都市の発展と廃墟

 そうやって強烈な光で虚飾をはぎ取られた都市はどうなるか。

 それは廃墟に向かっていくのみである。『Stray Dog』の中国語圏の海沿いの都市は強烈な光に溢れていた。けれども、『攻殻機動隊』では、同じような中国語圏の海沿いの都市が廃墟への緩慢な歩みを始めている。これは『アヴァロン』の(「クラス・リアル」でないほうの)都市でも同じである。

 押井作品の都市は、強い光を当てると、虚飾をはぎ取られてその「真」の姿をさらけ出し、やがてその光の作用で褪色していってしまう。写真のフィルムが感光するように、だ。そして二度と鮮やかで透明な色を取り戻すことはない。

 喪われたユートピアを取り戻すことを押井作品のキャラクターたちは求めてはいる。けれどもそれが叶うことはけっしてない。押井作品のキャラクターはそのことも知っている。「喪われたユートピア」への熱望と諦念とのせめぎ合いに押井作品のキャラクターたちは苛まれる。

 押井にとっては、孤立感を紛らわせる虚飾が、『うる星やつら』に描かれたような友だちづきあいの愚劇であり、立ち食いである。喪われる以前のユートピアが東京の下町の雑然としたアパート街である。しかし、立ち食いや雑然としたアパート群が世代を超えて守るべき共通財産だなどと押井守は考えてはいない。次の世代では、たとえば、ゲームが「孤立感を紛らわせる虚飾」として登場し、超高層マンションが喪われる以前のユートピアの役割を果たすかもしれない。さらに下の世代にとっては、また別のものが、喪われたユートピアを構成するだろう。

 いずれにしても構造は変わらない。

 虚飾に満ちたユートピアが強烈な光のもとにさらされることで虚飾を奪われる。その強烈な光をもたらすのが都市の発展である。押井作品のばあい、「都市」は「世界」のあり方を集約して表現する場所として立ち現れる。だから、世界の発展と言い換えてもかまわない。その光は人間の孤立をも白日の下にさらしてしまう。そして、やがて、都市そのもの、世界そのものを感光させ、褪色させ、廃墟へと導いていくのだ。それが押井作品の描く「都市の発展」像である。

 押井作品のことを思い浮かべながら北京の「廃墟」を歩いて、私はそういうことを感じていた。



北京と東京

 それでも私が北京に感じたのは、どうして北京はこんなに「廃墟」をさらけ出して平気なんだろうという疑問だった。疑問というより単純な驚きだ。

 東京の街を歩いていると、現在の東京は、たとえ「廃墟」が存在しても、それを隠そうとしているように感じる。東京では、再開発中の土地は高い塀で囲われ、その金属塀にも明るい色彩で絵が描かれたりしている。そこが「廃墟」であることがなるだけ意識できないように「虚飾」を与えられているのだ。

 もちろん、それは、北京では破壊があまりにも急であって、ていねいに囲っている余裕などないということである。東京のばあい、北京ほどに破壊の速度は速くなく、囲いをめぐらし、それに絵を描いたりしている余裕もある。また、北京では、たとえ不満があったとしても、政府の決定には正面切った全面批判ができないのに対して、東京では再開発に対してしばしば反対運動が起こる。それに対する宥和のひとつの手段として、そこが「廃墟」であることを隠すことが行われる。騒音対策にもなる。おおよそそんなことなんだろうと思う。

 しかし私が感じたのはそういうことではなかった。

 現在の北京には、「廃墟」をさらけ出しても都市の風景を損なわないだけのエネルギーがある。「廃墟」があってもそれは一時的なもので、すぐに廃墟になる前よりももっといい街ができると、そこに暮らしている人たちの多くが感じている。

 それに対して、東京のばあいには、「廃墟」の存在をさらけ出すと、都市全体が「廃墟」に蝕まれてしまうのではないかと恐れているように見える。たぶん、「廃墟」を作ってその跡に新しい街を拵えてみても、少なくとも前よりも飛躍的にいいものはできないという諦念が、東京の人たちに共有されている。

 私は北京と東京の違いをそう感じるのである。

 もっと俗な言いかたをすれば、北京は若い覇気に満ちており、東京は中年の時期にあって、自分の衰えを自覚し始めている。

 けれども、だからといって、私は「東京よ若返れ」と言いたいとは思わない。

 政治家や経済人は、東京が若返り、いまの北京のような覇気に満ちた街になってほしいと思っているかも知れない。いや、もし選挙になれば、東京の都市としての「若返り」を主張する候補に私も投票するかも知れない。

 だが、私は、いまの北京のような若々しさも、いまの東京のような「中年っぽさ」も、どちらも都市のあり方として価値の違いがあるわけではないと思っている。東京は、「再開発したからといって飛躍的に都市の質が上がるわけではない」という諦念を持ちながら、それでも再開発していくしかない都市だ。いま東京に暮らしている人たちの多くは、そういう東京のあり方を消極的にであれ受け入れるだろう。少なくとも強く抵抗はしないだろう。それでいいんだと私は思う。

 押井守は都市を舞台に映画を撮ってきたし、そのことに自覚的でもあった。そしてその都市は具体的には東京であった。押井守が東京には興味を失ったと言ったという話もあるようだが、少なくとも90年代以前についてはそう言っていいと思う。

 では、押井守が北京のような都市に直面したらどんな映画を撮るだろうか? 押井守の都市の描きかたは、押井守が同時代を生きてきた東京のあり方に強く制約されているはずである。ぜんぜん違う都市を拠点にするとそれは変わってくるのか、それとも変わらないのか?

 私が北京で押井守について考えた妄想はだいたいこんなことである。


―― おわり ――


 ○ 北京の胡同については、上村幸治『中国路地裏物語』岩波新書 を参考にしました。



関連アーティクル

PAX JAPONICAをめぐる冒険(清瀬 六朗)

映画評:押井守ナイトショウ(テアトル池袋 2003年2月15日)

オンライン同人誌WWF(押井守関係コンテンツリスト)


ガブリエルの憂鬱 〜 押井守公式サイト 〜

野田真外さんのサイト「方舟」