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Review: 下西 進 『I am, I am』 @ INAXギャラリー2 (美術展)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2008/7/14
下西 進
INAXギャラリー Gallery 2
2008/07/01-07/29 (日祝休), 10:00-18:00

スチルやビデオのカメラを使い、その特異な視点から捉えた映像で、 社会をユーモラスに異化したり、その約束事を暴いて見せるかような作品だ。 そういう作品は好きだし、実際に楽しんで観たのだけれども、 その一方で、以前にも書いたように、 この手の作品のアートとしての微妙さというのを再認識した展覧会でもあった。

長い一脚の上に付けた頭上にかかげたカメラから雑踏の中の自身を捉えたモノクロ写真のシリーズ「I Am On The Earth」や、 バルーンに付けたムービーカメラから撮ったビデオ作品「I Am Under The Sky」を観て 思い出したのは、『デイリーポータルZ』での 三土 たつお の記事 「ヘリウム風船にカメラをつける」 (2006-10-19) や 「棒の先にカメラを付ける」 (2008-04-10) だった。 制作は 下西 の方が先と思われるし、パクったというわけでは無いだろうが。 そして、三土の記事と下西の作品の際立った違いは、 発想の斬新さやユーモアにあるのではなく、 面白そうだからちょっと試してみただけなのか、 作家自身が納得行く絵が撮れるまで試行錯誤したのか (そう感じさせるだけの仕上がりか)、だ。 そして、その納得の基準となる作家の美的な拘りやコンセプトの有無もあるだろう。

特に、「I Am On The Earth」での 雑踏の中でカメラを見上げる自身を撮ったモノクロ写真は、 カメラを支える白いポールの線が集中線のように画面下端から中央に視線を誘導し、 その中央に作家自身の顔がくっきりと写っている。 その周囲の人々のほとんどは頭部のみが写っており、それも移動のためにブレているため、 中心の顔がより浮かびあがって見える。 そして様々な雑踏の中で同じ様な画面を反覆することによって、 この構図が強調される一方で、写真間の微妙な差違も面白く読める。 そんな所に「I Am On The Earth」シリーズの面白さがあるように思う。 そして、そこが「I Am On The Earth」を ブログ等でのネタとは違うものにしていたようにも思う。

それに比べて、ビデオ作品の「I Am Under The Sky」や「I Am On The Air」になると、 絵的な拘りが希薄になっていくのが少々気になった。 「I Am On The Air」は、 テレビの街頭生収録の様子を自分自身がテレビに写り込むような形でビデオ撮影し、 そのテレビ放送画面と自身が撮ったビデオを対比するように上映している作品だ。 確かに、何も起きていないかのように話続けるアナウンサーとカメラクルーの リアクションの対比は面白い。 しかし、少々ゲリラ的な感じの手持ちカメラ撮りやテレビのキャプチャであれば、 画廊での上品な上映よりもいっそブログや動画投稿サイトを使った方が、 主題に見合ったゲリラ的なメディアの選択という点でも面白かったのではないか、 と思ってしまう所もあった。

少々余談だが、「I Am On The Air」は、 テレビ番組をそのまま使っていることや、そこに作家自身が写ってることから、 テレビ番組『笑っていいとも!』を使った キリンアートアワード2003 の審査員特別優秀賞受賞作品、K.K. 「ワラッテイイトモ、」を連想もした。 「ワラッテイイトモ、」では 「著作権・肖像権を侵害する恐れがある」と公開が見送られたりした (後に他のギャラリーで上映されたりして観ることができたが) 経緯があったけれども、この作品ではこの点をどうクリアしたのだろうか。

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