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Review: Familia Production, Khamsoun: Corps Otages
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2007/03/18
にしすがも創造舎特設劇場
2007/03/17, 17:00-19:30
Director: Fadhel Jaibi. Text: Jalila Baccar. Dramaturg: Jalila Baccar, Fadhel Jaibi. Scenography/Costume design: Kaïs Rostom. Choreograph/Sound: Nawel Skandrani.
The Premiere: Théâtre de l'Odéon, Paris, FR, 2006/06/07
Cast: Jalila Baccar, Fatma Ben Saidane, Jamel Madani, Moez M'rabet, Besma El Euchi, Lobna M'lika, Wafa Tabboubi, Riadh Hamdi, Hajer Gharsallaoui, Khaled Bouzid, Hosni Akremi

Familia Productions は、1975年にチュニジア (Tunisia) 初の民間劇団 Nouveau Théâtre de Tunis を設立した Fadhel Jaibi が、 1993年に Jalila Baccar と共同設立した政府の援助を受けていない独立の劇団だ。 Jaibi は1967年に演劇分野の給費留学生としてフランス (France) へ留学、 Mai 1968 を経験し、当時パリ (Paris, FR) で自ら劇団を旗揚もしたともいう。

フライヤに使われた sema (Sufi の旋回舞踊) を思わせる写真から ダンス的な作品かと予想していた。 確かに、ダンスや身振りの要素がそれなりに大きい作品だったが、 セリフや物語がかなり重要な作品だった。 アラビア語 (Arabic) のセリフで二時間半という長さはキツいかとも思ったが、 題材の重さ、緊張感もあって、最後まで集中して観られた。 字幕を追いながらの観賞になってしまい、 セリフが多いシーンでは舞台上の出来事に集中できなかったりもしたが。

この作品は、フランス留学中に9.11テロがありイスラム主義者となって帰ってきた女性 (Amal Ben Nassur) と、 ブルギバ (Habib Bourguiba) 政権下で政府とイスラムに対して闘った左翼活動家の両親 (Youssef と Mariam) との間の葛藤の物語だ。 そして、その葛藤を劇的にするのが、 Amal と同居していた女性教師が自分が教える高校で自爆テロを疑わせる自爆自殺をし、 Amal がテロ幇助容疑で逮捕されるという事件だ。 そして、Youssef が左翼的な反政府活動のために受けた拷問と Amal やその関係者がテロ幇助容疑で受ける拷問。 タイトルの Khamsoun は「50年」という意味で、 2006年にチュニジア独立50周年を迎えたことを意識したものになっている。 そしてこの劇が描くのは、左翼運動の世代とイスラム主義運動の世代、 そしてその二世代にわたる抑圧の50年だ。

アラビア語を聞き取れず理解もできないこともあると思うが、 劇中最も印象に残ったのは、やはりセリフよりも動きだ。 特にイスラムの礼拝の際の清めのしぐさや、 女性がヘジャブを身に付けたり脱いだりするしぐさを元にしたダンス、 そして、旋回舞踊だ。 フライヤ等に使われたヘジャブを付けた女性たちが踊る旋回舞踊よりも、 作品の終り近くでヘジャブを被らず長い髮を現わにした状態で Amal が踊る旋回舞踊のソロは、 Amal の救済のようでもあり、とても感動的だった。 あと、舞台は絨毯 (というか、そののように彩色された色の床か) と、 舞台下手に吊るされたサンドバックというミニマルなもの。 このサンドバックとそれが立てる音は、拷問のメタファーとしてうまく機能していた。

一回観て筋を知った後だから言えるのかもしれないが、 若い世代のイスラム主義と親の世代の近代主義的な左翼主義の間の葛藤、 拷問で彩られた独立後チュニジアの抑圧の歴史などを、 こういった身のこなしやメタファー的な小道具だけで語らせる舞台というのも アリなのではないかとも思ってしまった。

ヘジャブやイスラム的な身のこなしなどが多くあったこともあり、 イスラムではない両親や友人の弁護士、 そして娘と若い世代だが Amal とは逆に左翼闘士だった Youssef にあこがれる弁護士の助手の女性など そうではない登場人物も、そこから浮き上がり際だっていたように思う。

公演後のアフタートークも聴いてきたのだが、 Fadhel Jaibi は熱く語るという感じではなかったが、やはり雄弁だった。 社会背景などがよく判っているわけではないので、 アフタートークは劇の理解の助けになった。

この作品はチュニジア独立50周年を意識した作品だが、 当初はその歴史の中で忘れかけられている 社会の近代化のために闘った世代 (Jaibi や Baccar はここに属する) に 光を当てることを意図していたという。 アタチュルク (Mustafa Kemal Atatürk) により近代化が進んだトルコ (Turkey) や ソビエト政権下で近代化が進んだ中央アジア諸国に比べ、 他のイスラム圏は特に宗教的な面での近代化が見え辛いと思う。 しかし、この作品を観ていて、 トルコや中央アジア以外のイスラム圏の国だからといってイスラム一色ではなく、 当然ながらチュニジアにも近代化のために闘った世代があって、 それも今に続いているのだなぁ、と、感慨深かった。 そういう点で、この作品の最初の意図は成功しているのではないかと思う。

もう一点、アフタートークで印象に残ったのは、 この作品は2006年6月にパリ (Paris, FR) で初演された後、 チュニジアでは上演許可が下りず2007年2月にやっと上演できたという話だ。 それも、上演許可が下りなかった理由は、 イスラム主義に対して明確に反対していないこと、ということだった。 結局、一ヶ所の変更の後に上演を許されたのだが、 それは、自爆自殺をした場所をチュニジアの国旗の前から花壇に変更するというものだったという。 自分が観た限り、イスラム主義支持ではなく、 むしろ、元左翼闘士の両親に作家の思入れがありそうな印象を受けたけれど。 自分が近代主義的な左翼に肩入れして観ていただけかもしれないが。 明確の主張をするというより議論を引き起こすような 状況を作り出すような作品だと思ったが、 そういう点が、上演が難しくなる一因なのかもしれない。

一週間前に観たウズベキスタン (Uzbekistan) のカンパニー The Ilkhom TheatreImitations Of The Koran (レビュー) と物語の舞台も作風も大きく異るけれども、 近代主義者がイスラムとどう向き合い理解するのか、 イスラム主義に対しどう多様性を示すのか、 という点で重なる部分も多いと感じた。 そういう問題設定はかなり普遍的なように思うし、それもとても興味深かった。

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