展覧会のようなまとまった形で観るのも久々だったが、 サイトスペシフィックなアートからすっかりメタアートの世界へ 行ってしまったんだなと、感慨深かった。 ここでのメタアートというのは、アート内アートという意味ではなく、 アートを作ることをテーマにしたアートという意味でだが。 自分の観て来た中では、 『デイリーニュース』展 (水戸芸術館, 2002; レビュー) が転機だったように思うのだが、その時のマッシブな新聞紙の山のようなものも無くなってしまっていた。
サイトスペシフィックで空間異化的なインスタレーションとしては、 ベニヤと細角材で作ったバネルを並べた「通路」があった。 しかし、それは1990年代のような強烈さは感じられなかった。 パネルの足の向きによる裏表の関係を意識的に逆転させたりと、 確かに、歩く経路や視線の誘導のしかたや遮り方は計算されていた。 しかし、物量や作り込みで圧倒するでもなく、 最小限の仕切りで実現するようなミニマルなスマートさもなく、 非常に半端な印象を受けた。 ミュージアムショップやチケット売り場があるエントランスでは それなりに面白いと思ったが、 比較的ニュートラルなギャラリー空間には、このような作品は向いていないかもしれない。
そういう意味では、そんな「通路」に漫然と散りばめられている、 過去のプロジェクトのドキュメントや、現在進行中のプロジェクトの作業スペースの方が 主役なのかもしれないが、ワークスペースをそのまま持ってきているだけで、 人に見せるような形でのプレゼンテーションはほとんどされていない。 『デイリーニュース』を観たときに 「遅れてきた参加者のつもりになって、資料と格闘すると、仮想参加者となれるわけです。終わっていないワークショップなら参加可能。どれかひとつプロジェクトを選んで、これからのメンバーに加わりませんか。つまりこのアーカイブは、単なる資料ではなく、現実のプロジェクトの入り口して存在するものなのです。」 というキャプションを読んで、人に見せる/読ませることを考えていないプレゼンテーションが 現実的なプロジェクトの入口になるものか、と思ったものだし、 今回観た展示でもそれは変わらない。 今でもそういう作家意図を引き摺っているのであれば、その面を評価するつもりはない。
このプロジェクトの展示は退屈だ。 日常的で凡庸なうえ、プレゼンテーションに人を引きつける工夫もない。 プロジェクトがサイトスペシフィックで造形作品的な作り込みを伴ううちは、 まだ、その特殊なプロセスを覗く興味深さがあった。 しかし、プロジェクト自体が自己目的化していくうちに、その特殊さが薄まり、 それは企画、開発、計画に関係する仕事では一般的なプロジェクト・ワークと変わらなくなってしまう。 そういうものを、美術館で展示して有難がたるというのも少々気持ち悪いが、 しかし、『プロジェクトX』や『プロフェッショナル 仕事の流儀』のようなテレビ番組のような演出をして 観客を引きつけるとしたら、それはもっと胡散臭い。 確かに、会期中に行われたワークショップやイベントの中ではエキサイティングな時もあったかもしれないし、 会場の中で作業しているスタッフであればそれぞれに個別にエキサイティングな時もあるだろう。 しかし、大半を占めがちな退屈で凡庸な面も含めてプロジェクトの日常そのまま作品にしているとすれば、 それはそれで誠実な作品なのかもしれないと、思ってしまった。 そういうことは、作家本人の意図ではないかもしれないが。