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「お祭り指揮者」の愉しいブラームス



ダニエル・バレンボイム 指揮
ベルリン国(州)立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ)

ブラームス交響曲チクルス

サントリーホール
2月5日,12日


 今回の来日では、指揮者バレンボイムとベルリン国(州)立歌劇場管弦楽団(ベルリン・シュターツカペレ)は大活躍だった。大作「ニーベルングの指輪」四部作を通しで3回で演奏した上、ベートーヴェンとブラームスの交響曲の連続演奏会を開き、協奏曲や声楽作品も演奏している。


 さて、ブラームスの作品というと、なんかやたら晦渋だと言われている。では、今回のバレンボイムとベルリン国(州)立歌劇場管弦楽団のブラームスも大怪獣の出そうな晦渋な演奏だったかというと、ぜんぜん違っていた。

 こんな愉しくていいのかと思うほど、愉しいブラームスだった。


 いくつかのオーケストラの演奏会でブラームスの交響曲を聴いてみて、ブラームスの交響曲はオーケストラにとってはけっこう怖いレパートリーではないかと思うようになった。

 一流の指揮者やオーケストラでも、指揮者やオーケストラの調子が出ていないときには、ブラームスの交響曲はものすごくつまらない音楽に聞こえてしまうのだ。そういう演奏に出くわすと、指揮者やオーケストラを跳び越して、「なんだこの作曲家は?」と作曲家の才能を疑ってしまうくらいにつまらない。

 ブラームスが嫌いなひとならばべつにこういう結論に達してもかまわないだろう。ところが、私はブラームスが好きなので、こういう結論になってしまうとたいへん困るのである。

 だれが演奏しても感動しないというのであれば、それは「ブラームスはたいした音楽家ではない」と諦念しなければならないのだろう。けれども、嬉しいことに、いい演奏ならばブラームスの曲はほんとうに我を忘れるようなひとときを与えてくれる。だから、ブラームスはやっぱり私にとっては好きな作曲家でありつづけている。

 私が最初に聴いたブラームスの交響曲のレコード(CD)は、EMIから出ているフルトヴェングラー指揮ベルリンフィル(一部の曲は他の楽団)の交響曲全集だった。まだクラシック音楽が好きになって間もないころ、フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲全集をひと通り聴いてしまって、その次に同じ指揮者のこのブラームスの全集を買ってきたのだ。当時、ブライトクランク(擬似ステレオ)版全集が出てまだまもなくだった。

 どうもこれも問題だったらしい。

 ブラームスの交響曲は最初は何がなにやらまったくわからなかった。いま演奏しているのが全曲のどのへんなのかもぜんぜん把握できない状態で、CDが止まって「あ、終わったのね」と感じるくらいだった。

 ベートーヴェンでは、三番「英雄」や五番「運命」、「第九」など、「どこかで聴いたことがある」というのがあったし、普通にはあまり聴く機会のない曲でもなんとなく音楽の表情の起伏が最初からけっこう明快だった。ブラームスの交響曲にだって、当然、さまざまな表情があるのだけれど、ベートーヴェンから直接につづけて聴くと、それはいかにも「地味」に聞こえる。

 ところが、それを意地になって何度も何度も聴いているうちに、だんだんとこの音楽が好きになってきたのである。じわじわと効いてきた感じだった。それほどクラシック音楽を聴くのに慣れた段階で聴いたのでないだけに聴きかたは粗かった。それが粗いままに私の身体に定着してしまったのだ。その粗かったぶんをじつはいまも引きずっている。困ったことですね。

 このフルトヴェングラーの演奏がブラームスの交響曲の演奏として標準的かと問われたら、私は「そう考えないほうがいいんじゃない?」と言うだろう。けれども、私のなかでは、この演奏こそがすべてのブラームスの交響曲を聴くときの基準になってしまっているのだ。これはいまさらどうしようもない。


 同時代人からブラームスの「宿敵」視されたブルックナーの交響曲もたしかに「よい演奏」をするのが難しい。けれども、こちらは、聴くほうも最初から「難しい曲」というのがわかっている。少なくとも聴くほうから言えば、聴きに行く前から「おお、今日はブルックナーか」と、それ相応の覚悟を定めて演奏会に行く。演奏する側も同じだろう。ところが、ブラームスの作品は、そういう覚悟が要らなさそうでいて、じつはよい演奏をするのが難しいんじゃないかと思ったりもする。

 池辺晋一郎先生が、『音楽の友』2002年4月号から連載「ブラームスの音符たち」を始められた(たのしみにしています>池辺先生)。その第一回でヴァイオリンソナタ第一番「雨の歌」をとりあげ、この曲はどんな演奏を聴いても必ずどこか気にくわないところが出てくるということを書いておられる。これは池辺先生の音楽家としての卓越した感覚が生んだ思いなのだろう。でも、ブラームスの作品にはそんなことも起こりやすいんじゃないかというのが私の偏見である。


