猫も歩けば

― 猫が歩いたら何にあたるのかな? ―

第一回

「元祖一条流がんこ」総本家の「悪魔ラーメン」


 「元祖一条流がんこ」(以下、「がんこ」)総本家の「悪魔ラーメン」を食ってきました。

 「がんこ」ラーメンについては、インターネット上には私よりも詳しい人がいくらでもおられると思うので、ここでいちいち説明することはしない。というより、正直に言うと、詳しいことはあんまり知らない。一週間に一度はどこかの店へは食いに行ってますけどね。

 「がんこ」には都内をはじめとして十何店かの店がある。つい最近も、この系列の店が大塚にできて、私を「がんこ」道に引きこんだ某氏といっしょにさっそく食いに行ってきた。「がんこ」大塚店は本郷店の系列のようだが、本郷店よりも、「がんこ」発祥の地とされる早稲田近くの高戸橋の店のラーメンに感じが近かったかな? つまり「がんこ」の基本に忠実な味づくりを目指しているってことだろうか? なかなか店の感じもよかった。

 この大塚店のことは、また何度か行ってみてからレポートしたいと思う。……っていうより、「がんこ」のなかでも私のとりわけ好きな本郷店について書くほうが先かな?

 で、この「総本家」というのは「がんこ」ラーメンをはじめた一条安雪氏の店である。場所は都電の早稲田駅のすぐ近くだ。発祥の地の高戸橋の店はいまはお弟子さんがやっていて、師匠がこっちの店に移ってきたということらしい。

 総本家にはじめて行ったのは4月ごろだっただろうか。それで、5月の平日の夕方に、この店独特の「悪魔ラーメン」を100円で出すという話を店内の貼り紙で知り、行ってみたわけである。  これまでに二度行っているのだが、そのたびにこの貼り紙に書いてあることが少しずつ違っている。ちなみに今日も違っていた。頻繁に書き直しているらしい。もちろん手書きである。

 その内容からすると、つまり――。

 この店のオリジナルの「悪魔」ラーメンは何度も食べないとその味の奥深さがわからない。それなのに、一回食べただけでわかったつもりになって、それ以後は敬遠してしまう客が多すぎる。そういう現状を覆すべく、大赤字覚悟で100円で「悪魔」を提供する……というようなことらしい。

 「悪魔」というメニューの存在は知っていた。そして、「すごく塩辛い」とか、「スープが真っ黒」とか、「癖があるので好き嫌いが分かれるだろう」とかいう情報は入っていた。

 「がんこ」の味はどの店でも信頼しているし、前に総本家で食った「汽鍋」や「汽鍋スペシャル」の味も印象に残っていた。だから、その「悪魔」はぜひとも味わってみたいと思っていた。

 で、店の近くに着いたのが午後4時半を少し過ぎたぐらいだった。

 有名な店でもあり、近くに巨大大学があることもあり、しかも伝説の店主こだわりのメニューであり、しかも100円という値段だから、多少は行列はできているだろうな、とか思っていたが……。

 甘かった。

 長〜い行列ができていた。入り口がかなり遠くに見える。何人並んでいるかは数えもしないで後尾に並んでしまったので、正確な人数はわからないけれど、最後に10人になった段階の行列の長さから推計すると、40人近く、いやもしかするとそれ以上いたんじゃないだろうか?

 基本的に行列は大嫌いなので帰ろうかとも思ったけれど、「悪魔」は食いたいし、それにまた来ても行列しているに決まっている。都電かバスで行かないかぎりちょっと行くのに時間がかかる場所で、出直すのも面倒である。私を「がんこ」道に引きこんだ某氏を出し抜きたい気もちもある。ちなみに、当然ながらまっとうな社会人である某氏は仕事時間の真っ最中である。あとで恨まれたりして……。

 それで、その行列の最後尾にくっついた。

 来るお客さん(やっぱり近くの大きな大学の学生さんが多いようですね)は、「悪魔」100円が始まる4時頃にはどっと来ていたということなんだろうか。私の後ろに並ぶお客さんはそんなに多くなく、ときどきちらほら来る程度である。それでも、私が並びはじめてから5時を少し過ぎるまでのあいだに後ろに10人以上は並んだ。

 じつは後ろにだれも並んでいないときは不安だったのだ。私より前で売り切れてしまったらどうしようという思いがあった。

 その5時を少し過ぎた段階で、お店のおねーさんが出てきて人数を勘定し、いちばん後ろに看板を置いて店に戻っていった。何が書いてあったかは見ていないので知らないが、売り切れなので残念だけどまた来てね的なことが書いてあったのだろうと思う。逆に言うとこれで確実に食えることはわかったわけで、ひと安心である。

