伊賀上野と恭仁(くに)京再訪

清瀬 六朗



4.

恭仁宮のあった場所(19KB)
 恭仁宮のあった場所を木津川の堤から見る 恭仁京があった時代、木津川は「泉川」と呼ばれており、泉川が流れているかぎりこの都も永遠だと『万葉集』の歌に歌われた。

 伊賀上野の都市の造りは印象に残った。市街地の西側は近鉄電車の窓から見ただけなのでよくわからないのだが、市街地とその東側でぜんぜん印象が違う。市街地は古い城下町で、落ち着いたたたずまいの町のように思える。しかし町の東の郊外は自動車道路に沿って開けた沿道都市だ。とくにホテルの前の道路沿いには東京でよく見かけるチェーンの飲食店やマクドナルドやコンビニや新古書店が並ぶ。この自動車道は、文化的には、伊賀上野の町よりも直接に東京とつながっているのだ。上に雀がとまっているところをかたどった鉄の柵『ギャラクシーエンジェル』第二期の「今日のお題」にも登場したことがある……ってどうでもいいけど。「ヴァニラさんにざぶとん一枚!」)を東京で見かけたことがある。それと同じものがこの道沿いにもあって、けっこう驚いた。

 それともうひとつは関西線伊賀上野駅周辺の三田地区である。ここも郊外の落ち着いた住宅地のなかに唐突にいくつかの広大な工場が存在するという、少なくとも外から来た者にとっては奇妙な町に見える。

 ホテルの前の自動車道路の自動車交通は凄い。市街地を少し抜けただけのところなのに、大型のトラックが高速で走るのだ。とくに、次の日の早朝、伊賀上野駅始発の亀山行き列車に乗るのでこの道を歩いていたときにはけっこう怖かった。道の脇には歩道がない。トラックが来たら草の生えている道端に避けなければいけない。そこで草の根でも踏んでバランスを崩したら終わりである。速度が出ているのでトラックは避けられない。また、対向車線も高速でトラックが走ってくるので、歩行者が道端に倒れたからといって避けたりするとこんどは対向車とぶつかって大惨事になる。

 この道の両側は田んぼだし、家が並んでいるところもある。生活道路の一部分でもあるのだ。

 日本全国にはこんな場所がたくさんあるのだろう。東京の市街地に住んでいると、人びとの生活している空間のなかの道路を大型トラックが高速でぶっ飛ばしていくということが現実味を持って感じられない。東京では、街中の道路ではトラックはあんまり速度を出さないし、トラックが走るような道は片側何車線もあって広い。高速を出すときには高速道路を使うだろう。しかし、東京以外の地方には、たぶん、地元の人たちの生活領域のまん中を突っ切る道路をトラックが高速で走っていくここのような場所がいくらでもあるのだ。

 これだったら、どんなに注意していても日本のどこかで事故が起こるのは確率の問題だと感じる。特別な無謀運転なんかしていなくても、いくつか不運な条件が重なれば事故になってしまうだろう。

 また、よく「一般道の横に並行して舗装された農道が走っていて税金のむだづかいだ」とか「官庁ごとの縦割り行政の悪弊だ(一般道は国土交通省、農道は農林水産省)」とか批判される。このトラック道路沿いにも農道が並行して走っている。しかし、トラックが高速で走っていくような場所をトラクターがゆっくり走るわけにもいかないだろう。危ないし渋滞を招いてしまう。ムダな農道がないとは言わないが、ただ一般道と並行しているからと言ってすべてがムダな道とは言えないはずだ。

 東京や横浜や、その他首都圏の町で見聞きすることだけを基準にしてものを考えてはたぶんいけないのだろう。

 また、地元の人たちの生活している領域を高速で走っていくという環境を考えたら、車体に欠陥があれば大事故につながりかねないと感じて当然だと思う。そのトラックの欠陥を長いあいだ隠していた企業のトップは、自社の製品がどんなふうに国土を走っているかを知りもしなかったし、知ろうともしなかったのではないだろうか。


 それにしても、次から次へと流れてくるトラックを見ていて、どうしてこんなにトラックで運ばなければいけないのだろうかと思った。遠距離を運ぶなら鉄道でまとめて運んでしまったほうがむだが省けるはずだ。鉄道の貨物駅からそれぞれの営業所や配送先をトラックで運搬すれば、エネルギー面でもむだが省けるし、郊外の早朝の道を次から次へと高速で大型トラックが通り抜けていくようなこともなくてすむはずだ。

 というわけでこんどはトラック輸送を鉄道や船に振りかえて地球環境を守りましょうというモーダルシフト論議に行くわけである。

 モーダルシフトは、LRTと並んで鉄道を「斜陽」から大逆転させる構想なので「鉄」の人にとっては嬉しい議論である。一日にほんの数本の車輌一つだけの気動車がさびしく走り抜けている線路に、一日にもうせめて何本かだけでも貨物列車が走るようになったら、日本の鉄道風景はもっとにぎやかで愉しいものになるだろうなと思うのだ。廃止寸前の地方私鉄や第三セクター鉄道も、貨物輸送に活用できれば復活することができるかも知れない。

