東京都現代美術館によるアニュアルの若手作家のショーケースだ。 展覧会テーマは面白いとは感じなかったが、気になった作家について。
織物や刺繍による作品で知られる 手塚 愛子 は、 彼女のルーツにあたる油彩から最新の巨大な織物まで展示されていた。 新しい発見があったという感じでも無かったが、 断片的に作品を観て来たがやっと全体像がそれなりに掴めたように感じた。 やはり良いのは、既成の織物から糸を引き抜いた作品だ。 『縦糸を引き抜く』や『縦糸を引き抜く 新しい量として』は、 円形や楕円形のキャンバス様に張られて絵画的でもあり、 そこから縦糸が引き出されて、地の構造が明らかにされる樣は、 Lucio Fontana のキャンバスの切れ目にも似ていると感じた。 新作の織物の作品は、既成の織物から糸を抜くのではなく、 新たに織ったものながら途中で止めて縦糸を現にするというもの。 既成の布を使った作品では柄の選択よりもそこから意外な形で抽出された構造に意識が行くけれども、 新たに織った場合は構造よりもどうしてこの色の縦糸を選んで配置してどうしてこういう柄にしたのかという点に意識が行く。 そして、その選択に説得力を感じさせるまでにはなっていないようにも思った。 2007年にスパイラルホールで観た巨大な刺繍のような作品が気に入っていたので (レビュー)、 その展開に相当するような作品が無かったのは、少々残念だった。
彦坂 敏昭 の作品は、 写真をベースにした凹版画に手を入れた平面作品。 コンピュータ画像認識においてノイズとして扱われるような部分を抽出強調拡大したような作品だ。 具象から抽象的な画面を作り出す場合、構造を抽出して単純化することが多いが、 構造ではなくノイズ成分を抽出して抽象化しているのが面白いし、そのノイジーな画面も良い。 しかし、近付いて細部を目にやると、手を入れた部分、特に鉛筆やペンの質感や線の不安定さが半端に感じられた。 マクロな部分での機械的操作によるノイズに ミクロな部分での意図的操作による構造を対比させるなら、 もっとカッチリしたタッチにした方がかっこよいのではないかと思ってしまった。
高橋 万里子 の室内光で撮られたブレ・ボケの入った写真も、 かつての『プロヴォーグ』の私的な指向とは全く違い、 むしろ、それによりフォーマルな画面の抽象化を指向している。 しかし、その一方で被写体に人物や人形を選ぶことにより、 抽象的な色と形として写真を観ることを拒んでいるよう。 その指向の拮抗が具合が面白かった。