 ときおり、事情を知らないらしい一般の善良な市民の方が、行列を見て怪訝な顔をして通り過ぎたりする。それは、まあ、ね。とうぜん知っている人も多いんじゃないかと思うのだけれど、事情のわからない人には、なんか目立たない入り口にぞろぞろと若い衆(猫は除く)が並んでいるわけだから。

 なんとなくぼーっと霞んだ夕日が早稲田の空にろまんちっくに傾きはじめ、私の順番が近づいたとき、後ろに並んでいた年若い女性が、扉に貼ってある「四時からは悪魔になります」というような貼り紙を見て「悪魔って何?」などと言っている。

 知らんと来たんかいっ!!

 ……どうなっても知らないよ〜。

 いや、わたくし的にはいいラーメンだろうということは十分に保証できるのだが、やっぱり覚悟ってものは必要じゃないだろうか、と、よけいな心配をしたりして。

 というわけで、40分近く待って、ようやくありつけました。ちなみにこの時間帯には「悪魔」以外のメニューはなく、あるのは「大盛り/中盛り/並盛り」の区別だけなので、「悪魔」以外のメニュー(現在は「汽鍋」かな)を食いたい人は注意しましょう。ちなみに私が食ったのは中盛りです。

 私が座ったのは手前側のいちばん奥の席で、振り返れば、壁に開いた窓から「がんこ」の総師匠である一条氏の顔が見える。総師匠だけにいい顔をしておられるんですが……こっちが見られていると思うと、緊張はします。

 ま、そうなんですよね。

 映画についても何についても「鑑賞」するものっていうのはそうだけど、私たちのほうは自分たちが見て選んで楽しんでいると思っていても、じつは相手もこっちを見て選んでいるんですよね。こういうことは、講談社現代新書にジャズの本を書いている後藤雅洋さんも書いていたし、押井守も言っていたし、三谷幸喜も書いていたので、たぶんそういうものなんでしょう。

 そして、この「悪魔ラーメン」も、たぶんそうなんだよね。

 で、結論から先に申しますと。

 来た甲斐があった。

 そして、行列して待った甲斐があったというものでした。100円で食わせてもらうのがほんとに申しわけない気もちです……。

 ま、脅されていたような「黒い」スープというわけでもなく、見た目で「悪魔」的脅威が感じられるわけでもないですが、ともかく塩辛い、いや、塩辛いのではなく「醤油辛い」のは事実です。スープを飲まなくても麺を啜っただけでスープの「醤油辛さ」は十分に伝わってくる。ちなみに、具には、ねぎなどのほかに、「がんこ」各店で出しているまぁるいチャーシューではなく、肉が載っている。あと、天かすが載ってましたっけ。これもほかの「がんこ」メニューではお目にかかったことがないですね。

 で、辛いのは辛いのだけれど、「辛いラーメン」によくある唇や舌がひりひりする感じはふしぎと起こらない。けっきょく、塩辛いのが苦手な私が、けっきょくスープを最後まで飲んでしまった。

 貼り紙によると、「悪魔」の味は、中5日以下で3回は味わわないと、初歩的な理解すらできないということだった。まあ、「総本家」の店主がそういうならば、そうなんでしょう。

 けれども、店を出て、「塩辛い」というか、「醤油辛い」感覚が退いた後に、それ以外のスープの旨味の味がずーっと残る感じが続いた。帰り道でしばらくその味がずーっと反芻できるかんじなんですね。これがたぶん「悪魔」の味なんだろうなぁ。

 ……たしかに癖になると思うよ。

 というわけで、職場を早引けしてきた私は、ぼんやり霞んだ春っぽい夕日のもと、しあわせに家路につきました。

 ちなみに、私の後ろから店に入った若い女性は「醤油辛さ」に苦戦しておられるようだったので、出がけに「4時までに来ると別のラーメンが食えますよ」と言っておいた。もしかすると「おせっかいのいやな中年ラーメンおたくおやじ」と思われたかも知れないが……「悪魔」の醤油辛さに衝撃を受けて「がんこ」離れを起こしてしまう人が出て欲しいとは思わなかったしね。店のおねーさんが「12時から4時まで来れば」とフォローしてくださったので、まあ、よかったんじゃないでしょうか。

― おわり ―