 でも、それだけではなく、こうやって歩道のない道で大型トラックがすぐ横を走り抜けていく恐怖をこの身をもって感じると、モーダルシフトは「鉄」趣味を超えて議論しなければいけないテーマだと思う。

 国土交通省も、二酸化炭素排出量の問題もあって、モーダルシフト促進のキャンペーンを始めている。持続的な取り組みも始めているようだ(→国土交通省「モーダルシフト等促進協議会の設立と第1回会議の開催について」のページ)。「モーダルシフト等促進協議会」は、第一回会議の時間が一時間(3月22日の午後3〜4時)だけで、次回の開催日がかなり先(「本年秋頃」)なのが気にはなるけれど、だいじなのは会議で話すことよりもじっさいに何をやるかだ。委員からもいろいろと意見が出ているようなので、具体的にどういう動きがあるかこれからも関心を持っていきたいと思っている。私も、モーダルシフトという議論があるのは以前から知っていたけれど、NHKの『クローズアップ現代』でこの問題が採り上げられているのを見るまでずっと忘れていたんだから大きなことは言えない。


 私はトラックはすぐれた便利な輸送手段だと思う。トラックは、車幅より狭い道は別として、道があればたいていのところに入っていける。大きいわりに運転手さんの腕しだいでは非常に小回りがきく。以前、ふだんは小型車すら通っているところを見かけない細い私道(しかも道の片側には植木鉢がずらっと並んでいた)に引っ越し業者さんのトラックが入っていくのを見て、トラックってすごいな〜と感心したことがある。

 高速も出せて、しかも時刻表に縛られずに自由で融通もきくのがトラックの利点だ。時間のむだが省ける――渋滞なんかに引っかからなければ、だけど。しかも、途中で積み替える必要がないから、積み替えでミスが起こって荷物が行方不明になることもない(モーダルシフト論議では、この荷物積み替え時のトラブル対策についてあまり議論されていないように私は感じるのだが)。トラックの便利さを考えると、そこから鉄道や船に輸送手段を変えるモーダルシフトの実現はけっこうたいへんだろうと思う。

 しかしトラックにかぎらず自動車はエネルギーを多く消費する。鉄道もエネルギーは消費するといわれるかも知れないが、鉄道のほうがエネルギー消費はずっと少ない。単純な話で、道路とタイヤの摩擦よりも、線路と列車の車輪の摩擦のほうがずっと小さい。だからエネルギーの損失がずっと少ないのだ。電車は駅を出てしばらくモーターを回して走り、速度が上がると、モーターを切ってそれまでの惰力で走る。駅の間隔が短ければ、途中で惰力運転に移ってそのまま次の駅に着くまで惰力のまま走り続けることもある。自動車はこんな長い距離を惰力で走ることはできないし、だいいち、町のなかやほかの車が走っている道をエンジンを切って惰力で走るわけにはいかない。自動車では下り坂でギアをニュートラルに入れて惰力走行したりしてはいけないけれど、鉄道ではそれができる。また、高速道路は別として、一般道と較べれば、鉄道のほうが加速と減速の繰り返しが少なくてすむ。加速のときにエネルギーを大量に使うわけだから、加速・減速の繰り返しが少ないというのは大きな利点である。将来、燃料電池が普及したりすれば別だけれど、それまでは、エネルギーを大量に使うというのはそれだけ二酸化炭素を排出するということでもある。

 トラックの便利さを必要とし、それを発揮できる条件があるならば、トラックを使えばいいと思う。だが、上で引いた『クローズアップ現代』でも採り上げられていたように、トラックをとくに必要としないものまでトラックを使って運んでいるのが現状ではないか。私はなんでも鉄道や船で運ぶべきだとは言わない。けれども、鉄道をさびれさせておいて、一方で人びとの生活領域のなかの道路までトラックが次から次へと高速で走り抜けるのを放置するのはおかしいと思う。

 現在、日本貨物鉄道(ジェイアール貨物)でもモーダルシフトに関心を寄せていろいろと取り組みを強化しているようだ(→日本貨物鉄道「環境を考えれば鉄道輸送」のページ)。これまでは鉄道の側も貨物列車についての革新を怠ってきた面はあると思う。蒸気機関車の時代には、貨物列車用機関車(有名なD51型ももともとは貨物用。ちなみにC57型は旅客用)は、牽引力は強くても速力は遅いのが普通だった。道路の条件などで自動車がそれほどの速力を発揮できなかった時期にはそれでよかったのだろう。しかし現在ではトラックと競争するにはそれだけの速力が必要だ。ジェイアール貨物では、国土交通省の肝煎(きもい)りで、佐川急便と協力して、3月のダイヤ改正で最高時速130キロで走る高速貨物列車「スーパーレールカーゴ」を走らせ始めたらしい。時速130キロというのは新幹線を除く鉄道の運転速度の上限である。将来は新幹線での貨物列車運転を視野に入れてもいいのではないかと思う。現に、私が子どものころに読んでいた鉄道の本(東海道新幹線しかなかった時代に書かれた本である)には、新幹線の貨物列車の想像図が載っていた。

