1990年代後半からベルリン (Berlin, DE) を拠点に活動する現代美術作家 塩田 千春 の展覧会『沈黙から』に合わせ、 『アート・コンプレックス 2007』と題した一連のパフォーマンスや音楽コンサートが、 インスタレーション作品が作り込まれているギャラリーや隣接するホールで開催されてきた。 その展覧会の最終日にギャラリーを使った Constanza Macras & DorkyPark のダンスパフォーマンスを観てきた。 DorkyPark は ブエノスアイレス (Buenos Aires, AR) 出身の Constanza Macras が主宰する ベルリンのカンパニーだ。 塩田 千春 というと『横浜トリエンナーレ2001』での泥の流れる巨大なドレス 「皮膚からの記憶」の印象も強いが (関連レビュー)、 DorkyPark については観るのは初めてでほとんど予備知識は無かった。
吹抜けになった最も広いギャラリー空間の中央に 半ば焼け落ち骨組み程度となったグランドピアノが置かれ、 それを半ば取り囲むように焼け焦げた椅子が何十脚も並べられている。 ピアノや椅子には太い黒い糸が複雑に絡み付いていて、 それがピアノの真上の天井に纏めるように引き上げられている。 ピアノからの黒い糸はまるで黒い泥が流れ落ちているかのようであり、 椅子からの黒い糸は粗い網をピアノの回りにかけたかのようでもあった。
そして、そのピアノの回り、椅子とピアノの間の黒い糸に覆われた空間で、 DorkyPark のパフォーマンスが繰り広げられた。 その印象は意外とメロドラマチックなものだった。 一人の男性と二人の女性の三角関係における愛情、嫉妬、友情という 比較的判り易いテーマということもあったかもしれない。 セリフは無いがダンサー自身が歌う歌がポップス的なもので、 そこに少々俗っぽさを感じたということもある。 中盤のダンスで三角関係を描くような表現はステロタイプにも感じた。 しかし、そこから、最後には半裸になった男女ダンサー2人が コントーション・アクロバットのようなパフォーマンスをしたり、 半裸の女性ダンサー2人が水とココアをぶちまけた上で「泥」にまみれるような パフォーマンスとなる。 その間に席を立っての移動があるので一幕入った感じもあるのだが、 その落差が面白かった。 中盤の判り易い展開は、 最後のパフォーマンスの前説のようなものだったのかもしれない。
そんなダンス・パフォーマンスを通して観たせいか、 ピアノと椅子を使ったインスタレーションは物が具体的に過ぎて、 感傷的に過ぎる印象も受けてしまった。 むしろ、それを取り巻く小さなギャラリーでの 東ベルリンの古い窓枠だけを集めて作った緩く曲がった回廊のようなインスタレーションや、 複雑に絡み合った太い黒い糸が人が通るためのスペースを取り囲むようにギャラリー空間を埋め その糸濃しに蛍光灯の光を見るインスタレーションの方が、 漠然とした (具体的な文脈の無い) 不安感を引き起こすような力を感じた。
写真の展示もあったが、インスタレーションと一緒に観ると、 不安感を直に訴えかけてくるというよりも、 ワンクッション置かれてしまうようにも感じた。 泥の中に自らを置くような写真はそれほどでもないが、 展示と同じく太い黒い糸をベッドの回りの空間に複雑に絡み合わせた様子を捉えた写真は、 その質感もあってか普通に綺麗なようにも感じてしまった。
ちなみに、ケンジタキギャラリー/東京でも 塩田 千春 展を開催している (2007/10/17-11/24)。 こちらでは、『沈黙から』展インスタレーションのための ドローイングや小さな模型、写真が展示されている。 2週間程前に予習気分で観に行ったが、展示そのものを楽しむというよりも、 『沈黙から』展関連グッズ売り場 (ただしアート・コレクター向け) と言った方が良いかもしれない。 ちなみに、『沈黙から』展のフライヤで使われている金髪の女性がベッドに横たわる写真は、 県民ギャラリーでは展示されておらず、ケンジタキギャラリーに展示されていた。