 だから、演奏会でブラームスの作品を聴きに行くときには、「またしょうもない演奏やったらどないしょ?」(ATOK15の「表現モード」の「話し言葉関西」を使ってみました)という恐れがいつもついて回る。

 神奈川県民ホールでの『神々の黄昏』の上演のときにロビーでこのチケットを売っていた。演奏会の日がたまたま空いていたし、チクルス券を買うと割引というのにもつられて買ってしまった。

 バレンボイムの指揮したシカゴ交響楽団のブラームス交響曲全集は持っていた。愛聴するというほどではなかったが、けっこうユニークな演奏だと思っていたので、この機会に聴いてみようとも思ったのだ。


 バレンボイムの演奏は、レコード(CD)ではブラームスの交響曲だけではなくいくつか持っているけれども、生で聴いたのは「ニーベルングの指輪」の上演が最初だった。けれども、このときには、オーケストラピット内での演奏なので、指揮姿はほとんど見えなかった。カーテンコールにはオーケストラを引き連れて舞台上に出てきていたけれども。

 だから舞台上で指揮している姿を見るのは今回が最初である。

 その指揮姿は、とにかく、動きの大きい、派手な指揮だった。指揮棒の動かしかたも大きいし、体の向きも頻繁に変える。同じフレーズの繰り返しでは、一回めに第一ヴァイオリンのほうに体を向け、二回めにはくるんと第二ヴァイオリンのほうに体の向きを変えて、棒を頭の上から腰のあたりまで大きく振る。「生気にあふれた指揮姿」とでもいうのだろうか。


 その指揮姿の派手さそのままに、音楽も派手だった。ブラームスの交響曲について回る大かいじゅーも、その勢いに圧倒されたのか、どこかに逃げて行ってしまったようである。シカゴ響を指揮したCDも、金管の音が目立っていて派手だったが、それを上回る派手さだった。

 その「派手さ」の成果はチクルスの第一回めの後半の交響曲第四番によく表れていた。


 この曲はブラームスの「かいじゅー」の巣窟みたいに言われている曲である。暗い、内面的、地味という評価が山のように与えられている曲だ。短調の曲だから、明るい曲でないのは当然である。「たしかに暗い」と居直ってしまうのもいいのかも知れない。

 けれども、「暗い」・「晦渋」一辺倒ではないのではないだろうかと私は感じている。最初にフルトヴェングラーの演奏なんかで慣れてしまうからだ、という気がしないでもないが、これはいまさらどうしようもないということはさっき書いた。

 なんにしても、この交響曲の最終楽章は、普通は、古い形式の変奏曲で書かれていて、生命力のない枯れた感じの曲だと考えられているようだ。ところが、この楽章は「快活な速さで、力強く(エネルギッシュに)、熱情的に」と指定されている。だから、フルトヴェングラーの演奏のように、情熱でぐいぐいと押していくような演奏がこの楽章の演奏としては正しいのではないか。

 バレンボイムとベルリン国立歌劇場管弦楽団は私のその信念を実現してくれた。最初から晦渋さとは無縁だった、というと、もしかすると指揮者や楽団の意思からは離れてしまうかも知れない。けれども、私にはそう受け取れた。とにかくエネルギッシュな演奏で、まさに手に汗を握る演奏だった。問題の第四楽章も、枯淡どころではなかった。暗さや渋さの強調されない、美しい音楽に仕上がっていた。

 この第四楽章は、先に書いたように、古い変奏曲の形式で書かれている。この「古い形式」については、シャコンヌとしている解説とパッサカーリアとしている解説があるが、ブラームス自身としてはシャコンヌのつもりだったらしい(ウォルター・フリッシュ『ブラームス 4つの交響曲』)。どちらにしても、J.S.バッハらの時代によく作られた形の音楽であることには変わりがなく、ブラームスの時代からみて「古い」のはたしかだ。

 これが最後の交響曲の最終楽章だということもあって、ここにこの「古風な」楽章を置いたことは、自分の作風が時代と合わなくなっていることに気づいたブラームスのため息のように解釈されることもある。


 けれどもこれはどうかな〜と思う。

 ブラームスという音楽家は、良くも悪くも音楽を発表することには慎重で、感情や感慨に流されて書いた音楽をそのまま発表するような人ではなかったんじゃないだろうか。

 ブラームスには、恩師シューマンの妻だったクララに片思いをつづけたとか、弦楽六重奏曲第二番にかつてよい仲だった女の名まえを織りこんだとか、そういうエピソードはたくさんある。ちなみに、この弦楽六重奏曲のエピソードに出てくる女性はアガーテ・フォン・ジーボルトという名まえで、その名まえ「Agathe」からドイツ語の音階の名まえに合う「A-G-A-H-E」(ラ‐ソ‐ラ‐シ‐ミ、「音名」でいうとイ‐ト‐イ‐ロ‐ホ)を取り出して曲にしたというのである。このひと、ジーボルト(シーボルト)という苗字からわかるように、幕末の日本史に登場するシーボルト博士の一族で、そのいとこの娘にあたるらしい(日本ブラームス協会『ブラームスの「実像」』)。

