東京ミドルシアター・フェスティバル第1回「国際イプセン演劇祭」の一環として、 Deutsches Theater Berlin が再来日した。 2006年に観た Emilia Galotti [レビュー] の演出が良かったので、 それを楽しみに観に行った。 セリフが多く Emilia Galotti よりは普通の演劇に感じられたけが、 同様のスタイリッシュな演出は十分に楽しめた。
上演作品は、Henrik Ibsen: En Folkefiende (1882; ヘンリク・イプセン 『野がも』)。 実業家の父親 (Direktor Werle) によって貶められていた Ekdal 一家が、 真実によって生きることが救済であると考えた Gregers Werle から告げられた事実によって、 逆に夫婦関係の破綻と娘 Hedvig の自殺という悲劇に突き落とされるという物語だ。
舞台にはいっぱいの大きさの円筒を斜めに切った回転舞台が置かれており、 斜面が見える側を使っているときは、上に登ると実際よりも奥にいるように感じられ、奥行きが強調される。 そんな見え方を利用して、物理的な斜面としてというよちも、 デフォルメされた心理的距離感の象徴として斜面が使われていた。 そして、その立ち位置で登場人物の関係性を示すかのような演出は Emilia Galotti と同様。 今回の舞台では、それだけでなく、舞台を回転させ、 最も高さがある側を前面に持ってきて奥行きを消した舞台を作ったり、 回転を場面転換に使ったりもした。
そして、新鮮に感じられたのは、舞台を回転させての場面転換だった。 回転させつつも舞台上の俳優の演技が続くのだが、この場面はセリフ無しで映像的。 特に、Hjalmar が Werle 邸での会食から戻っての場面の後の、 回転する傾いた面を仲良く歩くエクダル親子3人を観たとき、 回る傾きが将来の不安定さを象徴するようで、ぐっときた。 また、最後の場面では、斜面を客席と正対させずに少し右に逸らすことにより、 奥行き感の強調だけでなく、傾きも感じさせるようにしていた。 その斜面中央に自殺しようとする Hedvig を置くことにより、 斜面下にいる他の登場人物との距離感だけでなく、 Hedvig の精神的に不安定で危険な状況をはっきり表しているようで、印象を強く残した。 限られて使われていたから効果的だったということもあるとは思うが、 このような場面がもっと多かったら、とも思った。
音楽や効果音はほとんど全く使われなかったが、場面転換で舞台が回転している時、 ベルリンらしい electronica (Morr Music あたりからリリースされていそうな) がかかっていた。 舞台上の変化にも合っていて良かったと思うのだが、残念ながら誰によるものかクレジットされていない。 劇団付きのミュージシャンが手掛けたのだろうか。
そんな空間を生かした演出は十分に楽しめたけれど、 一方で Emilia Galotti とは違いセリフは多め。 若干の省略はあったものの、ほぼ原作通りに物語は進み、 特に新たな解釈を加えているようには感じられなかった。 最初の場面は奥行きを消した状態の舞台だったので、まるでドラマリーディングのよう。 といっても、例えば Gregers の暑苦しい相槌の打ち方が「傍迷惑な正義感」を思わせるものだったりと、 セリフが判らなくでもその喋り方からキャラクターを作り出している所は楽しめた。 主役とも言える Gregers と Hjalmar を演じていたのが Emilia Galotti にも出演していた Ingo Hülsmann と Sven Lehmann だったので、 そんな喋り方に Emilia Galotti を思い出したりもした。
これで Thalheimer 演出の舞台は2作観たわけだが、演出したオペラも観てみたい。 2005年に Berlin Staatoper で演出した Leoš Janáček: Káťa Kabanová (1919-1921) の再演来日は無理としても、せめてDVD化されたら、と思う。