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Review: Patti Smith / Philip Glass: The Poet Speaks (live) @ Sumida Triphony Hall, Kinshicho, Tokyo
2016/06/05
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
The Poet Speaks
すみだトリフォニーホール
2016/06/04, 19:00-21:00.
Philip Glass (piano), Patti Smith (vocals), Jesse Paris Smith (piano, vocals), Tenzin Choegyal (overtone singing, dranyen (long necked lute), lingbu (transverse flutes)), Lenny Kaye (guitar).

1970年代半ば New York の punk シーンに登場したことで知られる女性歌手 Patti Smith と、 現代音楽、特に minimal music の文脈で知られる作曲家 Philip Glass とのコラボレーションによるコンサートを観てきました。 Philip Glass の音楽がメインのクラシカルなコンサートを予想していたのですが、 むしろ Patti Smith の色の濃いライブに近い内容でした。 メモを取ったりしていなかったので記憶も定かでなく、特に曲数に自信はありませんが、 まずは、Patti Smith の娘 Jesse Paris Smith と オーストラリア在住のチベット系ミュージシャン Tenzin Choegyal の duo を3曲ほど、 続いて、Philip Glass のピアノ伴奏による Patti Smith による詩の朗読を4曲ほど、 その後、Lenny Kaye を Jesse Paris Smith のバッキングで Patti Smith が歌う3曲ほど、 Philip Glass のピアノソロ1曲の後、 再び、Philip Glass のピアノ伴奏による Patti Smith による詩の朗読を4曲ほど 最後に、大団円での “People Have The Power” でした。 基本的に Allen Ginsberg の詩の朗読でしたが、Patti Smith の詩もあったような覚えがあります。

中でも最も良かったのは、Philip Glass の伴奏での Patti Smith の詩の朗読。 Allen Ginsberg の詩に見られる反抗や主張は今聞くと20世紀半ばという時代を感じるものでしたが、 Patti Smith の凛々しい声で聞くとそれも様になります。 反復を多用する Philip Glass のピアノも、minimal music ほど徹底したものではなく、 オーソドックスなコード進行や旋律もきこえるもの。 現代音楽らしく突き放したものを予想していましたが、感傷的に感じられました。 Allen Ginsberg の写真や手稿などをスチル映像を背景に大きく投影しながらの演奏・朗読で、 そのヴィジュアルが良かっただけに、 詩の和訳の字幕を大写ししている時間が長かったのは、少々残念。 字幕は外国語上演での演劇の際と同程度にして、スチル映像投影を続て欲しかったものです。

ロック歌手としての Patti Smith が観られるとは期待していなかったので、それを観られたのも収穫。 確かに、彼女の歌声には衰えの感じない力を感じました。 しかし、観客の起立と拍手を促して盛り上げての大団円 “People Have The Power” を聴きながら、 NY punk の女王というより、往年のロックスター、と思ってしまったのも確か。 “People Have The Power” 自体 Patti Smith Group 時代の曲じゃありませんが、 1970年代の Patti Smith Group の Lenny Kaye を帯同していましたが、その頃の雰囲気は感じられませんでした。 かつて自分が Patti Smith Group に聴いていたのは、皆で一体となって盛り上がるようなものではなかったような、と。

Jesse Paris Smith を観るのも聴くのも初めてでしたが、 母 Patti とは対称的な帽子、スカートに赤いアクセントカラー使いもフェミニンな服装で、 少々細い声もむしろ可愛らしい部類のものでした。 母親とは似なかったのだなあ、と感慨深いものがありました。 Patti Smith のような雰囲気の女性が並ぶよりも、対称的な方が舞台としては面白いとは思いましたが。