 また、思いを寄せていたらしいクララの娘が結婚することを知ったときには、実際に「怒りをもって」などと書き添えた楽譜を出版社に送ったりしているようだ。このとき「怒りをもって」作った曲が、ブラームスの管弦楽つきの声楽曲としては比較的よくとりあげられる「アルト・ラプソディー」である。晩年には、友だちの離婚騒動に首を突っこんで不仲になったりもしている。このとき、その仲直りのために作ったといわれているのが「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」だといわれている。

 ともかく、なんかその手の「生きるのが不器用な人」的な挿話にはこと欠かないのがブラームスで、それが「かいじゅー」イメージを増幅している。

 けれども、交響曲第一番を書くのに20年もかかったというエピソードからもわかるように、ブラームスは本質的には「音楽のための音楽」を書く人で、音楽的に無意味な作品は世に残そうとしなかった。だから、どんなに気分に流されて書いたとしても、音楽的に意味がないと考えれば世に出そうとしなかっただろう。


 だから、交響曲第四番の「古風な変奏曲」シャコンヌにしても、その形式が「古い」からといって、時代遅れを自覚して書いたという解釈には疑問がある。第一、同じ「古風な変奏曲」であるパッサカーリア(この第四楽章はパッサカーリア形式であるという説もある)は、ショスタコーヴィッチやウェーベルンや黛敏郎らも書いているけど、だからといってショスタコーヴィッチやウェーベルンや黛が「時代遅れ」を自覚していたなんて話は聞いたことがない。なんでブラームスばっかりそんなこと言われるんだ?!

 もしブラームスがわざと古い形式を選択したのなら、それは、ブラームスがその形式に音楽的興味を覚えたからだと考えるのが素直な解釈ではないだろうか。


 今回のベルリン国立歌劇場管弦楽団では、このシャコンヌ楽章でのソロ(「独奏」というような意味)楽器、とくにフルートの演奏が印象に残った。

 で、その演奏を聴いて思ったのは、この楽章はソロを聴かせるための楽章ではないのかということである。

 そこまで言うと言い過ぎかも知れない。しかし、ブラームスは、ヴァイオリン協奏曲でオーボエの美しいソロを書いたり、ピアノ協奏曲でチェロのソロを取り入れたりしていて、オーケストラの楽器の美しいソロをよく作っている。オーケストラのなかで、全体での演奏と、それぞれの楽器のソロとの組み合わせについて、意識的に考えた作曲家ではないかと思う。

 そういうことを考えてみると、ここでのシャコンヌの導入の意図は、オーケストラ音楽とソロのパートの組み合わせの一つのあり方を示したものであると考えてみるとしても、それほどそれは奇矯な考えではないと思えるのである。

 それに思い当たらせてくれたのは、今回の、バレンボイム/ベルリン国立歌劇場管弦楽団の怪獣の出ない、いや晦渋ではない演奏だった。


 今回の演奏については「底が浅い」と批評されそうなところはいろいろとあった。じっさい、休憩中にロビーに出てみると、何人か集まっていま聴いたばかりの演奏の悪口を言っている人たちに、それも何組か出会った。もー。

 たしかに、「ここは緊張感を高めるために休みを少し長くとる(タメる)だろう」と思って身構えていたら、すっと先に進んでしまって、力の抜けるところがときどきあった。これは「ニーベルングの指輪」の伴奏でも同じである。また、力が入りすぎているのか、演奏の乱れるところもときどきあった。交響曲の第二番の最後など、勢いのある流れのなかで二度あるオーケストラ全体の一斉休止(ゲネラルパウゼ)が、勢いあまって一斉休止になっていなかったように聞こえた。

 このブラームスの交響曲第二番は、フルトヴェングラーが、第二次大戦中、国民社会主義(ナチス)政権による逮捕から逃れるために亡命する直前にウィーンフィルを指揮して演奏した曲である(1945年1月)。フルトヴェングラーの演奏のなかでも熱情的な演奏で、最終楽章のこの最後の部分になだれこんでいく部分の勢いはすさまじい。それでも、この二度の一斉休止はちゃんと止めている。それで曲の緊張感をいやが上にも高めているのだ。ここで止まらないと、逆にぐちゃぐちゃになってしまって、緊張感がなくなってしまう。


