土曜は昼すぎに家を出て、銀座を軽く画廊巡り。 観た中でちょっとひっかかった、というか考えさせられたものについて、輕くメモ。
火薬の爆発を使って布に描いたドローイング4枚の展示と、 蔡に対する資生堂の文化メセナに関するビデオ展示です。 後者はさておき、前者の火薬ドローイングは、 どんどん表現力が増しているというか、細かく制御して描いているという印象。 単に見慣れてしまっただけかもしれないですが、 1990年代に観たときの印象に比べ普通になったような。 初めて蔡の火薬ドローイングを観たのは 『ヨハネスブルグ・ビエンナーレ帰国展』 (ワタリアム美術館, 1995) だったと思うのですが (10年以上前のことをこう思い出せるのも レビューを書き残してあるおかげ)、 ワタリアムの壁に直接爆発痕が付いたのが強烈に印象に残ってます。 爆発の瞬間を観るわけではないし、 資生堂ギャラリーのドローイングもどこかで爆発させているわけですが、 その場で爆発があったという生々しさというか現場感の違いというのも、 印象の強さの違いになっているかもしれない、と思ったりしました。
1990年代、街中アートイベント (IZUMIWAKU や表参道のモルフェとか) で パフォーマンスといえばこの人、という感じでしたが、 2000年代に入って自分のアンテナにかからなくなってました。久々に、その名前を、 『art blog void chicken DAYS』 で告知をみかけて。レジデンス等で海外へ行ってることが多かったのでしょうか。 今回はシンメトリーな名前「田中一」さんを探すロードムービーというか ビデオ上映と、蛍光灯を使ったミニマル気味な作品の展示。 後者はさておき、前者のそのユーモアは嫌いではないのですが、良いかといえば微妙。 例えばデイリーポータルZやネタ系ブログ という形でこの手のプロジェクトは2000年代に入ってぐっと大衆化が進み 全体的に価値暴落中、というか、よっぽど秀逸なネタかプレゼンの妙が無いと 厳しいなぁ、とつくづく思ってしまいました。うーむ。 今年に入ってからこれまでにも2回程 (1, 2)、 そんなことを思ったりたわけですが……。
結局、銀座〜京橋は軽く済まして、銀座線に乗って浅草へ。
アサヒビールのメセナ事業アートコラボレーションの今年の展覧会。 去年の 照屋 勇賢 が 良かったので、 今年はどんなものかなと、予備知識もほとんど無いまま行ってみました。 今年はフライヤを拾ってないような……。 関西での展覧会が多い作家で、ちゃんと作品を観たのはこれが初めて。
ナフタリンを使って日用品等を象った作品 (これは以前にも観たことあったかもしれない) は、 気化して崩れて消えていく樣と、 ナフタリンではなくそのまま残る部分との対比に、意味を込めるような作品です。 ナフタリンが気化し、それを収めている透明な容器の内部に 結晶を析出させている様子は、蛍光灯を使ったライティングもあって、良かったです。 消え去るものと残るものの対比が、少々私的で小さくまとまった印象が……。 あと、隅田川から作った塩を使った作品や、写真作品など、 作風がけっこうばらばらなのも、全体として漠とした印象になってしまった一因かも。 同じシリーズということで、 なんとなく去年の 照屋 のイメージをひきずったこともあったと思うのですが……、 彼くらい社会への切り込みの鋭さがあれば、 作風のばらばらさも気にならないのだろうとも思ったり。