日本とオーストラリア (Australia) の作家による写真/映像作品のグループ展だ。 日本語の展覧会タイトルには「写真」とあるが、 半数はビデオを使った作品で、 スチルの作品にしてもデジタル処理をしたものが中心だ。 テーマにある記憶といっても、 短期記憶的なものから、数年前の個人的な思い出、社会的な歴史など、 タイムスパンや私的な色合いの濃さはさまざまだった。
最も印象に残ったのは、Alex Davies, "Dislocation" (2005-2006)。 部屋の一方にビデオカメラが置かれ、 もう一方の側に置かれた4台の小型ディスプレイが並べられ、 ビデオカメラが捉えた映像を映し出している。 観客がディスプレイを覗き込むと、覗き込んでいる自分の姿が見えるのだが、 それだけではなく実際にはいない人物の映像が合成される。 誰も覗きこんでいないはずのディスプレイに人が覗き込んでいたり、 後を人が動きまわったり。 壁際でディスプレイを覗き込むような姿勢になるだけに、 不意に背後を取られたような不安を感じるという所も、面白かった。
しかし、全体の中では、この作品は少々毛色が違うように感じるもの。 むしろ、全体としては、形式的なシャープさというよりも、 surreal というか goth 趣味を感じるようなセンスが気になった。 特に印象に残ったのは、 黒めの画面にホログラムのような色調で劇的な人物像が浮かびあがる 志賀 理江子 の一連のスチルの作品や、 女性のヌードに冬枯した森の木々などをスーパーインポースした Jane Burton の一連の白黒スチルの作品、 手作りの3Dスキャナのデータで作った女性のヌードのポリゴンメッシュを変形して 黒地に白のスチルで描いた Sophie Kahn だ。
古橋 悌二 「Lovers — 永遠の恋人たち」 (1994) は、10年前にも体験したことがある作品。 その時にも感じたとこだが、じっと観賞するというより、 光のスリットを掴みたくなったり、人物像と体を合わせたくなったりするような、 観客に動きを促すかのような所が良い。 しかし、10年前ほど遊び心がくすぐられなかったのは、 それだけ自分が老いたということだろうか。 しかし、この作品が展覧会の軸とされているのだが、 他の展示作品との関連は強く感じられなかった。
この展覧会に合わせて、NTT ICC で 古橋 悌二 存命中の Dumb Type の 舞台作品 S/N の ビデオ (1994上演; 2005再編集版) が特別上映されたので、併せて観た。 作品内で行われる love song に関する議論などを聞いていて、 実はかなりロマンチックな話だったんだなあ、と。 しかし、アイデンティティ・ポリティクスを作品主題とすることがクールだった時代の そのクールさがよく現われていて、良い作品だなあと再認識。 良くも悪くも1990年代的、ということでもあるのだが。