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Review: Helgard Haug, Daniel Wetzel (Rimini Protokoll): Karl Marx: Das Kapital, Erster Band (Karl Marx: Capital, Volume One; 『カール・マルクス:資本論、第一巻』) @ にしすがも創造舎 (演劇)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2009/03/02
にしすがも創造舎
2009/02/28, 19:30-21:30.
Premier: Düsseldorfer Schauspielhaus, 2006.
Concept & Direction: Helgard Haug, Daniel Wetzel. Stage Design: Helgard Haug, Daniel Wetzel, Daniel Schulz.
Thomas Kuczynski (statistician and economic historian), Ulf Mailänder (author and coach), Talivaldis Margevics (historian and film maker), Jochen Noth (management consultant and tutor focusing on China and Asia), Christian Spremberg (call centre agent), Ralph Warnholz (electrician in public service, former gambler), Franziska Zwerg (translator), Sascha Warnecke (revolutionist, apprentice media marchant); 大谷 禎之介 (Teinosuke Otani) (元大学教授, MEGA編集者), 佐々木 隆治 (Ryuji Sasaki) (大学院生), 荻原 ヴァレントヴィッツ 健 (Ken Hagiwara-Wallentowitz) (大学講師), 脇水 哲郎 (Tetsuro Wakimizu) (会社員).

Rimini Protokoll は2000年にフランクフルト (Frankfurt am Main, Hessen , DE) で結成された Helgard Haug、Stefan Kaegi、Daniel Wetzel の3人によるアートプロジェクトだ。 一般の人々を出演者に起用する「ドキュメンタリ演劇」 (documentary theatre) で知られている。 去年観た Kaegi による舞台作品 Mnemopark. A Mini Train World [レビュー] がとても面白かったので、今回も足を運んでみた。 Rimini Protokoll 初体験だった Mnemopark ほどの衝撃は感じなかったが、 十分に楽しんだ舞台だった。

Mnemopark でインパクトがあったのは 舞台を埋め尽くす鉄道模型だったが、 今回は、舞台横幅ほぼいっぱいに立てられた高さ3メートル余りある書架。 それも、背景としてではなく、客席に迫るように2〜3メートルの所に立てられていた。 書架の中には、人が座ることができるスペースやビデオディスプレイも置かれていた。 出演者は書架の中で、もしくは、書架の前に立って、演ずることになる。 この客席への書架の近さは、出演者を身近に感じさせる効果があった。 初演時の写真を見ると、書架の前のスペースはもっと広めに取られている。 にしすがも創造舎の舞台も奥行きは十分にあるので、今回のスペースの狭さは意図的なものだろう。 スペースを広く取って多様な平面的な動きを観てみたかったとも思うが、 スペースを狭く取るのは良かったと思う。 訓練された身体表現で観客の目を惹くわけにはいかないだけに、 このような舞台の作り込みや工夫は重要だ。

舞台の上に立ったのは、初演時の8人に日本人4人を加えた12人。 Marx 研究者の大谷は Kuczynski の、 視覚障害者の脇水は Spremberg の日本人カウンターパート。 ドイツ語のセリフに日本語字幕を付けていたが、 ポイントとなる所ではカウンターパートにその役割を割り当てていたようだ。 もちろん、完全なカウンターパートではなく違いもあるのだが、 それも作品に取り込んでいた。 字幕や同時通訳という方法もあるのだが、 セリフにおける言葉の壁のクリアをする方法として面白く感じられた。 ドラマ的な演劇ではなく「ドキュメンタリ演劇」だから可能であるとは思うが。 ちなみに、通訳的な役割を担う人も舞台の上に上げていた。 Zwerg はラトビア人 Margevics との通訳的な役割も担っていたし、 その日本のカウンターパートといえる荻原も書架に座って字幕操作するだけでなく、 たまに通訳として喋るときもあった。 そういう点では、カウンターパート的な役割というより 日本の若者における Marx の受容の立場を担う意味合いが強かったのは 佐々木だったように思う。 全体としては Mnemopark での鉄道模型マニアの老人たちに比べると 普通の人たちではあったが、 少し背が曲がった Kuczunski と小柄ながら姿勢のいい大谷のコンビはキャラクタが立っていた。

セリフは『資本論』の内容に踏み込むというよりも、 舞台に上がった人達の自分の体験談を通して、 第二次大戦後の Marx や左翼/労働運動の受容を浮かびあがらせるもの。 初演時から出演していた8人のうち3人は旧東ドイツとソ連の出身、 一方で、1960年代末に西欧で盛り上がった左翼的な学生運動の中心人物も出演していた。 そういう人たちの話からは、Marx がどう受容されていたのかだけでなく、 旧東西ドイツの歩みの違いが浮かびあがるよう。 文献や映像資料で知るものとは違ってその分断の歴史が身近に感じられた。 Mnemopark の時も似たようなことを感じたのだが、 Marx や左翼運動の理解を深めるというよりも、 それを人間的なものとして身近に感じさせるということが、 彼らの「ドキュメンタリー演劇」の面白さなのだと思う。