 フルトヴェングラーを引き合いに出したのは、私がフルトヴェングラーが好きだからということもあり、また、さきに書いたように、私のブラームスの交響曲演奏の「標準」がフルトヴェングラーの演奏でできてしまっているからということもある。けれども、それ以上に、今回の演奏を聴き、指揮姿を見ていて、バレンボイムが目指しているのが「フルトヴェングラーのような指揮」であることを確信したからでもある。

 バレンボイムは、少年時代、「神童」ピアニストとしてフルトヴェングラーに出会い、激賞されたという話がある。朝比奈隆が「ブルックナーを振るなら原典版で」と言われたのと同じころの話である。それ以来、バレンボイムはフルトヴェングラーに傾倒しているらしい。

 フルトヴェングラーのレコード(CD)を聴くかぎり、たしかに、フルトヴェングラーには、音楽が盛り上がりを見せると勢いが止まらなくなるようなところがある。

 バレンボイムの指揮を見ていると、そのことに意識的に倣おうとしているのではないかと思えるところがあるのだ。ひたすら精緻にひたすら精密にオーケストラを鳴らすことではなく、音楽のもっている「勢い」を伝えることこそがオーケストラ演奏の役割であると確信しているように。

 もっと言ってしまえば、指揮台の上で自分が楽しめないような演奏は聴衆に聴かせるべきではないと思っているのかも知れない。指揮台の上で、自分が楽しみ、興奮し、その楽しさや興奮に身を委ねるのが、よい演奏の第一条件だと思っているようにすら、私には思えた。

 そう考えれば、身振りが大きく、指揮台の上で体全体をあっち向けたりこっち向けたりする指揮も、もちろん音楽的必然があってやっているのだろうけれど、同時に、それが指揮台の上での演奏の楽しみかたなのではないかという気もしてくるのだ。


 今回の演奏を聴いて、バレンボイムの本質は「お祭り」指揮者ということにあるんじゃないかと、私は思った。

 だいたいバレンボイムは「全曲演奏」とか「全作品上演」とかいう行事が大好きである。

 今年(2002年)だったか、ワーグナーの主要舞台作品連続上演というようなイベントをやるときいた。ワーグナーの作品は、長いし、オーケストラは大交響曲三曲分ぐらいを一回に演奏しなければいけないし、歌手も長いセリフを演技しながら歌いつづけなければいけないし、演出も大がかりだし、一作品でもたいへんなのである。それを十作品も連続上演するというのだから、これはもうたいへん大がかりな行事だ。

 今回の来日だって、ワーグナーの代表作に加えて、ベートーヴェンとブラームスの主要オーケストラ作品をどどどっと怒濤のように日本の聴衆(東京近辺だけだったが)に提供して行った。ベートーヴェンもブラームスもブルックナーも交響曲全集を録音している。じっくりと少数の作品をしみじみと聴かせるというのではない。派手な「お祭り」で一気にたくさんの作品を演奏するのが大好きなのだ。


 そういう指揮者ばっかりでは困るけれど、そういう指揮者がいてもいいじゃないかと思う。

 フルトヴェングラーの指揮はもっと精神的なもので、演奏するうちに我を忘れてしまうようなところだけまねてもしようがないというご意見もあろう(宇野功芳氏が言いそうである)。それはそうだとも思わないではない。少なくとも、バレンボイムの指揮した音楽とフルトヴェングラーの指揮した音楽それ自体が、そんなに似ているわけではないことは認める。

 先日亡くなったギュンター・ヴァントには「作曲者に対する尊敬の気もちが欠けている」と怒られるに違いない。

 いや、クラシック音楽の演奏とは、もっと正確に精緻に進めるべきもので、自分がそれに没入してしまうような演奏は意味がないという批判も出てくるかも知れない。

 ただ、他の音楽については触れないとして、ブラームスのオーケストラ作品のばあい、私はある種の「熱情」をもって演奏することは必要ではないかと思っている。もちろん私の偏見である。

 べつに、今回のバレンボイムの演奏のように、それが表面的な派手さとして出なくてもいい。演奏家の内側の「熱さ」で十分で、それが、音を伸ばす長さのちょっとした揺れとか、音を止めるときの思い切りの良さ悪さなどに反映していればそれでいい。

 ともかく、ただ精緻にただ正確に音符と休符を追うだけの演奏では、ブラームスはほんとうに「なんでこんなにつまらない音楽を書いたんだろう」という音楽になってしまうんじゃないだろうか。実際、私は、実力派指揮者と実力派オーケストラでブラームスの交響曲のそういう演奏を聴いて、「時間とカネ返せ!」とむしょうに悔しい思いをしたことがある。


 だから、やっぱり、「お祭り指揮者」の愉しいブラームスもあってもいいんじゃないかと私は思うのである。

―― おわり ――




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演奏会評:バレンボイム 指揮/ベルリン国(州)立歌劇場「ニーベルングの指輪」



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