 日本社会は、その時代の最高水準の技術をあっという間にコストダウンし、大衆化することで「技術立国」を進めてきた。さほど便利さを求めていない人にもより便利なサービスをより安く提供することで産業の水準の向上をたえず図ってきたのだ。みんなが同じような便利さを求めていると想定して一元的な消費者像を描き、それを基準にした速度や効率を追求してきたのだ。それによって日本の産業は世界のトップを争うレベルを保ってきた。また、それで私たちの生活はたぶん私たちの想像していた以上に便利になった。

 でも、けっきょく、それは首都圏の大都市の人たちの生活の都合を全国に当てはめることになった。それが実現したのは、地方都市は地方都市らしく、農村は農村らしく、山村は山村らしくという国土の発展ではなかった。いまでは「じゃあ、地方都市らしい地方都市って何?」と問われても具体的な答えは見つからない状況ではないだろうか。たとえば、伊賀上野は「芭蕉と忍者の里」なのだそうだが、この街の人で蕉風の俳諧をたしなむわけではないだろうし、ましてこの街で忍者業に従事している人はそんなに多くないだろうと思う。そうではない上野の上野らしさというのがあるはずなのだが、それはいったい何なんだろう?


大島式脱穀機(24KB)
 関係ないけど、加茂の町を歩いていて道端で見つけた動力式脱穀機の一部。「大島式脱穀機」の文字が見えるので、大島農機さんがむかし造っていた製品なのだろう。

 これから先は、一人ずつの人が求めている便利さやそれぞれの地域に適した便利さを実現していく方向で産業の革新をめざしていくほうがいいのだろう。また、現在の技術の発展は、完成品のレベルでの大量生産によるコストダウンを必須としない段階まで発展しているようにも思う。

 で、そういう社会では、LRTやモーダルシフトで鉄道の活躍する余地はいまより広がるのではないだろうかと思う。……と、けっきょく「鉄」ネタに落ちるわけだ。

 でも、発展のしかたには問題があったけれど、ともかく日本全国に張り巡らされた鉄道網は日本の貴重な資産だと思う。その鉄道を廃止して、採算が取れるかどうかわからない高速道路を建設するよりも、いまある鉄道資産を活用することをまず考えたほうがいいのではないかと思う。

 もっとも、鉄道にしても道路にしても、採算が取れるかどうかだけで考えるのには私は反対だ。もちろんムダはいけない。しかし、公共交通機関を考えるには、採算性よりも公共性のほうが考える順位が上のはずだ。問題は、その「公共性」ということばが何を指すかということだ。ほんらい、公共性とは、その地方をどう発展させるかという方向性と深く関係して評価されなければいけないものだと思う。でも、どこの地域も鉄道や高速道路が通って大都市と結ばれるのが理想の発展方向だということになれば、けっきょく全部に共通する「公共性」として、カネがどれぐらいかかるかということで判断しなければならなくなってしまう。つまり、最優先の「公共性」は採算だということになるわけだ。採算絶対主義は国土の発展の方向性について十分に考えてこなかったことと表裏一体になって存在している。

 では「地方が大都市と結ばれて便利になること」以外の方向性を考えろと言われると、それはけっこう難しい。思いつかないと白状しなければならない。東京にいて「地方はもっと個性を持った発展のしかたをするべきだ」とうそぶくのはかんたんだけれども、それができるような想像力を当方が持ち合わせているかというとそんなことはぜんぜんないのだ。

 原則論的に言えば、まず自分がその想像力を取り戻すところから始めなければならないのだろう。けっこう前途は遼遠なように思う。


 私は、翌朝早くにチェックアウトして伊賀上野の駅に向かった。伊賀上野駅6時12分発の亀山行き始発に乗るためだ。まだ日は昇っていないが空は明るい。盆地は霧に煙っていた。山は近いが、その山までずっと薄い霧が覆っている。こんなふうに夜が明ける街もいいなと思う。

 亀山から名古屋に出て、名古屋から東海道線の快速・普通列車を乗り継いで東京に着いたのは昼過ぎの2時15分だった。新幹線・特急・急行を使わないで8時間ちょっとの旅だ。その日の午後から、職場から持ち帰っていた仕事にかかるつもりだったけれども、けっきょくその日一日は使いものにならなかった。「鉄」の直後に仕事を入れてはいけないというのは大きな教訓である。

 とにかく歩いた旅だった。運動不足の身体にはきつい旅だ。でも、夜の伊賀上野で、迷い、あせりながら歩いたことから、加茂の町を歩いて足にマメができてくたくたに疲れ切った夕方まで含めて、歩いていたときの情景がぜんぶ鮮やかに残っている旅でもあった。

 またこんな旅をしてみたいと思う。もっとも、こんどはもうちょっと計画をちゃんと立てて、体力的にもきつくなく、仕事にも差し障らないような旅にしたいとは思っているけれど。


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