日本の炭鉱を捉えた絵画や絵画、ポスター等のグラフィックスなどを集めた展覧会だ。 技法ではなく主題の観点からの切り口の展覧会ということで少々腰が引けていたのだが、 非常に楽しめた展覧会だった。 出展作品は戦後、特に1950年代の炭鉱を主題にしたものが中心。 炭鉱の街のコミュニティ・アートの展覧会とも言えるし、 最近のバブル的に増えているコミュニティ・アート・ブロジェクトに対する アンチテーゼにも感じられた所も、とても興味深かった。
1階・2階展示室の「Part. 1 - <ヤマ>の美術・写真・グラフィック」で興味深かったのは、 炭鉱夫の作家による絵画だ。 特に、炭鉱夫の仕事だけでなく風俗、生活をも炭鉱夫の視点から描いた 山本 作兵衛 の作品は強く印象に残った。 絵が上手いというより、人物の描き方などアウトサイダー・アートなのだが、それがむしろ観る者に迫ってくる。 1970年に 菊畑 茂久馬 の指導の下、現代思潮社美学校・描写教場の学生が 山本 作兵衛 の絵を9点一組の大壁画にした『山本作兵衛炭鉱画模写大壁画』は圧巻だった。 この 山本 作兵衛 を知ることができ、まとまった数の作品を観ることができたのが、 この展覧会の一番の収穫だった。 しかし、美学校が壁画化している程なので、その文脈では有名なのだろう。 今までノーチェックだったのは痛恨だ。
そんなフォーク・アート、アウトサイダー・アート的な作品のインパクトに比べて、 美術作家の作品は端正過ぎて印象が薄くなったのも確か。 そんな中で最も印象に残ったのは、 夕張炭鉱で働いていたという 倉持 吉之助 の日本画。 暗いトーンで描かれた油彩が並ぶ中、明るい色彩が目立っていたということもある。 しかし、遠景を描いたものなど、その構図やパンフォーカス的な描き込みなど、 ふと 畠山 直哉 が写真に撮りそうな絵だと思ったりもした。
美術館と隣接する区民ギャラリーでの 「Part. 2 - 川俣正コールマイン・プロジェクト 筑豊、空知、ルールでの展開」 は、そのタイトルや最近の展覧会 (例えば『通路』 [レビュー]) のような、プロジェクトのドキュメントを並べたインスタレーションではないかと予想していた。 しかし、「景」と題されたギャラリー全体を使ったインスタレーションには、 プロジェクトに関するドキュメントの類はなし。 炭鉱の風景を巨大なギャラリーいっぱいの巨大なジオラマに仕立てたものだった。 といっても、川俣 正 の作品らしく、細部まで作りこんだものではなく、仮設的なもの。 地面はダンボール箱を開いたものやベニヤ板を敷いて作られ、 その上に灰色一色塗りの建物を象ったものが並べられていた。 しかし、そのダンボールやベニヤ板の作り出すテクスチャーは、全体としての色彩感の薄さが、 逆に炭鉱の街っぽさを感じさえているように感じた。 特にギャラリーの端に置かれているベンチに座って観ると、 近くの山の稜線くらいから炭鉱の街を見下ろしているようだった。 川俣 正 の最近のプロジェクトの展示に退屈を感じていただけに、 この最新のインスタレーションはとても良かったように思う。
この展覧会は、目黒区美術館の他、ポレポレ東中野で 「Part. 3 - 特集上映<映像の中の炭鉱>」が開催されていた (11/28-12/11)。 残念ながら、こちらへは全く足を運ばなかった。